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検索対象: 夏目漱石全集 13
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1. 夏目漱石全集 13

明 てもり 食っ付いてるんだとはじめから観念している。だから お朝そうだったろう」 いくら惚れたくっても惚れられなくなる義理じゃない 「どうだか存じませんよ」 まつだけめし あとすわ 叔母は真事の立った後へ坐って、さっさと松茸飯をか。なぜといってごらん、惚れるとか愛し合うとかい うのは、つまり相手をこっちが所有してしまうという 手盛にして食べはじめた。 「そう怒ったって仕方がない。そこに事実があると同意味だろう。すでに所有権の付いてるものに手を出す どろぼう ういう訳で義理堅い昔の男は 時に、一種の哲学があるんだから。今己がその哲学をのは泥棒じゃないか。そ 決して惚れなかったね。もっとも女はたしかに惚れた 講釈してやる」 よ。現にそこで松茸飯を食ってるお朝なぞも実は己に 「もうそんなむずかしいものは、伺わなくってもたく あれ さんです」 惚れたのさ。しかし己のほうじやかって彼女を愛した おぼえ 「じや若いものだけに教えてやる。由雄も小林も参考覚がない」 かげん まえたちびと 「どうでも可いから、もう好い加減にして御飯になさ のためによく聴いとくが可い。いったいお前達は他の い」 娘をなんだと思う 「女だと思ってます」 真事を寐かし付けに行ったお金さんを呼び返した叔 ちやわん 、つけて、みんなの茶碗に飯をよそわ 津田は交ぜ返し半分わざと返事をした。 母は、彼女にいし ますしよく・ハン 「そうだろう。たゞ女だと思うだけで、娘とはわなせた。津田は仕方なしに、ひとり不味い食麺麭をにち おれたち いんだろう。それが己達とは大違いだて。己達は父母やにちゃ噛んた。 なが から独立したたゞの女として他人の娘を眺めたことが いまだかってない。だからどこのお嬢さんを拝見して も、そのお嬢さんには、父母という所有者がちゃんと食後の話はもうはずまなかった。といって、別にし かえ しかた おれ

2. 夏目漱石全集 13

あく れざるを得なかった。お延はまた夫のこの驚きをあた津田の明る朝目を覚ましたのはいつもよりずっと遅 なが なか ひとかたづき あと かも自分の労力に対する報酬のごとくに眺めた。そう かった。家の内はもう一片付かたづいた後のようにひ してわざと説明もなにも加えなかった。 っそりかんとしていた。座敷から玄関を通って茶の間 きれ あ 「布は買ったのかい」 の障子を開けた彼は、そこの火鉢の傍にきちんと坐っ ふる 「い、え、これあたしのお古よ。この冬着ようと思って新聞を手にしている細君を見た。穏やかな家庭を代 あらいはり てつびん て、洗張をしたま & 仕立てずに仕舞っといたの」 表するような音を立てて鉄瓶が鳴っていた。 しま ねぼう なるほど若い女の着る柄だけに、縞がたゞ荒いばか「気を許して寐ると、寐坊をするつもりはなくっても 1 いろあい ねす」 りでなく、色合もどっちかというとむしろ派出すぎた。つい寐過すもんだな」 津田は袖を通したわが姿を、奴凧のようなふうをして、 彼は言い訳らしいことをいって、暦の上に懸けてあ きま あと 少し極り悪そうに眺めた後でお延に言った。 る時計を眺めた。時計の針はもう十時近くのところを あしたあさってや き 「とう / \ 明日か明後日遣ってもらうことに極めてき指していた。 もど なにげ たよ」 顔を洗ってまた茶の間へ戻った時、彼は何気なく例 くろぬり妊んむか 「そう。それであたしはどうなるの」 の黒塗の膳に向った。その膳は彼の着席を待ち受けた まえ くたび 「お前はどうもしやしないさ」 というよりも、むしろ待ち草臥れたといったほうが適 ふきんと 「い 0 しょに随いてい 0 ちやいの。病院へ」 当であった。彼は膳の上に掛けてある布巾を除ろうと お延は金のことなどをまるで苦にしていないらしくしてふと気が付いた。 いけな みえた。 「こりや不可い」 彼は手術を受ける前日に取るべき注意を、かって医 者から聞かされたことを思い出した。しかし今の彼は そで 十九 っ がら やっこだこ さ なが ひばちそば

