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検索対象: 夏目漱石全集 1
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1. 夏目漱石全集 1

かけもの にか、ってた懸物はこの顔によく似ている。坊主に聞げるから気の毒になる。学校へ出てうらなり君ほど大 ( 1 ) しだてん いてみたら韋駄天という怪物だそうだ。今日は怒って人しい人はいない。めったに笑ったこともないが、余 5 けい るから、目をぐる / 、回しちゃ、時々おれの方を見る。計な口をきいたこともない。おれは君子というラ「葉を そんな専で威嚇かされてたまるもんかと、おれも負け書物のうえで知ってるが、これは字引にあるばかりで、 ない気で、やつばり目をぐりつかせて、山嵐をにらめ生きてるものではないと思ってたが、うらなり君に逢 かっこう てやった。おれの目は恰好はよくないが、大きいこと ってからはしめて、やつばり正体のある文字だと感心 においては大抵な人には負けない。あなたは目が大きしたくらいだ。 いから役者になるときっと似合いますと清がよく言っ このくらい関係の深い人のことだから、会議室へは たくらいだ。 いるやいなや、うらなり君のいないのは、すぐ気がっ もうたいていお揃でしようかと校長が言うと、書記 いた。実をいうと、この男の次へでも坐わろうかと、 かわむら あにまかす めじるし の川村というのが一つ二つと頭数を勘定してみる。一 ひそかに目標にしてきたくらいた。校長はもうやがて ( 2 ) ふくさづつみ 人足りない。一人不足ですがと考えていたが、これは見えるでしようと、自分の前にある紫の袱紗包をほど とうなす ( 3 ) こんにやくばん 足りないはすだ。唐茄子のうらなり君が来ていない。 いて、蒟蒻版のようなものを読んでいる。赤シャツは すくせ ( 4 ) こはく おれとうらなり君とはどういう宿世の因縁かしらない 琥珀のパイ。フを絹ハンケチで磨きはじめた。この男 が、この人の顏を見て以来どうしても忘れられない。 はこれが道楽である。赤シャッ相当のところだろう。 さ、、や 控所へくれば、すぐ、うらなり君が目につく、途中をほかの連中は隣り同志でなんだか私語き合っている。 てもちふさた えんびっしり あるいていても、うらなり先生の様子が心に浮ぶ。温手持無沙汰なのは鉛筆の尻に着いている護謨の頭でテ あお ゆっぽ 泉へ行くと、うらなり君が時々蒼い顔をして湯壷のな ーブルの上へしきりに何か書いている。野だは時々山 あいさっ かに膨れている。挨拶をするとへえと恐縮して頭を下嵐に話しかけるが、山嵐はいっこう応しない。たゞう そろい よ

2. 夏目漱石全集 1

坊ち、ん 三日目には九時から十時半まで覗いたがやはり駄目だ。山嵐は、生涯天誅を加えることはできないのである。 ばかげ 八日目には七時ごろから下宿を出て、まずゆるりと 駄目を踏んで夜なかに下宿へ帰るほど馬鹿気たことは ばあ ない。四五日すると、うちの婆さんが少々心配を始め湯に入って、それから町で鶏卵を八つ買った。これは たまご ( 5 ) いもめ 下宿の婆さんの芋責に応する策である。その玉子を四 て、奥さんのお有りるのに、夜遊びはおやめたがえゝ よあそび たもと てぬぐい ぞなもしと忠告した。そんな夜遊びとは夜遊が違う。 つずつ左右の袂へ入れて、例の赤手拭を肩へ乗せて、 ちゅうりく ふところで 懐手をしながら、枡屋の楷子段を登って山嵐の座敷 こっちのは天に代って誅戮を加える夜遊びだ。とはい いだてん ( 2 ) けん うものの一週間も通って、少しも験が見えないと、 いの障子をあけると、おい有望々々と韋駄天のような顔 ふさ せつかち やになるもんた。おれは性急な性分だから、熱心にな は急に活気を呈した。昨夜までは少し塞ぎの気味で、 いんきくさ ると徹夜でもして仕事をするが、その代りなんによらはたで見ているおれさえ、陰気臭いと思ったくらいだ ( 3 ) てんちゅうとう かおいろ ず長特ちのした試しがない。いかに天誅党でも飽きるが、この顔色を見たら、おれも急にうれしくなって、 むいかめ ことに亦へりはない。、 ~ / 日目には少々いやになって、七なにも聞かないさきから、愉快々々と言った。 かめ 日目にはもう休もうかと思った。そこへゆくと山嵐は「今夜七時半ごろあの小鈴という芸者が角屋へはいっ がんこ すぎ 頑固なものだ。宵から十二時過までは目を障子へつけた」 ( 4 ) ガスとう て、角屋の丸ぼやの瓦斯燈の下を睨めつきりである。 「赤シャッといっしよか」 「いゝや」 おれが行くと今日はなんにん客があって、泊りがなん 「それじゃ駄目だ」 にん、女がなんにんと色々な統計を示すのには驚ろい た。どうも来ないようじゃよ、 どうも有望らしい一 オしかとロうと、うん、た 「芸者は二人づれだが、 うでぐみ っしかに来るはすだがと時々腕組をして溜息をつく。可「どうして」 する 「どうしてって、あゝいう狡い奴だから、芸者を先へ 愛想に、もし赤シャツがこへ一度来てくれなければ、 し・こんち ため め なの ようかめ しようがし ゅうべ はしごだん 3

