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検索対象: 夏目漱石全集 11
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1. 夏目漱石全集 11

に出合いました。足のほうにばかり気を取られてい 思い切ってどろ / 、の中へ片足踏ん込みました。そう た私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付 して比較的通りやすいところを空けて、お嬢さんを渡 かずにいたのです。私は不意に自分の前が塞がったのしてやりました。 で偶然目を上けた時、はじめてそこに立っているを それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って好いか おもしろ 認めたのです。私はにどこへ行ったのかと聞きまし自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白く た。はちょっとそこまでといったぎりでした。彼のないような心持がするのです。私は飛泥の上がるのも ( 1 ) ぬか 答えはいつものとおりふんという調子でした。と私かまわすに、糠る海の中を自暴にどし / 、、歩きました。 は細い帯の上で身体を替せました。するとのすぐう それからすぐ宅へ帰って来ました。 ひとり しろに一人の若い女が立っているのが見えました。近 眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、 >-< を遣り越したあとで、その女の顔を見ると、それが 「私はに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞 すくな ( 2 ) まさごちよら 宅のお嬢さんたったので、私は少からず驚ろきました。きました。はそうではないと答えました。真砂町で お嬢さんはこ、ちもち薄赤い顔をして、私に挨をし偶然出会「たから連れ立 0 て帰 0 て来たのだと説明し ひま一し ました。その時分の東髪は今と違って庇が出ていない ました。私はそれ以上に立ち入った質間を控えなけれ まんなかへび のです、そうして頭の真中に蛇のようにぐる / \ 巻きばなりませんでした。しかし食の時、またお嬢さん つけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭をに向って、同じ間を掛けたくなりました。するとお嬢 見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路を譲らなけさんは私の嫌な例の笑い方をするのです。そうしてど ればならないのだということに気が付きました。私は こへ行ったか中ててみろとしまいに言うのです。その わか おど 三十四 170

2. 夏目漱石全集 11

こ いましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありまし 私は彼に、もし我等二人たけが男同志で永久に話を交 た。私のほうが早ければ、たゞ彼の空室を通り抜ける 換しているならば、二人はたゞ直線的に先へ延びて行 あいさっ おそ たけですが、遅いと簡単な挨拶をして自分の部屋へは くにすぎないだろうと言いました。彼はもっともたと いるのを例にしていました。はいつもの目を書物か 答えました。私はその時お嬢さんの事で、多少夢中に ふすまあ ことば らはなして、襖を開ける私をちょっと見ます。そうし なっているころでしたから、自然そんな一一 = 「葉も使うよ てきっと今帰ったのかと言います。私はなにも答えな うになったのでしよう。しかし裏面の消息は彼には一 うなず いで点頭くこともありますし、あるいはたゞ『うん』 ロも打ち明けませんでした。 と答えて行き過ぎる場合もありました。 今まで書物で城壁をきすいてその中に立て籠ってい ある日私は神田に用があって、帰りがいつもよりす たようなの心が、だん / \ 打ち解けてくるのを見て っと後れました。私は急ぎ足に門前まで来て、格子を いるのは、私にとってなによりも愉快でした。私は最 がらりと開けました。それと同時に、私はお嬢さんの 初からそうした目的で事を遣りたしたのですから、自 分の成功に伴う喜悦を感ぜすにはいられなかったので声を聞いたのです。声はたしかにの室から出たと思 いました。玄関からまっすぐに行けば、茶の間、お嬢 す。私は本人に言わない代りに、奥さんとお嬢さんに 自分の思ったとおりを話しました。二人も満足の様子さんの部屋と二つ続いていて、それを左へ折れると、 でした。 の室、私の室、という間取なのですから、どこでだ やっかい れの声がしたぐらいは、久しく厄介になっている私に わか はよく分るのです。私はすぐ格子を締めました。する :g 「と私は同じ科におりながら、専攻の学間が違ってとお嬢さんの声もすぐ巳みました。私が靴を脱いでい へや

