きようきわ ( 5 ) とうげん 「御免だって今に来る。来た時にあゝそうかと思い当を遡って、魔力の境を窮むるとき、桃源に骨を白うし ( 6 ) じんかん て、再び塵寰に帰るを得ず。たゞの夢ではない。模糊 るんだね」 さん ようせい たる夢の大いなるうちに、燦たる一点の妖星が、死ぬ 「誰が」 まゆ せま すき ( 1 ) こがたなざいく るまで我を見よと、紫色の、眉近く逼るのである。女 「小刀細工の好な人間がさ」 は紫色の着物を着ている。 山を下りて近江の野に入れば宗近君の世界である。 ( 7 ) はく 高い、暗い、日のあたらぬ所から、うら、かな春の世静かなる昼を、静かに栞を抽いて、箔に重き一巻を、 ひざ を、寄り付けぬ遠くに眺めているのが甲野さんの世界女は膝の上に読む。 ひざま ( 8 ) である。 「墓の前に跪づいて言ふ。この手にてーーーこの手にて 君を埋めまゐらせしを、今はこの手も自由ならす。捕 はれて遠ぎ国に、行くほどもあらねば、この手にて君 とこ ( 3 ) 紅を弥生に包む昼酣なるに、春を抽んずる紫のが墓を掃ひ、この手にて香を焚くべきをり / \ の、長 濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしし〈に尽きたりと思ひたま〈。ける時は、耶も むざん あてやかなが たるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶に眺めし等を割きがたきに、死こそ無惨なれ。ローマの君はエ ( 4 ) たまむしがい むる黒髪を、乱るるなと畳める鬢の上には、玉虫貝をジプトに葬むられ、エジ。フトなるわれは、君がロ 1 マ きんあし さえ / 、すみれ に埋められんとす。君がローマは・ - ーー、わが思ふほどの 冴々と菫に刻んで、細き金脚にはっしと打ち込んでい る。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、恩を、憂きわれに拒める、君がローマは、つれなき君 ひとみ がローマなり。されど、情だにあらば、ローマの神は、 黒き眸のさと動けば、見る人は、あなやと我に帰る。 はづかしめ 半滴のひろがりに、一瞬の短かきを偸んで、疾風の威よも生きながらの辱に、市に引かるるわれを、雲の を作すは、春にいて春をする深き眼である。この瞳上よりよそに見たまはざるべし。君が仇なる人の勝利 くれない ( 2 ) やよい たけなわ びん ぬき ひとみ ら さかのぼ しおりぬ た
あ 先生はそんな費用が、どれくらいか、るかまるで一切「時にあの婆さんはどうです、お間に合いますか」 ( 2 ) 空である。したがって、おいそれと簡単な返事ができ「そう、まだ礼も言わなかったね。たん / 、、お手数を 掛けて : : : 」 小野さんはなにを思ったか、左手を畳へつかえると、 「い、え。実は年を取ってるから働らけるかと思った 右を伸して洋燈の心をばっと出した。六畳の小地球がんですが」 急に東の方へ回転したように、一度は明るくなる。先「まあ、あれで結構だ。だん / \ 慣れてくる様子だか また、き 生の世界観が瞬とともに変るように明るくなる。小野ら」 さんはまだ螺旋から手を放さない。 「そうですか、そりや好い按排でした。実はどうかと あぶ 「もう好い。そのくらいで好い。あんまり出すと危な思って心配していたんですが。その代り人間はたしか うけあ い」と先生が言う。 だそうです。浅井が受合っていったんですから」 小野さんは手を放した。手を引くときに、自分でカ 「そうかい。時に浅井といえば、どうしたい。また帰 のそ せびろおもてかくし フスの奥を腕まで覗いて見る。やがて背広の表隠袋からないかい」 まっしろハンケチつま びさき ら、真白な手巾を撮み出して丁寧に指頭の油を拭き取「う帰る時分ですが。