い線を引いておきました。以上 一一五「硝子戸の中ーの女 ( 一 l) 十二月十八日 やまだしげこ 十ニ月ニ十七日 ( 日 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田 山田繁子様 南町七番地より牛込区喜久井町三十六番地牛尾方吉永秀 一一四漱石の画 ( 四 ) へ あなたのお話を伺った時私は非常にお気の毒に思い 十ニ月ニ十一日 ( 月 ) 午後一時ー一一時牛込区早稲田 南町七番地より小石川区高田老松町四十一一一番地津田亀次ました。しかし私のカではあなたをどうしてあけるわ 郎へ けにもゆかないと思いまして、ただ今お手紙が参って このあいだもらった君の梅と竹の画の表装ができてあなたはまだ東京におられることを知りました。そ ) きましたから掛けています。なか / \ 立派です。私のしてまた教師になって生活されるという御決心を知り うれ もできてきましたが、これはどうもあなたが賞めてくました。私はそれを嬉しく思います。どうぞ教師とし ださったほど感心しません。今度の木曜にでも来てまて永く生きていてください。以上 夏目金之助 十二月二十七日 ずあなたのを見てくたさい。私は酒さえ飲めればあな しゆくはいあ 吉永秀子様 たのために祝盃を挙げたいと思っています。斎藤与里 君に頼まれて絵 ( 静物 ) を一枚買わせられました。以 十二月二十一日 夏目金之助 津田青楓様 りつば 夏目金之助 一一六訳文の序を求められて 十ニ月ニ十七日 ( 日 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田 南町七番地より小石川区原町十二番地木村恒へ
一 0 五「硝子戸の中 , の女 ( こ 十一月九日 ( 月 ) 午後二時ー三時牛込区早稲田南町 ( 1 ) 七番地より牛込区喜久井町三十六番地牛尾方吉永秀へ 一 0 四持込み小説を読みて ( 一 l) 拝復このあいだはお出くださったところ、留守で 十一月九日 ( 月 ) 午後二時ー三時牛込区早稲田南町七失礼いたしました。あなたは私の書物を愛読してくだ 番地より小石川区原町十二番地木村恒へ さるそうですが博謝いたします。しかし人の作物はよ おもしろ 玉稿は拝見しました。薬屋を始めたら、薬屋の事をんで面白くても会うと存外いやなものです。だから古 これからお書きなさい。そうして家業に精をお出しな人の書物が好きになるのです。私はお目にか、るのは さい。王稿の価値はまあ一とおりのものです。原稿の構いませんが、お目にか、る価値のない男ですから、 払底な雑誌なら、あるいは載せるかもしれません。こ ナそれほど御希望でないならお止めなさい。それから私 たもう少し奥へ進んだところが一個所あ 0 て、それがに会ってどうなさるおつもりですか。たゞ会うのです ( ママ ) よ 扇のカナメのようになっていると一変好いと思います。 か。私は物質的にはむろん精神的にあなたに利益を与 あれはお返ししますか、またはお預りしておきますか。える囀はとうていできまいと思います。 御返事次第でどうともいたします。以上 失礼ですが、あなたたいへん奇麗で読み易い字をお 十一月九日 夏目金之助 書きになります。私はこのとおり乱暴です。御推読を 木村恒様 願います。不悉 十一月九日 夏目金之助 十一月九日 おかたまさゆき 岡田正之先生 夏目金之助 344
八月二十三日 九 0 『現代名作集第一編』 田村俊子様 八月ニ十六日 ( 水 ) 午後六時ー七時牛込区早稲田南 八九第一次世界大戦 町七番地より府下代々木山谷三百一一十九番地鈴木三重吉 八月ニ十五日 ( 火 ) 午前九時ー十時牛込区早稲田南 ( 1 ) すなが 町七番地より島根県簸川郡出西村全昌寺鬼村元成へ 拝復須永の話を分冊にするならば、二冊にして一 拝啓あなたの病気はだん / 、よくなるそうで結構度に出してください。それから両方で二百頁になるよ こうべ うに何か好い加減なものをつめ込むのは少々困ります。 す。早くよくなって神戸へ入らっしゃい。私はたい して変りはありません。まあどうかこうか生きていま分冊なら分冊でい、から、はっきり二冊にしていたゞ す。戦争 ( 注 次大戦 ) が始まりました。たまにはあんな事きたいと思います。右は無理かもしれませんが、私の ほうの都合もありますから、どうそあしからず。草々 も経験のため好かろうと思います。欧州のものどもは 夏目金之助 八月二十六日 長いあいた戦争を知らずにいますから。あなたはあっ 鈴木三重吉様 い所にいて寐ていますか。あなたのほうからいえば寐 るのも禅でしよう。私は精神がぼうっとして、その結 九一最近新作家について 果昼寐をします。私の頭にはかえってそれがい、ので 八月〔 ? 〕牛込区早稲田南町七番地より牛込区矢来町 す。からだをお大事になさい。以上 三番地新潮社「新潮」へ〔応間九月一日発行「新潮。よ 5 八月二十五日 夏目金之助 鬼村元成様 夏目金之助
