明 「社会主義者 ? 」 小林の語気は、貧民の弁護というよりもむしろ自家 小林はわざと大きな声を出して、ことさらにイン・ハ の弁護らしく聞こえた。しかしむやみに取り合ってこ きすっ ネスの男の方を見た。 っちの体面を傷けられては困るという用心が頭に働く 「笑わかせやがるな。こっちゃ、こう見えたって、善ので、津田はわざと議論を避けていた。すると小林が おっ 良なる細民の同情者だ。僕に比べると、乙に上品振っなお追懸てきた。 たち て取り繕ろってる君達のほうがよっぽどの悪者だ。ど 「君は黙ってるが僕のいうことを信じないね。たしか かおっき っちが警察へ引っ張られてしかるべきだかよく考えてに信じない顏付をしている。そんなら僕が説明してや ( 2 ) みろ」 ろう。君はロシアの小説を読んだろう」 鳥打の男が黙って下を向いているので、小林は津田 ロシアの小説を一冊も読んだことのない津田はやは に喰ってか & るよりほかに仕方がなかった。 りなんとも言わなかった。 「君はこうした土方や人足をてんから人間扱いにしな 「ロ . シアの小説、ことにドストエフスキーの小説を読 いつもりかもしれないが」 んだものは必す知ってるはすだ。いかに人間が下賤で 小林はまたこう言い掛けて、そこいらを見回したが、 あろうとも、またいかに無教育であろうとも、時とし ありがた あいにくどこにも土方や人足はいなかった。それでもてその人の口から、涙がこぼれるほど有雌い、そうし つくろ 彼はいっこう構わずに喋舌りつづけた。 て少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のよう 「彼等は君や探偵よりいくら人間らしい崇高な生地をに流れ出してくることを誰でも知ってるはすだ。君は うぶのま、有ってるか解らないぜ。たゞその人間らしあれを虚偽と思うか」 よご ほこり い美しさが、貧苦という塵埃で汚れているだけなんだ。「僕はドストエフスキーを読んだことがないから知ら つまり湯に入れないから穢ないんだ。財鹿にするな」ないよ」 わか しかた おっかけ
明 なところが出てきようはずがないじゃないか。由雄さ んー 「だいぶ八釜しくなってきたね。黙って聞いていると、 「そういうふうにてっとりばやく真面目になれるかが 叔母甥の対話とは思えないよ」 問題でしよう」 ふたり 「なれればこそ叔母さんなんぞはこの藤井家へお嫁に 二人のあいだにこう言って割り込んできた叔父はそ ぎようじ 来て、ちゃんとこうしているじゃありませんかー の実行司でも審判官でもなかった。 てきがいしん 「なんだか双方敵愾心をもって言い合ってるようだが、 「そりや叔母さんはそうでしようが、今の若いものは けんか 喧嘩でもしたのかい」 そな 彼の質間は、単に質間の形式を具えた注意にすぎな 「今だって昔だって人間に変りがあるものかね。みん だま ころ ぬす かった。真事を相手にビ 1 玉を転がしていた小林が偸 な自分の決心一つです」 むようにしてこっちを見た。叔母も津田も一度に黙っ 「そういったひにやまるで議論にならない」 「議論にならなくっても、事実のうえで、あたしのほてしまった。叔父はついに調停者の態度でロを開かな ければならなくなった。 うが由雄さんに勝ってるんだから仕方がない。いろい あと まえみ 「由雄、お前見たような今の若いものには、ちょっと ろ選り好みをしたあげく、お嫁さんを貰った後でも、 うそっ まだ選り好みをして落ち付かずにいる人よりも、こっ理解できにくいかもしれないがね、叔母さんは嘘を吐 わか いてるんじゃないよ。知りもしない己のところへ来る ちのほうがどのくらい真面目だか解りやしない」 さっきから肉を突ッついていた叔父は、自分のロをとき、もうちゃんと覚悟を極めていたんだからね。叔 あと 出さなければならない時機に到着した人のように、皿母さんはほんとうに来ないまえから来た後と同しよう まじめ から目を放した。 に真面目だったのさ」 ごの さら やかま おれ
