性質 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 14
98件見つかりました。

1. 夏目漱石全集 14

る神と称するところのものの属性もまた吾人の性質の主義にかたどるものなりとす ( 性格の変遷につきては 投出にほかならず、たゞこれを誇大にして不可能を可 C 「 ozier, C 三きミミ Progress 三二五頁以下を参 能に改めたるまでのことなりとす。吾人の性質は有限照すべし ) 。 かぎり なり、有限は境界あるを意味す、しかるに物に限ある 要するにかくのごとく神とは吾人がなさんと欲して、 は吾人の欲せざるところにして、吾人は日夜無限の境なすあたはざる理想の集合体たるにすぎす。されば神 に渇望の目を放つものなり。今吾人の脳中に宿るこのは人間の原形なりといふ聖書の言はかへって人間は神 なげう の原形なりと改むべきなり。これと同じく、かの極楽 無限性をつかみ出して空に向って抛ち去れば、こに 吾人は神の無限性を造りえたるなり。また吾人は常在なるものも吾人が現実の世に飽き足らす、この実在界 ねがひ を欲し、全能を欲すれども、この願を遂ぐるの術なし、において求めてうるあたはざる欲望を充たさんがため、 かんがヘ こんりふ ゅゑにこの願望を蒼空に向って放射する時神の常在と これ等渇望の念、理想の考を放射して建立したるもの 全能とを創造しをはるものなり。吾人はまた、四角に なり。すなはち自然界に対する欲望の極致を結晶せし ひしがた して円を兼ね、三角にして菱形を兼ねたしとの理想をめたるもののみ。さればこの欲望の変遷に伴なうて極 有す。この理想を天上に吹き上ぐれば瞬刻の下に神の楽の模様漸次題を異にするものなり。情死するものの いちれんたくしゃう さけのみ 絶対性は成る。 極楽観は一蓮託生の世にして、酒呑の極楽は酒の井戸 神とは英雄を無限に郭大したるものにして、英雄はのあるところなるべし。 Plato の極楽は『理想共和国』 つかさど 神の縮図にすぎす。また百姓の神は穀物を司りて農民にして、 More の極楽は『無有国』 (Utopia) なりと ゆみやはちまん の理想に叶ひ、軍神は弓矢八幡にして武士の理想を顕す。 Dante の極楽はき詳 Rossetti の極楽は、 揚するものとす。かくのごとく神の性格は当代英雄のかの Blessed 。き。 2 ミの住むところなるべし。また それに相応し、英雄の性格はさらに当時社会の好める Milton のそれは『失楽園』四の巻に描かれし Eden

2. 夏目漱石全集 14

文学論 は文学者にありても彫刻家、画家に近きものなり。わの主成分より成立せる全形を等閑視することしば / \ にして、またこれを顧るの必要なきことも、ある場合 が邦の和歌、俳句もしくは漢詩の大部分のごときは皆 この断面的文学にほかならず。ゅゑにその簡単にして、においては事実なりといひうべし。たとへば、彼等は うんぬん 実質少なきゅゑをもってその文学的価値を云々するは水を分解して H20 となすとき、彼等の要するところ のものはと O にして H20 より成立する水そのもの 早計なりといふべし。 次に来るべき文学者科学者間の差違はその態度にあにあらざるなり。しからば文学者の用ゐる解剖はいか り。科学者が事物に対する態度は解剖的なり。由来吾ん。小説家は性格を解剖し、物象を描くものはその特 人は常に通俗なる見解をもって、天下の事物はことご長を列挙す。もし文学者にこの態度なければ、物の選 とく全形において存在するものなりと信ず。すなはち択取捨を要するにあたり、文学的に必要なる部分を引 人は人にして、馬は馬なりと思ふ。しかるに科学者はき立たしめ、必要ならざる部分を後景に引き込ましむ 決してこの人あるひは馬の全形を見てそのま、に満足ることあたはざるべし。すなはち物を叙して、これを するものにあらす、必ずやその成分を分解し、その各活動せしむることあたはざるべし。されども文学者の 性質を究めざれば巳ます。すなはち一物に対する科学解剖と科学者のそれと異なるところは、前者の態度は 者の態度は破壊的にして、自然界において完全形に存常に肉的にして顕微鏡的ならざるにあり、また観察 在するものを、細かに切り離ちてその極致に至らざれに拠りて実験を用ゐざるにあり。たとへばかの物理学 ば止ます。単に肉眼の分解をもって満足せずして百倍者のいはゆる 2 Conceptual DiscontinuitY 0 ( B0dies" ないし千倍の鏡を用ゐてその目的を達せんとす。複合 ( 物体の概念的中断性 ) の議論を見よ。その理由に日く、 体に甘んすることなく、これを原素に還し、これを原すべての物体には弾力あり、空気のごときも、これを ゑんたう 子に分かつ。さてかくのごとき分解の結果はつひにそ円嶹に入れて圧搾することを得べし、これすべて物体 167

