: おお、ばくは今この瞬間、きね。ついでに失敬ですが、ちょっと一つきみにご返答を煩わ くはまったく風馬牛ですー したいことがあるんですよ。ましてばくは今そうする権利 みのその高慢な笑顔と目つきを、心底から軽蔑する ! 」 彼はついに席から躍りあがった。その唇には泡のような唾を、十分もっているように思われるんでね。ほかじゃない が、きみの兎はもうつかまりましたか、それともまだ走って さえ見えていた。 「それどころじゃない、シャートア、それどころじゃない」 しますか ? 」 とスタヴローギンは席を立とうともせず、ごく真面目な抑え 「そんな言葉でばくに質問する権利はありません、別な言葉 きでおききなさい。別な一一一一口葉で ! 」シャートフはふいに全身を つけたような調子でこういった。「それどころじゃない、 みはその熱烈な言葉で、非常に強い多くの記憶を、ばくの胸 がたがた慄わし始めた。 中に甦らせてくれた。ばくはきみの言葉の中に、二年前のば 「いお、ゾ」 , フ 0 も、ド ) や、 別な一一 = ロ木にしょ , つ」とニコライはきび く自身の心持ちを認めることができます。今こそばくもさっ しい目つきで相手を眺めた。「ばくはただこうききたかった きのように、きみが当時のばくの思想を誇張しているなどとのです、きみ自身は神を信じていますか、どうです ? 」 は、もうけっして言やしませんよ。むしろ当時のばくの思想「ばくはロシャを信じます、ばくはロシャの正教を信じます はもう少し排他的で、もう少し専断的だったような気がする : ばくはキリストの肉体を信じます : : : ばくは新しい降臨 がロシャの国で行なわれると信じています : : : ばくは信じて くらいです。もう一度、三度目にくり返していうが、ばくは いまきみのいわれたことを、一言もらさず裏書きしたいのは います : ・・ : 」とシャートフは夢中になり、しどろもどろにい 山々だが、しかし : : : 」 「しかし、きみには兎がいるんでしよう ! 」 「しかし、神は ? ・神は ? 」 : ばくは神を信じるようになるでしよう」 「なあんですって ? 」 「ばくは : スタヴローギンは顔面筋肉の一本も動かさなかった。シャ 「これはきみのいった下劣な一一 = ロ葉なんですよ」再び席に着き ながら、シャートフは意地悪い薄笑いを浮かべた。「『兎汁を ートフは燃ゆるがごとき眼ざしで、挑むように彼を眺めた。 作るためには兎がいる、神を信じるためには神がいる』これちょうどその視線で相手を焼きつくそうとするかのように。 はきみがまだペテルプルグにいる時分にいったことだそうで「ばくはあえてぜんぜん信じないといったわけじゃありませ すね。ちょうど兎の後足をつかまえようとしたノズドリョフん ! 」っいに彼はこう叫んだ。「ばくはただ自分が運の悪い のよ , フに」 退屈な一冊の書物であって、当分の間それ以上の何ものでも 惷 「いや、ノズドリョフはもうつかまえたといって自慢した ないということを、ちょっと知らせたにすぎないのです。え 2
リヨーシャからのがれる役には立たなかった。 た。余はどこへも行かないで、当分のあいだ ( 一年もしくは こういうわけで、余はこの手記を印行して、三百部だけロ二年 ) 母の領地スグヴァレーシニキイに滞在するつもりであ シャへ携行することに決心した。時いたったならば、余はこる。もし呼ばれたら、どこへでも出頭する。 れを警察と土地の官憲へ送るつもりである。と、同時に、す ニコライ・スクヴローギン べての新聞社へ送付して公表を乞い、ペテルプルグとロシャ の国土に住む多数の知人にも配付しようと思う。これと並行 3 して、外国でも訳文が現われるはすである。法律的には、余 は別に責任を問われないかもしれない。少なくとも、大問題告白の黙読は約一時間つづいた。