明 「そんなら小林なんぞがあたしになにを言ったって構どのくらい憑り掛りたがっているか、貴方には想像が あなた わないじゃありませんか。貴方は貴方、小林は小林な付かないくらい、憑り掛りたいんです」 んたから」 「想像が付かない ? 」 「そりや構わないよ。お前さえしつかりしていてくれ「え、、まるで想像が付かないんです。もし付けば、 れば。たゞ疑ぐりだの誤解だのを起して、それをむや貴方も変ってこなくっちゃならないんです。付かない みに振り回されると迷惑するから、こっちだって黙っから、そんなに澄ましていらっしやられるんです」 ていられなくなるたけさ」 「澄ましてやしないよ , かわいそう 「あたしだって同じことですわ。いくらお秀さんが「気の毒だとも可哀相だとも思ってくださらないんで 鹿にしようと、 いくら藤井の叔母さんが疎外しようと、す」 貴方さえしつかりしていてくだされば、苦になるはず「気の毒だとも、可哀相だとも : : : 」 かんじん あ・を はないんです。それを肝心の貴方が : : : 」 これだけ繰り返した津田はいったん塞えた。その後 めいりよう ゅ つま ( ー ) まんさん お延は行き詰った。彼女には明瞭な事実がなかった。で継ぎ足した文句はむしろ蹣跚として揺めいていた。 いくら思おうと したがって明瞭な一一一口葉がロへ出てこなかった。そこを「思ってくださらないたって。 ひとすくすく しくらでも思 っても。 , ーー・思うだけの因縁があれば、、 津田がまた一掬い掬った。 「おおかたお前の体面に関わるような不始末でもするうさ。しかしなけりや仕方がないじゃないか」 と思ってるんだろう。それよりか、もう少しおれに憑 お延の声は緊張のために顫えた。 「あなた。あなた」 り掛って安心していたら可いじゃないか」 お延は急に大きな声を揚けた。 津田は黙っていた。 「どうぞ、あたしを安心させてください。助けると思 「あたしは憑り掛りたいんです。安心したいんです。 お しかた ふる
わか た。だから黙っていた。 は不用たと仰やるのでしよう。私から見ればそれがま 「結果は簡単です」とお秀が言った。「結果は一口でるで逆です。人間としてまるで逆なのです。たからた幻 一一一口えるほど簡単です。しかしたぶんあなたがたには解 いへんな不幸なのです。そうして兄さんはその不幸に ひと らないでしよう。 あなたがたは決して他の親切を受け気が付いていらっしやらないのです。嫂さんはまた私 ることのできない人だという意味に、たぶん御自分じの持ってきたこのお金を兄さんが貰わなければ可いと や気が付いていらっしやらないでしようから。こう言思っていらっしやるんです。さっきから貰わせまい貰 っても、あなたがたにはまだ通じないかもしれないかわせまいとしていらっしやるんです。つまりこのお金 ら、もう一遍繰り返します。自分だけのことしか考えを断ることによって、あわせて私の親切をも排斥しょ られないあなたがたは、人間として他の親切に応ずるうとなさるのです。そうしてそれが嫂さんにはたいへ 資格を失なっていらっしやるというのが私の意味なのんなお得意になるのです。嫂さんも逆です。嫂さんは です。つまり他の好意に感謝することのできない人間妹の実意を素直に受けるために感じられるい心持が、 なんぞうばい に切り下げられているということなのです。あなたが今のお得意よりも何層倍人間として愉快だか、まるで たはそれでたくさんだと思っていらっしやるかもしれ御存じないかたなのです」 ません。どこにも不足はないと考えておいでなのかも お延は黙っていられなくなった。しかしお秀はお延 さえ 分りません。しかし私から見ると、それはあなたがた よりなお黙っていられなかった。彼女を遮ぎろうとす 自身にとってとんでもない不幸になるのです。人間らるお延の出鼻を抑え付けるような熱した語気で、自分 うれ しく嬉しがる能力を天から奪われたと同様に見えるの の言いたいことだけ言ってしまわなければ気が済まな です。兄さん、あなたは私の出したこのお金は欲しい 、カ子ー と仰やるのでしよう。しかし私のこのお金を出す親切 おっし ひと ひと わか っこ 0 おさ
