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検索対象: 夏目漱石全集 別巻
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1. 夏目漱石全集 別巻

ばんかんほうはく るか心配でならない。先生はアーデン・シェクス。ヒ 槃桓磅 ヤの出版者である。よくあの字が活版に変形する資 格があると思ふ。先生は、それでも平気に序文をか 先生は時々手紙を寄こす。其の字が決して読めな いたり、ノートを附けたりして済している。 、。尤も二三行だから、何遍で繰返して見る時間 はあるが、どうしたって判定は出来ない。先生から 「よくあの字が活版に変形する資格があると思ふ」な 手紙がくれば差支があって稽古が出来ないと云ふこ どという表現は、『吾輩は猫である』になんとなく通 と & 断定して始めから読む手数を省く様にした。 じるこの『クレイグ先生』のヒューモラスな文体の一 漱石の『クレイグ先生』のユーモアは適宜誇張をま特色たろうと最初のうちは思っていた。そう思ってい じえることから生まれているので、この一節を読ん たたけにシドニー・リーが『タイムズ』の追障記事の だ時もそうかと思った。西洋人の筆蹟にはなんとも読中で「クレイグ氏はその筆蹟が奇妙に読みづらいため みづらいのがあるので、それに比べると漱石の英文の にしばしば氏自身がコミカルな立場へ追いこまれた」 筆蹟はいかにも見事だ。これは漱石が筆と墨で漢字をと書いてあるのを見つけた時は、漱石の言い分との暗 書かせても達筆たったことに由来しているのたろう。 合に驚かされた。 丿ーの〈 his singularly difficult hand ・ クレイグ先生が漱石に「君の方が余程上手だ」と言っ writing 〉などという言い廻しには、その singularly と たのは御世辞抜きだったと思う。しかしその次の一節 いう副詞の選び方にも、旧友にたいする微笑を含んだ を読んた時は、これはもう誇張たと思った。 揶揄が感じられる。漱石が明治三十三年十一月二十二 日、クレイグから最初に返事を貰った時の印象「減茶 かう云ふ字で原稿を書いたら、どんなものが出来苦茶ノ字ヲカキテ読ミニクシ」は事実その通りだった てすう すま

2. 夏目漱石全集 別巻

「明暗』解説 す恐れた。ぞっとした。〉 ( 百七十二 ) ってゆくという形で、その想念は現実のもっとも深い 場所に、人間存在の内奥の深淵に、いわば〈夜〉の思津田のこの恐怖に『明暗』のモチーフがみごとに象 徴されているように思う。自己の生と痛切にむきあう 想にとどいてゆくのである。 けさ ことのいちどもなかった津田がもし罰せられるとした 〈この女 ( 清子 ) は今朝になってもう夜の驚きをくり そうしつ 返すことができないのかしら〉 ( 百八十六 ) という津田ら、それは自己の存在の喪失をはじめて実感したこの のおどろきはなにを意味するのか。清子ひとりをお延瞬間からはじまるはすである。かれを真に罰するのは や吉川夫人とちがった次元にいる女性として理解する天や自然ではなく、人間存在そのものの不可解さ、 必要はすこしもない。彼女の神秘的な微笑の背後にも、代ふうにいえば人間の実存であろう。午前中に小説を 書き、午後に漢詩をつくるというあの漱石の日課も、 彼女なりの〈私〉を見ておいてよいのである。 あえて〈俗了〉をえらんで、『明暗』の世界を則天去】 〈精神界もまったく同じことだ。いつどう変わるか わからない。そうしてその変わるところをおれは見私への傾爲から救いだそうとする意図のあらわれとい えなくもない。『明』で漱石の見ていたのは、則天 たのだ〉 (ll) なそ 人間はしばしば激変する。清子はその典型だともい去私の悟達では律しきれぬもっと底ぶかい人聞の謎だ えるが、人間をがくも変わらせるもの、その根源としったようである。 ての不可知な〈夜〉の思想について、漱石はようやく 語ろうとしている。 〈冷たい山間の空気と、その山を神秘的に黒くほか す夜の色と、その夜の色の中に自分の存在をのみ尽 くされた津田とが一度に重なり合った時、彼は思わ やまあい

