ひげな かなかった。しかしそれでも小林には満足らしかった。の下の髭を撫でた。 ひっこ さっきから気を付けるともなしにこの様子に気を付 出した杯を引込めながら、自分のロへ持っていった時、 たち 彼はまた津田に言った。 けていた二人は、自分達の視線が彼の視線に行き合っ まむき みあわ 「そらあのとおりだ。上流社会のように高慢ちきな人た時、びたりと真向になって互に顔を見合せた。小林 はこ、ろもち前へ乗り出した。 間は一人もいやしない」 「なんだか知ってるか」 くす 三十五 津田は元のとおりの姿勢を崩さなかった。ほとんど はんてんかくがり イイハネスを着た小作りな男が、半纏の角刈と入れ返事に価しないというロ調で答えた。 「なんだか知るもんか」 にはい 0 て来て、二人から少し隔 0 た所に席を取 0 ひさし かぶ 小林はなお声を低くした。 た。廂を深く卸ろした鳥打を被ったまミ彼は一応ぐ あいったんてい あたり あとふところ るりと四方を見回した後で、懷へ手を入れた。そうし「彼奴は探偵たぜ」 てそこから取り出した薄い小型の帳面を開けて、読む津田は答えなかった。相手より酒量の強い彼は、か えって相手ほど平生を失わなかった。黙って自分の前 のだか考えるのだか、じっと見詰めていた。彼はいっ ちよく ( 2 ) にある猪口を干した。小林はすぐそれへなみ / 、と注 . まで経っても、古ぼけたトンビを脱ごうとしなかった。 帽子も頭へ載せたま、であった。しかし帳面はそんな に長くひろげていなかった。大事そうにそれを懐へ仕「あの目付を見ろ」 薄笑いをした津田はようやく口を開いた。 舞うと、今度は飲みながら、じろり / 、と他の客を、 わるくち ( 3 ) あいま / 、 見ないようにして見はじめた。その相間々々には、ち 「君見たいにむやみに上流社会の悪口をいうと、さっ まおか ( 4 ) がいとう んちくりんな外套の羽根の下から手を出して、薄い鼻そく社会主義者と間違えられるぞ。少し用心しろ」 お ふたり し 、◆ - 」 0 めつき ふたり
「あらそんなお約東があるの。あたしちっとも知らな分ばかり背後を向いた。 だれ 「お延、代ってやろうか。あんまり大きいのが前を塞 かったわ。誰と誰がいっしょに御飯を召上がるの」 いで邪だろう」 「みんなよ」 やづく あが 一夜作りの山が急にでき上ったような心持のしたお 「あたしも ? 」 あたり 「あ 延は、舞台へ気を取られている四辺へ遠慮して動かな ためし っこ。毛織ものを肌へ着けた例のない岡本は、毛た 意外の感に打たれたお延は、しばらくしてから答えかナ こ 0 らけな腕を組んで、これもお付合だといったふうに、 「そんならあたしもその時にするわ」 みんなの見ている方角へ視線を向けた。そこでは色の しま なまちろ 生っ白い変な男が柳の下をうろ / \ していた。荒い緕 ) はかた の着物をぞろりと着流して博多の帯をわざと下の方 ( 2 ) せった 岡本の来たのはそれから間もなくであった。茶屋のヘ締めたその色男は、素足に雪駄を寧いているので、 のぞ すきま 男に開けてもらった戸の隙間から中を覗いた彼は、お歩くたびにちゃら / \ いう不愉快な音を岡本の耳に響 ふたり 出お出をして百合子を廊下へ受び出した。そこで二人かせた。彼は柳の併にある橋と、橋の向うに並んでい たちばなし ふたこと じゃま がみんなの邪魔にならないような小声の立談を、二言る土蔵の白壁を見回して、それからそのついでに観客 あと こと 三言取り換わした後で、百合子は約東どおり男に送らの方へ目を移した。しかるに観客の顏はことみ \ く緊・ れてすぐ場外へ出た。そうして入れ代りに入ってきた張していた。雪駄をちゃら / \ 鳴らして舞台の上を住 あと 彼がその後へ窮屈そうに坐った。こんな場所ではちょ ったり来たりするこの若い男の運動に、非常な重大の かえ おっくう せき っと身体の位置を変るのさえ億劫そうに見える肥満な意味でもあるように、満場は静まり返って、咳一つす 彼は、坐ってしまってからふと気の付いたように、半るものがなかった。急に表から入ってきた彼にとって 1 からだ っ めしゃ うしろ むこ ふさ
