運動 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 2
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1. 夏目漱石全集 2

ー・換言すれば猫が叱んだという代りに猫が上がったとヤではつまらない。たまには倉からハムレットを見 いう語が一般に使甲せらるるまではーーー容易に海水浴て、君こりや駄目たよぐらいに言う者がないと、文界 れんしゅう はできん。 も進歩しないたろう。だから運動をわるくいった連中 海水浴はおって実行することにして、運動たけは取が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持っ り敢すやることに取り極めた。どうも二十世紀の今日て往来をあるき回ったっていっこう不思議はない。た 運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい。 だ猫が運動するのを利いたふうだなどと笑いさえしな 運動をせんと、運動せんのではない、運動ができんのければよい。さて、吾輩の運動よ 。いかなる種類の運動 である、運動をする時間がないのである、余裕がない かと不審を抱く者があるかもしれんから、一応説明 ( 2 ) おりすけ のたと鑑定される。昔は運動したものが折助と笑われしようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持っ たごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做されてい ことができん 0 たからポールもバットも取り扱しに ごじん ( 3 ) る。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の目玉のごとく 困窮する。次には金がないから買うわけにゆかない。 ( 9 ) 変化する。吾輩の目玉はたゞ小さくなったり大きくな この二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文人ら 0 たりするばかりだが、人間の品隲とくるとル逆かさず器械なしと名づくべき類に属するものと思う。そ さしつかえ まぐろ まにひっくり返る。ひっくり返っても差支はない。物んなら、のそ / 、、歩くか、あるいは鮪の訒身を啣えて ( 5 ) こくびやく には両面がある、両端がある。両端を叩いて黒白の変馳け出すことと考えるかもしれんが、たゞ四本の足を あ化を同一物の上に起すところが人間の融通のきくとこ力学的に運動させて、地球の引力に順って、大地を横行 猫ろである。方寸を逆かさまにしてみると寸方となるとするのは、あまり単簡で興味がない。い くら運動と名 あいきよう はしだてまたぐら のぞ 輩ころに愛嬌がある。天の橋立を股倉から覗いて見ると がついても、主人の時々実行するような、読んで字のご せんこばんこ また格別な趣が出る。セクスピャも千古万古セクス。ヒ とき運動は、どうも運動の神聖を汚がすものだろうと ( 6 ) あま ( 1 ) け

2. 夏目漱石全集 2

かざなか 日が斑らに洩れて、幹にはつく / \ 法師がけんめいに憶に存しておらん、のみならずその砌りは浮世の風中 にふわっいておらなかったに相違ないが、猫の一年は ないている。晩はことによると一雨か、るかもしれな ( 5 ) か 人間の十年に懸け合うといってもよろしい。吾らの寿 命は人間より二倍も三倍も短いにかわらす、その短 ( 6 ) びき つかまっ 日月のあいだに猫一匹の発達は十分仕るところをも せいそう わがにい 吾輩は近ごろ運動を始めた。猫のくせに運動なんてって推論すると、人間の年月と猫の星霜を同じ割合に ごびゅう ( 1 ) てあい 利いたふうだといちがいに冷罵し去る手合にちょっと打算するのは、はなはだしき誤謬である。第一、一歳何 申し聞けるが、そういう人間だってつい近年までは運か月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているの 動のなにものたるを解せずに、食って寝るのを天職のでも分るだろう。主人の第三女などは数え年で三つだ ように心得ていたではないか。無事これ貴人とか称えそうだが、知識の発達からいうと、いやはやいもの ざぶとん ふところで て、懐手をして座布団から腐れか、った尻を離さざるだ。泣くことと、寝小便をすることと、おつばいを飲む ( 3 ) やにさが うれ をもって旦那の名誉と脂下って暮したのは覚えている ことよりほかに、なんにも知らない。世を憂い時を憤 はすだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、る吾輩などに較べると、からたわいのないものだ。そ こも 海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へ籠って当れだから吾輩が、運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸 かすみくら 分霞を食えのとくだらぬ注文を連発するようになったのうちに畳み込んでいたって毫も驚くに足りない。 ( 4 ) ばんきん のは、西洋から神国へ伝染した輓近の病気で、やはりれしきのことをもし驚ろくものがあ 0 たなら、それは で ベスト、怖病、神経衰弱の一族と心得てい、くらいだ。人間という足の二本足りない野呂間に極っている。人 俶もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳間は昔から野呂間である。であるから近ごろに至って ちょう たから人間がこんな病気に罹り出した当時の有様は記よう / 、運動の功能を吹聴したり、海水浴の利益を喋 ひとあめ しり ふいちょう のろま みぎ ( 8 ) 7