こんがら むか に困絡かって、離すことのできない事情の下にある意お秀はやがてきちりと整った目鼻を揃えて兄に向っ 味合を、お秀よりもよく承知していた。彼はどうしてた。 「それで兄さんはどうなすったの」 も積極的に自分から押して出なければならなかった。 「どうもしようがないじゃないか」 「なんと言ってきたい」 とう 「お父さんのほうへはなんにも言っておあげにならな 「兄さんのほうへもお父さんからなにか言ってきたで かったの」 しよう」 「うん言ってきた。そりや話さないでもたいていお前津田はしばらく黙っていた。それからさも已を得な わか いといったふうに答えた。 に解ってるだろう」 「一 = ロってやったさ」 お秀は解っているともいないとも答えなかった。た ・、ちもと 「そうしたら」 だかすかに薄の影を締りの好い口元に寄せて見せた。 それがいかにも兄に打ち勝った得意の色をほのめかす「そうしたら、まだなんとも返事がないんだ。もっと うち しやく ように見えるのが津田には癪だった。平生は単に妹でも家へはもう来ているかもしれないが、なにしろお延 あるという因縁すくで、少しも自分の目に付かないおが来てみなければ、そこも分らない」 秀の器量が、こういう時にかぎって、悪く彼を刺激し「しかしお父さんがどんなお返事をお寄こしになるか、 た。なまじい容色が十人並以上なので、この女はよけ兄さんには見当が付いて」 ひと い他の感情を害するのではなかろうかと思う疑惑さえ、津田はなんとも答えなかった。お延の拵らえてくれ どてらえり 彼にとっては一度や二度の経験ではなかった。「お前 た褞袍の襟を手探りに探って、黒八丈の下から抜き取 しようい は器量望みで貰われたのを、生涯自慢にする気なんだ った小楊枝で、しきりに前歯をほじくりはじめた。彼 ろう」と言ってやりたいこともしば / 、あった。 がいつまでも黙っているので、お秀は同じ意味の質間 うすわらい もと わか そろ やむ 200
ひげな かなかった。しかしそれでも小林には満足らしかった。の下の髭を撫でた。 ひっこ さっきから気を付けるともなしにこの様子に気を付 出した杯を引込めながら、自分のロへ持っていった時、 たち 彼はまた津田に言った。 けていた二人は、自分達の視線が彼の視線に行き合っ まむき みあわ 「そらあのとおりだ。上流社会のように高慢ちきな人た時、びたりと真向になって互に顔を見合せた。小林 はこ、ろもち前へ乗り出した。 間は一人もいやしない」 「なんだか知ってるか」 くす 三十五 津田は元のとおりの姿勢を崩さなかった。ほとんど はんてんかくがり イイハネスを着た小作りな男が、半纏の角刈と入れ返事に価しないというロ調で答えた。 「なんだか知るもんか」 にはい 0 て来て、二人から少し隔 0 た所に席を取 0 ひさし かぶ 小林はなお声を低くした。 た。廂を深く卸ろした鳥打を被ったまミ彼は一応ぐ あいったんてい あたり あとふところ るりと四方を見回した後で、懷へ手を入れた。そうし「彼奴は探偵たぜ」 てそこから取り出した薄い小型の帳面を開けて、読む津田は答えなかった。相手より酒量の強い彼は、か えって相手ほど平生を失わなかった。黙って自分の前 のだか考えるのだか、じっと見詰めていた。彼はいっ ちよく ( 2 ) にある猪口を干した。小林はすぐそれへなみ / 、と注 . まで経っても、古ぼけたトンビを脱ごうとしなかった。 帽子も頭へ載せたま、であった。しかし帳面はそんな に長くひろげていなかった。大事そうにそれを懐へ仕「あの目付を見ろ」 薄笑いをした津田はようやく口を開いた。 舞うと、今度は飲みながら、じろり / 、と他の客を、 わるくち ( 3 ) あいま / 、 見ないようにして見はじめた。その相間々々には、ち 「君見たいにむやみに上流社会の悪口をいうと、さっ まおか ( 4 ) がいとう んちくりんな外套の羽根の下から手を出して、薄い鼻そく社会主義者と間違えられるぞ。少し用心しろ」 お ふたり し 、◆ - 」 0 めつき ふたり
