和歌の浦 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 10
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1. 夏目漱石全集 10

たまっしまみようじん わかひるめのみこと ( 3 ) 玉津島明神和歌の浦にある神社。稚日女尊・ じんぐう そとおりひめ 神功皇后・衣通姫をまつる。古来、和歌の神社として歌 人に敬い親しまれた。以前は和歌の浦の小島の玉津島に あったが寛文年間 ( 十七世紀 ) に現在の地に移された。 九七 ( 1 ) 新和歌の浦和歌の浦につづいてその西にある 海岸。山が海にせまり、風景は和歌の浦より雄大。 とおめがね ( 2 ) 遠眼鏡「望遠鏡」「双眼鏡」の旧俗称。 しばあた・こさま 犬 ( 1 ) 芝の愛宕様東京都港区 ( もと芝区 ) 芝公園の あたゴやま 北にある愛宕山の上にある愛宕神社。八十六段ほどの石 段を登る。当時、境内には貸し双眼鏡、または、備えっ けの望遠鏡があったのであろう。 ( 2 ) 五重の塔それに相当するものは紀三井寺には ない。記憶のあやまりと思われる。 ひさしまんなか さが ひも ( 3 ) 廂の最中から下っている白い紐参拝者が鈴 を鳴らす紐をさすのであろう。 究 ( 1 ) 和歌山和歌山の旧市内をさす。 ふ はんてん 一 0 一一 ( 1 ) 斑まだら。斑点。ここは、雲の状態をさす。 かなわ IO 五 ( 1 ) 鉄輪人力車のタイヤにゴムが用いられる以前 は木製の車輪に鉄の輪がはめられていた。東京では明治 四十年 ( 1907 ) ごろからゴムの車輪が使われだしたが、 地方ではまだ鉄輪のものを使っていた。 ( 2 ) 機まない ふつう「弾む」または「勢む」と書 0 ( 3 ) 二十八 本章以下に書かれる和歌山市内での暴 風雨の一夜は、明治四十四年 ( 1911 ) 八月十五日の漱石 の経験が生かされたもので、同日の日記には四つ一べー ジに掲げた部分に続けて次の記録がある。「 : : : 電車で 和歌山へ行く途中から降る。県会議事堂は蒸し熱いこと 夥し。宴会を開くというから固辞しても聞かす、已を おもむ 得ず風月というのに赴き離れで待っている。宴開くるこ ろから風雨となる。隣席の綿ネル商望海楼は危険たとい う。芸妓の踊と和歌山雲右衛門の話を聞いて外へ出ると 吹降りである。西岡君は三度も電話をかけて大丈夫かと 聞いたら大丈夫と言う。牧君にどうしましようかと言う と牧君は夏目さんどうしましようと言う。北尾君がこち よろ らが宜しいでしようと言う。後醍院君はぜひ和歌の浦ま で行くと主張する。余等三人はあとの西岡、後醍院、早 記の〇〇君と和歌の浦に向う。余等は富士屋というのに 入る。電燈が消える。ランプを着ける。そのラン。フがま さんたん た消える。惨澹たるところへ和歌の浦の連中が徒歩で引 き返す、車で紀伊毎日の所まで行って電車を待っている と電車は来るには来るが向へ行くのは何とかの松原まで ごだいいん ( ママ ) 402

