どうかしているんですよ。そんな下らないことはこれがあ 0 た。その鋭さが自分の耳に一種異様の響を伝え こ 0 ぎりにしてそろ / 、 \ 帰ろうじゃありませんか」と言っ 「女の心たって男の心たって」と言い掛けた自分を彼 さえぎ は急に遮った。 「お前は幸福な男だ。おそらくそんなことをまだ研究 兄は突然自分の手を放した。けれども決してそこをする必要が出てこなか 0 たんだろう」 「そりや兄さんのような学者しゃないから : : : 」 動こうとしなかった。元のとおり立ったまゝなにも言 「財鹿いえ」と兄は叱り付けるように叫んだ。 わすに自分を見下した。 まえひと 「書物の研究とか心理学の説明とか、そんな回り遠い 「お前他の心が解るかい」と突然聞いた。 今度は自分のほうがなにも言わずに兄を見上げなけ研究を指すのじゃない。現在自分の眼前にいて、最も 親しかるべきはすの人、その人の心を研究しなければ、 ればならなかった。 いても立ってもいられないというような必要に出っ 「僕の心が兄さんには分らないんですか」とや、あい だを置いて言 0 た。自分の答には兄の言葉より一種のたことがあるかと聞いてるんた」 最も親しかるべきはすの人といった兄の意味は自分 根強さが籠っていた。 にすぐ解った。 「お前の心は己によく解っている、と兄はすぐ答えた。 「兄さんはあんまり考えすぎるんじゃありませんか、 「じゃそれで好いじゃありませんか」と自分は言った。 「いやお前の心じゃない。女の心のことをいってるん学問をした結果。もう少し馬鹿にな 0 たら好いでしょ むこ 兄の言語のうち、後一句には火の付いたような鋭さ「向うでわざと考えさせるように仕向けてくるんだ。 こ 0 みおら わか おれ わか しか
日ロ iiff" ない、窮するのは自分の心たというのは何という深い真実であろう。この主題はやがてもっと痛烈 なかたちで『こゝろ』にひきつがれるそれでもある。だが、ここで何よりも恐ろしく感じられるの - は、他人の心を「そのほんとうのところ」まで知ろうとすれば、遂にはその心を試さねばならなく なるという恐ろしさである。一郎はそのために二郎という道具を使うことをも辞さなかった。他人 の心をためすことは、またそれを弄ぶことを免れない。二郎もお直も、究極的には一郎に心を弄ば れたことになるからである。「倫理」のために行なうそのことが、かえって人の道を踏みはずすこ とになりかねぬという、 人はあまりに倫理的であろうとすれば自分をも相手をも毀すことになると 一郎の狂態は、 いう、そのディレンマのために一郎はいよいよ孤独地獄に堕ちて行かざるを得ない。 芝居を打って王の良心を罠にかけようというハムレットのそれに似ている。だがこの試みで二郎が 知り得たことは何ひとつ一郎の役には立たないのである。 うちじゅう 〈下女が心得て立ていったかと思うと、宅中の宅燈がばたりと消えた。黒い柱と煤けた天井で たゞさえ陰気な部屋が、今度は真暗になった。自分は鼻の先に坐っている嫂を嗅げば嗅がれるよ うな気がした。 「姉さん怖かありませんか」 「怖いわ」という声が想像したとおりの見当で聞こえた。けれどもその声のうちには怖らしい こわ
人 らてきました。 す。 「椅子ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸私は兄さんの話を聞いて、はじめてなにも考えてい けたか いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。 ない人の顔がいちばん気高いと言った兄さんの心を理 ・わすかに自己の所有として残っているこの肉体さえ解することができました。兄さんがこの判断に到着し たのは、まったく考えたお蔭です。しかし考えたお蔭 ( この手や足さえ ) 、遠慮なく僕を裏切るくらいだか 、、ム・つがし でこの境界にははいれないのです。兄さんは幸福にな ことば 兄さんのこの言葉は、好い加減な形容ではないのでりたいと思って、たヾ幸福の研究ばかりしたのです。 ・す。昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対 岸にあったのです。 えた結果として、今はこのカの威圧に苦しみだしてい るのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうと 私はとう / \ 兄さんの前に再び神という言葉を持ち も、一応それを振り返って吟味したうえでないと、決出しました。そうして意外にも突然兄さんから頭を打 して前へ進めなくなっています。たから兄さんの命のたれました。しかしこれは小田原で起った最後の冪で せつな / 、 洗れは、刹那々々にぼっ / 、中断されるのです。食事す。