十一月三十日 ( 日 ) 午後一時ー二時牛込区早稲田南比べて見てまるで比較にならんほど顔真は尊く見え そう / ー、とんしゅ 町七番地より福島県信夫郡瀬上町門間春雄へ ると、 しいました。ますは右まで。匇々頓百 拝復あなたの覚えている画はまたありますがあれ 十一月三十日 夏目金之助 ば上げられません。下手なひどい画ですから。長塚が 門間春雄様 おくめん は、、と笑った意味はますいものをよく瞳面もなく懸 三九文展に出る日本画 げておくという意味からです。私はたゞあの趣たけが 好なのです。それで記念のためまた仕舞ってあります。 十ニ月八日 ( 月 ) 午後八時ー九時牛込区早稲田南町 七番地より」 画がお望みならひまな時になにかかいてあげますが私 ハ石川区高田老松町四十三番地津田亀次郎へ - 」ども のは画というよりもむしろ子供のいたずら見たような拝啓先日は失礼。高芙蓉の画を見てから僕も一枚 こども ものです。その小供の無欲さと天真が出ればはなはた かきましたが駄目です。 さよう ( 5 ) うれしいのですがたゞ小ぎたないところだけが小供で 今日上野の美術協会にある平泉書屋古書画展覧会と おとな 厭味は大人らしいから困ります。書でも画でもかきな うのを見に行きました。夥しい点数です。たいへん ひと おもしろ わか れないと一とおりのものはできず、また書きなれると面白い。私は文展よりもどのくらい面白かったか分ら くろうと 黒人くさくなって厭なものです。したがってどうしてない。あなたもぜひ入らっしゃい。必す参考になりま わか にせもの 好いか解りません。正岡の書の批評をしたことはもうす。なかには画は面白くても費物らしいのがずいぶん ほんとう ありがた 忘れていました。あなたの手紙を見ても思い出せませあります。なかには本当かもしれないがちっとも難有 はきだめす ん。人に書をやると正岡のことどころではありません。くないのもたくさんあります。もらっても掃溜へ棄て 自分の品位のあやしいので恐縮するだけです。このあたいのさえ交 0 ています。しかし好きなものになると ( 2 ) がんしんけい ( 3 ) はりばん たま いた人に自分の書を見せたら顔真卿の肉筆の玻璃板と堪らないのです。買おうとすれば買えるのたがとても すき いやみ おびたゞ
た。なか / 、大部な書物ですからすぐ読むわけにもゆ 夏目金之助 きません、そのうちゅる / ( 、拝見します。さっそく御 返事をあけるところでしたがいろ / \ 雑用に取り紛れ 三ニ三重吉の虚栄心と信念欠乏 て遅くなりました。これから人の結婚式に行きます。 十月十六日 ( 木 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田南町長い手紙を書いていられません。これで失礼します。 七番地より芝区三田四国町二番地一号小宮豊隆へ〔はが以上 十月二十五日 夏目金之助 き〕 和辻哲郎様 三重吉のやることは虚栄心ばかりではなく、その作 物に対する信念の欠乏から出ているのでしよう。だか ( ー ) さりぬき 三四書の依頼失念を謝す ら切抜をもっているものが二十人もあれば自分の声名 うれ 十月三十一日 ( 金 ) 午後十時ー十二時牛込区早稲田 の保証になるから嬉しいのでしよう。気の毒でもある 南町七番地より福島県信夫郡瀬上町門間春雄へ が致し方がない。僕がなにかいうのは残酷である。そ れから大将僕なんかのい うことを聞く耳をつけていな拝復御恵送の梨到着、たしかに頂きました。 私はあなたに書をたのまれたことをつい忘れてしま 。天然が彼を療治するのを待つより致し方はない。 もうしわけ いました。はなはた申訳のないことです。それからあ 三三哲郎の「ニイチェ研究ー なたの置いてゆかれた紙をなにかのついでに見て急に 十月ニ十五日 ( 土 ) 午後十時ー十二時牛込区早種田思い出しました。しかるに思い出した時はもうあなた なまえ ふつ・こうせんばん 南町七番地より府下大森山王二千六百番地和辻哲郎へ の名前を忘れていました。実際不都合千万なことでは 拝啓高著ニイチェ研究到着まさに拝受いたしましありますが事実ですから白状いたします。御依頼のも 十月十五日 津田青楓様 おそ
