暗 明 ( 1 ) たっ 頭の闥を排してつか / 、はいってぎた。連想はすぐこ言い合った。 れから行こうとする湯治場の中心点になっている清子「脱線です」 ことば に飛び移った。彼の心は車とともに前後へ揺れだした。 この言葉を聞いた時、爺さんはすぐ津田と自分の前 もったい にいる中折を見た。 汽車という名を付けるのは勿体ないくらいな車は、 あふ 「だから言わねえこっちゃねえ。ぎっとなにかあるに すぐ海に続いている勾配の急な山の中途を、危なかし ちがい くがた / \ いわして駆けるかと思うと、いつのまにか違ねえと思ってたんだ」 あが こうふんもら 山と山の間に割り込んで、いくたびも上ったり下った 急に予言者らしい口吻を洩した彼は、いよ / 、自分 ろう はしゃ りした。その山の多くは隙間なく植付けられた蜜柑のの駄弁を弄する時機が来たと言わぬばかりに乾燥ぎだ うつ 色で、暖かい南国の秋を、美くしい空の下に累々と点した。 みすさかすぎす 綴していた。 「どうせ家を出る時に、水盃は済ましてきたんだから、 「あいつは旨そうだね」 覚悟はとうから極めてるようなものの、いざとなって こう。む ( 2 ) べんけい 「なにねつから旨くないんだ、こゝから見ているほう みると、こんな所で弁慶の立往生は御免りたいから きれい がよっぽど綺麗だよ」 ね。といっていつまでこう遣って待ってたって、なか けわ あが ・もと、もど 比較的嶮しい曲りくねった坂を一つ上った時、車は なか元へ戻してくれそうもなしと。なにしろ日の短か たちまち留まった。停車場でもないそこに見えるもの いうえへ持って来て、気が短かいときてるんだから、 どうです皆さんひとっ は、多少の霜にどられた雑木だけであ 0 た。 安閑としちゃいられねえ。 「どうしたんだ」 降りて車を押してやろうじゃありませんか」 爺さんがこう言って窓から百を出していると、車掌爺さんはこう言いながら元気よくまっさきに飛び降 だの運転手だのが急に車から降りて、しきりになにか りた。残るものは苦笑しながら立ち上った。津田も独 っ ステーション すきま うえっ さが みかん うち と 385
明 じようだん 冗談とも風刺とも真面目とも片の付かないこの一言 清子はやつばり津田を見ずに答えた。 たじろ 「心理作用なんてむずかしいものは私にも解らないわ。の前に、津田は退避いだ。 清子はようやく剥きおわった林檎を津田の前へ押し たヾ昨夕はあゝで、今朝はこうなの。それだけよ」 遣った。 「説明はそれだけなんですか」 「えゝそれだけよ」 「貴方いかゞ」 ためいきっ もし芝居をする気なら、津田はこ & で一つ溜息を吐 穴十へ くところであった。けれども彼には押し切ってそれを 遣る勇気がなかった。この女の前にそんな真似をして津田は清子の剥いてくれた林檎に手を触れなかった。 あなた もはしまらないという気が、技巧に走ろうとする彼を「貴女いかゞです、せつかく吉川の奥さんが貴女のた おさ めにといって贈ってくれたんですよ」 どことなく抑え付けた。 あなた 「しかし貴女は今朝いつもの時間に起きなかったじゃ 「そうね、そうして貴方がまたわざ / 、それをこゝま ありませんか」 で持ってきてくだすったんですね。その御親切に対し ても頂かなくっちゃ悪いわね」 清子はこの間を掛けるやいなや顔を上けた。 「あらどうしてそんなことを御承知なの」 清子はこう言いながら、二人のあいだにある林檎の ひときれ 「ちゃんと知ってるんです」 一片を手に取った。しかしそれを口へ持って行くまえ 清子はちょっと津田を見た目をすぐ下へ落した。そにまた訊いた。 おかし うして綺麗に剥いた林檎に刃を入れながら答えた。 「しかし考えると可笑いわね、いったいどうしたんで 「なるほど貴方は天眼通でなくって天鼻通ね。実際よしよう」 「なにがどうしたんです」 く利くのね」 きれい まね まじめ りんご かた 429
