まじめ あと と弁解した彼女は、真面目な津田の様子を見て、後かない、旦那様に会っちゃ」 あが らそれを具体的に説明すべく余儀なくされた。 下女はこう言って立ち上った。しかし室を出掛にま 「なるほど、そうに違いございませんね。生きてるう た一句の揶揄を津田に浴びせた。 じようす ちはどなたも同なじ人間で、生れ変りでもしなければ、 「旦那様はさぞ猟がお上手でいらっしゃいましよう だれ 誰たって違った人間になれつこないんだから」 ね」 ひあた みなみむき ふたり 「ところがそうでないよ。生きてるくせに生れ変る人 日当りの好い南向の座敷に取り残された二人は急に がいくらでもあるんだから」 かになった。津田は縁側に面して日を受けて坐って そむ 「へえそうですかね、そんな人があったら、ちっとお いた。清子は欄干を背にして日に背いて坐っていた。 むこ 目に掛りたいもんだけれども」 津田の席からは向うに見える山の襞が、幾段にも重な ひなたひうら けしき 「お望みなら逢わせてやっても可いがね」 り合って、日向日裏の区別を明らさまに描き出す景色 「どうぞ」といった下女はまたげら / く、、笑いだした。 が手に取るように眺められた。それを彩どる黄葉の濃 あざ ぼうちゅう 「またこれでしよう」 淡がまた鮮やかな陰影の等差を彼の眸中に送り込んだ。 ひとさしゅび 彼女は人指指を自分の鼻の先へ持っていった。 しかし眼界の豁い空間に対している津田と違って、清 だんなさま かな 「旦那様のこれにはとても敵いません。奥さまのお部子のほうはなんの見るものもなかった。見れば北側の においか さえ 屋をちゃんと臭で嗅ぎ分けるかたなんですから」 障子と、その障子の一部分を遮ぎる津田の影像だけで まえとし 「部屋どころじゃないよ。お前の年齢から原籍から、 あった。彼女の視線は窮屈であった。しかし彼女はあ 生れ故郷から、なにからなにまで中てるんだよ。このまりそれを苦にする様子もなかった。お延ならすぐ姿 鼻一つあれば」 勢を改めずにはいられないだろうというところを、彼 おちっ 「へえ恐ろしいもんでございますね。 どうも敵わ女はむしろ落付いていた。 や ひろ でがけ イ幻
明 いけたて 当る床の間に活立らしい寒菊の花を見た。前には座蒲 ようにひっそりしていた。 ちりめん むかあわ こげちゃ 「お客さまが入らっしゃいました」 団が二つ向合せに敷いてあ 0 た。濃茶に染めた縮緬 洋たん のなかに、牡 - 丹かなにかの模様をたった一つ丸く白に 下女は外部から清子に話しかけながら、建てつけの しながら 残したその敷物は、品柄からいっても、また来客を待 好い障子をすうと開けてくれた。 ち受ける準備としても、物々しいものであった。津田 「御免ください」 っ 一言の挨拶とともに室の中に入った津田はおやと思は席に就かないさきにまず直感した。 きよう ふたり った。彼は自分の予期どおり清子をすぐ目の前に見出「すべてが改まっている。これが今日会う二人のあい しえなかった。 だに横わる運命の距離なのだろう」 突然としてこゝに気の付いた彼は、今この室へ入り とっさ 更十三 込んできた自分を咄嗟に悔いようとした。 へや 室は二間続きになっていた。津田の足を踏み込んだ しかしこの距離はどこから起ったのだろう ? 考え ( 1 ) くろ謇き あたまえ のは、床のない控えの間のほうであった。黒柿の縁とれば起るのが当り前であった。津田はたゞそれを忘れ っ よこたてじま ざぶとん 台の付いた長方形の鏡の前に横竪縞の厚い座蒲団を据ていただけであった。では、なぜそれを忘れていたの こし かたわらきり ながひにち えて、その傍に桐で拵らえた小型の長火鉢が、普通のだろう ? 考えれば、これも忘れているのが当り前か ほうふつ 家庭に見る茶の間の体裁を、小規模ながら髣髴せしめもしれなかった。 すみ くろぬり い - 」ろ . ひかえま た。隅には黒塗の衣桁があった。異性に付着する花や津田がこんな感想に囚えられて、控の間に立ったま しま てざわ すべ かな色と手触りの滑こそうな絹の縞が、折り重なってま、室を出るでもなし、席に就くでもなし、うつかり そこに投げ掛けられていた。 眼前の座蒲団を眺めている時に、主人側の清子ははじ〃 あい ふすまあ すみ 間の襖は開け放たれたまゝであった。津田は正面にめてその姿を縁側の隅から現わした。それまで彼女が そと あいさっ た はな よこた なが とら
