この一句を洋卓の上に打ち遣っ 母は溜息とともに、 た。甲野さんは超然としている。 「じや仕方がないから、お前のことはお前の思いどお りにするとして、 藤尾のほうだがね」 「え、」 とうだ 「実はあの小野さんが好かろうと思うんだが、。 ろう 「小野をですか」と言ったぎり、黙った。 「不可まいか」 「不可ないこともないでしよう」とゆっくり言う。 「可ければ、そう極めようと思うが : : : 」 「好いでしよう」 「好いかい」 「えゝ」 「それでようやく安心した」 甲野さんはじっと目を凝らして正面に何物をか見詰 人めている。あたかも前にある母の存在を認めざるごと 美くである。 「それでようやくーー・・お前どうかお為かい」 「母かさん、藤尾は承知なんでしようね」 「むろん知っているよ。なぜ」 甲野さんは、やはり遠方を見ている。やがて瞬を一 っするとともに、目は急に近くなった。 「宗近は不可ないんですか」と聞く。 「一かい。本来なら一がいちばん好いんだけれども。 あいだがら 、いう間柄ではあるしね」 父さんと宗近とは、あ 「約東でもありやしなかったですか」 「約東というほどのことはなかったよ」 おとっ 「なんたか父さんが時計を遣るとか言ったことがある ように覚えていますが」 「時計 ? 」と母は首を傾げた。 ~ ーま・ツト おとっ 「父さんの金時計です。柘榴石の着いている」 「あ、、そう / \ 。そんなことがあったようたね」と 母は思い出したごとくに言う。 あて 「一はまだ当にしているようです」 「そうかい」と言ったぎり母は澄ましている。 「約東があるなら遣らなくっちゃ悪い。義理が欠け る」 お丐 おとっ また、き 201
みすかさ 「そう冷淡じゃ張り合がない。教えてくれなら、教え 「君、そうこうしているうちに加茂の水嵩が増してき たぜ。いやあたいへんだ。橋を カ落ちそうだ。おい橋がてくれとはっきり言うがい、」 「誰が言うものか」 落ちるよ」 「言わない ? 言わなければこっちで言うばかりた。 「落ちても差し支えなしだ」 ( 2 ) しまだ ( 1 ) みやこおどり 「落ちても差し支えなしだ ? 晩に都踊が見られなありや、島田だよ くっても差し支えなしかな」 「座嗷でも開いてるのかい」 「なし、なし」と甲野さんは面倒臭くなったとみえて、 「なに座敷はびたりと締ってる」 きんぶすまたけのこ い、かげん 寐返りを打って、例の金襖の筍を横に眺めはじめた。 「それじゃまた例のとおり好加減な雅号なんたろうー しかた ほんみよう 「そう落ち付いていちや仕方がない。 こっちで降参す「雅号にして本名なるものたね。僕はあの女を見たん るよりほかに名案もなくなった」と宗近さんは、とう とう我を折って部屋の中へはいって来る。 「どうして」 「おい、おい」 「そら聴きたくなった」 「なんだ、うるさい男だねー 「なに聴かなくってもい、さ。そんなことを聞くより おしろ 「あの琴を聴いたろう」 この筍を研究しているほうがよっぽど面白い。この筍 「聴いたと言ったじゃないか」 を寐ていて横に見ると、育が低く見えるがどういうも のだろう 「ありや、君、女だぜ」 「おおかた君の目が横に着いているせいたろう」 「当り前さ」 からかみ 美「幾何だと思う 「二枚の唐紙に三本描いたのは、どういう 「幾歳たかね。 っ つか なが 因縁だろ