3. 夏目漱石全集 2

ーこ、つ ; つら′ 思う。もちろんたゞの運動でも、ある刺激のもとには にはなか / \ 趣味の深いのがある。第一に蟷螂狩り とうろう ねすム やらんとは限らん。鰹節競争、鮭探しなどは結構たが 蟷螂狩りは鼠狩りほどの大運動でない代りにそれ かんじん これは肝心の対象物があっての上のことで、この刺激ほどの危険がない。夏のなかばから秋のはじめへかけ ( 1 ) さく懸ん を取り去ると索然として没趣味なものになってしまう。 てやる遊戯としてはもっとも上乗のものた。その方法 かまキ一り 懸賞的興奮剤がないとすればなにか芸のある運動がしをいうと、まず庭へ出て一匹の蟷螂をさがし出す。時 そうさ てみたい。吾輩はいろ / \ 考えた。台所の廂から家根候がい、と一匹や二匹見付け出すのは雑作もない。さ ーしカね委 . かわら てつべん に飛び上がる方、家根の天辺にある梅花形の瓦の上にて見付け出した蟷君の房へはっと風を切って馳けて ものはしざお みがまえ こはと、つ 四本足で立っ術、物干竿を渡ること、 ゆく。するとすわこそという身構をして鎌言をふり上 げ , ナ てい成功しない、竹がつるつる滑べって爪が立たない。 ける。蟷瑯でもなか / 、健気なもので、相手の力量を こども おもしろ 後ろから不意に小供に飛びつくこと、 これはすこ知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い。振り ぶる興味のある運動のひとつだがめったにやるとひど上けた鎌百を右の前足でちょっと参る。振り上けた言 やわら い目に逢うから、たかム \ 月に三度ぐらいしか試みなは軟かいからぐにやり横へ曲る。この時の蟷螂君の表 かんぶくろ 、。紙袋を頭へかぶせらるること これは苦しいば情がすこぶる興味を添える。おやという思い入れが十 かりではなはだ興味の乏しい方法である。ことに人間分ある。ところを一足飛びに君の後ろへ回って今度 の相手がおらんと成功しないから駄目。次には書物のは背面から君の羽根を軽く引き掻く。あの羽根は平生 表紙を爪で引き掻くこと、 これは主人に見付かる大事に畳んであるが、引き掻き方が激しいと、ばっと ( 2 ) よしのがみ と必すどやされる危険があるのみならず、わりあいに乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれ ( 3 ) ( 4 ) おっき 手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かない。 これらはる。君は夏でも御苦労千万に二枚重ねで乙に極まって 吾輩のいわゆる旧式運動なるものである。新式のうち いる。この時君の長い ~ 目は必す後ろに向き直る。ある かつぶし す しやけさが ひさし かまくび 190

