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検索対象: 夏目漱石全集 11
375件見つかりました。

1. 夏目漱石全集 11

に及ばないという自覚があ「たくらいです。けれどもの抵抗力が強くなるという意味でなくてはなりますま うちひつば 私がしいてを私の宅へ引張って来た時には、私のほ い。もし反対に胃のカのほうがじり , / 、、、弱っていった わきま うがよく事理を弁えていると信じていました。私に言 なら結果はどうなるだろうと想像してみればすぐ解る がまん わせると、彼は我漫と忍耐の区別を了解していないよ ことです。は私より偉大な男でしたけれども、まっ うに思われたのです。これはとくに貴方のために付けたくこ、に気が付いていなか 0 たのです。たヾ困難に 足しておきたいのですから聞いてください。肉体なり慣れてしまえば、仕舞にその困難はなんでもなくなる かんく 精神なりすべて我々の能力は、外部の刺激で、発達もものだと極めていたらしいのです。艱苦を繰り返せば、・ くどく するし、破壊されもするでしようが、ど 0 ちにしても繰り返すというだけの功徳で、その艱苦が気にか、、ら めぐりあ 刺激をだん / \ に強くする必要のあるのはむろんですなくなる時機に邂逅えるものと信じ切っていたらしい から、よく考えないと、非常に険悪な方向へむいて進のです。 んで行きながら、自分はもちろん傍のものも気が付か 私はを説くときに、ぜひそこを明らかにしてやり ずにいる恐れが生じてきます。医者の説明を聞くと、 たかったのです。しかし言えばきっと反抗されるにき おうちゃく かゆ ひきあい 人間の胃袋ほど横着なものはないそうです。粥ばかり まっていました。また昔の人の例などを、引合に持っ ち力い 食っていると、それ以上の堅いものを消化す力がいってくるに違ないと思いました。そうなれば私たって、 ひとたち のまにかなくなってしまうのだそうです。だからなんその人達とと違っている点を明白に述べなければな うけが でも食う稽古をしておけと医者はいうのです。けれどらなくなります。それを首肯ってくれるようななら もこれはたヾ慣れるという意味ではなかろうと思いま可いのですけれども、彼の性質として、議論がそこま す。次第に刺激を増すにしたが 0 て、次第に営養機能で行くと容易にあとへは返りません。なお先へ出ます 9 あなた わか

2. 夏目漱石全集 11

強盗的行為にでることをいう。 spoil ( 英 ) 。損じる。人を甘やかして IIOI( ( 1 ) スポイル かくせい 悪い影響を与える。 一翁 ( 1 ) 覚醒迷いからめざめること。新しい世界に目が らんすい ひらけること。 一一 0 七 ( 1 ) 爛酔十分に酔いのまわること。 しれつ へ ( 1 ) 熾烈勢いがさかんで、はげしいこと。 一一 0 〈 ( 1 ) 所決処決。きつばりと処置をつけること。の 自殺をさす。 一兊 ( 1 ) 追窮「追求」と同じ意味。 ぞんじゅ じゅみよう ( 2 ) 果断思いきってことを行なうこと。 三一 ( 1 ) 天寿 . 天からさずかった寿命。 ( 3 ) 優柔決断力を欠いてにえきらないこと。 三三 ( 1 ) 西南戦争明治十年 ( 1877 ) 二月、征韓論が容れ めつかち 一九 0 ( 1 ) 片眼物事が十分に見えないことのたとえ。 られず中央政界を去っていた西郷隆盛をたてて、子弟た くったく ・よ・ , 、よと』に亠 , ること。 一九一 ( 1 ) 屈託 ちが鹿児島に起した反乱。同年九月、隆盛以下自刃して じん・ほうちょう 平定された。 一九三 ( 1 ) 神保町の通り神田の有名な本屋街。 みようじん 一九四 ( 1 ) 明神の坂神田祭りで有名な明神様への・ほる坂。 ( 2 ) 敵に旗を奪られて大正元年 ( 1912 ) 九月十七 また 日に新聞に発表された小笠原長生宛の乃木大将の遺書に ( 2 ) この三区に跨がって本郷区・神田区・小石川 せうせいこのたひ せいなんのたたかひこれしんじさふらへどもか 「 : : : 小生此度の処決は西南戦以来之心事に候得共期 区をいう。現在では本郷区・小石川区は合して文京区と かしこ みあと たてまっさふらふやう よさ ) これあるべし なり、神田区は千代田区と改称されている。 く畏くも御跡を追ひ奉り候様の場合可有之とは予想 なまり めし つかまつらすおそれいりさふらふぎ・こざさふらふむなしく すごしさふらふて も不仕恐入候儀に御座候空敷今日を過候而は ( 3 ) 鉛のような飯気分がすぐれず、御飯の味がわ ろくろくごよう あひたたすくわぶんごいうぐうよく からなかったことのたとえ。 日に加はる老衰碌々御用にも不相立過分の御優遇に浴す きようノ、た る事恐懼に堪へず・ : ・ : 」とある。 一究 ( 1 ) 薄志弱行意志が弱く、実行力のないこと。 けいどうみやく ( 3 ) 頓死急死。ぼっくり死ぬこと。 一一 0 一 ( 1 ) 頸動脈大動脈の分脈で頸部を通り頭部へ血液を わたなべかざん 送る血管。心臓から近いため血圧が強く、切れば血が噴三四 ( 1 ) 渡辺崋山寛政五年ー天保十一一年っ 793 ー】 84 こ。 出する。 幕末の南画家。政治にも関心があり、攘夷を非難した乃 じようだん 一一 0 三 ( 1 ) 笑談ふつう「冗談」と書く。 『慎機論』を書いた。 と