2. 夏目漱石全集 10

「行人」の執筆中、 ( 2 ) 長さ三寸ばかりの : 渡る」の「かたをなみ」をもじって別の字をあてたもの。 陸の知人から蟹が贈られてきたので、即興的にこゝに用 このもじりは漱石の独創ではなく、前から和浦の浦の地 おなみ いたのだという。大正一一年 ( 1913 ) 一月十三日の森成麟 名 ( 片男波の半島 ) としてあった。なお、「男波」 ( 高低 造あて書簡 ( 本巻三四一ページ ) 参照。 ある波の高い方の波のこと ) のことを、「片男波」とも あくび ( 3 ) 欠ふつう「欠伸」と書く。 ( 4 ) 汽車国鉄阪和線の開通したのは昭和五年 ( 19 ( 3 ) 御殿模様大名や公卿の御殿の雰囲気にふさわ 30 ) であるから、これは、現在の南海電鉄和歌山線 ( 明 しい模様をとりいれた優雅な模様。御所車・檜扇・小妓 治三十六年〈 1903 〉開通 ) をさす。なお以下に書かれる などの図案を織ったり染めたりしたもの。 なおしにく、 和歌の浦見物は、明治四十四年 ( 1911 ) 八月、関西地方 公一 ( 1 ) 矯めがたい くりき を講演旅行した漱石が、和歌山市で講演の際この地方を ( 2 ) 功カ 仏教論、ここでは功能、効力の意。 よしす 見物した時の経験が素材にされている。第九巻所収「現公一 ( 1 ) 掛茶屋路ばたに葦簀などをさしかけて店を出 代日本の開化」参照。 している茶屋。 まっしろかや 「せずに」のなまり。 七六 ( 1 ) 為すに ( 2 ) 真白な蚊帳明治四十四年 ( 1911 ) 八月十四日 ( 2 ) 電車当時の和歌山の市内電車。明治四十一一年 の日記に「晩に白い蚊帳を釣り明け放して寐る。それで ( 1909 ) 一月和歌の浦まで開通した。 寐苦しい。朝起涼しさや蚊帳の中より和歌の浦」 とある。 七七 ( 1 ) 紀州家の奥紀伊藩主徳川家の奥座敷。なお、 いわくに 市内の中央部に和歌山城跡があり、現在は和歌山公園と ( 3 ) 岩国山口県岩国市。 うろくむし どべ なっている。 会 ( 1 ) 焙烙蒸焙烙 ( 底の浅い素焼の土鍋 ) に塩をし こみじん 八 0 ( 1 ) 粉黴塵ふつう「こなみしん」という。 き、魚や松茸などを入れ蓋をして蒸し焼きにしたもの。 かたおなみ やまべのあかひと ( 2 ) 片男波『万葉集』に出ている山部赤人の短歌 ( 2 ) 東洋第一エレベ , ーター 和歌の浦にあった東 たら 「和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ芦辺をさして鶴鳴き 洋第一海抜一一百尺と称したエレベーター。現在はない。 400

3. 夏目漱石全集 10

注 あさくさ ( 3 ) 浅草にもまだない 当時、浅草にあった十二階 日記に「朝車で新和歌の浦に行く長者議員某氏の招くと 建ての凌雲閣にエレベーターの設備がなかったことをさ ころという。トンネル二つ。運動場というのは砲台の出 している。 来損のごとし。帰りに権現様に上る。橋の所に乞食が 〈七 ( 1 ) 紀三井寺和歌山市紀三井寺にある真言宗の寺。 二人いる。石段は一直線で三にしきる。それから片男波 宝亀元年 ( 770 ) 唐僧為光上人が開いた。 を見る。希らしく大きな波が堤を越えてくる。 こんもり ある。 ( 2 ) 蓊鬱「おううつ」と読む漢語で、樹木の茂って きぶっせい いるさま。 ( 7 ) 気不精ふつう「きぶしよう」という。 まっ ( 3 ) 下り松和歌の浦の妹背山という小島にある老 すすまぬこと。気分が重いこと。 むなぎの ときわぎ 松。浄壗璃「三十三間堂棟由来」平太郎住家の段に 八九 ( 1 ) 常磐木常緑樹。松・杉など。 けねん 「和歌の浦には名所がござる。一に権現、二に玉津 念「懸念」とも書く。 かんだか 三に下り松、四に塩釜よ」と出ている。 九 0 ( 1 ) 癇高い ふつう「甲高い」と書く。 けんがい れいろう ( 4 ) 懸崖断崖。 九一 ( 1 ) 玉のように玲瓏宝玉のように透き通っている ( 5 ) のし感動の終助詞。「ね」にあたる。「寒い さま。 のし」などという。新潟・和歌山県および、山形・愛九三 ( 1 ) メレディス George Meredith ( 】 828 ー】 93 ) 。 知・岐阜・高知・福岡・長崎の各県の一部、奈良県吉野 イギリスの小説家・詩人。 郡・兵庫県淡路島に分布している。 九五 ( 1 ) 泥鰌「鰌ーのだけでも「どじよう」と読む。 ごんげんさま しまろ 2 」。呂縞模様の絽。「絽ーは一六ページに前出。 ( 6 ) 権現様和歌の浦にある東照宮の通称。元和七九六 ( ) 縞糸 あかし ちみ 年 ( 162 こ、紀伊藩の祖徳川頼宣が父の徳川家康をまつる ( 2 ) 明石「明石縮」の略。たてに生糸、よこに強い ために建立、社殿は現在もその当時のもので、うっそう ねり糸を用いて織ったもので、薄いさらさらした高級夏 と茂った森のなかにあるが、背後の山に登るとすばらし 物生地。江戸時代、兵庫県明石市の人が創製したと伝え い眺望がひらける。明治四十四年 ( 一 91 一 ) 八月十五日の るが、現在では京都市西陣と新潟県十日町市が主産地。 そこない 気が イ 01