チーホンはゆっくりゆっ を惹起することはなかろうと思う。余一人が、自分自身を起くり読んで、所によると二度すっ読み返したらしかった。ス 訴するだけで、ほかに起訴者がないからである。それに証拠タヴローギンはそのあいだ始終じっと身動きもせず、無言の が全然ない、或いはきわめて少ない。また最後に、余の精神まま坐っていた。不思議なことに、この朝ずっと彼の顔に浮 錯乱に関する疑いは、牢固として世間に根を張っているのかんでいた焦躁と、放心と、熱に浮かされたような表清は、 で、必ずや肉親の人々はこの風説を利用して、余に対する法ほとんど消えてしまって、平静の色に変わっていた。そこに の追求を揉み消すことに努力するだろう。余がかかる声明をは真摯の影さえもうかがわれて、ほとんど気品の高い感じを するのは、わけても、自分が現在完全な理知を有していて、与えるほどであった。チーホンは眼鏡をはずして、しばらく おのれの状態を理解していることを証明せんがためである。 ためらっていたが、やがて相手の顔へ目を上げて、やや用心 しかし、余の身になって見れば、し 、つさいのことを知るべきぶかい調子で最初に口を切った。 世上の人々が残るのである。彼らは余の顔を見るだろうが、 「この書きものに、多少の訂正を加えるわけにいきませんか 余も彼らの顔を見返してやるのだ。余はみんなに顔を見られな」 これが余の心を軽くするかどうか、余自身にもわから 「なんのために ? ばくは誠心誠意で書いたんですよ」とス なしが、とにかく最後の方法に訴えるのである。 タヴローギンは答えた。 なお一つ、 もし。へテルプルグ警察が極力搜索したなら 「少しばかり文章を : ・・ : 」 電ば、或いは事件を発見できるかもしれない。あの職人夫婦は 「ばくはあらかじめお断わりしておくのを忘れましたが」と 今でもペテルプルグに住んでいるかもわからぬのである。家彼は全身をぐっと前へ乗り出しながら、早口に鋭くいった。 悪はむろん思い出されるに相違ない。薄水色に塗った家だっ 「あなたが何をおっしやろうと、それはいっさいむだです
た説明することもできない 。このカこそ最後の果てまで行き時である。そして、善悪の差別感そのものまで、しだいにす 着こうとする、飽くことなき渇望のカであって、同時に最後りへらされ消えてゆくのだ、理性はかって一度も善悪の定義 の果てを否定する力だ。これこそ撓むことなく不断に自己存を下すことができなかった。いな、善悪の区別を近似的にす 在を主張して、死を否定する力である。聖書にも説いてあるら示すことができなかった。それどころか、つねに憫れにも とおり、生活の精神は「生ける水の流れ』であって、黙示録また見苦しく、この二つを混同していたのだ。科学にいたっ はその涸渇の恐ろしさを極力警告している。それは哲学者のてはこれに対して、拳固でなぐるような解決を与えてきた。 いわゆる美的原動力であって、また同じ哲学者の説く倫理的ことに、著しくこの特徴を備えているのは、半科学である。 原動力と同一物なのだ。が、ばくは最も簡単に『神を求めるこれは現代にいたるまで、人に知られていないけれど、人類に とって最も恐るべき鞭だ。疫病よりも、餓えよりも、戦争よ 心』といっておく。民族運動の全目的は、いかなる国におい これは今まで人類のかって ても、またいかなる時代においても、ただただ神の探究のみりも、もっと悪い。半科学、 に存していた。それは必自分の神なのだ。・ せひとも自分自迎えたことのない、残虐きわまりなき暴君だ。この暴君には 身の神でなくちゃならない。唯一の正しき神として、それを祭司もあれば奴隷もある。そして、今まで夢想だもしなかっ 信仰しなければならぬ。神は一民族の発生より終滅にいたるたような愛と迷信とをもって、すべてのものがその前にひざ までの全部を包含した綜合的人格なのである。