しら。なんでも今の中学生などよりはよほど小さかっ 0 たような気がする。学校は正則と変則とに別れていて、幻 正則のほうは一般の普通学をやり、変則のほうでは英 ( 4 ) 語をおもにやった。そのころ変則のほうには今度京都 ( 5 ) の文科大学の学長になった狩野だの、岡田良平なども おって、僕は正則のほうこ 冫いたのだが、柳谷卯三郎、 ( 8 ) ( 9 ) 現今の名士もかっては青年であった。現今の青年も将来は中川小十郎などもいっしょだった。で大学予備門 ( 今 名士たるべきの運命を持っている。してみれば今の青年が、の高等学校 ) へ入るには変則のほうだと英語をよけい 今の名士の青年時代を知るということは、実益もあり趣味や 0 ていたから容易に入れたけれど、正則のほうでは もあり、誰でもそれが知りたいのである。〔中略〕その事歴英語をやらなか 0 たから卒業して後さらに英語を勉強 を名士自身の口から聞いて、これを筆記したので、他の新 きりぬ おお しなければ予備門へは入れなかったのである。面白く 聞雑誌あるいは書物等を切抜いて綴ったものとは、大いに おもむ こうふん もないし、二三年で僕はこの中学を止めてしまって、 ( Ⅱ ) にしようがくしゃ その趣きを異にし、これを精読する間には、名士のロ吻動 ( じ おも 三島中洲先生の二松学舎へ転したのであるが、その時 作等が、あり / \ と目の前に見えるところが、いたって面 しろ 分ここにいて今知られている人は京都大学の卸島錦治、 白いのである。 編者 井上密などで、このあいだの戦争にロシアへ捕虜にな って行った内務省の小城などもおったと思う。学舎の ( 1 ) そのころ東京には中学というものが一つしかなかっ ごときは実に不完全なもので、講堂などの汚なさとき ( 2 ) まっくろ た。学校の名もよくは覚えていないが、今の高等商業たら今の人にはとても想像できないほどだった。真黒 はらわた の横あたりにあって、僕のったのは十二三のころか になった腸の出た畳が敷いてあって机などはさらにな 落第 「名士の中学時代」 ( 6 ) きた おもしろ
つかえ 「いゝえ、時間は今より減るかもしれませんがーー・ー」・ 「もう発表になるから話して差し支ないでしよう。 「時間が減って、もっと働くんですか、妙だな」 実は古賀君です」 判然とは今言いにくい 「ちょっと聞くと妙だが、 「古賀さんは、だってこ、の人じゃありませんか」 がーーーまあつまり、君にもっと重大な責任を持っても 「こ、の地の人ですが、少し都合があってーー・・半分は らうかもしれないという意味なんです」 当人の希望です」 おれにはいっこう分らない。今より重大な責任とい 「どこへ行くんです」 いつぎゅうほうあが ( 1 ) ひゅうがのペおか 「日向の延岡でーー土地が土地だから一級俸上って行えば、数学の主任たろうが、主任は山嵐だから、やっ ぎづかい こさんなか / 、辞職する気遣はない。それに、生徒の くことになりました」 人望があるから転任や免職は学校の得策であるまい。 「誰か代りが来るんですか」 ようりよう 「代りもたいてい極ま 0 てるんです。その代りの具合赤シャツの談話はいつでも要領を得ない。要領は得な くっても用事はこれで済んた。それから少し雑談をし で君の待遇上の都合もっくんです」 「はあ、結構です。しかし無理に上がらないでもかまているうちに、うらなり君の送別会をやることや、つ いてはおれが酒を飲むかと言う間や、うらなり先生は いません」 「ともかくも僕は校長に話すつもりです。それで校長君子で愛すべぎ人たということや。ーー赤シャツはいろ いろ弁じた。仕舞に話をかえて君俳句をやりますかと も同意見らしいが、おっては君にもっと働らいていた きたから、こいつは大変だと思って、俳句はやりませ だかなくってはならんようになるかもしれないから、 ほっく ばしょラ さよう やどうか今からそのつもりで覚悟をしてやってもらいたん、左様ならと、そこ / 、に帰って来た。発句は芭葎 ( 4 ) あさがお ( 3 ) かみいどこおやかた ついですね」 か髪結床の親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに つるべ 釣剏をとられて第るものか。 「今より時間でも増すんですか」 ( 2 ) たま わか