頭を打たれるまえにまだ一節ありますから、ます 中一分ごとに電話ロへ呼び出されるのと同じことで、 それから御報知しようと思います。しかしまえにも申 ちがい あなた 苦しいに違ありません。しかし中断するのも兄さんのしたとおり、貴方と私とはまるで専門が違いますので、 ものしり 心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さん私の筆にすることが、時によると変に物識めいたよけ っ は詰まるところ二つの心に支配されていて、その二つ いな言い草のように、貴方の目に峡るかもしれません。 しゅうと の心が嫁と姑のように朝から晩まで責めたり、責めらそれで貴方に関係のない片仮名などを入れる時は、な ちゅうちょ れたりしているために、寸時の安心も得られないのでおさら躊躇しがちになりますが、これでも必要と認め す かげん かたかな
むこ 自分はこの答を聞くと同時に立った。そうして、こ じているような気持がするたけで、実際向うとこっち とは身体が離れているとおり心も離れているんたから とさらに兄の腰を掛けている前を、さっき兄が遣った と同じように、しかしまったく別の意味で、右左へとしようがないじゃありませんか」 むとんじゃく 二三度横切った。兄は自分にはまるで無頓着に見えた。「他の心は外から研究はできる。けれどもその心に為 おれ ってみることはできない。そのくらいのことなら己た 両手の指を、少し長くなった髪の間に、櫛の歯のよう に深く差し込んで下を向いていた。彼はたいへん色沢って心得ているつもりだ」 、のう 兄は吐き出すように、また願そうにこう言った。自 の好い髪の所有者であった。自分は彼の前を横切るた あとっ しつこく 分はすぐその後に跟、こ。 びに、その漆黒の髪とその間から見える関節の細い、 きやしゃ 華奢な指に目を惹かれた。その指は平生から自分の目「それを超越するのが宗教なんじゃありますまいか。 には彼の神経質を代表するごとく優しくかっ骨張って僕なんぞは馬鹿たから仕方がないが、兄さんはなんで たち 映った。 もよく考える性質だから : : : 」 だれ 「兄さんーと自分が再び呼掛けた時、彼はようやく重「考えるたけで誰が宗教心に近づける。宗教は考える ものじゃない、信じるものた」 そうに頭を上げた。 兄はさも忌々しそうにこう言い放った。そうしてお 「兄さんに対して僕がこんなことをいうとはなはだ失 いて、「あ、己はどうしても信じられない。どうして 礼かもしれませんがね。他の心なんて、いくら学間を わか したって、研究をしたって、解りつこないだろうと僕も信じられない。たヾ考えて、考えて、考えるだけた。 は思うんです。兄さんは僕よりも偉い学者だからもと二郎、どうか己を信しられる様にしてくれ」と言った。 - 」とば りつば 兄の言葉は立派な教育を受けた人の言葉であった。 よりそこに気が付いていらっしやるでしようけれども、 こども いくら親しい親子だって兄弟たって、心と心はたヾ通しかし彼の態度はほとんど十八九の子供に近かった。 よびか えら いろつや はな
いわく言いがたい不可解な気分が最後までつきまとう。二郎自身にその気 てあるとは一言いがたし があろうとなかろうと、彼は兄からこの嫂を奪う結果にな 0 たかもしれない。単なる衝動からそう いっそそのほうが、という理由だってなかったとは言い切れまい。しかし なったかもしれないし、 作者は「そのほんとうのところ」を ( ッキリとは書いていない。その代りに、もっともっと恐ろし い事をさりげなく書いているのである。 《自分は、自分にもっと不親切にして構わないから、兄のほうにはもう少し優しくしてくれろ と、頼むつもりで嫂の目を見た時、また急に自分の甘いのに気が付いた。嫂の前へ出て、こう差 しんそこ し向いに坐ったが最後、とうてい真底から誠実に兄のために計ることはできないのだとまで思っ た。自分は言葉には少しも窮しなかった。どんな言語でも兄のために使おうとすれば使われた。 けれどもそれを使う自分の心は、兄のためでなくってかえって自分のために使うのと同じ結果に なりやすかった。自分は決してこんな役割を引き受けべき人格でなかった。自分はいまさらのよ うに後悔した》 ( 「兄」三十一 ) 嫂の心をためせ、と命じられて出てきた二郎は、結局嫂の心には十分はいり込むことができぬま ま、他でもない自分の心をためすことになるのである。それにしても、人間は言葉には少しも窮し