4. 夏目漱石全集 10

人 行 ・、りか・え き っ繰返るかもしれないと思ったわ」と言った。 をっていたが、自分の足音を聴きつ、振り返って、 自分は少し逆上していたので、そんなことはよく注「電話はどうして ? 通じて ? 」と聞いた。自分は電 意していられなかった。けれどもそのとおりをまっす話について今の一部始終を説明した。 ぐに答えるほどの勇気もなかった。 「おおかたそんなことだろうと思った。とても駄目よ 「え、すいぶんな風でしたね」と胡魔化した。 今夜は。いくら掛けたって、風で電話線を吹ぎ切っち 「こゝでこのくらいじゃ、和歌の浦はさそたいへんでまったんだから。あの音を聞いたって解るしゃありま しようね」と嫂がはじめて和歌の浦のことを言いだしせんか」 風はどこからか二筋に綯れてきたのが、急に擦違 自分は胸がまたわく / 、しだした。「姐さんこ、のなって唸るような怪しい音を立てて、また虚空はるか こたえ 電話も切れてるのかね」と言って、答も待たずに風呂に騰るごとくに見えた。 場に近い電話口まで行った。そこで帳面を引っ繰返し ながら、号鈴をしきりに鳴らして、母と兄の泊ってい むこ る和歌の浦の宿へ掛けてみた。すると不思議に向うで 二人が風に耳を峙だてていると、下女が風呂の案内 ふたことみこと あり ばんめし 二言三言なにか言 0 たような気がするので、これは有に来た。それから晩食を食うかと聞いた。自分は晩食 難いと思いっなお暴風雨の模様を聞こうとすると、 などを欲しいと思う気になれなかった。 なんべん あによめ またさつばり通じなくなった。それから何遍もし / \ 「どうします」と嫂に相談してみた。 と呼んでもいくら号鈴を鳴らしても、呼び甲も鳴ら 「そうね。どうでも宜いけども。せつかく泊ったもん ん し甲斐もまったくなくなったので、ついに我を折って だから、お膳たけでも見たほうが宜いでしよう」と彼を もど わが部屋へ引き戻してきた。嫂は蒲団の上に坐って茶女は答えた。 こ 0 ふとん わえ ふろ の ふたり ふたすじよ ・わか すれち