すべての民まずいている。科学でさえその前へ出ると、戦々兢々として、 族、もしくは多数の民族の間に、 一つの共通な神があったと意気地なくその跋扈にまかせている。スタヴローギン、これ いう例は、これまで一度もなかった。いかなる時もすべてのはみんなきみ自身の言葉です。しかし、半科学に関すること は違います、あれはばくの言葉です。ばく自身が半科学その 民族は、自分自身の神をもっておった。神々が共通なものに なるということは、取りも直さず国民性消滅のしるしなのものなんですからね、とりわけこいつを憎んでいるわけなの だ。神々が共通なものとなる時、神々も、またそれに対するです。きみ自身の思想にいたっては、いい表わし方さえも何 信仰も、国民そのものとともに死滅していく。 一国民が強盛一つ変えていません、一語たりとも変えてはおりません」 「きみが変えていないとは考えられないね」とスタヴローギ であればあるほど、その神もまたますます特殊なものとなっ てゆく。宗教、すなわち善悪の観念を持たぬ国民は、かってンは用心ぶかい調子でいった。「きみは熱烈な態度で受けい 電今まで存在したことがない。すべての国民は自己の善悪観念れたけれど、また同時に、熱烈な態度で改造してしまったの を有し、自己独自の善悪を有している。多くの民族間に、善です。しかも、自分でそれと気がっかないでね。ただ単に 悪悪観念が共通なものとなり始めた時は、その時は民族衰滅のきみが神を国民の属性に引き下ろした、ということ一つだけ
ーズ、緑色がかった小さなウォートカのびん、長いポルドー 化粧をしたくらいですからなあ」と彼はロを歪めて、ふざけ こういうものがすべて小綺麗に、順序をわき た薄笑いを浮かべようとしたが、すぐにまた引っ込めてしま酒のびん、 つ、 ) 0 まえて、手際よく配列してあった。 「全体として ? どんなふうだね ? 」ニコライは顔をしかめ「これはきみのお骨折りかね ? 」 「わたしでございます。もう昨日からかかって、できるだけ ながらきいた。 「全体として ? それはご自分でご承知のとおりです ( と彼のことをしましたので : : : あなたに敬意を表しようと思って : マリヤはこういうことになると、ご承知のとおり無頓着 は気の毒そうに肩をすくめた ) 。ところで、今は : : : 今はじ でございますからなあ。まあ、とにかく、あなたご自身のお っと坐って、カルタの占いをしております : : : 」 「よろしい、後にしよう。まずきみのはうから片づけなきや恵みでできたもので、あなたご自身のものでございます。な ぜといって、この家のあるじはあなたでして、わたしじゃあり ならない」 ませんからね。わたしなんぞはまあ、あなたの番頭といった ニコライは椅子に腰を据えた。 大尉はもう長いすに坐る勇気がなくて、すぐに自分も別なような格でございます。しかし、なんと申しても、なんと申 椅子を引き寄せた。そして、びくびくもので、相手の言葉をしても、ニコライさま、なんといっても、わたしは精神的独 立をもっております。どうか、たった一つ残ったわたしのこ 待ち設けながら、体をかがめて謹聴の態度を取った。 。いったの財産を取り上けないでください ! 」彼は一人で悦に入りな 「あの隅っこのはうにグロースがかぶせてあるのま、 がら言葉を結んだ。 いなんです ? 」突然ニコライは気がついて、こうたすねた。 「あれで′」ざいますか ? ・」レビャードキンも同じく振り向い 「ふむ : : : きみはまた坐ったらどうだね」 「いや、ど、つもありがと、つ 1 」さいます。ありがと、フは′」ギ、し た。「あれはあなたご自身のお恵みでできたものでございま す。