真面目 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 4
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1. 夏目漱石全集 4

いっぺん 尾さんの前で、もう一遍君が明言するんだ」 だけで真面目になるのは、ロだけが真面目になるので、 ( 1 ) ひる 小野さんは少しく癆んで見えた。宗近君はすぐ付け人聞が真面目になったんじゃない。君という一個の人 間が真面目になったと主張するなら、主張するだけの 「なに、僕が君の妻君を藤尾さんに紹介してもい、」証拠を実地に見せなけりゃなんにもならない。 「そう う必要があるでしようか」 「じゃ遣りましよう。どんな大勢の中でも構わない、 「君は真面目になるんだろ毟 僕の前で奇麗に藤遣りましよう」 「宜ろしい」 尾さんとの関係を絶って見せるがい。その証拠に小 夜子さんを連れて行くのさ」 「ところで、みんな打ち明けてしまいますが。 つらあて 「連れて行っても好いですが、あんまり面当になるか は今日大森へ行く約東があるんです」 らーーなるべくなら穏便にしたほうが : : : 」 「大森へ。誰と」 きらい 「面当は僕も嫌だが、藤尾さんを助けるためだから仕「そのーー今の人とです」 方がない。あんな性格は尋常の手段じゃ直せつこな 「藤尾さんとかね。何時に」 ステーション 「三時に停車場で出合うはすになっているんですが」 「しかし : : : 」 「三時とーー今何時かしらん」 めんばく チョッキ 「君が面目ないというのかね。こういう羽目になって、 ばちりと宗近君の胴衣の中ほどで音がした。 面目ないの、極りが悪いのと言って愚図々々している 「もう二時た。君はどうせ行くまい」 うわかわ ようじややつばり上皮の活動た。君は今真面目になる 「廃すですー と一一一一口ったばかりじゃよ、 オしか。真面目というのはね、僕「藤尾さん一人で大森〈行くことは尢丈たないね。打 に言わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。ロち遣っておいたら帰ってくるだろう。三時すぎになれ おおい 254

2. 夏目漱石全集 4

ことは分らないかね」 宗近君はにこりと笑った。小野さんは笑わなかった。 「いえ、分ったです」 「僕が君より平気なのは、学間のためでも、勉強のた 「真面目だよ」 めでも、なんでもない。時々真面目になるからさ。な るからというより、なれるからといったほうが適当た「真面目に分ったです」 「そんなら好い」 ろう。真面目になれるほど、自信力の出ることはない。 真面目になれるほど、腰が据ることはない。真面目に「有いです」 なれるほど、精神の存在を自覚することはない。天地「そこでと、 あの浅井という男は、まるで人間と げんそん の前に自分が儼存しているという観念は、真面目になして通用しない男だから、あれのいうことをいち / \ ってはじめて得られる自覚た。真面目とはね、君、真真に受けちやたいへんだがーー本来を言うと浅井が来 剣勝負の意味だよ。遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなてこれ / \ だと、あれが僕に話したとおりを君の前で くっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意箇条がきにしてでも述べるところだね。そうして、君 味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりのいうところと照し合せたうえで専実を判断するのが するのは、 くら頭の悪い僕でもそのくらい いくら働いたって真面目じゃない。頭の中順当かもしれない。い なことは知ってる。しかし真面目になると、ならない を遺憾なく世の中へ薇きつけてはじめて真面目になっ きのう た気持になる。安心する。実をいうと僕の妹も昨日真とは大間題た。契約があったの、滑ったの転んだの。 面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日嫁があっちゃあ博士になれないの、博士にならなくっ こども ちや外聞が悪いのって、まるで小供みたようなことは、 も、今日も真面目た。君もこの際一度真面目になれ。 どっちがどっちだって構わないだろう、なあ君」 人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。 どうだね、小野さん、僕の言う「え、構わないです」 世の中が助かる。 ひとり ありがた てら 252