3. 夏目漱石全集 1

一月十日の「帝国文学」に「マクベスの幽霊に就て」と ( 2 ) 日本外史江戸後期の学者頼山陽 ( 安永九年ー 天保三年、 1780 ー 1832 ) が著わした源平より徳川時代に 題する評論を発表している。 至るまでの武家興亡史。漢文体で全二十一一巻。 一一〈六 ( 1 ) 新体詩全集第二巻「吾輩は猫である」七一。ヘー Scholastic ジに利用されている。 一一〈 0 ( 1 ) スコラスチックフイロソフィー 同「吾輩は猫である , 九。へ philosophy ( 英 ) スコラ哲学。西洋中世の教会・修一一〈七 ( 1 ) 君は近ごろ : 道院などで行なわれた学問で、キリスト教教義の真理を 1 ジ下段以下に利用。 論理的に証明することを目的としたもの。 同「吾輩は猫で ・ : でき上った絵を柱へ : せつきやくさう ある」十八ペ 1 ジ下段に利用。 ( 2 ) 折脚鐺「鐺」とは三脚つきの鍋をいい、その脚 の折れた古びた鍋のこと。 同「吾輩は 1 トリストラムシャンデーが・ 猫である」十六。ヘージ下秋九行目に利用。 〈一 ( 1 ) saturate ( 英 ) 侵す。 くうげらんっゐ ( 2 ) 一翳目に在って空花乱墜す目に曇りが生じて元 0 ( 1 ) 裏の木にカツレッ同「吾輩は猫である」二七 五ページ上段十二行目に利用。 幻の花が眼前に乱れ散るのが見えるという意味の仏語で、 みそさら 煩悩のために悟りの境には入れぬことをいう。 同「吾輩は猫である」 元一 ( 1 ) 門前の溝を渫って : 一一七五ペ 1 ジ上段十五行目に利用。 = 〈五 ( 1 ) 我輩の向うの家に以下の断片は小説「吾輩は 猫である」 ( 全集第二巻所収 ) 。の一原型ともいうべきも 日記 ので、後注のごとく、幾つかの箇所が「猫」本文に利用 されている。 元一一 ( 1 ) 横浜発漱石は明治三十三年 ( 198 ) 九月八日朝 ' 横浜港からイギリス留学の途についた。同乗の留学生は ( 2 ) セルマの歌漱石は明治一一一十七年 ( 1904 ) 二月二 日の「英文学叢誌」に「セルマの歌」と題してマクファ 藤代素人 ( 独文 ) ・芳賀矢一 ( 国文 ) ・稲垣乙丙 ( 農学 )• ーソンの "Ossian" の一部を紹介している。 戸塚機知 ( 軍医 ) の五名であった。 ( 3 ) マクベスの幽霊漱石は明治三十七年 ( 一 904 ) ( 2 ) 遠州洋静岡県御前崎と三重県志摩半島の間の海 あ 508

