一人 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 12
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1. 夏目漱石全集 12

〇己の頃は動物さえ見る顔だ。 「しかしあなたはその一人じゃないというの」 たれ 0 「愛はハシカのようなものたと誰か言ってましたね。「どうですか。自分がそうでなくったって、その人の つまり一度は誰でも罹らなければ済まないのでしょ 腹は理解できるじゃありませんか」 う」 「理解できるたけがそういう人に近い証拠よ」 「ハシカなら一度こっきりで済むけれども愛はそうは 「とう / \ 浮気ものにされてしまった」 いきません。二度でも三度でも罹りますからね。な ごろっぺんや ぞは私の知ってるたけでももう五六遍遣ってますよ」〇細君の話 「まあ気の多いこと。しかしほんとうの恋は一生に一 「私はそれを >< から聴きました。それからというもの 度しかないんじゃないでしよう か。私の知った人に好はどうしても女を信じることができなくなりました」 し ! い きな人とい 0 しょになれないために独身でいる人があ芝居を見るレーデーが役者を買う話 ります」 「私はそれをから聞きました。それからというもの とうせいむき 「そんなのは当世向じゃないんでしよう。 現代は固定はやはり女を信じる気になれません」 を忌むんたから」 「そうすると貴方も一度や二度じゃ済まなかった組 〇人はあるものを白だともいえます黒たともいえます。 ね」 しかも少しも自分を偽ることなしに。これは白と黒と 「どうして」 の両方が腹のうちに潜伏していて、白という時は白の 断「だってアナタの主張がそうだからよ」 立場から、また黒という時は黒の立場から一つものを ( 1 ) ちょうほう 記「主張じゃないわ。まったくそういう人があるんです眺めて説明するからです。丁宝なものです。 ( 2 ) もの」 Perfæt innocenæ and perfect hYlY)crisy おれ あなた 333

2. 夏目漱石全集 12

しなければならなかったのです。すると兄はたゞの好せるようになりました。ある時はその写真さえそこい 意でする普通の依頼と心得て好い加減にあしらって返らへ載せておいたりなにかしました。 してしまいました。 私は最初から〇〇を信じていました。他から碍鹿と そんなことで私の婚姻は破れる。私は多勢の兄弟の いわれてもなんでもその人を疑うことができなかった つら あいだにおって父母に心配をかけるのが辛くなりましのです。しかしこんな事実を眼前に見るとどうしても た。 ( 兄は嫁を迎えなければなりません ) そこで横須疑わすにはいられなくなります。私の知った人で若い あやまち 賀の叔母をたよってしばらく身を寄せることに致しま うちに過を犯して今はたゞ一人八つになる子供を育て した。この叔母は女医です。すると驚ろいたのは〇〇て暮している人があります。その人は今三十二ばかり づめ がいつのまにか横須賀 ( 御大典後 ) 詰になって、ひょ ですが六つ年下の男と関係をつけて、男は高等商業を たずね つくり叔母の宅へ訪間てきたことです。彼は私を見て卒業して満鉄へ奉職したぎりどうしてもいっしょにな 今までの事件についてはなにも言いませんでした。ろると言わないのです。その女の人が自分の経験から推一 くろく話す機会もなかったのです。家には看護婦だのしてでしよう、私に「あなたはあの人にあれほど踏み 下女だのがおおぜいいますが私と〇〇との関係につい 付けられて口惜しくもなんとも思わないのですか」と て委細を知っているものは一人もありません。たゞ兄言います、私は口惜しがるまえにはたして男がそう軽 あいだがら 弟のような間柄とのみ取っているようでした。 薄だったのかをぜひ確めなければならないのです。他 そのうち〇〇の様子が変になりました。一人で黙り から見れば明白な事実と見えるかもしれませんが私は よ″い一料ノ かぶ すみね 込んで外套などを被って診察室の隅に寐ていたりしま いったん信じたことをどうしてもそうでないと思い込 にようぼうもら す。それから今度松山から女房を貰うことになったなむわけにゆかないのです。そんなはずがないとばかり どと言いふらすばかりか、女の写真を護婦などに見思えてならないのです。〇〇はこの女の人に手紙をや ひとり かげん たしか