みくら 着くまえの晩に、性急に拵らえ上けたような変りかたして、よも間進はあるまいと見較べてみると、現在は である。小夜子には寄り付けぬ。手を延ばしても届きはやくも遠くに立ち退いている。握る割符は通用しな そうにない。変りたくても変られぬ自分が恨めしい気 はじめは穴を出でて眩きゅえと思う。少し慣れたら になる。小野さんは自分と遠ざかるために変ったと同 ばと、逝く日を杖に、一度逢い、二度逢い、三度四度 然である。 むかえ 新橋へは迎に来てくれた。車を傭って宿へ案内してと重なるたびに、小野さんはいよ / \ 丁寧になる。丁 くれた。のみならず、忙がしいうちをむりに算段して、寧になるにつけて、小夜子はいよ / 、近寄りがたくな かたつむりおやこ いおり ね 蝸牛親子して寐る庵を借りてくれた。小野さんは昔のる。 やさしく咽喉に滑べり込む長い顎を奥へ引いて、上 とおり親切である。父もさように言う。自分もそう思 なが 目に小野さんの姿を眺めた小夜子は、変る眼鏡を見た。 う。しかし寄り付けない。 ・フラットホームを下りるやいなやお荷物をと言った。変る髭を見た。変る髪のふうと、変る装とを見た。す ためいきっ てさげ 小さい手提の荷にはならす、持ってもらうほどでもなべての変るものを見た時、心の底でそっと嘆息を吐い うけと ひざかけ た。あ、。 いのをむりに受取って、膝掛といっしょに先へ行った、 おそ これはと思った。先「京都の花はどうです。もう遅いでしよう」 刻み足の後ろ姿を見たときに 小野さんは急に話を京都へ移した。病人を慰めるに へ行くのは、はるる \ と来た二人を案内するためでは ありがた じこうおく なく、時候後れの親子を追い越して馳け抜けるためのは病気の話をする。好かぬ昔に飛び込んで、難有くほ もど わりふ どけ掛けた記憶の綯を逆に戻すは、詩人の同情である。 人ように見える。割符とは瓜二つを取ってつけて較べる とうと 小夜子は急に小野さんと近付いた。 美ための証拠である。天に懸る日よりも貴しと護るわが いっとせ 夢を、五年の長き香洩る「時」の袋から現在に引き出「もう遅いでしよう。立つまえにちょっと嵐山へ参り ふたり 、 0 まばゅ よそおい あらしやま
かんじん わか 文章に意を用いれば肝心の筋がなお分らなくなる。 力いじゅう 世話物は主としてある筋を土台にする。筋でなくて筋をたどれば文章の一字一句が晦渋になる。君は知ら ぬまに読者を苦しめている。 もあるものを捉えて、そのあるものを読者に与えよう 単に詩的な作物と人情ものとをかねようとしてそう とする。ところがあ、いうふうに肩が凝るようにかく と、筋とかあるものとかを味う力がみんな一字一句をして読者の方向を迷わせたからこうなったものと思う。 おもしろ 味うために費やされてしまうから自分で自分の目的を〇最後に文章たけでいうと面白い句もあるが前いうと おりおもに口調や句切りのほうに意を用いて内容に重 生「することになる。 だから文体をあのま、にしてしかも筋とか、ある人きを措いておらん。平凡な想を妙な口調で述べたにす めいりよう 情とかをキーとあらわすためにはもっと筋を明瞭にぎぬ場所さえある。だから呵責の一編は単に文章もの しなければならない。あるいは人に感じさせようとすとしてみてもえらくない。 る人情をもっと露骨にかかなければならない。 ところ〇最後に文章はさて置いて筋、趣向、人情のほうから ぼう いうとこれはもっと明僚に長くかくかまたは豪からか が君の短編の筋は茫としている。女の呵責もやはり源 いてももっと自然に近いようにかかなければ人を感動 因結果の不明瞭に伴っていっこうひき立たぬ。それだ から文章をもっと容易にするよりほかに改良の途はなせしむることはできん。あの女がむやみに一人で苦し とっぴ んでいるように思われる、苦しみ方が突飛で作者がか ってしたいに道具に使っているように見える。すべて もしまた文章をあの調子で生かせようとするならも あやつりにんぎよう 0 、、 0 の人間が頭も尾もないーク一座の操人形のように っと頭も尾もなくて構わない趣向にしてしまう力しゝ 詩的な空想とか、または官能にだけうったえるような見える。あれではいけないよ。 〇してみると呵責は単に文章としてもあまりえらくな ものにしさえすれば文章だけを味うことができる。 、 0 とら あじわ みち ひとり 釦 7
