叔母 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 13
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1. 夏目漱石全集 13

オ - ように一一一口った 0 「今日は吉川さんといっしょに食堂で晩食を食べるこ とになってるんだよ。知ってるかね。そら吉川もあす あとっ 彼女が叔父叔母の後に随いて、継子といっしょに、 こへ来ているだろう さ 0 きまで目に付かなか 0 た吉川の姿がすぐお延の二階の片隅にある奥行の深い食堂に入るべく席を立っ のち たのは、それから小一時間後であった。彼女は自分と 目に入った。 肩を並べて、すれ / 、に廊下を歩いて行く従妹に小戸 「叔父さんといっしょに来たんだよ。倶楽部から」 ふたり 二人の会話はそこで途切れた。お延はまた真面目にで訊いてみた。 舞台の方を見たした。しかし十分経っか経たないうち「い 0 たいこれからなにが始まるの」 に、彼女の注意がまたそっと後の戸を開ける茶屋の男「知らないわ」 さゝや によって乱された。男は叔母になにか耳語いた。叔母継子は下を向いて答えた。 「たゞ御飯を食べるぎりなの」 はすぐ叔父の方へ顔を寄せた。 「あのね吉川さんから、食事の用意を致させておきま「そうなんでしよう」 まくあい 訊こうとすれば訊こうとするほど、継子の返事が曖 したから、この次の幕間にどうぞ食堂へお出ください 昧になってくるように思われたので、お延はそれぎり ますようにつて」 ちゝはゝ 口を閉じた。継子は前に行く父母に遠慮があるのかも 叔父はすぐ返事を伝えさせた。 しれなかった。また自分はなんにも承知していないの 「承知しました」 わか かも分らなかった。あるいは承知していても、お延に 男はまた戸をそっと閉てて出ていった。これからな にが始まるのだろうかと思ったお延は、黙って会食の話したくないので、わざと短かい返事を小さな声で与 ばんめし 時間を待った。 おじおば とこ

2. 夏目漱石全集 13

あざな 叔母はわざ / \ 百合子の命けた渾名で継子を呼んだ。に説明した。それが間接ながらやはり今度の結婚間題 お延はすぐその欲張屋の様子を思い出した。自分に許に関係しているので、お延は叔母の手前殊勝らしい顔 うなす された小天地のうちではあくまで放恣なくせに、そこをしてなるほどと首肯かなければならなかった。 すく 夫の好むもの、でなければ夫の職業上妻が知ってい から一歩踏み出すと、急に謹慎の模型見たように竦ん でしまう彼女は、まるで父母の監督によって仕切られると都合の好いもの、それ等を予想して結婚まえに習 こゝろがけ さえす っておこうという女の心掛は、未来の良人に対する親 た家庭という籠の中で、さも愉快らし、囀る小鳥のよ うなもので、いったん戸を開けて外へ出されると、か切に違いなかった。あるいは単に男の気に入るためと えってどう飛んで可いか、どう鳴いて可いか解らなくしても有利な手段に違なかった。けれども継子にはま だそれ以上に、人間としてまた細君としての大事な稽 なるだけであった。 きよう 古がいくらでも残っていた。お延の頭に描き出された 「今日はなんのお稽古に行ったのー 叔母は「中ててごらん」と言った後で、すぐ坂の途その稽古は、不幸にして女を善くするものではなかっ た。しかし女を鋭敏にするものであった。悪く摩擦す 中から持ってきたお延の好奇心を満足させてくれた。 れいり とすま しかしその稽古の題目が近ごろ熱心に始めだした語学るには相違なかった。しかし怜悧に研ぎ澄すものであ かげ おど だと聞いた時に、彼女はまた改めて従妹の多欲に驚ろった。彼女はその初歩を叔母から習った。叔父のお蔭 ふたり かされた。そんなにいろ / \ なものに手を出していつでそれを今日に発達させてきた。二人はそういう意味 で育て上げられた彼女を、満足の目で眺めているらし たいなににするつもりだろうという気さえした。 、カュー 「それでも語学だけには少し特別の意味があるんだ 「それと同じ目がどうしてあの継子に満足できるだろ 叔母はこう言って、弁護かたる、、継子の意味をお延う」 よ」 か・こ ほうし わか っこ 0 なが しゅしよう