5. 夏目漱石全集 10

て考えがちであり、ことに母が、二郎が家を出て独立ら , といったり、「妾のほうが貴方よりどのくらい落 の生活をすることを望んでいるのは、何かの気持のっち付いているか知れやしない。たいていの男は意気地 ながりを、二人の間に想像しているからなのであろう なしね、いざとなると、と、嵐の晩、闇の中で語るお しかも一郎のお直に対する疑惑は、二郎が家を出る直には、「いざとなった」ことが前にあったようにも ようになってもかわらない。二郎とお直が和歌の浦に思われるし、少なくとも何か我々に説明されていない 心の経験がありそうである。 一泊したのち、何事もなかったという報告は信じたに しても、二郎が家を出るときいて、「一人出るのかい」 同じ時に、「いつでも覚悟ができてるんですもの」と という、ヒステリックで皮肉な間いを発したり、また彼女ははっきり言う。「覚悟」とは何であろう。漱石 おそ 二人の間をパオロとフランチ = スカにくらべて、「おの下した説明をさがしてみれば「初めから運命なら畏 前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとれないという宗教心を、自分一人で持って生れた女ら おそ するつもりだろう」 ( 「帰ってから」二十八 ) という、 しかった。その代り他の運命も畏れないという性質に 不穏なことばを出したりするところを見ると、一郎は見えた」 ( 「塵労」四 ) というのが、その「覚悟」にあ あくまでお直の心が二郎に傾いているという、 動かすたるかもしれない。そうとして見れば、二郎がもしそ べからざる感情を変えていないのである。 の気になって積極的に働きかければ、彼女はその運命 何ゆえこういう疑惑を抱かねばならなかったか。そを二郎の手にゆたねることにもなり兼ねまい の事情が我々にはやや不可解である。「死ぬことだけ彼女自身は別にコケットではない。美子のように はどうしたって心のうちで忘れた日はありやしないわ。フラーテーションをも弄しない。「親の手で植付けら だから嘘たと思うなら、和歌の浦まで伴れて行ってちれた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、誰か ようだい。きっと浪の中へ飛込んで死んでみせるか来て動かしてくれない以上、とても動けやしません」 ひと たち 37 イ

6. 夏目漱石全集 10

自分は事実だからこう答えざるを得なかった。こう答けれども気のせいか、つねから蒼い頬がいっそう蒼い える以上、彼女が自分に親切であ 0 たという事実を裏ように感ぜられた。その蒼い頬の一部と目の縁にさっⅢ こんせき から認識しないわけにいかなカった。 き泣いた痕跡がまだ残っていた。嫂はそれを下女に悟 そばだ むこ ふと耳を敲てると向うの二階で弾いていた三味線はられるのが厭なんだろう、電燈に疎い不自然な方角へ いつのまにか已んでいた。残り客らしい人の酔った声顔を向けて、わざと入口の方を見なかった。 が時々風を横切って聞こえた。もうそれほど遅くなっ 「和歌の浦へはどうしても帰られないんでしようか」 たのかと思って、時計を捜し出しに掛ったところへ女と言った。 とびいしづたい 中が飛石伝に縁側から首を出した。 見当違いの方から出たこの間は、自分に言うのか ら わか 自分等はこの女中を通じて、和歌の浦が今暴風雨に または下女に聞くのか、ちょっと解らなかった。 くるま だめ 包まれているということを知った。電話が切れて話が「俥でも駄目だろうね」と自分が同じような間を下女 とりつ 通じないということを知った。往来の松が倒れて電車に取次いだ。 ことば が通じないということも知った。 下女は駄目という言葉こそ繰返さなかったが、危険 な意味を反覆説明して、聞かせたうえ、ぜひ今夜たけ われ / 、ふた は和歌山へ泊れと忠告した。彼女の顔はむしろ吾々二 まゆ まじめ 自分はその時急に母や兄のことを思い出した。眉を人の利害を標的にしてものを言ってるらしく真面目に うすま なみもてあそ 焦す火のごとく思い出した。狂う風と渦巻く浪に弄ば見えた。自分は下女の言葉を信ずれば信ずるほど母の ら れつゝある彼等の宿が想像の目にあり / \ と浮んだ。 ことが気になっこ 0 ねえ みちのり 「姉さんたいへんなことになりましたね」と自分は 防波堤と母の宿との間にはかれこれ五六町の道程が あによめ 嫂を顧みた。嫂はそれほど驚いた様子もなかった。 あった。波が高くて少し土手を越すくらいなら、容易 こが ひ しやみせん おそ とま あおお

