きよう れを今日小包で送りますから、もしお気に召したらお 読みください。あなたのような若い人がそんなひどい わか 胃病にか、るのはちょっと変ですが、病名が分ります いな か。できるなら専門の医者にみてもらうとい、が、田 しかた 五一「心」執筆中の漱石 ( 一 l) 舎の事だから仕方がないでしよう。よく療養をなさい。 六月ニ十五日 ( 木 ) 午後六時ー七時牛込区早稲田南 それからお寺になにも読む本のないのも変ですが、こ 町七番地より麹町区内山下町一丁目一番地東洋協会内森 れも焚けたのなら致し方もない。しかし景色がよくっ あじわ 次太郎へ て静たから、そんな所でも味ってお楽しみなさい。以 上 拝啓先刻は御光来くだされましたところ、あいに 九月六日 夏目金之助 く原稿原皹」 ) を書いていましたので、また来るとか もうしあげ でお帰りになったそうですが、はなはた御無礼を申上 鬼村元成様 祥福寺はたいへんよさそうな所ですね。今度あちらて済みません。近ごろは午前中に原稿を書く癖がつい ているのでそれを怠たると、心持がわるくって仕方が へ行ったら見に行きましよう。 ないため時々こういう失礼をあえてするのです。どう 五〇禅僧の愛読者 ( 四 ) ぞ御勘弁を願います。今日はことに面会日の木曜だか 六月十五日 ( 月 ) 午後八時ー九時牛込区早稲田南町ら、なお恐縮いたします。平日でも午後ならたいてい ひま ござ 七番地より島根県簸川郡出西村全昌寺鬼村元成へ〔は在宅で、時間も御座いますから、もしお閉があったら がき〕 お出を願います。以上 ( 1 ) うすらかご あの本は返さないでよござんす。鶉籠の縮刷はその うち本屋から取り寄せてあげましよう。 六月十五日 きよう 31 イ
のである。 も良い書画を見るくらいの心持さえ起したことはない。 つま 小さくなって懐手して暮したい。明るいのが良い 日本音楽などはなおさら詰らぬものだと思う。たゞ謡 なま あしかけ 曲だけはやっている。足掛六七年になるが、これも怠暖かいのが良い。 ( 1 ) しも けているから、どれほどの上達もしていない。下がか性質は神経過敏のほうである。物事に対して激しく ( 2 ) ほうしようあらた ほうしよう りの宝生で、先生は宝生新氏である。もっとも私は感動するので困る。そうかと思うと、また神経遅鈍な 芸術のつもりでやっているのではなく、半分運動のっところもある。意志が強くて押える力のあるためとい うのではなかろう。まったく神経の感じの鈍いところ もりで唸るまでのことである。 ( 3 ) そうけい がどこかにあるらしい。 書画だけには多少の自信はある。あえて造詣が深い というのではないが、い、書画を見た時ばかりは、自物事に対する愛憎は多いほうである。手回りの道具 ことば 然と頭が下るような心持がする。人に頼まれて書を書でも気に入 0 たの、嫌いなのが多いし、人でも言葉っ くち くこともあるが、自己流で、別に手習いをしたことはき、態度、仕事の遣り口などで好きな人と嫌いな人が ほんと ある。どんなのが好きで、どんなのが嫌いかというこ よい。真の恥を書くのである。骨董も好きであるがい しる わゆる骨董いじりではない。第一金が許さぬ。自分のとは、いずれまた記す機会があろうと思う。 ( 4 ) しつむ ふところ 朝は七時過ぎ起床。夜は十一時前後に寝るのが普通 慎都合のい、物を集めるので、知識は悉無である。 うたゝね どこの産だとか、時価はどのくらいだとか、そんなこである。昼食後一時間くらい、転寝をすることがある とはいっさい知らぬ。しかし自分の気に入らぬ物なら、が、これをすると頭のエ合のたいへんよいように思う。・ でふしよう 出不精のほうであまり出掛けぬが、時々散歩はする。 何万円の高価な物でも御免をる。 ( 5 ) めいそうじようき 明窓浄机。これが私の趣味であろう。閑適を愛する俗用で外出を已むなくされることも、たまにはないで ( 6 ) や ふところで きら 230