4. 夏目漱石全集 2

内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内へはいっ かりかねるが、かのダムズム弾が竹垣を突き通して、 て拾わなければならん。邸内にはいるもっとも簡便な障子を裂き破って主人の頭を破壊しなかったところを 方法は四つ目垣を越えるにある。四つ目垣のうちで騒もってみると、ニートンのお蔭に相違ない。しばら 動すれば主人が怒りださなければならん。しからずんくすると案のごとく敵は邸内に乗り込んで来たものと かぶと ば兜を脱いで降参しなければならん。苦心の余頭がだ覚しく、「こか」「もっと左の方か」などと棒でもっ んたん禿げてこなければならん。 て笹の葉を敲き回わる音がする。すべて敵が主人の邸 ( 1 ) あやま 今しも敵軍から打ち出した一弾は、照準誤たず、四内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な つ目垣を通り越して桐の下葉を振い落して、第二の城大きな声を出す。こっそりはいって、こっそり拾って 壁すなわち竹垣に命中した。ずいぶん大きな音である。は肝心の目的が達せられん。ダムグム弾は貴重かもし ( 2 ) ニュートンの運動律第一に日くもし他の力を加うるにれないが、主人にからかうのはムダム弾以上に大事 ひとた たま あらざれば、一度び動きだしたる物体は均一の速度をである。この時のごときは遠くから弾の所在地は判然 もって直線に動くものとす。もしこの律のみによってしている。竹垣に中った音も知っている、中った場所 物体の運動が支配せらるるならば主人の頭はこの時にも分っている、しかしてその落ちた地面も心得ている。 イスキラスと運命を同じくしたであろう。さいわいに だから大人しくして拾えば、、 しくらでも大人しく拾え ( 3 ) してニュートンは第一則を定むると同時に第二則も製る。ライプニツツの定義によると空間はでき得べき同 2 造してくれたので主人の頭は危うきうちに一命を取り在現象の秩序である。いろはにほへとはいつでも同じ こうもり どじよう 猫とめた。運動の第二則に日く、運動の変化は加えられ順にあらわれてくる。柳の下には必ず鰌がいる。蝙蝠 たる力に比例す、しかしてそのカの働く直線の方向に にタ月はっきものである。垣根にポールは不似合かもめ おいて起るものとす。これはなんのことだか少しくわしれぬ。しかし毎日毎日ポールを人の邸内に抛り込む あまり おとな

5. 夏目漱石全集 2

すりこき んな馬鹿気た戦争も行われたかもしれん、しかし太平 いている。臥竜窟に面して一人の将官が擂粉木の大き の今日、大日本国帝都の中心においてかくのごとき野な奴を持って控える。これと相対して五六間の間隔を 蛮的行動はあり得べからざる奇跡に属している。いか とってまた一人立つ、擂粉木のあとにまた一人、これ に騒動が持ち上がっても交番の焼打以上に出る気遣は は臥竜窟に顔をむけて突っ立っている。かくのごとく がりようくっ ない。してみると臥竜窟主人の苦沙弥先生と落雲館裏一直線にならんで向い合っているのが砲手である。あ 八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦る人の説によるとこれはべースポールの練習であって、 ( 1 ) さし ( 2 ) えんりよう 争の一として数えてもしかるべきものだ。左氏が邸陵決して戦闘準備ではないそうだ。吾輩はべースポール ( 3 ) んもうかん の戦を記するに当ってもまず敵の陣勢から述べている。の何物たるを解せぬ文盲漢である。しかし聞くところ ( 4 ) 古来から叙述に巧みなるものはみなこの筆法を用いる によればこれは米国から輸入された遊戯で、今日中学 のが通則になっている。だによって吾輩が蜂の陣立て程度以上の学校に行わるる運動のうちでもっとも流行 を話すのも仔細なかろう。それでまず蜂の陣立ていかするものだそうだ。米国は突飛なことばかり考え出す んと見てあると、四つ目垣の外側に縦列を形づくつ国柄であるから、砲隊と間違えてもしかるべき、近所 た一隊がある。これは主人を戦闘線内に誘致する職務迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であ をおびたものとみえる。「降参しねえか」「しねえしねったかもしれない。また米国人はこれをもって真に一 え」「駄目だ駄目だ」「出てこねえ」「落ちねえかな」種の運動遊戯と心得ているのだろう。しかし純粋の遊 あ「落ちねえはずはねえ」「えてみろ」「わん / 」「わ戯でもかように四隣を驚かすに足る能力を有している 描んわん」「わん / \ わん / 、、」これから先は縦隊総が以上は使いようで砲撃の用には十分立つ。吾輩の目を とっかん 輩かりとなって吶喊の声を揚ける。縦隊を少し右へ離れもって観察したところでは、彼らはこの運動術を利用 て運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布して砲火の功を収めんと企てつ、、あるとしか思われな とっぴ 233