すると小林がまたぐるりと向き直って、外套を着た 二人の顔は一尺足らずの距離に接近した。お延が前 あぐら なり、お延の前にどっさり胡坐をかいた。 へ出ようとするとたん、小林が後を向いた拍子、二人 「奥さん、人間はいくら変な着物を着て人から笑われはそこで急に運動を中止しなければならなかった。一一 みあわ ても、生きているほうが可いものなんですよ」 人はびたりと止まった。そうして顔を見合せた。とい 「そうですか」 うよりもむしろ目と目に見入った。 きわだ まゆ くちもと その時小林の太い眉がいっそう際立ってお延の視覚 お延は急に口元を締めた。 くろめ 「奥さんのような窮ったことのないかたにや、まだそを侵した。下にある黒瞳はじっと彼女の上に据えられ たま動かなかった。それがなにを物語っているかは、 の意味が解らないでしようがね」 みち 「そうですか。私はまた生きてて人に笑われるくらい こっちのカで動かしてみるよりほかに途はなかった。 なら、いっそ死んでしまったほうが好いと思います」お延はロを切った。 「よけいなことです。あなたからそんな御注意を受け 小林はなんにも答えなかった。しかし突然言った。 物一り小と かげ 「有難う。お蔭でこの冬も生きていられます」 る必要はありません」 彼は立ち上った。お延も立ち上った。しかし二人が「注意を受ける必要がないのじゃありますまい。おお 前後して座敷から縁側へ出ようとするとき、小林はた かた注意を受ける覚がないと仰しやるつもりなんでし よう。そりゃあなたはもとより立派な貴婦人に違ない ちまち振り返った。 「奥さん、あなたそういう考えなら、よく気を付けてかもしれません。しかし 暗ひとわら 「もうたくさんです。早く帰ってください」 他に笑われないようにしないと不可ませんよ」 ( 1 ) しせき 小林は応じなかった。間答が咫尺の間に起った。 明 「しかし僕のいうのは津田君のことです」 ふ わか あが ふたり っ ふたり おぼえ おっ りつば ちがい 185
ると、いちばんそこに落付いてびたりと坐っていられことができた。お延から見ると、彼女はこの家の構造 ふむき るものは堀の母だけであった。ところがこの母は、家に最も不向に育て上けられていた。この断案にもう少 もったい 族中でお延の最も好かない女であった。好かないとい し勿体をつけ加えて、心理的に翻訳すると、彼女とこ うよりも、むしろ応対しにくい女であった。時代が違の家庭の空気とはいつまで行っても一致しつこなかっ 、残酷にいえば隔世の感がある、もしそれが当らな た。堀の母とお秀、お延は頭の中にこの二人を並べて いとすれば、肌が合わない、出が違う、その他評するみるたびに一種の矛盾を強いられた。しかし矛盾の結 ことば 言葉はいくらでもあったが、結果はいつでも同じこと果が悲劇であるか喜劇であるかは容易に判断ができな っこ 0 にヨ膚した。 あわ 次には堀その人が間題であった。お延から見たこの 家と人とをこう組み合せて考えるお延の目に、不思 主人は、この家に釣り合うようでもあり、また釣り合議と思われることがたゞ一つあった。 わないようでもあった。それをもう一歩進めていうと、 「いちばん家と釣り合の取れている堀の母が、最も彼 彼はどんな家へ行っても、釣り合うようでもあり、釣女を手古摺らせると同時に、その反対にでき上ってい り合わないようでもあるというのとほとんど同じ意味るお秀がまた別の意味で、最も彼女に苦痛を与えそう になるので、はじめから間題にしないのと、大した変な相手である」 あいまい りはなかった。この曖昧なところがまたお延の堀に対玄関の格子を開けた時、お延の頭に平生からあった よみが する好悪の感情をそのま & に現わしていた。事実をい こんな考えを一度に蘇えらさせるべく号鈴がはけしく うと、彼女は堀を好いているようでもあり、また好い鳴った。 ていないようでもあった。 きた 最後に来るお秀に関しては、たヾ要領を一口でいう おちっ てこす 百一十四 ふたり 270