3. 夏目漱石全集 13

ているが、立場を変えてみると、けつきよくそれらは自分勝手なのだ、とこういったとして、若い 人はすなおに承服するだろうか。そのとき若い人はせいぜいこう思うであろう。 「私はあなたの年齢になれば、あなたの立場になれば、そう思うようになるかもしれないが、今 はそう思えません。それにこういっては何ですが、もう時代が違うんじゃありませんか」 途中だが、ここでもう一つの若い人向きではない理由をいうと、結婚生活をはじめた男女の日常 的なやりとりが中心になっている。夫婦というものは、互いに争っていても、よその人に対しては 二人がうまく行っているという恰好をしてつくろうものだ、というようなことが果して若い人に面 白いだろうか。それに激しい恋愛や危険な男女のやりとりが直接にはあらわれてこない。気むずか しくて精緻で、そしてきわめて日常的な場面ばかりがある。少なくとも未完のこの作品のほとんど がそうであるのだ。 さて、私がこういうと、ではほかの漱石の作品における作者の立場は「明暗」の場合とは違うの か、と質問が起きるだろう。それは違う。それまでの作品の場合は、あるときは若い人に、あると きは、たとえ今若くないとしても若いときに思いそうなことをゆっくりと展開したり語ったりする、 というふうになっている。 たとえば「明暗」の前年に書かれた「道草」にしても、健三に対しては、作家はその言分をゆっ くりたっぷりといわせている。大きくいうならば、健三には健三の言分があるけれども、細君にも イ 59

4. 夏目漱石全集 13

明 しかし僕のような正直者には、とても しその裏に、津田とお延を貯り付けて裏表の意味を同「そうか。 まね 君の真似はできない。君はやつばりえらい男だ」 時に眺めることは自由にできた。 しあわ 「君が正直で僕が偽物なのか。その偽物がまた偉くっ 「君は仕合せな男だな」と小林が言った。「お延さん まちがい て正直者は馬鹿なのか。君はいつまたそんな哲学を発 さえ大事にしていれば間違はないんだから」 「だから大事にしているよ。君の注意がなくったって、明したのかい」 「哲学はよほどまえから発明しているんだがね。今度 そのくらいのことは心得ているんだ」 改めてそれを発表しようというんだ。朝鮮へ行くにつ 「そうか」 ことば 小林はまた「そうか」という言葉を使った。この真いて」 面目腐った「そうか」が重なるたびに、津田は彼から津田の頭に妙な暗示が閃めかされた。 「君旅費はもうできたのか」 脅やかされるような気がした。 そうめい 「しかし君は僕などと違って聡明だから可い。他はみ「旅費はどうでもできるつもりだがね」 きま んな君がお延さんに降参し切ってるように思ってる「社のほうで出してくれることに極ったのかい」 「いゃ。もう先生から借りることにしてしまった」 ひと だれ 「そうか。そりや好い具合だ」 「他とは誰のことだい」 「ちっとも好い具合じゃない。僕はこれでも先生の世 「先生でも奥さんでもさ」 藤井の叔父や叔母から、そう思われていることは、話になるのが気の毒で堪らないんだ」 こういう彼は、平気で自分の妺のお金さんを藤井に 津田にもほゞ見当が付いていた。 かたづ 「降参し切っているんだから、そう見えたって仕方が片付けてもらう男であった。 「いくら僕が恥知らすでも、このうえ金のことで、先 ないさ」 じめくさ おび なが ひと ひら 257

