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検索対象: 夏目漱石全集 別巻
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1. 夏目漱石全集 別巻

る。つまり、漱石は、狂気と明晰とを、同時に所有し ていた。そのことに堪えつづけていたのである。ある 作品『猫』が書かれたのは、ほとんど偶然の出来事 いは狂気と同じ程の、明晰に堪えつづけたのである。 そこで漱石の「神経衰弱」に対する自負のほどが、過であるという。小宮豊隆などによって、原「吾輩は ( 生Ⅳ ) 不足なく説明されるであろう。ここではたとえば、か猫であるーをさぐる操作が試みられてはいるが、事実 かる作家漱石を無視して、ひたすら作品の背後に無意 にかかわりがあるとは思えない。ただし一人の作家の 識の病根を指摘することをもってよしとし、作家漱石精神にとって、彼の作品の何が必然的であり、何がそ と、その無意識の人格者とを区別することをとざしてうでないかは一概に断定し難いし、そのような判断が ( 注新 ) いる精神分析学は、如何程精細をきわめたものであっ必ずしもただちに作品論に採用されるべきものでもな たとしても有害である。学的方法論としてはたとえ無 い。しかし作品『吾輩は猫である』の誕生と登場と、 益でないにしても、時として、人間の精神に対しそれさらにその成功とは、大方の漱石伝の指摘しているよ は危険なのだ。少なくとも漱石論への応用は、単純な うに、「偶然」の外見によそおわれていることは疑え 漱石非狂人説と同じく、多く問題がある。漱石の作品 ない所である。明治三十八年 ( 一九〇五 ) ここでは漱 はその両方の深淵にまたがっているのである。そして石は『猫』を書きつつ、『倫敦塔』『カーライル博物館』 そこに「笑い」がある。「笑い」ながら異様なまでの ( 一月 ) 『幻影の盾』 ( 四月 ) 『琴のそら音』 ( 五月 ) 『一 倫理感覚をとぎすませる。そしてこう問し 、つづける。 夜』 ( 九月 ) 等々一連の作品を、それぞれ書きつづけ 一体人は何故生きねばならぬのだろう。そして、このて行く。そこでは自らの魂に、重くからみついた鎖を ような人生が、はたして生きるに価いする何かがあるひきずりながら、その間題に面と向きあって瞳をこら のだろうか。 している漱石の、まっとうな作家としての野心や気負 五 296

2. 夏目漱石全集 別巻

感とがあったはすである。それが「野分」であった。 白井道也がそれを代表している。 漱石の作品は、「野分」から確実に変わっている。 モチーフの上でも小説技法の上でも「野分」に〈新し い出発点〉を見ようとする見解は、早く「昭和六年」 の日付けをもっ唐木順三氏の『漱石概観』 ( 『現代日本 文学序説』所収 ) にあり、近くは瀬沼茂樹氏が白井道 也の「ほかの学問が出来得る限り研究を妨害する事物 を避けて、次第に人世に遠かるに引き易へて文学者は 進んで此障害のなかに飛び込む」 ( 「野分」六 ) という ことばを捉えて、「文学はもはや漱石にとって大学講 作家にとって、作品は自己のすべてを睹ける唯一の師の余技であることを、彼自身の内面的要求からして 表現でなければならぬ。漱石が作家たろうと決意した も許さないところまできていることを自覚しはじめ 時、かれの創作は否応なしに〈余裕派〉的傾向を失っ た」 ( 『夏目漱石』昭三七・ = D と見るところまで、数 た。それは、もはや学者の余技としての自由な遊びで多く散見される見解である。だから、わたくしのこの あることを許さなくなったからである。そこに作家漱指摘は、かならすしも新しいものではない。しかし の石が誕生する。しかし作家たろうとすることは、学者「虞美人草」をも 0 て職業作家漱石の出発点とする常 分 野 漱石にとっては全く保証のない未知の可能性に賭ける識論や、あるいは初期漱石文学の最後の到達点として厚 ことでもあった。そこに、かれのはけしい緊張と衝迫「虞美人草」を見ようとする論などのために、「野分」 「野分」の構図 ーー作家漱石の原点 和田謹吾