明 を前に、胡坐を掻いている剽軽な彼の顔を、過去の記「どうだかあたしよく解らないわ。なぜまたそんなこ まじめくさ げな歩 とを真面目腐ってお訊きになるの」 念のように懐かし気に眺めた。 りようけん 「だ 0 てあたしの悪口は叔父さんのお仕込しゃないの。「少しこ 0 ちにも料簡があるんだ、返答次第では」 こわ おぼえ 「お、怖いこと。じや言っちまうわ。由雄はお察しの 津田に教わった覚なんか、ありやしないわ、 とおり厳格な人よ。それがどうしたの」 「ふん、そうでもあるめえ」 こと 「ほんとうにかい」 わざと江戸っ子を使った叔父は、そういう種類の言 を、い 0 さい家庭に入れてはならないもののごとく「え。ずいぶん叔父さんも苦呶いのね」 に忌み嫌う叔母の方を見た。併から注意するとなお面「じゃこ 0 ちでも簡潔に結論を言 0 ちまう。はたして 白が 0 て使いたがる癖をよく知 0 ているので、叔母は由雄さんが、お前のいうとおり厳格な人ならばた。と 素知らぬ顔をして取り合わなか 0 た。すると目標が外うてい悪口の達者なお前には向かないね」 むか こう言いながら叔父は、そこに黙って坐っている叔 れた人のように叔父はまたお延に向った。 あ・こ 母の方を、頷でしやくって見せた。 「いったい由雄さんはそんなに厳格な人かね」 むき あっ 「この叔母さんなら、ちょうどお誂らえ向かもしれな お延は返事をしずに、たゞにや / \ していた。 うれ いがね」 「は、あ、笑ってるところを見ると、やつばり嬉しい 淋しい心持が遠くから来た風のように、不意にお延 んだな」 の胸を撫でた。彼女は急に悲しい気分に囚えられた自 「なにがよ」 わか 「なにがよって、そんなに白ばっくれなくっても、分分を見て驚ろいた。 だがほんとうに由雄さんはそんな「叔父さんはいつでも気楽そうで結構ね、 っていらあな。 津田と自分とを、好すぎるほど仲のい夫婦と仮定 に厳格な人かい」 ( ー ) えど こ しら おも さび おど わか とら 127
の本能から来るわざとらしい声をりなく出して、遊「じやジャン拳よ」と言いだしたお延は、級い手を握 いきおい すゞりばこ 技的な戦いに興を添えた。二人はついに硯箱の前に飾って勢よく継子の前に出した。継子はすぐ応じた。宝 したん ってある大事な一輪插を引っ繰り返した。紫檀の台か石の光る指が二人のあいだにちら ~ ( 、した。二人はそ らころ / 、、と転がりだしたその花瓶は、中にある水をのたんびに笑った。 「猾いわ」 ところ嫌わず打ち空けながら畳の上に落ちた。二人は 「あなたこそ狡猾いわ」 ようやく手を引いた。そうして自然の位置から不意に なが ほう しまいにお延が負けた時には零れた水がもう机掛と 放り出された可愛らしい花瓶を、同じように黙って眺 きれい おちっ みあわ めた。それから改めて顔を見合せるやいなや、急に抵畳の目の中へ綺麗に吸い込まれていた。彼女は落付き たもと 抗することのできない衝動を受けた人のように、一度払って袂から出した手巾で、濡れたところを上から抑 え付けた。 に笑、・こしこ 0 こうしておけば、それで 「雑巾なんか要りやしない。 七十一 たくさんよ。水はもう引いちまったんだから」 ころ はないけもと こども できごと 彼女は転がった花瓶を元の位置に直して、摧けかゝ 偶然の出来事がお延をなお小供らしくした。津田の った花を丁寧にその中へ插し込んだ。そうして今まで 前でかって感じたことのない自由が瞬間に復活した。 し」んきよう かえ の頓興をまるで忘れた人のように澄まし返った。それ 彼女はまったく現在の自分を忘れた。 がまたらなく可笑しいとみえて、継子はいつまでも 「継子さん早く雑巾を取っていらっしゃい」 「厭よ。あなたが零したんだから、あなた取っていら一人で笑っていた。 発作が静まった時、継子は帯の間に隠した帙入の神 ひきだししま おし、んどう ふたり 籤を取り出して、傍にある本箱の抽斗へ仕舞い易えた。 二人はわざと譲り合った。わざと押間答をした。 きら かわ ぞうきん こぼ あ かびん か ひとり っ けん そば ハンケチ す まそ ちついりみ おさ 148