3. 夏目漱石全集 14

0 0 くに文学の範囲内においてのみ行はるる理法にあらざの実質を列挙して得たる結果にあらす。実質は時代に うんぬん よりて推移しつ、あるをもって一期に即してこれを検 るよりは、 別にこれを差別して文学における云々とい はず。例証するところまた他の方面にわたるやも知るするにあらざるよりは説明すべきゃうなし。 C 模擬的意識とはわが焦点の容易に支配せらるるを べからすといへども、文学的集合もまたその理法に ( 1 ) ゑんぜいはうさく ふ。支配せらるるとは甲を去って乙に移るにあたっ よって支配せらるるをもって円衲方鑿の矛盾を生ずるい ひとし 憂なきを信ず。かっこの集合的は個人の一分時におて、しぜんに他と歩武を斉うし、去就を同じうするの けるの意義を拡大せるものにすぎざるをも 0 て、後譿にほかならず。要するに嗜好において、主義におい 者に関していひうべき理法は特別の場合を除くのほかて、経験において他を模倣して起るものとす。模倣は かうゆ 移しても 0 て前者に応用しうべきものとす。吾人時に社会を構成するに膠油のごとく必要なるものなり。も 例を後者にかりて前者の活動を無断に説明することあし社会に模倣の一性質を欠かんか、引力の大律に支配 せられざる天体のごとく、四分し五裂して糅然として るべし。類推をいち / にするの熕を厭へばなり。 ぐわかい しゅゅ 須臾に瓦解す。このゆゑに学者いふ社会は模倣なりと。 学者をしてこの言を為さしむるほどに吾人はしかく模 第一章一代における三種の集合的 做を愛するものなり。 Mantegazza その著 Physzog ・ ( 3 ) ちうしん 一代における集合意識を大別して三とす。模擬的意ミミきを ( 八四頁 ) に述べて日く「稠人 識、能才的意識、天才的意識これなり。こ、に意識との中にあ 0 て火あり、火あり、と叫べ、あるひはこれ いふは意識の焦点 ( すなはち ) なることは言ふを待に加ふるに手を挙げ目を揣かすの状をもってして一散 0 0 に走れ。第一の場合にあって多数は歩を停めて、その たず。しかしてこの区別は内容の形についてこの三 種の間に存する関係より生するものにして、その内容ゅゑを聞かん。第二の場合にあっては大衆われを倒す ( 2 ) じうせん 306