強、り 限を付けたからである。先方で苦状をいえば逃げる気のう、あんな人間は。なんだか陰気くさい顔ばかりし なきねいり である。逃けられなくても、そのうち向うから泣寐入ているじゃないかー 「そうさね」 にせねばならぬような準備をとゝのえてある。小野さ あした んは明日藤尾と大森へ遊びに行く約東がある。、ーー大「あゝいう人間ははやく死んでくれるほうが好え。だ い・ふ財産があるか。 森から帰ったあとならばたいていなことが露見しても、 藤尾と関係を絶っわけには行かぬだろう。そこで井上「あるようだね」 へは約東どおり物質的の補助をする。 「あの親類の人はどうした。学校で時々顔を見たが」 こう思い定めている小野さんは、浅井君が快よく依「宗近かい」 「そう / ・、。あの男のところへ二三日うちに行こうと 頼に応じた時、まず片荷だけ卸したなと思った。 におい 思っとる」 「こう日が照ると、麦の香が鼻の先へ浮いてくるよう 小野さんは突然留った。 だね」と小野さんの話頭はようやく自然に触れた。 「香がするかの。僕にはいっこうにおわんが」と浅井「なにしに」 「ロを頼みにさ。できるだけ運動しておかんと駄目だ 君は丸い鼻をふん / 、、といわしたが、 うち からな」 「時に君はやはりあのハムレットの家へ行くのか」と 「たって、宗近だって外交官の試験に及第しないで困 「甲野の家かい。まだ行っている。今日もこれから行ってるところたよ。頼んだってしようがない」 くんた」と何気なく言う。 「なに構わん。話に行ってみる」 む・こん 「このあいだ京都へ行ったそうじゃな。もう帰ったか。 小野さんは目を地面の上へ卸して、二三間は無言で ちと麦の香でも嗅いできたかしらんて。 つまらん来た。 かたに おろ こゝろ 2 別
まじめ その女に見惚れて茶碗を落してしまってね」 、そう真面目にならなくっても好い。実は嘘 「あら、ほんとう ? まあ」 だ。まったく兄さんの作り事さ」 「驚ろいたろう。それから急行の夜汽車で帰る時に、 「悪らしい」 めでたく またその女と乗り合せてね」 糸子は目出度笑った。 うそ 「嘘よ」 、、、とう / 、東京までいっしょに来た」 「だって京都の人がそうむやみに東京へくるわけがな蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民 せいそん ぶりよう いじゃありませんか」 は劇烈なる生存のうちに無聊をかこつ。立ちながら三 っ いそがし た こんすい 「それがなにかの因縁だよ」 度の食に就くの忙きに堪えて、路上に昏睡の病を憂う むさぼ 「人を : : : 」 生を縦横に託して、縦横に死を貪るは文明の民である。 「まあお聞きよ。甲野が汽車の中であの女は嫁に行く文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほ んだろうか、どうだろうかって、しきりに心配して : ど自己の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を すりこぎ かみそり 髪剃に削って、人の精神を擂木と鈍くする。刺激に麻 かわ すう 「もうたくさん」 痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新らし 「たくさんなら廃そう」 き博覧会に集まる。 なまえ 獅は否を恋い、人は色に趁る。狗と人とはこの点に 「その女のかたはなんと仰しやるの、名前は」 ( 2 ) こうほう だってもうたくさんだっていうじゃなおいてもっとも鋭敏な動物である紫衣といい、黄袍 人「名前かい ( 3 ) せいきん い力」 、青衿という。皆人を呼び寄せるの道具にすぎ やじうま かっ ( 4 ) どて 「教えたって好いじゃありませんか」 ぬ。土堤を走る弥次馬は必ずいろ / \ の旗を担ぐ。担 ちやわん あり した ま 0