3. 夏目漱石全集 別巻

他の作家と ( 又当時のヨーロッパの殆んどの小説家と も ) 異なった、新しい体験と美学の発見がひそんでい るように思われる。 そこでこの二つの作品の関連を見出し、「都会の体 験と美学」が、中期の小説の中でどう生きてくるのか、 考察を続けたい。 何人かの明治の作家にとって、西欧との出逢は重要 な経験となった。それは、西欧の思想との出逢でもあ ったが、何よりも西欧の言葉、西欧の現実との出逢で あったといえよう。欧羅巴に着いた外も漱石も、ま 明治三十八年一月十日に発表された『倫敦塔』にも、す都会というものに関心を抱いたように思われる。二 同一月十五日附の雑誌に出た『カーライル博物館』に人の初期の作品に見える都会の描写、その中に現われ も、二十世紀初頭のロンドンが現われる。両方とも、 た近代日本文学の散文史の新しい可能性を考察して行 小品といえるのであろうが、単なる紀行文ではなく、 きたい。 最初に完成された、小説家・漱石の作品であって、小 説の不思議な形をなしているように感じる。漱石は、 「溟濛たる」大都会をどのように描いたのか、その描 写は小説全体においてどういう役割を持っているのか、 ということに注意してみたい。そこには、明治時弋の 「蜘蛛手」の街 ーー漱石初期の作品の一断面 ジャン・ジャック・オリガス 「東に還る」船の中で、太田豊太郎は、ベルリンに着 いた最初の印象を思い出そうとしている。暗い、寂し い船室の中で、当時の思出が一層鮮やかに眼の前に現

4. 夏目漱石全集 別巻

いとすれば、ここで「野分」を掘り下げて見ることの 理的閑文字を弄するの余裕を与へざるに至るやも計り がたし」云々の文章を引いて、「何を『本職』とする意味は重大である。 漱石は晩年に「道草」という作品を書いている。そ かの問題が、漱石の中で、相当決定的になって来た」 証拠と見ている ( 『夏目漱石』 ) 。この前後に読売新聞の作品が漱石文学のなかで極めて重要な意味をもっこ 社からかなり積極的な入社勧誘を受けながら漱石が断とは周知のことだが、漱石がそこで見据えていたもの ったのは、提示の条件や社内事情がかならずしも好まは、主として明治三十六年から「明治四十年 ( 一九〇 ・一七 ) 四月以前のことまでとして、芸術的な意味で、全 しくなかっただけのことであった ( 明治三九・一一 六、滝田樗蔭宛書簡 ) 。しかし、学者漱石は、この時体の構成をひきしめようとした」 ( 小宮豊隆・新書版 期に、折あらば学問をなげうって作家たろうとする意全集解説 ) 漱石自身の生活である。つまりは、この 志を固めた。その決意後の第一作となるのが「野分」「野分」執筆前後の心情である。それだけ、この時期 なのである。 が漱石にとって重大な意味をもっことを示しているわ けだが、いまその中から、作家に転じて行く漱石の問 題を拾いあげて見たい。 「道草」には、健三が創作に傾いて行く過程や心情は 「野分」は、明治三十九年十二月九日から同月二十一 日までの十三日間に書き上げられ、翌四十年一月の描かれていない。しかし、学問生活に否定的になる契 退「ホトトギス」に発表された。では、この作家として機は語られている。その第三章で漱石は、学問に打ち のの意識を固めた後の処女作で、漱石はなにに駆りたて込んでいる健三を「索寞たる曠野の方角へ向けて生活 野られ、どんなテーマを扱 0 ていたか。処女作に作家はの路を歩いて行きながら、それが却って本来だとばか四 り心得てゐた。温かい人間の血を枯らしに行くのだと 生涯の最も根本的な文学的原点を示していることが多

5. 夏目漱石全集 別巻

注比較的評価の高いのが塩田良平氏で、「作家 としては一葉の下位にあるが、気品に於いて賤子 と対立し、知性に於いて稲舟の抒情を圧してゐる 優れた作家」であるという。評価の低いのは吉田 精一氏で「近代女流作家中のまづ三流以下」「樋 口一葉や田村俊子の足許にも及ばなかった」とあ る。『日本女流文学評論』 注Ⅱ『我が生ひ立ち』 注新ガストン・ / シュラ 1 ル『水と夢』 ( 小浜俊 郎・桜木泰行訳 ) 注重松泰雄「漱石初期作品ノート 草枕の本 質ーーー・」『日本文学研究資料叢書・夏目漱石』 注小坂氏はこの作が「霊の感応」を描いて漱石 の「琴のそら音」の「刺戟剤」になったというが 何かの間違いではないだろうか。のちの「客間」 が「心中を示唆している」という意見も、同様で ある。 注「夏目漱石より松根東洋城へ」『文学』昭四 ー」『文学』昭四六・一二 注四北垣隆一『漱石の精神分析』 286