めた。 うと思って、筆を執りかけた彼女は、、 しつまで経って 「やつばりあなたがいらっしやらないからだ」 も、夫婦仲よく暮しているから安心してくれという意 むか 彼女は自分の頭の中に描き出した夫の姿に向ってこ味よりほかに、自分の思いを巻紙の上に運ぶことがで あした う言った。そうして明日はなにを置いても、まず病院きなかった。それは彼女が常に両親に対してぜひ言い ことば へ見舞に行かなければならないと考えた。しかし大のたい言葉であった。しかし今夜は、どうしてもそれだ くつつ 瞬間には、お延の胸がもうびたりと夫の胸に食付いてけでは物足らない言葉であ 0 た。自分の頭を纏めるこ いなかった。二人のあいだになんだか択まってしまっ とに疲れ果た彼女は、とう / \ 筆を投げ出した。着物 た。こ 0 ちで寄り添おうとすればするほど、中間にあもそこへ脱ぎ捨てたま \ 彼女はついに床へ入った。 じゃま るその邪魔ものが彼女の胸を突ッついた。しかも夫は長いあいだ目に映った劇場の光景が、断片的にいくと 平気で澄ましていた。半ば地にな 0 た彼女のほうでおりもの強い色にな 0 て、興奮した彼女の頭をちらち よろ も、そんなら宜しゅうございますといって、夫に背中ら刺激するので、彼女は焦らされる人のように、 ねむり を向けたくなった。 までも眠に落ちることができなかった。 う立場まで来ると、彼女の空想は会釈なく吉 しいま 川夫人の上に飛び移らなければならなかった。之居場 まくら で一度考えたとおり、もし今夜あの夫人に会わなかっ 彼女は枕の上で一時を聴いた。二時も聴いた。それ たなら、最愛の夫に対して、これほど不愉快な感じをから何時だか分らない朝の光で目を覚ました。雨戸の すきま 抱かずに済んだろうにという気ばかり強くした。 隙間から射し込んで来るその光は、明らかにいつもよ だれ ねすご しまいに彼女はどこかにいる誰かに自分の心を訴えり寐過したことを彼女に物語っていた。 明 ゅうべ っゞき たくなった。昨夜書きかけた里へ遣る手紙の続を書こ彼女はその光で枕元に取り散らされた昨夕の衣装を ふたり はて わか 9
だから」 簡単な挨拶が各自のあいだに行われるあいだ、控目 うしろ お延は仕方なしに夫人の前に着席した。先を越すっ にみんなの後に立っていた彼女は、やがて自分の番が ます みよし 回ってきた時、たゞ三好さんとしてこの未知の人に紹もりでいたのに、かえって先を越されたという拙い感 じが胸のどこかにあった。自分の態度を礼儀から出た 介された。紹介者は吉川夫人であったが、夫人の用い ことば る言葉が、叔父に対しても、叔母に対しても、また継ほんとうの遠慮と解釈してもらうように、これから仕 向けていかなければならないという意志もすぐ働らい 子に対しても、みんな自分に対するのと同じことで、 うぶ そのあいだに少しも変りがないので、お延はついにそた。その意志は自分と正反対な継子の初心らしい様子 なんびと テーゾル・こしなが の三好の何人であるかを知らずにしまった。 を、食卓越に眺めた時、ます / 、強固にされた。 おとな 継子はまたいつもより大人しすぎた。ろく / 、、、ロも 席に着くとき、夫人は叔父の隣りに坐った。一方の 隣には三好が坐らせられた。叔母の席は食卓の角であ利かないで、下ばかり向いている彼女の態度のうちに った。継子のは三好の前であった。余った一脚の椅子は、ほとんど苦痛に近いあるものが見透された。気の ちゅうちょ へ腰を下ろす・ヘく余儀なくされたお延は、少し躊踏し毒そうに彼女を一目見遣ったお延は、すぐ前にいる大 あ - いキ、よう た。隣りには吉川がいた。そうして前は吉川夫人であ人の方へ、彼女に特有な愛嬌のある目を移した。社交 に慣れ切った夫人も黙っている人ではなかった。 ふたり 「どうです掛けたら」 調子の婦い会話の断片が、二三度二人のあいだを往 ったり来たりした。しかしそれ以上に発展する余地の 吉川は催促するようにお延を横から見上げた。 「さあどうぞ」と気軽に言った夫人は正面から彼女をなかった題目は、そこでびたりと留まってしまった。 たね 見た。 二人のあいだに共通な津田を話の種にしようと思った 「遠慮しずにお掛けなさいよ。もうみんな坐ってるんお延が、それを自分から持ち出したものかどうかと遅 かど ひかえめ む しかた みや みすか