3. 夏目漱石全集 11

に出合いました。足のほうにばかり気を取られてい 思い切ってどろ / 、の中へ片足踏ん込みました。そう た私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付 して比較的通りやすいところを空けて、お嬢さんを渡 かずにいたのです。私は不意に自分の前が塞がったのしてやりました。 で偶然目を上けた時、はじめてそこに立っているを それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って好いか おもしろ 認めたのです。私はにどこへ行ったのかと聞きまし自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白く た。はちょっとそこまでといったぎりでした。彼のないような心持がするのです。私は飛泥の上がるのも ( 1 ) ぬか 答えはいつものとおりふんという調子でした。と私かまわすに、糠る海の中を自暴にどし / 、、歩きました。 は細い帯の上で身体を替せました。するとのすぐう それからすぐ宅へ帰って来ました。 ひとり しろに一人の若い女が立っているのが見えました。近 眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、 >-< を遣り越したあとで、その女の顔を見ると、それが 「私はに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞 すくな ( 2 ) まさごちよら 宅のお嬢さんたったので、私は少からず驚ろきました。きました。はそうではないと答えました。真砂町で お嬢さんはこ、ちもち薄赤い顔をして、私に挨をし偶然出会「たから連れ立 0 て帰 0 て来たのだと説明し ひま一し ました。その時分の東髪は今と違って庇が出ていない ました。私はそれ以上に立ち入った質間を控えなけれ まんなかへび のです、そうして頭の真中に蛇のようにぐる / \ 巻きばなりませんでした。しかし食の時、またお嬢さん つけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭をに向って、同じ間を掛けたくなりました。するとお嬢 見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路を譲らなけさんは私の嫌な例の笑い方をするのです。そうしてど ればならないのだということに気が付きました。私は こへ行ったか中ててみろとしまいに言うのです。その わか おど 三十四 170

4. 夏目漱石全集 11

( 1 ) 明のできる文芸上のフェノメ / ンが有ったら、ぜひ気ちにおのずから科学的に翻訳しうる意味が籠っていま が付いた時知らしてくれたまえ。その時はたいへん利す。それをあきらかに道破しえた時に、メンデリズム幻 益をうけるだろうと考えます。僕は自分で文芸に携わが文芸に口を出す権利がはじめて出てくるのではあり るので文芸心理を純科学的には見られない。また見てませんか。いたって不秩序で失礼。 ( 2 ) りんぶう も余所々々しくてとてもそんなものに耳を傾ける気が 臨風と御光来を願います。この次の土曜は駄目です。 しない。僕のはいつでも自分の心理現象の解剖でありもし時を極めてくるなら飯でも差上げてゆる / \ お話 ます。僕にはそれがいちばん力強い説明です。もしそをしたい、いかがでしよう。以上 一月十三日 こに不完全なものがあれば、それは心理現象そのもの 金之助 の複雑からくるので方法のわるい点からくるとは考え 芥舟様 まえ られません。もしメンデリズムが非常に進歩してお前 七評論「素人と黒人」について の文芸上の作物は < と ga と o と : : とからの遣伝がこ うなって出てきていると科学者から説明されても、僕 一月十四日 ( 水 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田南町 七番地より麹町区内山下町一丁目一番地東洋協会内森次 は僕の頭で自分を解剖して ( 不完全な解剖でも ) いや 太郎へ そうじゃないと断一 = ロするかもしれません。どうでしょ ( 3 ) しろうとくろうと う。しかし文芸で新らしいといっても空論だ、メンデ お手紙拝見しました。「素人と黒人」をおほめくた ありがと リズムの遺伝法でくるのだという君の主意と意味が僕さって難有うございます。幅物を持ってお還りだそう せいげつ には徹しないので議論が矛盾になっているかもしれまですが、拝見したいものです。霽月にやった墨竹はそ せん。新らしいというのは俗語ですが、その俗語のうの時はかなりの出来と思ったが、今もういっぺん見な さしあ

