ちょうろう 略すことにして、ひとっ料理屋に特有な面白い話をし 滑稽的に嘲弄し返したところがある。 しゅし 大に酒肆 (tavern) のことを少しお話しよう。これてお仕舞にする。当時の料理屋の主人は客引きという きそ は字の示すがごとくたゞ呱だけを飲んで雑談冫 こ時をようなものを雇い込んで、競うて客を呼び込んだので くにやどひき 移す簡略の場所ではない。飯を食って酒を飲む料理店ある。その様子がちょっとわが邦の宿引に似ている。 きやくひき である。もっとも現今使用する tavern という字を見この客引を「テコイダック」というので、日本でいう ( 2 ) むくどり ると田舎の安っぽい料理屋のような気がするが、当時と椋鳥をかける男という意味になる。その有様を書い の酒肆すなわち十八世紀のいわゆる酒肆は特別の意味たものにこんなのがある。 を有しておったものと解釈するのが穏当である。さて ま They are for ever establishing clubs and この酒肆へも人がだいぶ入り込んだようにみえる。 friendly societies at taverns, and drawing tO ョンソンは「酒肆の腰掛は人間の幸福の王冠なり」と them every soul they have any dealings or ac ・ 言ったことがある。「適意なる酒肆または旅館より受 quaintance with. The young fellows are mos ( sure くる大幸福を、何人もこの世において発見せることな to be their followers and admirers, as esteeming it a great favour tO be admitted amongst their し」と言ったのもまたジョンソンである。ジョンソン seniors and betters, thinking ( 0 learn tO know は料理屋がよほど好きであったとみえる。ジョンソン とかゴールドスミスとかいう連中は金さえあれば、こ the world and themselves••••••ln a morning there IS no passing through any part 0f the town んな所へ入り浸りにはいり込んで呑み食いに日夜を送 って喜んでおった。これを他の言葉で言い換えると彼 without being hemmed and helped after by 学 等は根本的に都市的趣味に渇仰していたということに locusts from the windows Of taverns, where they 文 なる。会食の有様などは珈琲店と大同小異だろうから post themselves at the most convenient views ( 0 なんびと の
ころーーースウイフトの用語の卑猥なることーーーその例 『ガリヴァー旅行記』 梗概ーー 、パットーーーープ . ロプディングナッグー - ー一フ ピューターー日本ーーーフーインムスーー「ガリヴァ 1 」 の批評 ( 一 ) 『ガリヴァ 1 』の『桶物語』に優る理由ーーその 例・ーー小人国王の勅ーーー大人国へ渡る時の感想ーー普 遍的興味を欠く風喩ーーーその例 ( 一 l) 『ガリヴァー』の風刺とアデイソンの風刺との差 3 広狭深浅の差ーー彼等の態度ーー浅薄と深刻 の弁ーーー文学の読者ーー・文学と娯楽ーー愉快の意義ー ースウイフトの作の愉快にして同時にまた不愉快なる 所以の説明ーーアデイソン、スウイフト一一人の与うる 愉快の比較ーーーおよび愉快不愉快の対照ーー・・アデイソ の書ぎたる供楽部の話とスウイフトの書きたる叙述 との対照 一一九七ー三一 0 (lll) 冷刻なる大儒主義・ー・・・・風刺の種類ーーー風刺その ものを目的とする風刺ーー風刺を受くる本人の利害に 無頓着なる人ーー・その種類ーースウイフトは如何ーー 彼の特色 ( 四 ) 余所々々しき書き振ーーー詩的なる個所の少なき ことーーその例 ( 五 ) 老巧ーー・グレイのポスウ = ル評ーーー毒悪なる風 刺と平易なる表現 スウイフ ( 六 ) 普通の人にあって風刺は変態なり 日にあっては常態なりーーその例 ( 七 ) スウイフトの想像ーーーコールリッジとの比較ー ースウイフトの想像力について注意すべき一一点ーー・数 字的叙述 第五編ポ 1 。