の功徳によりて他の材料に引ぎ直さるるにあらずして、味を大ならしむべきはいふを待たす。たとひ人事的感 賓主の区別あるにもか、はらす両者並立の姿を保つも覚的材料の骨子たるべき場合といへども、各他種の材 のなり。ゅゑに前諸連想法においては両者の一に代ふ料にしてよく相調和するものを加味するは、文学上欠 るに他をもってし、調和法にありては同等あるひは主 くべからざる一技術といふべし。すなはち人事的材料 賓の関係をもって一に配するに他をもってす。ゅゑに に感覚的材料を配し、感覚的材料に人事的材料を偶す 調和法を強めて極端に至れば投入投出の諸法に近づく れば、変中におのづから一致を当〈、単調を転じて多 のみかつひには合して一となることあり。たゞ、注意趣ならしむるのみならす、彼等の独立せる場合よりも すべきは調和においては両者間の類似さまでに精密なはるかに優勢なる情緒を喚起す。この呼吸を弁ずるこ うたひぼんかたはらはんにや るを要せざるにあり。たとへば謡本の傍に般若の面をとなくしていたづらに詩興を高めんがために同種の材 けんえん 描けば、調和として成立すべきも、その一つをもって料を畳積すれば着色濃厚にすぎてかへって嫌厭の情を あた 他を説明すること能はざるは明らかなり ( 前段の諸連醸すにすぎず。調和法はこの呼吸を教ふるの技なり。 ひっきゃう 想法および調和法は読者の観察点によりて一より他にかの漢学者の詩文評に情景兼至などあるも、畢竟人事 移ることあるはもちろんなり。「花笑ふ」といふ一句的材料対博覚的材料の調和上に成功せるを賞するにす かたむき を挙して念すれば純然たる投出法なるも、もし長閑なぎす。由来わが邦人は先天的に自然を愛する傾あるが けしき る春の景色の叙景中に点出せられたる一句と観すれば ごとく、古より詩歌美文にしていまだかってこの調和 一種の調和法にほかならす ) 。 を度外視したることあるなし。人の背景には必ず自 およそ文学的材料中最もカ弱きは知的、超自然的の然あり、自然の前景には必ず人事あるを常とす。泰西 えんか ふけ 二者なれば、これ等を使用する際にはいきほひさらに の人烟霞の癖に耽ること意外に少なくしたがって彼等 有力なる感覚的、および人事的の内容を配し全体の興の作物中この種の調和を必然の要求と認めざるがごと のどか いにしへ 228
他端は全然異なれる二物の連結ならざるべからず。対 置はすなはちこの一端を意味するものにして、いはゞ 第六章対置法 消極の調和なり。両者の関係は死と生のごとし。一面 同種もしくは類似のを偶する技巧を調和法と名づより論すれば生と死は隔離せる別物にあらすして、死 けたり、異種ことに反対のを配合する場合を対置法は生の一変形たるにすぎず。憂苦も生なり、憤怒も生 なり、同様に意識の内容空虚なる時もまた生ならざる といふべし。調和法は第一、二、三種連想法の変体に して、対置法は第四種連想法を拡大せるものなるはまべからず。あたかも x=a. x=b, etc. の場合において、 うたがひ x=0 もの一価格なること疑なきがごとし。対置の へに述べたるがごとし。第四連想法とは、ある共通 たすけ 性の助により意外の二物を連結して、その差異を対照場合また同じ、 a a は重複の配合にして、 a b は最も するを主とするがごとく、対置法もまた同様の方法密接せる配合なり。下って a c, a d, a e 等よりつひ に az に至って皆一種の調和ならざるなし。しかして によりて一種の興味を喚起するをもって能事とす。な 対置法はこの極端の調和にすぎず。このゆゑに対置法 ほ数者相互の関係を弁ずれば左のごとし。 調和法の対置法におけるは第一、二、三種連想法のと調和法とはその間に顕著なる境界あるにもかはら さかのぼ 第四連想法におけるに似たり。第一、二、三が第四とず、根本に溯ればその区分すこぶる曖昧たるものある ともに両素間の共通性を待って成立するがごとく、調を免れす。 和法と対置法もまたきはめて接近せるところなきにあ かくして対置法はその形式において調和法の一変体 と見做すを妨けずといへどもその性質より論ずれば積 らす、いなある意義よりいへば後者をもって前者の一 局面と見做すさへ不容易にあらず。かりに調和に階段消両極の配合を本旨とするがゆゑにしぜんの結果とし を設くれば、その一端は全然同じき二物の配合にして、ていはゆる調和を破ることもちろんなり。前章におい