5. 夏目漱石全集 11

合に多く用いられるようである。私のこ、で言う「おように思われながら、どうもそれだけでは済まないよ 蔭様で」もやはり同じような意味であることは、断るうな気もする。こゝに一つの不満がある。徳田氏のよ うに、嘘一点もないように書いていても、どこかに物 までもないであろう。 〇どうも徳田氏の作物を読むと、いつも現実味はこれ足りないところが出てくるのは、このためである。 ありがたみ かと思わせられるが、たヾそれだけで、有難味が出な〇他の諸家ー・ー徳田氏ほど深く人生を見ていない人々 こうしよう みいだ のほ、 ) こ、 冫かえって徳田氏の作物の中に見出しえない 、。読んたあとで、感激を受けるとか、高尚な向上の むか ほどの満足をもって、徳田氏以上の感動を読者に与え 道に向わせられるとか、何かある尉謝を与えられると か、悲しい中に一のレリーフ感ずるとか、たヾのるものがあるように思われる。 圧迫でなく、圧迫に対する反動を感ずるような、悲し〇つまり徳田氏の作物は現実そのま、を書いているが、 ( 2 ) 力ない。もっとも現実そのも その裏にフイロソフィ 1 : みに対する喜びというような心持を得させられない。 「人生とはなるほどこんなだろうと思います。あなたのがフイロソフィ 1 なら、それまでであるが、目の前 に見せられた材料を圧搾する時は、こういうフイロソ はよく人生を観察しえて、描写し尽しましたね。その ィーになるというような点は認めることができぬ。 点においてあなたの物は極度までいっている。これよフ フイロソフィー ; 力あるとしても、それはきわめて散漫 りさきに、誰が書いても書くことはできますまい」。 ろこうは言えるが、しかしたゞそれだけである。つまりである。しかし私は、フイロソフィーがなければ小説 の ではないというのではない。また徳田氏自身はそうい 「御尤もです」で止っていて、それ以上に踏み出さない。 こ きら うフイロソフィーを嫌っているのかもしれないが、そ 壇〇まして、人生がはたしてそこに尽きているだろうか、 という疑いが起る。読んでみると、一応は尽きているういうアイデアが氏の作物には欠けていることは事実 とま ( 3 ) 233

6. 夏目漱石全集 11

むこう 時妻の枕を蹴飛ばしてやろうかと思 0 た。「だまってていますかと聞いた。それから膳を下げて向へ行った 時、下女にまたこっちから話させられたと言った。 寐てくれ」と言って厠へ行った。妻ははいと答えた。 漁師の娘だとか号する下女は病中だん / \ 笑いだし ( これは去年のことである ) 近ごろは向から話すこと た。なんでもげら / 、、笑っていた。私のむやみに笑うがある。私にはそれがなんの目的だか分らない。 ことが嫌なのは妻のよく承知していることであった。 しかし私はこの下女の笑うのに不快も抱かなければわ私のうちに若い人の細君がくると私が応対をする、 ざとらしさも感じなかった。すると妻が表へ出る時そ妻も女だから義理で出てくる。ある時ある人が来た時 の下女にあんまり笑うのはおよし、口惜しがるからともそのとおりであった。すると彼女は下女に出ないと、 言った。それから下女はあまり笑わなくなった。しかまた何か言われるからと言 0 ていた。すべて私の耳に 、、はいるような、またはいらないような距離と音声でこ しロ臂しがるからとは、 いったい誰が口惜しがるのカ ういうことさらな真をいうのである。 けしからんと思った。同じ下女は風呂場で妻が子供を とりつ 呼んでいる時、その言葉を取次ぐため、子供におい呼 そろ 私の上着と下着が揃わないと妻は妻の着方がわるい んでるよと大きな声を出した。そうして下女二人であ 仕方がないと上着と下着を縫いつけて からだという。 とからたまらなく可笑しいような声を出して笑った。 着せる。私は着物の裏が横からはみ出した着物が嫌で しか ある。それを叱るとこれまた着方がわるいのだという。 妻は私が黙っていると決して向うからロを利かない 女であった。ある時私は膳に向って箸を取ると、そのそうして何年経っても改めない。現に今着ているのは 箸が汚れていたのでそれを見ていた。すると妻が汚れ着た最初から裏がはみ出している。 かわや ふろば ( 1 )