しいて先へ出ようとすれば、どっちかで手を出さなけ彼の目に、反対の側から入ってきたお延の姿がいちば せつな ればならなかった。したがってお延は不体裁を防ぐ緩ん早く映るのは順序であった。その刹那に彼は二つの幻 和剤として、どうしても病室へ入らなければならなかものをお延に握られた。一つは彼の不安であった。一 あんど つは彼の安堵であった。困ったという心持と、助かっ きようだい 彼女は兄妹の中をよく知っていた。彼等の不和の原たという心持が、包み蔵す余裕のないうちに、一度に 因が自分にあることも彼女には平生から解っていた。彼の顔に出た。そうしてそれが突然入ってぎたお延の てぎわ そこへ顔を出すには、出すたけの手際が要った。しか予期とびたりと一致した。彼女はこの時夫の面上に現 さしつかえ きわ し彼女にはその自信がないでもなかった。彼女は際どわれた表情の一部分から、あるものを疑っても差支な なが き せつな いという証左を、永く心のうちにんだ。しかしそれ い刹那に覚悟を極めた。そうしてわざと静かに病室の とっさ ふすまあ は秘密であった。咄嗟の場合、彼女はたゞ夫の他の半 襖を開けた。 面に応するのを、こ、へ来た刻下の目的としなければ あおじろにお ならなかった。彼女は蒼白い頬に無理な微笑を湛えて 二人ははたしてびたりと黙った。しかし暴風雨がこ津田を見た。そうしてそれがちょうどお秀の振り返る しよさ れから荒れようとする途中で、急にその進行を止めらのと同時に起った所作だったので、お秀にはお延が自 シン飛ル れた時の沈黙は、決して平和の象徴ではなかった。不分を出し抜いて、津田と黙契を取り換わせているよう のぼ ものすご おさ 自然に抑えつけられた無言の瞬間にはむしろ物凄いあに取れた。薄赤い血潮が覚えすお秀の頬に上った。 「おや , るものが潜んでいた。 こんち 「今日わ」 二人の位置関係からいって、最初にお延を見たもの まくら あいさっ みなみむき は津田であった。南向の縁側の方を枕にして寐ている軽い挨拶が二人のあいたに起った。しかしそれが済 ふたり ふていさい ふ たゝ す
なんによ 土間を歩く男女の姿が、まるで人の頭の上を渡ってい ることができた。 もど ふたり るように熕らわしく眺められた。できるだけ多くの注席に戻った二人は愉快らしく四辺を見回した。それ あわ 意を惹こうとする浮誇の活動さえ至るところに出現し から申し合せたように問題の吉川夫人の方を見た。夫 ねら た。そうして次の色彩に席を譲るべくすぐ消減した。人の双眼鏡はもう彼等を覘っていなかった。その代り 眼中の小世界はたゞ動揺であった、乱雑であった、そ双眼鏡の主人もどこかへ行ってしまった。 ( 2 ) ふんしよく うしていつでも粉飾であった。 「あらいらっしやらないわ」 かなづら 比較的静かな舞台の裏側では、道具方の使う金槌の 「ほんとうね」 さが 音が、一般の予期を唆るべく、おり / 、場内へ響き渡「あたし探してあけましようか」 うしろ った。合間々々には幕の後で拍子木を打っ音が、攪き百合子はすぐ自分の手に持ったこっちのオペラグラ ( 3 ) けいたく 回された注意を一点に纏めようとする警柝のように聞スを目へ宛てがった。 こえた。 どこかへ行っちまった。あの奥さ ふと わか 不思議なのは観客であった。なにもすることのない んなら二人前ぐらい肥ってるんだから、すぐ分るはす まくあい わ . い・、つ この長い幕間を、少しの不平も言わす、かって退屈のだけれども、やつばりいないわよ」 ぞうげめがね 色も見せず、さも太平らしく、空疎な腹に散漫な刺激そう言いながら百合子は象牙の眼鏡を下へ置いた。 たわい きれい ゅうぜんもよう を盛って、他愛なく時間のために流されていた。彼等綺麗な友染模様の背中が隠れるほど、帯を高く背負っ ことば よそゆき は穏和かであった。彼等は楽しそうに見えた。お互のた令嬢としては、言葉が少しも余所行でないので、姉 さ ばら くちもと 吐く呼息に酔っ払った彼等は、少し醒めかけると、すは可笑しさを堪えるような口元に、年上らしい威厳を たれ ぐ目を転じて誰かの顔を眺めた。そうしてすぐそこに 示して、妹を窘なめた。 陶然たるあるものを認めた。すぐ相手の気分に同化す「百合子さん」 わす なが き ら こら あたり