5. 夏目漱石全集 13

思ったより自分に好意を有ってくれた天候の前に感ら」 謝して、汽車を下りた津田は、そこからすぐ乗り換え津田は少し可笑しくなった。すると爺さんがすぐ話 ふたりづれ た電車の中で、またさっき会った二人伴の男を見出しし掛けた。 とうじば あなた た。はたして彼の思わくどおり、自分と同じ見当へ向「貴方も湯治場へ入らっしやるんでしよう。どうもお いて、同じ交通機関を利用する連中だと知れた時、津おかたそうだろうと思いましたよ、さっきから」 田は気を付けて彼等の手荷物を注意した。けれども彼「なぜですか」 おおがさ あまざら 「なぜって、そういう所へ遊びに行く人は、様子を見 等の雨曝しになるのを苦に病んだほどの大嵩なものは わか どこにも見当らなかった。のみならず、爺さんは自分ると、すぐ分りますよ。ねえ」 彼はこう言って隣りにいる自分の伴侶を顧みた。中 がさっき言ったことさえもう忘れているらしかった。 しかた おおあた ありがた 「有難い、大当りだ。だからやつばり行こうとった折の人は仕方なしに「あ、」と答えた。 ( 1 ) てんがんつう この天眼通に苦笑を禁じえなかった津田は、それぎ 時に立っちまうに限るよ。これで愚図々々して東京に つま いてごらんな。あ、詰らねえ、こうと知ったら、思い り会話を切り上げようとしたところ、快豁な爺さんの ほうでなか / 、彼を放さなかった。 切って今朝立っちまえば可かったと後悔するだけだか 「だが旅行も近ごろは便利になりましたね。どこへ行 らね」 ありがた からだ くにも身体一つ動かせばたくさんなんですから、有難 「そうさ。だが東京も今ごろはこのくらい好い天気に ( 2 ) こちとら なってるんだろうか」 いわけさ。ことに此方徒等見たいな気の早いものには あつらえむき 「そいつあ行ってみなけりや、ちょいと分らねえ。なお誂向だあね。今度たって荷物なんかなんにも持って かばん き まちがい ( 3 ) がっさいぶくろ んなら電話で訊いてみるんだ。だがたいてい間違はなきやしませんや、この合切袋とこの大将のあの鞄を差 につぼん いよ。空は日本中どこへ行ったって続いてるんだかし引くと、残るのは命ばかりといいたいくらいのもの ら よ わか とな 力いかっ 382

6. 夏目漱石全集 13

だんなさま 津田はざぶんと音を立てて湯壷の中へ飛び込んだ。 「えゝ。旦那様はどこかお悪いんですか」 「御ゆっくり」 「うん、少し悪いんだ」 あと 戸を閉めて出ようとした下女はいったんこう言った 下女が去った後の津田は、しばらくのあいだ、「ほん あと もど ことば 後で、また戻ってきた。 とうに療治の目的で来た客」といった彼女の言葉を忘 「まだ下にもお風呂場がございますから、もしそちられることができなかった。 のほうがお気に入るようでしたら、どうぞ」 「おれははたしてそういう種類の客なんだろうか」 来る時もう階子段を一つか二つ下りている津田には、彼は自分をそう思いたくもあり、またそう思いたく この浴槽の階下がまだあろうとは思えなかった。 もなかった。どっち本位で来たのか、それは彼の心が うち 「いったい何階なのかね、この家は」 よく承知していた。けれども雨を凌いでこゝまで来た すきま ちゅうちょ 下女は笑って答えなかった。しかし用事だけは言い彼には、まだ商量の隙間があった。躊躇があった。い 残さなかった。 くぶんの余裕が残っていた。そうしてその余裕が彼に あた きれい 「こゝのほうが新らしくって綺麗は綺麗ですが、お湯教えた。 は下のほうがよく利くのだそうです。だからほんとう「今のうちならまだどうでもできる。ほんとうに療治 に療治の目的でお出のかたはみんな下へらっしゃ いの目的で来た客になろうと思えばなれる。なろうとな まえ ます。それから肩や腰を滝でお打たせになることも下るまいと今のお前は自由だ。自由はどこまで行 0 ても かたづ ならできます」 幸福なものだ。その代りどこまで行っても片付かない 湯壷から首だけ出したまゝで津田は答えた。 ものだ、だから物足りないものだ。それでお前はその あり謇と 「有難う。じや今度そっちへ入るから連れてってくれ自由を放り出そうとするのか。では自由を失 0 たあか たまえ」 つきに、お前は何物をしかと手に入れることができる こんだ しの 892