ことによると今日くらいの汽 っこ 0 車で帰って来るかもしれません , おと、い 「少し灯が曲っているから : : : 」と小野さんは拭き取「一昨かの手系 ~ ( 一氏こよ、二三日中に帰るとあったよ」 った指頭を鼻の先へ持って来てふん / \ と二三度嗅い 「はあ、そうでしたか」と言ったぎり、小野さんは捩 草 : 」 0 じ上げた五分心の頭を無心に眺めている。浅井の帰京 人ナ ばあ ぼうし 美「あの婆さんが切るといつでも曲る」と先生は股の開と五分心の関係を見極めんと思索するごとくに眸子は いた灯を見ながら言う。 一点に集った。 ひ ひ ( ー ) いっさい あさい あんばい ま ノ 81
常衣ーに のかに交こ女のすを ンるは 外そは動鹿か稚らま く毛げ子ごだは れ 子だ らぎのれあ 膝 落も れら あ重結つま る っか 男が外た しすしカ 冊 侯カ 会る の う いわ んね ンあ 見が 。女 常安 に相羽毳天 っ か面一気い判気殿ーあの いわを舞向ち にて息 たれ 疑予 る守戻て が期凝こぬ と 小て ヒ。野馳か小 沙 : た納行 は女 フ わ すな め今 ミ ッ ド詩 て書 の さ私弁ょ を 燬や住 。出 だ護 快ゆ の女 く と ろあ冫な 隧 ! ・か 対男なあ ス でた フ ィ 責を ン ク じ女 ス の 砂 ね野 を ばさ 出や 人るしひオ のにたけ調 存引よ 在きう を反かなの る 弓 ま そ し、 ん か と に落おる で いのら つ情ーし をうてが矢 、も漲陰女 男起手か い中呼 目 に わ く の に吸 の危 にわれ り よ め じ は けは 開女あ て に答をて 手をし顔れだ景けな髷斈な ナこ の 。た は を 、見み に色るのん つけにらけ 中だきか懸カ 事、床 、そ 。はこぬ 、ぬ人じ持とわ 主 : 刀ら ち見の太たも 駒ー、に や の今も 、ん置か く 合 る を て坐す手 く も 。わ の頭な の に て瓢 ? る を し、 めた て継 るね 。ば 答すず唇肉なの男な昔に のら 細は は 手 で の しれき と る で はあ偶 に ぐ の 子奇ら 。を る 小 野 ん 0 よ い ズ - た ゞ かぬ男所気れ閑 ; 、容弯る が 句 も と よ り 愚 で は慣長 3 たあ何 しで斎ミ で上る せな人 & 。小 さ ん は の 見 出 そ う と っ付。 し、 よ をすも れ く よ し、 0 な ぬ のと狩ぢ松 け野現 さ ん は 空郷す道えま に る みトク のア し、 た の を 見 る と そ の 女 の 性 常 非 カく 格 得かも い の っ て 行 む魚る 人はや で淵い 、る躍や る 、す 鳶まぐ は自 空転 に車 舞に う乗 を と な い 女 王 を し た よ う な と を う き然 0 ー 1 縁行ゆら き は し ま ん 彳予 き は し ま せ ん よ ん レ オ ノ、 ト ラ の ク腑ふ女 に ユ の の ロ マ へ く ーは紫は の の ほ 力、 も の も み は じ の あ る男 行面 ~ つ 為持をも 男 は ん ゝ と 申 し た ぎ り で の 女王吸 ど も に の ぬを相 た た携そ え る 手は か ら 抗も書 ぬ 、呼 と合 不 で あ る み る の の 道な を か ろ う て 抜 け い わ と は よ う に し て 任 持 で の 顔 り し よ 力、 ぎ物 18 読け 、付 て見 よ箔 る 取を