あたり の程度を示したくなかった。それとは反対に、少し時先へ押し付けられたタ刊を除けて、四辺を見回した彼 おく 一 1 ) ほうしよう 間を後らせても放縦な彼の鼻柱を挫いてやりたかっ は、急におやと思わざるを得なかった。 なまえ た。名前は送別会だろうがなんだろうが、その実金を もうだいぶ待ち草臥れているにいと仮定してか きま あわ むこがわ 遣るものと貰うものとが顔を合せる席に極 0 ている以か 0 た小林は、案外にも向う側に立 0 ていた。位地は ( 2 ) ・ヘー・フメント 上、津田はたしかに優者であ 0 た。だからその優者の津田の降りた舗床と車道を一つ隔てた四つの一端な しゆかく 特権をできるだけ緊張させて、主客の位地をあらかじので、二人の視線が調子よく合わない以上、夜と人と きようまん さえ め作 0 ておくほうが、相手の驕慢を未前に防ぐ手段とちら / 、する燭光が、相互の認識を遮ぎる便利があっ して、彼には得策であ 0 た。利害を離れた単なる意趣た。のみならず小林はまともにこ 0 ちを向いていなか おもしろ たちばなし 返しとしてもそのほうが面白かった。 った。彼は津田のまだ見知らない青年と立談をしてい 彼はごう / \ 鳴る電車の中で、時計を見ながら、こた。青年の顔は三分の二ほど、小林のは三分の一ほど、 おうちゃく とによるとこれでもまだ横着な小林には早すぎるかも津田の方角から見えるだけなので、彼はほゞ露見の恐 しれないと考えた。もしあまり早く行き着いたら、ひれなしに、自分の足の停ま 0 た所から、二人の模様を ととおり夜店でも素見して、欲の皮で硬く張 0 た小林注意して観察することができた。二人は決して余所見 あわ の予期を、もう少し焦らしてやろうとまで思案した。 をしなかった。顔と顔を向き合せたまゝ、 いつまでも くす 停留所で降りた時、彼の目の中を通り過ぎた燭光の同じ姿勢を崩さない彼等の体が、あり / 、と津田の目 めざま まじめ 数は、夜の都の活動を目覚しく物語るに十分なくらい、 に映るにつれて、真面目な用談の、互いのあいだに取 めいりようわか 右往左往へちら / 、した。彼はその間に立って、目的 り換わされていることは明瞭に解った。 うしろ の横町へ曲るまえに、これ等の燭光とともに十分ぐら 二人の後には壁があった。あいにく横側に窓が付い い動いて歩こうか歩くまいかと迷った。ところが顔のていないので、強い光はどこからも射さなかった。と や かた あかり ふたり くたび たが 6
と笑いださなければならなかった。 ところへ来てなにか言うとするでしよう。それを堀が 「たいへんな権幕だね。まるで詰間でも受けているよ知って心配すると思っていらっしって」 うじゃないか」 「堀さんのことは僕にや分らないよ。お前は心配しな 「胡麻化さないで、ちゃんとしたところを仰しゃい」 いと断言する気かもしれないがね」 「言えばどうするというんだい」 「え & 断言します」 わたくし 「私はあなたの妹です」 「結構たよ。 それで ? 」 「それがどうしたというのかね」 「あたしのほうもそれだけよ」 たんばく ふたり 「兄さんは淡泊でないから駄目よ」 二人は黙らなければならなかった。 津田は不思議そうに首を傾けた。 「なんだか話がたいへんむすかしくなってきたようだ かんちい が、お前少し癇違をしているんじゃないかい。僕はそ しかし二人はもう因果づけられていた。どうしても んな深い意味で小林のことを言いだしたんでもなんであるものをあるところまで、会話の手段で、互の胸か もないよ。たゞ彼奴は僕の留守にお延に会ってなにをら敲き出さなければ承知ができなかった。ことに津田 わか せま いうか分らない困った男だというだけなんたよ」 には目前の必要があった。当座に逼る金の工面、彼は 「たゞそれだけなの」 今その財源を自分の前に控えていた。そうして一度取 にが もど 「うんそれたけだ」 り逃せば、それは永久彼の手に戻ってきそうもなかっ あてはす お秀は急に的の外れたような様子をした。けれどもた。いきおい彼はその点だけでもお秀に対する弱者の 黙ってはいなかった。 形勢に陥っていた。彼は失なわれた話頭を、どんなふ 「だけど兄さん、もし堀のいない留守に誰かあたしの うにして取り返したものだろうと考えた。 けんまく ふたり 幻 2