離れている両親を有 0 た彼女から言えば、東京中で頼は外聞が悪く 0 てなにも言う気にならなか 0 た。 そのうえ彼女は、自分の予期どおり、夫が親切に親 りにするたった一人の叔母であった。 ふゆきとヾき 「良人というものは、たゞ妻の情愛を吸い込むために切を返してくれないのを、足りない自分の不行届から でも出たように、傍から解釈されてはならないと日ご のみ生存する海綿にすぎないのだろうか」 うわさ けねん これがお延のとうから叔母に・ふつかって、質してみろから掛念していた。すべての噂のうちで、愚鈍とい う非難を、彼女は火のように恐れていた。 たい間であった。不幸にして彼女には持って生れた一 なんそうばい やせがまん の気位があった。見方次第では痩我慢とも虚栄心と「世間には津田よりも何層倍か気むずかしい男を、す も解釈のできるこの気位が、叔母に対する彼女を、こぐ手の内に丸め込む若い女さえあるのに、二十三にも ( 1 ) あや すんせい の一点で強く牽制した。ある意味からいうと、毎日土なって、自分の思うように良人を綾なして行けないの ひつぎよう すもう あわ 俵の上で顔を合せて相撲を取 0 ているような夫婦関係は、畢竟知恵がないからだ」 ふたり 知恵と徳とをほとんど同じように考えていたお延に というものを、内側の二人から眺めた時に、妻はいっ でも夫の相手であり、またたまには夫の敵であるにしは、叔母からこう言われるのが、なによりの苦痛であ むか った。女として男に対する腕を有っていないと自白す たところで、いったん世間に向ったが最後、どこまで も夫の肩を持たなければ、体よく夫婦として結び付けるのは、人間でありながら人間の用をなさないと自白 くつじよく さら られた二人の弱味を表へ曝すような気がして、恥ずかするくらいの屈辱として、お延の自尊心を傷けたので しくていられないというのがお延の意地であった。だある。時と場合が、こういう立ち入った談話を許さな たま から打ち明け話をして、なにか訴えたくて堪らない時い劇場でないにしたところで、お延は黙っているより しかた でも、夫婦から見れば、やつばり「世間」という他人ほかに仕方がなかった。意味ありげに叔母の顔を見た の部類に入れべきこの叔母の前へ出ると、敏感のお延彼女は、すぐ目を外せた。 なが たゞ をら
明 のくらいのお金なんですもの、拵えようと思えば、ど 「こうしておけばそれで可いでしよう」 こからでも出てくるわー 津田に話し掛けたお秀は暗にお延の返事を待ち受け まくらもと 津田はようやく手に持った小切手を枕元へ投げ出しるらしかった。お延はすぐ応じた。 た。彼は金を欲しがる男であった。しかし金を珍重す「秀子さんそれじゃ済みませんから、どうぞそんな心 る男ではなかった。使うために金の必要を他人よりよ配はしないでおいてください。 こっちでできないうち けい痛切に感する彼は、その金を軽蔑する点において、は、ともかくもですけれども、もう間に合ったんです も お延の言葉を心から肯定するような性質を有っていた。 から」 それで彼は黙っていた。しかしそれだからまたお延に 「だけどそれじゃあたしのほうがまた心持が悪いのよ。 一口の礼も言わなかった。 こうしてせつかく包んでまで持ってきたんですから、 うけと 彼女は物足らなかった。たとい自分になんとも言わどうかそんなことを言わすに受取っておいてください りゅういん ないまでも、お秀には溜飲の下るようなことを一口でよ」 しいから言ってくれれば可いのにと、腹の中で思った。 二人は譲り合った。同じような間答を繰り返しはし ふたり しんう さっきから二人の様子を見ていたそのお秀はこの時めた。津田はまた辛防強くいつまでもそれを聴いてい 急に「兄さん」と呼んだ。そうして懐から綺な女持た。しまいに二人はとう / \ 兄に向わなければならな かみいれ くなった。 の紙入を出した。 「兄さん、あたし持ってぎたものをこゝへ置いていき「兄さん取っといてください」 ます」 「貴方頂いてもよくってー 彼女は紙入の中から白紙で包んだものを抜いて小切津田はにや / 、と笑った。 手の傍へ置いた。 「お秀妙たね。さっきはあんなに強便だったのに、今 け あなたいたゞ 233