3. 夏目漱石全集 4

あた・、かみ なものか一生知らすに済んでしまう人間がいくらもあ 宗近君の言葉にはなんだか暖味があった。 る。皮だけで生きている人間は、土だけでできている 「いるです」と答えた。しばらくしてまた、 」。宗近君は顔を前へ人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるの 「いるです」と答えた。下をく あと もったい に人形になるのは勿体ない。真面目になった後は心持 出した。相手は下を向いたま \ 力い、ものだよ。君にそういう 経験があるかい」 「僕の性質は弱いです」と言った。 小野さんは首を垂れた。 「どうして」 「なければ、ひとつなってみたまえ、今だ。こんなこ 「生れ付きだから仕方がないです」 この機をはすすと、もう これも下を向いたま、言う。 とは生涯に二度とは来ない。 かたひざ 宗近君はなおと顔を寄せる。片を立てる。膝の上駄目だ。生崕真面目の味を知らすに死んでしまう。死 に肱を乗せる。肱で前へ出した顔を支える。そうしてぬまでむく犬のようにうろ / 、して不安ばかりだ。人 間は真面目になる機会が重なれば重なるほどでき上っ 法螺じゃな 「君は学間も僕よりできる。頭も僕より好い。僕は君てくる。人間らしい気持がしてくる。 、。自分で経験してみないうちは分らない。僕はこの を尊敬している。尊敬しているから救いに来た」 とおり学間もない、勉強もしない、落第もする、ごろ ・ : 」と顏を上けた時、宗近君は鼻の先にい ごろしている。それでも君より平気だ。うちの妹なん た。顔を押し付けるようにして言う。 あや 危、時に、生れ付きを敲き直しておかなぞは神経が鈍いからたと思っている。なるほど神経も きよう しよう力い 草 しかしそう無神経なら今日でも、こ 鈍いだろう。 いくら勉強しても、いく いと、生涯不安で仕舞うよ。 こ、だよ、 う遣って車で馳け付けやしない。そうじゃないか、月 美ら学者になっても取り返しは付かない。 野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どん野さん」 2 引

4. 夏目漱石全集 4

「東洋専門の外交官かい」 それで結構だ。日露戦争を見ろ」 ( ー ) けいりん なお おれのようなのはとうて 「東洋の経綸さ。ハ 「たま / イ、風邪が癒れば長命たと思ってる い西洋には向きそうもないね。どうだろう、それとも 「日本が短命だというのかね , と宗近君は詰め寄せた。 修業したら、君の阿爺ぐらいにはなれるだろうか」 「日本とロシアの戦争じゃない。人種と人種の戦争だ 「阿爺のように外国で死なれちやたいへんだ」 「なに、あとは君に頼むから構わない 「むろんさ」 「い、迷惑だねー 「アメリカを見ろ、インドを見ろ、アフリカを見ろ」 「こっちたってたゞ死ぬんじゃない、天下国家のため 「それは叔父さんが外国で死んだから、おれも外国で に死ぬんたから、そのくらいな事はしても宜かろう」死ぬという論法たよ」 ひとり あま 「こっちは自分一人を持て余しているくらいた 「論より証拠誰でも死ぬじゃないか」 . わがま・、 「元来、君は我儘すぎるよ。日本という考が君の頭の 「死ぬのと殺されるのとは同じものか」 なかにあるかい」 「たいがいは知らぬまに殺されているんだ。 じようだん つまはじ 今までは真面目のうえに冗談の雲がか、っていた。 すべてを爪弾きした甲野さんは杖の先で、とんと石 冗談の雲はこの時ようやく晴れて、下から真面目が浮橋を敲いて、ぞっとしたように肩を縮める。宗近君は ぎ上がって来る。 ぬっと立ち上がる。 ( 2 ) がざん 「君は日本の運命を考えたことがあるのか」と甲野さ 「あれを見ろ。あの堂を見ろ。峩山という坊主は一椀 んは、杖の先に力を入れて、持たした体を少し後ろへ の托鉢たけであの本堂を再建したというじゃないか。 しかも死んだのは五十になるか、ならんうちた。やら 「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けば うと思わなければ、横に寐た箸を竪にすることもでき にっぽん からだ かんがえ よ」 たくはっ さいこん わん

5. 夏目漱石全集 4

われ ある閑人の所作である。現在は刻をぎざんで吾を待つ。便だって食いたいものは食いたいですからね」 けん きた ゅうい 有為の天下は眼前に落ち来る。双の腕は風を截って乾「それはのらくら坊主だろう」 こん 「すると僕等はのらくら書生かな」 これだから宗近君は叡山に登りながら 坤に鳴る。 「お前達はのらくら以上だ」 なんにも知らぬ。 ( 1 ) さっ たゞ老人だけは太平である。天下の興廃は叡山一刹「僕等は以上でもい、がーー坂本までは山道二里ばか にちらい の指揮によって、夜来、日来に面目を新たにするものりありますせ」 2 ) びゞ じゃと思い籠めたように、媚々として叡山を説く。説「あるだろう、そのくらいは」 よる 「それを夜の十一時から下りて、蕎麦を食って、それ くはもとより青年に対する親切から出る。たゞ青年は からまた登るんですからねー 少々迷惑である。 「不便だって、修業のためにわざ / 、、あ、いう山を「だから、どうなんだい」 えら 択んで開くのさ。今の大学などはあまり便利な所にあ「とてものらくらじやできない仕専ですよ、 ぜいたく 2 、、、」と老人は大きな腹を競り出して笑った。 るから、みんな贅沢になっていかん。書生のくせに西「ア、 ラソプかさびつくり ( 3 ) 洋燈の蓋が喫驚するくらいな声である。 洋菓子だの、ホイスキ 1 だのといって : : : 」 「あれでも昔は真面目な坊主がいたものでしようか , 宗近君は妙な顔をして甲野さんを見た。甲野さんは と今度は甲野さんがふと思い出したような様子で聞い 存外真面目である。 よる おとっさん 「阿爺叡山の坊主は夜十一時ごろから坂本まで蕎をてみる。 「それは今でもあるよ。真面目なものが世の中に少な 人食いに行くそうですよ」 そうりよ しかし今だって し・ことく、曽侶にも多一くはないが 美「アハ、、まさか」 「なにほんとうですよ。ねえ甲野さん。 いくら不まったくないことはない。なにしろ古い寺だからね。 ひまじん まじめ かいな たち、、、、 お