7. 夏目漱石全集 13

暗 「病院へいっしょにりたいなんて気楽なことをいう「そう信用がなくなったひにや僕もそれまでだ」 かと思うと、やれ髪を刈れの湯に行けのって、叔母さ叔母はふゝんと笑った。 やかま しにや んよりもよっぽと八釜しいことを言いますよ」 「芝居はどうでも可いが、由雄さん京都のほうはどう まえ しゃれ 「感心じゃないか。お前のようなお洒落にそんな注意して、それから」 をしてくれるものはほかにありやしないよ」 「京都からなんとか言ってきましたか、こっちへ」 ありがたしあわ 「有難い仕合せだな」 津田は少し真剣な表情をして、叔父と叔母の顔を見 しばや 「芝居はどうだい。近ごろ行くかい」 比べた。けれども二人はなんとも答えなかった。 「実は僕のところへ今月は金を送れないから、そっち 「えゝ時々行きます。このあいだも岡本から誘われた とう んだけれども、あいにくこの病気のほうの片を付けなでどうでも為ろって、お父さんが言ってきたんだが、 けりゃならないんでね」 ずいぶん乱暴じゃありませんか」 津田はそこでちょっと叔母の方を見た。 叔父は笑うだけであった。 あにき おこ 「どうです、叔母さん、近いうち帝劇へでも御案内し「兄貴は怒ってるんだろう」 ましようか。たまにゃあゝいう所へ行って見るのも薬 「いったいお秀がまたよけいなことを言って遣るから いけな ですよ、気がはれみ、してね」 不可い」 なまえ 「え & 有難う。だけど由雄さんの御案内じゃ 津田は少し忌々しそうに妹の名前を口にした。 とが 「お厭ですか」 「お秀に咎はありません。はじめから由雄さんのほう わか 「厭より、いつのことだか分らないからね」 が悪いに極ってるんだもの」 ( 2 ) しばいー 芝居場などをあまり好まない叔母のこの返事を、わ「そりやそうかもしれないけれども、どこの国にあな おやじ ざと正面に受けた津田は頭を掻いて見せた。 た阿爺から送ってもらった金を、きちん / \ 返す奴が かた らんぼう ふたり や

8. 夏目漱石全集 13

便に壊れられたひにや乗るものが災難だあね」 ちいち津田に聴こえた。 ランヤ ( 2 ) みら これが相手の答であった。相手というのは羅紗の道「こんな天気になろうとは思わなかったね。これなら ゆき とうふつや 行を着た六十恰好の爺さんであった。頭には唐物屋をもう一日延ばしたほうが楽だった」 つば かふ らくだ おちつき 探しても見当りそうもない変な鍔なしの帽子を被って 中折に駱駝の外套を着た落付のある男のほうがこう ( 3 ) とうざんこぎれ たばこいれ ( 4 ) こだいさらさ いた。烟草入だの、唐桟の小片だの、古代史紗だの、 いうと、爺さんはすぐ答えた。 ( 5 ) ふくろ そんなものを器用にきちんと並べ立てて見世を張る袋「なに高が雨だあね。濡れると思ゃあ、なんでもね ものや 物屋へでも行って、わざ / 、、注文しなければ、とうてえ」 あまざら い頭へ載せることのできそうもない帽子の主人は、彼「だが荷物が厄介だよ。あの軽便へ雨曝しのま、載せ ことばづか の言葉遣いで東京生れの証拠を十分に挙げていた。津られることを考えると、少し心細くなるから」 かったっ へや 田は服装に似合わない思いのほか濶達なこの爺さんの 「じゃおいらのほうが雨曝しになって、荷物だけを室 おど ( 6 ) 元気に驚ろくと同時に、どっちかというと、べランメの中へ入れてもらうことにしよう」 1 に接近した彼のロの利き方にも意外を呼んだ。 二人は大きな声を出して笑った。その後で爺さんが あいさっ また言った。 この挨拶のうちに偶然使用された軽便という語は、 津田にとってたしかに一種の暗示であった。彼は午後「もっともこのまえのあの騒ぎがあるからね、途中で あ ( 8 ) い の何時間かをその軽便に揺られる転地者であった。こ汽罐へ穴が開いて動けなくなる汽車なんだから、まっ たくのところ心細いにや違ない」 とによると同じ方角へ遊びに行く連中かもしれないと むこ 「あの時やどうして向うへ着いたつけ」 思った津田の耳は、彼等の談話冫 こ対して急に鋭敏にな あわ 「なにあっちから来る奴を山の中ほどで待ち合せてさ。 った。転席の余地がないので、不便な姿勢と図抜けた おお・こえ ふたり そのほうの汽罐で引っ張り上けてもらったじゃない 大声を忍ばなければならなかった二人の言うことはい ら やっかい ちがい あと