フといわゆる人工派の詩 ポ 1 プに対する一般の批評ーー著者の立場ーーポープ の作物一覧ーー一、「牧童歌』ーー一「「批評論』 四、「ウインゾーの森』 五、 三、「盗人』 「ほまれの殿堂』ーー六、「アベラードに送れるエロイ ザの消息』と『亡き薄命の女を弔う歌』ーー七、Ⅱ 剌日の「イリャッド』 八、同「オデイセイ」 九、『ダンシアッド」 一〇、『尺牘集』 「人間論』 一一「「ホレースに傚いて』ー」以上の 梗概の必要なる所以ー・ー英国批評家の批評の日本人に 適せざる理由ーー著者の賞翫的態度を離れて梗概より 出立する理由ーーー文学の四要素およびその批評ーー刹 ープについて著者の適用したる分類法ーーポ 1 プの詩 における知的要素という意味ーー・・ポープの詩の分類ー ーこの分類より出ずる結論 一、ポー。フの詩には知的要素多し 三一七亠一三一 = 三七ー三四一 亠一三六 三毛 0
注 ゆる清教能である。この前後すなわち十七世紀から十八 正天皇 ) 御所は青山御所であった。 世紀初期にかけて、イギリスでは国王と議会との対立抗 ( 2 ) 分け引き分け。 みそほぞ 争が、以上三つの宗教問題とからんで行なわれていたの 三 0 七 ( 1 ) 溝と臍のように「臍」はふつう「柄 . 一と書き、 である。 二つの木材・石材などを接合する時に一方の材に作る突一 しるけ 一一公一 ( 1 ) 汁気うるおい 起。「溝」はそれを差入れるためにもう一方の材に作る からよう せんたくや 一一会 ( 1 ) 洗濯屋の唐様「唐様」は書道における中国風 これは帰国して の書体で、主として江戸中期に行われた明風の書体をい 三 0 九 ( 1 ) フーインムスの友人は : う。 scrawls の訳語に当てている。 からの英国の友人たちである。 いっきゅう ( 2 ) のでん野天。 三一一 ( 1 ) 一休応永元年ー文明十三年 ( 1394 ー 1481 ) 。禅 おお 宗臨済宗の名僧。京都大徳寺の住職。詩・狂歌・書画に 一一九一 ( 1 ) 耳を掩うて鈴を偸む鈴を盗むのに、人が聞 巧みであったが、頓知噺で知られるように、奇行に満ち くのをおそれて自分の耳を掩うこと。けつきよく人に知 た逸話が多い。 られてしまうことでも、自分の悪いことはなんとかして おおくぼひこざえもん 隠したくなる、ということのたとえ。 ( 2 ) 大久保彦左衛門永禄三年ー寛永十六年 ( 一 560 をいせいもんふくわうてい ー 1639 ) 。名は忠教。徳川家康・秀忠・家光の三代の将 一五四 ( 1 ) 睿聖文武皇帝皇帝の徳をたたえるいい方。文 武両道にすぐれている、の意味で、唐の憲宗の尊号とし 軍に仕え、天下の御意見番として奇行に満ちていたと伝 えられている。 て用いられていたもの。 じよう・こう ( 3 ) 定業は五十年人生五十年の意味。「定業」は、 一一犬 ( 1 ) 唐虞三代の世「唐」は帝堯陶唐氏、「虞」は帝 この世の苦しみを受けるべく定められている因縁のこと 舜有虞氏、「三代」は夏・殷・周をいう。いずれも仁徳が で、人生をいう。 あまねく行きわたり、教化の大いに行なわれた治世のこ かんちがい ( 4 ) 疳違ふつう「勘違」と書く。 れいしよう 三 0 四 ( 1 ) 東宮御所皇太子の御所。当時の皇太子 ( のち大三三 ( 1 ) 冷峭寒気のきびしいこと。
注 一七四 ( 1 ) ・、 の先駆で、翻訳家としてもすぐれた。 footmen ( 英 ) 。 一七一 ( 1 ) フートメン つんぼさじき ( 2 ) 聾桟敷劇場の正面階上の後方にある最下等の 見物席。役者のセリフが良くきこえないので、俗にこう レーン座 Drury Lane Theatre ジェイムズ一世の時代からその名のあるロンドンの劇場。 現在の建物は一八一二年の建築。ここで活躍した俳優に は・フース、ギャリック、シドンズ夫人、ケン・フル、キー ンなど一代の名優が多い。 一七一一 ( 1 ) 土間 ( 英 ) 。 stall ( 英 ) 。 ( 2 ) 上等土間 こうせき ふつう「ロ跡」と書き、元来は歌舞伎の 一七三 ( 1 ) ロ迹 セリフ回しをいう。 ~ しよそく ( 2 ) 緩急舒促「緩」「舒ーはともにゆるやかなこと。 「急」「促」はにわかにせまる意味。すなわちあるときは ゆるやかに、あるときは急速に変化すること。 どんちょう ( 3 ) 緞帳「小劇場」の意味。「緞帳」がもと引幕使 用を許されない下等な芝居小屋で用いられた歌舞伎の垂 幕であったところから来たことば。 ソロミュ 1 の市 BarthoIomew Fair へ ル ノ丿ー二世のころから毎年旧暦の八月二十四日、聖・ハ ソロミュ 1 節の季節にロンドンの Smithfield にある聖 ーソロミュ 1 修道院に立った市。一八五五年まで続い て繁栄した。 