暗 明 ( 1 ) たっ 頭の闥を排してつか / 、はいってぎた。連想はすぐこ言い合った。 れから行こうとする湯治場の中心点になっている清子「脱線です」 ことば に飛び移った。彼の心は車とともに前後へ揺れだした。 この言葉を聞いた時、爺さんはすぐ津田と自分の前 もったい にいる中折を見た。 汽車という名を付けるのは勿体ないくらいな車は、 あふ 「だから言わねえこっちゃねえ。ぎっとなにかあるに すぐ海に続いている勾配の急な山の中途を、危なかし ちがい くがた / \ いわして駆けるかと思うと、いつのまにか違ねえと思ってたんだ」 あが こうふんもら 山と山の間に割り込んで、いくたびも上ったり下った 急に予言者らしい口吻を洩した彼は、いよ / 、自分 ろう はしゃ りした。その山の多くは隙間なく植付けられた蜜柑のの駄弁を弄する時機が来たと言わぬばかりに乾燥ぎだ うつ 色で、暖かい南国の秋を、美くしい空の下に累々と点した。 みすさかすぎす 綴していた。 「どうせ家を出る時に、水盃は済ましてきたんだから、 「あいつは旨そうだね」 覚悟はとうから極めてるようなものの、いざとなって こう。む ( 2 ) べんけい 「なにねつから旨くないんだ、こゝから見ているほう みると、こんな所で弁慶の立往生は御免りたいから きれい がよっぽど綺麗だよ」 ね。といっていつまでこう遣って待ってたって、なか けわ あが ・もと、もど 比較的嶮しい曲りくねった坂を一つ上った時、車は なか元へ戻してくれそうもなしと。なにしろ日の短か たちまち留まった。停車場でもないそこに見えるもの いうえへ持って来て、気が短かいときてるんだから、 どうです皆さんひとっ は、多少の霜にどられた雑木だけであ 0 た。 安閑としちゃいられねえ。 「どうしたんだ」 降りて車を押してやろうじゃありませんか」 爺さんがこう言って窓から百を出していると、車掌爺さんはこう言いながら元気よくまっさきに飛び降 だの運転手だのが急に車から降りて、しきりになにか りた。残るものは苦笑しながら立ち上った。津田も独 っ ステーション すきま うえっ さが みかん うち と 385
ひげな かなかった。しかしそれでも小林には満足らしかった。の下の髭を撫でた。 ひっこ さっきから気を付けるともなしにこの様子に気を付 出した杯を引込めながら、自分のロへ持っていった時、 たち 彼はまた津田に言った。 けていた二人は、自分達の視線が彼の視線に行き合っ まむき みあわ 「そらあのとおりだ。上流社会のように高慢ちきな人た時、びたりと真向になって互に顔を見合せた。小林 はこ、ろもち前へ乗り出した。 間は一人もいやしない」 「なんだか知ってるか」 くす 三十五 津田は元のとおりの姿勢を崩さなかった。ほとんど はんてんかくがり イイハネスを着た小作りな男が、半纏の角刈と入れ返事に価しないというロ調で答えた。 「なんだか知るもんか」 にはい 0 て来て、二人から少し隔 0 た所に席を取 0 ひさし かぶ 小林はなお声を低くした。 た。廂を深く卸ろした鳥打を被ったまミ彼は一応ぐ あいったんてい あたり あとふところ るりと四方を見回した後で、懷へ手を入れた。そうし「彼奴は探偵たぜ」 てそこから取り出した薄い小型の帳面を開けて、読む津田は答えなかった。相手より酒量の強い彼は、か えって相手ほど平生を失わなかった。黙って自分の前 のだか考えるのだか、じっと見詰めていた。彼はいっ ちよく ( 2 ) にある猪口を干した。小林はすぐそれへなみ / 、と注 . まで経っても、古ぼけたトンビを脱ごうとしなかった。 帽子も頭へ載せたま、であった。しかし帳面はそんな に長くひろげていなかった。大事そうにそれを懐へ仕「あの目付を見ろ」 薄笑いをした津田はようやく口を開いた。 舞うと、今度は飲みながら、じろり / 、と他の客を、 わるくち ( 3 ) あいま / 、 見ないようにして見はじめた。その相間々々には、ち 「君見たいにむやみに上流社会の悪口をいうと、さっ まおか ( 4 ) がいとう んちくりんな外套の羽根の下から手を出して、薄い鼻そく社会主義者と間違えられるぞ。少し用心しろ」 お ふたり し 、◆ - 」 0 めつき ふたり
