価値 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 14
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1. 夏目漱石全集 14

言うまでもなく、有意義有価値とは最も広い意味に観的感情の貴重なる対象となるのである。この意義よ 解すべきものだ。人間として価あるものという以上は、 りして、審美的関係が、はじめて大いなる人間的価値 いっさいの人生はことごとくその中に含まるるはもちの仲間入りをすることができるのだ。 ろんである。善悪正邪、尊卑、禍福等を舞台として起 という訳は、すべての大いなる人間的価値はことご る道徳的価値の人生を始として、宗教的い、芸術的とく個々相、皮相、表面相、虚無相等を折伏するから 3 、科学的国、価値の人生よりひいては、形而上的価で、たとえば、科学および哲学は種属および法則の認 値の人生国、および快楽派的価値 ( いわゆる美的生活 ) 識のためにカめてこれをなし、宗教は人間の感情を神 内、に至るまでことごとく網羅さるべきものである。 に向けてこれを為し、道徳は人としての理想的価値を これに反して、無意義なる内容、何者をも語らざる実現せんがためにこれを為すがごとし。たゞ、直観的 内容やあまりに奇怪に失せる内容はこの標準のうえよ感情という心理作用に拠って人間的有価値の現象を捕 り排斥すべきものだ。 捉するのは美的関係の特権である。へ ッペルが「真の きた さて、しからば、この第二標準概念は究意見のうえ詩人は自家の要求を掲け来って、全人類の要求を時す ひっきよう からは、どうなるのかといえば、その目的は左のとおるものなり」と言ったのは、畢竟、「人として有価値の 現象ーを捕うるの意にほかならない。 人として有意義なるいっさいの現象をば直観的感情以上はフォルケルトが第二標準の大意を述べたもの の対象とするときま、、 。しっさいの人生および世界の実である。氏のいわゆる「人として価値あるもの意義あ 人相は、その実相の人として価値ある以上ことごとく文るもの」のみがはたして文芸の特殊相であるかは、ず いぶん議論の出ることと思うが、フォルケルトは、従 時芸のうえに現われてくる、しかして、人間の本体真相 を伝うる豊富なる価値の内容は、かくのごとくして直来の善よりもなによりもこの標準概念がいっさいの貴 イの

2. 夏目漱石全集 14

理想世界の法則は余の関するところにあらす ( 作物逸せるものまたけだし少なからさらん。しかしてこの の価値のみが作物の生命を支配せざる以上は ) 。今、短命なるもののうちあるひは Smollett を凌ぐものな ほしいま 価値以外に作物の生命を支配する条項二三を挙げて読しといふべからずして、しかも s. のひとり盛名を擅 まにするは、作物の寿命が単にその価値によりて支配 者の参考とす。 おほや い同一の暗示を発現せる作物が前後して公けにせらせらるるのみならず、価値以外に「時の前後」なる閑 却しがたき因数によって左右せらるればなり。日露戦 るる場合には、暗示を第一に発現せるもの ( おそらく は暗示を第一に得たるもの ) 、換言すればその著作を争の当時港ロ閉塞の壮図をあへてせるものは前後幾人 ひろ 第一に公けにしたるもの、もっとも長命なり。第一のなるを知らす。しかも軍神に変化せるものはひとり広 めいれう 著作に接したるときの刺激は、もっとも明瞭にしてか瀬中佐あるのみ。なにがゆゑにひとりこの人を軍神に っ痛切なるがゆゑに、この著作はもっともよく一般にするかと問へば、彼の最後がもっとも壮烈なりしと答 意識せらるるの傾向多く、またその意識の惰性を次期ふるのほか、彼は第一に先鞭を着けたりとの大源因を 挙げて答へざるを得す。先鞭はひとり閉塞隊において に伝ふるに便なればなり。たとへば Smollett の Pic ・ aresque romance におけるがごとし。史を案するに、成功の機をなすのみならず、文芸界にあってもまた成 彼のこの皹の小説に指を染めてより、一七六〇年のこ功の機たらざるべからず。経済界にあっても需用に応 ろに至って、同種の著作にして他の筆に成るものすでじて第一に供給の途を開きたるもの、もっともよく世 に十三四種の多きに達せり。しかもその今日に伝はる間と後世の注意を惹く。継で起るものは、たとひ質に えう ものを求むるに、沓として知るべからず。あたかもおいてこれに優るといへども、名において、命におい きたん sm 。一一 e ( ( 以外に冒険的奇譚を草せるものなきに似たり。てこれと雁行するあたはざるは吾人の日常に見聞する 史上に名を存するものすでに十三四種なれば、史家のところなり。明治の元勲がさしたる学才もなきに、日 みち せんべん しの

