人 行 って、あすの晩の急行だから、もうじきです。そのう おちっ 罕四 えで落付いて僕の考えも申し上けたいと思ってますか けんこっ ら」 自分はその時場合によれば、兄から拳骨を食うか、 あびか 「それでも好い」 または後から熱罵を浴せ掛けられることと予期してい 兄は落付いて答えた。今までの彼の癇を自分の信 た。色を変えた彼を後に見捨てて、自分の席を立った・ 用で吹き払い得たごとくに。 くらいだから、自分は普通よりよほど彼を見縊ってい ちがい 「ではどうか、そう願います」と言って自分が立ち掛たに違なかった。そのうえ自分はいざとなれば腕力に うな そな けた時、兄は「あゝ」と肯ずいて見せたが、自分が敷訴えてでも嫂を弁護する気概を十分具えていた。これ もど 居を跨ぐ拍子に「おい二郎」とまた呼び戻した。 は嫂が潔白だからというよりも嫂に新たなる同情が加 「詳いことは追って東京で聞くとして、たゞ一言たけわったからというほうが適切かもしれなかった。言い ようりよう 要領を聞いておこうか」 換えると、自分は兄をそれだけ軽蔑しはじめたのであ ねえ てきがいしん 「姉さんについて : : : 」 る。席を立っ時などは多少彼に対する敵愾心さえ起っ 「むろん」 ゆかたた、 「姉さんの人格について、お疑いになるところはまる 自分が室へ帰ってきた時、母はもう浴衣を畳んでは ( ー ) こり でありません」 いなかった。けれども小さい行李の始末に余念なく手 てもと 自分がこう言った時、兄は急に色を変えた。けれどを動かしていた。それでも心は手許になかったと見え もなんにも言わなかった。自分はそれぎり席を立ってて、自分の足音を聞くやいなや、すぐこっちを向いた。 しまった。 「兄さんは」 「今来るでしよう」 こ 0 へや あによめ 卩 3
約東どおり明るい路を浜辺まで帰りたいと念じた。 嫂には改まって言いだしたものたろうか、またはそ 「どうします姉さん、風呂は」と聞いてみた。 もっ 嫂も明るいうちには帰るように兄からかねて言い付れとなく話のついでにそこへ持ていったものたろうか と思案した。思案しだすとどっちも宜いようでまたど けられていたので、そこはよく承知していた。彼女は すいものわん っちも悪いようであった。自分は吸物椀を手にしたま 帯の間から時計を出して見た。 「まだ早いのよ、二郎さん。お湯へはいっても大丈夫まぼんやり庭の方を眺めていた。 「なにを考えていらっしやるの」と嫂が聞いた。 「なに、降りやしまいかと思ってね」と自分は宜い加 彼女は時間の遅く見えるのをまったく天気のせいに した。も 0 とも濁 0 た雲が幾重にも空を鎖しているのな答をした。 「そう。そんなにお天気が怖いの。貴方にも似合わな で、時計の時間よりは世の中が暗く見えたのはたしか いのね , に遅いなかった。自分はまた今にも降りだしそうな雨 あと を恐れた。降るならひとしきりざっと来た後で、帰っ「怖かないけど、もし強雨にでもなっちやたいへんで すからね」 こほうがかえって楽だろうと考えた。 「しゃちょっと汗を流していきましようか」 自分がこう言っているうちに、雨はぼつり /. 、と落 ゼん 二人はとう / \ 風呂に入った。風呂から出ると膳がちてきた。よほど早くからの宴会でもあるのか、向う 運ばれた。時間からいうと飯には早すぎた。酒は遠慮に見える二階の広間に、二三人紋付羽織の人影が見え やむ しやみせん したかった。かっ飲めるロでもなかった。自分は已をた。その見当で芸者が三味線の調子を合わせている音 が聞えだした。 得す、吸物を吸ったり、刺身を突っいたりした。下女 が邪魔になるので、用があれば呼ぶからと言って下げ宿を出るときすでにざわっいていた自分の心は、こ じゃま ねえ おそ みらはまべ たいじようぶ こ 0 こわ あなた むこ
