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検索対象: 夏目漱石全集 13
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1. 夏目漱石全集 13

明 きよう 「あの岡本でね、今日ぜひ之へいっしょに来いって いけな うんですが、行っちや不可くって」 しよさ 気のよく回る津田の頭に、今朝からのお延の所作が 津田は書物に手を触れなかった。 はで 一度に閃めいた。病院へ随いて来るにしては派出すぎ「岡本へは断ったんしゃないのか」 むき る彼女の衣装といい、 出るまえに日曜たと断った彼女 不審よりも不平な顏をした彼が、向を変えてり の注意と、 しい、こへ来てから、そわ / 、、して岡本へを打った時に、堅固にできていない二階の床が、彼の 電話をかけた彼女の態度といい、ことみ \ く芝居の二意を迎えるように、ずしんと鳴った。 むか 字に向って注ぎ込まれているようにも取れた。そう 「断ったのよ」 う目で見ると、手術の時間を精密に計った彼女の動機「断ったのにぜひ来いっていうのかね」 さえ疑惑の種にならないでは済まなかった。津田は黙 この時津田ははじめてお延の顏を見た。けれどもそ そろ って横を向いた。床の間の上に取り揃えて積み重ねてこには彼の予期した何物も現われてこなかった。彼女 はさみ ある、封筒だの書簡用紙たの鋏たの書物たのが彼の目 はかえって微笑した。 かばん に付いた。それはさっき鞄へ入れて彼がこゝへ持って「断ったのにぜひ来いっていうのよ」 きたものであった。 「しかし : : : 」 つま 「石護婦に小さい机を借りて、その上へ載せようと思彼はちょっと行き詰った。彼の胸には言うべきこと ったんですけれども、まだ持ってきてくれないから、 がまだ残っているのに、彼の頭は自分の思わくどおり しばらくのあいだ、あゝしておいたのよ。本でも御覧迅速に町らいてくれなかった。 になって」 「しかしーー、断ったのにぜひ来いなんていうはずがな 9 お延はすぐ立って床の間から書物を卸した。 いじゃないか」 ひら けさ おろ じんそく 四十四

2. 夏目漱石全集 13

んで津田がまだ自分の室へ引き取らない宵のロであっ こ 0 こわ 「厭ね、切るなんて、怖くって。今までのようにそっ としておいたって宜かないの」 「やつばり医者のほうからいうとこのまゝじゃ危険な んだろうね」 そこ 細君は色の白い女であった。そのせいで形の好い彼 「だけど厭たわ、貴方。もし切り損ないでもすると」 ひきた まゆ まゆ 細君は濃い恰好の好い眉をこゝろもち寄せて夫を見女の眉がひときわ引立って見えた。彼女はまた癖のよ あわ うによくその周を動かした。惜いことに彼女の目は細 た。津田は取り合ずに笑っていた。すると細君が突然 ひとえまぶち あいきよう すぎた。おまけに梦嬌のない一重瞼であった。けれど 気が付いたように訊いた。 ひとみしつこく 「もし手術をするとすれば、また日曜でなくっちや下もその一重瞼の中に輝やく瞳子は漆黒であ 0 た。だか ら非常によく働らいた。ある時は専横といってもいい 可いんでしよう」 細君にはこの大の日曜に夫とともに親類から誘われくらいに表情を恣ま、にした。津田は我知らずこの小 しばいけんふつ さい目から出る光に牽き付けられることがあった。そ て芝居見物に行く約東があった。 うしてまた突然なんの原因もなしにその光から跳ね返 「また席を取ってないんだから構やしないさ、断わっ されることもないではなかった。 たって」 せつなてき 彼がふと目を上げて細君を見た時、彼は刹那的に彼 「でもそりや悪いわ、貴方。せつかく親切にあゝ言っ 女の目に宿る一種の怪しい力を感した。それは今まで てくれるものを断っちゃ」 あま ことに 彼女のロにしつゝあった甘い言葉とはまったく釣り合 「悪かないよ。相当の事情があって断わるんなら」 っ あなた へや くち こと 「でもあたし行きたいんですもの」 まえ 「お前は行きたければお出な」 「だから貴方もらっしゃいな、ね。お厭 ? 」 津田は細君の顔を見て苦笑を洩らした。 四 っ