( 2 ) らっかん かろさんじん 拝啓せんたっての御依頼により金沢の大谷君へ委ろ、筆者あいわからず。落款には瓜廬散人とこれ有り 細打開たのみたるところ、別紙のごとぎ返事あり。君候ゆえ、画家人名辞書など繰りひろげ探したれど見当 ありさま ぞんじそろ の転任のことはこれにて当分むづかしき有様なり。大つかず。もし大兄御存じならば伺いたしと存候。もし だれ 谷君の手紙は逐一事情を明かにしあれば御参考のため御承知ならば、ついでの節調べるか誰かに聞いていた そろごびけん 同封にてお送りいたし候。御披見しかるべく候。昨日 だきたいと思います。もとより急ぐことではありませ や わか より雪にて今なほ降り已ます、なか / \ の寒気に候。ん。また分らなければならないほど必要でもありませ おんち 御地降灰はいかにやぐ んが、知れれば知りたいのです。ちとお出掛なさい。 じゃま 右まで。匇々 私もそのうちお邪魔に出ます。以上 二月二十三日 二月二十四日 夏目金之助 はしぐちごよう 正禧様 橋ロ五葉様 一八散歩の掘出し物 一九朝日入社依頼に答えて ニ月ニ十四日 ( 火 ) 午前十一時ー十二時牛込区早稲 三月一日 ( 日 ) 午後三時ー四時牛込区早稲田南町七 ( 1 ) 田南町七番地より牛込区市谷左内坂町橋ロ清へ 番地より牛込区市谷船河原町十一一番地木村恒へ ぶさた かつけ 拝啓その後は御無沙汰お変りもなきや。脚気のほ あなたの手紙を読みました。それからあなたの小説 うはもうさつばり御平癒の事と存じます。さてこのあをよみました。だから事実の興味に駆られて小説とし むきす いだ散歩に出たついでに古道具屋で山水の小幅の気にての価値がつけにくくなりました。しかしどうも無癰 入りたるものあり。価格も低廉ゆえ、求め帰り候とこではあるが、いったいからいって高級に属するもので 金之助 でかけ 298
、ものよ、 五月十四日 ( 木 ) 午後五時ー六時牛込区早稲田南町 。い、加減につけておくと活版が天然に直し 七番地より本郷区向ケ岡弥生町三番地増田方林原 ( 当時 てくれます。 あざふみかわだい 岡田 ) 耕三へ〔はがき〕 あなたに用のできた時は仰のとおり麻布三河台へ手 ひるすぎ 紙を上げる事に爨します。以上 拝復午過よこ、 : ナし力い小説「、い」をかいてしまって 四月二十九日 夏目金之助 いますから会えるでしよう。しかしそれは特別で私の しがなおや 志賀直哉様 希望は木曜です。木曜にきて来足りない時に他の日に お出でなさい。からだはまあよろしい。 三九「読書世界」に答う 四一漱石の俳句 ( 一 ) 四月〔 ? 〕牛込区早稲田南町七番地より京橋区銀座一 丁目一番地読売新聞読書会「読書世界」へ〔応問五月 五月十五日 ( 金 ) 午後十時ー十二時牛込区早稲田南 町七番地より大阪府下浜寺羽衣松南水落義一へ 一日発行「読書世界」より〕 拝復お手紙をいたゞきましてありがとうございま 人から実例をあげて自分の意見を間われた場合には、 す。御病気で浜寺の方へ御療養にお出との事さぞ御退 ある程度までの返事はできますが、こっちからこうい う著およびこういう節が会心のものたととくにお答す屈だろうと存じます。このあいだある雑誌であなたの 浜寺からの俳句を拝見したことがありますが、まだ同 ることは困難であります。 じ所にお出なのですか、せいる、御加養御全快を祈り 夏目金之助 ます。私はどうかこうか生きてつまらないものを書い ています。俳句はほとんど作りませんが、このあいた 四 0 「心」執筆中の漱石 ( 一 ) お、せ 308