3. 夏目漱石全集 12

うぐいす だ有名なものであったが、その意味を理解するものは に鶯が来て啼くような気持もした。 ( 1 ) なかいり 一人もなかった。彼はたゞそれを軍勢の押寄せる形容 中入になると、菓子を箱入のま、茶を売る男が客の 詞として用いていたらしいのである。 あいだへ配って歩くのがこの席の習慣になっていた。 だれ この南竜はとっくの昔に死んでしまった。そのほか 箱は浅い長方形のもので、まず誰でも欲しいと思う人 の手の届くところに一つといったふうに都合よく置かのものもたいていは死んでしまった。その後の様子を れるのである。菓子の数は一箱に十ぐらいの割たったまるで知らない私には、その時分私を喜ばせてくれた かと思うが、それを食べたいだけ食べて、後からその人のうちで生きているものがはたして何人あるのだか まったく分らなかった。 代価を箱の中に入れるのが無言の規約になっていた。 ( 3 ) 私はそのころこの習慣を珍らしいもののように興がっ ところがいっか美音会の忘年会のあった時、その番 おうよう・ よしわら たいこもち て眺めていたが、今となってみると、こうした鷹揚で組を見たら、吉原の幇間の茶番だのなんだのが列べて ひとよせば 呑気な気分は、どこの人寄場へ行っても、もう味わう書いてあるうちに、私はたった一人の当時の旧友を見 ( 4 ) しんとみざ ことができまいと思うと、それがまたなんとなく懐し出した。私は新富座へ行って、その人を見た。またそ の声を聞いた。そうして彼の顏も咽喉も昔とちっとも ものさ 私はそんなおっとりと物寂びた空気のなかで、古め変っていないのに驚いた。彼の講釈もまったく昔のと かしい講釈というものをいろ / \ の人から聴いたのでおりであった。進歩もしないかわりに、退歩もしてい なかった。二十世紀のこの急劇な変化を、自分と自分 ある。そのなかには、すととこ、のん / \ 、ずい / \ 、 ことば ( 2 ) たなべなんりゅう のなどという妙な言葉を使う男もいた。これは田辺南竜の周囲に恐ろしく意識しつゝあった私は、彼の前に坐 子といって、もとはどこかの下足番であったとかいう話りながら、絶えず彼と私とを、心のうちで比較して一 である。そのすととこ、のん / 、、、ずい / く、ははなは種の黙想に耽っていた。 なっか ひとり わか ふけ おしょ

4. 夏目漱石全集 12

「はあ、なんだか恰好が違うがな」 寐るもの、雑然として吾々の船を見てみな新たに活動 「沖の鸛たから、海のと隅田川辺のとは違うさ」 しはじめた。 「何時ごろから網は引くんですかね」 そのうち鳥は低く飛んだ。 「なるほどあ、して飛ぶところを見ているといかにも「まあ四時ごろからです」 ( 3 ) かつぶく だ」 時に三時半ごろ。答えたのは恰腹の好い立派な男で ある。 冫には船がたくさん見える。 そう ( 4 ) うたえもん 「すべてで十一艘います。あれで十四五人すっ乗って「歌右衛門に似ているよあの人は。い男たこと」と ばあ いるんですから、惣勢は二百人近くです。大漁の時は豊田の婆さんは感心してしきりに歌右衛門という言葉 七万くらいブリがかゝるですから、まあ十万円近くのを振り舞わす。この歌右衛門は四十代の立派な男であ ひとり 金になるんです。一人が一晩に二十とか三十とかい うる。「私が司令長官です」と言った。五分刈の頭に後 ふところ はちまき 金を懐に入れますがそれをみんな飲んじまいますー ろ鉢巻をしていた。 あげや 「それで揚屋が必要なんたね」 「網は日にたいてい四回くらいやります。漁業期は十 もちあみ 船はある間隔を置いて浮いている例の丸太のような 二月から六月くらいまでです。小田原の鈴木の持網で ものの一列に並んでいる傍を通り抜けてはるかに見えす。網の価は壱万六七千円くらいでしよう」 ( 2 ) とま た漁船の一つについた。船には苫が片側に懸けてある 向うの船に櫓があってその上に人が一人立っている。 われ / 、 その中から顔を出した漁夫が二三人吾々の船の女を見「あれは見張りですか」 「え、魚が寄ってくるとあすこで大きな声を出してみ 断てなんとか声高に罵った。宿の女は笑っている。やが むこうかわ 記て船が苫の向側へつくと十四五人がごちゃ / 、になつんなに知らせるのです」 日 「知らせるまでは取り掛らないんですかー て固まっていたが起き返るもの立つもの、立ってまた ( 1 ) そう懸い のゝし りつば 325