3. 夏目漱石全集 11

聞いていると、だん / / 、そういうところに釣り込まれ るのが専一だと考えました。 むか てくるくらい、彼には力があったのですから ) 。最後 私は彼に向って、余計な仕専をするのは止せと言い からだ ました。そうして当分身体を楽にして、遊ぶほうが大に私はといっしょに住んで、いっしょに向上の路を ほっぎ きな将来のために得策だと忠告しました。剛情なの辿ってゆきたいと発議しました。私は彼の剛情を折り ひざ 事ですから、容易に私のいう事などは聞くまいと、か曲げるために、彼の前に跪まずくことをあえてしたの です。そうしてやっとのことで彼を私の家に連れて来 わて予期していたのですが、実際言い出してみると、 思ったよりも説き落すのに骨が折れたので弱りました。ました。 はたゞ学間が自分の目的ではないと主張するのです。 意志の力を養って強い人になるのが自分の考だと言う 「私の座敷には控えの間というような四畳が付属して のです。それにはなるべく窮屈な境遇にいなくてはな あが らないと結論するのです。普通の人から見れば、まるい ました。玄関を上って私のいる所へ通ろうとするに は、ぜひこの四畳を横切らなければならないのだから、 で酔興です。そのうえ窮屈な境遇にいる彼の意志は、 ちっとも強くなっていないのです。彼はむしろ神経衰実用の点から見ると、至極不便な室でした。私はこゝ 弱に罹っているくらいなのです。私は仕方がないから、ヘを入れたのです。もっとも最初は同じ八畳に二つ 彼に向って至極同感であるような様子を見せました。机を並べて、次の間を共有にしておく考えだったので ひとり 自分もそういう点に向って、人生を進むつもりだったすが、は狭苦しくっても一人でいるほうが好いと言 とついには明言しました。 ( もっともこれは私にとっ って、自分でそっちのほうを択んたのです。 てまんざら空虚な言葉でもなかったのです。の説を 前にも話したとおり、奥さんは私のこの所置に対し しかた えら っ みち 149

4. 夏目漱石全集 11

じていません。我々はまた比較的内部の空気ばかり吸の運命もまた私と同様に変調を示していました。彼は づているので、校内の事は細大ともに世の中に知れ渡私の知らないうちに、養家先へ手紙を出して、こっち っているはすたと思いすぎる癖があります。はそのから自分の詐を白状してしまったのです。彼は最初か 澄らその覚悟でいたのだそうです。いまさら仕方がない 点にかけて、私より世間を知っていたのでしよう、 もど から、お前の好きなものを遣るよりほかに途はあるま ました顏でまた戻って来ました。国を立っ時は私もい むこ いと、向うに言わせるつもりもあったのでしようか。 づしょでしたから、汽車へ乗るやいなやすぐ、どうた づたとに間いました。はどうでもなか 0 たと答えとにかく大学へ入ってまでも養父母を欺なき通す気は なかったらしいのです。また欺むこうとしても、そう たのです。 三度目の夏はちょうど私が永久に父母の墳墓の地を長く続くものではないと見抜いたのかもしれません。 去ろうと決心した年です。私はその時に帰国を勧め まいとしうち ましたが、は応じませんでした。そう毎年家へ帰っ とヾ 「の手紙を見た養父はたいへん怒りました。親を騙 て何をするのだと言うのです。彼はまた踏み留まって しかた ふらち 勉強するつもりらしかったのです。私は仕方なしに一すような不埒なものに学資を送ることはできないとい きび 人で東京を立っことにしました。私の郷里で暮らしたう厳しい返事をすぐ寄こしたのです。はそれを私に うげと その二か月間が、私の運命にとって、いかに波瀾に富見せました。はまたそれと前後して実家から受取っ た書簡も見せました。これにもまえに劣らないほど厳 んたものかは、まえに書いたとおりですから繰り返し す ( 2 ) きっせきことば ( 1 ) ゅううつ ません。私は不平と幽鬱と孤独の淋しさとを一つ胸にしい詰責の言葉がありました。養家先へ対して済まな萄 抱いて、九月に入ってまたに逢いました。すると彼いという義理が加わっているからでもありましようが、 さび はらん ひと いつわり や