6. 夏目漱石全集 別巻

傍か、平生親しみ暮せし義弟の影に髣髴たらんかと、 夢中に幻影を描き、ここかしこかと浮世の覊絆につな がるる死霊を憐み、うたた不便の涙にむせび候ーとい うのを見れば、二人の相思い相信ずることは尋常より は更に深いものであったのか。今それは何人にも尋ね ることは出来ぬ。それは漱石自身と嫂とにおいても答 えることは出来ないのかも知れぬ。には書簡中の文 言と悼亡の句とを記すに止め、その他はすべて読者の 想像に委するより外はない。 漱石の作品は死後三十年依然として読まれている。 一方漱石嫌いというものはその生前からあった。今後 の評論も様々であろう。併し一人にして「猫」「坊っ ちゃん」を書き、「文学論」「文学評論」を書き、「幻 影の盾」「薤露行」「草枕」「道草」を書き、多くの評 論と俳句と漢詩とを遺した作家は、同時代の人が誇り として好い作家であると思う。

7. 夏目漱石全集 別巻

紙幅の都合上、要点のみで舌足らずになってしまっ 上げる。年Ⅱ月四日付の「無慈悲な美女」を歌った たが、漱石の学者から作家への選択と跳躍に当っては、 英詩であるが、「烈しく愛した女のため」二人の男が 剣をとって争い、男達は死ぬ。この女を嫂とする事は楠緒子に対する幻想的恋愛と彼に先立っ楠緒子の作家 漱石の兄が妻を愛さず放蕩に耽っていた点からふさわ活動が極めて大きく働いていると結論できる。松山時 しくないし、この英詩はカイン・コイフレックスを歌代から作家活動に入るまでの漱石の青春は、「坊っち ゃん」の末尾にある如く、母の眠る本法寺の墓が唯一 ったものでもない。それは「一夜」と背中合わせをな す、我執がぶつかる三角関係の恐ろしい世界を歌っての避難所であったような暗いものであった。この松山 いる。「創造の夜明け」に歌われた「月」や「星」は時代の漱石の死への願望と作家活動に入ることによる ( 注新 ) 生への回帰は、「坑夫」の主人公の心理に描かれてい ダンテがべアトリチニを女神化した如く、天上界にい る楠緒子を指し、「無言の一一一一〔づて」「秘めやかな合図」るが、初期作家時代の漱石は創作を通し楠緒子との幻 は彼女の詩歌説ー 、こおける漱石に対する愛の訴えを指想の中に失われた青春を取り戻すことによって再生し している。そして地上にいる漱石は罪多く汚れているたと言える。 処女作「吾が輩は猫であるーから「明暗」に至る漱 と言うのだ。「二人を鞭うった雷鳴」は恐らく青天の 石文学の展開を理解するためには、漱石内部における へキレキの如くであった楠緒子の結婚であったろう。 いずれにしても、英詩に限らず恋愛詩歌が留学から楠緒子と妻の問題を考慮する事が必須要件の一つと思 ( 注Ⅱ ) 帰国して楠緒子と再び接触し始めた年後半から急にわれる。 そして、今一つのキーポイントは漱石の分裂気質的 聞作られ出している。対象は嫂でなく楠縉子であろう。 る な一面であり、「行人ー「心」を始め難解な漱石文学の あ おわりに 謎を解く鍵のように思われる。一例をあげれば、神経 255

8. 夏目漱石全集 別巻

や積極的な性格を与えられた女性達は、その当時、現ない。それでいて日本の、すくなくとも知識階級には、 実には日本の社会にいなかったように思われる。いたひろくゆきわたり近代の古典として、もう半世紀以上 せいとう とすれば青鞜社の人々、平塚らいてうさんのようなごの尊崇をうけつづけている。その秘密は、おそらく、 く少数のエ リートに過ぎなかったのではなかろうか。漱石の小説がむしろ倫理的であるというところにある そういう時代に、ああいう、てきばきした、頭の鋭い、 であろう。しかも事実は、前にも述べたように、三角 はきはき物が一 = ロえて、若い男をへこますような女性を関係の恋愛が主題であるというほど、主な小説の題材 創造し、人々に興味をたせ、拍手させた、というのは破倫に近づいている。それにもかかわらず、倫理的 は漱石の功績ではなかったかと思う。これは別に書いであるということについては、漱石入門として「猫」 たこともあるが、メレディスの作中に登場する同じよの諷刺、「坊っちゃん」の正義観、「三四郎」のおだや うな知性の高い女性がいままで英米の小説に出現しな かな秋日和が先行するからという経路のほかに、もう かったものであるという、アメリカの学者の説を真似三十年も昔読んだ阿部知二氏の漱石論を私は今でも思 ているのだが、ああいう明晰な言葉を発しうる女性の い出すのである。それは何もむずかしい論ではなかっ 存在は、漱石の女性が日本に新しい社会を作りつつあた。極めて平明で普通なことであったが、それを認め ったのだと言うことも可能である。万物流転は漱石のることがやはり一番適切であると思う。それは漱石が 東洋的人生哲学であったろうが、彼の頭の中には存外、「秩序と良識」の作家で、作中人物は、各々その正し 西洋が生きていて、新しい女性崇拝を招来していたとい座標の上に座を占めてポールを投げあっているのだ いうべきかも知れない。 というのが説であった。 こしら 漱石の小説は、かなりむずかしい小説である。ちょ それからもう一つ、「心理の小説はどうしても拵え っと横になってざっと読んでみる、というわけにゆか物になり易いのだが大切な点はそこにあるのではなく、