明暗 ことばか 別、もしそれさえできないというなら、これからさき をほかの言葉で掛け直した。 みあわ 「兄さんはお父さんが快よく送金をしてくださると思の送金も、見せしめのため、当分見合せるかもしれな いというのが父の実際の考えらしかった。してみると、 っていらっしやるの」 つくろ かきね このあいだ彼のところへそう言ってきた垣根の繕いだ 「知らないよ」 うそ とゞ - 」お とか家質の滞りだとかいうのは嘘でなければならなか 津田は・ふつきら棒に答えた。そうして腹立たしそう った。よし嘘でないにしたところで、単に口先の言い に後を付け加えた。 まえ 「だからお母さんはお前のところへなんと言ってきた前と思わなければならなかった。父がまたなんで彼に 対してそんなしらみ、しい他人行儀を言って寄こした かって、さっきから訊いてるじゃないか」 お秀はわざと目を反らして縁側の方を見た。それはものだろう。叱るならも 0 と男らしく叱 0 たら宜さそ しよさ 彼の前であ \ あ、と嘆息して見せる所作の代りにすうなものだのに。 やぎひげは 彼は沈吟して考えた。山羊髯を生やして、万事に勿 ぎなかった。 きら 「だから言わないことじゃないのよ。あたしはじめか体を付けたがる父の顔、意味もないのに東髪を嫌 0 て 髷にばかり結いたがる母の頭、そのくらいの特色はこ らこうなるだろうと思ってたんですもの」 の場合を解釈するなんの手掛りにもならなかった。 九奎 「いったい兄さんが約東どおりになさらないから悪い 津田はようやくお秀宛で来た母の手紙の中に、どんのよ」とお秀が言った。事件以後何度となく彼女によ ことば な事柄が書いてあるかを聞いた。妹の口から伝えられって繰り返されるこの言葉ほど、津田の聞きたくない はげ たその内容によると、父の怒りは彼の予期以上に烈しものはなかった。約東どおりにしないのが悪いくらい似 いものであった。月末の不足を自分で才覚するなら格は、妹に教わらないでも、よく解っていた。彼はたゞ はらだ しか てがか わか もっ
明 を前に、胡坐を掻いている剽軽な彼の顔を、過去の記「どうだかあたしよく解らないわ。なぜまたそんなこ まじめくさ げな歩 とを真面目腐ってお訊きになるの」 念のように懐かし気に眺めた。 りようけん 「だ 0 てあたしの悪口は叔父さんのお仕込しゃないの。「少しこ 0 ちにも料簡があるんだ、返答次第では」 こわ おぼえ 「お、怖いこと。じや言っちまうわ。由雄はお察しの 津田に教わった覚なんか、ありやしないわ、 とおり厳格な人よ。それがどうしたの」 「ふん、そうでもあるめえ」 こと 「ほんとうにかい」 わざと江戸っ子を使った叔父は、そういう種類の言 を、い 0 さい家庭に入れてはならないもののごとく「え。ずいぶん叔父さんも苦呶いのね」 に忌み嫌う叔母の方を見た。併から注意するとなお面「じゃこ 0 ちでも簡潔に結論を言 0 ちまう。はたして 白が 0 て使いたがる癖をよく知 0 ているので、叔母は由雄さんが、お前のいうとおり厳格な人ならばた。と 素知らぬ顔をして取り合わなか 0 た。すると目標が外うてい悪口の達者なお前には向かないね」 むか こう言いながら叔父は、そこに黙って坐っている叔 れた人のように叔父はまたお延に向った。 あ・こ 母の方を、頷でしやくって見せた。 「いったい由雄さんはそんなに厳格な人かね」 むき あっ 「この叔母さんなら、ちょうどお誂らえ向かもしれな お延は返事をしずに、たゞにや / \ していた。 うれ いがね」 「は、あ、笑ってるところを見ると、やつばり嬉しい 淋しい心持が遠くから来た風のように、不意にお延 んだな」 の胸を撫でた。彼女は急に悲しい気分に囚えられた自 「なにがよ」 わか 「なにがよって、そんなに白ばっくれなくっても、分分を見て驚ろいた。 だがほんとうに由雄さんはそんな「叔父さんはいつでも気楽そうで結構ね、 っていらあな。 津田と自分とを、好すぎるほど仲のい夫婦と仮定 に厳格な人かい」 ( ー ) えど こ しら おも さび おど わか とら 127