4. 夏目漱石全集 1

まぶた は歩ねよろひ ふとよら と己んで、女の瞼は黒き睫とともにかすかに顫へた。 鍛へ上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜の 「凶事か、と叫んで鏡の前に寄るとき、曇は一刷に晴れ金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみ々と驩 たくま めしら て、河も柳も人影も元のごとくに見はれる。梭は再びかしてゐる。栗毛の駒の逞しきを、頭も胸も華に裹み びやう 動きだす。 て飾れる鋲の数は篩ひ落せし秋の夜の星宿を一度に集 女はやがて世にあるまじき悲しき声にて歌ふ。 めたるがごとき心地である。女は息を凝らして目を うっせみの世を、 どて うつ、に住めば、 曲がれる堤に沿うて、馬の百を少し左へ向け直すと、 住みうからまし、 今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって やり ( 3 ) むかしも今も」 進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を えり うつくしき恋、 懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様をしかと うっす鏡に、 見分けようとする体であったが、かの騎士はなんの会 いきはひ 色やうつろふ、 釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢で、いよ 朝なタなに」 いよ目の前に近づいた時、女は思はす梭を抛げて、鏡 なび とはやなぎ 鏡の中なる遠柳の枝が風にいて動くあひだに、た に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは しろがわ びさし ちまち銀の光がさして、熱き埃りを薄く揚けだす。銀兜の廂の下より燿く目を放って、シャロットの高き台 まいちもんじ の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近を見上げる。爛々たる騎士の目と、針を東ねたるごと こひつじねらわし 付いてくる。攵は小羊を覘ふ鷲のごとくに、影とは知き女の鋭どき目とは鏡の裡にてはたと出合った。この うちみつむ りながら瞬ぎもせす鏡の裏を見詰る。十丁にして尺き時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫 あを た柳の木立を風のごとくに駈け抜けたものを見ると、 んで、たちまち窓の傍に馳け寄って蒼き顏を半ば世の や まつけ あら くもり ふる さっ ちか 0 ふる ( 2 ) 144

5. 夏目漱石全集 1

二時間目に白墨を持って控所を出た時にはなんだかの調子で二時間目は思ったより、うまくいった。たゞ ひとり 敵地へ乗り込むような気がした。教場へ出ると今度の帰りがけに生徒の一人がちょっとこの間題を解釈をし 組はまえより大きな奴ばかりである。おれは江戸っ子ておくれんかな、もし、とでぎそうもない幾何の問題 きやしゃ せま しかた で華奢に小作りにできているから、どうも高い所へ上を持って逼ったには冷汗を流した。仕方がないから、 けんか すもうとり あ がっても押しが利かない。喧嘩なら相撲取とでもやっ なんだか分らない、 この次教えてやると急いで引き揚・ ( 1 ) おおそう はや てみせるが、こんな大僧を四十人も前へ並べて、たゞ げたら、生徒がわあと囃した。そのなかにできん / 、 てぎわ べらぼう 一枚の舌をたゝいて恐縮させる手際はない。しかしこ と言う声が聞える。箆棒め、先生だって、できないの なかもの あたまえ んな田舎者に弱身を見せると癖になると思ったから、 は当り前だ。できないのをでぎないと言うのに不思議・ ま なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやっ があるもんか。そんなものができるくらいなら四十円 けむま た。最初のうちは、生徒も烟に捲かれてぼんやりしてでこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。今度 ( 2 ) いたから、それみろとます / \ 得意になって、べらんはどうだとまた山嵐が聞いた。うんと言ったが、うん まんなか めい調を用いてたら、いちばん前の列の真中にいた、 だけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分 いちばん強そうな奴が、いきなり起立して先生と言う。らすやだなと言ってやった。山嵐は妙な顔をしていた 9 そら来たと思いながら、なんだと聞いたら、「あまり早三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異 くて分からんけれ、もちっと、ゆる / \ 遣って、おくであった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失 ( 3 ) れんかな、もし」と言った。おくれんかな、もしは生敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。 ことま んぬ や温るい言葉た。早すぎるなら、ゆ 0 くり言 0 てやるが、授業は一と通り済んだが、また帰れない、三時までぼ きみら っ おれは江戸っ子だから君等の言葉は使えない、分らなっ然として待ってなくてはならん。三時になると、受 そうじ ければ、分るまで待ってるがい、と答えてやった。こ持級の生徒が自分の教室を掃除して報知にくるから検 じた 、、なま わか ひやあせ しらせ