3. 夏目漱石全集 13

ことば れさえ、いざとならなければはっきりした言葉になっしどし上ってきた。津田はおやと思った。この足音の 2 て、彼の頭に現われてくるはずがなかった。 調子から、その主がもう七分どおり、彼の頭の中では幻 お延はなか / 、来なかった。お延以上に待たれる吉推定されていた。 おもしろ へや 川夫人はもとより姿を見せなかった。津田は面白くな彼の予覚はすぐ事実になった。彼が室の入口に目を かった。さっきから近くで誰かが遣っている、彼の最転すると、ほとんどおッつかッつに、小林は貰い立て きらいうたい んい」′ノ も嫌な謡の声が、不快に彼の耳を刺激した。彼の記憶の外套を着たまゝつか / 、入ってきた。 にある謡曲指南という細長い板が急に思い出された。「どうかね」 せんたくやすじむこう うち あぐら それは洗濯屋の筋向に当る二階建の家であった。二階彼はすぐ胡坐をかいた。津田はむしろ苦しそうな笑 あいさっ が稽古をする座敷にでもなっているとみえて、距離の いを挨拶の代りにした。なにしに来たんだという心持 びと 割に声のほうがむやみに大きく響いた。他がかってに が、顔を見るとともにもう起っていた。 や や みいだ がいとうそで 遣っているものを止めさせる権利をどこにも見出しえ 「これだ」と彼は外套の袖を津田に突き付けるように ない彼は、彼の不平をどうすることもできなかった。 して見せた。 ありがと 彼はたゞ早く退院したいと思うだけであった。 「有難う、お蔭でこの冬も生きてゆかれるよ」 れんがづく やまがた ことま 柳の木の後にある赤い煉瓦造りの倉に、山形の下に 小林はお延の前で言ったと同じ言葉を津田の前で繰 一を引いた屋号のような紋が付いていて、その左右に り返した。しかし津田はお延からそれを聴かされてい おれくぎ なんのためとも解らない、大きな折釘に似たものが壁なかったので、別に皮肉とも思わなかった。 の中から突き出しているところを、津田が見るとも見「奥さんが来たろう」 かた ないとも片の付かない目で、ぼんやり眺めていた時、 小林はまたこう訊いた。 だれ はしごだん まえ 遠慮のない足音が急に聞こえて、誰かが階子段を、ど 「来たさ。来るのは当り前じゃないか , わか なが のに かげ いりぐち

4. 夏目漱石全集 13

仕方がないと跳ね付けられればそれまでだが、そこに 「ところがいくら心得たって駄目なんだから可笑い 君の注意を払わせたいのが、実は僕の目的だ、いゝかや」 ね。人間の境遇もしくは位地の懸絶といったところで 小林はこう言って急に笑いだした。津田にはその意 大したものじゃないよ。本式に言えば十人が十人なが味が解らなかった。小林は訊かれないさきに説明した。 らほゞ同じ経験を、違った形式で繰り返しているんだ。 「その時ひょっと気が付くとするぜ、 しいかね。そう それをもっとはっきり言うとね、僕は僕で、僕に最もしたらその時の君が、やっという掛声とともに、早変 切実な目でそれを見るし、君はまた君で、君に最も適りができるかい。早変りをしてこの僕になれるかい」 「そいつは解らないよ」 当な目でそれを見る、まあそのくらいの違だろうじゃ めんくら ぎま ないか。だからさ、順境にあるものがちょっと面喰う「解らなかない、解ってるよ。なれないに極ってるん まご けつま か、迷児つくか、蹴爪ずくかすると、そらすぐ目の球だ。はゞかりながらこゝまで来るには相当の修業が要 ちどん の色が変ってくるんだ。しかしいくら目の球の色が変るんだからね。いかに痴鈍な僕といえども、現在の自 ( 1 ) しろ ったって、急に目の位置を変えるわけこま 冫。いかないだ分に対してはこれで血の代を払ってるんだ」 しやくさわ ろう。つまり君に一朝事があったとすると、君は僕の津田は小林の得意が癪に障った。此奴が狗のような この助言をきっと思い出さなければならなくなるとい 毒血を払ってはたして何物を楓んでいる ? こう思っ けいべっ おもて うだけのことさ」 た彼はわざと軽蔑の色を面に現わして訊いてみた。 「じゃよく気を付けて忘れないようにしておくよ」 「それじゃなんのためにそんな話を僕にして聴かせる 「うん忘れずにいたまえ、必す思い当ることが出てくんだ。たとい僕が覚えていたって、い ざという場合の るから」 役にや立たないじゃないか」 こ、ろえ 「よろしい。心得たよ」 「役にや立つまいよ。しかし聴かないより増ししゃな ちがい たま つか かけごえ おかし 354