きた 法にあっては客たるべき卩まづ来って、主たるべ この両素を点検し審議し拈定してつひにこれを打して さかさ これに従ふを常とし、緩和法にあってはこれを逆まに 一丸となすの術なきに困ずるものなり。しかも彼等は てんちかいびやく して、主たるべきあって客たるべき卩これに次ぐを平然として対立してからず。天地開闢以来より対立 例とす。仮対法にあってはと卩と相待ってはじめてすべく大法によりて命ぜられたるかのごとき態度にて 新しき豊を生するを目的とするがゆゑに本位はひとり対立し、すでに対立せる後も対立せざる以前と異なる われくわんせす に存するにあらず、またひとりに存するにあらずなく吾不関焉の態度を固持す。吾人はかく縁故なき両 うたがひ して両素の共有するところなるは疑なきがごとし。こ素の、しかく卒然と結びつけられたるを驚ろきて、不 せつな の節において述べんとする不対法はとの間におい 調和の感を生ぜんとする刹那に、この縁故なき両素が て本位を定めがたき点において仮対法に似たり。たゞ いかにも自若としてその不調和に留意せざるもののご とこし とっこっ し公式をもってすれば仮対法はと卩と合して纏まり とく突兀として長へに対立するの度胸に打たれて、急 こつけい たる一種のを生するがゆゑに ( 十 ( 『 ( 、、をもってあに不調和の着眼点を去って矛盾滑稽の平面に立って窮 よろ らはしうるといへども不対法にあって両素の本位を定屈なる規律の拘東を免かれたるを喜こぶ。しかしてそ こうせう むるあたはざるのみならず、両素の抱合して一団となの結果は洪笑となり、微笑となる。これを不対法の特 けいせき るの形迹なきがゆゑに、強勢、緩和の二法に通する特性とす。この特性を有するがために不対法は先に説叙 色を失へるうへ、また仮対法の性質を帯ぶるあたはず。せる第四種の連想法と編を隔てて相呼応するものなり。 まさつら まさしげ 換言すればこの際における卩の両素は縁なきに対立「正成泣いて正行を誹めて日く」といふ。泣くの一字 して、しかく対立するも毫も感応を生ぜざるものとす。を点じえて人をしてその妥当なるを百肯せしむるに足 ら さらに換言すればこれ等の両素は相乗するあたはずまる。今この一字に代ふるにあくびをもってせばいかん、 かげん ・こじん た相除するあたはず、また加減するあたはす。吾人はさらに代ふるにビールを煽ってとせばいかん、さらに まぬ こん ねんてい おど
文学論 Come ( 0 the window, sweet is the night air 一 る哀痛の音を形容して恰好なるやいなやは論せず。か せうれう ( 1 ) ちゅうゆう く殺伐なる音響を蕭寥とも冲融とも平静ともいふべき On 一 from the long line of spray Where the ebb meets the moon ・ blanch'd sand, 光景中に点出して調和せりと思はば余は彼の配合に有 Listen 一 you hear the g 、ミ g 、 0 、 する趣味を疑はざるを得ず。しかれどもいはゆる永劫 Of pebbles which the waves draw back, and の哀音に著るしぎ読者の注意を集めて、一意にこの音 おだや どうけい のみに憧憬せしめんがために、ことさらに四囲を穏か At their return, up the high strand, にしたりといはばーー静かなる夜のうちにたゞ一つ動 はげ Begin, and cease, and then again begin, くものの感じのみを極度に高からしめんがために、烈 With tremulous cadence SIOW, and bring しき grating roa 「の文字を用ゐたりといはば、周囲 The eternal note of sadness in. ) の状況に調和なきこの二字はその調和なき点において —M. Arnold, 0 ミ、 Be =. 1 ー 14. 大いなる効力を有するものとす。読者はこの二字が全 あきら 怖かなる海、満ち来る潮、明かなる月、穏やかなる節の横はる平地より高く釣り上げられて半空に懸るを なみ 入江のうちに独り磯の小石を物む浪の音を聴く。寄せ見る。余は Arnold の意を知らざるがゆゑに、この二 ては返し、返しては寄する響を Arnold は永劫にわ字をいかに処理すべきやを解せす。しかれども論じて たる哀痛の音といふ。この哀痛の音が四辺の光景に こ、に至れば吾人の要するは常に尋常の調和法のみに ( 2 ) まんりよくそうちゅうこういってんてき 配して調和を保つの意ならば彼がこの音を形容してあらすして、時には万緑叢中紅一点的の配合を有利 grating roar といへるは当を失せるに似たり。 grat- と認めざるべからざるを知る。こ、においてか調和法 じろら ing roar とは騒がしき字面なり。落ち付かぬ字面なり。は流れて対置法に入る。 あら / 、しく活動せる字面なり。いはゆる永劫にわた ひと いそ ひヾき えいどふ よこた ・こじん キなっかノ っ 241