St. BarthoIomew ソロミ ( 2 ) セント・・ 聖書では十二使徒の一人 ( マタイ伝十章三節、マルコ伝 三章十八節、ルカ伝六章十四節、使徒行伝一章十三節な ど参照 ) 。 かけしば、 ( 3 ) 掛芝胖小屋掛芝居。仮小屋で行う安芝居。 ( 4 ) 名題役者元来は、歌舞伎で名題看板に名前の 書き出される資格を有する役者をいうが、ここは、単に 幹部俳優のことをいっている。 一七五 ( 1 ) サザークの市 Southwa 「 k Fair サザックは ロンドン、テムズ南岸に沿い London Bridge から Blackfriar Bridge に至る一帯の地域。 くまたかば、あ ( 2 ) 熊鷹婆熊鷹のように貪欲そうな老婆。 メーフェア ( 3 ) 五月の市 Mayfai 「はロンドン、 ( イド公園の 東側、リージェント通りまでの地域。ステュワート朝以 来ジョージ三世の治世のころまで毎年五月にここで市が 立った。 ヘルス・リゾーツ ( 4 ) 保養場 health 「「 ( ( 英 ) 。 ュ イ 73
きまもんく きわま 不条理、不合理極った精神錯乱の所為に違ない。 this る果し状はたいてい極り文句を並べたものだが、その しよかん chimerical g 「 oundless humour である。 this unchris ・内容をあからさまに書けば、こんな不合理極まる書簡 こつけいてき スティールは滑稽的にその手紙を作って、 になる。 tian-like and bloody custom である。スティ おおや ろうしゅう は『タトラー』の紙上に号を重ねてこの陋習を攻撃しこれを公けにした。 ている。 Sir,—your extraordinary behaviour last night, ちょっと当時の決闘に立ち戻ってお話をするが、決 and the libe 「を you we 「 e pleased 5 take with ィーレこよ 】 makes me this morning gwe Ot1 this, ( 0 闘に satisfaction という一一一口葉がある。ステ 第一この字が気に食わなかった。まずこ、に正直な田 tell ou, because ou are an 三・b 「 ed puppy' 一 舎の紳士があるとする。それがいわゆる当世流の will meet ou in Hyde ・ pa 「 k an hou 「 hence; and men of honou 「となんかの縁故で一座になる。そう because you want both breeding and humanitY' I desire you would come with a pistOl in your して侮辱される。侮辱したほうは、故意に侮辱を加え たことを自覚している。その一人が翌朝になって、侮 hand, on ho 「 seback' and endeavou 「 5 shoot me 辱された当人へ手紙を付ける。その文句にはいつなん th 「 ough the head' ( 。 teach you more manners. If you fail 0 ( doing me this 它き su 「 e. 一 shall say' どきでも御満足のゆくように取り計いますとある。 ( 「 eady ( 0 give him sa ( 一 sfaction. ) 手紙をつけられ you a 「 e a rascal' on every POSt in town and ありがたしあわせ なかしんし 00 , sir, if ou will not injure me mo 「や一 shall た田舎紳士こそ難有い仕合である。 きよう あ 「ゆうべ never forgive what you have done already. PraY' 評昨夜はさんざんな目に逢う。今日は決闘をしろとい 要するに御満足を与えるという意味は殺されてし sir, d0 not fail 望 getting eve 「 Y thing 「 eady; 幻 文 まえという意味と同じことになる。かゝる場合につけ and you will infinitely oblige' sir' ou 「