6. 夏目漱石全集 2

よく地け登ったとする。すると吾輩は元来地上のもの の体量を持ちこたえることはできなくなる。こゝにお であるから、自然の傾向からいえば吾輩が長く松樹の いてせつかく降りようと企てたものが変化して落ちる 巓に留るを許さんに相違ない。たゞ置けば必ず落ちことになる。このとおり鵯越はむずかしい。猫のうち る。しかし手放しで落ちては、あまりに早すぎる。たでこの芸ができるものはおそらく吾輩のみであろう からなんらかの手段をもってこの自然の傾向を幾分かそれだから吾輩はこの運動を称して松滑りというので かきめぐ ゆるめなければならん。これすなわち降りるのである。ある。最後に垣巡りについて一言する。主人の庭は竹 ちがい えんがわ 落ちるのと降りるのは大変な違のようだが、その実思垣をもって四角にしきられている。椽側と平行してい ・ゞっ - 一はノ ったほどのことではない。落ちるのを遅くすると降りる一片は八九間もあろう。左右は双方とも四間に過ぎ るので、降りるのを早くすると落ちることになる。落ん。今吾輩のいった垣巡りという運動はこの垣の上を ちると降りるのは、ちとりの差である。吾輩は松の木落ちないように一周するのである。これはやり損うこ なぐさみ の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩めて降ともまあるが、首尾よくゆくとお慰になる。ことに りなければならない。すなわちあるものをもって落ち所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休 ぜんもう る速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前申すと息に便宜がある。今日はできがよかったので朝から昼 おり皆後ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立までに三返やってみたが、やるたびにうまくなる。う さから てればこの爪の力はことん ( \ く、落ちる勢に逆って利まくなるたびに面白くなる。とう / 、四返繰り返した からす まわ あ用できるわけである。したがって落ちるが変じて降りが、四返目に半分ほど巡りかけたら、隣の屋根から烏 やす 猫るになる。実に見易き道理である。しかるにまた身をが三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとま さまたげ にして義経流に松の木越をや 0 てみたまえ。爪はあ 0 た。これは推参な奴だ、人の運動の妨をする、こと % ( 3 ) ぶんざい っても役には立たん。ずる / ( \ 滑って、どこにも自分にどこの烏だか籍もない分在で、人の塀へとまるとい いたゞき ( 2 ) 0

7. 夏目漱石全集 2

込んで団子っ鼻を顔の真中にかためて、座敷の隅の方のだ。途中で先生に逢ってさえ礼をしないのを自漫に すがいこっ に控えている。別にこれという特徴もないが頭蓋骨たするくらいの連中が、たとい三十分でも人並に坐るの ぼうす きようけん けはすこふる大きい。青坊主に刈ってさえ、あ大きは苦しいに違いない。 ところを生れ得て恭謙の君子、 く見えるのだから、主人のように長く延ばしたらさだ盛徳の長者であるかのごとく構えるのだから、当人の めし人目を惹くことたろう。こんな頭にかぎって学間 苦しいにか、わらず儚から見るとだいぶ可笑しいので はあまりできないものだとは、かねてより主人の持説ある。教場もしくは運動場であんなに阯々しいものが、 である。事実はそうかもしれないがちょっと見るとナどうしてかように自己を箝東する力を具えているかと あわ ポレオンのようですこぶる偉観である。着物は通例の思うと、隣れにもあるが滑稽でもある。こうやって一 さつまがすり くるめ いよがすり ( 3 ) ぐし 書生のごとく、薩摩絣か、久留米がすりかまた伊予絣人ずつ相対になると、 いかに愚族なる主人といえども、 あわせそで か分らないが、ともかくも絣と名づけられたる袷を袖生徒に対して幾分かの重みがあるように思われる。 じゅばん ちりつも 短かに着こなして、下には襯衣も襦袢もないようだ。 主人もさためし得意であろう。塵積って山をなすとい ( 1 ) すあわせ しゅうごう あなど 素袷や素足は意気なものたそうたが、この男のは、は うから、微々たる一生徒も多勢が聚合すると毎るべか はいせき なはたむさ苦しい感じを与える。ことに畳の上に泥棒らざる団体となって、排斥運動やストライキをしでか おくびようもの のような親指を歴然と三つまで印しているのはまったすかもしれない。 これはちょうど臆病者が酒を飲んで く素足の資任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へち大胆になるような現象であろう。衆を頼んで騒ぎだす のは、人の気に酔っ払った結果、正気を取り落したる あやんと坐って、さも窮屈そうに畏しこまっている。 で ったいかしこまるべきものが大人しく控えるのはべつものと認めて差支あるまい。それでなければかように ふすま だん気にするにも及ばんが、毬栗頭のつんつるてんの 恐れ入るといわんよりむしろ悄然として、自ら襖に押 乱暴者が恐縮しているところはなんとなく不調和なもし付けられているくらいな薩摩絣が、いかに老朽だと ( 2 ) かんそく ん 313