3. 夏目漱石全集 13

ほどの損失もないのだといえば、いわれないこともな静のうちに一の緊張を包んだ彼女は、知らん顔をし あと いでしようが、あなたは私と違います。あなたは父母て、みんなの後に随いて食堂に入った。 の膝下を離れるとともに、すぐ天真の姿を傷けられま かわいそう す。あなたは私よりも可哀相です」 おそ ふたり 二人の歩き方は遅かった。先に行った岡本夫婦が人叔母の言ったとおり、吉川夫婦は自分達より一足早 に遮ぎられて見えなくなった時、叔母はわざ / \ 取っく約東の場所へ来たものとみえて、お延の目標にする おじたちばなし その夫人は、 R ロの方を向いて叔父と立談をしていた。 て返した。 むこがわは ( 1 ) だい 「早くお出なね。なにをぐず / 、しているの。もう吉大きな叔父の後姿よりも、向う側に食み出している大 川さんのほうじや先へ来て待っていらっしやるんだ大した夫人のかつぶくが、まずお延の目に刄った。そ みなぎ よ」 れと同時に、肉付の豊かな頬に笑いを漲らしていた夫 ひとみ とっ ことば 叔母の目は継子のほうにばかり注がれていた。言葉人のほうでも、すぐ眸をお延の上に移した。しかし咄 むか ふたり もとくに彼女に向って掛けられた。けれども吉川とい嗟の電火作用は起るとともに消えたので、二人は正式 あいさっ なまえ う名前を聞いたお延の耳には、それが今までの気分をに挨拶を取り換すまで、』っいに互を認め合わなかった。 いちべっ 一度に吹き散らす風のように響いた。彼女は自分のあ夫人に投かけた一暼についで、お延はまたそのに まり好いていない、また向うでも自分をあまり好いて立っている若い紳士を見ないわけにゆかなかった。そ まちがい いないらしい、吉川夫人のことをすぐ思い出した。彼れが間違もなく、さっき廊下で継子といっしょになっ じようだん 女は自分の夫が、平生からひとかたならぬ恩顧を受けて、冗談半分夫人の双眼鏡をはしたなく批評し合った ている勢力家の妻君として、今その人の前に、能うか時に、自分達を驚ろかした無言の男なので、彼女は思 あいきよう ぎりの變嬌と礼儀とを示さなければならなかった。平わずひやりとした。 しつか あた なげ にくづき おど ほお たち 100

4. 夏目漱石全集 13

( 1 ) せいしん 「なに極りが悪いばかりじゃない。成心があっちゃ、 づた。なんという気楽な人だろうとも思った。 「叔父さん」と呼び掛けた彼女は、呆れたように細い好い批評がでぎないというのが、あいつの主意なんだ。 つまりお延の公平に得た第一印象を聞かしてもらいた 口を強く張って彼を見た。 いというんだろう」 「駄目だよ。あいつは初めつからなんにも言う気がな お延は初めて叔父に強いられる意味を理解した。 いんだから。元来はそれでお前に立ち合ってもらった ような訳なんだ、実をいうとね」 「だってあたしが立ち合えばどうするの」 おれたち お延から見た継子は特殊の地位を占めていた。こち 「とにかく継がぜひそうしてくれって己達に頼んだん だ。つまりあいつは自分よりお前のほうをよ 0 ぽど刑らの利害を心に掛けてくれるという点において、彼女 こう は叔母に及ばなかった。自分と気が合うという意味で 巧だと思ってるんだ。そうしてたとい自分は解らなく 0 ても、お前なら後からいろ / \ 言 0 てくれることがは叔父よりもず 0 と縁が遠か 0 た。その代り血統上の ちがい 親和力や、異性に基く牽引性以外に、年齢の相似から あるに違ないと思い込んでいるんだ」 「じや最初からそう仰しゃれば、あたしだ 0 てその気来る有利な接触面を有 0 ていた。 若い女の心を共通に動かすいろ / \ な間題の前に立 で行くのに」 いきおい 「ところがまたそれはだというんだ。ぜひ黙 0 てて 0 て、興味に充ちた目を見張る時、自然の勢として、 彼女は叔父よりも叔母よりも、継子に近づかなければ くれというんだ」 ならなかった。そうしてその場合における彼女は、天 「なぜでよう」 お延はちょ 0 と叔母の方を向いた。「極りが悪いか分からい 0 て、いつでも継子の優者であ 0 た。経験か銘 さえぎ ら推せば、もちろん継子の先輩に巡記か 0 た。少なく らだよ」と答える叔母を、叔父は遮った。