さであんな事をかくのは、書物のうえかまたは生活の うえで相応の源因を得たのでありましよう。ホトトギ スに出た伊藤左千夫の野菊の墓というのを読んで御覧 なさい。文章は君の気に入らんかもしれない。しかし うつくしい愉快な感じがします。以上 十二月三十日夜 金 白楊兄 今朝また読み直してみました。あれを今少々活躍さ せる工夫があると思います。あれたけの短編では今少 かんべき 少活躍させんと完璧とは言われない。それでなければ もっと長くかく。三十一日
ほっしん けんかく のである。そこで僕も大いに発心して大学予備門へ入違っていて、その間に懸隔があったから、さらに近づ するがだい るために成立学舎ーー・・駿河台にあったが、たしか今の いて交際するようなこともなくまるで離れておったの ( 1 ) そがのりすけ 曾我祐準の隣だったと思う へ入学して、ほとんで、むこうでも僕等のような怠け者の連中はだめな奴 いっしようけんめい けいべっ ど一年ばかり一生懸命に英語を勉強した。ナショナル等だと軽蔑していたろうと思うが、こっちでもまた試 クラスはい の二くらいしか読めないのが急に上の級へ入って、頭験の点ばかり取りたがっているような連中はともに談 ( 2 ) ( 3 ) えら からスウイントンの万国史などを読んだので、初めのずるに足らずと観じて、僕等はただ遊んでいるのを豪 すき なま うちは少しも分らなかったが、その時は好な漢籍さえ いことのごとく思って怠けていたものである。予備門 一冊残らず売ってしまい夢中になって勉強したから、 は五年で、そのなかに予科が三年本科が二年となって しまいにはだん / \ 分るようになって、その年 ( 明治 、た。予科では中学へ毛の生えたようなことをするの 十七年 ) の夏は運よく大学予備門へ入ることができた。で、数学などもずいぶんたくさんあり、生理学たの動 み 同じ中学におっても狩野、岡田などは変則のほうにい物植物鉱物など皆な英語の本でやったものである。た たから早く予備門へ入って進んで行ったのだが、僕なから読むほうの力は今の人達より進んでいたように思 どが予備門へ入るとしては二松学舎や成立学舎などにわれるが、しかし生徒の気風に至っては実に乱暴なも おとな まごっいていただけ遅れたのである。 ので、それから見ると今の生徒は非常に温順しい。皆 ぜめ なんとかかんとかして予備門へ入るには入ったが、 な悪戯ばかりしていたものでストーブ攻などといって、 なま そば 惰けているのは、はなはだ好きで少しも勉強なんかし教室の教師の傍にあるストープへ薪をいつばいくべ、 ( 4 ) まっか なかった。水野錬太郎、今美術学校の校長をしているストープが真赤になるとともに漢学の先生などの真面 ( 6 ) ら 正木直彦、芳賀矢一なども同じ級だったが、これ等は目な顔が熱いので、やはりストープのごとく真赤にな なま 皆な勉強家で、おのずから僕等の怠け者の仲間とはるのを見て、クス / 笑って喜んでいた。数学の先生 わか ( 5 ) もの ら たち まっか やっ
もこの学校に通っていたのはわずか二三年に止り、感 ずるところがあってみすから退いてしまったが、それ には日くがある。 この中学というのは、今の完備した中学などとは全 然異っていて、その制度も正則と、変則との二つに分 れていたのである。 正則というのは日本語ばかりで、普通学の総てを教 私の学生時代を回顧してみると、ほとんど勉強とい授されたものであるが、その代り英語はさらにやらな かった。変則のほうはこれと異って、たゞ英語のみを う勉強はせすに過したほうである。したがってこれに ざんしん 関して読者諸君を益するような斬新な勉強法もなけれ教えるというに止っていた。それで、私はどれにいた おもしろ かといえば、この正則のほうであったから、英語はす ば、面白い材料も持たぬが、自身の教訓のため、つま こんな こしも習わなかったのである。英語を修めていぬから、 り這腰不勉強者は、こういう結果になるという戒を、 むっし ( 4 ) 当時の予備門に入ることが六か敷い。これではつまら 思い出したま、述べてみよう。 私は東京で生れ、東京で育てられた、いわば純粋のぬ、今まで自分の抱いていた、志望が達せられぬこと 生江戸ッ子である。