4. 夏目漱石全集 14

性を具有する自然物もまた美なりと論ずる主旨を興味に下せる概則 ( 文学的内容は具体的なればなるほど情 ありと思ふのみ。むろん彼が列挙したる不可解性、可緒を惹きやすし ) を打破するに似たり。多少の弁明を 解性、不変性、不偏性等の性質はその抽象的なるにも要す。 か、はらず、皆吾人に多少具はるところのものにして、 心理の作用は、もと反射運動をもって始まること学 したがってこれ等にいくぶんの情緒を付しあたはざる者の定論なり。反射運動は盲動的にして意識せる目的 にあらす。されども、これ等に「神」 (Divine) なるを有する理なし。しかれどもその盲動なるものがおの われ 一語を冠してみよ、一語を冠すると同時にまったく吾 づから生存の目的に適応することは、その物の生存し くわんせす 不関焉の性質となりをはらん。神とは抽象の椒なり、 っゝある事実にて十分に証明せらるといふべし。され この極端の抽象体をとり来ってその属性の有無をもっ ばかゝる反射運動は一種の無意識的目的に向って作用 て自然物体の美の量を定むる櫂となさんとす、吾人のするものにして、しかもその境遇その他の種々条件に 冷静なる批判をもってすれば、そのなんの意たるやをつきては毫も介意するところなし。この反射運動に次 きた 知るに苦しむ。しかるにも関せず、この属性を標準とぎて来るべきは本能にして、これまた著しく器械的性 して自然界物象の美的価値を定めんとす。この一事た質を帯ぶるものなり。しかしてある一定の程度に進み またまもって宗教情緒が一般民心をいかに強烈に支配たる生存体にありてはこの本能の活動不要に帰するに するかを見るに足らん。 か、はらす、その運動は依然として器械的に持続する 超自然が強きはかくのごとく、知的が弱きはまものとす。約言すれば上述の反射運動、本能行為はと へに述べたるがごとくにして、しかも双方のが等しもに一の構造より生じ来るものにして、その器械的 く抽象的傾向を有するは少しく奇異の感なきにあらず。なるまた融通の利かざる点が両者に共通の性質なりと もしこの疑義につき一言することなくんは、余がさき いふを得べし。しかして後者は前者を総合したる結果

5. 夏目漱石全集 14

うんぬん なる人」と一致符合せざること多かるべく、青年のい 学者のを云々すること重複に似たれども、多少その はゆる「女」は老人のいはゆる「女」とは大いにその着目点を異にするものなれば一応の説明を試むべし。 趣を異にすべし。しかしてこれ等の差違は言語の抽象 さて文学者もしくは文学的傾向を有する人は社会の どあひ こ・、ろゅ の度合に伴なうて進むものにして、かの抽象の極なる一階級を形成するものなれば、それ等の人々の心行き 哲学のごときものにありては、たゞ一つの言葉の意義もしくは観察法を論するにあたりてはいきほひこの階 ( 1 ) かうかん に関してさへ浩澣なる大著あること不思議ならす。 級と他の階級とを比較してその類似差違を見ること最 以上を約言すれば、およそ吾人の意識内容たるは も便宜なるべし。しかして普通は文学に対するに科学 人により時により、性質において数量において異なるをもってすれば、しばらく文学者対科学者 ( 哲学者を ものにして、その原因は遺伝、性格、社会、習慣等にも含む ) につき論するところあるべし。 基づくこともちろんなれば、吾人は左のごとく断言す ることを得べし。すなはち同一の境遇、歴史、職業に 第一章文学的と科学的との 従事するものには同種のが主宰すること最も普通の 比較一汎 現象なりとすと。 したがっていはゆる文学者なる者にもまた一定の およそ科学の目的とするところは叙述にして説明に が主宰しつ、あるはもちろんなるべし。しからば文学あらすとは科学者の自白により明らかなり。語を換へ 者のとよ 。いかなるものかを検するはこの種の講義にていへば科学は "How" の疑間を解けども "Why" おいて欠くべからざる要件と信す。されども文学者の に応するあたはす、いなこれに応する権利なしと自認 は文学そのもののとなってあらはるるをもって、 するものなり。すなはち一つの与へられたる現象はい すでに文学そのものの内容を論じたる以上は今さら文かにして生じたるものなるかを説きうれば科学者の権 164