四月十日 三 0 「心」執筆前の漱石 ( 三 ) 津田青楓様 四月十日 ( 金 ) 午前十一時ー十二時牛込区早稲田南 三一雅号について 町七番地より小石川区高田老松町四十三番地津田亀次郎 へ 四月十日 ( 金 ) 牛込区早稲田南町七番地より埼玉県 拝復お帰りのよし、画が五六枚かけたよし、結構 秩父郡樋口村四方田美男へ です。そのうち見せてもらいに行きます。昨日はお出 お手紙を拝見いたしましたが、号などは入らぬもの とも気がっかず、博覧会へ出掛けて失礼しました。美ですから、よしになさい。私は号を有っているが、号 術館を見ました。いやな画が大半です。朝鮮館の出口を有っていない人がつまらないというわけにはなりま おもしろ に昔の陶器と仏像があります。そのうちには面白いもせん。つまり私は余計なものをもっているのでありま のがあります。座禅館という中にある木像も二つほどす。右まで 四月十日 気に入りました。私も、あなたと同じように、何かや 夏目金之助 しおだよしお りかけて油がのる時分に止める都合になるのが残念で 四方田美男様 す。画も、いやになるまでかいて、それからまた文学 なり批評なりに移「てゆぎたいと思います。小説 ( ) ももう書ぎはじめなければなりません。それで画はや めました。あの馬の画の柳へポッ / ( 、を打ちました。 多少よくなりました。今度来て見てください。以上 や 三ニ「心」執筆前の漱石 ( 四 ) 四月十四日 ( 火 ) 午前十時ー十一時牛込区早稲田南 町七番地より本郷区向ケ岡弥生町二番地寺田寅彦へ ひさん、 拝啓久々お目にか、らず、御起居いかゞと思ひを 夏目金之助 304
簡 三月二十九日 嗽石 つだせいふう ニ八地方の愛読者へ ( 一 ) 津田青楓様 さらはち 皿と鉢を買いました。もっと色々なものを買いたい。四月七日 ( 火 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田南町七 たのし 番地より埼玉県秩父郡樋口村四方田美男へ〔はがき〕 芸術品も天地と同じ楽みがあります。 お手紙を拝見しました。私にはあなたからそう慕わ ニ七「心」予告 れるほどの徳も才もありません。はなはだ慚愧の至で 三月三十日 ( 月 ) 午後三時ー四時牛込区早稲田南町あります。あなたの御自愛を祈ります。 四月七日 七番地より京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社内山本松 之助へ ニ九「三太郎の日記」 拝啓御教示の趣承知いたしました。今度は短編を 四月九日 ( 木 ) 午後八時ー九時牛込区早稲田南町七 いくつか書いてみたいと思います。その一つ一つには 番地より下谷区谷中天王寺町三十四番地阿部次郎へ〔は 違った名をつけてゆくつもりですが、予告の必要上全 こ、ろ がき〕 体の題が御入用かとも存じますゆえ、それを「心」と ・こちょうぞう ありがたく ( 2 ) 拝啓三太郞の日記御寵贈にあづかり、難有御礼申 致しておきます。 このほかに予告の文章は要らぬことと思います。敬し上げ候。あの「三太郎日記」といふ名は小生の好ま ぬものに候。中味は読んだのと読まないのとあり。 三月三十日 づれ拝見致す心得に候。御礼まで。匇々 夏目金之助 山本松之助様 そろ ( 1 ) ざんき いたり 303
八月九日 七番地より府下巣鴨町上駒込三百二十九番地野上八重へ 橋ロ貢様 拝啓王稿、死、たしかに届きました。さっそく社 のほうへ送っておきました。武者小路君の今書いてい 八ニケーベル先生の告別 ( 一 l) るのが都合で死という名に改まりました。あなたのも 八月十日 ( 月 ) 午後十一時ー十二時牛込区早稲田南死ですが、私の予定たと二つのあいだにたいぶ外の人 町七番地より京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社内山本を入れるつもりだからい、が、万一都合で二つの原稿 松之助へ がっヾいて出るか、または一つ二つ間を置いて出る場 拝復予告は御都合でよろしく願います。武者小路合には少々変ですが、なんとか題の変更しようはあり てかず 君の稿料お手数でした。ケ 1 ベルさんの事の原稿お約ませんか。 さしあげ 東のごとく十一日組込に間に合うよう差上ます。六面原稿料は社のほうから二三日うちにお届するはすで はそれほどでもないから載せていたヾけるでしよう。 す。一回四円です。そう思ってください。 とう ケーベルさんはたぶん立つでしよう。もし延ばすよう お父さんの病気はどうですか。いつ国へ立ちますか 9 もうしあげ なことがあったら電話で申上ます。以上 まずはお礼かたみ \ ・御照会まで。匇々 八月十日 夏目金之助 八月十二日 夏目金之助 野上八重子様 八三朝日の新人短編連載 ( 一一 l) 八四ケーベル先生の告別 ( 三 ) ハ月十ニ日 ( 水 ) 午後四時ー五時牛込区早稲田南町 八月十五日 ( 土 ) 牛込区早稲田南町七番地より大阪 - 夏目金之助 とゞけ 33 ?