7. 夏目漱石全集 11

が大切なのである。 capitalist から金をとり上げれば ない。人格といったってえらいということでもなけれ ゼロである。なんにもできない。同様にあなたがたか ば、偉くないということでもない。個人の思想なり観 ら腕をとり上げても駄目である。吾々は腕も金もとり 念なりを中心として考えるということである。 上げられてもい、が、人間をとり上けられてはそれこ 一口に言えば、文芸家の仕事の本体すなわち es ・ そ大変である。 sence は人間であって、他のものは付属品装飾品であ あなたがたのほうでは技術と自然との間になんらのる。 矛盾もない。しかし私共のほうには矛盾がある。すな この見地より世の中を見わたせば面白いものです。 わちごまかしがきくのです。悲しくもないのに泣いた こういうのは私一人かもしれませんが、世の中は自分 おこ り、嬉しくもないのに笑ったり、腹も立たないのに怒を中心としなければいけない。もっとも私は親が生ん ったり、こんな講壇の上などに立ってあなたがたからたので、親はまたその親が生んだのですから、私はた また 偉く見られようとしたりするのでーーこれはある程度だ一人でぼつりと木の股から生れたわけではない。そ まで成功します。これは一種の a 「 ( である。 art と人こでこういう間題が出てくる。人間は自分を通じて先 間のあいたには距離を生じて矛盾を生じやすい。あな祖を後世に伝える方便として生きているのか、または ろう たがたにも人格にない a 「 ( を弄していることがたく自分そのものを後世に伝えるために生きているのか。 ねむ さんある。すなわちねないのに、睡くないようなふり これはどっちでもい、ことですけれども、とりようで をするなどはその一例です。かく art は恐ろしい は二様にとれる。親が死んだからその代理に生きてい 吾々にとっては art は二の次で、人格が第一なのでるともとれるし、さようでなくて己は自分が生きてい す。孔子様でなければ人格がない、なんていうのじゃるんで、親はこの己を生むための方便た、自分が消え おのれ 260

8. 夏目漱石全集 11

あが がち ( 4 ) イム ら上 0 てきた。二人の間には目を遮ぎる幾多の黒い頭肉を隠し勝であ 0 た。たは頭に護謨製の頭巾を被っ えびちゃ あい なみま が動いていた。特別の事情のないかぎり、私はついにて、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そ ) ありさま う有様を目撃したばかりの私の目には、猿股一つで 先生を見逃したかもしれなかった。それほど浜辺が混 ( 1 ) 雑し、それほど私の頭が放漫であったにもかゝわらず、済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも 私がすぐ先生を見付出したのは、先生が一人の西洋人珍らしく見えた。 を伴れていたからである。 彼はやがて自分の傍を顧りみて、そこにこゞんでい すぐ ひとことふたこと その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るる日本人に、一言二言なにか言った。その日本人は砂 てぬぐい ゃいなや、すぐ私の注意を惹いた。純粋の日本の浴衣の上に落ちた手拭を拾い上げているところであったが ' しようぎ を着ていた彼は、それを床儿の上にすほりと放り出しそれを取り上けるやいなや、すぐ頭を包んで、海の方 うでぐみ たまゝ、腕組をして海の方を向いて立っていた。彼はヘ歩きだした。その人がすなわち先生であった。 お ゅ さるまた なにものよだ 我々の穿く猿股一つのほか何物も腮に着けていなかっ 私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く まっすぐ うしろすがた た。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日ま二人の後姿を見守っていた。すると彼等は真直に波の とおあさいそぢか ( 2 ) ゅ えに由井が浜まで行って、砂の上にしやがみながら、 中に足を踏み込んだ。そうして遠浅の磯近くにわいわ たにんす いいでいる多人数の間を通り抜けて、比較的広々し 長いあいだ西洋人の海へ入る様子を眺めていた。私の しりおろ わき ( 3 ) 尻を卸した所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍がホた所へ来ると、二人とも泳ぎだした。彼等の頭が小さ テルの裏口になっていたので、私のじっとしているあく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返 もど だいぶ多くの男が塩を浴びに出てきたが、い してまた一直線に浜辺まで戻ってきた。掛茶屋へ帰る ずれも胴と腕と股は出していなかった。女はことさらと、井戸の水も浴びすに、すぐ身体を拭いて着物を着 みのが みつけだ ふたり さえ ひとり にほんゆかた はまべ ほう ふつか みん 、え すきんかぶ