えたっ 下女が心得て立ていったかと思うと、宅中の電燈があった。 ばたりと消えた。黒い柱と煤けた天井でたゞさえ陰気「姉さんもう少しだから我慢なさい。今に女中が灯を な部屋が、今度はルにな 0 た。自分は鼻の先に坐 0 持 0 てくるでしようから」 ている嫂を嗅げば嗅がれるような気がした。 自分はこう言って、例の見当から嫂の声が自分の鼓 「姉さん怖かありませんか」 膜に響いてくるのを暗に予期していた。すると彼女は うるし 「怖いわ」という声が想像したとおりの見当で聞こえ何事をも答えなかった。それが漆に似た暗闇の威力で、 田、女の声さえ通らないように思われるのが、自分に た。けれどもその声のうちには怖らしい何物をも含ん糸し そば ( 1 ) はす でいなかった。またわざと怖がって見せる若々しい蓮は多少無気味であった。しまいに自分の傍にたしかに 葉の態度もなかった。 坐っているべきはすの嫂の存在が気に掛りだした。 二人は暗黒のうちに坐っていた。動かずにまたもの「姉さん」 嫂はまだ黙っていた。自分は電気燈の消えないまえ、 を言わずに、黙って坐っていた。目に色を見ないせい か、外の暴風雨は今までよりはよけい耳に付いた。雨自分の向うに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離 は風に散らされるのでそれほど恐ろしい音も伝えなか に描き出した。そうしてそれを便りにまた「姉さん」 みさかい ったが、風は屋根も塀も電柱も、見境なく吹き捲ってと呼んだ。 たちへや あなぐらみ 悲鳴を上けさせた。自分達の室は地面の上の穴倉見た 「なによ」 がんじよう ぬりかべ ような所で、四方とも頑丈な建物だの厚い塗壁だのに 彼女の答はなんだか蒼蠅そうであった。 包まれて、縁の前の小さい中庭さえ比較的安全に見え 「いるんですか . 、 くら あなた たけれども、周囲一面から出る一種凄じい音響は、暗「いるわ貴方。人間ですもの。嘘だと思うならこゝへ やみ 闇に伴って起る人間の抵抗しがたい不可思議な威嚇で来て手でってごらんなさい、 ねえ こわ こわ すさま うちじゅう むこ がまん うそ
「とにかく、あれだけのことをあ、正面に書き得たの なか / \ 面白かった」 「いったい秋江氏は、今の文壇でも可也な天分を持 った人のように思いますがね 「さあ、天分と言うのかな。 ・ : あるいは好い材料を 持ったと言うほうが適当かもしれない。もし、外の材 料であったら、あ、 いうふうに書き得たかどうか。あ の作は立派な作物ではあるが、あの中に現われた主人 公は普通から見てごく下らない人物である。その下ら ない人物をあくまで正面に書いたところにあの作の価 値があるのたが、一面から言うと、もし、あれが作者 自身をそのま、描いたのなれば、ますその作者はきわ めて未練深いつまらぬ人間である。しかし、つまらぬ 人間をつまらぬま、に当面に書き得たところに、作者 の偉いところがある」 津田青楓氏が来られた。なんとかいう青年も見え よ 房 た。絵の話、芸術家としての態度の話、建築の批評、 第話はいろ / \ の方面へ亘っていった。どういう問題 に対しても、修養の浅い青年の意見をも聞き、また、 まとも ( 丘の人 ) ういうところに先生の 自分の考えをも述べるーー・・・そ 好もしい若さがあるように思った。先生は、自作の 絵など出して津田氏の批評を乞われた。この春ごろ くろうと よりは、だいぶ黒人染みたところが感じられた。 ( 大正二・一二・一「新潮」 ) 339
人 行 「二郎さんになにもそんなことを伺わないでも兄さんように、自分の口から少しの抵抗もなく、なんらの自 あたし の性質ぐらい妾たって承知しているつもりです。妻で覚もなく釣り出された。 あなた すもの」 「貴方なんの必要があってそんなことを聞くの。兄さ 嫂はこう言ってまたしやくり上げた。自分はますまんが好きか嫌いかなんて。妾が兄さん以外に好いてる す可哀そうになった。見ると彼女の目を拭っていた小男でもあると思っていらっしやるの」 ハンゲチ しわ 形の手帛が、繿だらけになって濡れていた。自分は乾「そういうわけじゃ決してないんですが」 いている自分ので彼女の目や頬を撫でてやるために、 「たからさっきから言ってるじゃありませんか。私が 彼女の顏に手を出したくて堪らなか 0 た。けれども、冷淡に見えるのは、ま 0 たく私が抜のせいた 0 て」 なんとも知れない力がまたその手をぐ 0 と抑えて動け「そう腑抜をことさらに振り舞わされちゃ困るね。 