明 シャ第 / いれて 集めて一度に夫の上に注ぎ掛けた。それからこゝろも坐るか坐らないうちに、また勝手の方から石鹸入を手 ぬくい ち腰を曲めて軽い会釈をした。 拭に包んで持って出た。 きようた、 しゅんじゅん ひとふろあ 半ば細君の嬌態に応じようとした津田は半ば巡し「ちょっと今のうち一風呂浴びていらっしゃい。また おっくう て立ち留まった。 そこへ坐り込むと億劫になるから」 「そんなところに立ってなにをしているんだ」 津田は仕方なしに手を出して手拭を受取った。しか 「待ってたのよ。お帰りを」 しすぐ立とうとはしなかった。 いっしようけんめい きようや 「だってなにか一生懸命に見ていたじゃないか」 「湯は今日は巳めにしようかしら」 すゞめ むこ うち ひさし さつばりするからいっていらっしゃいよ 0 「え、。あれ雀よ。雀がお向うの宅の二階の庇に巣を「なぜ。 食ってるんでしよう」 帰るとすぐ御飯にしてあけますから」 へや 津田はちょっと向うの宅の屋根を見上げた。しかし津田は仕方なしにまた立ち上った。室を出る時、彼 そこには雀らしいものの影も見えなかった。細君はすはちょっと細君の方を振り返った。 み こばやし ぐ手を夫の前に出した。 「今日帰りに小林さんへ寄って診てもらってきたよ」 「なんだい」 「そう。そうしてどうなの、診察の結果は。おおかた ステッキ なお 「洋杖」 もう癒ってるんでしよう」 やっかい よ / 、厄介なことになっちま 津田ははじめて気が付いたように自分の持っている「ところが癒らない。い うけと 洋杖を細君に渡した。それを受取った彼女はまた自分った」 あと で玄関の格子戸を開けて夫を先へ入れた。それから自津田はこう言ったなり、後を聞きたがる細君の質間 あとっ くっぬぎ あが 分も夫の後に跟いて沓脱から上った。 を聞き捨てにして表へ出た。 もど ゅうめしす 夫に着物を脱ぎ換えさせた彼女は津田が火鉢の前に 同じ話題が再び夫婦の間に戻ってきたのは晩食が済 っ ひばち しかた
なまえく 任者として、胸のうちで、吉川夫人の名前を繰り返さを出した。 ちが ないわけにいかなかった。今夜もし夫人と同じ食卓で茶屋はさいわいにして異っていた。吉川夫婦の姿は っ ( 2 ) に えり ばんさん 晩餐をともにしなかったならば、こんな変な現象は決どこにも見えなかった。襟に毛皮の付いた重そうなニ じゅうまわ して自分に起らなかったろうという気が、彼女の頭の重回しを引掛けながら岡本がコ 1 トに袖を通している どこかでした。しかし夫人のいかなる点が、この苦い お延を顧みた。 きよう うち 「今日は宅へ来て泊っていかないかね」 酒を醸す発酵分子となって、どんな具合に彼女の頭の ありがと 「え、有難う」 なかに入り込んだのかと訊かれると、彼女はとてもは つきりした返事を与えることができなかった。彼女は 泊るとも泊らないとも片付かない挨携をしたお延は、 ふめいりよう たゞ不明瞭な材料をもっていた。そうして比較的明瞭微笑しながら叔母を見た。叔母はまた「貴方の気楽さ けねん あき かけん な断案に到着していた。材料に不足な掛念を抱かない加減にも呆れますね」という表情で叔父を見た。そこ むとんじゃく 彼女が、その断案を不備として疑うはすはなかった。 に気が付かないのか、あるいは気が付いても無頓着な まじめ 彼女はすべての源因が吉川夫人にあるものとかたく信のか、彼は同じことを、まえよりはもっと真面目な調 じていた。 子で繰り返した。 しばい ( 1 ) は 芝居が了ねていったん茶屋へ引き上げる時、お延は「泊っていくなら、泊っといでよ。遠慮は要らないか そこでまた夫人に会うことを恐れた。しかし会ってもら」 ひと う少し突ッ込んでみたいような気もした。帰りを急ぐ 「泊っていけったって、貴方、宅にや下女がたった一 まぎわ ごた / 、した間際に、そんな機会の来るはずもないと、人で、この子の帰るのを待ってるんですもの。そんな あき はじめから諦らめているくせに、そうした好奇の心が、 こと無理ですわ」 会いたくないという回避の念の蔭から、ちょい / \ 首「はあ、そうかね、なるほど。下女一人じや不用心た かげ テーゾル ひっか とま かたづ あ つ そで 116