3. 夏目漱石全集 別巻

とも土台とも頼みにしていたその虎の子から、全く離コレラで死んだと思えばよろしい。かっ子は恁う思っ れて了うと言うことは堪えられない苦痛でかっ悲哀でて、老人の大阪に行ってる留守の間に、独断で金之助 あった。先方の言葉にも道理な点はないでもないが、 を実家へ復すことに承諾してしまった。その時かっ子 もととそれは無理な要求である。悪意でとればずるは、たとえ縁はきれても、お互いに不実はしないこと い仕方であると老人は思った。老人はお気の毒だがその誓文を金之助に書かせた。 ことがきまったあとへ鈴木が来て、あきれた奥様だ れは御めんを蒙りたいと、きつばり言いきってしまっ た。直克はそれにはひるまなかった。三日にあげず泣と当惑している。また間もなく大阪から帰って来た老 きついて来た。しまいには樋口某とか田中某とか言う人は、散々かっ子の出過ぎた行為を叱った。しかしも 人間を使いに立てて、ずいぶんおどかし半分の談判を うどうも出来なかったので老人は諦めてしまった。 ちゅうつばら くらし した。老人も中腹になって、かねて懇意にしていた この頃夏目の家はあまり好い生活はしていなかった 三百代言の鈴木喜之助と言う男を代理にして、自分はので、十有五年の金之助養育料として弐百四十円より 大阪へふっと逃げて行ってしまった。 はよこさなかった。それも百五十円だけは現金、残金 直克の方では今度はかっ子を責め立てた。かっ子は は月三円ずつ二年間位の月賦で払うことにまけてくれ 名の様な勝気な女であった。もう面倒くさくなってしと申し入れて来た。老人は無法だと思ったが、もとも とまった。どうせこうねらわれてはもう最後だと思っ と金をとる所存ではなかったし、それに追いつけ金之 た。たとえ一時この場がおさまっても、金之助の眼の助が出世すれば、自分達の老後を多少に関わらず面倒 いうちは、この要求は決して絶えるものでないと言みてくれるだろうとの下心あったので、とうとうそ 草 う見通しをつけた。そうしてその折に又お互いに喧嘩れで承知してしまった。それは明治二十一年ごろであ 道 腰になって言張るのもつまらないと思った。金之助は った。 ( 塩原金之助が夏目金之助となったとき、夏目 453

4. 夏目漱石全集 別巻

ない人ーとして広い世界にたった一人寂しく立ってい 化そうとしたこともある、と書いている。然し夫が何 る。そうして「先生」は最後に自らを殺して仕舞った。の効き目もなかったと云うことも、同じ処に書いてあ 然し「先生」がこう云う人として人生に対し、又こう ったと思う。 云う人として自らを殺すに至る迄には、共処に多くの 然し此「先生」には、そう云うことをして見た後に、 戦いがあ 0 た筈である。あれ程誠実な又あれ程倫理的若しくはそう云うことをして見る前に、この罪の意識 意識の鋭敏な「先生」が、この罪によ 0 て如何に不安が吹きかける暗い不安の空気を、もっと何うにかして にさせられたか、その不安から遁がれるためにこの罪がれようとする気は起らなかったのであろうか。自 を醇化し若しくはこの罪を超越せんとして如何に努力分の奥さんにさえ自分が奥さんを愛していると云う理 したか、然かこの罪の重みが如何に潰圧的に此「先由から、自分の罪を打ち明けずにいる程の、我慢強い 生」の一切の努力の上に乗し掛って来たか 私の知「先生ーである。その我慢強さが何うして又自分の不 りたいのは、こう云う諸点に関する「先生ー自身の内安を払拭しようとする方面に出ですに済んだのであろ 面の消息である。 うか。自分を愛する心は、他人を愛する心よりも、も 然し『心』には夫等のことは殆んど触れられていな っと本能的に強靫なものであろうと思う。 、。夫等は唯結果の報告のみによって、読者の推測に 「先生」の友人が死んだと云う事実は、何うしても枉 委かせようとされている。 げることの出来ない事実である。然しその事実から出 て来る罪の意識は、何うしても枉げることが出来ない のであろうか。又縦令い枉げることが出来ないもの 「先生」は遺書の中で、読書に耽って見たり酒を飲んであるとして、なおそれに対する自己弁護の抗争が起 で見たりしてこの罪の意識を麻痺れさせ若しくは誤魔り得る余地はないものであろうか。 私はこの「先 イ 34