わるくち ないように締め付けている感じが強く働いた。 も宅のものでそんな悪口を言うものは一人もないんで 「正直なところ姉さんは兄さんが好きなんですか、ますから」 ぎらい た嫌なんですか」 「言わなくっても腑抜よ。よく知ってるわ、自分だっ あと 自分はこう言ってしまった後で、この言葉は手を出て。けど、これでも時々は他から親切だって賞められ して嫂の頬を、拭いてやれない代りにしぜんロのほうることもあ 0 てよ。そう鹿にしたものでもないわ」 とんぼ から出たのだと気が付いた。嫂は手帛と涙の間から、 自分はかって大きなクッションに蜻蛉だの草花たの のそ 自分の顔を覗くように見た。 をいろ / \ の糸で、嫂に縫い付けてもらったお礼に、 「二郎さん」 あなたは親切だと感謝したことがあった。 「え、」 「あれ、まだあるでしよう綺麗ね」と彼女が言った。 くす この簡単な答は、あたかも磁石に吸われた鉄の屑の 「えゝ。大事にして持っています」と自分は答えた。 ねえ におな かわ うち ひとり わたくし 〃 3
と自分はまた三沢に聞いた。 かったことを病気のせいで僕に言ったのたそうだ。 ーけれども僕はそう信じたくない。しいてもそうでな - 。 三沢は厭な顔をした。 ( 1 ) しなだ いと信じていたい」 「色情狂というのは、誰にでも枝垂れ懸るんじゃない 「それほど君はその娘さんが気に入ってたのか」と自 か。その娘さんはたヾ僕を玄関まで送って出てきて、 早くってきてちょうたいねと言うだけなんたから違分はまた三沢に聞いた。 「気に入るようになったのさ。病気が悪くなればなる うよ」 ほど」 「そうか」 「それから。 その娘さんは」 自分のこの時の返事はまったく光沢がなさすぎた。 「死んだ。病院へ入って」 「僕は病気でもなんでも構わないから、その娘さんに もくねん すくな 自分は黙然とした。 思われたいのた。少くとも僕のほうではそう解釈して いたいのた」と三沢は自分を見詰めて言った。彼の顔「君から退院を勧められた晩、僕はその娘さんの三回 「ところが事実はど忌を勘定してみて、単にそのためたけでも帰りたくな 面の筋肉はむしろ緊張していた。 かたづ った」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分 うもそうでないらしい。その娘さんの片付いたさきの ほうとうか だんな : 、、はまだ黙っていた。 旦那というのが放蕩家なのか交際家なのか知らなしカ よるおそ かんじん うちあ 「あ、肝心のことを忘れた」とその時三沢が叫んた。 なんでも新婚早々たび / 、家を空けたり、夜遅く帰っ たりして、その娘さんの心をさんみ \ め抜いたらし自分は思わす「なんだ」と聞き返した。 くるし 「あの女の顔がね、実はその娘さんによく似ているん 。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦 みを言わすに我していたのだね。その時のことが頭たよ くちもと あと 三沢の口元には解ったろうという一種の微笑が見え に祟っているから、離婚になった後でも旦那に言いた わか
紙 手 かす どうも咽喉が渇いてと間接な弁解をした。 「たいぶ飲んだんだね」 懸んさ 食事が済んで下女が膳を下げたのは、もう九時近く 「えゝお祭りで、少し飲まされました」 であった。それでも重吉はまだ顔を見せなかった。自赤い顔のことは簡単にこれで済んでしまった。それ ざぶとん てすりもた 分はひとりで縁鼻へ座蒲団を運んで、手摺に靠れなが からどこをどう話が通ったか覚えていないが、三十分 むこうざしき ら向座敷の明るい電気燈や派出な笑い声を湿っぽい空ばかり経つうちに、自分も重吉もいつのまにか、いわ 気の中から遠く、 0 てらない心持を詰らないなりにゆる「あのこと」の内で受け答えをするようにな 0 こ 0 引摺るような態度で、煙草ばかり吹かしていた。そこ ふすまあ へさっきの下女が襖を開けて、やっと入らっしゃいま 「いったいどうする気なんだい」 あと したと案内をした。