「そりやもちろんです」と言わなければならない。 教育もないからとうてい気にも入るまいが で来て先生は洋燈から目を放した。目は小野さんの方「そこは私も安心している。しかし女は気の狭いもの に向う。なんとか取り合わなければならない。 でね。アハ 、、、困るよ」 「い、えーーーどうして。ーー」と受けて、ちょっと句を なんだかなりに笑ったように聞える。先生の顏は矢 切って見せたが、先生は依然として、こっちの顏から ったためにいよ / ~ 、淋しくなった。 おば 眸を動かさない。そのうえ口を開かずになんだか待っ 「そんなに御心配なさることも要らんでしよう、と覚 ている。 東なく言う。言葉の腰がふら / 、、している。 「気に入らんなんて・ーーそんなことがーーーあるはずが 「私はい、が、小夜がさ」 ないですが」とぼっ / く、に答える。ようやくに納得し 小野さんは右の手で洋服の膝を摩りはじめた。しば ともしび む・こん た先生は先へ進む。 らくは二人とも無言である。心なき燈火が双方を半分 「あれも不憫たからね」 ずつ照らす。 小野さんは、そうだとも、そうでないとも言わなか 「お前のほうにもいろ / \ な都合はあるだろう。しか った。手は膝の上にある。目は手の上にある。 し都合はいくら立ったって片付くものじゃない」 「私がこうして、どうかこうかしているうちは子、。 「そうでもないです。もう少しです」 好いがこのとおりの身体だから、いっ何時どんなこと 「だって卒業して二年になるじゃないか」 「えゝ。しかしもう少しのあいたは : : : 」 がないとも限らない。その時が困る。かねての約東は 「少しって、いつまでのことかい。そこがはっきりし 人あるし、お前も約東を反故にするような軽薄な男では 美ないから、小夜のことは私がいない後でも世話はしてていれば待 0 ても好いさ。小夜にも私からよく話して乃 くれるだろうが : ・ : こ おく。しかしたヾ少しでは困る。いくら親でも子に対 ひとみ ふびん からだ さみ
浮かしたが、目を落してまず黒いした、りを眺めた。 は、不足偽、不足悪に出会するにあらざるよりは、最 丸い輪に墨が余 0 てばっと四方に飛んでいる。青貝は後に、至善を敵とするにあらざるよりは、 ーー効果を ねがえ 寐返りを打 0 て、薄暗いなかに冷たそうな長い光を放収むること難しとす。第三の場合はもとより稀なり。 てさぐり つ。甲野さんは椅子をずらす。手捜に取り上けた洋第二もまた多からず。兇漢は敗徳において匹敵するを むかしみやげ ( 3 ) あひそく 軸は父が西洋から買ってきてくれた昔土産である。 もって常態とすればなり。人相賊してつひに達する能 甲野さんは、指先に軸を撮んだ手を裏返して、拾っ はず、あるひは千辛万苦してはじめて達しうべきもの てのひら た物を、指の谷から滑らして掌のなかに落し込む。掌も、たゞ互に善を行ひ徳を施こして容易に野りうべき むき の向を上下に易えると、長い軸は、ころころと前へ行を思へば、悲しむべし」 もど かたみ き後ろへ戻る。動くたびにきらきら光る。小さい記念 甲野さんはまた日記を取り上げた。青貝の洋筆軸を、 すみつぼ である c ぼとりと墨壷の底に落す。落したま、容易に上げない ころ 洋筆軸を転がしながら、書物の続きを読む。頁をは と思うと、ついには手を放した。レオパルディは開い ぐるとこんなことがかいてある。 たまミ黄な表紙の日記を頁の上に載せる。両足を踏 けんかく あひし くびね 「剣客の剣を舞はすに、カ相若くときは剣術は無術と張 0 て、組み合せた手を、頸根にうんと椅子の背に凭 ( 1 ) ちう あた あおむ 同じ。彼、これを一籌の末に制すること能はざれば、 れか、る。仰向くとたんに父の半身画と顔を見合わし 学ばざるものの相対して敵となるに等しければなり。 人を欺くもまたこれに類す。欺かるるもの、欺くもの あまり大きくはない。半身とはいえ胴衣の釦が二つ ( 2 ) きっさ と一様の譎詐に富むとき、二人の位地は、誠実をも 0 見えるだけである。服はフロックと思われるが、背景 て相対すると毫も異なるところなきに至る。このゆゑの暗いうちに吸い取られて、明らかなのは、わずかに 1 、ろンヤッ に偽と悪とは優勢を引いて援護となすにあらざるより洩るる白襯衣の色と、額の広い顔たけである。 こ 0 チョッキぼたん 188