5. 夏目漱石全集 13

が付いた。この調子で乗し掛っていったところで、夫省略した、誰の耳にも真卒で合理的な説明が容易く彼 つぶ おもてむき はもう圧し潰されないという見切を付けた時、彼女はの口からお延の前に描き出された。彼女は表向それに さしは 自分の破綻を出すまえに身を翻がえした。 対して一言の非難を挾さむ余地がなかった。 「そう、そんならそれでも可いわ。小林さんが来たっ たヾ落ち付かないのは互の腹であった。お延はこの のぞ て来なくったって、あたしの知 0 たことじゃないんだ単純な説明を透して、その奥を覗き込もうとした。津 から。その代り吉川の奥さんの用事を話して聴かして田はあくまでもそれを見せまいと覚悟した。きわめて ちょうだい。むろんたヾのお見舞でないことはあたし平和な暗闘が度胸比べと技巧比べで演出されなければ わか にも判ってるけれども」 ならなかった。しかし守る夫に弱点がある以上、攻め 「といったところで、大した用事で来たわけでもない る細君にそれだけの強味が加わるのは自然の理であっ ふたり んだよ。そんなに期待していると、また聴いてから失た。だから二人の天賦を度外に置いて、たゞ二人の位 . 望するかもしれないから、ちょっと断っとくがね」 地関係から見ると、お延は戦かわないさきにもう優者 しようみ 「構いません、失望しても。たヾありのまゝを伺いさであ 0 た。正味の曲直を標準にしても、競り合わない ( 1 ) ねんばら えすれば、れで念晴しになるんだから」 まえに、彼女はすでに勝っていた。津田にはそういラ 「本来が見舞で、用事は付けたり・なんだよ、可いか自覚があ 0 た。お延にもこれとほゞ同じ意味でだいた ね」 いの見当が付いていた。 「可いわ、どっちでも」 戦争は、この内部の事実を、そのま & 表面へ追い出 . もたら じよ・こん 津田は夫人の齎した温泉行の助言だけをごくあっさすことができるかできないかで、一段落付かなければ り話した。お延にお延流の機略があるとおり、彼には ならない道理であった。津田さえ正直ならばこれほど かけひき たやす 彼相当の懸引があるので、都合の悪いところを巧みに容易い勝負はないわけでもあった。しかしもし一点不 ひる つよみ しんそっ た乂

6. 夏目漱石全集 13

「さよう」 疑しているうちに、夫人はもう自分を置き去りにして、 とな むか 三好が少し考えていると、吉川はすぐ隣りからロを 遠くにいる三好に向った。 出した。 「三好さん、黙っていないで、ちっとあっちの面白い 「まさか殺されるとも思うまいね。ことにこの人は , 話でもして継子さんに聞かせておあげなさいー ちょうど叔母と話を途切らしていた三好は夫人の方「なぜです。人間がずう / 、しいからですか」 「という訳でもないが、とにかく非常に命を惜がる男 を向いて静かに言った。 だから」 「え、なんでも致しましよう」 継子が下を向いたま、くす / 、笑った。戦争前後に 「え、なんでもなさい。黙ってちや不可せん」 ことば ィッを引き上けてきた人たということだけがお延に 命令的なこの一言葉がみんなを笑わせた。 解った。 「またドイツを逃げ出した話でもするがいい」 吉川はすぐ細君の命令を具体的にした。 五十三 「ドイツを逃げ出した話も、何度となく繰り返すんで はず ひと 三好を中心にした洋行談がひとしきり弾んだ。相間 ね、近ごろはもう他よりも自分のほうが陳腐になって あとっ しまいました」 相間に巧みなきっかけを入れて話の後を釣り出してゆ てぎわ おちっ あわて 「あなたのような落付いたかたでも、少しは周章たでく吉川夫人のお手際を、黙って観察していたお延は、 夫人がどんな努力で、彼等四人の前に、この未知の青 しようね」 おた 「少しどころなら好いですが、ほとんど夢中でしたろ年紳士を押し出そうと試みつ、あるかを見抜いた。穏 わか 和というよりもむしろ無ロな彼は、自分でそうと気が う。自分じゃよく分らないけれども」 「でも殺されるとは思わなかったでしよう」 付かないうちに、彼に好意を有った夫人のロ車に乗せ おもしろ やか わか 和 8