上の変化も自然にかけばあれで面白いが、あれでは作 一四持込み小説を読みて ( 一 ) 者の概念を事実にするために事件を拵らえたとしか見 ニ月十四日 ( 土 ) 午後五時ー六時牛込区早稲田南町られないです。 七番地より牛込区市谷船河原町十一一番地木村恒へ あなたが急ぐようだから急いでみました。そうして 拝啓小説を拝見しました。あれも決して傑作では手紙で評をかきました。玉稿はお出まであずかってお そう / 、とんしゅ ありません。すなわち公表するに足るほどなものではきます。匇々頓 ~ 目 ひげ 二月十四日 ありませんでした。もっともよくないところは白い髭 夏目金之助 木村恒様 の生えているお爺さんの出てくるところです。全体か ら見て余計なばかりでなく離してみてもうその色彩に 一五鹿児島の弟子 ( 一 ) すぎません。 まぐさ はじめの出合のところ、宅で馬に秣をやるあたり、 ニ月十八日 ( 水 ) 午後八時ー九時牛込区早稲田南町 けんか 七番地より金沢市茨木町四十五番地大谷正信へ 店の喧嘩、若いものが夜いたずらをするところなどは かなざわ よろしゅうございます。 拝啓東京はたんど、暖かになってきます。金沢は しかがですか。やはりもう春の心持がするだろうと思 構想からいうと女といっしょになれないので父が死 います。春になると金沢などの田舎の景色を想像して ねばい、と思うのはよろしい。その父が死ぬ偶然はよ くもありわるくもある。よくゆけば自然でかっ奇抜で夢のように描いています。さて突然妙な事を願います あるが悪くゆけば全然作りごとになる。あなたのはおが、実は私の大学で教えた英文科の卒業生のうちに皆 そらく両方なのではないか。その父の死から出る心理 Ⅱ正禧という男がいます。これが今のところは鹿児嶋 おもしら 296
は自分が方々へ行って書きあつめると言った。僕は恐てくれました。私は机の上に載せて、あかす眺めては 楽しんでいます。以上 縮していまだに許諾を与えすにいる。 げかん 夏目金之助 夏目金之助 十月下浣 十月下浣 ン」うようじよう はしぐちぎよし 橋ロ清様 東洋城様 九九『銀の匙 ( 後編 ) 』 ( 二 ) 九八単行本『心』の装幀 (ll) 十月ニ十日 ( 火 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田南町 十月ニ十七日 ( 火 ) 午前十一時ー十二時牛込区早稲 七番地より牛込区市谷左内坂町橋ロ清へ 田南町七番地より下谷区上野桜木町四十四番地真如院内 ( 1 ) そうてい 中勘助へ このあいだは拙著の装幀について御同情のある御批 なお もうしあ 評を下さいましてありがとう存じます。お礼を申上げ拝啓病気はまあ癒りました。御安心ください。一 るはずでしたが、病気で一か月ばかり寐ていましたの昨日と昨日とで玉稿龕 ( ~ 当 1 ) を見ました。面白うご で、ついそのま、にしておいて済まんことを致しましざいます。たゞ普通の小説としては事件がないから、 うけたま た。承わればあなたもまたよくないそうで、お手紙で俗物は褒めないかもしれません。私はたいへん好きで いわゆる でむき は三四日中に温泉場へでもお出向のように書いてありす。ことに病後だからまた所謂小説という悪どいもの に食傷しているところだから、はなはだ心持の好い感 ましたが、もう御本復お帰りのことと存じますが、い かゞですか。 じがしました。自分と懸け離れているくせに自分とび うれ 画の展覧会がたくさんありますが、まだ外出もできたりと合ったような親しい嬉しい感じです。もっとも かんだいきっせんがけん ないのでどれも見ません。貢君が漢大吉磚瓦硯を送っ悪いところもありますが、それはまあ俗にいう微疵で おもしろ 3 和