7. 夏目漱石全集 10

すいこでん に宿泊した″銀水れ旅館での印象が素材になっている。 六四 ( 1 ) 水滸伝中国の長編小説。宋代の群盗一〇八人 とうづくえ の勇猛な物語で、宋代または明代に作られたといわれる ( 2 ) 唐机紫檀で作った中国風の机。 てんのうじ が作者不明。なお、天秤棒のようなものをふりまわす人 六三 ( 1 ) 天王寺「四天王寺ーの略。推古天皇元年 ( 593 ) 物というのはこの小説に出てくる花和尚魯智深をさす。 に日本で初めての寺として聖徳太子が建てたと伝える。 枩 ( 1 ) 茶座敷茶室のこと。 今度の戦災でほとんど焼失した。なお、天王寺区などの ありま ごとく地名。駅名ともなっている。 ( 2 ) 有馬神戸市兵庫区有馬町。日本最古と伝える なかしま 温泉があり、六甲山の北で、三方が山にかこまれ夏でも ( 2 ) 中の島大阪市内の淀川にある川中島の名。明 涼しいので京阪の避暑地となっている。 治二十四年 ( 1891 ) 、大阪市最初の公園が開設されて現在 ( 3 ) 和歌の浦和歌山市和歌の浦町。その海岸。古 まで存続し、市役所・公会堂などがある。 せんにちまえ 来、詩歌にも詠まれた景勝地。 南区河原町にある大阪の娯楽街の中心 ( 3 ) 千日前 ろうどう 地。当時、寄席や見せ物でにぎわっていたが、明治四十七 0 ( 1 ) 腹心の郎党どんなことでも打ち明けて相談し たりできる家臣。「郎党」はふつう「郎等」と書く。 五年 ( 1912 ) に大火があった。 きんす 七一 ( 1 ) 金子「子」は接尾語。おかね。 ( 4 ) 大阪城の石垣大坂城の石垣の石は、豊臣秀吉 しこう 七一一 ( 1 ) 伺候ごきげんをうかがうこと。 がこの城を築いたとき、瀬戸内海の島々から船で堺港へ す ふだんの程度よりたくさんお 運んだもので、巨石には名称がつけられており、最大の 七三 ( 1 ) お過ごしなさい 飲みなさい。 ものは高さ約六メートル、横約一五メートル、加藤清正 たいへいらく ( 2 ) 太平楽言いたい放題。でたらめ。 ( 肥後守 ) が小豆島から運んできたと伝える肥後石であ なだまん る。 ( 3 ) 灘万大阪市東区今橋五丁目にある有名な料亭。 ( 4 ) まな鰹カツオの一種。その切り身の味噌漬が ( 5 ) 天王寺の塔四天王寺には有名な五重の塔、六 灘万の名物となっている。 時堂があった。五重塔は今度の戦災で焼けたが、最近再 ふるまいさけ 建された。 七四 ( 1 ) 振舞酒もてなしの酒。 恭つお 399

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人 行 ろがあった。 自分は行李を絡げる努力で、顔やら背中やらから汗 そで がたくさん出た。腕捲りをしたうえ、浴衣の袖で汗を 容赦なく拭いた。 「おい暑そうだ。少し扇いでやるが好い」 しすか 自分は兄夫婦の仲がどうなることかと思って和歌山 兄はこう言って嫂を顧みた。嫂は静に立って自分を はす から帰ってきた。自分の予想ははたして外れなかった。 扇いでくれた。 自分は自然の暴風雨についで、兄の頭に一の旋風が 「なによござんす。もうじきですから」 自分がこう断っているうちに、やがて明日の荷造り起る徴候を十分認めて彼の前を引き下った。けれども その徴候は嫂が行って十分か十五分話しているうちに、 はでき上った。 おたや ほとんど警戒を要しないほど穏かになった。 まりねすみ 自分は心のうちでこの変化に驚いた。針鼠のように とが 尖ってるあの兄を、わずかのあいたに丸め込んだ嫂の 手腕にはなおさら敬服した。自分はようやく安心した はれん、 ような顔を、晴々と輝かせた母を見るだけでも満足で あった。 きげん 兄の機嫌は和歌の浦を立っ時も変らなかった。汽車 の内でも同じことであった。大阪へ来てもなお続いて いた。彼は見送りに出た岡田夫婦を捕まえて戯談さえ あが うでまく あお 歸ってから あによめ さか しようだん 135