9. 夏目漱石全集 別巻

説である。この間中はや 0 た言葉を拝借すると、あ以上が全文である。私どもの覚えている、漱石の在 いわゆる る人の所謂触れるとか触れぬとかいうう ちで、触れ世当時の全貌評価の有様を伝えることができるかと思 ない小説である〉と。で、彼のこの主張を最もよく ってわざと全文を引用した。そして漱石・鸛外が特別 具現したものは『吾輩は猫である』『坊っちゃん』 の存在であったことは、次に鴟外の項をついでに引用 等で、殊に『坊っちゃん』は、青年時代の彼自身をすれば、もっと明らかになる。 モデルにしたと云わるるもので、無邪気な快活な中 「漱石の征徊趣味と略同じ意味をもった『あそび』 かいぎやく ひょうぼう 学教師の一青年と、その周囲とを軽い明るい諧謔に という言葉を標榜した作家に森外がある。外は 富んた筆で描いたものである。『虞美人草』や『草明治前期の文壇に於て、評論冫番訳冫 こ羽こ、盛んに活動 枕』はその豊富な才藻を以て世を驚かしたもので、 した人であるが、今に至るまでなお不断の努力を文 あらわ 空想の露な作品であるが、『それから』以後最近に 壇に捧けている。短編集『涓滴』その他の外、長篇 至るまでの作には現実的客観的の傾向が著しく、殊『青年』及び戯曲集『わが一幕物』等の作がある。 に、深い心理の底に穿ち入る鋭い筆には、及ぶもの彼の作品には種々のものがあって写生文らしいもの なしと称せられた。その最後の作『明暗』に於て、 もあれば、問題小説のようなものもある。批評を小 更に一転化を示さんとする時にあたり、不幸、病に 説に托したのもある。しかし、彼の作品は、、。 たお 斃れたのは、誠に文壇の不幸事と云わなければなられも透明なる智の産物であって、彼の態度には熱が ない。彼は技巧即ち文章に於て殊に傑れてい、その 一種『あそび』の気分が底の方を流れている。 ウィット 機才に富んでいるところ、言葉の豊富なところ、和彼もやはり心血を濺いで芸術を作る人ではない。近 漢洋の文脈を一に混和してその句法の自在なところ来、歴史小説に力を尽し『天保物語』その他の作が など誠に及び難い」 ( 九〇ー九三頁、新カナにて ) ある。観察の鋭敏と描写の精到と、而してその整然 そそ けんてき

10. 夏目漱石全集 別巻

のである。 この家は美しくもみにくくもない。たたその機能に 応じて最も単純に作られたものである。平凡なもので 四 ある。実につまらないものである。何の装飾もない。 、、。伝来の美漱石の創作は、まぶしいほど多様多面である。初期 それよりも、何の形式もないといってし ( それは日本の伝統の美にも西洋の古代から伝わったの他の作品の中には、ロンドンの描写に現われた体験 美にもあてはまるのであるが ) とその形式は一切通用と美学は、全く見られないということはできないであ ない。かえ 0 て、この真四角な家の中では、銀牌なろうが、あまり重要な位置を占めていないようである。 どの、装節的な記念品が、むしろ滑稽に見える。彼の又手帳や断片を読んでもそれに関する記事は多く見当 「有名なるカ 1 ライル」は、此真四角な家の中で、「四らない。 しかし、漱石が『三四郎』を書きだしたときに、作 角四面に暮らしたのである」。丁度作家活動を始めた 漱石は、これを自分の創作の出発点にしたのではない者の記憶と感覚の中に積み重な 0 たものが一度に表に だろうか。四角な世界を前にして、一切の形式から離現われ、溢れだしたように思われる。 第二章の始めで、三四郎の前に東京が現われる。が、 れて。 美の崩壊をなげいてもそれは無意味である。この喪景色、景物、この「新大都」のめぼしい建物は一つも 失された美を求めて、あせ 0 て、何か「美しいもの」描かれていない。最初は、一つの音が耳に入る。「電 街をつくろうとしてもどうにもならない。それより、現車のちん / 、鳴る」音である。其「ちん / \ 鳴る」音 実の実体をつきとめなければならない。伝来の形式をにともな 0 て、「非常に多くの人間」がたえまなく動 いている。 一度否定してからその上、創作を始めなければならな 「丸の内 , という地名が出るが、描写らしい言葉は一 いという、二つの面で、これはまことに新しい態度な 3 ル