3. 夏目漱石全集 14

きづか るかを気遣ふのあまり、吾人は催眠術にかゝれる患者 いとま のごとくに左右を顧みるの遑なくして前進す。これ第 ゅゑん 二の場合においてもまた現在の過去にまさる所以なり。 第五編集合的 しかして Milton の叙方に至っては、この両立脚地よ ごじん 吾人は吾人の意識中より文学的材料となりうべきも り見て、等しく必要なる時間的間隔の短縮なし。これ その感興のを e に及ばざるところにして、かねのの性質を限りて、幾多の例証にこれを説明せり。次 にこれ等の材料を彼此比較考量して、その特色よりこ て現在法の要用なる理由を説明するに足らんか。 余は現在法の効果につきその価値を定めんと欲して、れを四種に分類せり。これを分類せる後これ等の材料 例を s ミミ stes に取れり。しかれどもその例中に起る相互の関係を論述し、かねて表現の方法とし は単に時間上の間隔のみにおいてを e と異なるて彼眈代用し、甲乙相合するの道を講じ、つひに表現 にあらずして、他の間隔においてもまたこれと同じかより逆行して取材の領域に入れり。吾人はその中間に らざるを発見せり。したがって現在法の価値について、おいて文学的材料の意識に上ること多き文学者のを 当初に予期せるがごとく判明なる断案を下すあたはざ論じて、科学者のそれと対置せり。この編に詳論せん りしは遣憾なり。たヾこの解剖によりて時間的間隔のとするは、この記号の消息なりとす。 吾人はこの編においての差違を述べんとす。の ある場合に必要なるを読者に示しえたりと信す。 差違とは時間の差違を含み、空間の差違を含み、個人 と個人との間に起る差違を含み、一国民と他国民との 間に起る差違を含み、または古代と今代と、もしくは 今代と予想せられたる後代との差違をも含む。先に述 のぼ 304

4. 夏目漱石全集 14

この独立の人間価値を有する某の心理作用は、かるが 石の文学論にはこの「いかなる必要あって」に対する 心理的社会的説明があるであろうと思って、本文を読ゆえにまた美的関係の標準 ( 規範 ) となるべきものだ。 んでゆくと、この説明なるものがない。もとより、処たとえば、情緒を伴う直観は文芸に対するときに起る 処に散見した論議の中から、拾い出せば、これたなと 一の心的事実である、この心理的事実はすなわちまた 思われる個処がないでもないが、文学はかようなもの美的標準であると、 いうこころは、情緒を伴う直観に という説明が主となって ( もとよりこれは結構である拠って、はじめて人間の某の根本的要求が実現せらる が ) 、この標準論がないのは、いかにも遣憾であると思るので、言い換うれば、人間が一定の要求に応ずる価 う。この点について、ことにフォルケルトの美学を参値ある満足を得るためには必ず情緒を伴う直観という 照して、文学論の批判に及んでみたい。 心的作用を起さねばならぬということだ。なお言を加 フォルケルトはこの規範および目的論について、左 うれば、この心的作用を起さぬものは、文芸ならずと いうことになるのであるから、件の心的作用がすなわ のごとく説く。 文芸に対するときは、吾人の意識はある種の心理作ち審美の標準だというのである。 0 0 0 用を起す。その心理作用は、文芸に対するとぎにのみ さて、その標準には二様の見方がある。一は主観的 0 0 0 0 0 0 0 0 0 起る心理作用である。これを美的関係という。かゝる 心理的で、は客観的対象的である。一の心理作用に は必ずこれに伴う客観的対があることを予想したう 心理作用は、人間固有の動かすべからざる某の需要か ら起るものである。しかして、需要のあるところに価えの区別である。しかして、この主観客観を兼ねた某 値が生ずるものであるから、人間の有する某の根本的の審美標準には必ず、また一定の目的があるというの 要求を満足させる件の美的関係なるものは、他の心理だ。 作用とはまったく独立せる人間的価値を有している。 ( 注に日く、ここにいわゆる美という文字はきわめ ごじん