5. 夏目漱石全集 12

のくらいの負債にどう苦しめられているかという巨紐わされた後、彼はその用事を帯びて北国のある都会へ の事実は、ついに健三の耳に入らなかった。健三も訊向けて出発したという父の報知を細君から受け取った。 よ、つこ 0 すると一週間ばかりして彼女の母が突然健三のところ や へ遣ってきた。父が旅先で急に病気に罹ったので、こ 二人は今までの距離を保ったまで互に手を出し合 った。一人が渡す金を一人が受け取った時、二人は出れから自分も行かなければならないと思うが、それに ようむき した手をまた引き込めた。併でそれを見ていた細君はついて旅費の都合はできまいかというのが母の用向で あった。 黙ってなんとも言わなかった。 「えゝ / 、、旅費ぐらいどうでもしてあげますから、す 健三が外国から帰った当座の二人は、まだこれほど に離れていなかった。彼が新宅を構えて間もないころ、ぐ行っておあけなさい」 彼は細君の父がある鉱山事業に手を出したという話を 宿屋に寐ている苦しい人と、汽車で立ってゆく寒い しん 聞いて驚いたことがあった。 人とを心から気の毒に思った健三は、自分のまだ見た 「山を掘るんだって ? 」 こともない遠くの空の侘びしさまで想像の目に浮べた。 わか 「なにしろ電報が来ただけで、詳しいことはまるで分 「えゝ、なんでも新らしく会社を拵えるんだそうで りませんのですから」 まゆひそ 彼は眉を顰めた。同時に彼は父の怪力にいくぶんか 「じゃなお御心配でしよう。なるべく早くお立ちにな の信用を置いていた。 るほうが好いでしよう」 うま 「旨くゆくのかね」 さいわいにして父の病気は軽かった。しかし彼の手 たちぎえ 「どうですか」 を着けかけたという広山事業はそれぎり立消になって 健三と細君とのあいだにこんな簡単な会話が取り換しまった。 ひとり あた こしら ( 1 ) こさ、 か わ

6. 夏目漱石全集 12

( 1 ) しようにん に中から出して匠人の手に渡した。彼はまたびかび「今でもやつばり喧嘩が始まるでしようか」 かする一匹の伊勢崎鐇仙を買うのに十円あまりを費や「嘩喧はとにかく、山のほうがじゃないか」 ともだち うけと 三人ともまだ知らないようね。片っ方が宅へ来るこ した。友達から受取った原稿料がこう形を変えたあと てあかっ に、手垢の付いた五円札がたった一枚残ったのである。とを」 「どうだか」 「実はまだ買いたいものがあるんだがな」 島田はかってお常のことを口にしなかった。お常も 「なにをお買いになるつもりだったの」 なまえあ 健三は細君の前に特別な品物の名前を挙げることが健三の予期に反して、島田についてはなんにも語らな できなかった。 「あのお婆さんのほうがまだあの人より好いでしょ 「たくさんあるんだ」 ことば 欲に際限のない彼の言葉は簡単であった。夫と懸け こうしようも 離れた好尚を有っている細君は、それ以上追窮する面「どうして」 どう 「五円貰うと黙って帰ってゆくから」 倒を省いた代りに、ほかの質間を彼に掛けた。 ばあ あねえ 「あのお婆さんはお姉さんなんそよりよっぽど落ち付島田の請求欲の訪間ごとに増長するのに比べると、 いているのね。あれじゃ島田 0 て人と宅で落ち合 0 てお常の態度は尋常にか 0 た。 けんか も、そう喧嘩もしないでしよう」 しあわ 「落ち合わないからまだ仕合せなんだ。二人がいっし みあわ 日ならず鼻の下の長い島田の顔がまた健三の座嗷に 、それこそ よの座敷で顔を見合せでもしてみるがいい れんそう 堪らないや。一人ずつ相手にしているんでさえたくさ現れた時、彼はすぐお常のことを連想した。 かたき んなところへもってぎて」 彼等だって生れ付いての敵同志でない以上、仲の好 たま ひとり うち めん あらわ う」 っこ 0 ら うまっ 172