5. 夏目漱石全集 11

こ くちびるか いました。私は二度と国へは帰らない。帰ってもなん苦しい唇を噛みました。 ぶにんさむ にもない、あるのはたヾ父と母の墓ばかりたと告げた奥さんは最初から、無人で淋しいから、客を置いて うそ 時、奥さんはたいへん感動したらしい様子を見せまし世話をするのたと公言していました。私もそれを嘘と た。お嬢さんは泣きました。私は話して好いことをしは思いませんでした。懇意になっていろ / \ 打ち明け まちがし うれ たと思いました。私は嬉しかったのです。 話を聞いたあとでも、そこに間違はなかったように思 私の凡てを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚がわれます。しかし一般の経済状態は大して豊たという 的中したといわないばかりの顔をしだしました。それほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、 みより とりあっか からは私を自分の親戚に当る若いものか何かを取扱う私と特殊の関係をつけるのは、先方にとって決して損 ではなかったのです。 ように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。 むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに 私はまた警戒を加えました。けれども娘に対してま さいぎしん 私の猜疑心がまた起ってきました。 え言ったくらいの強い愛をもっている私が、その母に 私が奥さんを疑ぐりはじめたのは、ごく些細な事か対していくら警戒を加えたってなんになるでしよう。 ひとり ちょうしよう らでした。しかしその些細な専を重ねてゆくうちに、 私は一人で自分を嘲笑しました。馬鹿だなといって、 疑惑はたん / v--- と根を張ってきます。私はどういう拍自分を罵ったこともあります。しかしそれたけの矛盾 子かふと奥さんが、叔父と同じような意味で、お嬢さならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜすに済んた はんもん んを私に接近させようとカめるのではないかと考えだのです。私の煩悶は、奥さんと同じようにお嬢さんも こう したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡策略家ではなかろうかという疑間に会ってはじめて起 猾な策略家として私の目に峡じてきたのです。私は苦るのです。二人が私の背後で打ち合せをしたうえ、万 ふたり す 5

6. 夏目漱石全集 11

たいという心持も起るのです。記憶してください、あ方にいわせたら、さぞ馬鹿気た意地に見えるでしよう。 しんせき 私と叔父のあいだに他の親戚のものがはいりました。 なたの知っている私は塵に汚れたあとの私です。きた ねんすう なくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はその親戚のものも私はまるで信用していませんでした、 信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。 たしかに貴方より先輩でしよう。 さと もし私が叔父の希望どおり叔父の娘と結婚したなら私は減父が私を欺むいたと覚るとともに、他のものも ちがい っ ば、その結果は物質的に私にとって有利なものでした必す自分を欺くに違ないと思い詰めました。父があれ ろうか。これは考えるまでもないことと思います。叔だけ賞め抜いていた叔父ですらこうだから、他のもの ( 1 ) ロジック 父は策略で娘を私に押し付けようとしたのです。好意はというのが私の論理でした。 かれら よ私のために、私の所有にか、る一切 それでも彼等。 的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑た利 害心に駆られて、結婚間題を私に向けたのです。私はのものを纏めてくれました。それは金額に見積ると、 きら 従妺を愛していないだけで、嫌ってはいなかったので私の予期よりはるかに少ないものでした。私としては すが、あとから考えてみると、それを断ったのが私に黙ってそれを受け取るか、でなければ叔父を相手取っ おおやざた は多少の愉快になると思います。胡魔化されるのはどて公け沙汰にするか、二つの方法しかなかったのです。 っちにしても同じでしようけれども、載せられかたか私は憤りました。また迷いました。訴訟にすると落着 らいえば、従妹を貰わないほうが、向うの思いどおりまでに長い時間のか、ることも恐れました。私は修業 ろにならないという点からみて、少しは私の我が通った中のからだですから、学生として大切な時間を奪われ ことになるのですから。しかしそれはほとんど間盟とるのは非常の苦痛たとも考えました。私は思案の結果、 ささい するに足りない些細な事柄です。ことに関係のない貴市におる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、 ちりよご ことがら 123