5. 夏目漱石全集 14

文学論 会 The God of War is drunk with b 一 00 all other sweet herbs, know not why, seem ( 0 The earth doth faint and fail; greet me wherever I 一 00k at them, as though they The stench of blood makes sick the heav'ns; knew and expected me. ご Ghosts glut the throat of hell! ご —Blake, G ド K ぎ嶝 ~ ミミ 4 CLeofric and Godiva). けが ( 1 ) そけい ll. 93 ーー 6. あるひは一たび染みし身の汚れを素馨の花に寄せて のごとし。この詩句を味はふためにはまづ「戦」なる く乙女もあり、 2 If through the garden's flowery tribes I stray, 特別の観念を要すべきも、一」、に用ゐる「戦」の特性 はほとんど晋遍的のもののみなれば、したがってこの ・「 here bloom the jasmines that could once allure, 投出語はその独立性、前諸例に比しや、大なり。さら ( Hope not tO find delight in us,' they say, に左に挙ぐるもののごときに至りては、その妙と妙な お - are spotless, Jessy are pure. らざるとはしばらく措き、花の永久的特性を描出して、 —Shenstone, . E ~ ) い XXVI. 異常の心理態度に毫も関係なきをもって、その効果は しかれども以上のごとき投出的解釈はいづれも解す独立にして他のものと相待つの要なく、したがってそ る当事者のその刻下の心持と相待ってはじめて価値をの価値の変ずること少なし。 ••daffodils, 生ずるものにして、独立してこれに対する時はすこぶ That come before the swallow dares, and take る無意義なるを覚ゅべし。永久の独立せる「文芸上の The winds of March with beauty 一 violets dim, 真」は物自身の永久的特性をとらへこれが解釈をなし But sweeter than the lids Of JunO's eyes てはじめて望みうべきなり。たとへば、 をとめ あ

6. 夏目漱石全集 14

・こ・贏第 らすといふも不可なきがごとし。強勢法の主意はのすると仮定する以上はの推移を意味するに似たりと いへども、は依然として焦点を動かざるに、ドは徐 後にドを置いて、対照によりて後者の価値を大ならし むるを目的とすといへども、その価値を大ならしむる徐と識域下より識末に出で、識末より漸次に焦点に向 のぼ ゅゑん 所以のものはその刺激の強きがためにあらずんばあらって上りつ、あると仮定すれば、両者の関係は結果よ す、しかしてその刺激の強きはドの c-A を圧倒する源因 り見て同一なりといふを得べし。禅に頓悟なるものあ ちかづ ならすんばあらず。換言すればの卩に推移するに便り、その説をきくにみづから悟に近きっゝ、みづから 宜なる源因なりといはざるべからず。不対法に至って知らず、多年修養の功、一朝機縁の熟するに逢うて、 けんこん は多少その趣を異にすといへどもだいたいにおいて同俄然として乾坤を新たにすと。この種の現象は禅に限 様の論旨をもって評釈しうべきがゆゑに熕を避けて贅るにあらす。吾人の日常生活において多く遭遇しうる せす。の場合は厳密に論ずるとき間題とならざるがの状態ならざるべからす ( 吾人はとくに禅においてこ ごとし。いかんとなれば無関係なるもしくは反対なるの特別の権利を付与するの理由を認めざるがゆゑに ) 。 卩の、 fr-{ に代らんとするとき、の発展逓次に巡行し たゞ変化の至るまで内に勗騰しつ、ある新意識を自覚 てその勢力のおのづから消耗するを待つべしとの仮定するあたはざるがゆゑにこの種の推移に逢へばこれを なればなり。の発展逓次に巡行すとはのたり突然といふ。表面は突然なり。されども内実は次第な たるを意味するがゆゑに、のに推移する中間には 。徐々の推移なり。一代の時勢についてこの種の推 よこた 0 0 幾多の、、 : ・の横はるありて両者を直接の推移移を名づけて反動といふ。この解釈に従へば反動は突 と見做しがたければなり。しかれども少しく観察点を然なるものにあらずして次第ならざるべからざるもの 変じて、これを他方より解するとき、事実としてこの なり。時勢として見たるの推移は今詳論するの要な幻 場合は吾人の思考に価するものとす。が自己を消耗 も先例に従って文界の一局部にあらはるる現象をも がぜん ん ~ ら′ , こら・

