( 4 ノ 「まず古来の賢哲が女性観を紹介すべしと書いてある。 「。ヒサゴラス日く、天下に三の恐るべきものあり、日 いかね。聞いてるかねー く火、日く水、日く女」 「みんな聞いてるよ。独身の僕まで聞いてるよー 「ギリシアの哲学者などは存外迂濶なことを言うもの ろく ( 2 ) 「アリストートル日く、女はどうせ碌でなしなれば、 だね。僕に言わせると天下に恐るべきものなし。火に 嫁をとるなら、大きな嫁より小さな嫁をとるべし。大入って焼けす、水に入って漑れず : : : 」だけで独仙君 きな碌でなしより、小さな碌でなしのほうが災少なしちょっとゆき詰る。 「女に逢ってとろけすだろう」と迷亭先生が援兵に出 「寒月君の妻君は大きいかい、小さいかい」 る。主人はさっさとあとを読む。 ( 5 ) 「大きな碌でなしの部ですよ」 「ソクラチスは婦女子を御するは人間の最大難事と言 ( 6 ) 、こりや面白い本だ。さあ、あとを読んだ」 えり。デモスセニス日く、人もしその敵を苦しめんと けんしゃ 「ある人間う、 いかなるかこれ最大奇跡。賢者答えてせば、わが女を敵に与うるより策の得たるはあらず。 ( 7 ) こん ! いた あた 日く、貞婦 : 家庭の風波に日となく夜となく彼を困憊起っ能わざる ( 8 ) 「賢者ってだれですか」 に至らしむるを得ればなりと。セネ力は婦女と無学を ( 9 ) 「名前は書いてない」 もって世界における二大厄とし、マーカス・オーレリ せんばく 「どうせ振られた賢者に相違ないね」 アスは女子は制御し難き点において船舶に似たりと言 ( 3 ) 「次にはグイオジニスが出ている。ある人間う、妻を い、プロータスは女子が綺羅を飾るの性癖をもってそ めと てんびん おお ( Ⅱ ) ろうさく 娶るいずれの時においてすべきか。グイオジニス答えの天稟の醜を蔽うの陋策にもとづくものとせり。のア て日く、青年は未だし、老年はすでに遅し。とある」 レリアスかって書をその友某におくって告げて日く、 「先生樽の中で考えたね」 天下に何事も女子の忍んで為し得ざるものあらす。 ( 1 ) 0
くなったとみえる。たゞ独仙君のみは泰然として、あ う」と主人がとう / 、、我がしきれなくなったとみえ したの朝までも、あさっての朝まででも、いくら秋のて言い出した。 けしき 日がかん / ( 、しても動ずる気色はさらにない。寒月君「やめちゃなお困ります。これからがいよ / く、佳境に 入るところですから」 も落ち付き払ったもので 「いっ買う気だとおっしやるが、晩になりさえすれば、 「それじゃ聞くから、早く日が暮れたことにしたらよ かろう」 すぐ買いに出掛けるつもりなのです。たゞ残念なこと には、いっ頭を出してみても秋の日がかん / \ してい 「では、少し御無理な御注文ですが、先生のことです るものですから いえその時の私の苦しみといった から、枉げて、こゝは日が暮れたことにいたしましま ( 1 ) ら、とうてい今あなた方のおじれになるどころの騒ぎう」 じゃないです。私は最後の甘干を食っても、まだ日が 「それは好都合だ」と独仙君が澄まして述べられたの ( 2 ) げん懸ん 暮れないのを見て、法然として思わず泣きました。東で、一同は思わずどっと噴き出した。 風君、僕は実に情けなくって泣いたよ」 「いよ / 、夜に入ったので、まず安心とほっと一息つ しようらい ( 3 ) くらかけ いて鞍懸村の下宿を出ました。私は性来々しい所が 「そうだろう、芸術家は本来多情多恨たから、泣いた きらい じんせきまれ ことには同情するが、話はもっと早く進行させたいも嫌ですから、わざと便利な市内を避けて、人迹稀な寒 ( 4 ) かぎゅういおり のだね」と東風君は人がいから、どこまでも真面目村の百姓家にしばらく蝸牛の庵を結んでいたのです・ : で滑稽な挨拶をしている。 おおげさ 「進行させたいのはやま / \ だが、どうしても日が暮「人迹の稀なはあんまり大袈裟だね」と主人が抗議を ぎようさん れてくれないものだから困るのさ」 申し込むと「蝸牛の庵も仰山だよ。床の間なしの四畳 「そう日が暮れなくちゃ聞くほうも困るからやめよ半ぐらいにしておくほうが写生的で面白い」と迷亭君 ふ 2