はっきり記憶しておらぬが、なんでになるから、ぜひょそうという考を起したのであるが、 よんどころ ( 1 ) ( 2 ) も十一二のころ小学校の門 ( 八級制度のころ ) を卒えなかなか親が承知してくれぬ。そこで、拠なく毎日 ( 3 ) 毎日弁当を吊して家は出るが、学校には往かずに、そ 過て、それから今の東京府立第一中学 , ーー・ - そのころ一ッ に入ったのであるが、いつも遊ぶほうのまゝ途中で道草を食って遊んでいた。そのうちに、 私橋にあった かんがえわか が主になって、勉強という勉強はしなかった。もっと親にも私が学校を退きたいという考が解ったのたろう、 「私の経過した学生時代」 いましめ つる とヾま かんがえ とゞま 253
僕のうちまで来てくれと言うから、惜しいと思ったが「今のくらいでじゅうぶんです。たゞ先だってお話し 温泉行きを欠勤して四時ごろ出掛けて行った。赤シャた事ですね、あれを忘れすにいてくださればい、ので ひとり ツは一人ものだが、教頭だけに下宿はとくの昔に引きす」 けんのん どじっせん りつば 「下宿の世話なんかするものあ剣呑だということです 払って立派な玄関を構えている。家賃は九円五拾銭た か」 そうだ。へ来て九円五拾銭払えばこんな家〈はい 「そう露骨に言うと、意味もないことになるがーーーま れるなら、おれもひとっ奮発して、東京から清を呼び 寄せて喜ばしてやろうと思ったくらいな玄関だ。頼むあ善いさーー精神は君にもよく通じていることと思う ( 3 ) しゆっせい と言ったら、赤シャツの弟が取次に出て来た。この弟から。そこで君が今のように出精してくだされば、学 は学校で、おれに代数と算術を教わる、いたってでき校のほうでも、ちゃんと見ているんだから、もう少し のわるい子だ。そのくせ渡りものだから、生れ付いてして都合さえつけば、待遇の事も多少はどうにかなる だろうと思うんですがね」 の田舎者よりも人が悪るい。 ほうきゅう 赤シャツに逢って用事を聞いてみると、大将例の琥「へえ、俸給ですか。俸給なんかどうでもいゝんです はく が、上がれば上がったほうがいゝですね」 珀のパイ。フで、きな臭い烟草をふかしながら、こんな 「それでさいわい今度転任者が一人できるからーーーも 事を言った。・「君が来てくれてから、前任者の時代よ ( 2 ) せいせき っとも校長に相談してみないとむろん受け合えないこ りも成蹟がよくあがって、校長も大いにい、人を得た と喜んでいるのでーー、どうか学校でも信頼しているのとだがーー・、その俸給から少しは融通ができるかもしれ ないから、それで都合をつけるように校長に話してみ だから、そのつもりで勉強していたヾきたい」 「へえ、そうですか、勉強って今より勉強はできませようと思うんですがね」 「どうも難有う。たれが転任するんですか」 んがーー」 ( 1 ) うち こ ありがと
むか が求ールドに向って一生懸命説明していると、後からごともでぎないから、まず人の信用を得なければなら チコーク ない。信用を得るにはどうしても勉強する必要がある。 白墨をもってその背中へ怪しげな字や絵を描いたり、 まっ また授業の始まる前にことん \ く教室の窓を閉めて真と、こう考えたので、今までのようにうつかりしてい くらところ 暗な処に静まり返っていて、入って来る先生を驚かしてはだめだから、いっそ初めからやり直したほうがい ともだち うれ いと思って、友達などが待っていて追試験を受けろと たり、そんなことばかり嬉しがっていた。予科のほう は三級、二級、一級となっていて、最初の三級は平均しきりに勧めるのも聞かず、自分から落第して再び二 ~ 、りネ・え 級を繰返すことにしたのである。人間というものは考 点の六十五点も貰ってやっとこさ通るには通ったが、 やはり怠けているからなにもできない。ちょうど僕がえ直すと妙なもので、真面目になって勉強すれば、今 わか ( 1 ) こうぶ 二級の時にエ部大学と外国語学校が予備門へ合併したまで少しも分らなかったものもはっきりと分るように なる。まえにはできなかった数学なども非常にできる ので、学校は非常にゴタ / \ してずいぶん大騒ぎだっ あるひ だれ ようになって、一日親睦会の席上で誰は何科へ行くだ た。それがだん / 、、進歩して現今の高等学校になった のであるが、僕はその時腹膜炎をやってとう / \ 二級ろう誰は何科へ行くだろうと投票をした時に、僕は理 の学年試験を受けることができなかった。