よそゆきぎ 「どうもそういうでこ / \ な服装をして、あのお医者余所行着を着た細君を労らなければならなかった津 てさげかばん ふろしきづつみ 様へ夫婦お揃いで乗り込むのは、少しーー」 田は、やゝ重い手提鞄と小さな風呂敷包を、自分の手 「辟易 ? 」 で戸棚から引き摺り出した。包の中にはためしに袖を どてら ( 2 ) ひらぐけねまきひも お延の漢語が突然津田を擽った。彼は笑い出した。 通したばかりの例の褞袍と平絎の寐巻紐がはいってい まゆ あまった ちょっと眉を動かしたお延はすぐ甘垂れるような口調るだけであったが、鞄の中からは、楊枝だの歯磨粉た を使った。 の、使いつけたラベンー色の書簡用紙だの、同じ色 はさみ けぬき 「だってこれから着物なんか着換えるのは時間が掛っの封筒たの、万年筆だの、小さい鋏だの、毛抜たのが かさば てたいへんなんですもの。せつかく着ちまったんだか雑然と現われた。そのうちでいちばん重くて嵩張った ら、今日はこれで堪忍してちょうだいよ、ね」 大きな洋書を取り出した時、彼はお延に言った。 津田はとう / \ 敗北した。顏を洗っているとき、彼「これは置いて行くよ」 くるま しおり は下女に俥を二台言い付けるお延の声を、あたかも自「そう、でもいつでも机の上に乗っていて、枝折が択 た 分が急き立てられでもするように世話しなく聞いた。 んであるから、お読みになるのかと思って入れといた 普通の食事を取らない彼の朝飯はほとんど五分とかのよ」 ようじ あが からなかった。楊枝も使わないで立ち上った彼はすぐ 津田はなんにも言わずに、二か月以上もかってま 二階へ行こうとした。 だ読み切れない経済学のドイツ書を重そうに畳の上に 「病院へ持って行くものを纏めなくっちゃ」 置いた。 ことば 津田の言葉とともに、お延はすぐ自分の後にある戸「寐ていて読むにや重くって駄目だよ」 だなあ 棚を開けた。 こう言った津田は、それがこの大部の書物を残して こしら 「こゝに拵えてあるからちょっと見てちょうたい」 行く正当の理由であると知りながら、あまり好い心持 へきえき そろ まと なり と いたわ だめ はみがき そで
思ったより自分に好意を有ってくれた天候の前に感ら」 謝して、汽車を下りた津田は、そこからすぐ乗り換え津田は少し可笑しくなった。すると爺さんがすぐ話 ふたりづれ た電車の中で、またさっき会った二人伴の男を見出しし掛けた。 とうじば あなた た。はたして彼の思わくどおり、自分と同じ見当へ向「貴方も湯治場へ入らっしやるんでしよう。どうもお いて、同じ交通機関を利用する連中だと知れた時、津おかたそうだろうと思いましたよ、さっきから」 田は気を付けて彼等の手荷物を注意した。けれども彼「なぜですか」 おおがさ あまざら 「なぜって、そういう所へ遊びに行く人は、様子を見 等の雨曝しになるのを苦に病んだほどの大嵩なものは わか どこにも見当らなかった。のみならず、爺さんは自分ると、すぐ分りますよ。ねえ」 彼はこう言って隣りにいる自分の伴侶を顧みた。中 がさっき言ったことさえもう忘れているらしかった。 しかた おおあた ありがた 「有難い、大当りだ。だからやつばり行こうとった折の人は仕方なしに「あ、」と答えた。 ( 1 ) てんがんつう この天眼通に苦笑を禁じえなかった津田は、それぎ 時に立っちまうに限るよ。これで愚図々々して東京に つま いてごらんな。あ、詰らねえ、こうと知ったら、思い り会話を切り上げようとしたところ、快豁な爺さんの ほうでなか / 、彼を放さなかった。 切って今朝立っちまえば可かったと後悔するだけだか 「だが旅行も近ごろは便利になりましたね。どこへ行 らね」 ありがた からだ くにも身体一つ動かせばたくさんなんですから、有難 「そうさ。だが東京も今ごろはこのくらい好い天気に ( 2 ) こちとら なってるんだろうか」 いわけさ。ことに此方徒等見たいな気の早いものには あつらえむき 「そいつあ行ってみなけりや、ちょいと分らねえ。なお誂向だあね。今度たって荷物なんかなんにも持って かばん き まちがい ( 3 ) がっさいぶくろ んなら電話で訊いてみるんだ。だがたいてい間違はなきやしませんや、この合切袋とこの大将のあの鞄を差 につぼん いよ。空は日本中どこへ行ったって続いてるんだかし引くと、残るのは命ばかりといいたいくらいのもの ら よ わか とな 力いかっ 382