せつかち って、ふわ / 、する」 「先生はどうも性急だから、話がしにくくって困りま 「そりや、聞いたよ」 「なんべんもあるんだよ。それから床を出て、障子を「聞くほうも少しは困るよーと東風君も暗に不平を洩 あけて、甘干しの柿を一つ食って、また寝床へはいつらした。 て、早く日が暮れればい、と、ひそかに神仏に祈念を「そう諸君がお困りとある以上は仕方がない。たいて こらした」 いにして切り上げましよう。 要するに私は甘干しの柿 のきば 「やつばり、もとのところじゃないか」 を食ってはもぐり、もぐっては食い、とう /. 、軒端に 「まあ先生そう焦かずに聞いてください。それから約吊るした奴をみんな食ってしまいました」 三四時間夜具の中で辛抱して、今度こそもうよかろう「みんな食ったら日も暮れたろう」 とぬっと首を出してみると、烈しい秋の日は依然とし「ところがそうゆかないので、私が最後の甘干しを食 て六尺の障子へ一面にあたって、上の方に細長い影が って、もうよかろうと言を出してみると、相変らす烈 かたまって、ふわ / ( 、している」 しい秋の日が六尺の障子へ一面にあたって : : : 」 「僕あ、もう御免だ。いつまでいっても果てしがな 「いつまでいっても同じことじゃないか」 「それから床を出て障子を開けて、椽側へ出て甘干しい , 「話す私も飽き / 、します」 の柿を一つ食って : : : 」 あ「また柿を食ったのかい、 どうもいつまでいっても柿「しかしそのくらい根気があれば大抵の事業は成就す 猫ばかり食ってて際限がないね」 るよ。だまってたら、あしたの朝まで秋の日がかんか 物「私もじれったくてね」 んするんだろう。ぜんたいいつごろにバイオリンを買 「君より聞いてるほうがよっぽどじれったいぜ」 う気なんだい」とさすがの迷亭君も少し辛抱しきれな 3 引
注 れて、切らる、時に、電光影裏斬一一春風一といふを作りた れば、太刀をば捨てて走りたると也」 ( 沢菴和尚『不動智 神妙録』 ) 。無学禅師は無学祖元 ( 一一三五ー一二八 北条時頼に招かれて来日、建長寺五世を継ぎ、円覚寺を 創設した人。 あばたらら 一一五一 ( 1 ) 痘痕面漱石のあばたは有名だった。 ( 2 ) 日英同盟明治三十五年 ( 一九〇一 I) にイギリス と日本との間で結ばれた同盟条約。 しゆとう ( 3 ) 二の腕腕の上半分をいう。種痘のことをいった もの。 一一五一一 ( 1 ) 誓って落日を : : : 已まず絶対に落ち目を全盛 の状態に盛り返さないではおかない。 ( 2 ) 万古不磨いつまでも磨減せぬこと。 やまふしちょう ( 3 ) 山伏町新宿区山伏町。 あさだそうはく ( 4 ) 浅田宗伯文化十年ー明治二十七年 ( 一ハ、一三ー 一八九四 ) 漢方医の名家。長野県の生まれ。栗園と号し こ 0 ( 5 ) 漢法中国伝来の医術。ふつう「漢方」と書く。 かっこんとうくず ( 6 ) 葛根湯葛の根から作った煎じ薬。漢方で風邪の 発汗剤として用いる。 ( 7 ) アンチビリン Antipyrin ( 独 ) 解熱・鎮痛剤の せん ( 8 ) 一般一様。同様の意。 ( 9 ) 孤城落日勢いが衰えて心細い状態をいう。 さる ( 川 ) 猿が手を持っ当時の英語教科書にあった語か。 ( Ⅱ ) 冥々の裡知らず知らずのうち。 一一五三 ( 1 ) ラヴァ lava ( 英 ) 溶岩。 おがわまちかんこうば ( 2 ・ ) 小川町の勧工場神田区小川町近辺にあった東 明館のこと。勧工場は、いわばデパートの前身で、日用 品・雑貨などを販売した店。 ( 3 ) 日記につけ込んである漱石の明治三十四年 ( 一九〇一 ) 三月三十日の日記に「 : : : 帰リニ bus ニ 乗ッタラ『ア・ ( タ』ノアル人ガ三人乗ッテ居夕、 はや らつばふし 一一五四 ( 1 ) 喇叭節ラツ。 ( の音を囃しことばに取り入れた唄。 明治三十八、九年 ( 一九〇五、六 ) ごろもっとも流行した。 ( 2 ) 一七日人の死後七日目の日。また、七日間。 じようどうえ 成道会 ( 釈迦の成道した当日 ) に至る七日間 ( 十二月 一日ー八日朝 ) 、禅宗では毎日座禅を敢行する。また、毎 月七日間つづけて座禅することもある。 けつか ( 3 ) 結跏座禅でのすわりかた。 ( 4 ) 下手の考「下手の考え休むに似たり」というこ〃 とわざ。勝負ごとなどで無益の長考に対していう。下手 一種。
しあわ かんしやく 「乗らないほうが仕合せたよ。今でこそ平気で話すよかん / 、するには癇癪が起りました。上の方に細長い うなものの、その時の苦しみはとうてい想像ができる影がかたまって、時々秋風にゆすれるのが目につきま ような種類のものではなかった。 それから先生とす」 うとう奮発して買いました【 「なんだい、その細長い影というのは」 しぶがき 「ふむ、どうして」 「渋柿の皮を剥いて、軒へ吊るしておいたのです」 「ちょうど十一月の天長節の前の晩でした。国のもの 「ふん、それから」 そろ は揃って泊りがけに温泉に行きましたから、一人もい 「仕方がないから、床を出て障子をあけて樶讎〈出て、 あまぼ ません。私は病気たと言って、その日は学校も休んで渋柿の甘干しを一つ取って食いました」 寝ていました。今晩こそ一つ出て行って、かねて望み 「うまかったかい」と主人は小供みたようなことを聞 のバイオリンを手に入れようと、床の中でそのことば かり考えていました」 「うまいですよ、あの辺の柿は。