こわ 小林は追い掛けて、その病院のある所だの、医者の沢たと言われるのが少し怖いので、津田はたゞ大人し 名だのを、さも自分に必要な知識らしく訊いた。医者く茶の間を立つお金さんの後姿を見送った。 ほり あと の名が自分と同じ小林なので「はあそれじゃあの堀さ お金さんの出ていった後で、叔母はみんなの前で叔 んの」と言ったが急に黙ってしまった。堀というのは父に言った。 いもうとむこ まと 津田の妹婿の姓であった。彼がある特殊な病気のため 「どうかまああの子も今度の縁が纏まるようになると しあわ に、つい近所にいるその医者のもとへ通ったのを小林仕合せですがね」 はよく知っていたのである。 「纏まるだろうよ」 彼の詳しい話というのを津田はちょっと聞いてみた 叔父は苦のなさそうな返事をした。 い気がした。それはさ 0 き叔母の言ったお金さんの結「しごく宜さそうに思います」 あいさっ 婚間題らしくもあった。またそうでないらしくもみえ 小林の挨拶も気軽かった。黙っているのは津田と真 た。この思わせ振な小林の態度から、多少の好奇心を事だけであった。 唆られた津田は、それでも彼に病院へ遊びに来いとは相手の名を聞いた時、津田はその男に一二度叔父の うち 明言しなかった。 家で会ったような心持もしたが、ほとんどなんらの記 津田が手術の準備だといって、せ 0 かく叔母の拵え憶も残っていなかった。 さかな だいすき ( 1 ) たけめし てくれた肉にも肴にも、日ごろ大好な茸飯にも手を付「お金さんはその人を知 0 てるんですか」 けないので、さすがの叔母も気の毒がって、お金さん「顔は知 0 てるよ。ロは利いたことがないけれども」 むこ に頼んで、彼のロにすることのでぎる麺麭と牛乳を買 「じゃ向うも口を利いたことなんかないんでしよう」 あたまえ ってこさせようとした。ねと / 、してむやみに歯の ド「当り前さ」 へきえき に挾まるこいらの麺麭に内心辟易しながら、また贅「それでよく結婚が成立するもんたな」 おも ぶり こしら たく こんだ
まじめ あと と弁解した彼女は、真面目な津田の様子を見て、後かない、旦那様に会っちゃ」 あが らそれを具体的に説明すべく余儀なくされた。 下女はこう言って立ち上った。しかし室を出掛にま 「なるほど、そうに違いございませんね。生きてるう た一句の揶揄を津田に浴びせた。 じようす ちはどなたも同なじ人間で、生れ変りでもしなければ、 「旦那様はさぞ猟がお上手でいらっしゃいましよう だれ 誰たって違った人間になれつこないんだから」 ね」 ひあた みなみむき ふたり 「ところがそうでないよ。生きてるくせに生れ変る人 日当りの好い南向の座敷に取り残された二人は急に がいくらでもあるんだから」 かになった。津田は縁側に面して日を受けて坐って そむ 「へえそうですかね、そんな人があったら、ちっとお いた。清子は欄干を背にして日に背いて坐っていた。 むこ 目に掛りたいもんだけれども」 津田の席からは向うに見える山の襞が、幾段にも重な ひなたひうら けしき 「お望みなら逢わせてやっても可いがね」 り合って、日向日裏の区別を明らさまに描き出す景色 「どうぞ」といった下女はまたげら / く、、笑いだした。 が手に取るように眺められた。それを彩どる黄葉の濃 あざ ぼうちゅう 「またこれでしよう」 淡がまた鮮やかな陰影の等差を彼の眸中に送り込んだ。 ひとさしゅび 彼女は人指指を自分の鼻の先へ持っていった。 しかし眼界の豁い空間に対している津田と違って、清 だんなさま かな 「旦那様のこれにはとても敵いません。奥さまのお部子のほうはなんの見るものもなかった。見れば北側の においか さえ 屋をちゃんと臭で嗅ぎ分けるかたなんですから」 障子と、その障子の一部分を遮ぎる津田の影像だけで まえとし 「部屋どころじゃないよ。お前の年齢から原籍から、 あった。彼女の視線は窮屈であった。しかし彼女はあ 生れ故郷から、なにからなにまで中てるんだよ。このまりそれを苦にする様子もなかった。お延ならすぐ姿 鼻一つあれば」 勢を改めずにはいられないだろうというところを、彼 おちっ 「へえ恐ろしいもんでございますね。 どうも敵わ女はむしろ落付いていた。 や ひろ でがけ イ幻