5. 夏目漱石全集 別巻

届けようとした存在しない者への手紙であった。 たり聞こえたりして参ります。するうちに私が臥せ 登世の影が投じられていると思われる女のイメージ ってゐる産室の屏風の蔭に参りまして、 がふたたび英詩のなかにあらわれはじめるのは、同じ 「貴様はお産でねてゐるのだから、相当日がたった 明治三十六年の十一月下旬から十二月初旬にかけてで らかへれ」 ある。これが正確に漱石の精神状態の悪化と符合して かういふのです。私は始まったなと思ってたまっ いるのは興味深い事実といわなければならない。漱石 てゐるのですが、看護婦や女中の手前困ってしまひ 夫人鏡子の回想は記している。 ました。 : ・どういふわけか勿論自分の頭の中でい ^ 二箇月ばかりはそれ ( 引用者註・九月十日ごろ ) ろいろなことを創作して、私などが言はない言葉が から大分いいので、私もよい按排だと喜んでをりま 耳に聞こえて、それが古いこと新らしいことといろ した。これなら帰って来た甲斐もあった。そんなふ いろに聯絡して、幻となって眼の前に現はれるもの うに思ってをりますうち、十月の末に三女の栄子が らしく、それにどう備へていいのかこっちには見当 生まれました。するうちに十一月に入ると、さきに がっきません。さうなりだすと何もかもみんな悪意 しうび いくらか愁眉をひらいたのもあだとなって、またぞ に取りだすので、私のやることなすことが、話せば ろ前にも増して雲行きがしくなって参りました》 話したで、黙ってゐれば黙ってゐるで、何もかも夏 《私はお産でまだ床についてをります。覚悟はきめ 目をいぢめ苦しめるためにやってると、かう感じる でう しやく てゐるとはいひ条、はらはらするやうなことがよく らしいのです。ですからよほど績に障はるとみえま あるやうになって参ります。さうして何故か私を目 して、いきなり屏風の蔭へ来て、 かたき のにして、困らしてやらう、苦しめてやらう、と 「お前はここの家にるるのはいやなのだが、おれを にかく怪しからない奴だといふやうな素振りが見え いらいらさせるために頑張ってゐるんだらう」 あんばい びやうぶ まぼろし 192

6. 夏目漱石全集 別巻

「 0 「 e kind 0 ( 一 = & philologist W1th whom style, thought. を大成しようとして、こっこっ努めている様を叙した and feeling we 「 e the only things 三籌 counted in 最後の条りにも出てくる。 一一 ( e u 「 e ・〉といい、文献学的な実証調査の情念彼の すき かみきれ 批評眠を曇らせることはけっしてなかった、「彼の文 : ・先生はまがな隙かな、紙片に書いた文句を此 けちんばう 学的センスは二十五歳の時も六十三歳の時も同じよう の青表紙の中へ書き込んでは、吝坊が穴の開いた、 ため に新鮮で清らかに澄みきっていた」と書いた。漱石が を蓄る様に、ぼつりノ \ と殖やして行くのを一生の 彼に就いた五十七歳の時もそうだったのたろう。英語 楽みにして居る。 : : : 先生の頭のなかには此の字典 ばんくわんはうはく で書かれた最良のものがクレイグのすばらしい趣味性 が終日終夜槃桓磅してゐるのみである。 に訴える様は、嗽石によっても見事に描かれている。 蓄積をこととする学問に従事する学者の心理状態が りんしよくか 先生の得意なのは詩であった。詩を読むときには吝嗇家のそれに通じるというのは、正にその通りかと あたりかげろふ ぜにため 顔から肩の辺が陽炎の様に振動する。 ー、・・・、嘘ぢゃな 思うが、その「銭を蓄る様に」という俗なたとえの後 全く振動した。 に「槃桓磅」という漢語を持ってきたのは文章法と ばんかん してもうまいものだ。槃桓が「たちもとおり進みがた 「陽炎の様に振動する」というのは漢詩などに出てく いさま」で、磅瞞が「みちふさがるさま」だ、などと る形容なのだろうか。実にうまい言葉たと思う。一種、 いう意味は別に知らずとも、なんとなく感じが伝わっ 実感があるではないか。 てくる。学問研究の方法は秩序立っていなかったが、 漢語表現をいわゆる字眼としてうまく使った例はク シェイクス。ヒア字彙を大成するためこよ、 冫 : しかなる労を レイグが Co ミ、ミ、ミこ洋ミ G 、 os ミ、 0 ミ 5 、ミ誉こ、ミミ も惜しまなかったクレイグ氏の孜々としてっとめる感 、 0 ほうはく