強盗的行為にでることをいう。 spoil ( 英 ) 。損じる。人を甘やかして IIOI( ( 1 ) スポイル かくせい 悪い影響を与える。 一翁 ( 1 ) 覚醒迷いからめざめること。新しい世界に目が らんすい ひらけること。 一一 0 七 ( 1 ) 爛酔十分に酔いのまわること。 しれつ へ ( 1 ) 熾烈勢いがさかんで、はげしいこと。 一一 0 〈 ( 1 ) 所決処決。きつばりと処置をつけること。の 自殺をさす。 一兊 ( 1 ) 追窮「追求」と同じ意味。 ぞんじゅ じゅみよう ( 2 ) 果断思いきってことを行なうこと。 三一 ( 1 ) 天寿 . 天からさずかった寿命。 ( 3 ) 優柔決断力を欠いてにえきらないこと。 三三 ( 1 ) 西南戦争明治十年 ( 1877 ) 二月、征韓論が容れ めつかち 一九 0 ( 1 ) 片眼物事が十分に見えないことのたとえ。 られず中央政界を去っていた西郷隆盛をたてて、子弟た くったく ・よ・ , 、よと』に亠 , ること。 一九一 ( 1 ) 屈託 ちが鹿児島に起した反乱。同年九月、隆盛以下自刃して じん・ほうちょう 平定された。 一九三 ( 1 ) 神保町の通り神田の有名な本屋街。 みようじん 一九四 ( 1 ) 明神の坂神田祭りで有名な明神様への・ほる坂。 ( 2 ) 敵に旗を奪られて大正元年 ( 1912 ) 九月十七 また 日に新聞に発表された小笠原長生宛の乃木大将の遺書に ( 2 ) この三区に跨がって本郷区・神田区・小石川 せうせいこのたひ せいなんのたたかひこれしんじさふらへどもか 「 : : : 小生此度の処決は西南戦以来之心事に候得共期 区をいう。現在では本郷区・小石川区は合して文京区と かしこ みあと たてまっさふらふやう よさ ) これあるべし なり、神田区は千代田区と改称されている。 く畏くも御跡を追ひ奉り候様の場合可有之とは予想 なまり めし つかまつらすおそれいりさふらふぎ・こざさふらふむなしく すごしさふらふて も不仕恐入候儀に御座候空敷今日を過候而は ( 3 ) 鉛のような飯気分がすぐれず、御飯の味がわ ろくろくごよう あひたたすくわぶんごいうぐうよく からなかったことのたとえ。 日に加はる老衰碌々御用にも不相立過分の御優遇に浴す きようノ、た る事恐懼に堪へず・ : ・ : 」とある。 一究 ( 1 ) 薄志弱行意志が弱く、実行力のないこと。 けいどうみやく ( 3 ) 頓死急死。ぼっくり死ぬこと。 一一 0 一 ( 1 ) 頸動脈大動脈の分脈で頸部を通り頭部へ血液を わたなべかざん 送る血管。心臓から近いため血圧が強く、切れば血が噴三四 ( 1 ) 渡辺崋山寛政五年ー天保十一一年っ 793 ー】 84 こ。 出する。 幕末の南画家。政治にも関心があり、攘夷を非難した乃 じようだん 一一 0 三 ( 1 ) 笑談ふつう「冗談」と書く。 『慎機論』を書いた。 と
へや も立て切ってあると私の室との仕切の襖が、このあ立竦みました。それが疾風のごとく私を通過したあと いだの晩と同じくらい開いています。けれどもこのあで、私はまたあ、失策ったと思いました。もう取り返 いだのように、の黒い姿はそこには立っていません。しが付かないという黒い光が、私の未来を貫ぬいて、 んしようがいものすご 私は暗示を受けた人のように、床の上に肱を突いて起一瞬間に私の前に横わる全生涯を物凄く照らしました。 ランプ のぞ あが き上りながら、きっとの室を覗きました。洋燈が暗そうして私はがた / 、、顫えだしたのです。 それでも私はついに私を忘れることができませんで く点っているのです。それで床も敷いてあるのです。 かけぶとんはねかえ しかし掛蒲団は跳返されたように裾の方に重なり合っした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に目を着けま なあて ているのです。そうして自身は向うむきに突ッ伏しした。それは予期どおり私の名宛になっていました。 私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期し ているのです。 私はおいと言って声を掛けました。しかしなんの答たような事はなんにも書いてありませんでした。私は もありません。おいどうしたのかと私はまたを呼び私にとってどんなに辛い文句がその中に書き列ねてあ からだ ました。それでもの身体はちっとも動きません。私るたろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥 ぎわ はすぐ起ぎ上って、敷居際まで行きました。そこからさんやお嬢さんの目に触れたら、どんなに軽蔑される かもしれないという恐怖があったのです。私はちょっ 彼の室の様子を、暗い洋燈の光で見回してみました。 と目を通したたけで、まず助かったと思いました。 その時私の受けた第一の感じは、から突然恋の自 せけんてい 白を聞かされた時のそれとほヾ同じでした。私の目は ( もとより世間体のうえたけで助かったのですが、そ ガラス の世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に 彼の室の中を一目見るやいなや、あたかも硝子で作っ た義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立に見えたのです ) 。 あ すそ むこ しきりふすま にうたち たちすく よこた ふる けいべっ 198
