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検索対象: ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)
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1. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

) ーザの世話を焼きながら、自分でもその傍へ並んで腰をか番よけい顔をあかくする原因はなんでしよう ? いや本当 けた。ちょうどからだの明いたビヨートルはすぐさまそのほ に当たったのなら、ばくからもお祝いを受けてください。そ うへ飛んで行って、早口に面白そうにしゃべり出した・このして、賭けを払ってくださいな。覚えてらっしやるでしょ 時ニコライは例のゆったりした足どりで、とうとうダーリヤう、あなたが結婚なんかしないとおっしやっ・たので、スイス の傍へ近寄った。ダーシャは彼が近づくのを見ると、急に坐で賭けをしたじゃありませんか : : : ああ、そうだ、スイスと ったままもじもじし始めたが、見るからばつの悪そうな様子 いえば、・・・・ーー本当にばくはどうしたんだろう ? まあ、どう でしよう、半分はそのためにこちらへ上ったくせに、もうあ で、顔を真っ赤にしながら、いきなり飛びあがった。 、と思ったが : : : それやうく忘れかけるところでしたよ。ねえ、お父さん」と彼は 「あなたにはもうお祝いをいってもいし くるりとスチェ・ハン氏のほうへ振り返った。「お父さんはい ともまだですかね ? 」と彼は一種特別な表情を浮かべながら しい出した。 っスイスへ行くの ? 」 「わたしが : : : スイスへ ? 」とスチェ・ハン氏はびつくりし ダーシャは何かそれに答えたが、ほとんど聞き取ることが て、まごまごした・ できなかった。 「え、じゃ、行かないの ? だって、お父さんもやつばり結婚 「失礼をいったらゆるしてください」彼は声を高めた。「し かし、あなたもご承知でしようが、ばくは知らせをもらったする人じゃないの : : : 自分で手紙にそう書いてたくせに ? 」 「ビエール ! 」とスチェ・ハン氏は叫んだ・ もんだから : : : あなたそれをご承知なんでしよう ? 」 「ええ、あなたがわざわざ知らせをお受けになったのは、わ「いったいピエールがどうしたの : : : もしこの縁談が、お父 たしもぞんじております」 さんに会心なものだとすれば、ばくはこれに少しも異存がな 「けれど、あんなお祝いをいって、かえって何かお邪魔をし いことを知らせるために、こうして取るものも取りあえず飛 やしなかったでしようね ? 」と彼は笑った。「もしスチェパ んで来たんだよ。だって、一刻も早くばくの考えが聞きたい と書いてあったからね。ところで、もし ( と彼は早ロでしゃ ン・トロフィーモヴィチが : : ・・」 「なんの、なんのお祝いです ? 」出しぬけにビヨートルがそべった ) 同じ手紙の中で、お父さんが祈るように書いている ばへ飛んで来た。「なんのお祝いです、ダーリヤさん ? あとおり、本当に救ってしあげる必要があるとしても、やっ 霊っ ! 例の件じゃありませんか ? お顔の紅葉が証拠ですばりばくはできるだけのことはしてあげるつもりだよ。ヴァ よ、当たったでしよう。まったく美しい、淑徳の高い処女がルヴァーラ・ベトローヴナ、親父が結婚するというのは本当 悪祝いを受けるわけはなんでしよう ? そして、その処女が一ですか ? 」彼はくるりと夫人のほうを振り向いた。「ばくはけお

2. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

で、この青年がいま客間へ飛び込んで来たのである。実際はとくに大尉のうえに注意深く据えられた。「ああ、リザヴ のところ、わたしは今でもやつばり、この青年が次の間あた エータさん、来るとさっそくあなたとお目にかかれるなん りから話しかけて、そのまましゃべりながら入って来たようて、実に愉快ですな。こうしてあなたのお手を握るのは実に に思われて仕方がない。彼はたちまちヴァルヴァーラ夫人の嬉しいです」と彼は素早く飛んで行って、愉しげにほほえみ 目の前に現われた。 つつ、差し伸べられたリーザの手を握った。「それから、お 「 : : : まあ、どうでしよう、奥さん」と彼は南京玉を撒き散見受けしたところプラスコーヴィャさんも、この「先生』を らすような調子でいった。「ばくはもうあの人が十五分くら忘れていらっしやらないようですね。スイスではいつも怒っ 月、を ここへ来ているものと思って入って来たんですよ。 てばかりいらっしゃいましたが、今はべつにご立腹の模様も あの人が着いてから、もう一時間半になりますよ。ばくらはありませんね。ときに、 ここへいらしってからおみ足はいか キリーロフのところで落ち合ったのです。あの人は三十分前がですか ? そして、故国の気候の効能を説いたスイスの医 に、真っ直ぐにこちらへ向けて出かけましてね、ばくにも十者の言葉は本当でしたろうか ? え ? 湿布ですって ? き っと、ききめがあるに相違ないでしよう。しかし、奥さん ( と 五分ばかりたったら、やつばりこちらへ出向くようにと、 いつけて行ったんですがね : : : 」 彼はまた素早くヴァルヴァーラ夫人のほうへ振り向いた ) 、 「え、まあ、だれのことですの ? だれがこちらへ来いとい ばくはあのとき外国でお目にかかって、新しく敬意を表する いつけたんですの ! 」とヴァルヴァーラ夫人はたずねた。 ことができなかったのを、どんなに残念に思ったでしよう。 それこ、、 「だれって、ニコライ君にきまってるじゃありませんかー 冫しろいろとお知らせしたいこともあったんですから じゃ、あなたは本当に今はじめてお聞きになるんですか ? ね・ばくがここへ来るってことは、うちの爺さんに知らせと しかし、それにしても、荷物がとっくに届いていそうなもん いたんですが、この人は大方、例によって例のごとく : ですが、どうしてあなたに知らせなかったんでしよう ? じ 「ベトルーシャ ! 」 ( ル【刻し忽然として茫然自失の状態から や、つまり、ばくが第一番にお知らせしたわけなんですね。醒めたスチェパン氏は、ふいにこう叫んで両手を鳴らしなが モナンファン どこかへあの人を迎えにやってみてもいいですが、きっと間ら、わが子のほうへ飛びついた。「 p 一 e 「「 e 一 ( ピ ' ートルの もなくお見えになるでしよう。あの人のいだいてるある期待わたしはお前を見それていたよ ! 」彼はわが子をじっとだき 電に符合する時刻にね。少なくも、ばくの判断するところで締めた。涙はその目からはふり落ちた。 「ちえつ、冗談はおよしよ、冗談は。身振りは抜きにしても は、あの人のいだいているある目算に符合する刻限にね」 悪と、ここで彼は部屋の中を一巡ぐるりと見廻したが、その目らいたいな、さあ、たくさんたくさん、後生だから」父の抱

3. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

騒ぎしているから、それで初めてわめきだしたんです。わた触れ廻して、示威運動をやってるんで : : : 」 しはただ人の噂を聞いて、相槌を打ってるだけなんです。だ 「それは卑劣だ、それは、きみ、卑劣だ ! 」とふいに技師は はっと って、相槌を打つのは法度になっていませんからなあ」 椅子から躍りあがった。 「町じゅうが大騒ぎしている ? 何を大騒ぎしてるんだ 「だって、そのれつきとした身分のある人というのは、は、 じゃない、あなたのことなんですぜ。ニコライ・フセーヴォ 「なに、つまりレビャードキン大尉が酔った勢いで、町じゅ ロドヴィチがスイスから送ったのは、三百ループリではない う響けとわめいてるんです。だからもう、広場一杯の群衆が千ループリだ、とあなたが断言なすったんでしよう。当のレ わめいてるのも同じことじゃありませんかー いったいわた ビャードキンが酔っぱらって教えてくれましたよ」 しのどこが悪いんです ? わたしはただ親友同士の間で、ち 「それは : : : それは不幸な誤謬だ。だれか思い違いをしてそ よっと好奇心を動かしてるだけです。実際、これでもわたしんなことになったのだ : : : それはでたらめだ、そして、きみ はいま親友の間にいるものと考えてるんですからね」と彼はは卑劣な人だー 罪のない顔つきでわたしたちを見廻した。「ところが、ここ 「ええ、わたしもでたらめだってことを信じたいのですが、 に一つ事件があるんですよ。 いいですか。あの男の話による悲しいかな、耳に入る噂をいかんせんですよ。なぜって ( あ と、わが王子はまだスイスにいられる時に、淑徳ならびなき なたはどうお思いになろうとご勝手ですが ) 、あの淑徳なら 一人の令嬢を介して ( この方はわたしも拝顔の栄を担いましびなき令嬢が、第一にその七百ループリ事件、第二にニコラ たが、きわめて柔和な孤児といっても、 しいくらいなものでイ・フセーヴォロドヴィチとの艶聞にも、関係があるんですか す ) 、レビャードキン大尉に渡すようにといって、三百ル らなあ。実際、わが王子にとって、無垢な処女を傷つけたり、 プリの金を送られたんだそうです。ところがレビャードキン他人の妻をけがしたりするのは、朝飯前の仕事ですよ。ちょ は、間もなくある人から精密な報知をえたのですが、それに うどいっかのわたしに関した事件と同じようにね。不幸にし よってみると送った金は三百ループリでなくて、まる千ルー て、寛厚の心にみちた人物が、あの方の行く手に出くわそうな プリだったとのことです ( わたしはだれからその報知をえた ものなら、すぐ自分の潔白な名前をもって、他人の罪業をお かいいませんが、やつばりれつきとした身分ある人なんですおうような目にあわされますよ。ちょうどわたしがあったよ よ ) 。そこでレビャードキンは、あのお嬢さんがおれの金をうな目にね。わたしは自分のことをいってるんですよ : : : 」 七百ループリくすねおったとわめきだして、もうあやうく警「気をつけたまえ、リプーチン ! 」とスチェパン氏は、肘掛 悪察沙汰にまでしようという騒ぎなんです。少なくも町じゅう けいすから身を起こしながら、顔の色を真っ青にした。 IOI

4. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

ピラに使う宣言文の編成に携わって、その仲間に引き込まれみると、ぜんぜん亡命客に成りきったのでもなさそうであ ているという報らせが、突然わたしたちの耳に入った。そのる。ところが、こんど四年ばかりの外国滞在の後、とっぜん 後、彼は思いがけなく外国に姿を現わした。場所はスイスの祖国に姿を現わして、近々この町へ到着する旨を知らせてき ジュネープだという話である、・ーーーどうせろくなことではな た。これで見ると、なんの罪状も擬せられているのではなさ 逃げ出したものに相違ない。 そうだ。のみならず、だれか親身に彼のことを心配して、保 「わたしはどうも不思議でならない』とその当時スチェパン護してくれるものがあるらしくも思われた。彼は今度は南露 氏はひどくうろたえて、わたしたちにこんな講釈をしたもののほうから手紙をよこした。だれかの私用ではあるが、だし である。「ベトルーシャは c'estunesipauvretéte! ( 実に情ぶ重大な任務を帯びて出かけたので、なにかしきりに奔し ない奴だよ ! ) あれは気だてのいい、潔白な、しかも情に脆ているのであった。それもこれもけっこうなことだが、しか 、、八千ループー い子でね、わたしはペテルプルグで会った当時も、現代の青し、領地の最高額に相当する七千ループリ いさか 年者流に比べて、非常に嬉しくも思ったもんだよ。しかし、 の金はどこで手に入れたものであろう ? もし、諍いなど持 c'est un si pauvre sire tout de méme ( なんといってもやくざちあがったらどうしよう ? 荘厳なる光景の代わりに、訴訟 者だよ ) : : : しかもだ、それはみんな例の月足らずだからさ、 さわぎなどが始まったらなんとしよう ? 何かしらあるもの 感傷主義から起こることだよ、あの手合いが眩惑されるのがスチェパン氏の耳に、お前の感傷的なベトルーシャは、け は、社会主義の現実的な方面じゃなくって、感傷的理想的方っして自分の利益を譲るようなことはしないぞ、とささやい て聞かせるのであった。 面なのだ。つまり宗教的色彩といおうか、詩味といおうか、 そんなところが嬉しいのだ : : もちろん、それも他人の説を「わたしはこういうことに気がついたよ』スチェパン氏は、 拝借したにすぎないのさ。けれども、わたしの、わたしの気ある時こうわたしにささやいた。「いったいどういうわけで、 持ちは、まあ、どうだろう ! わたしはここにもあれだけのああした猛烈な社会主義者や共産主義者が、同時に底の知れ 敵があるんだから、あちらへ行けばなおなお大変だ。何もか ないほどけちんばで、掻き込み屋で、私有論者なんだろう、 も親父の感化ということにされてしまうよ : : : ああ ! ベト まったく、社会主義者として深みに入れば入るほど、いよ、 : いったいど ルーシャが動力の位置に立ってるなんて ! なんという時勢よ私有論者的傾向が烈しくなるんだからねえ・ : に生まれ合わせたもんだろう ! 』 ういうわけだろう ? やつばり、例の感傷主義から起こるの けれど、ベトルーシャは間もなく、いつもの送金の都合だろうかねえ ? 』 上、スイスにおける自分の正確な住所を知らせてきた。して このスチェパン氏の言に真理が含まれているかどうか、わ

5. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

土地なのである。全世界人類の社会的共和諧調の国』の住民もうち明けなかった。スチェパン氏をさえ、いくぶん避けよ に、せめて見かけだけでも似寄った人間は、百露里四方の間うとするらしかった。夫人は心の中で何か計画を樹てたと見 に、当の彼を初めとして一人もいそうにない所なのである。 えて、以前にも増していよいよけちになった。そして、ます 『いったい、どうしてああいう手合いができるのか、わけがます溜め込み主義に傾いて、スチェパン氏のカルタの負けに エリストをはい わからない ! 』時々この思いがけないフー ) 対してますます機嫌が悪くなった。 、リにいる幼な友だち、 出して、ニコラスは怪訝の念に打たれながら考えるのであっ とうとう今年の四月になって、 ロズドフ将軍夫人、プラスコーヴィヤ・イヴァーノヴナ・ ロズドヴァから手紙が届いた。ヴァルヴァーラ夫人はもう八 年間、この人と会ったこともなければ、手紙の往復をしたこ ともなかったが、このプラスコーヴィャ夫人の手紙には、ニ わが王子は三年あまりも旅行をつづけたので、町でもはと んど彼のことを忘れてしまったくらいである。しかし、われコライがこの一家と非常に親しくなって、一人娘のリーザと おやこ われはスチェパン氏を通じて、絶えずその動静を知ってい 仲よくしている、そして夏になったら母娘を伴ってスイスの ウエルネー・モントリュー た。彼ははとんど欧州全土を歩きつくして、エジプトへも行山岳地方へ行くはずになっている。もっとも、伯爵 ったことがあるし、エルサレムにおもむいたこともある。そ ( 目下パリに滞在しているべテルプルグの有力家 ) の家庭で れから後、どこかで催されたある学術的なアイスランド探検は、まるでわが子のような待遇を受け、ほとんど伯爵の家に 隊に加入して、実際アイスランドにもしばらくいたことがあばかり寝泊りしている。しかじか、としたためてあった。こ る。また一冬ドイツのある大学で講義を聞いたという噂も伝の短い手紙は、右に記した事実のほか、なんの推論も提議も わった。彼はごくときたましか、ーー・・半年に一度か或いはも蔵していなかったが、その目的とするところは露骨に現われ っと少なかったかもしれぬ、ーーー母夫人に手紙をよこさなかていた。ヴァルヴァーラ夫人はあまりながくも考えないで、 やしないご った。けれども、ヴァルヴァーラ夫人はこれに対して、かくとっさの間に決心して支度を整え、養女のダーシャ ( シャー べっ怒りも怨みもしなかった。彼女は、一度こうときまって トフの妹 ) を引き連れて、四月の中ごろ。ハリからスイスへか しまったわが子との関係を、不平なく素直に受けいれながらけて飛んで行った。七月になってから、夫人はダーシャをド おやこ 電も、むろん、この三年間というものずっと毎月、ひっきりな ロズドヴァ母娘の手もとへ残し、単身この町へ帰って来た。 しに大切なニコラスのことを心配したり、空想したり、憧れ夫人のもたらした報告によると、ドロズドヴァ母娘も八月の 悪たりしていたわけだが、そうした自分の空想や哀愁はだれに終わりには、ここへ来る約東をしたとのことである。 4

6. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

刺戟したのである。これより以上の醜悪事は、想像もできな娘の小さな写真に目をつけた。それが恐ろしくマトリヨーシ 4 いほどである。いずれにしても、余が彼女と結婚したのは、 ヤに似ているのであった。余はすぐさまその写真を買って、 ただ『乱宴の後の酒杯の賭』ばかりのためではない。 この結ホテルへ帰ると、マントルビースに飾って置いた。そこで写 婚の証人は、当時ペテルプルグにい合わせたキリーロフと、真は一週間ばかり手つかずにのつかっていた。余はちらとも ・ヒョートル・ヴルホーヴンスキイと、それから兄のレビ振り返って見なかった。そして、フランクフルトを立っと ャードキンと、プローホル・マーロフ ( 今は死んでいない ) き、持って行くのを忘れてしまった。 であった。それ以外のものはだれもこんりんざい知らなかっ こんなことをここへ書き入れるのは、ほかでもない。どれ たし、立ち会った連中も沈黙を約東した。余はいつもこの沈だけ余が自分の追憶を支配して、無感覚になり得たかという 黙がいまわしい行為のように思われたが、しかし、今日までことを証明するためなのである。余はそれらの追憶を一まと その約東は破られなかった。もっとも、余は公表の意図を持めにして、一どきにほうり出してしまう。すると一群の追憶 っていたが : : 今こそ何もかもいっしょに発表してしまう。 が、いつも余の欲するがままに、おとなしく消えていくので 結婚後、余は母のもとに帰省するため z 村へ向けて出発しあった。余はいつも過去を追憶するのが退屈で、はとんどす た。この旅行は気ばらしが目的だった。故郷の町に余は気ちべての人がやるように、昔話を喋々することができなかっ がいという印象を残した、 この印象は今だにしつかり根 た。ことに余の過去は、余に関するいっさいのものと同様 を張っていて、疑いもなく余に害をなしている。そのことは 、憎悪すべきものばかりだから、なおさらである。マトリ 後で説明するつもりである。それから余は外国へ旅立ち、そヨーシャのことにいたっては、写真をマントルの上に置き忘 こで四年を過ごした。 れたほどである。 余は東洋へも行った。アトスでは八時間の終夜蒋を立ち通 一年ばかり前の春のこと、ドイツの国を通過中に、ばんや しても見た。エジプトへも足を踏み入れたし、スイスで暮らりして乗換え駅を通り過ごし、ほかの線へ入ってしまった。 アイスランド したこともある。氷島へさえも渡った。ゲッチンゲンでは余は次の駅で降ろされた。それは午後の二時すぎで、晴れば 一年間の講義を完全に聴講した。最後の一年間に、余は・ハリ れとした日であった。場所はドイツの小さな田舎町である。 であるロシャの上流の家庭ときわめて近しい間がらになり、余はある旅館を教えてもらった。次の列車は夜の十一時に通 スイスでは二人のロシャ令嬢と知合いになった。 るので、かなり待たなければならなかった。余は別にどこへ 二年前フランクフルトで、ある紙屋の店先を通りかか 0 たも急ぐわけでなかったので、むしろこの出来事を喜んだくら 時、余はたくさんの売物の写真の中で、優美な子供服を着た いである。旅館は小さくやくざなものだったけれど、すっか

7. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

あたしビヨートル・スチェ・、 , ーノヴィチ ( ンスキイの息子からでしよう。ばくはまるでお役に立ちません」なんだか恐ろし もスイスであなたのことを伺いましたわ」と彼女は早口にい く調子を下げて、ほとんどささやくような声で、とうとう彼 い足した。「あの人はたいへん賢い方ですわね、そうじゃあはロをきった。 ) ーザはかっとあかくなった。 りません ? 」 シャートフは瞬間ちらとかすめるような目つきで、ちょっ 「そんな仕事とは何をおっしやるんですの ? マヴリーキイ と相手の顔を見上げたが、すぐにまた目を伏せてしまった。 さん ! 」と彼女は叫んだ。「どうかさっきの手紙をここへ貸 「ニコライ・フセーヴォロドヴィチも、あなたのことをいろしてくださいな」 いろ聞かしてくださいました」 わたしもマヴリーキイの後からテープルのほうへ近づ シャートフはとっぜん真っ赤になった。 「まあ、とにかくここに新聞がありますが」とリーザは前か 「まあ、これを見てください」と彼女は恐ろしく興奮して、 ら用意して括ってある新聞の東を、忙しそうな手つきで椅子手紙を広げながら、だしぬけにわたしのほうへ振り向いた。 から取り上げた。「あたし選び出す時の参考に、いろんな事「まあ、こんなものをいっかご覧になったことがあります 実にしるしをつけたり、取捨をしたり、番号を打ったりしてか ? どうか声を出して読んでみてくださいましな。あたし みましたの : : : あなたご覧なすってください」 シャートフさんにも聞いていただきたいのですから」 シャートフは東を受け取った。 わたしは少なからぬ驚きを覚えながら、声高に次の手紙を 「お家へ持って帰って見てくださいましな。あなたお住まい 読み上げた。 はどこでございますの ? 」 「ボゴャーヴレンスカヤ街で、フィリッポフの持ち家です」 「あたし知ってますわ。あそこにはなんとかいう大尉が、あ なたのお傍に住んでるそうですね、レビャードキンとかいう 人が ? 」相変わらずせき込みながらリーザはたずねた。 シャートフは新聞の東を受け取ると、片手にぶらりとぶら 下げたまま、じっと床を見つめながら、一分間ばかり返事も せずに坐っていた。 悪「そんな仕事には、だれかほかの人をお選びになったらいい 「完璧の処女トウシン嬢へ呈す」 エリザヴェータ・ニコラエヴナの君よ ! おお美しきかの君よ トウシン嬢の美しさ もの 身うちの男と連れ立ちて めぐら 女鞍に乗りてかけるとき

8. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

なりたいと思っていました。まったくあなたの立居振舞いに 「それはわたしにもわかりかねますが、なんでもレビャード は、立派な教育が見えております ! 」とマリヤは前後を忘れキンは、わたしがお金をすっかり渡さなかったといって、公 て叫んだ。「うちの下男は悪口をついておりますが、あなた 然ふれ歩いているという噂が、わたしの耳へも入りました。 みたいなそんな教育のある美しい方が、あれら風情の金をとけれど、これはなんのことだか少しもわかりません。三百ル るなんて、そんなことがあってよいものですか ? だって、 ープリ受け取ったから、三百ループリ送ったまででございま あなたは美しい方、本当に美しい美しい方ですものね、それす」 はわたしが請け合っておきます ! 」と彼女は目の前で手を振ダーリヤはもうすっかり落ちついていたといってもよかっ り立てながら、夢中になって言葉を結んだ。 た。それに概してこの娘は、はらの中でどう感じているにも 「お前このひとのいうことが少しはわかりますか ? 」倨傲なせよ、長く彼女を苦しめたり、まごっかせたりするのは、非 品位を見せながら、ヴァルヴァーラ夫人はこうたずねた。 常にむずかしいことであった。今もあわてず騒がずいちいち 「すっかりわかります : ・・ : 」 答弁を述べ、すべての質問に対して、静かに、なだらかに、 「お金のことを聞いたかえ ? 」 しかも猶予なく、正確な答えを与えるのであった。そして、 「それはまだスイスにいた頃、ニコライさまに頼まれまし何にもせよ、わが罪を自認したと解られるような、ふいを打 て、このひとの兄さんのレビャードキンに渡したお金のこと たれた惑乱や困惑は、陰すら見せなかった。彼女の話してい でございましよ、つ」 る間じゅう、ヴァルヴァーラ夫人の視線は寸時もその顔を離 沈黙がそれに続いた。 れなかった。ヴァルヴァーラ夫人はしばらく考えていた。 「ニコライが自分でお前に頼んだんだね ? 」 「もしも」夫人は断固たる調子でとうとうこういい出した。 「ニコライさまは大変そのお金を、 みんなで三百ループその目はダーシャ一人を見ているだけであったが、明らかに リでございましたが、レビャードキン大尉に渡したがってい 一同を対象においているらしかった。「もしニコライがその らっしゃいました。ところが、大尉の住所をごそんじなく用事をわたしにさえ相談しないで、お前に頼んだというのな て、ただ大尉がこの町へ来るということだけ知っていらしつ ら、それにはそうするだけのわけがあったんでしよう。また たものですから、もしレビャードキンが来たら渡してくれとそれをわたしに隠したいというのなら、わたしもそれを詮索 いって、わたしにおことづけになったのでございます」 する権利を持っていません。けれど、お前がそれに関係して 「どういう金なんだろう : ・・ : 失くなりでもしたのかしら ? いるということ一つだけで、わたしはまったく安心すること 今この女がいったのはなんのこと ? 」 ができます。これは何より一番に承知してもらいたいことな ノ 62

9. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

りませんわ。マヴリーキイさんは出かけて行って、とめて来「何を話すんです ? あすばくがお知らせしますよ : : : 」 るとおっしやるんですけれど、あたしあなたを」と彼女はシ 「いえ、あの一等肝腎なこと、活版のことですの ! まった ャートフのほうを向いて、「自分の協力者のように思って くですよ、あたし冗談でなく真面目にこの仕事をしたいと思 ましたし、同じ家に住まってもいらっしやるものですから、 ってるんですから」しだいに不安がつのっていく様子で、 あなたのご判断に照らして、あの男がこの上まだどんなこと ーザは一生懸命にいった。「もし本当に出すとしたら、どこ をするか、それを伺いたいと思いましてね」 で印刷したものでしよう ? これが一番大切な問題なんです 「酔っぱらいのやくざものです」とシャートフは進まぬ調子よ。だって、あたしたちはそのためにわざわざモスグワへ行 でつぶやいた。 くわけにもいきませんし、ここの活版屋でそれだけの印刷は 「ど、つでしょ , つ、、 しつもこんな馬鹿な男なのでしようか ? 」 とてもできやしませんもの。あたし前から自分で活版所を起 「い、え、あの男が酔っぱらってない時は、けっして馬鹿どこそうかと思ってましたの、あなたのお名前でも拝借しまし ころじゃありません」 てね。母もあなたのお名前でしたら許してくれますわ、え 「わたしはちょうどこいつにそっくりの詩を作った、ある将え、きっと : ・ : こ 軍を知っていますよ」とわたしは笑いながらいった。 「どうして、あなたは、わたしが活版屋になれるとお思いで 「この手紙で見ても、ちゃんとはらに一物あることがわかりすか ? 」とシャートフは気むずかしそうに問い返した。 ますよ」無ロなマヴリーキイが突然こうロをはさんだ。 「それはね、まだスイスにいる頃から、ビヨートル・スチェ 「この男はなんだか妹といっしょにいるそうですね」とリー ・ハーノヴィチが、あたしにあなたを名ざしてくださいました ザがたずねた。 の。そして、あなたは活版事業を経営することがおできにな 「ええ、妹といっしょです」 る、事務に精通していらっしやると、こうおっしやったもの 「その妹をいじめるっていうのは、本当ですの ? 」 ですから。それに、ご自分からあなたに宛てて、手紙を書い シャートフはまたちらりと見上げたが、眉をひそめながてやるとまでおっしやったんですの。あたしお願いするのを ら、「それはばくの知ったことじゃありませんよ ! 」とつぶ忘れてしまいましたけれど」 ゃいて、そのまま戸口のほうへ歩き出した。 今おもい出してみると、シャートフは急に顔色を変えた。 「あら、待ってくださいな」とリーザは心配そうに叫んだ。 彼は二、三秒間じっと立っていたが、突然ぶいと部屋を出て 「あなたどこへいらっしゃいますの ? あたしまだいろいろしまった。 悪お話したいことがあるんですから : : : 」 ) ーザは恐ろしく腹を立てた。 ~ 29