っ めんいり ふだんぎ 入れる暇もない。不断着の綿入さえ見すぼらしく詩人を欺く煤がかたまって黒く釣りを懸けている。左から すぎばし さん よそお、 ( 1 ) はりへいり の目に映る。 粧に鏡に向って凝らす、玻璃瓶裏に四本目の桟の中ほどを、杉箸が一本横に貫ぬいて、長 ( 3 ) うんかんひた ( 2 ) ばら いほうの端が、思うほど下に曲がっているのは、立ち 薔薇の否を浮かして、軽く雲鬟を浸し去る時、琥珀の なわ ひょうのう かりぬし 小野さんはすぐ藤尾のこと退いた以前の借主が通す繩に胸を冷やす氷嚢でもぶら 櫛は条々の翠を解く。 からかみ を思い出した。これだから過去は駄目たと心のうちに下げたものだろう。次の間を立て切る二枚の唐紙は、 あおい 洋紙に箔を置いてイギリスめいた葵の幾何模様を規則 語るものがある。 くろぬり 「おにしいでしよう」 正しく数十個並べている。屋敷らしい縁の黒塗がなお 「まだ荷物などもそのまゝにしております : : : 」 さら卑しい。庭は二た間を貫ぬく椽に沿うて勝手に折 じよう てつだい きのうおとと 「お手伝に出るつもりでしたが、昨日も一昨日も会がれ曲るという名のみで、幅は茶献上ほどもない。丈に や ありまして : : : 」 足らぬ檜が春に用なき、去年の葉を便く尖らして、瘠 こしたか・ヘい となり 日ごとの会に招かるる小野さんはその方面に名を得せこけて立っ後ろは、腰高塀に隣家の話が手に取るよ うに聞える たる証拠である。しかしどんな方面か、小夜子には想 家は小野さんが孤堂先生のために周旋したに相違な 像がっかぬ。たゞ己れよりは高すぎて、とても寄り付 うつむ 、。しかしきわめて下卑ている。小野さんは心のうち けぬ方面だと思う。小夜子は俯向いて、膝に載せた右 いやすまい なかゆび に厭な住居たと思った。どうせ家を持つならばと思っ 藤尾の指輪とは 手の中指に光る金の指輪を見た。 まつごけはらん ( 6 ) そでがきこぶし むろん比較にはならぬ。 た。袖垣に辛夷を添わせて、松苔を葉闌の影に畳む上 てぬぐい へや みま に、刧り立ての手拭が春風に揺ら付くような所に住ん 小野さんは目を上げて部屋の中を見回わした。低い 人 しらちゃ ふしあな 藤尾はあの家を貰うとか聞いた。 美天井の白茶けた板の、二た所まで節穴のれつきと見えでみたい。 うち かげ あまもり るうえ、雨漏の染みを侵して、こ、かしこと蜘蛛の囲「お蔭さまで、好い家が手に入りまして : : : 」と誇る いそが どり おの み ひざ の ひのき 0 っ た 0 )
・こう が悪いんです。ーーーそ ういうところさえ考え直してく 隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して、隻手 だされば別に家を出る必要はないのです。いつまでもの無能なるを知るがゆえである。悲劇の偉大なるを知 お世話をしても好いのです」 るがゆえである。悲劇の偉大なる勢力を味わわしめて、 うつむ ( 1 ) さんぜまた 甲野さんはこれだけでやめる。母は俯向いたまゝ、 三世に跨がる業を根底から洗わんがためである。不 しばらく考えていたが、ついに低い声で答えた。 親切なためではない。隻手を挙ぐれば隻手を失い、一 わたし ( 2 ) びよう そこの 「そう言われてみると、まったく私が悪かったよ。 目を揺かせば一目を眇す。手と目とを害うて、しかも まえ ーこれからお前さんがたの意見を聞いて、どうとも悪第二者の業は依然として変らぬ。のみか時々に刻々に おそ いところは直すつもりだから : ・・ : 」 深くなる。手を袖に、目を閉するは恐るるのではない。 「それで結構です、ねえ甲野さん。君にも御母さんだ。手と目より偉大なる自然の制裁を親切に感受して、石 うち 家にいて面倒を見てあげるがいい。