7. 夏目漱石全集 12

だ継続中ですーと改めた。そうしてその継続の意味を彼等ははたしてどう思うだろう。彼等の記憶はその時 ひきあい むか 説明する場合には、必ず欧州の大乱を引合に出した。 もはや彼等に向って河物をも語らないだろう。過去の幻 「私はちょうどドイツが連合軍と戦争をしているよう自覚はとくに消えてしまっているだろう。今と昔とま に、病気と戦争をしているのです。今こうやって貴方たその昔のあいだになんらの因果を認めることのでき と対座していられるのは、天下が太平になったからでない彼等は、そういう結果に陥った時、なんと自分を ざんづう にら はないので、壕のうちにはいって、病気と睨めつく解釈してみる気だろう。しよせん我々は自分で夢のま ひとり に製造した爆裂弾を、思い / 、に抱きながら、一人残 らをしているからです。私の身体は乱世です。いつど らず、死という遠い所へ、談笑しつ、歩いてゆくので んな変が起らないとも限りません おもしろ ある人は私の説明を聞いて、面白そうには、と笑っはなかろうか。たゞどんなものを抱いているのか、他 しあわ た。ある人は黙っていた。またある人は気の毒らしい も知らず自分も知らないので、仕合せなんたろう。 顔をした。 私は私の病気が継続であるということに気が付いた 客の帰ったあとで私はまた考えた。 継続中のも時、欧州の戦争もおそらくいつの世からかの継続たろ のはおそらく私の病気ばかりではないだろう。私の説うと考えた。けれども、それがどこからどう始まって、 わか 明を聞いて、笑談たと思って笑う人、解らないで黙っどう曲折してゆくかの間題になるとまったく無知識な ている人、同情の念に駆られて気の毒らしい顔をするので、継続という言葉を解しない一般の人を、私はか えって羨ましく思っている。 人、 , ーーすべてこれ等の人の心の奥には、私の知らな 、また自分達さえ気の付かない、継続中のものがい くらでも潜んでいるのではなかろうか。もし彼等の胸 に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、 しようだん たち あなた ( 1 ) き 私がまだ小学校に行っていた時分に、喜いちゃんと うらや ひと

8. 夏目漱石全集 12

がすべての内臓の作用を鼓舞するんだろう」 を口説く。女 ( 実はその人をひそかに愛していること せんりつ を発見して戦慄しながら ) 時期後れたるを諭す。男聴芻 かんつう 〇知婦相せめぐ。外その侮ぞ防ぐ。 かず。生活のほんとうの意義を論す。女は姦通か。自 けんか ( 2 ) 〇喧嘩、不快、 リバルジョンが自然の偉大な力の前に殺か。男を排斥するかの三方法を有つ。女自殺すると いしゆく もうん 畏縮すると同時に相手は今までの相違を忘れて抱擁し仮定す。男惘然として自殺せんとしてわす。僧にな ている。 る。また還俗す。ある所で彼女の夫と会す。 〇喧嘩。細君の病気を起す。夫の病。漸々両者の接 近。それが action にあらわるる時。細君はたゞ微笑 六月ニ日 ( 金 ) 子供と話 ( 3 ) さかのぼ ほうきぼし してカレシングを受く。決して過去に溯って難詰せす。「お父さん箒星が出るとなにか悪いことがあるんでし 夫はそれを愛すると同時こ、、 冫しつでもまたして遣られよう」 たという感じになる。 「昔はそうさ。人がなにも知らないから。今は人が物 〇 Life ロシアの小説を読んで自分と同じことが書事が解ってきたからそんなことはない」 おど いてあるのに驚ろく。そうしてたヾクリチカルの瞬間 「西洋では」 のが にうまく逃れたと逃れないとの相違である。という筋。「西洋では昔からない」 ( 9 ) 「でもシーザーの死ぬまえの日に彗星が出たってい ひとり 〇二人して一人の女を思う。一人は消極、 d 》 noble, じゃないの」 ( 6 ) shy, 「 eligious. 一人は active, social. 後者ついに女を「うんシーザーの殺されるまえの日か。そりやローマ さび 得。前者女を得られて急に淋しさを強く感する。いたの時代だからな」 たまれなくなる。 life の meaning を疑う。ついに女 ふたり くど とう わか ( 8 )