進んで、どうでも方を付けるつもりたが、実際僕はそ「それに僕のほうから言うと、今ちょうど博士論文を の点に関しては潔白なんだからね」 書きかけている最中だから、そんな話を持ち込まれる幻 こうしよう 「うん潔白た。君ほど高尚で潔白な人間はない。僕がとよけい困るんだ」 保証する」 「博士論文をまだ書いとるか、えらいもんじゃな」 小野さんはまたじろりと浅井君の顔を見た。浅井君「えらいこともない」 はいっこう気が着かない。話はまた進行する。 「なにえらい。銀時計の頭でなくちゃ、とてもできん」 「ところが先生のほうでは、頭から僕にそれだけの責「そりやどうでも好いが、 それでね、今言うとお ありがた 任があるかのごとく見做してしまって、そうして万事 りの事情だから、せつかくの厚意は難有いけれども、 ( 1 ) えんえぎ をそれから演繹してくるんだろう」 まあこのところは一旦断わりたいと思うんたね。し 「うん かし僕の性質じゃ、とても先生に逢うと気の毒で、そ 「まさか根本に立ち返って、あなたのお考は出立点がんな強いことが言えそうもないから、それで君に頼み まちが ごびゅう 間違っていますと誤謬を指摘するわけにもいかす : ・ たいというわけだが。どうだね、引き受けてくれるか 「そりや、あまり君が人が好すぎるからじゃ。もう少 「そうか、わけない。僕が先生に逢うてよく話してや し世の中に擦れんと損たぞ」 ちゃづけか たやす 「損は僕も知ってるんだが、どうも僕の性質として、 浅井君は茶漬を掻き込むように容易く引き受けた。 社き そう露骨に人に反対することができないんだね。こと注文どおりこ 冫いった小野さんは中休みに一二歩前へ移 に相手は世話になった先生たろう」 す。そうして言う。 「そう、相手が世話になった先生じやからな」 「その代り先生の世話は生涯する考た。僕もいつまで す かんかえ こと
てあんな女をいゝと思っちゃいけない。小夜子というろう。あれで朝鮮が減亡する端緒を開いては祖先へ申 かれん わか 女のほうがいくら可憐たか分りやしない。 虞美人訳がない。実に気の毒た。朝日新聞の湯島近辺という 草はこれでお仕舞。 のを読んでごらん。ああ、 しう小説もかいて好いという 金子筑水の議論は念の入ったものではない。昨日上お許しが出ると小説家の気も大ぎくなる。僕もまた二 うんぬん 田柳村君が来て文学論について云々して去った。大塚三十年は英語を教えないでどうかこうか飯が食えそう まじめ は真面目に読んでくれて批評をしにやってきた。博覧だ。 会へ行って water シュートへ乗ろうと思うがまた乗 悪縁で英語を習いだしたがこれからなるべく英語を ふしみ らない。伏見の宮さまが英国で大歓迎だという話であ倹約してドイツと依語にしたいと思う。ますドイツを たいきら る。僕は英国が大嫌い、あんな不心得な国民は世界に君に教わりたい。夏休み以後は少しやってくれたまえ。 ない。英語でめしを食っているうちは残念でたまらな以上 七月十九日 かったが昨今の職業はようやく英語を離れて瞞々した。 けいおうぎじゅく わせだ ところが早稲田と慶応義で教師になれというてきた。 豊隆様 食えなければ狗にでもなる。英語を教えるのはワンワ 三四「虞美人草 , 執筆 ( 六 ) ンと鳴くくらいな程度であるからいざとなればやるつ こうむ もりであるが、虞美人草の命があるうちはます御免 七月ニ十日 ( 土 ) 午前十時ー十一時本郷区駒込西片 ( 3 ) ちょうせん る。朝鮮の王様が譲位になった。日本からいえばこん 町十番地ろノ七号より本郷区駒込千駄木町二百三十八番 簡めでたい なⅡ出度ことはない。もっと強使にやってもいゝとこ 地幸川方鈴木三重吉へ とんしゅ ろである。しかし朝鮮の王様は非常に気の毒なものだ。 君はなにを思ったか深夜頓言して手紙をよこした。 歓の中に朝鮮の王様に同情しているものは僕ばかりだそうして内容は僕に会った時と別に変ったことが書い わけ 3 引