追試験を願科へ行く者として投票されたくらいであった。元来僕 たち とつべん ったけれど、合併の混雑ゃなんかで忙しかったとみえ、は訥弁で自分の思っていることが言えない性だから、 教務係の人は少しも取合ってくれないので、そこで僕英語などを訳しても分っていながらそれを言うことが は大いに考えたのである。学課のほうはちっともできできない。けれども考えてみると分っていることが言 ないし、教務係の人が追試験を受けさせてくれないの えないというわけはないのだから、なんでも思い切っ ます も、にしいためもあろうが、第一自分に信用がないかていうに限ると決心して、その後は拙くてもかまわず らだ。信用がなければ、世の中へ立ったところでなに どし / \ 言うようにすると、今までは教場などで言え とりあ 263
で、私はこの予備門にいるころもほとんど勉強はし席のほうが遠ざかるばかりであった。 ( 1 ) かんださるがくちょう なかった 0 この当時は家から通わずに、神田猿楽町の ( 3 ) なか ( 2 ) ある下宿屋に、今の南満鉄道の副総裁をしている、中 むら懸こう 村是公という男といっしょに下宿していたものである 不勉強ぐらいであったから、どちらかといえば運動 きま は比較的好ぎのほうであったが、その運動も身体が が、朝は学校の始業時間が定っているので、仕方なく 一定の時間には起床したが、夜睡眠の時間などは千差弱であったため、規則正しい運動をつとめてやったと 万別で、ほとんど一定しなかった。 いうのではない。ただ遊んだというほうにすぎないが ポートレ やはり、このごろも学科について格別得意というも端艇競漕などはまず好んで行ったほうであろう。まえ じようす のはなかった。なかにも数学、英語ときては最も苦しの中村是公氏などは、なか / 、運動は上手のほうで、 められたほうであるが、といって勉強もせすに毎日毎 いつもポートではチャン。ヒオンになっていたくらいで 日自由な方針で遊び暮していた。したがって学校の成あるが、私は好きでやったといっても、チャン。ヒオン などにはどうしてもなれなかった。 績は次第に悪くなるばかりで、予科入学当時は、今の ( 4 ) はがやいち 芳賀矢一氏などと同じくらいのところで、かなりい その他運動といっても、当時はまだべースポールも 他っしょにいたものであるが、私のほうは不勉強のため、なく、庭球もなかったから、普通体操くらいのもので、 生下へ下へと下ってゆくばかり。そのほか、当時の同級兵式体操はやらなかった。要するに運動というより気 ( 8 ) ( 6 ) 生には今の美術学校長正木直彦、専門学務局長の福原まゝかってに遊び暮したというほうで、よく春の休み し とりかたづ ( 9 ) 過鐐二郎、外国語学校の水野繁太郎氏などがあって、そなどになると、机をすっかり取片付けてしまって、足 おしうでおし の れ等の人はなか / 、できるほうであったが、私達遊び押、腕押などいうつまらぬ運動ーー遊びをしては騒い ら 仲間の連中はすべて不成績で、漸次、これ等の諸氏とでいたものである。試験になってもそう心配はしない。 ら ( 5 ) ( 加 ) しかた たち テ - 一ス あし 257
まゆしか そな 。ハー」の眉を蹙め顔を背くるところあらん。要 ・ハーンス」はその性「クー この性質を具へざる・ヘからず。「 バーンス」の人に対する情合は、前の二詩人 ー」するに「 質を具へすぎたるほどの人なり。前段に「クー れん と「トムソン、を比較して、前者の動植物に対する憐より一歩を進めて、四海兄弟主義となれるものなり。 じゃ ) 今この主義を山川界に応用するにあたって、その情い 情は、後者に優るよしを述べ、また人間に対しては、 かにして現出し来れるか。これを説明するが「・ ( ー よりも情合深か 「ゴールドスミス」のはう「クー ーンス」に至ス」を論ずるの本領なり。 かりしことを説きたるが、今この情「・ハ べんぎ 今便宜のためこれを二段に分ち、禽獣に対する情、 って、いかに変化せしやを論ぜんとす。 くわき 「ゴールドスミス」の社会に対する不平は、単に経済死物、すなはち花卉草木に対する情、と区別して論 ー」の不平は宗教的にて、ずべし。 上の不都合にあり。