糸公にもよく話し火の一拶に本来の面目に逢着せしむるの微意にほかな ておくから」 らぬ。 「うん」と甲野さんは答えたぎりである。 悲劇は喜劇より偉大である。これを説明して死は万 あおじろ 隣室の線杳が絶えんとする時、小野さんは蒼白い額障を封するがゆえに偉大だというものがある。取り返 あいいろけむり のぼ を抑えて来た。藍色の烟は再び銀屏をめて立ち騰 0 しが付かぬ運命の底に隘て、出て来ぬから偉大だとい ゅ こ 0 うのは、流るる水が逝いて帰らぬゆえに偉大たという 二日して葬式は済んだ。葬式の済んだ夜、甲野さんと一般である。運命は単に最終結を告ぐるがためにの こっぜん 人は日記を書き込んだ。 み偉大にはならぬ。忽然として生を変じて死となすが 美「悲劇はついに来た。来るべき悲劇はとうから予想しゆえに偉大なのである。忘れたる死を不用意の際に点 えりりん ていた。予想した悲劇を、為すがまゝの発展に任せて、出するから偉大なのである。巫山戯たるものが急に襟 きた よる おっか
「なにを見ているんだ」 大丈夫たろう」 「いや」と言ったま、やつばり眺めている。 甲野さんはハ、、、と笑った。 「実は最近の好機において外交官の試験に及第したん 「御叔母さんに話してこようか」 だから、このとおりさっそく頭を刈ってね、やつばり、 今度はいやともなんとも言わすに眺めている。宗近 じんじ 最近の好機において出掛けなくっちゃならない。塵事君は椅子から腰を浮かしか、る。 多忙だ。なか / く、丸や三角を並べちゃいられない」 「廃すが好い」 めいりよう むこうがわ 「そりやお目出たいー と言った甲野さんは洋卓越に相 洋卓の向側から一句を明瞭に言い切った。 手の頭をつらつら観察した。しかしべつだん批評も加 おもむろに椅子を離れた長髪の人は右の手で額を掻 えなかった。質間も起さなかった。宗近君のほうでもき上げながら、左の手に椅子の肩を抑えたま \ 亡き 進んで説明の労を取らなかった。したがって頭はそれ父の肖像画の方に顔を向けた。 ぎりになる。 「母に話すくらいなら、あの肖像に話してくれ」 へや 親譲りの背広を着た男は、丸い目を据えて、室の中 うるし あ あるじ 「うちの母に洋ったかい」と甲野さんが聞く に聳える、漆のような髪の主を見守った。次に丸い目 「まだ浄わない。今日はこっちの玄関から、上ったかを据えて、壁の上にある故人の肖像を見守った。最後 ら、日本間の方はまるで通らない」 に漆の髪の主と、故人の肖像とを見較べた。見較べて なるほど宗近君は靴のま、である。甲野さんは椅子しまった時、聳えたる人は瘠せた肩を動かして、宗近 さら癶一もよう 人の背に倚りか、って、この楽天家の頭と、更紗模様の君の頭の上から言う。 えりかざり 美襟飾と・ーー襟飾は例によって襟の途中まで浮き出して 「父は死んでいる。しかし活きた母よりもたしかだよ。芻 おやゆすり びろ それから親譲の育広とをじっと眺めている。たしかだよー たいじようぶ 、 0 ににんま そび よ みくら
われても雨が降らねばらぬ。この寒いのに膝掛を拾気分で、不偏不覚に練って行った。穴から手を出して しり われては東京を出るとき二十二円五十銭を奮発した甲制服の尻でも捕まえられては容易ならんと思ったから である。子規は笑っていた。膝掛をとられて顫えてい 斐がない。 子規と来たときはかように寒くはなかった。子規はる今の余を見たら、子規はまた笑うであろう。しかし セル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多死んだものは笑いたくても、顫えているものは笑われ たくても、相談にはならん。 い所を歩行いたことを記憶している。その時子規はど なつみかん かんから、えは長い橋の袂を左へ切れて長い橋を一 こからか夏蜜柑を買うてきて、これを一つ食えと言っ かわら わらぶき ひとふさ っ渡って、ほのかに見える白い河原を越えて、藁葺と て余に渡した。