7. 夏目漱石全集 11

私を指さすようにして、「この子をどうぞなにぶん』とばしばあったのです。だから : : : しかしそんな事は間 言いました。私はその前から両親の許可を得て、東京題ではありません。ただこういうふうに物を解きほど てみたり、またぐる / 、、、回して眺めたりする癖は、 へ出るはすになっていましたので、母はそれもついでい もうその時分から、私にはちゃんと備わっていたので に言うつもりらしかったのです。それで『東京へ』と け付け加えましたら、叔父がすぐあとを引き取って、す。それは貴方にもはじめからお断りしておかなけれ - 「よろしい決して心配しないがいゝ』と答えました。 ばならないと思いますが、その実例としては当面の間 ・母は強い熱に堪えうる体質の女なんでしたろうか、叔題に大した関係のないこんな記述が、かえって役に立 むか 父は『しつかりしたものた』と言って、私に向って母ちはしないかと考えます。貴方のほうでもまあそのつ りんりてき の事を褒めていました。しかしこれがはたして母の遺もりで読んでください。この性分が倫理的に個人の行 言であったのかどうだか、今考えると分らないのです。為やら動作のうえに及んで、私は後来ます / 他の徳 母はむろん父の罹った病気の恐るべき名前を知ってい義心を疑うようになったのだろうと思うのです。それ はんもん むか たのです。そうして、自分がそれに伝染していたこと が私の熕悶や苦悩に向って、積極的に大きな力を添え たしか も承知していたのです。けれども自分はきっと、このているのは慥ですから覚えていてください。 わかにく 病気で命を取られるとまで信じていたかどうか、そ一」話が本筋をはすれると、分り悪くなりますからまた になると疑う余地はまだいくらでもあるだろうと思わあとへ引返しましよう。これでも私はこの長い手紙を ことば れるのです。そのうえ熱の高い時に出る母の言葉は、 書くのに、私と同じ地位に置かれた他の人と比べたら、 あぎら いっこあるいは多少落ち付いていやしないかと思っているの いかにそれが筋道の通った明かなものにせよ、 ひゞき う記憶となって母の頭に影さえ残していないことがしです。世の中が眠ると聞こえだすあの電車の響ももう なが びと 〃 2

8. 夏目漱石全集 11

「こゝろ」においては、先生の観照的態度がはじめて直 接的になった。言葉を換えて言うと、「こ、ろ」におけ託 る先生は、真正面に「こ、ろ」を観、肉迫的に「こ、 ろ一の本質を刳り出そうとする惨酷な心理解剖家とな っこ c 「こ、ろーに表れている先生の態度は、一 赤木桁平 分の回避すら許さない、一髪の隠蔽すら認めない峻厳 「こゝろ , は人間の「心霊 , に対する、もしくは、人な裁判官のそれである。 しかし、その結果として、先生は「こ、ろ」の中に 間の「精神」に対する、もっと分り易く言うと、人間 の「ころ」そのものに対する、最も精到な、最も深はたして何を認めたか、先生の答えは単調である。日 く「イゴイズム」。 刻な洞察を徹底せしめようとする、漱石先生畢生の大 人間の本性を支配するイゴイズムの威力と醜悪とに 努力を徴するものである。 「こ、ろ」の本質は如何、「こ、ろ , の真当の相は何でついて、先生はこれを盲動的な本能として「彼岸過迄」 あるか。この間題は「彼岸過迄」において、また、「行の中に描いた。「こ、ろ , に至っては、それよりも一歩 さつか のうり 人」において、すでに幾度となく先生の脳裏を擦過し、を進めて、さらに意識の上に現前する動かしがたい事 すでに幾度となく先生の研究的対として取扱われた実としてこれを描いた。「人間の本性を支配するもの ものであるが、それらはすべて「こ、ろ」の外部におには道念もある。しかし、道念の力は未だイゴイズム には及ばない。最後の一瞬において、人間の意思を駆 ける摸索から初まって、漸次内部に立入ろうとする間 役し人間の方向を決定するものは常にイゴイズムであ 接的な態度たるを免れない傾向があ 0 た。しかし、 同時代人の批評 ぜんじ ほんとうすがた