いわばまあ、引っ越し祝いといったようなわけで : : : そますが、それでも独立性をもった人間です ! ( 彼は坐った ) おお、ニコライさま、わたしのこの胸は煮えくり返るよう れに、遠路のところをわざわざお運びくださることですし、 また自然それに伴うお疲れなども考えましてな」と彼は恐悦で、とてもご光来が待ちきれないだろう、と思われるくらい げにひひひと笑った。それから席を立って、爪立ちで片隅のでございました ! さあ、今こそ運命を決してください、わ たしの運命と、そして : : : あの不幸な女の運命を : : : そのう テープルに近寄り、そ , つつとうやうやしげにクロースを取り えで : : : そのうえで昔よくやったように、あなたの前にすべ のけた。 悪その下からは用意の夜食が現われた。ハム、犢肉、鰯、チてを吐露してしまいます、ちょうど四年以前と同じようにお えっ
「ねえ、きみ、きみは今その友情に富んだ指で、また別な傷ゃないねえ : : : しかし、わたしは自分のほうから何をいい張 口に触ったね。そうした、友情の指というやつは、えて残酷ったんだろう、まあ、なんだって自分のほうから手紙なぞ書 Lise はダーリヤを いたんだろう ? ああ、忘れていたが、 なもんだよ、時には条理を没却することもあるくらいだ。 pardon ( 失敬 ) しかし、きみは信じてくれるかどうか知らな神様のように崇めているよ、少なくともそんなふうにいって いが、わたしはもうそうした穢らわしい話を、おおかた忘れるね。あの女はダーリヤのことを rC'est un ange ( あの人 てしまってた。いや、けっして忘れたわけではないが、例のは天使です ) 、ただ少し引っ込み思案すぎるけれど』といって おやこ おめでたい性分だから、 Lise のところにいる間じゅう、幸いるのさ。とにかく、母娘ともわたしにすすめてくれたよ、プ 福になろうと努めた。そして、おれは幸福なのだと、自分でラスコーヴィヤでさえ : : : いや、プラスコーヴィヤはすすめ カローポチカ : いまわてくれたんじゃない。まったくあの「小箱』の中にはずい 自分に思わせようとしたものだ。しかし、今は、 たしはあの度量の大きい、人道的な婦人のことを考えてるのぶん毒が隠れてるからねえ ! それにリーザだって、本当に だ。わたしの醜い欠点に対して辛抱づよい婦人のことをね、すすめたわけじゃないんだ。日く「なんだってあなた、結婚 の必要なんかあるんでしよう。知識の楽しみだけで十分じゃ もっとも、非常に辛抱づよいというわけにはゆかない ありませんか』といって大きな声で笑うのだ。わたしはその が、しかし、わたし自身がどんな人間で、どんなに空虚な、 いとわしい性格を持ってるかってことを考えたら、こんなこ哄笑をゆるしてやった。あのひと自身も胸を掻きむしられ となぞいわれた道理ではないのだ ! 実際、わたしはおめでるようなんだからね。それから、母娘でいうことには、「で も、あなたはやつばり女なしじゃいられない。だんだんと老 たい子供だ。そのくせ、子供特有の利己心ばかりは、そっく り全部もち合わせているが、その無邪気さはまるでないんだ衰していらっしやるんだから、その時にはあの女がよく世話 ・こ ma foi ( 実 よ。あのひとは二十年間、乳母かなんぞのようにわたしの世をしてくれるでしようよ、でなければまた : セットーヴル 話をしてくれた、あの気の毒な小母さんーーこれは Lise の際のところ ) わたし自身もこうしてきみと話している間じゅ これは荒れに荒れたわ う、心の中でそう考えていたよ、 考え出した優雅な呼び方なんだよ : : : ところが、二十年もた った後に、この子供が急に結婚しようといいだした、早く嫁たしの生涯の終わりに当たって、神様があのひとを授けてく を取ってくれ、早く嫁をといった調子で、後から後から手紙だすったのだ、あのひとはわたしをよく世話してくれるに相 ・••enfin ( つまり ) 、また家政を見てくれ を書き始めたじゃないか。で、あのひとは、つむりを酢でし違ない、でなければ : にるものが必要なんだ。そら、わたしの家はあんなに埃だらけ めすという始末さ、ところが : ・・ : ところが、とうとう無理 見たまえ、あのとおりごちやごちゃなんだ、ついさっき ねだりつけて、今度の日曜日には立派な女房持ちだ、冗談じ おやこ ごみ