とうてい東京などし ( 3 ) けびよう や、あの味はわかりませんね」 「偽病をつかって学校まで休んだのかい」 「まったくそうです」 「柿はいゝがそれから、どうしたい」と今度は東風君 「なるほど少し天才だね、こりや」と迷亭君も少々恐がきく。 れ入った様子である。 「それからまたもぐって目をふさいで、早く日が暮れ 「夜具の中から ~ 目を出していると、日暮れが待遠でたればい、がと、ひそかに神仏に念じてみた。約三四時 まりません。仕方がないから頭からもぐり込んで、目 間もたったと思うころ、もうよかろうと、首を出すと を眠って待ってみましたが、やはり駄目です。首を出あにはからんや烈しい秋の日は依然として六尺の障子 》すと烈しい秋の日が、六尺の障子へ一面にあたって、 を照らしてかん / \ する、上の方に細長い影がかたま ( 1 ) ( 2 )
はつか なぬか 「なるほど迷亭君一流の特色を発揮して面白い」と鈴 、。七日立っても二十日立っても一枚も書かない。い よいよ百日紅が散って一輪の花もなくなっても当人平木君はなぜだか面白がっている。迷亭のおらぬ時の語 気でいるから、いよ / 、西洋料理に有り付いたなと思気とはよほど違っている。これが利ロな人の特色かも せま しれない。 って契約履行を逼ると迷亭澄まして取り合わない」 「なにが面白いものか」と主人は今でも怒っている様 「またなんとか理屈をつけたのかね」と鈴木君が相の 手を入れる。 子である。 「それはお気の毒様、それだからその埋合せをするた 「うん、実にずう / 、しい男だ。吾輩は外に能はない ごうじよう が意志だけは決して君方に負けはせんと剛情を張るのめに孔雀の舌なんかを金と太鼓で探しているじゃない さ」 か。まあそう怒らすに待っているさ。しかし著書とい もた 「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質間をえば君、今日は一大珍報を齎らしてきたんだよ」 「君はくるたびに珍報を齎らす男たから油断ができ 「むろんさ、その時君はこう言ったぜ。吾輩は意志のんー しようふだっきりん なんびと 「ところが今日の珍報は真の珍報さ。正札付一厘も引 一点においてはあえて何人にも一歩も譲らん。しかし 残念なことには記憶が人一倍無い。美学原論を著わそけなしの珍報さ。君寒月が博士論文の稿を起したのを うとする意志は十分あったのだがその意志を君に発表知っているか。寒月はあんな妙に見識張った男たから る した翌日から忘れてしまった。それだから百日紅の散博士論文なんて無趣味な労力はやるまいと思ったら、 あ いろけ 猫るまでに著書ができなかったのは記憶の罪で意志の罪あれでやつばり色気があるから可笑しいじゃないか。 物ではない。意志の罪でない以上は西洋料理などを奢る君あの鼻にぜひ通知してやるがい \ このごろは団栗 博士の夢でも見ているかもしれない」 理由がないと威張っているのさ」 どんぐり 125
うのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はや ころが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人 間の感応という題で写生文にしたらきっと文壇を驚かめにした。翌日になると細君がまた新聞を持ってきて ( 5 ) しやみせん すよ。 ・ : そしてその〇〇子さんの病気はどうなった今日は堀川たからい、でしようと言う。堀川は三味線 かね」と迷亭先生が追窮する。 もので賑やかなばかりで実がないからよそうと言うと、 にさんち 「二三日前年始に行きましたら、門の内で下女と羽根細君は不平な顔をして引き下がった。その翌日になる ( 6 ) げんどう を突いていましたから病気は全快したものとみえまと細君が言うには今日は三十三間堂です、私はせひ摂 津の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂もお さいぜん 主人は最前から沈思の体であったが、この時ようや嫌いかしらないが、私に聞かせるのだから一所に行っ ( 7 ) く口を開いて、「僕にもある」と負けぬ気を出す。 てくたすっても冝いでしようと手詰の談判をする。御 まえ 一あるって、何があるんだいー迷亭の中に主人など前がそんなに行きたいなら行っても宜ろしい、しかし ( 8 ) つつか はむろんない。 一世一代というので大変な大入だからとうてい突懸け きづかい 「僕のも去年の暮の事た」 に行ったってはいれる気遣はない。元来あ 、いう場所 ( 9 ) 「みんな去年の暮は暗合で妙ですな」と寒月が笑う。 へ行くには茶屋というものが在ってそれと交渉して相 欠けた前歯のふちに空也餅が着いている。 