「このあいだ甲野の御叔母さんが来て、下で内談をし と思に打ち明けて話してしまうが、実はこうなんだ」 ていたろう。あの時その話があったんだとさ。叔母さ 「訳は聞いてもお嫁にや行かなくってよ」 こうかっ んがいうには、今はまだ可ないが、一さんが外交官 なか / 、狡猾だね。 「条件つきに聞くつもりか ー実は兄さんが藤尾さんをお嫁に貰おうと思うんたがの試験に及第して、身分が極ったら、どうでも御相談 おとっさん を致しましようって阿爺に話したそうだ」 「それで」 「まだ」 「だから好いじゃないか、兄さんがちゃんと外交官の 「まだって今度がはじめてだね」 「だけれど、藤尾さんはお廃しなさいよ。藤尾さんの試験に及第したんたから」 「おや、いつ」 ほうで来たがっていないんだから」 「いつって、ちゃんと及第しちまったんだよ」 「お前このあいだもそんなことを言ったね , 「あら、ほんとうなの、驚ろいた [ 「え、、だって厭がってるものを貰わなくっても好い 「兄が及第して驚ろく奴があるもんか。失礼千万な」 じゃありませんか。ほかに女がいくらでもあるのに」 「だって、そんならはやくそう仰しゃれば好いのに。 「そりや大いに御もっともだ。厭なものを強請るなん ひぎよう これでもたいぶ心配してあげたんだわー て卑怯な兄さんじゃない。糸公の威信にも関係する。 かげ 「まったくお前のお蔭だよ。大いに感泣しているさ。 厭なら厭とことが極まればほかに捜すよ」 「いっそそうなすったほうが可いでしよう」 感泣はしているようなものの忘れちまったんだから仕 方がない」 人「だがその辺が判然しないからね , きようだい へだて 兄妹は隔なき目と目を見合せた。そうして同時に笑 美「だから判然させるの。まあ」と内気な妹は少し驚い たように目を机の上に転じた。 ね」 こんだ っこ 0 おっ 217
が、君はどうなっても構わないという態度は小野さん 「そうかい、奇麗たったろう」とます繋ぎに出してお の取るに忍びざるところである。 いて、そのうちに次の間を考えることにする。ところ 「僕か、僕はどこへ行くか分らない。僕がこの杖を引 が甲野さんは簡単に こたえ かんがえ っ張り回すように、なにかが僕を引っ張り回すだけ「うん」の一句で答をしてしまう。こっちは考のまと まらないうち、すぐなんとか付けなければならぬ。は たれ 、、、だいぶ哲学的だね。ーーー散歩 ?. と下から覗じめは「誰と ? 」と聞こうとしたが、聞かぬまえにい き込んだ。 や「何時ごろ ? 」のほうが便宜ではあるまいかと思う。 「え \ まあ : : : 好い天気だね」 いっそ「僕も行った」と打って出ようかしら、そうし めいりよう 「好い天気た。ーー散歩より博覧会はどうだい」 たら先方の答次第で万事が明瞭になる。しかしそれも ゅうべ 「博覧会かーー博覧会はーー昨夕見た」 入らぬことだ。 小野さんは胸の上、咽喉の奥でし おしもんどう 「昨夕行ったって ? 」と小野さんの目は一時に坐る。 ばらく押間答をする。そのあいたに甲野さんは細い杖 「あゝ」 の先を一尺ばかり動かした。杖のあとに動くものは足 、、あと 小野さんはあゝの後からなにか出て来るだろうと思である。この相図をちらりと見て取った小野さんはも ほと、ぎすびとこえ って、控えている。時鳥は一声で雲に入ったらしい。 う駄Ⅱだ、よそうと咽喉の奥でせつかくの計画をほご つめあか 「一人で行ったのかい」と今度はこちらから聞いてみしてしまう。爪の垢ほど先を制せられても、取り返し を付けようと意思を働かせない人は、教育のカでは翻 人「い、や。誘われたから行った」 えすことのできぬ宿命論者である。 美甲野さんにははたして連があ 0 た。小野さんはもう「まあ行きたまえ。とまた甲野さんが言う。催促され さしす 少し進んでみなければ済まないようになる。 るような気持がする。運命が左へと指図をしたらしく のそ だめ ひるが 141