て、真面目な怪訝の色を浮かべながら、相手のほうへ一歩す言葉は何より確かですからね」 すみ寄った。こちらは差し伸べられた手を握ろうともせず、 「それはまったくそれに相違ありません」 無器用らしい手つきで椅子を引き寄せると、坐れともいわな 「ところが、あのひとは、よしんば結婚の式上で聖壇の前に いのに、主人よりさきに腰をかけてしまった。ニコライは寝立っていても、もしあなたが声をかけたら、わたしを捨て、 いすへはすかいに座を占めて、マヴリーキイの顔を見つめなすべての人を捨てて、あなたのところへ走ってしまいます」 がら、言葉を発しないで待ちかまえていた。 「結婚の式上で ? 」 「もしできることなら、リザヴータ・ニコラエヴナと結婚「結婚式の後でも」 してください」とっぜん客は叩きつけるようにこう切り出し 「お考え違いじゃありませんか ? 」 た。それに、何よりおかしいことには、声の調子だけでは、 「いや、あなたに対するやみ難い憎悪の陰から、 強い真 頼んでいるのやら、推薦しているのやら、譲歩しようという 剣な憎悪の陰から、絶え間なく愛がひらめいています : : : 気 のやら、もしくは命令しているのやら、かいもく見当がっかちがいめいた : : : 心底からの深い深い愛、ーーっまり、気ち よゝっこ。 がいめいた愛です ! それと反対に、あのひとがわたしにい ニコライは依然として黙っていた。が、客はもう来訪の目だいている愛、やはり愛の陰から、絶え間なしに憎悪がひら 的である要件をすっかりいってしまったらしく、返事を待つめき出ています、ー・ー限りなき憎悪です ! 以前だったら、 ようにじっと相手を見つめていた。 わたしはこんな : : メタモルフォーズを理解するようなこと 「しかし、わたしの思い違いでないとすれば ( もっとも、こ はなかったのですが」 れは正確すぎるくらいの話ですが ) 、リザヴェータ・ニコラ 「が、それにしても、どうしてあなたは、リザヴェータ・ニ エヴナとあなたは、もう婚約ができてるのじゃありませんコラエヴナの一身について、指図がましいことをいいに来ら か」とついにスタヴローギンはロを切った。 れたのか、それがわたしは不思議ですね。そういう権利を持 「婚約して、固めまでしたのです」マヴリーキイはきつばり っておられるんですか ? それとも、あのひとが委任された した明瞭な調子で、相手の言葉を確かめた。 のですか ? 」 「あなた方はいさかいでもなすったのですか ? ・ ・ : 失礼なこ マヴリーキイは顔をしかめて、ちょっと首をたれた。 とをおたずねするようですが」 「それはあなたとして、ただの辞令にすぎないです」とふい 「いや、あのひとはわたしを『愛しもし尊敬もし』ていまに彼はいった。「うまくやつつけてやったという、勝ち誇っ す、これはあのひと自身のいったことなのです。あのひとのた言葉です。あなたは言外の意味を汲み取ることのできる人