文学論 られつ と叫びたりと。もしこのの材料を羅列してもって てすでにしかり、ひとり作品のうへにおいてしからざ 小説の能事畢るとせば、天下にこれにまさる愚はあ るを得んや。しかしてその根底を探ぐればつひに調和 らざるべし」 法を得ざるに因す。 Anthony Trollope その自叙伝中 にいへることあり。 TroIlope の説くところはもとより調和の弁にあら 「いかに数多く恐ろしぎ件を重ねたればとて、そず。しかれども、その精神を考ふれば調和を瞋中に置 さまたげ のおそろし味がたゞ恐ろしといふのみにて、作中に かざる弊害を巧みに指摘したるものといふも妨なきに 丗丹鰰に汁粉をかけ砂糖にて煮詰めたるう〈 活動する人物に直接触るる事なければ、決して悲壮似たり。 こゝろう しゅゅ おそ と称すべからず、かっ須臾にして人を怖れしむるの金トンにて包みたるがごときを傑作と心得る人あり。 力を失するに至る。かくのごとき似而非悲劇的材料ゅゑに一言を贅す。 を一編中に収集するは毫も困難にあらず。たとへば 再び一句一節に即して調和の弁に帰る。詩歌文章の こゝに殺害されし婦人ありとせよ、しかもその殺さ期するところは読者の感興を喚起するにあり。これ前 でき・こと れしは君と同街しかも君が隣家の出来事なりとせよ、編に述べたる根本義なり。今もし一材料に伴なふ感興 またさらにその加害者はその婦人の夫にして、彼等不十分ならんか、いきほひ他の材料を付加してその欠 の結婚せしはわづかに一週間前なりとせよ、これにを補はざるべからず。しかるに同種の材料 ( 一句一節 加ふるに彼はその妻を生きながら焼き殺したりとせの際といへども理論は異なるところなし ) の反覆に弊 よ。かくのごとくして進まばつひにその材料に窮す多きこと前述のごときをもって、結局感覚的材料 ( 日 ることなかるべし。日く、先妻も同様の待遇を受け本人にありてはことに天地間の景物、花鳥、風月 ) を おもむ て死せり、日く、罪人の刑場へ赴くや、彼の唯一の用ゐて人事的材料を援け、人事をも 0 て感覚的材料に 心残りは第三の妻に同様の苛責を加へえざるにあり配するの二法は、これを調和法の秘訣とせざるべから
文学論 かげん 引「一 ( h hue like that when some g 「 eat painte 「して好い加減に各詞を連ねたること日本の俳句に似て diPs しかも一種の趣を具したるは文字の内容が情緒におい あひもど Hts 、 the 。ミミミミミミミミて相戻らざるがためなり。調和に関する弁論はほゞ大 体をつくしたり。これより作例に移る。 —Shelley, ト 4 d C ミ Can. V. 2 and Gareth 一 & the stone St. XX111. From 0 his neck, then ぎ the mere beside のごときは決して理をもって推すべからざる調和の一 Tumbled 一ご 0 一三 y bubbled up the mere. 例となすことを得んか。 —Tennyson, Ga ミミトミ 4 Buried bars in the breakwater =. 814 ー 6. And bubble of the brimming weir. この句にて、線を付せし部分がいかによく前後の Body's blood in the breakwater 「青白き波」「半ば死せし日輪、等の文字と調和して相 And a buried body's bier. 互の価値を高むるかを見よ。 Buried bones in the breakwater "'Tis thought the king is dead 一 we will not stay. And bubble of the brawling weir. The bay-trees in our country are all wither'd Bitter tears in the breakwater And meteors fright the fixed stars of heaven 一 And a breaking heart to bear.' The pale ・ faced moon looks b 一 00d on the ear th. —Rossetti, Chimes, st. vi. に至ってははたして調和法によるやいなや疑はしきに 似たりといへども形式に関係を示すべき接続の語なく お ー ~ ミミ、 4 Act II. sc. 一ド II. 7 ー 10. 235