余は夏蜜柑の皮を剥いて、一房ごとに かじぼう ふそろい 裂いては噛み、裂いては噛んで、あてどもなくさまよも思われる不揃な家の間を通り抜けて、梶棒を横に切 いっか、え ったと思ったら、四抱か五抱もある大樹の幾本となく うていると、いつのまにやら幅一間ぐらいの小路に出 かどなみ た。この小路の左右に並ぶ家には門並方一尺ばかりの提燈の火にうつる鼻先で、びたりと留まった。寒い田 はるか 穴を戸にあけてある。そうしてその穴の中から、もしを通り抜けて、よイ / 、寒い所へ来たのである。淦な さえぎ もしという声がする。はじめは偶然だと思うていたがる頭の上に見上げる空は、枝のために遮られて、手の ( 1 ) りようしよう あわ 行くほどに、穴のあるほどに、申し合せたように、左平ほどの奥に料峭たる星の影がきらりと光を放った 右の穴からもし / 、という。知らぬ顔をして行き過ぎ時、余は車を降りながら、元来どこへ寝るのだろうと ると穴から手を出して捕まえそうに烈しい呼び方をす考えた。 ぎろう る。子規を顧みてなんだと聞くと妓楼たと答えた。余「これが加茂の森た」と主人が言う。「加茂の森がわ は夏蜜柑を食いながら、目分量で一間幅の道路を中央れわれの庭た」と居士が言う。大樹を繞ぐって、逆に もど から等分して、その等分した線の上を、綱渡りをする戻ると玄関に燈が見える。なるほど家があるなと気が とら しようし びら よか、え
耋うしぶん 小野さんは申分のない聟である。たゞ財産のないのける。呉れるというのを、呉れたくない意味と解いて、 が欠点である。しかし聟の財産で世話になるのは、 貰う料簡で貰わないと主張するのが謎の女である。六 それがし かに気に入った男でも幅が利かぬ。無一物の某を入れ 畳嗷の人生観はすこぶる複雑である。 よめしゅうとめ て、大人しく嫁姑を大事にさせるのが、藤尾の都合 謎の女は間題の解決に苦しんでとう / ~ 、六畳敷を出 にもなる、自分のためでもある。一つ困ることはその た。貰いたいものをあくまで貰わないと主張して、し 財産である。夫が外国で死んだ四か月後の今日は当然かも一日も早く貰ってしまう方法は微分積分でも容易 くったく 欽吾の所有に帰してしまった。胆はこゝから始まる。に発見のできぬ方法である。謎の女が苦し紛れの屈託 がお じれった 欽吾は一文の財産も入らぬという。家も藤尾に遣る顔に六畳敷を出たのは、焦慮いが高じて、布団の上に という。義理の着物を脱いで便利の赤裸になれるものたたまれないからである。出て見ると春の日は存外 のどか びんなふ なら、降って湧いた温泉へ得たり賢こしと飛び込む気長閑で、平気に鬢を嬲る温風はいやに人を馬鹿にする。 にもなる。しかし体裁に着る衣装はそう無雑作に幻ぎ謎の女はいよ / \ 気色が悪くなった。 えん 取れるものではない。降りそうたから傘をやろうと投椽を左に突き当れば西洋館で、応接間につづく一部 げ出した時、二本あれば遠慮をせぬが世間であるが、 屋は歔吾が書斎に使っている。右は鍵の手に折れて、 見す / \ 呉れる人が濡れるのを構わすに我儘な手を出折れたはすれの南に突き出した六畳が藤尾の居間とな すのは人の思わくもある。そこに謎ができる。呉れるる。 ひしもち まっすぐ というのは本気でいう嘘で、取らぬ顔付を見せるのも菱餅の底を渡る気で真直な向う角を見ると藤尾が立 もうしわけ ぬれいろさば 隣近所への申訳にすぎない。欽吾の財産を歔吾のほう っている。濡色に捌いた濃き鬢のあたりを、栂の柱に うけと なかまど からむりに藤尾に譲るのを、いや / \ ながら受取った圧し付けて、斜めに持たした艷な姿の中穆に、帯深く つくろ ( 2 ) はぎ すゝきなひ 顔付に、文明の手前を繕わねばならぬ。そこで謎が解差し込んだ手頸たけが白く見える。萩に伏し薄に驩く かおっき かさ むぞうさ や ふとん ひとへ