いては、きみもいくぶん思い違いをしていますがね : : : しか : ばくは答えた 「どうもそうきかれると、返事ができない : いったいだれがきみにそんなことを知らせたんだろう」 、 , 彼よ、今し、 くありませんね」とスタヴローギンはつぶやした。 / 。 すぐにも立ちあがって、帰って行くことができるにもかかわと彼は苦しそうな薄笑いをした。「キリーロフかな ? いや らず、立ちあがろうともしなければ、帰って行こうともしなあの男は仲間に入ってなかったつけ : 「きみ、あおくなりましたね ? 」 ん / 「ところで、きみはいったいどうしようというんです ? 」と 「ばく自身もなぜ悪が醜くて、善が美しいかってことが、よ くわからない。しかし、どういうわけでこの差別感がスタヴうとうニコライは声を励ました。「ばくは三十分間、きみの ローギンのような人においてとくに著しく磨減され、消耗さ鞭の下に坐ってたんだから、せめてきみも礼をもっていいカ . ーげて、つ れてゆくかということを、ばくは、ちゃんと知っています」げんにばくを釈放してくれてもいい時でしよう : ・ : ・ いうふうにばくを扱うについて、別に合理的な目的がないな シャートフは全身をわなわなと慄わせながら、どこまでも追 求するのであった。「ねえ、きみはどうしてあの時、ああまらば」 「合理的な目的 ? 」 で醜悪下劣な結婚をしたか、そのわけがわかっていますか ? ほかじゃありません、あの場合、この醜悪な無意味というや「当たり前ですよ。もういい加減にして、自分の目的を話す ということは、少なくもきみの義務じゃありませんか。ば つが、ほとんど天才的ともいうべき程度に達したからです ! おお、あなたは端のほうをおっかなびつくりで歩いたりなんく、きみがそうしてくれることと思って待ってたんだが、要 かしないで、真っさかさまに飛び込んでしまうんです。きみするにただ興奮した憎悪を見いだしたばかりだ。じゃ、一つ を開けてください」 が結婚したのは、苦悶の欲望のためです、良心の呵責に対す門 る愛のためです、精神的情欲のためです。あの場合、神経性彼は椅子を立った。シャートフは兇猛な態度で、そのうし の発作が働いたのです : : : つまり、常識に対する挑戦が、強ろから躍りかかった。 くきみを誘惑したのです ! スタヴローギンとびつこの女、 「土を接吻なさい、涙でお濡らしなさい、ゆるしをお求めな さい ! 」相手の肩をつかまえながら、彼はこう叫んだ。 醜い半きちがいの乞食女 ! あの県知事の耳を噛んだとき、 「しかし、ばくはあの朝 : : : きみを殺さないで : : : 両手をひ きみは何か情欲を感じましたか ? 感じたでしよう ? え、 いてしまいましたよ : : : 」ほとんど痛みを忍ぶような調子 書感じたでしよう ? こののらくらの極道若様 ! 」 「きみは心理学者だ」いよいよ顔をあおくしながら、スタヴで、スタヴローギンは目を伏せながらいった。 しまいまで ! きみはばくに危 「しまいまでおいいなさい、 悪口ーギンはこういった。「もっとも、ばくの結婚の原因につ
と、もういよいよばくらも自分の実力を疑うわけにはいかなで、注意に来たんですよ。『ある意味において』われわれの いわい ( 彼はにやりと笑った ) 。ふむ : : : しかし、あの男は期限も近寄って来るのでね」と拙い逃げを張りながら、彼は 、ああいう仲間としては利ロだよ。が : : : 要するに、火事の前 言葉を結んだ。 に船を逃げ出す鼠にすぎない。あんなやつに密告なんかでき「約束とは ? 」 ・ヨートルは思わず るものか』 「約束とは ? とはなんのことです ? 」ヒ 彼はボゴャーヴレンスカヤ街なるフィリッポフの持ち家さびくりとした。彼はもう度胆を抜かれてしまった。 して駆け出した。 「あれは約東でも義務でもない。ばくは何一つ自分を縛るよ うなことを言やあしない。それはきみの思い違いです」 6 「でも、まあ、きみ、それでどうしようというんです ? 」ビ ビヨートルはまずキリーロフの部屋へ入って行った。こちヨートルはとうとう跳びあがった。 らはいつものとおり独りだったが、今日は部屋の真ん中で体「自分の意志どおりに」 「というと ? ・」 操をしていた。