6. 夏目漱石全集 4

うかわ 「そうかもーーーしれないですーと小野さんは術なげな ている。 「そんな卑しい人間と思われちゃ、急がしいところをがら、正直に白状した。 わけ 「そう君が平たく言うと、はなはたお気の毒だが、ま わざ / \ 来たがない。君だ 0 て教育のある事理の 分った男だ。僕をそういう男と見て取ったが最後、僕ったく専実だろうー 「え、」 の言うことは君に対して全然無効になるわけだ , 「他人が不安であろうと、泰然としていなかろうと、 小野さんはまだ黙っている。 びまじん 「僕はいくら閑人だって、君に軽蔑されようと思って上皮ばかりで生きている軽薄な社会では構ったことじ とにかく浅井のいうと ゃない。他人どころか自分自身が不安でいながら得意 車を飛ばして来やしない。 れんじゅう おりなんだろうねー がっている連中もたくさんある。僕もその一人かもし れない。知れないどころじゃない。たしかにその一人 「浅井がどういいましたか」 し、かね。人間は年に一度だろう」 「小野さん、真面目だよ。、 小野さんはこの時はじめて積椒的に相手を遮ぎった。 ぐらい真面目にならなくっちゃならない場合がある。 あなたうらやま 「貴所は羨しいです。実は貴所のようになれたら結構 上皮ばかりで生きていちゃ、相手にする張合がない。 つま また相手にされても詰るまい。僕は君を相手にするつだと思って、始終考えてるくらいです。そんなところ ちがい もりで来たんだよ。好いかね、分ったかい」 へ行くと僕は詰らない人間に違ないです、 あいきよう 愛嬌に調子を合せるとは思えない。上皮の文明は破 「えミ分りました」と小野さんは大人しく答えた。 しようぜん ほんね 「分ったら君を対等の人間と見ていうがね。君はなんれた。中から本音が出る。悄然として誠を帯びた声で だか始終不安しゃないか。少しも泰然としていないよある。 「小野さん、そこに気が付いているのかね」 ら・ - 亠に , 刀」 まじめ けいべっ おとな 250

7. 夏目漱石全集 4

ずま ( 2 ) 「そうか、それじゃ御免蒙ろう」と宗近君はすぐさま浅いから動くのである。本郷座の込神である。甲野さ 胡坐をかく。 んの笑ったのは舞台で笑ったのではない。 「君は感心に愚を主張しないからえらい。愚にして賢毛筋ほどな細い管を通して、捕えがたい情けの波が、 かたはらいた うぎよ と心得ているほど片腹痛いことはないものたー 心の底からかろうじて流れ出して、ちらりと浮世の日 いさめ ころ 「諫に従うこと流るるがごとしとは僕のことをいった に影を宿したのである。往来に転がっている表情とは ものだよ」 違う。首を出して、浮世だなと気が付けばすぐ奥の院 「酔払 0 ていてもそれなら丈夫だ へ引き返す。引き返すまえに、捕まえた人が勝ちであ しようがい 「なんて生意気をいう君はどうた。酔払っていると知 る。捕まえ損なえば生涯甲野さんを知ることはできぬ。 かしこま わらい ひや りながら、胡坐をかくことも跪坐ることもできない人 甲野さんの笑は薄く、柔らかに、むしろ冷やかであ すみや 間だろう る。その大人しいうちに、その速かなるうちに、その たち さびげ あきら 「まあ立ん坊だね」と甲野さんは淋し気に笋った。 消えて行くうちに、甲野さんの一生は明かに描き出さ いきおいこ しゃべっ がてん 勢込んで喋舌てきた宗近君は急に真面目になる。甲れている。この瞬間の意義を、そうかと合点するもの さ力い 野さんのこの笑い顏を見ると宗近君はきっと真面目に は甲野君の知己である。斬った張ったの境に甲野さん いくた ならなければならぬ。幾多の顔の、幾多の表情のうちを置いて、は、あ、こんな人かと合点するようでは親 で、あるものは必ず人の肺腑に入る。面上の筋肉が我子といえどもいまだしである。兄弟といえども他人で 勝ちに躍るためではない。頭上の毛髪が一筋ごとこ 冫オある。斬った張ったの境に甲野さんを置いて、はじめ ( ー ) ぼうだ 妻を起すためでもない。涙管の関が切れて滂沱の観をて甲野さんの性格を描き出すのは野暮な小説である。 添うるがためでもない。いたずらに劇烈なるは、壮士二十世紀に斬った張ったがむやみに出て来るものでは が事もなきに剣を舞わして床を斬るようなものである。ない。 おど だ、じようぶ おとな ( 3 ) ほん・こうざ