る人物を通して兄の正体を試そうと図らずにはいられなくなるのである。このようなものが一郎の 「倫理」のカであり、『行人』という小説の姿である。それはともかく、二郎とお直の和歌山の一 夜を描いた数節は、あやしい戦きにみちていると同時に、やはり何ともいわれぬ美しさで私どもの 心を打つ。 しかし、これほどの無謀、これほどの冒をあえて重ねようとも、人間の心が、「そのほんとう のところ」が判るわけではない。和歌山から帰った二郎に「姉さんの人格について、お疑いになる ところはまるでありませんー ( 「兄」四十一一 D といわれたって一郎には何の足しにもならない。そん なことは初めからわかっているようなものだからである。夫婦というもの、男と女の交わりという ものが、こうした背信の上にしか成立たぬものである以上、「死ぬか、気が違うか、それでなけれ ば宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」 ( 「塵労」三十九 ) 。この命題はしばしば人 によって引かれるものだが、これの容易ならざるは、それが人と共に生きるための倫理であるため には相手にもまったく同じことを要求してやまないということである。一郎が三沢の「娘さん」の キ一ちが、 話を聞いて、「あゝ / イ、女も気狂にしてみなくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」 ( 「兄」十一 l) 論と嘆息するのはそういう意味であろう。ここでは誰も一郎のために死ぬ人間はいよい。しかし、お 直は「死ぬことだけはどうしたって心のうちで忘れた日はありやしないわ」 ( 「兄」三十八 ) と二郎の 作 ぬけがら に心のうちを垣間見せるような女であり、気が違ってはいないまでも、一郎のために「魂の抜殻」
「夢は正直である。然し時に不逞なものである」かういっても足りるわけだ。然しそれでは懺 悔にならぬ。「自分は比較的正直者である。然し自らも驚く程不逞なものを持ってゐる」かうい 〈ば多少懺悔の形をなすが、此場合は形が主であって、事の真をいってゐるとはい〈ない。所が てんぜん 耻しらずな性質があって、気楽に、「こんな夢を見た」と恬然としていふものがあるとする。そ の場合にはその人間の性格が簡単に出るだけであって、さうでない人間が、若し同じ事を無理に するとすれば恐らく性格的にウソになりさうに思はれる。 かうなると絶対に真実な懺悔などいふものはあり得ないかも知れぬ》 ( 志賀直哉「手帖から」 ) 「他の心なんて、いくら学問をした 0 て、研究をした 0 て、解り 0 こないだろうと僕は思うんで す。兄さんは僕よりも偉い学者だからもとよりそこに気が付いていら 0 しやるでしようけれども、 いくら親しい親子だ「て兄弟だ 0 て、心と心はた通じているような気持がするだけで、実際向う とこっちとは身体が離れているとおり心も離れているんだからしようがないじゃありませんか」 ( 「兄」二十一 ) といって兄の苦悶をなだめようとする二郎も、直哉がいうような意味でなら不正直 常人は皆、意識するにしろしないにしろ直哉ふうに自分を処理している。 な人間だとはいえない。 どじよう だが一郎は「ほとんど砂の中で狂う泥鰌のよう」に「絶対に真実な懺悔」を求める。彼の倫理は行 きつくところまで行かねばならず、遂には紀三井寺の山上の場面にまで追いつめられるのである。 386
行人 には世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人「君でも一日のうちに、損も得も要らない、善も悪も 間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなに考えない、たゞ天然のま、、の心を天然のま、顔に出し むこがわ かで、ふと目を上けて向う側を見ると、 いかにも苦のていることが、一度や二度はあるたろう。僕の尊いと いうのは、その時の君のことを言うんだ。その時に限 なさそうな顔に出っ食わすことがある。自分の目が、 きざ ひとたびその邪念の萠さないぽかんとした顔に注ぐ瞬るのた」 おぼっか 間に、僕はしみん ( \ 嬉しいという刺激を総身に受ける。 兄さんはこう言われても覚東なく見える私のために、 、ー ) こら ) にノ ゅうべふたり 僕の心は旱魃に枯れかゝった稲の穂が膏雨を得たよう 具体的な証拠を示してやるというつもりか、昨夜二人 よみが に蘇える。同時にその顔ーーー何も考えていない。まっ が床に入るまえの私を取ってきてその例に引きました。 おちつきはら はずみ けだか たく落付払ったその顏が、たいへん気高く見える。目兄さんはあのおり談話の機でつい興奮しすぎたと自白 そうさく が下っていても、鼻が低くっても、雑作はどうあろうしました。しかし私の顔を見たときに、その激した心 うけが とも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近の調子がしだいに収まったというのです。私が肯おう ひざま とんじゃく い敬虔の念をもって、その顔の前に跪すいて感謝の意と肯うまいと、それには頓着する必要がない、たゞそ を表したくなる。