9. 夏目漱石全集 12

ありませんから深くは立ち入りません。 なにしろ行って、所々方々を地け回ったすえ、たいへん空腹に 私はその変な画を眺めるだけで、講演の内容をちっと なったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離れ かて も組み立てずに暮らしてしまったのです。 離れになって口腹を充たす糧を受けることができず、 そのうちいよ / 、二十五日が来たので、否でも応で仕方なしに二人はそこにある汚ない百姓家へ馳け込ん もこゝへ顔を出さなければ済まないことになりました。で、なんでも好いから食わせろと言ったそうです。す ありあわ それで今朝少し考を纏めてみましたが、準備がどうもるとその農家の爺さんとさんが気の毒がって、有合 不足のようです。とても御満足のゆくようなお話はでせの秋刀無を 0 て二人の大名に麦飯を勧めたと言い さかな きかねますから、そのつもりで御辛防を願います。 ます。二人はその秋刀魚を肴に非常に旨く飯を済まし あくるひ たちいで この会はいつごろから始まって今日まで続いているて、そこを立出たが、翌日になっても昨日の秋刀魚の のか存じませんが、そのつど貴方がたが他所の人を連香がぶん / 、鼻を衝くといった始末で、どうしてもそ ごう れてきて、講演をさせるのは、一般の慣例として毫もの味を忘れることができないのです。それで二人のう ごちそう 不都合でないと私も認めているのですが、また一方かちの一人が他を招待して、秋刀魚の御馳走をすること ら見ると、それほどあなたがたの希望するような面白になりました。そのむねを承わって驚ろいたのは家来 ひつば い講演よ、、 をしくらどこからどんな人を引張ってきてもです。しかし主命ですから反抗するわけにもゆきませ けぬき 容易に聞かれるものではなかろうとも思うのです。貴んので、料理人に命じて秋刀魚の細い骨を毛抜で一本 めす っ 方がたにはたゞ他所の人が珍らしく見えるのではあり 一本抜かして、それを味淋かなにかに漬けたのを、ほ ますまいか。 どよく焼いて、主人と客とに勧めました。ところが食 はなしか 私が落語家から聞いた話のなかにこんな風刺的のが うほうは腹も減っていず、また鹿丁寧な料理方で秋 ふたり ( 2 ) めぐろ あります。 昔あるお大名が一一人目黒辺へ鷹狩に刀魚の味を失った妙な肴をで突っついてみたところ まと す ・こしんう よそ しかた か み みりん ばあ うけたま 270

10. 夏目漱石全集 12

した。こういう手腕で彼に返報することを巨細に心得らなおそういう人が目に着いた。またそういう人をよ がせい ていた彼は、なぜ健三が細君の父たる彼に、賀正を口けい尊敬したくなった。 の、し ずから述べなかったかの原因についてはまったく無反同時に彼は自分を罵った。しかし自分を罵らせるよ はげ 省であった。 うにする相手をばさらに烈しく朝った。 一事は万事に通じた。利が利を生み、子に子ができ かくして細君の父と彼とのあいだには自然の造った た。二人はしだいに遠ざかった。巳を得ないで犯す罪溝渠がしだいにでき上った。彼に対する細君の態度も すいこう と、遣らんでも済むのにわざと遂行する過失とのあい暗にそれを手伝ったには相違なかった。 よろ あいだがら ( 1 ) す だに、たいへんな区別を立てている健三は、性質の宜 二人の間柄が擦れ / \ になると、細君の心はだんだ しくないこの余裕を非常に悪みだした。 ん生家のほうへ傾いていった。生家でも同情の結果、 冥々の裡に細君の肩を持たなければならなくなった。 しかし細君の肩を持っということは、ある場合におい くみ 「与しやすい男だ」 て、健三を敵とするという意味にほかならなかった。 実際において与しやすいあるものを多量に有ってい 二人はます / \ 離れるだけであった。 ると自覚しながらも、健三は他からこう思われるのが さいわいにして自然は緩和剤としての歇撕的里を細 しやくさわ 癪一に障った 0 君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間 かんしやく ぎわ むか なっか 彼の神経はこの肝を乗り超えた人に向って鋭い慎際に起った。健三は時々便所へ通う廊下に俯伏になっ しみを感じた。彼は群衆のうちにあってすぐそういうて倒れている細君を抱き起して床の上まで連れてきた。 はじうすくま 人を物色することのできる目を有っていた。けれども真夜中に雨戸を一枚明けた縁側の端に蹲踞っている彼 もど 彼自身はどうしてもその域に達せられなかった。たか女を、後から両手で支えて、寝室へ戻ってきた経験も ふたり 七十八 す びと たち まよなか うち あが よ ヒステリー うつぶせ 15