書 ことではないみんな自分の頭の上のことです。私はあたいのであります。私は御恵与の好意に対してそうい ちゅうしん うことを衷心から言い得るのをはなはだ満足にかっ愉 あいう意味のことで刧実な必要を感じつ、いまた未程 こうもりごと の地に迷っています。どうかしなくてはならないがど快に思うのであります。「蝙蝠の如く」は御好意に対 うもなりません。平生こうだと思い詰めたこともいざしてばかりでなく私の愛読書の一つとして永く書架に そう となるとがらりと転覆します。まったく定力が足りな蔵しておきます。失礼を申し上げるようですがあの装 幀だけは不服であります。もう少し内容と釣り合った いからだと思います。ますは右まで。匇々 おもしろ 九月一日 夏目金之助 面白いものにしたらばという気がしてなりません。こ の手紙は先に申し上げた約東を覆行して高著を読みお 沼波様 わったという御報知ではありません。むしろ通読の際 とんしゅ ニ七有島生馬の「蝙蝠の如く」 に感得した多大の興味に対する謝辞であります。頓首 九月一日 夏目金之助 九月一日 ( 月 ) 午前十時ー十一時牛込区早稲田南町 七番地より麹町区下六番町十番地有島生馬へ 有島生馬様 さしつかえ ちょうだい 宗達と光琳 七月末に頂戴した本のお礼に差支があってたゞいま は拝見がでぎないと申添えたことを記憶しております。九月ニ十六日 ( 金 ) 午後十時ー十二時牛込区早稲田 、石川区高田老松町四十三番地津田亀次 南町七番地より月 私はそれを八月の三十日三十一日の両日に読み得たと 郎へ いうことをあらためて申し上げたいのであります。そ すくな うして通読の際尠からざる興味をもち、またその興味昨日は失礼いたしました。今日上野の表慶館へ参りア が読了の後今ゆたかにつヾきつ、あることを申し上げましたとこみ宗の画がだいぶ出ていました。なんだ てんぶく っ
早稲田南町の自宅庭にて ( 大正 3 年 12 月 ) 右長男純一、左次男伸六
」書 七月三十日 ニニ豊一郎のヴェデキンド誤訳 三重吉様 八月七日 ( 木 ) 午後十時ー十二時牛込区早稲田南町 ニ一青楓の赤子誕生 七番地より府下巣鴨町上駒込三百三十四番地野上豊一郎 へ 八月五日 ( 火 ) 午前九時ー十時牛込区早稲田南町七 番地より」 ハ石川区高田老松町四十三番地津田亀次郎へ 先達ては失礼いたし候。さてかねて御翻訳のヴェデ ( 3 ) あかん坊が生れたそうでお目出とうございます。しキンドの一節読売へ御発表のところ右を金沢の山本迷 なまえ かも男の子たそうでなおさら結構です。名前はまだっ羊氏一見あのうちに誤謬ザット見たところで二十箇所 ぞう かないですか。八月の三日に生れたから八三はいかゞあると申し候ふ由。それを小宮が聞き自分で調べたら 0 0 べつけん です。安々と生れたから安丸 ( ャスクウまレル ) では山本の言のごとく暼見の下に別紙のとほり間違ひある ひとり カズト 不可ませんか、双児たと思ったら一人たから一人またを見出し候ふ由。もっともこれはちょっと見たたけで はイチニンはどうです。ど、・ ナしふ長く待ったから長松はあとは面倒だから已めたと申し候。こ、に御参考まで たかたおいまっちょう 変ですか。高田老松町で生れたから高松では可しい に別紙貴覧に供し候。目下誤訳指摘八ケ釜折柄御注意 ばかげ ですか。いずれも雑談半分な意味で馬鹿気ていますね、しかるべしと存じわざと御報知いたし候。以上 名前は実際つけにくいものです。いすれそのうち。以 八月七日 金之助 上 豊一郎様 八月五日 夏目金之助 ニ三豊隆に仕事周旋 津田青楓様 八月九日 ( 土 ) 午後三時ー四時牛込区早稲田南町七 ふたご 金之助 353
書 ていました。 ( 4 ) さ、あめ 笹飴は私はたった一つしか食べません。あとはみん こども な小供が食べてしまいました。そうして笹を座敷中へ 散らばらしていやはやたいへんな有様です。 ( 5 ) 御普請ができて結構です。見に行きたいがあのガン ギというものを思い出すと実に恐れ入ります。いやな そう / 、、とんしゅ ものですね。ますはお礼まで。草々頓 ~ 目 一かにと笹飴 一月十二日 夏目金之助 一月十三日 ( 月 ) 午前十時ー十一時牛込区早稲田南 森成麟造様 町七番地より高田市横町森成麟造へ ( 2 ) だいぶ長いお手紙が参りました。かにの御自曼には奥さまへよろしく 恐れ入りました。「行人」のなかにかにの珍味なるこ ニ青楓の小説を評す とをちょっと書きました。五六日うちに出てきますか ら御覧ください。