6. 夏目漱石全集 14

: い中にあってもっとも強烈なる刺 らず、次第なるを便利とす。この結論のいかに時勢の見るとき卩卩卩 : 消長を支配するかは後段に例証するところあるべし。激を与ふるものはと対照を構成する卩ならざるべか らざるがゆゑなり。のにあっては類似の性質を帯・ふる はに一定の傾向あるとき、全然この傾向に従って さから いの発展をなすあたはず、またはいくぶんかこの傾向がための傾向に逆ふことなくして焦点に上れるもの、 を満足せしめてらの発展をなすあたはずして、無関係この場合にあってはまったくその趣を異にして、これ なる、もしくは性質において反対なるドに推移する一」と対照の性質を帯ぶるがためーーその刺激のもっとも とありとせんに、このドはの傾向を無視するの点にるしきがためーーを不意に襲うて、その根拠を領 おいて、しかく強烈ならざるべからず。しからずんばし卩となるに至る。一代時運の推移におけるこの種の いきはい の発展逓大に巡行してその勢のおのづから消耗する消長はしばらくいはず、しばらく文学中において卑近 を待たざるべからず。の場合を想像するに常住座臥の例を挙けてこれを証するは余の責任なり。余はのの の際、談笑歓楽の時、試みにわが意識の連続せる波動場合を説明するに四種の連想法および調和法を用ゐた をとって検すれば、朝をタをその例は得るに難からず。り。今はの場合を解釈するに、同じく、余のいはゆる そのいもしくはらに比していづれが多きかに至っては文学的手段のあるのを挙げてこれを例するは、両者 もとより個人の資性に待っこと大なりといへども、身の関係を知るの点において読者の便宜なるを信ず。余 わか 心の活動に富めるものは老朽退嬰の人に比して比較的は文学的手段の第六として対置法を説き、対置法を分 この種の推移をあへてするがごとし。しかしてこの推って強勢法、緩和法、医対法、不対法の四種を区別せり。 移の前後を構成するおよびドに即していふとき、そ仮対法はらに属するをもってこゝに論ずるの要なしと の一般に共通にして何人をも支配すべきはとドとが いへども、強勢法および不対法 ( ことに強勢法 ) に至 ある意味において対照せる場合とす。他の点を同じとっては、まったくこの推移法に基きたる手段にほかな なんびと ざぐわ のぼ 324

7. 夏目漱石全集 14

ず。すでに二個以上の材料が総合して完全なる感興を うるかぎりの文学的内容を圧控したるが多きゅゑにた 生しうるとせば、こ、にすこぶる不思議にして、しかもうてい十分に接続の辞を使用して文字の関係を示す余 趣味ある結論に達せざるべからず。完全なりといへば、裕なく、知的解釈をもってすれば筋の通ぜざるものす (F 十 f) 十 ( F 、十 ( 、 ) の (f 十 f 、 ) を組織すると「とは こぶる多し。されど俳句家がこれを誦するのみならす、 性質上決して矛盾すべからざるのみならす、互に相救みづからこれを作って怪しまざるは無意識に感情の論 ( 1 ) ぎとう すざく はざるべからず、いなある場合においては ( 十「Ⅱ 2 ( 理を誤らざるによる。儿董の句に「名月や朱雀の鬼神 あるひはⅱ 2 ( 、の式を得ることあるべし。すなはち調たえて出ず、とあり、これもその一例なるべし。学者 和の目的上、とドとはむしろその性質の異なるを欲往々かくのごとき句に対して無理理屈の解釈を試み、 し、と卩とはできうるかぎり類似せんことを要するもし釈しえざればおのが学識の軽重を間はるるがごと まんちう の義となる。 (f 十 f 、 ) の調和近似を必要とするにかゝ く恐るるは笑ふべし。饅頭の真価は美味なるにあり、 あちは はらず - F 十 F 、 ) の関係および接立の理由に至ってはさその化学的成分のごときは饅頭を味ふものの間ふを要 のみ重きを置かざるの義となる。感情の論理 ( もしい せざるところなり。英文学にも時にこの種の作例なき たいせつ ひうべくんば ) により感情の一致を求むるは大切なれにあらず、されどもだいたいにおいて理屈の勝ちし がら ど、認識材料の性質の一致は度外視して可なりとの義柄なれば多少の知的要素を含むこと論をまたす。今適 となる。換言すれば知的論理は調和の必然的要求にあ当の例を挙ぐるあたはざるも、 ほうちゃく らずとの命題に着するに至る。かの文学中往々意味 2 the King with gathered brow. and 不明にしてしかも趣味津々たる作品に遭遇するはまっ lips はいふんがく たくこの理に本づく。その最も著しき例は俳文学にお Wreathed by long scorn, did inly sneer and いてこれを見るべし。作句は僅々十七字のうちにでき しよう 234