その後から重吉が赤い顔をして入「どうする気だって、 むろん貰いたいんですが ってきた。自分は重吉の赤い顔をこの時はじめて見た。ね」 あいさっ ことば けれども席に着いて挨拶をする彼の様子といし 、言葉「真剣のところを白状しなくっちや下可ないよ。好加 あげさげ げん 数といい、抑揚の調子といい、すべてが平生の重吉そ減なことを言って引張るくらいなら、いっそきつばり のま、であった。自分は彼の言語動作のいずれの点に今のうちに断るほうが得策だから。 きわだ も、酒気に駆られて動くのだと評してしかるべぎ際立「いまさら断るなんて、僕は御免たなあ。実際叔父さ った何物をも認めなかったので、異常な彼の顔色につん、僕はあの人が好きなんだから」 うそ ては、別 ~ 冫し 」こ、うところもなく済ました。しばらくし重吉の様子にどこといって嘘らしいところは見えな て彼は茶器を代えに来た下女の名を呼んで、洋盃に水かった。 を一杯呉れと頼んた。そうして自分の方を見ながら、 「じゃ、もっと早くどし / ( \ 片付けるが好いじゃな、 ひきす で、 コップ かわ ひつば 301
しいあるものを発見した。自分はなんとか答えなけれの満足を買うわけにはゆかなかった。自分はすかさず ばならなかった。しかしなんと答えて好いか見当が付またこう言った。 うち 「やつばり家の血統にそういう傾きがあるんですよ。 なかった。たヾ問題が例の嫂事件を再発させてはたい とう ひきよう へんたと考えた。それで卑怯のようではあるが、間答お父さんはむろん、僕でも兄さんの知っていらっしゃ るとおりですし、それにね、あのお重がまた不思議と、 がそこへ流れ入ることを故意に防いだ。 「兄さんが考えすぎるから、自分でそう思うんですよ。花や木が好きで、今じや山水画などを見ると感に堪え たような顔をして時々眺めていることがありますよ」 それよりかこの好天気を利用して、今度の日曜ぐらい に、どこかへ遠足でもしようじゃありませんか」 自分はなるべく兄を慰めようとして、 . いろ / 、な話 しらせ 兄はかすかに「うん」と言って慵げに承諾の意を示をしていた。そこへお貞さんが下からタ食の報知に来 うれ した。 た。自分は彼女に、「お貞さんは近ごろ嬉しいと見え て妙ににこ / ( \ していますね」と言った。自分が大阪 げじよべやすみひっこ から帰るやいなや、お貞さんは暑い下女室の隅に引込 兄の顔には孤独の淋しみが広い額を伝わって瘠けたんで容易に顔を出さなかった。それが大阪から出した 牋おみなぎ がっぺいえはがき 頼に漲っていた。 みんなの合併絵葉書のうちへ、自分がお貞さん宛に おれ 「二郎己は昔から自然が好きだが、つまり人間と合わ「お目出とう」と書いた五字から起ったのだと知れて やむ ないので、巳を得す自然のほうに心を移すわけになる家内中大笑いをした。そのためか一つ家にいながらお んだろうかな」 貞さんは変に自分を回避した。したがって顏を合わせ 自分は兄が気の毒になった。「そんなことはないでると自分はことさらになにか言いたくなった。 おもしろ しよう」と一口に打ち消してみた。けれどもそれで兄「お貞さんなにが嬉しいんですか」と自分は面白半分 さみ ものう さいほっ こ あて ノ 44
見が黙った。自分はもとより無言であった。海に射り た。兄は死んた人のごとく静であった。ついには自分 なごり きつね 付ける落日の光がしだいに薄くなりつ & なお名残の熱のほうから狐のように変な目遣いをして、兄の顔を偸 たなび を薄赤く遠いあなたに棚引かしていた。 み見なければならなかった。兄は蒼い顔をしていた。 「厭かい」と兄が聞いた。 けれども決して衝動的に動いてくる気色には見えなか 「え、、、ほかのことならですが、それだけは御免です」った。 ・と自分ははっきり一一 = ロい切った 0 おれしようがい 「じゃ頼むまい。その代り己は生涯お前を疑ぐるよ」 「そりや困る」 やあって兄は歸奮した調子でこう言った。 まえ 「困るなら己の頼むとおり遣ってくれ」 「二郎己はお前を信用している。けれども直を疑ぐっ うつむい 自分はたヾ俯向ていた。いつもの兄ならもうとくにている。