9. 夏目漱石全集 11

よそゆき そでぐち 余所行の嗣着がむやみに袖口から顔を出す。妻は寸供が学校へ行ってしまって、すべてが片づいた時分に 法が合っていると主張して取り合わない。二年ばかりのそ / 起きて来る。そのくせどこかへ約東があって ( 1 ) すると妻は自分のほうからユキはあっているが背の縫行く時は何時だろうが驚ろくべく早く起きる。そうし うったえ 目がまがっているのであるとっげた。しかもそのまがてその日一日出てあるいていながら別に頭痛の訴も起 うち ( ママ ) り方はなんでも一寸以上である。それは宅へ作ったのさないから不思議千万である。近ごろはそれが私より か裁縫屋へやったのか知らないが、もしそれを計るも早く起きるようになった。これはわが家の七不思議の のさしがあるなら、またそれだけの気があるなら、こ 一つである。聞けば静座で頭がよくなったのだぐらい っちで袖口が出ると注意した時によく調べてもよさそ いうから私は聞かずにいる。 うなものである。 妻君の按摩も驚ろくべき現象の一つである。ほとん 妻は朝寐坊である。小言を言うとなお起きない、時ど毎日のように按摩をする。それは女按摩と男按摩と ( 2 ) おおくま とすると九時でも十時でも寐ている。洋行中に手紙で両方である。この女按摩は大隈さんの所へ行ったり、 さえぐさ こと 何時に起るかと聞き合せたら九時ごろだといった。普またその親類の三枝といううちへ行ったりするので言 ばろかい 通の家庭で細君が九時ごろ起きて亭主がそれまえに起葉遣が丁寧であるが、それがことみ \ く矛盾で持ち切 ぎるのはきわめて少ない、そんな亭主はべーロシアと っている。自分のことや他のことで慎んでいうべきと しか思われない。妻は頭がわるいということをきっと ころへなさいましたとか、あそばしたとかいう。自分 口実にする。早く起ぎるとあとで仕事をすることがでにはそれがわざと言っているとしか聞えない。しかる きない、終日ほんやりしていると主張する。それで子に細君は之居へ行ったり、有楽座に行ったりするとき こうじっ あさねぼう あんま

10. 夏目漱石全集 11

ろ 鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私むような感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち にぎ かざ あが 上りました。私はふと賑やかな所へ行きたくなったの も冷たい手を早く赤い炭の上に翳そうと思って、急い あが で自分の室の仕切を開けました。すると私の火鉢にはです。雨はやっと歇ったようですが、空はまた冷たい じやめ ヘレ 4 ~ ュ 鉛のように重く見えたので、私は用心のため、蛇の目 冷たい灰が白く残っているだけで、火種さえ尽きてい ほうへいこうしよう を肩に担いで、砲兵工廠の裏手の土塀について東へ坂 るのです。私は急に不愉快になりました。 その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでしを下りました。その時分はまた道路の改正ができない まんなか ころなので、坂の勾配が今よりもすっと急でした。道 た。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、 まっすぐ にほんふく 気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せ幅も狭くて、あ、、真直ではなかったのです。そのうえ てくれたりしました。それから私が寒いというのを聞あの谷を下りると、南が高い建物で塞がっているのと、 みずはき いて、すぐ次の間からの火鉢を持って来てくれまし放水がよくないのとで、往来はどろ / \ でした。こと ( 1 ) ゃなぎちょう た。私がはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんに細い石橋を渡って柳町の通りへ出るあいだが非道か ながぐっ ったのです。足駄でも長靴でもむやみに歩くわけには は帰ってまた出たと答えました。その日もは私より どろ みちまんなか 後れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳ゆきません。たれでも路の真中に自然と細長く泥が掻 かと思いました。奥さんはおおかた用事でもできたのき分けられた所を、後生大事に辿って行かなければな らないのです。その幅はわすか一二尺しかないのです だろうと一一一口っていました。 私はしばらくそこに坐ったま、書見をしました。宅から、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向へ の中がしんと静まって、だれの話し声も聞こえないう 越すのと同じです。行く人はみんな一列になってそ からた はっふゅ ちに、初冬の寒さと佗びしさとが、私の身体に食い込ろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりと ばら しきり ひばち お かっ お どぺい むこう