当の席を予約するのが正当の手続きだから、それを踏 「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。 まないで常規を脱した事をするのはよくない、残念た 「いや日は違うようだ。なんでも f 一十日ごろたよ。細 が今日はやめようと言うと、細君は凄い目付をして、 ( 2 ) せつつだいじよう 君がお歳暮の代りに摂津大掾を聞かしてくれろという 私は女ですからそんなむすかしい手続きなんか知りま すゞき から、連れていってやらんこともないが今日の語り物せんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正当 ( 3 ) うなぎたに は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷たと言の手続きを踏まないで立派に聞いてきたんですから、 ( 4 ) にぎ おおはら きら
の主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んで 澄している。白君は軍人の家におり、三毛君は代言の ひとっき 主人を持っている。吾輩は教師の家に住んでいるだけ、から一月ばかりのちのある月の月給日に、大きな包み さ を提げてあわたゞしく帰ってきた。何を買ってきたの こんなことに関すると両君よりもむしろ楽天である。 ( 8 ) たゞその日 / ′、がどうにかこうにか送られればよい 0 かと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今 いくら人間だって、そういつまでも栄えることもある日から謡や俳句をやめて絵をかく決心とみえた。はこ なが まい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。 して翌日から当分のあいだというものは毎日々々書斎 我儘で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこで昼寐もしないで絵ばかりかいている。しかしそのか だれ の我儘で失敗した話をしよう。元来この主人はなんとき上けたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定 いって人に勝れてできることもないが、なんにでもよ がっかない。当人もあまり甘くないと思ったものか、 く手を出したがる。俳句をやってほとゝぎすへ投書をある日その加人で美学とかをやっている人が来た時に ( 4 ) したり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英下のような話をしているのを聞いた。 ( 5 ) うたい 「どうも甘くかけないものだね。人のを見るとなんで 文をかいたり、時によると弓に凝ったり、謡を習った り、またあるときはバイオリンなどを・フー / \ 鳴らしもないようだが、みずから筆をとってみるといまさら たりするが、気の毒なことには、どれもこれも、もののようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐である。 めがわ・こし になっておらん。そのくせやり出すと胃弱のくせにい なるほど詐りのないところた。彼の友は金縁の眼鏡越 ( 6 ) こうか じよう→ , やに熱心だ。後架の中で謡をうた 0 て、近所で後架先に主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけ あたな ないさ、第一室内の想像ばかりで画がかけるわけのも 猫生と渾名をつけられているにも関せずいっこう平気な たいらむねもりそうろう もので、やはりこれは平の宗盛にて候を繰り返してい のではない。昔イタリアの大家アンドレア・デル・サ る。みんながそら宗盛たと吹き出すくらいである。こ ルトが言ったことがある。画をかくならなんでも自然 す ( すぐ ( 7 ) しも ( 9 ) うま
かります」「そいつは大変だ、それじゃ容易に博士に のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢た。奥さ ゃなれないじゃないか」「えゝ一日も早くなって安心んのように別に思いも思われもしない苦沙弥君の所へ さしてやりたいのですが、とにかく珠を磨り上げなく片付いて生涯恋の何物たるをお解しにならんかたには、 かんじん っちゃ肝心の実験ができませんから : : : 」 御不審ももっともだが : : : 」「あら何を証拠にそんな けいべっ 寒月君はちょっと句を切って「なに、そんなに御心 ことを仰しやるの。ずいぶん軽蔑なさるのね」と細君 配には及びませんよ。金田でも私の珠ばかり磨ってる は中途から不意に迷亭に切り付ける。「君たって恋煩 ことはよく承知しています。