もっともかにだのあなたを悪くいう 一月十三日 ( 月 ) 午後一時ー二時牛込区早稲田南町 - なぐさみ 七番地より」 ハ石川区高田老松町四十一番地津田亀次郎へ つもりはありません。たゞの滑稽のお慰にすぎません そろ からどうぞそのつもりでお笑いくださいまし。おこっ このあひたは合作のとき大お世話に相成候。あの画 ちゃいやですよ。 は記念のため取っておきたいと存し候。さて先たって ( 3 ) りようあんちゅう 諒闇中のお正月だけあってなか / \ 閑静です。来お送りの小説拝見いたし候。ものが外国ものゆゑ新ら ひとり 客の一人がいつもこんな呑気なお正月がしたいと申ししく存じ候。しかし割合に興味が乗らないのは残念に 書簡 大正ニ年 のんき 3
故人に疎遠に相成るやうの傾はなはだ申訳なく候。四 いたりです。あのくらいな大きな画を書いて布地と絵 十を越し候ふと人間も碌なことには出合はすたゞかう 具で打ち壊わすのは惜いではありませんか。 したいと思ふのみにて何事もさうできしことこれなく 私はもう画を切り上けよう / ( 、と思いながらまた書 まうろく 耄碌の境地も眼前に相見え情なく候。お〈はたぶん いています。今度来たらまた見て忠告をしてくたさい。 そう / 、とんしゅ 参られることと存じをり候。万事はその節匇々頓首このあいだいろ / \ いってもらったのでたいへん利益 六月十日 金之助 を得ました。というと画がかけるようで可笑しいです 虚子先生 近ごろはなか / イ \ かけますよ。三日に一つくらい こしら ひとりなが ( 3 ) 座右 傑作を拵えては一人で眺めています。水彩画展覧会の ( 4 ) ほうも見ました。小杉未醒のスケッチが面白うござい 一五大平洋画会の青楓の屏風 ました。どの画を見ても下手な自分と比較すると偉大 六月十一日 ( 水 ) 午後十時ー十二時牛込区早稲田南です。どうして日本にこんな奇麗な画をかく人がたく 町七番地よりト , 石川区高田老松町四十三番地津田亀次郎さんあるかと驚きます。いろ ' ・ ~ \ くだらぬことを申し へ 上げました。さようなら。 ( ママ ) 啓上先だって上野へ行って太平洋画会を見ました。 六月十二日 夏目金之助 ( 2 ) びようふ あなたの屏風を別の室から拝見した時はたいへん雄大 津田青楓様 おもしろ で面白いと思いました。ところがそばへ行ってよく見 あふらえのぐ 一六病症は胃潰瘍 るとあの布地へ油絵具を使ったのはどうしても下品で 毒々しい感がして残念でした。もしこれが普通の屏風 六月十八日 ( 水 ) 午後十時ー十二時牛込区早稲田南 で日本絵具で描いてあったらと思うとはなはだ遺憾の 町七番地より静岡県駿東郡富士岡村神山勝又和三郎へ あひな あひみ こ
追っけ行人のつゞぎを書いてしまってそれから新しい ニ五暑中便り ものでも書くことになるでしよう。一昨日は暴風雨、 きのうきよう 八月ニ十九日 ( 金 ) 午後一一一時ー四時牛込区早稲田南昨日今日は快晴、急に秋の気持になりました。栗も柿 まったけ懸ん 町七番地より山口県山口町金古曾九十番地野村伝四へ もそろ / \ 出るたろう。松茸も膳に上るだろう。今庭 かわり でが鳴いている。風が晴れた空を渡ってすこぶる好 暑いのにお変もなくて結構です、私も変りはない。 おちっ 病後の身体もどうかこうかひとます落付いたらもう少い天気です。 ますは右まで。横地君へよろしく匇々 しは生きられそうです。高商のほうができ御家族引き 八月二十九日 夏目金之助 まとめお呼び寄せのよし、はなはだ好都合です。その こども 野村伝四様 うえ暮しも安く家もひろく申し分はない。子供も生れ めでた る、女ではある、これまた文句はない目出度いことば ニ六全実在探究の瓊音へ カり、小生方の子供製造は鉱脈も掘り尽したと見えて 九月一日 ( 月 ) 午前十時ー十一時牛込区早稲田南町 その後とんと掘りあてす。 七番地より本郷区駒込西片町十番地沼波武夫へ 橋ロは先たって中脚気でなやんでいたがその後また ちょうだい わか 啓はじめて確信し得た全実在は頂戴した。その日 見舞に行かぬため容体も分らずたぶん全快したろうと に読みました。私はなによりさきにあなたの意気とあ 思う。皆川が鹿児島から帰省の途中ちょっと寄ってく なたの心持とに感服いたしました。近ごろは小説も評 れた。僕も小供がたん / \ 大きくなる ( 筆は十五だ しようが、 せまくる よ ) 家は狭苦しい金があれば地面をかって生涯の住居論もいくらでも出ます。しかしあ、いう方面のことは だれも考えていません。ところがあ、いう方面のこと でも建てるところだがそうもゆかす小供の勉強室もな くて気の毒な思をしています。新聞はなまけています。は窮所まで行くとぜひとも必要になってきます。人の せん せみ おと、 356