8. 夏目漱石全集 2

( 3 ) さいよう 知らん顔をしてなにかお互に話をしている様子だ。い とあせるごとく、西行に銀製の吾輩を進呈するがごと かんしやくさわ ( 5 ) ふん ( 4 ) よ / 、肝癪に障る。垣根の幅がもう五六寸もあったらく、 西郷隆盛君の銅像に勘公が糞をひるようなもので ひどい目に合せてやるんだが、残念なことにはいくらある。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見てと 怒っても、のそ / 、としかあるかれない。 ようやくの ったから、奇麗さつばりと椽側へ引き上げた。もう晩 ↑ ) せん・はう こと先鋒を去ること約五六寸の距離まで来てもう一息飯の時刻だ。運動もいが度を過すといかぬもので、 ぐた / 、の感が だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり からだ全体がなんとなく緊りがない、 搏をして一二尺飛び上が 0 た。その風が突然余の顔ある。のみならすまだ秋の聰り付きで運動中に照り付 を吹いた時、はっと思ったら、つい踏み外ずして、すけられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したとみえ とんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上て、ほてって堪らない。毛穴から染み出す汗が、流れ あぶら げると、三羽とも元の所にとまって上から嘴を揃えてればと思うのに毛の根に膏のようにねばり付く。背中 のみは すぶと 吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。睨めつけてやがむず / \ する。汗でむず / 、するのと蚤が這ってむ うな ナカいっこう利かない。背を丸くして、少々唸ったず / 、するのは判然と区別ができる。ロの届く所なら ( 2 ) がます / \ 駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬ噛むこともできる、足の達する領分は引き掻くことも じりき せきずい ごとく、吾輩が彼らに向って示す怒りの記号もなんら心得にあるが、脊髄の縦に通う真中ときたら自力の及 こういうときには人間を見懸けてや の反応を呈出しない。考えてみると無理のないところぶかぎりでない。 あだ。吾輩は今まで彼らを猫として取り扱っていた。そたらにこすり付けるか、松の木の皮で十分摩擦術を行 猫れが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかに応えるうか、二者その一を選ばんと不愉快で安眠もでき兼ね かんこう 既のだがあいにく相手は烏だ。烏の勘公とあってみればる。人間は愚なものであるから、猫なで声でーー・猫な 致し方がない。実業家が主人苦沙弥先生を圧倒しようで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安にし にら たま にしび