自然に対する僕の態度もまったく同の時の私から好い影響を受けて、一時的にせよ苦しい もてあそ じことた。昔のようにたゞうつくしいから玩ぶという 不安を免かれたのたと、兄さんは断言するのです。 ん 心持は、今の僕には起る余裕がない」 その時の私は前言ったとおりです。たヾ煙草を吹か 兄さんはその時電車のなかで偶然見当る尊い顔の部して黙っていただけです。私はその時すべてのことを わたくし 類のうちへ、私を加えました。私は思いも寄らんこと忘れました。独り兄さんをどうにかしてこの不安の裡 たと言って辞退しました。すると兄さんは真面目な態から救ってあげたいと念じました。けれども私の心が 度でこう言いましこ。 兄さんに通じようとは思いませんでした。また通じさ かんばっ で ましめ たっと まぬ
て考えがちであり、ことに母が、二郎が家を出て独立ら , といったり、「妾のほうが貴方よりどのくらい落 の生活をすることを望んでいるのは、何かの気持のっち付いているか知れやしない。たいていの男は意気地 ながりを、二人の間に想像しているからなのであろう なしね、いざとなると、と、嵐の晩、闇の中で語るお しかも一郎のお直に対する疑惑は、二郎が家を出る直には、「いざとなった」ことが前にあったようにも ようになってもかわらない。二郎とお直が和歌の浦に思われるし、少なくとも何か我々に説明されていない 心の経験がありそうである。 一泊したのち、何事もなかったという報告は信じたに しても、二郎が家を出るときいて、「一人出るのかい」 同じ時に、「いつでも覚悟ができてるんですもの」と という、ヒステリックで皮肉な間いを発したり、また彼女ははっきり言う。「覚悟」とは何であろう。漱石 おそ 二人の間をパオロとフランチ = スカにくらべて、「おの下した説明をさがしてみれば「初めから運命なら畏 前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとれないという宗教心を、自分一人で持って生れた女ら おそ するつもりだろう」 ( 「帰ってから」二十八 ) という、 しかった。その代り他の運命も畏れないという性質に 不穏なことばを出したりするところを見ると、一郎は見えた」 ( 「塵労」四 ) というのが、その「覚悟」にあ あくまでお直の心が二郎に傾いているという、 動かすたるかもしれない。そうとして見れば、二郎がもしそ べからざる感情を変えていないのである。 の気になって積極的に働きかければ、彼女はその運命 何ゆえこういう疑惑を抱かねばならなかったか。そを二郎の手にゆたねることにもなり兼ねまい の事情が我々にはやや不可解である。「死ぬことだけ彼女自身は別にコケットではない。美子のように はどうしたって心のうちで忘れた日はありやしないわ。フラーテーションをも弄しない。「親の手で植付けら だから嘘たと思うなら、和歌の浦まで伴れて行ってちれた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、誰か ようだい。きっと浪の中へ飛込んで死んでみせるか来て動かしてくれない以上、とても動けやしません」 ひと たち 37 イ
作品論 楽なことを言わせる。そして、結婚してからあんなふうに仲睦まじくできたらさぞ仕合わせだろう という気持にもさせる。これは二郎が一郎と違って正常に女を享楽できるありふれた青年だからで もあるが、同時に作者は、満ち足りた若妻がわれ知らずふりまく媚態で相手に好意を抱いているか これこそ兄の一郎に「結婚をして一人の人間が のようにふるまういやらしさを見逃がしていない。 二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い」 ( 「帰ってから」六 ) といわせ るところのものである。幸福なお兼にくらべてお直は不幸であるが、人妻のきわどさという点では まったく同じである。 だが一郎は、女に対して二郎程度のことで満足できる男ではない。彼は毎日家庭と教壇の間を往 復するだけが生活のような、今でいえば遊び一つ知らぬマジメ人間の中年男であるが、妻の心を完 全に把握したいというしつこい願望に憑かれ、それが満たされないことで苦しんでいる。剣呑なの 心という名の悍馬だと知っているからだ。人妻の「人間らしい好い匂」 は淑やかな肉体ではない、 なんていうものは下等な罠であり、唾棄すべきものであると思っている。だから、まだそのからく りを知らず、女たちに気安くふるまいもすれば気安くふるまわれてもいる弟の幸福な無知がうらや ましくもあり、妬ましくもある。一郎とお直の夫婦関係がいっからか名のみのものになって凍結し てしまっているのは、勿論お直の性格にもよるが、もともと一郎がそうした心の地獄に堕ち込んで いるからである。地獄にいる人間の言葉が常人のそれとはまるで違うものであるのはあたりまえで 383