5. 夏目漱石全集 13

にほんじゅう 「あの男は日本中の女がみんな自分に惚れなくっちやで、これからさきひょっと出てきたなら遠慮なく打ち かおっき いけな ならないような顔付をしているじゃないか」 明けなけりや不可いよ」 不思議にもこの言葉はお延にとって意外でもなんで お延は叔父の目の中に、こうした慈愛の言葉さえ読 もなかった。彼女には自分が津田をせいいつばい愛しんだ。 うるという信念があった。同時に、津田からせいいっ ばい愛されうるという期待も安心もあった。また叔父 の例の悪口が始まったという気がなによりさきに起っ 感傷的の気分を笑に紛らした彼女は、その苦痛から のが たので、彼女は声を出して笑った。そうして、この悪逃れるために、すぐ自分の持ってきた話題を叔父叔母 ロはつまり嫉妬から来たのだと一人腹の中で解釈しての前に切り出した。 ぎのう おのぼれ 得意になった。叔母も「目分の若い時の己惚は、もう「昨日のことはぜんたいどういう意味なの」 あいづち 忘れているんだからね」と言って、彼女に相槌を打っ 彼女は約東どおり叔父に説明を求めなければならな てくれた。 かった。すると返答を与えるはずの叔父がかえって彼 うしろ 叔父の前に坐ったお延は自分の後にあるこんな過去女に反間した。 おも を憶い出さないわけにいかなかった。すると「厳格」 「お前はどう思う」 こーこ・ 4 な津田の妻として、自分が向くとか向かないとかいう 特に「お前」という言葉に力を入れた叔父は、お延 くだ じようだん めづか 下らない彼の笑談のうちに、なにか真面目な意味があの腹でも読むような目遣いをして彼女をじっと見た。 るのではなかろうかという気さえ起った。 「解らないわ。藪から棒にそんなこと訊いたって。ね おれ しあわ 「己の言ったとおりじゃないかね。なければ仕合せだ。え叔母さん」 しかし万一なにかあるなら、また今ないにしたところ叔母はにやりと笑った。 しっと ひとり まじめ わか ゃぶ わらい おじおば 130

6. 夏目漱石全集 13

暗 「病院へいっしょにりたいなんて気楽なことをいう「そう信用がなくなったひにや僕もそれまでだ」 かと思うと、やれ髪を刈れの湯に行けのって、叔母さ叔母はふゝんと笑った。 やかま しにや んよりもよっぽと八釜しいことを言いますよ」 「芝居はどうでも可いが、由雄さん京都のほうはどう まえ しゃれ 「感心じゃないか。お前のようなお洒落にそんな注意して、それから」 をしてくれるものはほかにありやしないよ」 「京都からなんとか言ってきましたか、こっちへ」 ありがたしあわ 「有難い仕合せだな」 津田は少し真剣な表情をして、叔父と叔母の顔を見 しばや 「芝居はどうだい。近ごろ行くかい」 比べた。けれども二人はなんとも答えなかった。 「実は僕のところへ今月は金を送れないから、そっち 「えゝ時々行きます。このあいだも岡本から誘われた とう んだけれども、あいにくこの病気のほうの片を付けなでどうでも為ろって、お父さんが言ってきたんだが、 けりゃならないんでね」 ずいぶん乱暴じゃありませんか」 津田はそこでちょっと叔母の方を見た。 叔父は笑うだけであった。 あにき おこ 「どうです、叔母さん、近いうち帝劇へでも御案内し「兄貴は怒ってるんだろう」 ましようか。たまにゃあゝいう所へ行って見るのも薬 「いったいお秀がまたよけいなことを言って遣るから いけな ですよ、気がはれみ、してね」 不可い」 なまえ 「え & 有難う。だけど由雄さんの御案内じゃ 津田は少し忌々しそうに妹の名前を口にした。 とが 「お厭ですか」 「お秀に咎はありません。はじめから由雄さんのほう わか 「厭より、いつのことだか分らないからね」 が悪いに極ってるんだもの」 ( 2 ) しばいー 芝居場などをあまり好まない叔母のこの返事を、わ「そりやそうかもしれないけれども、どこの国にあな おやじ ざと正面に受けた津田は頭を掻いて見せた。 た阿爺から送ってもらった金を、きちん / \ 返す奴が かた らんぼう ふたり や