寓している。その大胆にしていかなることをも写して一枚には女房が毒を仰いで死ぬところが描いてある。 ゅびわ らぬことは、彼の画集中の『前』 = B 。、。「。 = と『後』そこへ阿爺が来て娘の手から金剛石の指環をはずすと : 、をと名づけられたる一一枚が発売禁止を命ぜられ いうたような皮肉がある。この絵は今でも National たのでも分かる ( たま / \ 坊間にこの二枚入りのまゝ Galle に懸っていると記憶する。この外にもえ の画集が出るとすこぶる高価に売れる ) 。のみならず P き g ミごことかま H ミ・、。冫 Progress" とかいうのがある。 ・フログレスとは経歴とか、一代記とか訳すべきもので、 彼は絵をもって、絵の本分以外なる事件の発展をさえ しようが、 にうとうじ 描こうと試みた。有名なるさ会 6 å M 。トごな前者はすなわち放蕩児の生涯を、八枚続きに延ばした むすこ 財産を相続した、のらくら息子が、芸人幇 どは六枚続きになっている。これはある富貴な貴族がもの、 ありさま 結婚をするはじめから、結婚後の家庭の有様を通して、の類を呼び集めてむやみに散財をしたり、茶屋酒を ついに不幸に終るまでの経歴を、彼一流の風俗画で示浴びたり、賭へ行ったり、借金で牢へ入ったり、最 きようてんいん ( 2 ) したものである。第一は結婚の約東の場。第二は朝飯後に狂癲院へ送られて、市が栄えるまでを順々に描き なまえ ていしゅふつかよい の場で亭主は宿酔、女房は欠伸の簽両人とも冷淡で分けたものである。後者はすなわち名前の示すごとく、 むとんじゃく じようあ、 無頓着でどう見ても夫婦の情合しいものが現われて売女の一生を前同様の筆路をたどって、容赦なく写し とうじん おらないところ。第三はすでに財産を蕩尽した亭主が出したものである。 にようぼう ホ 1 ガ 1 スの画は疑もなく卑猥である。ある点に至 健康を害し医者に見てもらってる図。第四は女房が自 おくめん しんしやく おおぜいあっ うらっ 宅で大勢を聚めて放埒を尽して遊んでいるところ。第ればほとんど残忍に近い感を起す。障面もない斟酌も 論 ない画である。のみならず、故意に、もしくは無理無 五は女房の不義をしているところを見付けて、亭主が 学剣を抜いて飛び込むと、かえって姦夫のために刺され体に、露骨を衒いすぎるから、一種の意味の理想画で、 て無惨な最後を遂ける。第六すなわちいちばん仕舞のまた一種の意味の写実画および風俗画である。それで かんぶ ら ろう 131
ものである。条令は懲罰を控えて、禁圧の意をほのめられる広い世界を、たヾ道徳の二字で貫いて、なんで かすものである。自由意志を誘って、有機的に人の未もかんでも道徳的に眺めている彼等の平面的眼界、直 コーヒーてんありさま 来の運命を改造するものではない。一言にしてその弊線的視線である。私は彼等が珈琲店の有様から、女子 の帽子、肉刀肉叉の置き方に至るまで、あらゆる日常 をいえば、非芸術的である。アデイソンとスティール りようけん の訓戒的方法は、前段に例証した彼等のロ気と態度との瑣事を書き連ねたのを非難する了見は少しもない。 てんまっ めいれ・ト - ら・ によって明瞭であるが、そのあからさまなる忠告的の私のようなものはこの瑣事の顛末を読んですこぶる興 す 言説を付加するところが条令とよく似ている。異なる味を感する一人である。たゞなせ彼等がすべてを綜ぶ るに道徳の二字をもってして、万事を善悪の標準で律 ところは懲罰の項を省いただけである。 方法の非芸術なところがすなわち私のもっとも諸君しようとしたかを疑うのである。彼等の訓戒を聞くた びに、彼等の世界観はこれほど狭かったのかと驚ろく に御注意したい点であるが、これはまえに引いた例、 ホークナイフ くらいである。もしそうでないと、彼等の存在してい たとえば、肉叉と肉刀の置き方が迷信的なので、家へ めいそう 帰って、深き冥想に沈んだとか、女は女らしく自家のた社会はいかにも狭くて窮屈なものであったという気 いつばんあきら 服装をしているほうが見好いとかいう文章で一斑は明になる。 なかば かであるから、その点はこのくらいにて置くことにすむろん人生の半は行為から成り立っている。その行 ひょうまう る。それから彼等の標した道徳は、日常の礼儀作法為の半ばは道徳的意義を帯びたものが多い。また研究 さまっ に関する瑣末なことで、それより以上に大なる問題をしてみると存外妙なところにこの意義を認めることが 評捕えていないということも前段でほゞ御了解になったできる。筆を執り文を草するものは、暗にこの意義を 認めながら、無意識にあるものを叙述している場合が ろうと思うから重複を避けて前へ行く。 文 たヾ残るものは、横からも、縦からも、斜めにも見多い。たとえばこ、に一人の男があったとして、その ら ひとり おど 225