8. 夏目漱石全集 14

るの弊にありとす。自己が現在有するところの標準趣史は芸風 (style) の相襲を示せども、長き発展の逓次 いちゑんない 味は多く一圜内に属すべき趣味なりとす。しかして自をあらはすことなし。開化は着々として進行すること おもむ 己がこの圜内にこの趣味を ( 標準とするまでに ) 得たる、あるべし。国民の法制は間断なく複雑に赴き、間断な さか 発展の波動を逆しまに検するときは、単にこの圜中のく効果を加ふるを得べし。教育は下層に普及するを得 趣味のみならすして、層々たる波動の逆行する所々に ・ヘし。生活の程度は高上するを得べし。されども芸術 は芸術として自家特有の進路を取るにすぎず。開化は 他圜の横って存するを認めうべし。このゆゑに自己は いかに進歩するとも大ドに第二の Sophocles なく、 趣味の幾々を通過してしかして現在の圜中に入り、 現在の園中にてとくに現在の標準趣味を得たるにすぎ第二の Shakespeare なく、第二の Raphael なかるべ ず。しかるにたゞちに自己意識の過去を顧みて、そのし。芸術の士にして彼等と名声を等うするに足るもの 過去なるがゆゑにあらゆる過去の味はことみ \ く現は出でざるにあらず。しかれども、彼等の領域におい しの あた ひうけん 今より進歩せざるものと解するははなはたしき謬見なて彼等を凌ぐこと能はす、また彼等と霸を争ふことを りといはざるべからず。自己が過去に横はる趣味は単得ず。偉大なる芸術家にして今後に出現するものは新 に程度のみにおいて変遷せるものにあらす、また性質様に偉大ならざるべからす。未来の大流派は旧理想を において変遷せるは知者を待って知るところにあらず。旧時より巧みに表現することなく、新理想を新様に表 今現在の程度をもって、同性質の過去趣味を批判する現すべし。 とゞ に止めすして、異性質の過去味をも断定し、断定し「各芸風は発展して凋落すれども、芸風と芸風とは単 あひっ て幼稚なりとするは、たとひ自己の意識内に属する批に相襲ぐにすぎすして、相互に優劣あるなし。一時期 判にすぎずとするも越権の沙汰なるは争ふべからす。 の理想は当該時期の国民の歓喜を表現す。しかして歓 Sir W. M. conway かって論じて日く「芸術の歴喜に発展あることなし。情緒は長へに同一なり。たゞ たゑんよこ」 てうらく