7. 夏目漱石全集 13

じようだん してか、った、調戯半分の叔父の笑談を、たゞ座興かの中で好いていたお延は、その報酬として、自分もこ ら来た出鱈目として笑 0 てしまうには、お延の心にあの叔父から特別に可愛がられているという信念を常に しやらく まり隙がありすぎた。とい 0 て、その隙をあくまで取有 0 ていた。洒落でありながら神経質に生れ付いた彼 り繕ろ 0 て、他人の前に、なに一つ不足のない夫を持の気をよく呑み込んで、その両面に行き渡 0 た自分 0 た妻としての自分を示さなければならないとのみ考の行動を、寸分巡わず叔父の思いどおりに楽々と運ん えている彼女は、心に感じたとおりの何物をも叔父のでゆく彼女には、いつでも年齢の若さから来る柔軟性 前に露出する自由を有 0 ていなか 0 た。もう少しで涙が伴 0 ていたので、ほとんど苦痛というものなしに、 またゝ が目の中に溜まろうとしたところを、彼女は瞬きで胡叔父を喜こばし、また自分に満足を与えることができ しよさ なが た。叔父が鑑賞の目を向けて、常に彼女の所作を眺め 麻化した。 むき 「いくらお誂らえ向でも、こう年を取っちや仕方がなていてくれるように考えた彼女は、時とすると、変化 に乏しい叔母の骨はどうしてあんなに堅いのだろうと 、。ねえお延」 怪しむことさえあった。 年の割にどこへ行っても若く見られる叔母が、こう いかにして異性を取り扱うべきかの修養を、こうし 言って水々した光沢のある目をお延の方に向けた時、 お延はなんにも言わなか 0 た。けれども自分の感情をて叔父からばかり学んだ彼女は、どこへ嫁に行 0 ても、 ちがい 隠すために、第一の機会を利用することは忘れなか 0 それをそのまゝ夫に応用すれば成効するに違ないと信 じていた。津田といっしょになった時、はじめて少し た。彼女はたゞ面白そうに声を出して笑った。 勝手の違うような感じのした彼女は、この生れてはじ めつき めての経験を、なるほどという目付で眺めた。彼女の ( 1 ) こな あた 親身の叔母よりもかえ 0 て義理の叔父のほうを、心努力は、新らしい夫を叔父のような人間に熟しつける しかた よろ かわ

8. 夏目漱石全集 13

明 あと けれどもいったん背中を座敷の方へ向けた後でまたお延、藤井の叔父さんは飯を食いに来いったら、来る 、刀しー 振り返った。 「そりやどうだかあたしにや解らないわ」 「お延、湯に入って晩飯でも食べておいで」 えんきよく こう言って二三間歩いたかと思うと彼はまた引き返叔母は婉曲に自己を表現した。 してきた。お延は頭のよく働くその世話しない様子を、「おおかた入らっしやらないでしよう」 いかにも彼の特色らしく感心して眺めた。 「うん、なか / ( 、おいそれと遣ってきそうもないね。 「お延が来たから晩に藤井でも呼んでやろうか」 じゃ止すか。 だがまあためしにちょっと掛けてみ あい 職業が違っても同じ学校出たけに古くから知り合のるが可い」 藤井は、津田との関係上、今では以前よりよほど叔父 お延は笑いだした。 に縁の近い人であった。これも自分に対する好意から「掛けてみるったって、あすこにや電話なんかありや うれ だと解釈しながら、お延は別に嬉しいと思う気にもなしないわ」 しかた つかい 「じや仕方がない。使でも遣るんだ」 れなかった。藤井一家と津田、二つのものが離れてい めんどう 手紙を書くのが面倒だったのか、時間が惜しかった るよりも、はるかよけいに、彼女は彼等より離れてい こ 0 のか、叔父はそう言ったなりさっさと庭ロの方へ歩い 「しかし来るかな」といった叔父の顔は、まさにお延ていった。叔母も「じゃあたしは御免蒙ってお先へお あが 湯に入ろう」と言いながら立ち上った。 の腹の中を物語っていた。 「近ごろみんなおれのことを隠居々々っていうが、あ叔父の潔癖を知って、みんなが遠慮するのに、自分 」とば の男の隠居主義ときたら、遠い昔からのことで、とう だけは平気で、こんな場合に、叔父の言葉どおり断行萄 うらや ていおれなどの及ぶところじゃないんだからな。ねえ、して顧みない叔母の態度は、お延にとって羨ましいも なが わか 1 」うむ