6. 夏目漱石全集 1

倫教塔 そうがんきよう のある角を出ると減茶苦茶に書き綴られた、模様だか ど双眼鏡の度を合せるように判然と目に映じてくる。 ま - んじ ちさ けしき 文字だか分らないなかに、正しき画で、小く「ジェー次にその景色がだん / \ 大きくなって遠方から近づい おぼ て来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、 ン」と書いてある。余は覚えずその前に立留まった。 ( 1 ) 英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知右の端には男が立っているようだ。両方ともどこかで らぬ者はあるまい。 またその薄命と無残の最後に同情見たようだなと考えるうち、瞬たく間にズッと近づい おっと の涙を濺がぬ者はあるまい。ジ = ーンは義父と所天のて余から五六間先ではたと停る。男は前に穴倉の裏で おしけ くに 野心のために十八年の春秋を罪なくして惜気もなく刑歌をうたっていた、目の凹んだ煤色をした、背の低い ゅんで 場に売った。蹂みられたる物薇の蕊より消えがたき奴た。磨ぎすました斧を左手に突いて腰に八寸ほどの ひもと 香の遠く立ちて、今に至るまで史を繙く者をゆかしが短力をぶら下げて見構えて立っている。余は覚えずギ ( 2 ) ハンケチ らせる。ギリシア語を解しプレートーを読んで一代の ッとする。女は白き手巾で目隠しをして両の手で首 せきがく ( 3 ) ふぜい 碩学アスカムをして舌を捲かしめたる逸事は、この詩を載せる台を探すような風情に見える。首を載せる台 にほんまきわりだい 趣ある人物を想見するの好材料としてなんびとの脳裏は日本の薪割台ぐらいの大きさで前に鉄の環が着いて にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に いる。台の前部に藁が散らしてあるのは流れる血を防 たちどま ( 4 ) ようじん 立留ったぎり動かない。動かないというよりむしろ動ぐ要慎とみえた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣 くす けうら けない。空想の幕はすでにあいている。 き崩れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り かす ほうえすそ はじめは両方の目が霞んで物が見えなくなる。やが返した法衣を裾長く引く坊さんが、うっ向いて女の手 て暗いなかの一点にパッ と火が点ぜられる。その火がを台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着 こゝろ 次第々々に大きくなって内に人が動いているような心けて、肩にあまる金色の髪を時々雲のように揺らす。 まゆ 持ちがする。次にそれがたん / \ 明るくなってちょう ふとその顏を見ると驚いた。目こそ見えね、眉の形、 ま やっ みが物 - わら こんじき また ま ふせ 175

7. 夏目漱石全集 1

こ、はいずくとも分らぬが、目の届くかぎりは一面の がり来るものを入るる余地あればあるほど、簇がる さえ ひと 0 物は迅速に脳裏を馳け回るであろう。ウィリアムが吾林である。林とはいえ、枝を交えて高き日を遮ぎる一 かゝふたか、 抱え二抱えの大木はない。木は一坪に一本ぐらいの割 に醒めた時の心が水のごとく涼しかったたけ、今思い おおき しとま 起すかれこれも送迎に遑なきまで、糸と乱れてその頭でその大さも径六七寸ぐらいのもののみであろう。不 ・を悩ましている。出陣、帆柱の旗、戦 : : : と順を立て思議にもそれが皆同じ樹である。枝が幹の根を去る六 て排列してみる。皆事実としか思われぬ。「その次に」尺ぐらいの所から上を向いて、しなやかな線を描いて ふく と頭の奥を探るとべら / 、と黄色な炎が見える。「火えている。その枝が聚まって、中が膨れ、上が尖が ぎぼうしゅ ・事た ! 」とウィリアムは思わす叫ぶ。火事はかまわぬって欄干の擬宝珠か、筆の穂の水を含んた形状をする。 すきま ・が今心の目に思い浮べた炎のなかには、クララの髪の枝のことみ \ くは丸い黄な葉をもって隙間なきまでに たゞよ ・毛が漾っている。なぜあの火のなかへ飛び込んで同じ綴られているから、枝の重なる筆の穂は色の変る、面 所で死ななか 0 たのかとウィリアムは舌打ちをする。長な葡萄の珠で、穂の重なる林の態は葡萄の房の累々 しわざ 「盾の仕業た」とロの内でつぶやく。見ると盾は馬のと連なる趣きがある。下より仰げば少しすつは空も青 むこうはて く見らるる。たゞ目を放つはるか向の果に、樹の幹が 頭を三尺ばかり右へ隔てて表を空にむけて横わってい とおざ 互に近づきつ、遠かりっ黒く並ぶあいだに、澄み渡る ( 1 ) こゝろゅ 「これが恋の果か、呪いが醒めても恋は醒めぬ」とウ秋の空が鏡のごとく光るは心行く眺めである。時々鏡 ゆくさま はんもん おもて ( 2 ) うすもの ィリアムはまた額を抑えて、己れを熕悶の海に沈める。の面を羅が過ぎ行様まで横から見えるつ地面は一面 こけ の苔で秋に入ってや & 黄食んたと思われる所もあり、 海の底に足がついて、世に疎きまで思い入るとき、 ひゞき または薄茶に枯れかゝった辺もあるが、人の踏んだ痕 ザくよりか、かすかなる糸を馬の尾で摩るような響が 聞える。捶るウィリアムは目を開いてあたりを見回す。がないから、黄は黄なり、薄茶は薄茶のま \ 苔とい わむ よこた ふどう あっ ふさ あと