( 1 ) いきぐみ 常にを畏敬していました。 とする意気組に卑しいところの見えるはすはありませ は中学こ 冫いたころから、宗教とか哲学とかいうむん。私はの説に賛成しました。私の同意がにとっ ずかしい問題で、私を困らせました。これは彼の父のてどのくらい有力であったか、それは私も知りません。 感化なのか、または自分の生れた家、すなわち寺とい 一図な彼は、たとい私がいくら反対しようとも、やは ちがい う一種特別な建物に属する空気の影響なのか、解りま り自分の思いどおりを貫ぬいたに違なかろうとは察せ せん。ともかくも彼は普通の坊さんよりははるかに坊られます。しかし万一の場合、賛成の声援を与えた私 こども さんらしい性格を有っていたように見受けられます。 に、多少の責任ができてくるぐらいの事は、子供なが ・元来の養家では彼を医者にするつもりで東京へ出しら私はよく承知していたつもりです。よしその時にそ がんこ たのです。しかるに頑固な彼は医者にはならない決心れたけの覚悟がないにしても、成人した目で、過去を むか ・をもって、東京へ出て来たのです。私は彼に向って、 振り返る必要が起った場合には、私に割り当てられた それでは養父母を欺むくと同じ事ではないかと詰りま だけの責任は、私のほうで帯びるのが至当になるくら した。大胆な彼。 よそうだと答えるのです。道のためな いな語気で私は賛成したのです。 ら、そのくらいの事をしてもかまわないと言うのです。 その時彼の用いた道という言葉は、おそらく彼にもよ く解っていなかったでしよう。私はむろん解ったとは 「と私は同じ科へ入学しました。は澄ました顔を ばくをん すき 一口えません。しかし年の若い私達には、この漠然としして、養家から送ってくれる金で、自分の好な道を歩 た言葉が尊とく響いたのです。よし解らないにしてもきだしたのです。知れはしないという安心と、知れた紹 ってかまうものかという度胸とが、二つながらの心 気高い心持に支配されて、そちらの方へ動いてゆこう あざ いちす す
文壇のこのごろ そうきん せとびぎ けた畳に天井から雨でも漏るのか、雑巾を入れた瀬戸引の かなだらい わきコート 金盥の置いてあった脇に外套を脱いで、私は書斎に通った。 ノ文壇にあらわれる諸家の作物は、つとめて読むよう とくだしゅうせい にしているが、このごろ読んだものの中に、徳田秋声 氏の「あらくれ」がある。「あらくれーはどこをつかま うそ たす わせだ えても嘘らしくない。 この嘘らしくないのは、この人 ある雨の日の朝、早稲田に夏目さんをお訪ねした。、 かたわらくぐりはい ものように門が閉っているので、傍の潜を入ってさらに壁の作物を通じての特色だろうと思うが、世の中は苦し から しげ けがら の落ちた玄関先に立つ。蔦が右手の柱に絡みついて繁って いとか、穢わしいとか , ーー穢わしいでは当らないかも よびりんボタ あ ことば いる。格子戸を開けようとしたが開かないので、呼鈴の電 さが しれない。女学生などの用いる言葉に、「随分ね」と言 鈕を捜すと蔦の葉の影に隠れている。電鈕が人に見付けら とざ うのがある。私はその言葉をこに借用するが、つま れるのを恐れているようである。門が閉されて、関の格 り世の中は随分なものたというような意味で、どこか 子戸が閉って、そうして呼鈴の電鈕まで人の目を逃れよう ( 1 ) ふところで や としている。この家の主人がいっか私に向って「懐手してらどこまで嘘がない。 世の中を小さく暮したい」と言った言葉を、私はその時思 〇もっとも他の意味で「まこと」の書いてあるのとは い出していた。 ・こもっと 電鈕を押すのを少し気の毒に思いながら、私は蜘蛛の巣違う。したがって読んでしまうと、「御尤もです」とい 洋りよ あまどい あまみす かげさま のように腐食し切った霧除けの雨樋の水の穴から、雨水が うような言葉はすぐ出るが「お蔭様でーという言葉は ひとり あ どう / く、落ちて来るのを見ていると、一人の女中が出て来 出ない。「お蔭様で」という言葉は普通「お蔭様で有り た。そうして戸を開けずに格子の間から私の名刺を受取っ がとうございました」とか、「お蔭様で利益を得まし た。 すす まもなく私はその格子戸の中に入ることを許された。煤た」とか、「お蔭様で面白うございました」とか言う場 ソ ( 2 ) おもしろ