文学論 くのごとき文学には頓才は一大勢力として珍重せらる るがためなり。 なそ とんさい 頓才の知的要素過重の極に達する時は、あるひは謎ることなきにあらざるも、これをほかにしては大なる となりあるひはいはゆる Conundrum に近きものとな価値なしといふも可なり。 る。これとともにその文学的価値は著しく減退するこ ろう と論を待たず。一般社会が小知に富み小才を弄し、区 第五章調和法 区たる前の些事に役々して、人事自然に対する熱烈 かいぎやくくわ 上述の連想語法四種のうち前三者は類似をあらはす の同情を失ひ、世間を冷評し、何事をも諧謔化せんと 欲する時、人事材料にあれ感覚材料にあれ深く探り厚ために二個の分子を結合し、第四は類似の連鎖を通し く求めて文学の真髄を発揮するに途なく、また偉大崇て非類似のものを連想するものなり。今この前者を拡 ふえん 嵩なる知的分子を認識することなし。いはんや宗教的張すればこに説く調和法となり、後者を布衍すれば 材料においてをや。か、る時代に最も称せらるるは頓次章に論すべき対置法となる。前述の連想法のを説 き 明するためにを使用するに反して、この調和法は 才すなはち Wit にして、人はたヾ気が利きたりとい まぬけやば はるるを無上の名誉と心得、間抜、野暮等の文字を厭の文学的効力を強大ならしむるために単にを配置す ふこと悪疫よりも甚しきに至る。つひには小指にて人るものとす。一例を挙ぐれば美人の憂ふるさまを形容 りくわ をくすぐる底の文章を作為して得々たるものを輩出すして梨花一枝帯雨と云へば梨花をもって美人を解する ることあり。か、る文学は常に都会の産物にして、隣がゆゑに、投入語法なり。梨花をもって美人を形容す あげあし 人と一銭の利を争ひ、込の揚足をとるをもって人生のるのみならず、梨花をもって美人の代用とせるなり。 こ、ろう ( 4 ) あけう 目的と心得る徒輩の間に発生するものなるを忘るべか これに反しまっ阿嬌の暗愁を叙し次に細雨に悩む梨花 ( 2 ) らす。江戸時代の町人文学のごときその適例なり。かを配すれば調和法となる。この場合には一材料が類似 みち とん 22 /
付けてこの苔をことみ \ く掻き払ふつもりなりと答へざるものはほとんど美文としての価値なきがごとくに たるを記憶す。これ等はもとより文学趣味なぎ人につ思惟するは当然なり。この調和なき泰西の文字に対す あやま いての例なればこれをもって一般を評するは過てりとるとき物足らぬ感を生ずるもまた当然なり。 いへども、か、る類の人が比較的にわが邦より多き 自然を調和の一要素と見做して東西を比較すれば余 ・こびう は争ふべからざる事実なるべし。したがってかの国のの所論はだいたいにおいて誤謬なきを信ず。たゞし調 文学にあらはれたる自然は吾人にとりて多少物足らぬ和の材はかくのごとく狭きにあらず。その応用の範囲 心地なきにあらず。これに反して吾人は上代よりの習もまた一句一節に限るにあらず。もしこれを布衍すれ 慣性に支配せられて、天地風月をもって文学の八分をば各章を通じて一編の長冊子を貫くに至るべし。たと 構成せらるるものと信じ、、 しざ咏歌作文となれば自己へば小説の作家その作物の興味を高めんがため、調和 に趣味あるとなきとを間はす草露、虫声、白雲、明月の法を解せずして、同様の境地をみだりに畳積して顴 なまぐさばうす あきら を排列して顧みず。その状あたかも腥坊主が即座に蛸みざるがごときは明かにこの法を破るものなり。卑見 しゅしようげ の足を捨てて、法壇に殊勝気なる念仏を唱ふるがごと によれば Richardson の Clarissa ミ、 ~ ミきもしくは し。彼等はたゞ器械的に文学はかくせざるべからざる Pa ミ e ぶのごときは現にこの弊に陥るものなり。、こ ものと飲み込むがゆゑに、他の方法より生ずる効果をづらに情緒の強烈なるを欲して同輙の材料 ( たヾしこ ( 1 ) ちどり ことみ、く犠牲に供しても徹頭徹尾詩語ーー・・鵆といひ、こにいふ材料はまへに挙げたるそれ等より少しく意味 あま かるも 海士の刈藻といひ、配所の月といひーーを口にせざれを広くせるものと知るべし ) を一巻のうちに集中して ば已むあたはざるなり。これ東洋人の弊所なり。しかむりやりに同情の涙を読者より請求せんとするは策の してその弊の出づるところをいへば自然を過重したる得たるものにあらざるのみか、趣味あるものをして不 まゆ に由る。したがって自然の色彩をもって調和の配とせ快の眉をひそめしむるにちかし。人事交渉の際にあっ っ こゝち えいか たこ みな ひけん 232