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返をした。そうして自分に聞えるように長い欠伸をしの」 じようだん ことま こ 0 「冗談じゃない」と自分は嫂の言葉を打った切るつも ねえ 「姉さんまだ寐ないんですか」と自分は煙草の煙の間 りで言った。すると嫂は真面目に答えた。 から嫂に聞いた。 「あらほんとうよ二郎さん。妾死ぬなら首を縊ったり きらい 「え \ だ 0 てこの吹き降りじゃ寐ようにも寐られな咽喉を突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌よ。大 いじゃありませんか」 水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息 「僕もあの風の音が耳に付てどうすることもできない。な死に方がしたいんですもの」 電燈の消えたのは、なんでもこゝいら近所にある柱が 自分は小説などをそれほど愛読しない嫂から、はじ 一本とか二本とか倒れたためだってね」 めてこんなロマンチックな言葉を聞いた。そうして心 「そうよ、そんなことをさっき下女が言ったわね」 のうちでこれはまったく神経の勗奮から来たに違いな かあ 「お母さんと兄さんはどうしたでしよう」 いと判じた。 あたし 「妾もさっきからそのことばかり考えているの。しか 「なにかの本にでも出てきそうな死方ですね」 なみ しまさか浪ははいらないでしよう。はいったって、あ「本に出るか芝居で遣かしらないが、妾や真剣にそう わらや うそ ふたり の土手の松の近所にある怪しい藁屋ぐらいなものよ。 考えてるのよ。嘘だと思うならこれから二人で和歌の 持ってかれるのは。もしほんとうの海嘯が来てあすこ浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、い っしょに飛び さら 界隈をすっかり攫っていくんなら、妾ほんとうに惜い 込んでお目に懸けましようか」 ことをしたと思うわ」 「あなた今夜は昂奮している」と自分は慰撫めるごと 「なぜ」 ~ 、一一 = ロった 0 ものすご 「なぜって、妾そんな物凄いところが見たいんですも「妾のほうが貴方よりどのくらい落ち付いているかし がえり かいわ、 あくび やる まじめ こうふん しにかた なだ 122

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行 ぎづ歩 あたし 「どうしますって、妾女だからどうして好いか解らな に三階の座敷まで来る気遣いはなかろうとも考えた。 おっ しかしもし海嘯が一度に寄せて来るとすると、 いわ。もし貴方が帰ると仰しゃれば、どんな危険があ さら 「おい海嘯であすこいらの宿屋がすっかり波に攫われったって、妾いっしょに行くわ」 ることがあるかい」 「行くのは構わないが、 , ー・ー困ったな。じや今夜は仕 とま かた 自分はほんとうに心配のあまり下女にこう聞いた。方がないからこゝへ泊るとしますか」 下女はそんなことはないと断言した。しかし波が防波「貴方がお泊りになれば妾も泊よりほかに仕方がない ひとり みずうみ わ。女一人でこの暗いのにとても和歌の浦まで行くわ 堤を越えて土手下へ落ちてくるため、中が湖水のよう 冫ーし力なしから」 冫いつばいになることは二三度あったと告げた。 かんちが「 うち 「それにしたって、水に浸った家はたいへんだろう」 下女は今まで勘違をしていたと言わぬばかりの目遣 ふたりみくら と自分はまた聞いた。 をして二人を見較べた。 下女は、たかみ \ 水の中で家がぐる / 、回るくらい 「おい電話はどうしても通じないんだね」と自分はま なもので、海まで持っていかれる心配はまずあるまい た念のため聞いてみた。 のんき こた と答えた。この呑気な答えが心配のなかにも自分を失「通じません」 笑せしめた。 自分は電話ロへ出て直接に試みてみる勇気もなかっ 「ぐる / ( \ 回りやそれでたくさんだ。そのうえ海までた。 持ってかれたひにや好い災難じゃないか」 「じゃしようがない泊ることに極めましよう」と今度 むか 下女はなんとも言わずに笑っていた。嫂も暗い方かは嫂に向った。 「え、 ら電燈をまともに見はじめた。 「姉さんどうします」 彼女の返事はいつものとおり簡単でそうして落付い ( 1 ) つなみ あなた とまる おちっ わか めろかい 以 5