しかもその疑ぐられた当人の相手は不幸にし ・手を出している時分であった。自分は俯向きながら、 てお前だ。たゞし不幸というのは、お前にとって不幸 今に兄の拳が帽子の上へ飛んでくるか、または彼の平というので、己にはかえってさいわいになるかもしれ 愀お 手が頬のあたりで。ヒシャリと鳴るかと思って、じっと というのは、己は今明言したとおり、お前の言 かんしやくだま うちあ 癇癪玉の破裂するのを期待していた。そうしてその破 うことならなんでも信じられるしまたなんでも打明け 裂の後に多く生ずる反動を機会として、兄の心を落ちられるから、それで己にはさいわいなのだ。だから頼 付けようとした。自分は人より一倍強い程度で、このむのだ。己の言うことにまんざら論理のないこともあ るまい」 反動に罹りやすい兄の気質をよく呑み込んでいた。 しんぼう ことば 自分はだい・ふ辛抱して兄の鉄拳の飛んでくるのを待自分はその時兄の言葉の奥に、なにか深い意味が籠 わていた。けれども自分の期待はまったく徒労であっ っているのではなかろうかと疑いたした。兄は腹の中 っ こぶし や てつけん の うた おれ こうふん あお ノ 00
「それで貴方笑ってたんですか」 「だって一人や二人は可いでしよう。岡田君は子供が 「そういう訳でもございませんけれども、なんだかあないと淋しくって不可ないって言ってましたよ」 んまり : : : 」 お兼さんはなんにも答えすに窓の外の方を眺めてい をともど お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さん た。顏を元へ戻しても、自分を見すに、畳の上にある , をもっと笑わせたかった。 平野水の罎を見ていた。自分はなんにも気が付かなか 「あんまり、どうしました」 った。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんで 「あんまり勿体ないようですから」 しよう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をし ( 2 ) こ・、ろやす お兼さんのお父さんというのはたいへん緻密な人で、 た。自分はたゞ心易たてで言ったことカ お兼さんのところへ手紙を寄こすにも、たいていは葉白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもど , 書で用を弁じている代りに蠅の頭のような字を十五行 うするわけにもいかなかった。その時はたヾお兼さん おもしろ も並べてくるという話を、お兼さんは面白そうにした。 に気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなっ 自分は三沢のことをまったく忘れて、たゞ前にいるお た意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。 まと ぐる 兼さんを的に、さまみ \ のことを尋ねたり聞いたりし 自分はこの居苦しくまた立苦しくなったように見え こ 0 る若い細君を、どうともして救わなければならなかっ こどもは 「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、 た。それにはぜひとも話頭を転する必要があった。自 - ひとりるす たいくっ 一人で留守をしていると退屈するでしよう」 分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田の うち 「そうでもございませんわ。私兄弟の多い家に生れて いわゆる「例の一件」をとう / 、 \ 持ち出した。お兼さ たいへん苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見んはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過 「るものはないと思っておりますから」 半を譲るつもりか、決して多くを語らなかった。自分 つたい ちみつ さみ ひとりふたり