7. 夏目漱石全集 13

かったという意味があとで解った時には、淡い冷笑の真面目に受けるほど無邪気だったのである。 ふくしゅう うちに、復讐をしたような快感さえ覚えた。それより ほんとうに愛の実体を認めたことのないお秀は、彼 ( 1 ) うろん する 以後、愛という間題について、お秀に対するお延の態女のいたずらに使う胡乱な言葉を通して、鋭どいお延 けいべっ おもてむき うれ 度は、いつも軽蔑であった。それを表向さも嬉しい消 からよく見透かされたのみではなかった。彼女は津田 とりあっ 息ででもあるように取扱かって、彼我に共通するごと とお延の関係を、自分達夫婦から割り出して平気でい くに見せ掛けたのは、むろん一片のお世辞にすぎなか た。それはお延の言葉を聴いた彼女が実際驚ろいた顔 ちょうろう った。もっと悪くいえば、一の嘲弄であった。 をしたのでも解った。津田がお延を愛しているかいな さいわいお秀はそこに気が付かなかった。そうして しかが今ごろどうして間題になるのだろう。しかもそ 気が付かないわけであった。というのは、言葉のうえれが細君自身の口から出るとは何事だろう。ましてそ はとにかく、実際に愛を体得するうえにおいて、お秀れを夫の妹の前へ出すにいたっては、どこにどんな意 はとてもお延の敵でなかった。猛烈に愛した経験も、味があるのだろう。 これがお秀の表情であった。 きいっぽん 生一本に愛された記憶も有たない彼女は、この能力の実際お秀から見たお延は、現在の津田の愛に満足す おうちゃくもの 最大限がどのくらい強く大きなものであるかという一」ることを知らない横着者か、さもなければ、自分が十 とをまだ知らずにいる女であった。それでいて夫に満分津田を手のうちへ丸め込んでおきながら、わざとそ ことわざ そらル、 足している細君であった。知らぬが依という諺がまさこに気の付かないような振をする、空々しい女にすぎ にこの場合の彼女をよく説明していた。結婚の当時、なかった。彼女は「あら」と言った。 自分の未来に夫の手で押し付けられた愛の判を、普通「まだそのうえに愛されてみたいの」 あいさっ の証文のようなつもりで、いつまでも胸のうちへ仕舞 この挨拶は平生のお延の注文どおりにきた。しかし い込んでいた彼女は、お延の言葉を、その胸のうちで、今の場合におけるお延に満足を与えるはずはなかった。 わか まじめ たち ふり おど 278

8. 夏目漱石全集 13

明 のくらいのお金なんですもの、拵えようと思えば、ど 「こうしておけばそれで可いでしよう」 こからでも出てくるわー 津田に話し掛けたお秀は暗にお延の返事を待ち受け まくらもと 津田はようやく手に持った小切手を枕元へ投げ出しるらしかった。お延はすぐ応じた。 た。彼は金を欲しがる男であった。しかし金を珍重す「秀子さんそれじゃ済みませんから、どうぞそんな心 る男ではなかった。使うために金の必要を他人よりよ配はしないでおいてください。 こっちでできないうち けい痛切に感する彼は、その金を軽蔑する点において、は、ともかくもですけれども、もう間に合ったんです も お延の言葉を心から肯定するような性質を有っていた。 から」 それで彼は黙っていた。しかしそれだからまたお延に 「だけどそれじゃあたしのほうがまた心持が悪いのよ。 一口の礼も言わなかった。 こうしてせつかく包んでまで持ってきたんですから、 うけと 彼女は物足らなかった。たとい自分になんとも言わどうかそんなことを言わすに受取っておいてください りゅういん ないまでも、お秀には溜飲の下るようなことを一口でよ」 しいから言ってくれれば可いのにと、腹の中で思った。 二人は譲り合った。同じような間答を繰り返しはし ふたり しんう さっきから二人の様子を見ていたそのお秀はこの時めた。津田はまた辛防強くいつまでもそれを聴いてい 急に「兄さん」と呼んだ。そうして懐から綺な女持た。しまいに二人はとう / \ 兄に向わなければならな かみいれ くなった。 の紙入を出した。 「兄さん、あたし持ってぎたものをこゝへ置いていき「兄さん取っといてください」 ます」 「貴方頂いてもよくってー 彼女は紙入の中から白紙で包んだものを抜いて小切津田はにや / 、と笑った。 手の傍へ置いた。 「お秀妙たね。さっきはあんなに強便だったのに、今 け あなたいたゞ 233