9. 夏目漱石全集 14

説明するがために乙を使用するにあらず。甲を代表せ I like your Shro ・ ve-tide service and supply 一 きた んがために感じやすき乙を持ち来るにあらず。したが I like ( 0 hear your sweet Pandeans play 一 ってその生命は説明せらるべぎ甲と説明の役に当る乙 I like the pity in your full ・ brimmed eye; とが一致せる丙の状態のいかんによって左右せらるる I like your carriage, and your silken grey, こと少なく、むしろ甲と乙の性質いかんによってその Your dove ・ like habits, and your silent preaching 一 価値を定むるものなり。すなはち甲と乙がほとんど思 議しがたきほど飛び離れたるが興味にて、この二者を But I do ( like 0 ミ ~ ミ vg ミ 00 、 eac ミ g. 、ご つなぐ丙の性質のいかんはさほどに重要ならず。した —Hood, 70 ミ、 s. F こい st. x 三 . しゃれ がって丙の性質すこぶる薄弱なるロ合もまた単に丙が この例の結句は純然たる洒落にして正式にこの種の はじめ 薄弱なりとのゆゑをもって軽んずべきにあらず。沙翁連想に属すべきものなり。首にこれを掲げたるはその ( 1 ) げうしゃう はロ合の将なり。適当の時はむろん不適当の際にも価値以外に有名なる歴史的縁故を有するがゆゑなり。 これを濫用して憚からす。まへに挙げたる Gaunt の左にその大略を述ぶべし。一八二五年ロンドンにて出 かうしゃう 例のごときはその一例なり。 P ミは高尚なる滑稽版したる書巻のうち無名子の詩集一巻あり。収むると 雑誌として一般の歓迎を受く。しかも逐号にこれを検ころは十五編、題して 0 s ミミゝき ss & Great まれ ( 2 ) おそ すれば一のロ合なきは稀なるべし。た永久に恐れ入 PeopIe といふ。題号の示すごとく時の大家を咏へる やきしもじん ふうせんのり 谷の鬼子母神を反覆せざる以上はこの種の滑稽もまたものなり。もちろん大家中には当時流行の風船乗ある ひは講談師等ありと知るべし。しかるにこの無名子の 優に一利器たるを失はす。例として左に二三を挙ぐ。 かたじけな 1 like your chocolate, good Mistress Fry 一 詩を忝うしたる一人に名を Mrs. Fry と呼ぶ「クエ I like your cookery in every way 一 ーカー」宗の慈善家あり。この女 London の New ・ ひとり ( 3 ) 218

10. 夏目漱石全集 14

文学論 かへりみ に実行しつ、あるにも関せず人は高閣に東ねて顧ざり徳なり。 Nietzsche の語を藉りていへば一は君主の道 しなり。十九世紀に至り Nietzsche なるものあり。 徳にして他は奴隷の道徳 . なり。 したがっていはゆる道徳は皆二様の解釈を許す。吾 はじめて君主たる道徳と奴隷たる道徳とを区別し、耶 よろ みぎは . 、 蘇教徒の道徳は奴隷の道徳なるをもって、宜しくこれ人今かりに耶蘇を描くとせんに、人己の右頬を撃てば ひだりほ、 てい そな を捨てて、別に君主の道徳を樹立すべしと叫びぬ。彼左頬を出し左頬を撃てば右頬を出す底の修養を具へ虚 こっぜん のいふところはその外面に奇妙なる皮を着て忽然世に懐謙譲にして毫も抵抗することなき無上有徳の人物と 出現したるをもって、大いに一世を聳動したりといへ作り上ぐるも容易なり。または気餽なく、熱情なく、 うめづ どもその実は毫も珍らしきことにあらす。彼のいはゆ卑屈優柔にして死に至るまで愚痴を並べて婦女子のご すくひ る君主の道徳と奴隷のそれとは、社会の存在以来双々 とく神の救を求めたる軟骨漢とも書き上ぐることを得 相並んで進み来りたるものにすぎず、たヾ君主の道徳べし。耶蘇は耶蘇なり。耶蘇は一にして二あるにあら ず。されどもこの耶蘇を見るの立場の異なるより、こ はさまでこれを唱道するの必要なかりしをもってたゞ 無意識にこれを等閑視し来りしのみ。今余はこれを事の耶蘇を解釈するの見識の一に限られざるより、吾人 実により示さんがため試みに吾人の精神作用の対偶のは絶対的反対なる道徳的批判を彼に与ふるを得べし。 きょまうつら ある物を列挙すべし。意気は謙讓と対し、大胆は内気余は事実を曲げ虚妄を列ねて叙述を左右しうるがゆゑ と対し、独立は服従と対し、勇気は胤厚と対し、主張にしかりといふにあらず。事実そのものを列挙するの は恭順と対す。かくのごときものはすべて皆流俗の等みにてしかあるべしといふなり。 けんそん しく賞揚する性質にしてしかもその対偶の一は他とま およそ彼が具有したりし謙遯、温厚等の性質は一方 ったく矛盾せるものなり。一は自己を主として建立せ において吾人の賞賛に価するものなると同時に、他方 る道徳にして、他は自己以外を目的として発達せる道面においては吾人の最も軽侮する性質なるべきをもっ 113