六月二日 一三病気快復 伝四様 六月ニ日 ( 月 ) 午後 ( 以下不明 ) 牛込区早稲田南町 一四虚子への無沙汰 七番地より山口県山口町山口国学院野村伝四へ 六月十日 ( 火 ) 午前九時ー十時牛込区早稲田南町七 啓君の手紙が来た時は病気で寐ていたので返事も 番地より牛込区市谷船河原町ホトトギス発行所高浜清へ 出すことができず残念であった。その後快復はしたが ありがたく おっくう 啓相模のちり御採録くだされ候ふよしにて難有存 やはり病後のことでつい筆を執るのが億劫なものだか そろ らつい今日までなにも書かなか 0 た。僕の病気ようやじ候。あれは未知の人なれどせ 0 かくゆゑたゞ小生の く癒 0 たからまず安心してくれたまえ。それから君が寸志にてしか取り計ひたるまでに候。紹介様のもの御 岡山を去 0 た顛末は君の手紙で委細承知した。冊なこ人用のよしゅゑわざとばかり認め申し候。近ごろい 0 とのあるのが世の中だとあきらめたまえ。そのうちまかうお目にからす健康も時々御違和のよし承はりを いことが巡回してくるだろうから。山口では書生り候〈どもっとに御全快のこととのみ存じをり候ひし ごなんじふ おもしろ にいまたにお粥と玉子にてお凌ぎはさだめて御難渋の と同宿のよし久しぶりでの書生生活ものん気で面白い しんぼう こととお察し申し上げ候。それではひとの病気どこ「つ だろう。ます / \ 辛抱したまえ。勉強は巳めぬよしこ みまひじゃう にてはこれなくお見舞状を受けてかへって痛み入る大 んな結構なことはない。小生は教師をやめてから字引 はほとんど引かない。自分でも可笑しいくらいである。第に候。 を、しよら′わ ホトトギスは漸次御発展のよしこれまた恭賀、小生 ドイツやフランスをものにしようと思うが時間が足ら え むさぼ も何か差し上げたき所存だけはとうからこれあり候へ ず近ごろは病後ほしいま、に閑を貪って画ばかりかい かくひっ ども身体やら心やらその他いろ / \ の事情のためつい ている。半切がこ、で尽ぎたからまず擱筆す。 さがみ かゆ 新んし しの 金之助 3 仆
のうへなんとか御都合相願ひたし ( 電話にてよろしを載せるといふ契約を電話で取り極め候ふゅゑ右はな すゐ いっぺん く ) 。小生も出ると極まればもう一遍本人に帰して推はだ遅れがちにて御迷惑とは存じ候へども御承諾くだ 薇やら書き直しやら致させたきゅゑちょっと右伺ひ候。されたく候。 お寺はお寒いことと存じ候。老生夜は火鉢とストー 余は扞眉万々 プにて凌ぎをり候。匇々 夏目金之助 二月二十六日 夏目金之助 三月四日 山本松之助様 中勘助様 四中勘助の「銀の匙 , 朝日へ紹介 ( 一 D 追白あれは新聞に出るやう一回ごとに段落をつけ 三月四日 ( 火 ) 牛込区早稲田南町七番地より下谷区上て書き直ししかるべく候。ことに字違ひ多く候ふゅゑ 御注意専一に候。それからむやみと仮名をつヾけて読 野桜木町四十四番地真如院内中勘助へ 久々の御無沙汰お宥しくだされたく候。かねておあみにくくも候。それには字とかなと当分によろしく御 さふら づかり申し上げ候ふ小説実は僕のあとへと思ひそのむ混交しかるべきか。 ( 2 ) ね社へ懸け合ひ候ふところ渋川氏在社のみぎり与謝野 五中勘助の「銀の匙」朝日へ紹介 ( 三 ) 冫 , 1 から帰ったら書かせる約東をしておいた の妻君こ。、丿 三月十六日 ( 日 ) 午後十一時ー十二時牛込区早稲田南 とかにて先方で四月一日ごろからのつもりで書いてを むか 町七番地より小石川区小日向水道町九十二番地中勘助へ るよし、もっとも小生の小説が存外早く終り、向うの 拝啓君の小説は小生の次に掲載することに相成り 準備が思ふやうはかどらねば大兄の分を先にするかも しれねど、さもなくば品子夫人のを先にすることに候。 与謝野の妻君は目下懐妊中にて執筆困難のよし社へ 相談相極め中し候。その代りその後にはきっと大兄の たいけい しの 343