9. 夏目漱石全集 13

しまい 「なんだね小供らしい。このくらいなことで泣くものまりあたしが居〈行 0 たのが悪いんだから。・ 沈黙がすこし続いた。 がありますか。いつもの笑談じゃないか」 「なんだかとんだことになっちまったんだね。叔父さ 叔母の言は、義理のある叔父の手前を北た拠拶と からか ばかりは聞えなか 0 た。二人の関係を知り抜いた彼女んの調戯い方が悪か 0 たのかい」 の立場を認める以上、どこから見ても公平なものであ「い、え。皆んなあたしが悪いんでしよう」 0 た。お延はそれをよく承知していた。けれども叔母「そう皮肉を言 0 ちや下可い。どこが悪いか解らない の小言をもっともと思えば思うほど、彼女はなお泣きから訊くんだ」 あと たくな 0 た。彼女の唇が顫えた。抑え切れない涙が後「だから皆なあたしが悪いんだ 0 て言 0 てるじゃあり から後からと出た。それにつれて、今まで堰き留めてませんか」 いたロの関も破れた。彼女はついに泣きながら声を出「だが訳を言わないからさ」 「訳なんかないんです」 した。 「訳がなくって、たゞ悲しいのかい」 「なにもそんなにまでして、あたしをめなくったっ お延はなお泣きだした。叔母は苦々しい顔をした。 うち だゝ 「なんだねこの人は。駄々ッ子じゃあるまいし。宅に 叔父は当惑そうな顔をした。 「苛めやしないよ。賞めてるんだ。そらお前が由雄さいた時分、いくら叔父さんに調戯われた 0 て、そんな んのところへ行くまえに、あの人を評した言葉があるに泣いたことなんか、ありやしないくせに。お嫁に行 だんな みんかげ きたてで、少し旦那から大事にされると、すぐそうな だろう。あれを皆な蔭で感心しているんだ。だから・ : るから困るんだよ、若い人は」 うかヾ お延は唇を噛んで黙った。すべての原因が自分にあ 「そんなこと承わなくっても、もうたくさんです。っ こ わか 1 イ 3

10. 夏目漱石全集 13

あが 叔父が縁側へ上ったのと、叔母がこう言い掛けたの草を雁百へ詰めた。 るす とは、ほとんど同時であった。彼は大きな声で「継が 「おれの留守にまた叔母さんからなにか聴いたな」 よ、 どうしたって」と言いながらまた座敷へ入ってきた。 お延はまだ黙っていた。叔母はすぐ答えた。 わたくし 「あなたの人の悪いぐらいいまさら私から聴かないで もよく承知してるそうですよ」 すると今まで抑え付けていた一の感情がお延の胸「なるほどね。お延は直覚派だからな。そうかもしれ に盛り返してぎた。あくまで機娵の好い、あくまで元ないよ。なにしろ一目見てこの男の中には金が若干 ふんどし ( 2 ) 気に充ちた、そうしてあくまで楽天的に肥え太ったそあって、彼はそれを犢鼻褌のミツへ挾んでいるか、ま どうまき とっさ たは胴巻へ入れて臍の上に乗っけているか、ちゃんと の顏が、瞬間のお延を咄嗟に刺激した。 見分ける女なんだから、なか / 、油断はできないよ」 「叔父さんもずいぶん人が悪いのね」 じようだん ゃぶ 彼女は藪から棒にこう言わなければならなかった。 叔父の笑談は決して彼の予期したような結果を生じ まゆまっげ ふたり 今日まで二人のあいだに何百遍となく取り換わされた なかった。お延は下を向いて眉と睫毛をいっしょに動 じようとうことば この常套な言葉を使ったお延の声は、いつもと違ってかした。その睫毛の先には知らないまに涙がいつばい わるくち 、た。表情にも特殊なところがあった。けれどもさっ溜った。勝手を違えた叔父の悪口もばたりと留まった。 きからお延の腹の中にどんな潮の蠍干があ 0 たか、そ変な圧迫が一度に三人を抑え付けた。 こにまるで気の付かずにいた叔父は、平生の細心にも「お延どうかしたのかい」 ぎせる 似ず、まったく無邪気であった。 こう言った叔父は無言の空虚を充たすために、烟管 ( 3 ) はいふきたゝ 「そんなに人が悪うがすかな」 で灰吹を叩いた。叔母もなんとかその場を取り繕ろわ そら 例の調子でわざと空っとぼけた彼は、澄まして刻烟なければならなくなった。 恰さっ っ こ す 歩しくび へそ み はさ くら 1