つまり、足を広げたまま、両手を一種特別の 「もともとどおり」 方法で頭上たかく振り廻しているのであった。床には毬が転 がっていた。朝からの茶がまだ片づけられないで、テープル 「というと、どんな意味に解したらいいんでしよう ? つま の上に冷たくなっていた。ピヨートルはちょっと閾の上に立り、きみが以前どおりの考えでいる、というわけですか ! 」 ちどまった。 「つまり、そうです。しかし、約東などはいっさいありませ 「しかし、きみは恐ろしく健康を気にしますね」彼は部屋のん、以前だってなかったです。ばくは何一つ自分を縛るよう よ なことを言やしなかった。ただばく自身の意志があったきり 中へ入りながら、大きな声で愉央そうにいっこ。「だが、 んという見事な毬だろう。ほう、恐ろしくはずむなあ。これです。そして、今でもやはりばく自身の意志があるきりで もやはり体操のためですか ? 」 キリーロフはずばずばと、気むずかしそうな調子で応対し キリーロフはフロックを着た。 「ええ、やはり健康のため」と彼はそっけなくいった。「おた。 坐んなさい」 「いや、承知です、承知です、きみの意志けっこう、ただそ 「ばくはちょっと寄っただけなんですよ。が、まあ、坐ろうの意志が変わってさえくれなけりや」得心のいったような調 かな。健康は健康として、とにかくばくはあの約東のこと子で、ピヨートルはふたたび腰を下ろした。「きみは言葉づ
に烈しく彼を領したのである。とうとうヴァルヴァーラ夫人た返事もだんだんわからなくなっていった。スチェパン氏 も、これは冗談事でないと思った。それに、自分の友が世間 は、『こんなふうの思想をすっかり』一度できつばりわかるよ から忘れられて、無用人になりはてたなどと考えるのは、夫うに説明してほしいと、改まって夫人のところへ呼ばれて行 人にとって、とうてい堪えうるところでなかった。で、彼のつこ。・、、 オカその説明には夫人は恐ろしく不満足だった。この 気を紛らし、かたがたその名声を回復するために、夫人は彼世間一般の運動に対するスチェパン氏の見解は、思いきって をモスグワへ連れて行くことにした。そこには文士や学者の尊大なものであった。そして、彼のいうことはことごとく、 仲間に、幾人か優雅な知人があったので。しかし、行ってみ自分は世間から忘れられた、自分はだれにも用のない人間 ると、モスクワもあまり感心しなかった。 だ、とい , フ一点に帰着してしまった。 それは一種特別な時代であった。以前の静けさとは似ても しかし、ついに彼も人のロに上るようになった。はじめ 似つかぬ。まるで新しい、しかも妙に恐ろしいあるものがや二、三の外国で出る刊行物が、彼のことを流謫の受難者と評 って来たのである。このあるものはいたる処で、 スグヴし、また次に間もなくべテルプルグで、かって輝かしい星座 アレーシニキイのような田舎でさえも、それとなく感じられに加わっていた一つの遊星として、噂をしだした。中には、 ロシャの文学者 ( 一七四九ー た。さまざまな噂も伝わってきた。いろいろな事実も、精粗どういうわけだか、ラジーシチェフ 一八二〇年 ) 「ペテルプルグ の差こそあれ、全体としてわかってきた。けれど、疑いもな よりモスクワ〈の旅』で農奴制誌 ) に比較するものさえあ 0 た。そ 事実のほかに、まだ何かそれに伴う思想がある。し かれからまただれかが彼の訃報を伝えて、近いうちにその小伝 も、その数がまた大変なものだ。つまり、これが頭を混乱さを掲載すると予告した。スチェパン氏はたちまちよみがえっ せるのであった。どうしてもそれに順応することができず、た。そして、恐ろしく気取り始めた。現代の人々に対する高 またその思想が何を意味するかを正確に突き留めることもで慢な態度は、ことごとく一時に姿を消したばかりか、かえっ きなかったのである。