7. 夏目漱石全集 14

一を文芸に与うる法を説いたものとも見られる。たゞ の内容が、第二標準のお蔭で、人間的有意義たるに至 0 0 0 し、写実法なるものが、投出語法、投入語法と同列に って、独特の価値を作るのである。 うれい フォルケルトは以上のごとく論じているのであるが、 置かれてあるのは、妥当を欠く憂はなきかと思う。 さてフォルケルトは、以上四個の標準概念を以て、 至極面白いと思う。夏目氏の文学論が、標準論という 美学の究意見を示したものである。なおこれを総括しものを有せず、心理的と対象的との区別も立てていな いからといって、文学論の価値が下るわけはもとより てその相互関係を次に略叙する。 ない。たゞ、氏の文学論は、始めより文学談とは目的 要するに、美的観察翫賞は、人間の活動としては、 が違っていて、科学的研究を文学のうえに加えて、本 他の何者よりも多方面でかっ平衡を得たものである。 ます第一標準において直観と感情と、形式と内容とが、邦未曾有の研究を開始せしめようという意であってみ 他のいかなる活動にも見られざるごとく、渾然融和せれば、吾人が美学に要求するほどの科学的立脚地が、 るは、美的関係の特長である。人間性質の二元は芸術も少し、明確に掲げてありたいと望まれるのである。 この意義よりいえばフォルケルトの美学系統は体裁の においては巧に折伏せられている。しかして、人間の まさ 意志的知的生活も、美的現象においては豊富無限に展具備せる点において、はるかに文学論に優っていると 開されながら、決して、実行、認識の弊に陥らないの思う。「文学論」は、前にも述べたとおり、未定稿で は、第三標準の実際感情の排斥があるからである。こある。余は、その未定稿が既定稿となることを希望せ こに、理性なるもの、その形式的統合の要求を携けて、ざるを得ない。今のままにては、糸統上にいろいろの ひょうまう ばっこちょう 第四標準を標榜して現れてくる。が、少しも跋扈跳欠陥があって、読者の地位より観る文学 ( 感納的 ) と わ・ト ( ら・ 梁することなく、情緒的直観の形式完足に勉める。こ作家の地位より観る文学 ( 製作的 ) とが、互に混同錯 そう れだけにても、美的関係は堂々たるものであるが、そ綜しているのなそ、最も遣憾である。 かけ 2

8. 夏目漱石全集 14

苦痛に対する嗜好ーーー人間の冒険性ー・ー自殺組ーー・贅 沢家の悲哀 第三編文学的内容の特質 集合意識ーー言語の能力ーー , の差異ーー文学者の 第一章文学的と科学的との比較一汎一六四 How と Wh ーー態度の差ーーー描写法の差ーー A ュ・ osto ーー文学者の解剖・ーー時空の関係ーー数字 第二章文芸上の真と科学上の真 M 三 et ーー誇大法ーーー省略選択法ーー組み合せ 文芸上の真の推移 第四編文学的内容の相互関係 真を伝ふる手段ーー連想法 第一章投出語法 意義ーー抽象事物の擬人法ーー 文学 第二章投入語法 意義ーー投出語法との関係 第三章自己と隔離せる連想 範囲の広大ーー・写生ーー条件ーー古典の引用ー・ , HO- その価値ーー十八世紀 meric Sir 当・ーー・・京′ - 第四章滑稽的連想 特質ーー文学的価値 第一節ロ合 条件ーー H 。 od ーーー無意識的洒落 第二節頓才 第五章調和法 効果ー - ー日本人の自然に対する愛ーー・自然界の景物ー ー俳文学ーー人工的調和 第六章対置法 調和法の一変体 第一節緩勢法 第二節強勢法 付仮対法 444C の門衛 , ーー正反両解 第三節不対法 Fielding の To ま Jones—Sterne の T こ紅、 4 ま 第七章写実法