ることを好むのか。「面白味のまったくない文学は成立することはもちろん、想像することさえで きない」と漱石は論理を進めていく。この相対的な評価の間いかけは、今日の日本の文学社会にも あてはまりそうである。アデイソンなど、雑誌「タトラー」「スペクテータ 1 」「ガーディアン」に 拠り、当時のロンドンの都会風俗や流行の中に棲息した wits の作家たちにも、かなり仮借ない筆 がさかれているが、何より興味を唆るのは、かれらの紳士ぶりの臭みや、溜り場になった珈琲店な どの風俗がじっくり描かれていることである。個々の作家論に入るまえに、十八世紀の状況一般と して、ロック、・、 ヒ、ームの哲学、政治、芸術のほか、珈琲店、洒肆および倶楽部、ロ ンドン、ロンドンの住民、娯楽まで綿密に触れており、その驚くような知見のゆたかさは、講義の 前説に勿体ないほど、漱石の作家的な目配りが生きている。 最後の「ロビンソー ・クルーソー」の作者のデフォー論には、その「乾燥無味」な文章への漱石 の嫌悪が、あきらかに感じられる。そんなデフォ ーが「写実家の泰斗」と言われたことに対して、 反駁する次のような一節も、今日の日本の状況に適用できそうである。 「書かないで済むこと、書いて邪魔になること、よけいなこと、重復することを、遠慮なしに書 いて、これが写実だというならば、その写実とはほかになんの意味有していない、ただ小説にな っていないということになる。 : : : 小説とはいわないで、日記とも覚帳とも報告書とでも名づける が可い。実際天下に報告書より写実なものはないのである。」
くると同時に分類も立たぬ、 ディレンマ 前の方が「窮地」であり、後の方が「板挾みーなのは、「英文学形式論」が学生の皆川正禧の講 義筆記のせいとも思われるが、しかしこの二つの文章の意味するところは、結局同じである。 漱石が負ったものは、本来、客観的な言葉でとらえがたい文学を、「活きた」まま、科学的な分 析的な論理で掬いとろうとする板挾みだからである。「学間」という枠のために、自分の言葉で死 物に変えたものを、同じ言葉で蘇生させようとする背反ともいえる。「活きた文学」に鋭敏な感受 性をもつほど、死にかけた生命を蘇らすために論理の苦闘をしなければならない。そんな異様な回 転と生真面目さが、これらの評論の行間から浮んでくる。それはまた、学者としての漱石と、作家 としての漱石のせめぎ合いと言ってもいい。 学問として見れば、今も昔も学者が研究上の方法や論理的基盤をゆるがせにして、ただ曖味な印 象の論評をくり返すことの多いなかで、ここでの漱石の態度には、一貫して方法の根底を据えよう という誠実さがみえるが、しかし、エッセイとしての魅力が現れるのは、作家の漱石がそれを押し のけて、顔をのそかせる時である。 たとえばスウイフトを論じたなかで、「画家が色を殺して色を出すごとく、筆を殺しているとこ ろが妙である。もっともスウイフトの天性がこうできているのか、または故意に筆を殺したのであ るか」と書き、感情的な言語は虚偽の言葉におち入りやすく、見たままに書いたことはあきない、 ジレマ イ 5 イ
「英文学形式論」では、先ず「文学」についての種々 の定義を紹介し、その粉々として定まらない理由が、 創作としてのクリエーティブな面からと、読者として のアプレシェートする面からの立場のちがい、あるい は内容に偏し、或いは形式に偏するという根拠のちが いにあると推定し、その結果として文学を Form と 吉田精一 Matter に大別し、先す Form について概説したの 「英文学形式論」は、漱石がイギリスから帰り、東京である。 帝国大学文科大学の講師となって、英文科学生のため形式を論じるについては、文学の形式とは何か、と にはじめて講じた講義の筆記である。この講義は「英の設間に答えることが必要である。形式と内容とが文 文学概説、の題目のもとに、四月から六月までの期間学において区分し得ないものである以上、便宜的に両 にかけて行われた。当時の大学は九月から新学年がは者を分けるとしても、両者の相関関係については一応 じまり、六月に終ったので、漱石は同年の九月から改説くところがなくてはならぬ。しかし漱石はそれをし めて、三十八年の六月まで新しく「文学論」の講義をていない。「常識をもってこの区別を立てるのた」と 言い切っているのみである。さすがに漱石は最後にそ はじめた。それは勿論独立した文学の本質論ではあっ の不備に気づいて、「こ、に不都合なのは形式を述べ たが、ある意味では、「英文学形式論」の連続でもあっ た。即ち「文学論」に欠くべからざる文学の定義につるのにその定義から出発せなんだことである」と言っ いては、一応「英文学形式論」に譲ったという形になている。実は文芸学もしくは文学論においては、そう かんたんに形式と内容とは所置されるものではなく、 ったからである。