「ク 1 ーンスーの特有 C 禽獣に対する情は、あへて「・ハ 人間の虚栄は、上帝の悪みたまふところなりと感じた パ 1 」すでにこの傾きを有せるは、 にあらす。「ク 1 るがごとし。「ハーンス」に至っては、四民平等とい ーンス」に至りそ 念ふ点より、世界を観察して不平の源となせり。三人皆前段に述べたるがごとくなれど、気 る不平なりといへども、その根を掘ればおの / \ 異なり。の愛情数歩を進めて動物を視る、ほとんど人間を視る ら・ら - ・ん がごとし。かって耕耘の際、野鼠の巣を掘り返したる A Winter Night などを読むときは、 The Deserted Village に似たるところなきにあらざれど、もちろんを悲んで、これを咏じて日く。 山 ( 1 ) 2 1'm truly sorry man's dominion 天思想上、 "A man's a man for a' that" などは「ゴ の Has broken Nature's SOCial union: 人 ールドスミス」の決して同意せざる点なるべく、また An' justifies that ill opinion, 国 The Twa Dogs などには「クー ー」の主義と似た Which makes thee startle. る場所往々あれど、 A Peck Maut に至っては、 0 、 0 、 そむ 239
なかろう。よしゃれるとしても、今のようじや人の前 、、と言って応じなかった。 年来住み馴れた家のほうがし うこうがえ きがね しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易をしていらぬ気兼へ出て教育を受けたと威張れないから、つまり損にな を仕直すより、甥の厄介になるほうがましだと思ったるばかりだ。資本などはどうでもい、から、これを学 のだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰え資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に いっしよう の、来て世話をするのと言う。親身の甥よりも他人の 二百円ずつ使えば三年間は勉強ができる。三年間一生 おれのほうが好きなのだろう。 懸命にやれば何かできる。それからどこの学校へはい 九州へ立っ二日まえ、兄が下宿へ来て金を六百円出ろうと考えたが、学間は生来どれもこれも好きでない。 まっぴら して、これを資本にして商売をするなり、学資にしてことに語学とか文学とかいうものは真平御免だ。新体 勉強をするなり、どうでも随意に使うがし 、 \ その代詩などときては二十行あるうちで一行も分らない。ど りあとはかまわないと言った。兄にしては感心なやり うせ嫌なものなら何をやっても同じ事たと思ったが、 方だ。なんの六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思さいわい物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告 ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼をが出ていたから、なにも縁たと思って規則書をもらっ 言って貰っておいた。兄はそれから五十円出して、こてすぐ入学の手続をしてしまった。今考えるとこれも れをついでに清に渡してくれと言ったから、異議なく親譲りの無鉄砲から起った失策だ。 ひとなみ 引ぎ受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄 三年間まあ人並に勉強はしたが、べつだんたちのい いほうでもないから、席順はいつでも下から勘定する にはその後一遍も逢わない。 ほうが便利であった。しかし不思議なもので、三年立 やおれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商 めんレ」う うま - 。売をしたって面倒くさくって旨くできるものじゃなし、ったらとう / 、、卒業してしまった。自分でも可笑しい 1 ことに六百円の金で商売らしい商売がやれるわけでもと思ったが苦情をいうわけもないから大人しく卒業し ふつか しんみ ムら けんめい ( 3 ) しようらい おとな