8. 夏目漱石全集 1

えの晩にクララを奪い出して舟に乗せる。万一手順がスリの響が聞えて、例のごとく夜が明ける。戦はいよ いよせまる。 狂えば隙を見て城へ火をかけても志を遂げる。これた けのことはシワルドから聞いた、そのあとは : : : 幻影五日目から四日目に移るは俯せたる手を翻がえす間 と思われ、四日目から三日目に進むは翻がえす手を故 の盾のみ知る。 ふつか かえま うれみなもと うはうれし、逢わぬは憂し。憂し嬉しの源から珠に還す間とみえて、三日、二日よりいよ / 、戦の日を あざむ を欺く涙が湧いて出る。この清きものになぜ流れるぞ迎えたるときは、手さえ動かすひまなきに襲い来るご とく感ぜられた。「飛ばせ」とシワルドはウィリアム と間えば知らぬと言う。知らぬとは自然という意か。 はなあらし くつわ ひざまず マリアの像の前に、跪いて祈願を凝せるウィリアムがを顧みて言う。並。ふ轡の間から鼻嵐が立って、二つの おどさいりん まっげ 立ち上ったとき、長い睫がいつもより重た気にみえた甲が、月下に躍る細鱗のごとく秋の日を射返す。「飛 ・、、なぜ重いのか彼にも分らなかった。誠は誠を自覚ばせ」とシワルドが踵を半ば馬の太腹に蹴込む。二人 まっしろ はけ かしら すれどもその他を知らぬ。その夜の夢ににれは五彩のの頭の上に長く插したる真白な毛が烈しく風を受けて、 なび 雲に乗るマリアを見た。マリアと見えたるはクララを振り落さるるまでに羅く。夜鴉の城壁を斜めに見て、 かざ 小高き丘に飛ばせたるシワルドが右手を翳して港の方 祭れる姿で、クララとは地に住むマリアであろう。祈 らるる神、祈らるる人は異なれど、祈る人の胸には神を望む。「帆柱に掲げた旗は赤か白かーと後れたるウ ざま ィリアムは叫ぶ。「白か赤か、赤か白か .. と続け様に も人も同じ願の影法師にすぎぬ。祭る聖母は恋う人の ひと あが くらっぽ ため、人恋うは聖母に跪くため。マリアとも言え、ク叫ぶ。鞍壺に延び上ったるシワルドは体をおろすと等 ララとも言え。ウィリアムの心のうちに二つのものはしく馬を向け直して一散に城門の方へ飛ばす。「続け、 うそ っゞき 影宿らぬ。宿る余地あらばこの恋は嘘の恋じゃ。夢の続続け、とウィリアムを呼ぶ。「赤か、白か」とウィリ あほう か中庭の隅で鉄を打っ音、鋼を鍛える響、槌の音、ヤアムは叫ぶ。「阿呆、丘へ飛ばすより濠の中へ飛ばせー こら つかめ た、かい 125