9. 夏目漱石全集 14

文学論 くのごとき文学には頓才は一大勢力として珍重せらる るがためなり。 なそ とんさい 頓才の知的要素過重の極に達する時は、あるひは謎ることなきにあらざるも、これをほかにしては大なる となりあるひはいはゆる Conundrum に近きものとな価値なしといふも可なり。 る。これとともにその文学的価値は著しく減退するこ ろう と論を待たず。一般社会が小知に富み小才を弄し、区 第五章調和法 区たる前の些事に役々して、人事自然に対する熱烈 かいぎやくくわ 上述の連想語法四種のうち前三者は類似をあらはす の同情を失ひ、世間を冷評し、何事をも諧謔化せんと 欲する時、人事材料にあれ感覚材料にあれ深く探り厚ために二個の分子を結合し、第四は類似の連鎖を通し く求めて文学の真髄を発揮するに途なく、また偉大崇て非類似のものを連想するものなり。今この前者を拡 ふえん 嵩なる知的分子を認識することなし。いはんや宗教的張すればこに説く調和法となり、後者を布衍すれば 材料においてをや。か、る時代に最も称せらるるは頓次章に論すべき対置法となる。前述の連想法のを説 き 明するためにを使用するに反して、この調和法は 才すなはち Wit にして、人はたヾ気が利きたりとい まぬけやば はるるを無上の名誉と心得、間抜、野暮等の文字を厭の文学的効力を強大ならしむるために単にを配置す ふこと悪疫よりも甚しきに至る。つひには小指にて人るものとす。一例を挙ぐれば美人の憂ふるさまを形容 りくわ をくすぐる底の文章を作為して得々たるものを輩出すして梨花一枝帯雨と云へば梨花をもって美人を解する ることあり。か、る文学は常に都会の産物にして、隣がゆゑに、投入語法なり。梨花をもって美人を形容す あげあし 人と一銭の利を争ひ、込の揚足をとるをもって人生のるのみならず、梨花をもって美人の代用とせるなり。 こ、ろう ( 4 ) あけう 目的と心得る徒輩の間に発生するものなるを忘るべか これに反しまっ阿嬌の暗愁を叙し次に細雨に悩む梨花 ( 2 ) らす。江戸時代の町人文学のごときその適例なり。かを配すれば調和法となる。この場合には一材料が類似 みち とん 22 /

10. 夏目漱石全集 14

文学論 ( 1 ) しゅんり がいはゆる超自然的材料のうちに計入すべぎものとす。かに雋理の伏在することありとも、感興のこれに伴な ゅゑにま〈に述べしごとく一つの宗教的成分のみを取ふことなくば文学上ま 0 たく死文字にして三文の価値 るときは、もちろん一輙の代表物を捕〈えたりといふだになきこと明らかなり。道学者は文学者の作為する ( 2 ) を得べきも、これをも 0 ていまだその全般を尽くしえところを見て煙花風月の閑文字なりと評すれど、吾人 文学を修むるものより彼等がなすところを評すればま たりとはいひがたし。 ぼっそっ しかしてこの種の超自然的現象が一般に強烈の情緒ことに合理的勃の閑文字たるのみ。閑文字とは目前 を引き起すに足ることは、開明の今日、これ等が立淤に有用ならざるものをいふにあらずして人を動かす力 なき文字をさすものなり。しかして詩歌文章の価値は に文学的内容として存在するによりても明白なりとす。 もとより知力をも 0 て判すればこれ等現象のあるものその合理なると不合理なるとよりはむしろその情緒を は全然不合理なること論をまたず。しかれども知的方起すに足るべき真物もしくは境遇を捕〈得るか、得ざ 面よりの観察は必すしも常に情緒的方面より来れるもるかに帰着す。合理なるがゆゑに感興を引ミ感興を のと平行に進みえざることま〈に述べたるごとし。お生ずるがゆゑに文学的材料たるの資格ありとするは可 よそ冷静なる判断より得たる事項のほかはなにものもなり。されど不合理なりゆゑに感興を引くことなしと いふに至りては、これまことに専実を誣ふるのはなは 吾人の脳中に容るる資格なしといふは、吾人をもって たゞ理屈。一遍に感じまた行動すと誤解する愚人の見なだしきものといふべし。もしそれ、感興あれども不合 り。静かに思ひ潜めて成れる考のほかは決して文学に理なるをも 0 て開明の今日文学の一要素たる値なしと 入るべからずといふものは、これ根本的に文学の何者いふは、これ科学と文学と両者を混同したるものなり。 たるやを解しあたはざる輩といはざるべからず。文学吾人が文学に待っ要素は理性にあらすして感情にあり といふ義を忘却せるものにして、たとへば尺度をもっ は上述のごとく感情を主脳として立つものなれば、、