9. 夏目漱石全集 11

こ づて承知しなかった。会えばきっと、私の卒業祝いに出た。場合が場合なのもその大きな源因になっていた。 ふたり 呼ぶ事ができなかったのを残念がった。その代り自分二人に共通な父、その父の死のうとしている枕元で、 の病気が治ったらというようなことも時々付け加えた。兄と私は握手したのであった。 「お前の卒業祝いは已めになって結構だ。おれの時に 「お前これからどうする」と兄は聞いた。私はまた、 まったく見当の違った質間を兄に掛けた。 は弱ったからね」と兄は私の記憶を突ッついた。私は ありさまおも アルコールに煽られたその時の乱雑な有様を想い出し 「いったい家の財産はどうなってるんだろう」 て苦笑した。飲なものや食うものを強いて回る父の態 「おれは知らない。お父さんはまだなんとも言わない 度も、にが ~ / \ しく私の目に映った。 から。しかし財産っていったところで金としては高の 私達はそれほど仲の好い兄弟ではなかった。小さ 知れたものだろう」 けんか うちはよく喧嘩をして、年の少ない私のほうがいつで 母はまた母で先生の返事の来るのを苦にしていた。 「また手紙は来ないかい」と私を責めた。 も泣かされた。学校へはいってからの専門の相違も、 まったく性格の相違から出ていた。大学にいる時分の なが 私は、ことに先生に接触した私は、遠くから兄を眺め て、常に動物的だと思っていた。私は長く兄に会わな 「先生先生というのはいったいだれのことだいと兄 へだた かったので、また懸け隔った遠くにいたので、時からが聞いた。 「こないだ話したじゃよ、 オしかーと私は答えた。私は自 いっても距離からいっても、兄はいつでも私には近く ひさぶり なかったのである。それでも久し振にこう落ち合って分で質間しておきながら、すぐ他の説明を忘れてしま みると、兄弟の優しい心持がどこからか自然に湧いて う兄に対して不快の念を起した。 あお うち ひと

10. 夏目漱石全集 11

私は父や母の手前、この地位をできるだけの努力で 修業をさせると、その小供は決して宅へ帰って来ない。 よそ これじや手もなく親子を隔離するために学間させるよ求めつ、あるごとくに装おわなくてはならなか 0 た。 私は先生に手紙を書いて、家の事情を精しく述べた。 うなものだ」 学間をした結果兄は今遠国にいた。教育を受けた因もし自分のカでできることがあ 0 たら、なんでもする かた から周旋してくれと頼んた。私は先生が私の依頼に取 果で、私はまた東京に住む覚悟を固くした。こういう り合うまいと思いながら、この手紙を書いた。また取 子を育てた父の愚痴はもとより不合理ではなかった。 ながねん り合うつもりでも、世間の狭い先生としてはどうする 永年住み古した卸舎家の中に、た 0 た一人取り残され こともできまいと思いながら、この手紙を書いた。し そうな母を描き出す父の想像はもとより淋しいに違い よ、つこ 0 かし私は先生からこの手紙に対する返事がきっと来る だろうと田 5 って書いた。 わが家は動かすことのできないものと父は信じ切っ ていた。その中に住な母もまた命のあるあいだは、動私はそれを封じて出すまえに母に向 0 て言った。 「先生に手紙を書きましたよ。あなたの仰しやったと かすことのできないものと信じていた。自分が死んだ ひとりがらんどう あと、この孤独な母を、たった一人伽藍堂のわが家におり。ちょ 0 と読んでごらんなさい」 母は私の想像したごとくそれを読まなかった。 取り残すのもまた甚しい不安であった。それだのに、 東京で好い地位を求めろと言 0 て、私を強いたがる父「そうかい、それじゃ早くお出し。そんなことは他が 気を付けないでも、自分で早く遣るものだよ」 の頭には矛盾があった。私はその矛盾を可笑しく思っ こども 母は私をまた子供のように思っていた。私も実際子 たと同時に、そのお蔭でまた東京へ出られるのを喜こ 供のような感しがした。 んだ。 うち ひと