実は二三日前行った時に いなんかしたことはなさそうじゃないか」と主人も正 すけたち えんふん もよく事情を話してきました」としたり顏に述べ立て面から細君に助太刀をする。「そりや僕の艶聞などは、 る。すると今まで三人の談話を分らぬながら傾聴して いくらあってもみんな七十五日以上経過しているから、 いた細君が「それでも金田さんは家族中残らす、先月君がたの記冫。 意こま残っていないかもしれないが , ーー・実 から大礒へ行っていらっしやるじゃありませんか」と はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮ら へきえぎ 不審そうに尋ねる。寒月君もこれには少し辟易の体でしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見回わす。 あったが「そりや妙ですな、どうしたんだろう」とと「ホ、、、 面白いこと」と言ったのは細君で、「馬鹿に ぼけている。こういう時に重宝なのは迷亭君で、話のしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。たゞ きま 途切れた時、極りの悪い時、眠くなった時、困った時、寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学のために伺い どんな時でも必す横合から飛び出してくる。「先月大たいもので」と相変らずにや / \ する。 ( 2 ) こいずみやくも 磯へ行ったものに両三日まえ東京で逢うなどは神秘的「僕のもだいぶ神秘的で、故小泉八雲先生に話したら でい、 4 。 いわゆる霊の交換だね。相思の情の切な時に 非常に受けるのだが、惜いことに先生は永眠されたか はりあい はよくそういう現象が起るものだ。ちょっと聞くと夢ら、実のところ話す張合もないんだが、せつかくたか にさんち ノ 70
くな結果の出ようはずがない。それより英書でも質にらない。ほんの一時のでき心で、か、る難物を担ぎ込 ( 1 ) らつばぶし 入れて芸者から喇叭節でも習った方が遙かにましだとんたのかもしれす、あるいはことによると一種の精神 へんくっ までは気が付いたが、あんな偏屈な男はとうてい猫の病者において吾人がしば / \ 見出すごとく、縁もゆか き 恵告などを聴く気遣はないから、まあ勝手にさせたらりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結 び付けたものかもしれない。 とにかく奇抜な考えであ よかろうと五六日は近寄りもせすに暮した。 なぬかめ 今日はあれからちょうど七日目である。禅家などでる。たゞ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾 ひるね ( 3 ) けっ は一七日を限って大悟してみせるなどと凄じい勢で結輩はかって主人がこの机の上へ昼寐をして寝返りをす する連中もあることたから、うちの主人もどうかなる拍子に椽側へ転け落ちたのを見たことがある。それ 以来この机は決して寝台に転用されないようである。 ったろう、死ぬか生きるかなんとか片付いたろうと、 ざぶとん えんがわ のそ / 、椽側から書斎の入口まで来て室内の動静を偵机の前には薄っぺらなメリンスの座布団があって、 きっ 察に及んだ。 烟草の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から 書斎は南向きの六畳で、日あたりのいゝ所に大きな見える綿は薄黒い。この座布団の上に後ろ向きにかし わずみいろ へこおび 机が据えてある。たゞ大きな机ではわかるまい。長さこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯 かな 六尺、幅三尺八寸高さこれに叶うという大きな机であをこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れか あい たてぐや る。むろんでき合のものではない。近所の建具屋に談かっている。この帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張 こないだ きたい 判して寝台兼机として製造せしめたる希代の品物であられたのは此間のことである。めったに寄り付くべき る。なんのゆえにこんな大きな机を新調して、またな帯ではない。 んのゆえにその上に寝てみようなどという了見を起し まだ考えているのか下手の考という喩もあるのにと のぞ たものか、本人に聞いてみないことだからとんとわか後ろから覗き込んで見ると、机の上でいやにびか / ( 2 ) たい・こ すさま ひょうし ころ ( 4 ) へた たとえ 254