7. 夏目漱石全集 別巻

行かない事にしたりした。 作になって、それが芝居になるという事が名誉だと 長与とにかく称吉はあまり感情が激しく、所謂修養思うんだから、真鍋も単純なもんだね。 が足りないんで、僕は軽蔑もしていたにもかかわら 小宮真鍋が猿之助なんかを芝居茶屋の二階に集めて ね、一くさり講義をしたんだそうだ。あれはあんな ず、僕の兄弟の中では一番可愛い所があったように 田 5 ) っ - 0 ものを著ているが、あれは違うとか、ああいうもの 安倍しかし美談だね。実に美談だね。 を持って出るが、あれも違うとか、あの時分の松山 小宮「思い出す事など」の二回目に、君の兄さんの の中学の学生というものはああいうんじゃない、も 事を書いている。修善寺から病院に帰って来た日に、 っと気概があるとか、みんな違う違うと言っては直 奥さんが、あなたに申上けなかったけれども、実は させたんだそうだ。僕はその席には出なかったが、 こうこうでございますと、兄さんの亡くなったこと寺田寅彦が夏目の奥さんなんかと一緒に招待されて を話した。 行って、長談義に閉ロしたと言っていた。どうも小 長与あれを僕後で読んで驚いた。 宮君、真鍋君が違う違うと言うのは何を標準にして 安倍話は別になるが、真鍋嘉一郎は、猿之助が「坊言うんだろう、実に不思議極まることを言う男だね、 っちゃん」をやった時に、松山中学の生徒の兵古帯と言っていた。 の結び方はそうじゃないとか、そういう事を言って、安倍寺田寅彦と言えば、レントゲン光線が日本でま しきりにコーチしたそうだ。そうしてね、「坊っち だ新しい時分だったろう。寅彦が物理学教室でその ゃん」がこういうふうに演劇になるという事は、松 レントゲンの実験をやっていた。ある時寺田が漱石 山中学校の名誉だと言った。所があれはちっとも松 の所へ来て、どうしたものか近頃性欲がなくなった、 山中学の名誉でも何でもないんだ。とにかく漱石の と話したが、暫くたってやって来た時に、あれはや 502

8. 夏目漱石全集 別巻

黙る方が却て話しの興を添えるものだということを馬とう一室に監禁して、無理やりリスポンまで連れ帰ら どもは知っている。これは事実その通りだ」と。 れた。漱石先生も神戸へ上陸せられた時、誰か迎いに ガリ・ハーが馬の国にも留まれない事情になって、ひ行って連れて帰らぬと、夏目はどこへ行ってしまうか とり小舟に乗ってその国を去った時、彼はもう再びョ分らぬと友人達から心配せられたものだと聞く。尤も、 ハへ帰って、あの堕落したヤフー ( 人間 ) ども これは先生の気が触れたなそと文部省あたりで評判を の中に交って生活することがいやで / ~ 、たまらない。 立てられたからではあるが、ガリ・ハ ーもあまり人を手 どこか無人島へ漂着して、そこで一人住みたいのだ古摺らすので狂人だと思われていたことは間違いない。 と希っている。先生もよく無人島のことを口にされた。 いよいよロンドンへ帰ったが、女房や子供もヤフー 無人島には道徳の必要もなければ、法律の煩わしさも ( 人間 ) の仲間だといい、特にその体臭がたまらない ない。「無人島に一人で住んだら涼しかろ」というよ というので、嫌って食事も共にせず、仔馬を二疋飼っ うな俳句まで作っていられる。その句は明治二十年代てその生長を楽しみ、始終厩舎にばかり行って、馬と のものだと思うから、その頃はもう先生は「ガリ・ハ 話しをして暮したといわれる。帰朝後の漱石先生にも ー」を読んでいられたに違いない。しかも、熟読味読そういう傾向はなかったか。どうもないとはいわれな いように私には思われるのである。 していられた。といって、先生がスウイフトの真似を せられたというのではない。期せずして二人の性がよ 四 く合ったものだと思うだけである。 漱石先生はその「文学論」の序に、「英国留学中は ガリ・ハーがポルトガル船に救われて、再びヨーロッ ハへ連れ帰ろうとせられた時、彼はそれをいやがって、虎狼の群れに交わるむく犬の思いをして生活してい 可度も海の中へ飛び込んでまで遁れようとする。とう た」と述懐していられる。これはあまりにひどい、先