なんだから、あ、しておいでのうちに喜こばしてあげ「私もそう思うんだけれども、読まないと承知しない るように親孝行をおしな」 んだから、しようがない」 憐れな私は親孝行のできない境遇にいた。私はつい 兄は私の弁解を黙って聞いていた。やがて、「よく に一行の手紙も先生に出さなかった。 解るのかな」と言った。兄は父の理解力が病気のため に、平生よりはよっぽど鈍っているように観察したら まくらもと十わ 兄が帰って来た時、父は寐ながら新聞を読んでいた。 「そりや慥です。私はさっき二十分ばかり枕元に坐っ 父は平生から何を措いても新聞たけには目を通す習慣ていろ / 話してみたが、調子の狂ったところは少し たいくっ であったが、床についてからは、退屈のためなおさらもないです。あの様子じゃことによるとまたなか / イ、 持つかもしれませんよ」 それを読みたがった。母も私もしいては反対せすに、 なるべく病人の思いどおりにさせておいた。 兄と前後して着いた妹の夫の意見は、我々よりもよ むか 「そういう元気なら結構なものだ。よっぽど悪いかと ほど楽観的であった。父は彼に向って妹の事をあれこ 思って来たら、たいへん好いようじゃありませんか」れと尋ねていた。「身体が身体だからむやみに汽車に にぎ 兄はこんな事を言いながら父と話をした。その賑やなんぞ乗って揺れないほうが好い。無理をして見舞に かすぎる調子が私にはかえって不調和に聞こえた。そ来られたりすると、かえってこっちが心配たから」と はす さむか なお あかぼう れでも父の前を外して私と差し向いになった時は、む言っていた。 「なにいまに治ったら赤ん坊の顔でも見 ひさぶり でかけ さしつかえ しろ沈んでいた。 に、久し振にこっちから出掛るから差支ないーとも言 っていた。 「新聞なんか読ましちや不可なかないかー お わか わたし たしか わたし 0 )
足を与えられない人間なのです。それから、ある特別「先生、罪悪という意味をもっとはっきり言って聞か の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられなしてください。それでなければこの間題をこ、で切り いでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。上げてくたさい。私自身に罪悪という意味がはっきり よそ あなたが私から余所へ動いて行くのは仕方がない。私解るまで」 「悪いをした。私はあなたに真実を話している気で はむしろそれを希望しているのです。しかし : : : 」 いた。ところが実際は、あなたを焦慮していたのた。 私は変に悲しくなった。 「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方私は悪い事をした」 ( 2 ) うぐいすだに 先生と私とは博物館の裏から鶯渓の方角に静かな歩 がありませんが、私にそんな気の起ったことはまたあ かきすきま りません、 調で歩いて行った。垣の隙間から広い庭の一部に茂る くまざさ ( 3 ) ゅうすい 熊笹が幽邃に見えた。 先生は私の言葉に耳を貸さなかった。 け っ 「君は私がなせ毎月雑司ヶ谷の墓地に埋っている友人 「しかし気を付けないと不可ない。恋は罪悪なんだか ら。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、の墓へ参るのか知っていますか . 君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていま先生のこの間はまったく突然であった。しかも先生 は私がこの間に対して答えられないということもよく 私は想像で知っていた。しかし事実としては知らな承知していた。私はしばらく返事をしなかった。する と先生ははじめて気が付いたようにこう言った。 かった 0 、・ しすれにしても先生のいう罪悪という意味は 、もうろう 朦朧としてよく解らなかった。そのうえ私は少し不愉「また悪い事を言った。焦慮せるのが悪いと思って、 决になった。 説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せ まこと