9. 夏目漱石全集 2

釈 注 十年一高野球部が結成されてからは、学生野球熱が中等 学校にもひろがった。 一一三五 ( 1 ) 照準弾丸が目標に命中するよう銃砲の射角・向 きなどを調節する操作。 lsaac Newton ( 1642 ー 1727 ) イギリ ( 2 ) ニュートン スの科学者。力学体系を作りあげ、引力の原理、徴積分 法、その他近代科学の其礎をきすいた。ニュートンカ学 の基本をなす運動の三法則とは、一、慣性の原理、二、 運動方程式、三、作用反作用の原理。 ( 3 ) 一フィプニツツ Gottfried Wi 】 helm Leibniz 0646 ー一 7 一 6 ) ドイツの哲学者・数学者。「空間は出来得べき同 在現象の秩序」の原文は l'ordre des coexistences pos ・ sibles ( 可能なる同時存在の秩序 ) 。ライプニツツが・ヘ ールの批評に答えた文中にある語。 ひっきよう 一一三六 ( 1 ) 必竟ずるにつまりは。結局。ふつう「畢竟」と 書く ばくぜん ( 2 ) 驀然まっしぐらに突進するさま。 ( 3 ) つらまってはつかまえられては。 ( 4 ) あらばこそありようもなく。 ほもめん 一一三七 ( 1 ) 帆木綿帆に用いる厚く丈夫な木綿。 ( 2 ) 一騎当千一人で千人の敵を相手に戦えるほどの、 0 非常な勇猛さ。 たんば 笹山は兵庫県多紀郡 ( 3 ) 丹波の国は笹山から : の地名。山奥から都へやってきた者のことをさしていう 慣用的表現。 えちごじし ( 4 ) 越後獅子越後国 ( 新潟県 ) 西蒲原郡から出る獅 子舞で、子どもが獅子頭をかぶり、芸をしながらこじき して歩くもの。 ちんにゆう ( 5 ) 闖入突然入りこむこと。 あにはか 一一三〈 ( 1 ) 豈計らんや思いがけず。意外にも。 きらよしなかてい ( 2 ) 忠臣蔵赤穂藩の四十七士が、吉良義央邸に討ち 入り、主君のかたきを討った事件に取材した芝居の総称。 きようどばっせい 一一一元 ( 1 ) 強弩の末勢強い大弓で射た矢も、末は力が弱 ってしま一つこと。 一一四 0 ( 1 ) 未だ稚気を免かれず大町桂月が「雑言録」 ( 一一 一六ページ注 1 を見よ ) で「詩趣ある代りに、穉気ある を免れず」と批評したのを取りあげた。 よらん ( 2 ) 余瀾余波。事件が後に残した影響。 ( 3 ) 層々かさなるさま。 さだんせんわ ( 4 ) 瑣談繊話とるにたらない話。 ( 5 ) 法語祖師や高僧が仏教の真理をわかりやすく説 いた語録。 さ、やま イ 75

10. 夏目漱石全集 2

「何、不道徳というほどでもありませんやね。かまや「そうなさい。もっと大きな、もっと分別のある大僧 どもが、それどころじゃない、わるいたずらをして知 しません。金田じや名誉に思ってきっと吹聴していま すよー らん面をしていますよ。あんな子を退校させるくらい 「まさか」 なら、そんな奴らを片っ端から放逐でもしなくっちゃ 「とにかく可愛想ですよ。そんなことをするのがわる不公平でさあ」 いとしても、あんなに心配させちゃ、若い男を一人殺「それもそうだね」 してしまいますよ。ありや頭は大きいが人相はそんな 「それでどうです、上野へ虎の鳴き声をきぎに行くの にわるくありません。鼻なんかびく / 、させて可愛い です」 「虎かい」 「君もだいぶ迷亭みたように呑気なことを言うね」 「えゝ、聞きにゆきましよう。実は二三日中にちょっ 「何、これが時代思潮です、先生はあまり昔風だから、と帰国しなければならないことができましたから、当 なんでもむずかしく解釈なさるんです」 分どこへもお伴はできませんから、今日はぜひいっし ょに散歩をしようと思って来たんです」 「しかし畳じゃないか、知りもしない所へ、いたすら 「そうか、帰るのかい、用事でもあるのかい」 に艶書を送るなんて、まるで常識をかいてるじゃない 「えゝちょっと用事ができたんです。ーーともかくも あ「いたずらは、たいがい常識をかいていまさあ。救っ出ようじゃありませんか」 くどく ようす で ておやんなさい。功徳になりますよ。あの容子じゃ華「そう。それじや出ようか , 「さあ行きましよう。 物厳の滝へ出掛ますよ」 今日は私が晩餐を奢りますから、 「そうだな」 それから運動をして上野へ行くとちょうど好い刻 かお ばんさんおご にさんちうち おおぞう