9. 夏目漱石全集 13

ぎよう ことばづかい 今日は津田のいる時よりもかえって早く起きたという お延の言葉遣は平生より丁寧で片付いていた。そこ うれ なま おちっ おちつき ことが、なぜだか彼女には嬉しかった。怠けて寐過しにある落付きがあった。そうしてその落付を裏切る意 た昨日の償い、それも満足の一つであった。 気があった。意気に伴なう果断も遠くに見えた。彼女 あと 彼女は自分で床を上げて座敷を掃ぎ出した後で鏡台の中にある心の調子がおのずと態度にあらわれた。 むか たすき に向った。そうして結ってから四日目になる髪を解い それでも彼女はすぐ出掛ようとはしなかった。襷を よ・こ はす た。油で汚れたところへ二三度櫛を通して、癖が付い外して盆を持ったお時を相手に、しばらく岡本の話な ( 1 ) ひさしつか おにえ て自由にならないのを、むりに廂に東ね上けた。それどをした。もと世話になった覚のあるその家族は、お み が済んでからはじめて下女を起した。 時にとっても、興味に充ちた題目なので、二人は同じ 食事のできるまでの時間を、下女とともに働らいた ことを繰り返すようにしてまで、よく彼等について語 ぜん 彼女は、膳に着いた時、下女から「今日はたいへんおり合った。ことに津田のいない時はそうであった。と ひとり 早うございましたね」と言われた。なんにも知らない いうのは、もし津田がいると、ある場合には、彼一人 はやおきおど のけもの お時は、彼女の早起を驚ろいているらしかった。またが除外物にされたような変な結果に陥るからであった。 おそ きます 自分が主人より遅く起きたのを済まないことでもしたふとした拍子からそんな気不味い思いを一二度経験し あと ように考えているらしかった。 た後で、そこに気を付けだしたお延は、そのほかにま きよう だんなさま ふいちょう 「今日は旦那様のお見舞に行かなければならないから だ、富裕な自分の身内を自慢らしく吹聴したがる女と ねー 夫から解釈される不快を避けなければならない理由も 「そんなにお早く入らっしやるんでございますか」 あったので、お時にもかねてその旨を言い含めておい でかけ たのである。 「え、。昨日行かなかったから今日は少し早く出掛ま きま しよう」 「お嬢さまはまたどこへもお極りになりませんのでご ゅ す はた ねすご っ かたづ ふたり 168

10. 夏目漱石全集 13

小んちがい こんせき い違い疳違の痕迹で、すでにそここ、汚れていた。畢ばといって、叔父の味方にもならなか 0 た。彼女の予 、一よう けしき わるじ 竟夫に対する自分の直覚は、長い月日の経験によって、言を強いる気色を見せない代りに、叔父の悪強いも留 かわ 訂正されべく、補修されべきものかもしれないというめなかった。はじめて嫁にやる可愛い長女の未来の夫 心細い真理に、ようやく頭を下げ掛けていた彼女は、 に関する批判の材料なら、それがどんなに軽かろうと、 あお ねうち 叔父に煽られてすぐ図に乗るほど若くもなかった。 耳を傾むける値打は十分あるといったふうもみえた。 「人間はよく交際ってみなければ実際解らないものよ、お延は当り障りのないことを一口二ロ言っておくより 叔父さん」 ほかに仕方がなかった。 りつば 「そのくらいなことはお前に教わらないだって、誰だ 「立派なかたじゃありませんか。そうして若い割にた って知ってらあ」 いへん落ち付いていらっしやるのね。 「たからよ。一度会ったぐらいでなんにも言えるわけ その後を待っていた叔父は、お延がなんにも言わな がないっていうのよー いので、また催促するように訊いた。 「そりや男の言い草だろう。女は一目見ても、すぐな「それつきりかね」 に力いうじゃないか。またよく旨いことを言うじゃな 「だって、あたしあのかたの一軒置いてお隣へ坐らせ いか。それを言ってごらんというのさ、たゞ叔父さんられて、ろく / 、お顔も拝見しなか 0 たんですもの」 の参考までに。なにもお前に責任なんか持たせやしな 「予言者をそんな所へ坐らせるのは悪かったかもしれ だいじようふ いから大丈夫だよ」 ないがね。 なにかありそうなもんじゃないか、そ 「だって無理ですもの。そんな予言者見たいなこと。 んな平凡な観察でなしに、もっとお前の特色を発揮す ひとこと むこ ねえ叔母さん」 るような、たゞ一言で、ずばりと向うの急所へ中たる 叔母はいつものようにお延に加勢しなかった。されような : : : 」 つぎあ よ」 びつ かた と あたさわ しかた