こは人事に景物を配合せるものにして、日本人のも っとも喜ぶところなり。 ま Gather ye Rose ・ buds while ye may, OId Time is still a ラ「 ing 】 And this same flower that smiles ( 0 day, TO morrow will be d) 「 ing. Then be not coy, but use your time And while ye may, goe marry 】 For having lost but once your prime, You may for ever tarry. —Herrick, TO the ま g s 》ざ」く e ミミ、 T ぎミ . この調和はその両分子たる小女と薔薇に対する情緒 の一致を得たるのみならず、両者の性質もまたすこぶ る近似するをもってほとんど投入語法と称して不可な きものなり。 ま The wan moon is setting behind the white wave, ま Aft hae I rov'd by bonie Doon. 、 ro see the ′V00d ・ bine twine, And ilka bird sang 0 its love, トど ld sae did 1 0 ・ mine. ・ ー . 》 The B ミ ~ 0 ・ 00 ド この二例のごときも自然を配したる調和として吾人 のもっとも喜ぶものといふを得べし。かっその投入法 に接近せる点において前例に似たり。 ま At Aershot, up leaped of a sudden the sun, And against him the cattle stood black every one, TO stare thro' the mist at us galloping past," —Browning, 0 ミ T 0 、ミお the Good News etc. のうち "leaped" の一字は、よく三人の騎馬武者が 懸命に疾駆するさまに調和しえて巧みなり。あるひは And time is setting with me, Oh 一ご 236
解するように形式の間題でなく、内容の間題である。興の強化を期することである。 「写実法」をここに置くことは、ふつうの写実主義の そして、それは大部分「観念の連想」を利用するもの であるというのが、彼の根本的見解である。すなわち概念からいうと、一見奇怪であるが、漱石は材料とし 作者がみずから体得した情緒を読者に伝達して感動さて日常眼前のもの、手法として実世界の表現法をその ままに踏襲する方法を写実法とした。それは無芸で他 せるためには、彼自身の既知の領域を読者の未知の領 ロオしが、自然に近く、平淡のうちに意外の深さを 域に移入させることが必要である。そのような連合的奇はよ、 寓しうる手法である。すなわち与えられた材料をどの 侵入を目的とする方法が、修辞法なのである。 この見地から在来の修辞論の用語とはちがって「投ように表現するか、その効果はどういうものを得るか という点では、「投出語法」以下と並置され得る修辞 出語法」「投入語法 , 以下の命辞となってあらわれる。 「投出語法、とは普通の擬人法であるが、それは既知の法と見たのである。 修辞法の最後としての「間隔論」は間隔・距離によ 人間情緒を人間以外のものに投入しようとするもので、 物体と自己の間に適刧な類似を指示し発揮するものでる幻惑を中心とする。すなわち、時間の短縮法として ある。「投入語法」とはその逆で、自己を説くに物をは歴史的現在の叙述があるのに対し、空間的短縮の方 もってするものである。以下「自己と隔離せる連想」法としては、読者と著者を同一立脚地に置く、い著 「滑稽的連想」「調和法、「対置法」「写実法」等が彼の者が編中の人物と融化すゑの二方法をあげている。 歴史的現在は、余人でない、漱石の創作が多用し、 立てた部類である。いずれもこの見地から解説してい るが、調和法とは二つの刺激が相互に重なり、調和す実践したところであるが、漱石はこれを「陳腐なる技 ることによって快感を得る方法であり、対置法とは両巧 , として説明を省いている。しかし今日の文体論者 者がはなはだしくちがっており、対比の原則により感は、あらたな観点からの分析によって、「陳麕なる技 4 幻