「つまり、おれが結構ということになるのさ。おれは思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのく おろか お前の知ってるとおりの病気だろう。去年の冬お前に らい響くかも考えすにいた私はまったく愚ものであっ かばん 会った時、ことによるともう三月か四月ぐらいなものた。私は鞄の中から卒業証書を取り出して、それを大 つぶ だろうと思っていたのさ。それがどういう仕合せか、事そうに父と母に見せた。証書は何かに圧し潰されて、 きよう 今日までこうしている。起居に不自由なく、こうして元の形を失っていた。父はそれを丁寧に伸した。 いる。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉しいの 「こんなものは巻いたなり手に持ってくるものだ , ( 1 ) たんせい むすこ さ。せつかく丹精した息子が、自分のいなくなったあ「中に心でも入れると好かったのに」と母も傍から注 じようぶ とで卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出て意した。 くれるほうが、親の身になれば嬉しいだろうじゃない 父はしばらくそれを眺めたあと、起って床の間の所 かんがえも だれ か。大きな考を有っているお前から見たら、たかが大へ行って、誰の目にもすぐはいるような正面へ証書を 学を卒業したぐらいで、結構だ / 、と言われるのはあ置いた。いつもの私ならすぐなんとかいうはすであっ まり面白くもないだろう。しかしおれのほうから見てたが、その時の私はまるで平生と違っていた。父や母 ごらん、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前 に対して少しも逆らう気が起らなかった。私はだまっ な にとってより、このおれにとって結構なんだ。解ったて父の為すがま、に任せておいた。いったん癖のつい 力し」 た鳥の子紙の証書は、なか / \ 父の自由にならなかっ あや ごん おの 私は一言もなかった。詫まる以上に恐縮して俯向い た。適当な位置に置かれるやいなや、すぐ己れに自 いぎおい ていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたもな勢を得て倒れようとした。 のとみえる。しかも私の卒業するまえに死ぬだろうと おもしろ たちい うつむ ( 2 ) さか よ ていねいの かたわら
の若葉が、だん / 、暗くなってゆくように思われた。 いた。二人は大きな金魚鉢の横から、「どうもお邪魔 ひゞき あいさっ 遠い往来を荷車を引いて行く響がごろ / 、と聞こえた。をしました」と挨拶した。お上さんは「いゝえお構い 私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日へでも出申しもいたしませんで」と礼を返したあと、さっき小 どもや 掛けるものと想像した。先生はその音を聞くと、急に供に遣った白銅の礼を述べた。 めいそう かどぐち むか 瞑想から呼息を吹き返した人のように立ち上った。 門口を出て二三町来た時、私はついに先生に向って なが 「もう、そろ / \ 帰りましよう。・こ、ぶ日が永くなっ 口を切った。 たようだが、やつばりこう安閑としているうちには、 「さきほど先生の言われた、人間はだれでもいざとい まぎわ いつのまにか暮れてゆくんだね」 う間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはど あおむきねあと 先生の背中には、さっき縁台の上に仰向に寐た痕が うう意味ですか」 しつばい着いていた。私は両手でそれを払い落した。 「意味といって、深い意味もありません。 つまり やに 「ありがとう。脂がこびり着いてやしませんか」 事実なんですよ。理屈じゃないんだ」 きれい さしつかえ 「綺麗に落ちました」 「事実で差支ありませんが、私の伺いたいのは、いざ 「この羽織はついこないだ拵らえたばかりなんだよ。 という間際という意味なんです。いったいどんな場合 だからむやみに汚して帰ると、妻に叱られるからね。 を指すのですか」 ありと 有難う」 先生は笑いだした。あたかも時機の過ぎた今、もう ふたり 二人はまただら / \ 坂の中途にある家の前へ来た。熱心に説明する張合がないといったふうに。 けしき かみ はいる時には誰もいる気色の見えなかった縁に、お上「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人にな さんが、十五六の娘を相手に、糸巻へ糸を巻きつけてるのさ」 よはこ しか うち あが きんぎよばち じゃま