9. 夏目漱石全集 1

た製 たに違いない。二返目には不思議に思ったに違いない。太妓をドン / 、と叩く奴がある。腹の中を弘道館の道 ( 1 ) 三返目には考えだしたろうと思う : 。終りに原人界場たと思っている。 わがはい の「ニュートン」が出て来て諸君聞きたまえ、吾輩は ひとっ 英国の世間話 多年研鑽の結果一の大真理を発見したから、これを概 括して一言で申せば撃てば響くということですと、高 コノ地ノ small talks ホドッマラナイモノはない。 ねこなんびき 慢な顏をして述べたに違いない。 内の猫が何疋子を生んだとか、お隣りの大がよく吠え おもしろ るとか、当然の事をさも面白そうに仰せられる。犬は 西江の水 古往今来吠えるものに相場がきまっている。犬にして 気字宙を呑む。宇宙を呑めば腹がさけてしまう。唐吠えざるは王の盃底なきがごとしというくらいなも なんじ ( 2 ) ほ ) こじ の居士という人は汝が西江の水を吸いつくすを待っ のさ。唖の犬なんか誰も飼うものはありやしない。そ ぎよう てこれを語らんといった。西江の水が飲みつくせるなれをおやまあ。さようでござんすかよくね 1 などと仰 ら、禅坊主になるより豆蔵になるほうがい、。 山らしく受ける。こんなことを言っているうちに、は どきげん やさようなら御機嫌よろしゅうの時刻が来る。せつか 疳癪王 く主人と学問の話をしようと思ったってこの体裁たか かんしやくだま 疳玉がセリ上ると後ろから「ヤツッケロ」というらだめなことだ。 ( 3 ) あば 県れ者が両手を出して押ゲティル。ソノ下ニ「こゝが とやま 日本の昔の道徳 思案ノシどころぞ」という外山さんの新体詩然たる奴 日本ノ昔ノ道徳ハ subordination ガョクできている 9 がぶらさがって待った / ( 、といっている。ひっくり返 さかとんに あにら る。逆蜻蛉をうつ。そのうちに肋の三枚目辺で大きな君臣、父子、夫婦。 けんさん の へんめ やっ さん ( 5 ) さかすき ( 4 )

10. 夏目漱石全集 1

幻影の 少し無理じゃ。しかしできぬこともあるまい。南からそう減入らんでものことよ」宵に浴びた酒の気がまだ さ 来て南へ帰る船がある。待てよ」と指を折る。「そう醒めぬのかゲーと臭いのをウィリアムの顔に吹きかけ あ むいかめ ふなっきば ・ : なにを話すつもりであった 9 じゃ六日目の晩には間に合うだろう。城の東の船付場る。「いやこれは御無礼 : へ回して、あの金色の髪の主を乗せよう。不断は帆柱お、それた、その酒の湧く、金の土に交る海の向での」 のぞ の先に白い小旗を揚げるが、女が乗ったら赤に易えさ とシワルドはウィリアムを覗き込な。 ひるすぎ せよう。軍さは七日目の午過からじゃ、城を囲めば港「主が女に可愛がられたと言うのか」 ちかづき が見える。柱の上に赤が見えたら天下太平 : : : 」 「ワハ、、女にもあまた近付はあるが、それしゃない 9 ~ 4 ) 「白が見えたら : : : 」とウィリアムは幻影の盾を睨む。ポーシイルの会を見たということよ 夜叉の髪の毛は動きもせぬ、鳴りもせぬ。クララかと 「ボーシイルの会 ? 」 思う顔がちょっと見えてまたもとの夜叉に返る。 「知らぬか。薄黒い島国に住んでいては、知らぬも道 わぼく 「まあ、よいわ、どうにかなる、心配するな。それよ理じゃ。プ ( ンサルの伯とツールースの伯の和睦の りは南の国の面白い話でもしよう」とシワルドは渋色会はあちらで誰れも知らぬものはないそよ」 ひけむぞうさ の髭を無雑作に掻いて、若き人をめるためか話頭を「ふむそれが ? とウィリアムは浮かぬ顔である。 いぬたま 転する。 「馬は銀の沓をはく、狗は珠の ~ 目輪をつける : : : 」 ( 1 ) たいら 「海一つ向へ渡ると日の目が多い、暖かじゃ。それに 「金の林檎を食う、月の露を湯に浴びる : : : 」と平か ( 2 ) 酒が甘くて金が落ちている。土一升に金一升 : : : うそならぬ人のならい、ウィリアムは嘲るように話の糸を ( 3 ) ほんま しゃない、本間の話じゃ。手を振るのは聞きともない 切る。 おちっ 「まあ水を指さすに聴け。うそでも興があろうーと相 と言うのか。もう落付いていっしょに話すおりもある まい。シワルドの名残の談義たと思うて聞いてくれ。 手は切れた糸を接ぐ。 やしゃ むこう ま ふだん りんご あざけ / 23