明 わない妙な輝やきであった。相手の言葉に対して返事「手術ってたって、そう腫物の膿を出すように簡単に めつき きれい をしようとした彼の心の作用がこの目付のためにちょ ゃいかないんだよ。最初下剤を掛けてまず腸を綺麗に うつ しやだん そうじ っと遮断された。すると彼女はすぐ美くしい歯を出し掃除しておいて、それからいよ / \ 切開すると、出血 あとかた ぎすぐち て微笑した。同時に目の表情が迹方もなく消えた。 の危険があるかもしれないというので、創ロへガーゼ うそ 「嘘よ。あたし芝居なんか行かなくっても可いのよ。 を詰めたまゝ、五六日のあいだはじっとして寐ている 今のはたゞ甘ったれたのよ」 んだそうだから。だからたといこの次の日曜に行くと 黙った津田はなおしばらく細君から目を放さなかっしたところで、どうせ日曜一日じゃ済まないんた。そ こ 0 の代り日曜が延びて月曜になろうとも火曜になろうと ちがい 「なんだってそんなむすかしい顏をして、あたしを御も大した違にゃならないし、また日曜を繰り上げて明 あさって 日にしたところで、明後日にしたところで、やつばり 覧になるの。 芝居はもう已めるから、この次の日 曜に小林さんに行って手術を受けていらっしゃい。そ同じことなんだ。そこへゆくとまあ楽な病気だね」 おかもと にさんちじゅうはがき れで好いでしよう。岡本へは二三日中に端書を出すか、「あんまり楽でもないわ貴方、一週間も寐たぎりで動 こと わたくし でなければ私がちょっと行って断わってきますから」くことができなくっちゃ」 まえ 「お前は行っても可いんだよ。せつかく誘ってくれた 細君はまたびく / 、と眉を動かして見せた。津田は むとんじゃく もんだから」 それにまったく無頓着であるといったふうに、なに、 よ ながひばち ふたり 「いえ私も止しにするわ。芝居よりも貴方の健康のほ考えながら、二人の間に置かれた長火鉢の縁に右の肘 てつびんふたなが うが大事ですもの」 を靠たせて、その中に掛けてある鉄瓶の葢を眺めた。 津田は自分の受けべき手術についてなお詳しい話を朱銅の葢の下では湯の沸る音が高くした。 細君にしなければならなかった。 「じやどうしてもお勤めを一週間ばかり休まなくっち や あなた できものうみ ね
あお の夫人と、まだ反感を煽られないまえの夫人とは、彼ってきた。しかるにその小林は今にも吉川夫人が見え けしき の目に映るところだけでも、だいぶ違っていた。けれるようなことを言いながら、自分の帰る気色をどこに どもそこには平生の自信もまた伴なっていた。彼には も現わさなかった。彼は他の邪魔になる自分を苦にす 夫人の持ってくる偏見と反感を、一場の会見で、十分る男ではなかった。時と場合によると、それと知って、 ひっく すくな 引繰り返してみせるという覚悟があった。少くともこわざ / 、邪魔までしかねない人間であった。しかもそ こでそれだけのことをしておかなければ、自分の未来こまで行 0 て、実際気が付かずに迷惑がらせるのか、 あぶ こ、ろえ が危なかった。彼は三分の不安と七分の信力をもって、または心得があって故意に困らせるのか、その判断を ひと じれ 彼女の来訪を待ち受けた。 しかと他に与えずに平気で切り抜けてしまう焦慮った 残る一つの閃めきが、お延に対する態度を、もう一 い人物であった。 あくび 遍臨時に変史する便宜を彼に教えた。さっきまでの彼津田は欠伸をして見せた。彼の心持とまったく釣り たいくっ しよさ は退屈のあまり彼女の姿を刻々に待ち設けていた。し合わないこの所作が彼を二つに割った。どこかそわそ かし今の彼には別途の緊張があった℃彼は全然異な 0 わしながら、いかにも所在なさそうに小林と応対する まだら た方面の刺激を予想した。お延はもう不用であった。 ところに、中断された気分の特色が斑になって出た。 まくらもと というよりも、来られてはかえ 0 て迷惑であった。そそれでも小林は済ましていた。枕元にある時計をまた さしむか やむ のうえ彼はたゞ二人、夫人と差向いで話してみたい特取り上げた津田は、それを置くと同時に、巳を得す質 殊な間題も控えていた。彼はお延と夫人がこゝでいっ 間を掛けた。 しょに落ち合うことを、ぜひとも防がなければならな 「君なにか用があるのか」 いと思い定めた。 「ないこともないんだがね。なにそりや今に限ったわ 付帯条件として、小林を早く追払う手段も必要になけでもないんだ」 ペん ひら ふたり おつばら ひとじゃま