9. 夏目漱石全集 別巻

な感じが乏しくなる、物足りない憾みが生する。 さえあれば、異常生活の心理描写を成し遂ける上に、 漱石先生は一体異常生活と云うものが嫌いのように もっと大きな役目を務め得ると云うことを信じて疑わ も見える。従ってそう云う生活には成るべく触れずにない。従って私は切に漱石先生が、この方面に興味 通り抜けようとしていられるようにも見える。然しを持たれんことを希望する。 シテュエーション 場合が既にそうなって来ている以上は、何処まで も突き込んで書いて貰いたいと思うのは、恐らく私一 人の願いのみではあるまい。例えば、今にも死にそう 漱石先生には漱石先生に特有な Realism の要求があ なま な父を跡にして東京へ「先生」の処へ駈けつけようとる。漱石先生は一切の思想を、生のままで文芸上の作 かたち する主人公の心理も、若しくは自分が活らき掛けた為品の中に盛ることを許さない。一切が具像の貌におい に竟に一人の親友に自殺させたと云う「先生」のそのて描き出されなければならないと考えていられる作家 死骸を見た前後の心理も、若しくは「先生」が愈自殺である。 するときの心理も、漱石先生は場合が場合であるに拘それに私は何の異論はない。 然し漱石先生の此 Realism の要求は、普通あるべき でわらず、成るべく避けて通り抜けようとしていられる ん としか考えられない。 こう云う折の心理描写を読むと筈の要求よりも、今少し極端に進んで行っていはせぬ を き、私は汗をかいた眼鏡越しに物を見るように、今迄かとも、私には思われる。特にそれが『心』において、 鮮やかだった一切の輸廓が急にぼんやりして仕舞うよ可成極端に進んで行っていはせぬかと考えられる。 の 当うな気がする。 私は『心』を読んでいて、自分の志す処へ早く連れ 私は漱石先生の想像力と感情移入の力と最後に日常て行って貰えぬ辿しさがあった。従って書かれんとし 生活におけるあの鋭敏な細緻な観察とが、先生に意志た根本問題の直接性がその為め ( 読者の感受から云っ

10. 夏目漱石全集 別巻

や積極的な性格を与えられた女性達は、その当時、現ない。それでいて日本の、すくなくとも知識階級には、 実には日本の社会にいなかったように思われる。いたひろくゆきわたり近代の古典として、もう半世紀以上 せいとう とすれば青鞜社の人々、平塚らいてうさんのようなごの尊崇をうけつづけている。その秘密は、おそらく、 く少数のエ リートに過ぎなかったのではなかろうか。漱石の小説がむしろ倫理的であるというところにある そういう時代に、ああいう、てきばきした、頭の鋭い、 であろう。しかも事実は、前にも述べたように、三角 はきはき物が一 = ロえて、若い男をへこますような女性を関係の恋愛が主題であるというほど、主な小説の題材 創造し、人々に興味をたせ、拍手させた、というのは破倫に近づいている。それにもかかわらず、倫理的 は漱石の功績ではなかったかと思う。これは別に書いであるということについては、漱石入門として「猫」 たこともあるが、メレディスの作中に登場する同じよの諷刺、「坊っちゃん」の正義観、「三四郎」のおだや うな知性の高い女性がいままで英米の小説に出現しな かな秋日和が先行するからという経路のほかに、もう かったものであるという、アメリカの学者の説を真似三十年も昔読んだ阿部知二氏の漱石論を私は今でも思 ているのだが、ああいう明晰な言葉を発しうる女性の い出すのである。それは何もむずかしい論ではなかっ 存在は、漱石の女性が日本に新しい社会を作りつつあた。極めて平明で普通なことであったが、それを認め ったのだと言うことも可能である。万物流転は漱石のることがやはり一番適切であると思う。それは漱石が 東洋的人生哲学であったろうが、彼の頭の中には存外、「秩序と良識」の作家で、作中人物は、各々その正し 西洋が生きていて、新しい女性崇拝を招来していたとい座標の上に座を占めてポールを投げあっているのだ いうべきかも知れない。 というのが説であった。 こしら 漱石の小説は、かなりむずかしい小説である。ちょ それからもう一つ、「心理の小説はどうしても拵え っと横になってざっと読んでみる、というわけにゆか物になり易いのだが大切な点はそこにあるのではなく、