9. 夏目漱石全集 13

いたゞ わたくし 「私吉川の奥さんにお見舞を頂こうとは思わなかっ 二人はついに離れた。そうしてまた会った。自分を たのよ。それからそのお見舞をまた貴方が持ってきて離れた以後の清子に、昔のまゝの目が、昔と違った意 くださろうとはなおさら思わなかったのよ」 味で、やつばり存在しているのだと注意されたような 心持のした時、津田は一種の感慨に打たれた。 津田はロのうちで「そうでしよう、僕でさえそんな うつ ことは思わなかったんだから」と言った。その顔をじ「それは貴方の美くしいところです。けれどももう私 っと見守った清子の目に、はっきりした答を津田からを失望させる美しさにすぎなくなったのですか。はっ 待ち受けるような予期の光が射した。彼はその光に対きり教えてください」 する特殊な記憶を呼び起した。 津田の疑間と清子の疑間が暫時視線の上で行き合っ あと 「あ、この目だっけ」 た後、最初に目を引いたものは清子であった。津田は その退き方を見た。そうしてそこにも二人のあいだに 二人のあいだに何度も繰り返された過去の光景が、 き・こみ あが せま あり / \ と津田の前に浮き上った。その時分の清子はある意気込の相違を認めた。彼女はどこまでも逼らな ひとり よそ 津田と名のつく一人の男を信じていた。だからすべてかった。どうでも構わないというふうに、目を余所へ の知識を彼から仰いだ。あらゆる疑間の解決を彼に求持っていった彼女は、それを床の間にけてある寒 わか めた。自分に解らない未来を挙げて、彼の上に投げ掛の花の上に落した。 しずか けるようにみえた。したがって彼女の目は動いても静目で逃げられた津田は、ロで追掛けなければならな であった。なにか訊こうとするうちに、信と平和の輝かった。 きがあった。彼はその輝きを一人で専有する特権を有「なんほ僕だってたゞ吉川の奥さんの使に来ただけし って生れてぎたような気がした。自分があかばこそこ ゃありません」 の目も存在するのたとさえ思った。 「でしよう、だから変なのよ」 おっか わたし イ 30

10. 夏目漱石全集 13

と笑いださなければならなかった。 ところへ来てなにか言うとするでしよう。それを堀が 「たいへんな権幕だね。まるで詰間でも受けているよ知って心配すると思っていらっしって」 うじゃないか」 「堀さんのことは僕にや分らないよ。お前は心配しな 「胡麻化さないで、ちゃんとしたところを仰しゃい」 いと断言する気かもしれないがね」 「言えばどうするというんだい」 「え & 断言します」 わたくし 「私はあなたの妹です」 「結構たよ。 それで ? 」 「それがどうしたというのかね」 「あたしのほうもそれだけよ」 たんばく ふたり 「兄さんは淡泊でないから駄目よ」 二人は黙らなければならなかった。 津田は不思議そうに首を傾けた。 「なんだか話がたいへんむすかしくなってきたようだ かんちい が、お前少し癇違をしているんじゃないかい。僕はそ しかし二人はもう因果づけられていた。どうしても んな深い意味で小林のことを言いだしたんでもなんであるものをあるところまで、会話の手段で、互の胸か もないよ。たゞ彼奴は僕の留守にお延に会ってなにをら敲き出さなければ承知ができなかった。ことに津田 わか せま いうか分らない困った男だというだけなんたよ」 には目前の必要があった。当座に逼る金の工面、彼は 「たゞそれだけなの」 今その財源を自分の前に控えていた。そうして一度取 にが もど 「うんそれたけだ」 り逃せば、それは永久彼の手に戻ってきそうもなかっ あてはす お秀は急に的の外れたような様子をした。けれどもた。いきおい彼はその点だけでもお秀に対する弱者の 黙ってはいなかった。 形勢に陥っていた。彼は失なわれた話頭を、どんなふ 「だけど兄さん、もし堀のいない留守に誰かあたしの うにして取り返したものだろうと考えた。 けんまく ふたり 幻 2