明 よいり ) 鳴った。皆嚢の中では弁当箱だか教科書だかが互に打 ぼつり / 、句切を置くような重い口調で答えた・ はじめ 「あのね、岡本へ行くとね、なんでも一さんの持ってつかり合う音がごとり / 、と聞こえた。 かどくろいたぺい るものをね、宅へ帰ってきてからね、買ってくれ、買彼は曲り角の黒板塀のところでちょっと立ち留まっ いたち て鼬のように津田を振り返ったまゝ、すぐ小さい姿を ってくれっていうから、それで不可いって」 こうじ とみ 津田はようやく気が付いた。富の程度に多少等差の小路のうちに隠した。津田がその小路を行き尽して突 こども あた おもちゃ くらしむき ある二人の活計向は、彼等の子供が持っ玩具の末に至ぎ中りにある藤井の門を潛った時、突然ドンという銃 いけがき るまでに、多少等差を付けさせなければならなかった声が彼の一間ばかり前で起った。彼は右手の生垣の間 そげき から大事そうに彼を狙撃している真事の黒い姿を苦笑 のである。 「それで此奴自動車だのキッドの靴たのって、むやみをもって認めた。 ねだる に高いものばかり強請んだな。みんな一さんの持って るのを見てきたんだろう」 津田は揄い半分手を挙げて真事の背中を打とうと座敷で誰かと話をしている叔父の声を聞いた津田は、 きやくぐっのぞ おとな した。真事は跋の悪い真相を暴露された大人に近い表格子の間から一足の客靴を覗いて見たなり、わざと玄 いいわけ 情をした。けれども大人のように言訳がましいことは関を開けずに、茶の間の縁側の方へ回った。もと植木 たけがき 屋ででもあったらしいその庭先には木戸の用心も竹垣 まるで言わなかった。 うそ の仕切もないので、同じ地面の中に近ごろ建て増され 「嘘だよ。嘘だよ」 えんばな 彼はさ 0 き津田に買ってもらった一円五十銭の空気た新らしい貸家の勝手口を回ると、すぐ縁鼻まで歩い うち て行けた。目隠しにしては少し低すぎる高い茶の樹を 銃を担いだまゝどん / 、自分の宅の方へ逃げだした。 じゅすはげ 二三本通り越して、彼の記憶にいつまでも残っている 彼の隠袋の中にあるビー玉が数珠を劇しく揉むように ふたり かっ くぎり ばっ
いたゞ わたくし 「私吉川の奥さんにお見舞を頂こうとは思わなかっ 二人はついに離れた。そうしてまた会った。自分を たのよ。それからそのお見舞をまた貴方が持ってきて離れた以後の清子に、昔のまゝの目が、昔と違った意 くださろうとはなおさら思わなかったのよ」 味で、やつばり存在しているのだと注意されたような 心持のした時、津田は一種の感慨に打たれた。 津田はロのうちで「そうでしよう、僕でさえそんな うつ ことは思わなかったんだから」と言った。その顔をじ「それは貴方の美くしいところです。けれどももう私 っと見守った清子の目に、はっきりした答を津田からを失望させる美しさにすぎなくなったのですか。はっ 待ち受けるような予期の光が射した。彼はその光に対きり教えてください」 する特殊な記憶を呼び起した。 津田の疑間と清子の疑間が暫時視線の上で行き合っ あと 「あ、この目だっけ」 た後、最初に目を引いたものは清子であった。津田は その退き方を見た。そうしてそこにも二人のあいだに 二人のあいだに何度も繰り返された過去の光景が、 き・こみ あが せま あり / \ と津田の前に浮き上った。その時分の清子はある意気込の相違を認めた。彼女はどこまでも逼らな ひとり よそ 津田と名のつく一人の男を信じていた。だからすべてかった。どうでも構わないというふうに、目を余所へ の知識を彼から仰いだ。あらゆる疑間の解決を彼に求持っていった彼女は、それを床の間にけてある寒 わか めた。自分に解らない未来を挙げて、彼の上に投げ掛の花の上に落した。 しずか けるようにみえた。したがって彼女の目は動いても静目で逃げられた津田は、ロで追掛けなければならな であった。なにか訊こうとするうちに、信と平和の輝かった。 きがあった。彼はその輝きを一人で専有する特権を有「なんほ僕だってたゞ吉川の奥さんの使に来ただけし って生れてぎたような気がした。自分があかばこそこ ゃありません」 の目も存在するのたとさえ思った。 「でしよう、だから変なのよ」 おっか わたし イ 30