明 「社会主義者 ? 」 小林の語気は、貧民の弁護というよりもむしろ自家 小林はわざと大きな声を出して、ことさらにイン・ハ の弁護らしく聞こえた。しかしむやみに取り合ってこ きすっ ネスの男の方を見た。 っちの体面を傷けられては困るという用心が頭に働く 「笑わかせやがるな。こっちゃ、こう見えたって、善ので、津田はわざと議論を避けていた。すると小林が おっ 良なる細民の同情者だ。僕に比べると、乙に上品振っなお追懸てきた。 たち て取り繕ろってる君達のほうがよっぽどの悪者だ。ど 「君は黙ってるが僕のいうことを信じないね。たしか かおっき っちが警察へ引っ張られてしかるべきだかよく考えてに信じない顏付をしている。そんなら僕が説明してや ( 2 ) みろ」 ろう。君はロシアの小説を読んだろう」 鳥打の男が黙って下を向いているので、小林は津田 ロシアの小説を一冊も読んだことのない津田はやは に喰ってか & るよりほかに仕方がなかった。 りなんとも言わなかった。 「君はこうした土方や人足をてんから人間扱いにしな 「ロ . シアの小説、ことにドストエフスキーの小説を読 いつもりかもしれないが」 んだものは必す知ってるはすだ。いかに人間が下賤で 小林はまたこう言い掛けて、そこいらを見回したが、 あろうとも、またいかに無教育であろうとも、時とし ありがた あいにくどこにも土方や人足はいなかった。それでもてその人の口から、涙がこぼれるほど有雌い、そうし つくろ 彼はいっこう構わずに喋舌りつづけた。 て少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のよう 「彼等は君や探偵よりいくら人間らしい崇高な生地をに流れ出してくることを誰でも知ってるはすだ。君は うぶのま、有ってるか解らないぜ。たゞその人間らしあれを虚偽と思うか」 よご ほこり い美しさが、貧苦という塵埃で汚れているだけなんだ。「僕はドストエフスキーを読んだことがないから知ら つまり湯に入れないから穢ないんだ。財鹿にするな」ないよ」 わか しかた おっかけ
とにかく万一の場合にはこう致しますからって証文をのほうの始末はどう付けてくれるのですか」というよ な露骨千万なものになった。 入れたわけでもないんだから、そうお父さんのように、 法律ずくめに解釈されたって、あたしが良人へ対して津田はどうするとも言わなかった。またどうする気 もなかった。かえって想像に困難なものとして父の料 困るだけだわ」 けん すくな 津田は少くとも表面上妹の立場を認めるよりほかに簡を、お秀の前に問題とした。 「いったいお父さんこそどういうつもりなんだろう。 道がなかった。しかし腹の中では彼女に対して気の毒 りようけん だという料簡がどこにも起らないので、彼の態度は自突然金を送らないとさえ宣告すれば、由雄は工面する 然お秀に反響してきた。彼女は自分の前にはなはだ横に違ないとでも思っているのかしら」 ちゃく 「そこなのよ、兄さん」 着な兄を見た。その兄は自分の便利よりほかにほとん どなんにも考えていなかった。もし考えているとすれ お秀は意味ありげに津田の顏を見た。そうしてまた あた ば新らしく貰った細君のことだけであった。そうして付け加えた。 「だからあたしが良人に対して困るっていうのよ」 彼はその細君に甘くなっていた。むしろ自由にされて あぎぐち かす いなすま いた。細君を満足させるために、外部に対しては、ま微かな暗示が津田の頭に閃めいた。秋口に見る稲妻 えよりはいっそう手前がってにならなければならなかのように、それは遠いものであった、けれども鋭どい ちがい っこ 0 ものに違なかった。それは父の品性に関係していた。 兄をこう見ている彼女は、津田に言わせると、最も今までまったく気が付かずにいたという意味で遠いと むか 同情に乏しい妹らしからざる態度をとって兄に向った。 いうこと , も一一 = ロえる代りこ、 冫いったん気が付いた以上、 それを遠慮のない言葉で言い現わすと、「兄さんの困父の平生から押して、それを是認したくなるという点 るのは自業自得たからしようがないけれども、あたしでは、子としての津田に、すいぶん鋭どく切り込んで とう おう ちがい ひら する りよう 夘 4