ヴァルヴァーラ夫人は女性特有の性質て現代の運動に加わって、力量を世に示したいという空想 で、必ずその中に秘密があるものとしなければ、承知できな が、彼の心中に燃え始めた。ヴァルヴァーラ夫人は、再びい かった。彼女は新聞雑誌を初め、外国の出版物や、当時もう っさいを信用してしまって、恐ろしく騒ぎだした。で、一刻 出はじめた檄文 ( こんなものまで夫人の手に入ったのだ ) にの猶予もなくべテルプルグへ出かけて、いっさいを実地に調 いたるまで、自分で読んでみたけれど、ただ目の廻るような査し、親しくその空気を呼吸してみたうえで、もしできるな 気持ちを覚えたばかりである。で、今度は手紙を書きにかからば、直接あたらしい事業に全身を捧げようと、決心したの った。しかし、あまり返事が来なかったうえに、せつかく来である。そのとき夫人は自身で一つ雑誌を発行して、それに
カそれでもレム て、気絶という武器まで応用して見せた。 : 、 って妨げられたさきほどの会話を、ふたたび新たにするのを プケーは一歩も譲らなかった。そして、どんなことがあろう避けようと思っているらしい とも、プリュームを見棄てたり、身辺から遠ざけたりしな 「けれども、それはまったく婉曲な方法で、少しも世間へ知 と宣言した。で、とうとう夫人もあきれ返って、プリュれないように実行できるのです。あなたはあらゆる権能を授 ームを置くことを許さざるをえなくなった。ただ親戚関係のけられていらっしやるのですから」背中をかがめて小刻みな あることは、今までよりも一段と気をつけて、できるだけ隠足取りで、じりじりレムプケーのほうへ詰め寄りながら、う すことに決められた。プリュームの名前と父称も変えることやうやしい調子ではあるが執拗な態度で、彼は何やらしきり になった。ど , フい、つわけか、プリュームも同じよ , フに、アン に主張していた。 ドレイ・アントーノヴィチと呼ばれていたからである。 「プリューム、きみはあくまでわたしに信服して、わたしの ためにつくしてくれるので、わたしはいつもきみを見るたび プリュームはこの町へ来ても、あるドイツ人の薬剤師のほ 、には、だれひとり知己をこしらえようともしなければ、どに、恐ろしさに胆を冷やすじゃないか」 こを訪問してみようともしなかった。ただこれまでの習慣 「あなたはいつも何か気の利いたことをおっしゃいます。そ で、けちけちと淋しい生活を送っていた。彼は久しい以前か して、自分で自分の言葉に満足して、穏かな夢を結ばれるの ら、レムプケーの文学道楽を知っていた。彼はいつも決まつです。ところが、それがあなたを毒しているのじゃありませ て呼び出され、内証でさし向かいに、自作小説の朗読を聞かんか」 されるのであった。大抵ぶつ続けに六時間くらい、じっと棒「プリューム、わたしはたったいま十分に確信をえた、そん のように坐りとおしていた。そして、居睡りをしないで徴笑なことはすっかり見当ちがいだよ、まるで見当ちがいだよ」 を浮かべるために、汗を滲ませながら渾身の力を緊張させ「それはあのいかさま者の、根性骨の曲った若造の言葉を本 た。家へ帰ると、足の長い痩せひょろけた細君とともに、ロ当にされたからでしよう。あなたご自身も、あの男を疑ぐっ シャ文学に対する恩人の情けない弱点を、互いに嘆き合うのていられるじゃありませんか ? やつはあなたの文学上の才 であった。 能を、お世辞たらたら賞めちぎって、あなたを手のうちへま レムプケーは苦痛の表情で、入り来るプリュームを見やつるめ込んだのです」 「プリューム、きみは何もわからないのだ。きみの計画は愚 「プリューム、お願いだから、わたしにかまわんとおいてくの骨頂だと、そういってるじゃないか。そんなことをしたと 悪れ」彼は不安げに早ロでこういった。ビヨートルの来訪によころで、何一つ見つけ出すことができないで、ただ恐ろしい こ 0 351