10. ドストエーフスキイ全集9 悪霊(上)

この真剣さはあまりにも思いがけなかったので、チーホン る。つまり、絵画的になるものです。ところが、また醜悪 な、恥すべき犯罪があります。いっさいの恐怖を別にして、 はわれともなく席を立った。 なんというか、あまりにも美しからぬ犯罪が : : : 」 「もしあなたがみずからゆるせると信じておられるなら、そ チーホンはしまいまでいい切らなかった。 して、その赦免をこの世で苦しみによって獲得できると信じ 「では、つまり」とスタヴローギンは興奮して引き取った。 ておられるなら、ーー・断固たる信念をもってこの目的をみず 「あなたは薄ぎたない小娘の手を接吻するばくの姿が、きわから課されるなら、 その時こそあなたはいっさいを信じ めて滑稽だとお思いになるんですね : : : ばくはよくわかりまておられるのです ! 」とチーホンは感激の調子で叫んだ。 す。あなたがばくのためにやっきとなってくださるのは、つ「神を信じておらぬなどと、どうしてあなたは、そのような いや、いまわしいじゃ ことがいえたのです ! 」 まり、天しくない、いまわし なくて、恥ずかしい、滑稽なという点なんですね。これがば スタヴローギンは答えなかった。 くにはきっと耐えきれまいとお思いになるんでしよう」 「神はあなたの不信をゆるしてくださいます。なぜといっ チーホンは無言のままでいた。 て、あなたは知らす識らず神を崇めておられるのだからな」 「ついでに、キリストもゆるしてくれるでしようか ? 」スタ 「わかりました。スイスの女がここにいるかど , つかと、ばく におたすねになったわけが」 ヴローギンはひん曲った微笑を浮かべ、急に声の調子を変え 「あなたはまだ用意ができていなさらん、鍛錬が足らぬ」とながら、こうたずねた。その質問の調子には、軽い皮肉のか チーホンは目を伏せながら、臆病らしくつぶやいた。「大地げが感じられた。 からもぎ離されておられる、信仰がない」 「聖書にもそういってあるではありませんか、 『この 「ねえ、チーホン僧正、ばくは自分で自分をゆるしたいのでさきものの一人をつまずかするものは』覚えておいでですか す。それがばくのおもな目的なのです。それがばくの目的のな ? 聖書の教えでは、これより大きな罪はないのですそ 全部なのです ? 」暗い感激の色を目にたたえながら、スタヴ ローギンは出しぬけにこ , ついった。「もうわかっています。 「あなたは、ただただ見苦しい騒動を起こしたくはないの そうした時に初めて映像が消えるのです。だからこそ、ばくで、ばくを罠にかけようとしておられるのでしよう、チーホ は無量の苦痛を求めているのです。自分でわざわざ求めてい ン僧正」そのまま席を離れそうな気組を示しながら、スタヴ るのです。どうかばくを脅やかさないでください。でない ローギンは無造作にいまいましそうな声でいった。「一口に いえば、あなたはばくがどっしりと落ちついて、なんならま と、ばくは毒念をいだいたまま滅びてしまいます」