8. 夏目漱石全集 4

ている。 「憐れな花だ」と言った。糸子は黙っている。 ゅうべ 「美しい花が咲いている」 「昨夜の女のような花だ」と甲野さんは重ねた。 「どこに 「どうして」と女は不審そうに聞く。男は長い目を翻 くまざさ 糸子の目には正面の赤松と根方にあしらった熊笹がえしてじっと女の顔を見ていたが、やがて、 見えるのみである。 「あなたは気楽でいゝ」と真面目に言う。 あた、かあご 「どこに」と暖い顎を延ばして向を眺める。 「そうでしようか」と真面目に答える。 くさ 「あすこに。 そこからは見えない」 賞められたのか、腐されたのか分らない。気楽か気 糸子は少し腰を上げた。長い袖をふら付かせながら、楽でないか知らない。気楽がい、ものか、わらいもの ひざがしら 二三歩膝頭で椽に近く擦り寄って来る。二人の距離がか解しにく い。たヾ甲野さんを信じている。信じてい せま かす 鼻の先に暹るとともに微かな花は見えた。 る人が真面目に言うから、真面目にそうでしようかと 「あら」と女は留る。 一一新よりほかに道はな、 0 「奇麗でしよう」 文は人の目を奪う。巧は人の目を掠める。質は人の あきら 「え、」 目を明かにする。そうでしようかを聞いた時、甲野さ ( 1 ) しきげ 「知らなかったんですか」 んはなんとなく雌有い心持がした。直下に人の魂を見 ( 2 ) りげかしら 「い、え、ちっとも」 るとき、哲学者は理解の頭を下けて、無念ともなんと も隸わぬ。 しつ咲いて、 「あんまり小さいから気が付かない。、 っ消えるか分らない」 「いですよ。それでい。 それでなくっちゃ駄目だ。 「やつばり桃や桜のほうが奇麗でい、のね」 いつまでもそれでなくっちゃ駄目だ」 甲野さんは返事をせずに、たゞロのうちで 糸子は美くしい焉を露わした。 とま ねがた むこう あや うつ かす ひるか 158

9. 夏目漱石全集 4

「要するに真面目な処置は、どう付ければ好いのかね。「だがね、今僕の阿父を井上さんのところへ遣ってお そこが君の遣るところた。邪魔でなければ相談になろいたからー 「阿父さんを ? 」 。奔走しても好い」 しようせん 「うん、浅井の話によると、なんでもたいへん怒って 悄然として項垂ていた小野さんは、この時居すまい まむき るそうだ。それからお嬢さんはひどく泣いてるという を正した。顔を上げて宗近君を真向に見る。眸は例に からね。僕が君のうちへ来て相談をしているうちに、 なくしつかと坐っていた。 なぐさめ 「真面目な処置は、できるだけはやく、小夜子と結婚なにか事でも起ると困るからは間かたがたつなぎに遣 するのです。小夜子を捨てては済まんです。孤堂先生っておいた」 にも済まんです。僕が悪かったです。断わったのはま「どうもいろ / \ 御親切に。と小野さんは畳に近く頭 ったく僕が悪かったです。君に対しても済まんです」を下げた。 あと 「なに老人はどうせ遊んでいるんだから、お役にさえ 「僕に済まん ? まあそりや好い、後で分ることだか 立てば喜んでなんでもしてくれる。それで、こうして ら」 と、の 「まったく済まんです。ーー・断わらなければ好かったおいたんだがね、ーーもし談判が調えば、車でお嬢さ です。断わらなければーー浅井はもう断わってしまつんを呼びにやるからこっちへ寄こしてくれって。 たんでしようね」 来たら、僕のいる前で、お嬢さんに未来の細君だと君 「そりや君が頼んだとおり断わったそうだ。しかし井の口から明言してやれ , 「やります。こっちから行っても好いですー 人上さんは君自身に来て断われというそうだ」 あやま 美「じゃ、行きます。これから、すぐ行って謝罪ってき「いや、こゝへ呼ぶのはまだほかにも用があるからだ。認 ます」 それが済んたら三人で甲野へ行くんだよ。そうして藤 うなだれ じャま ひとみ おとっ

10. 夏目漱石全集 4

わきま 前後も弁えぬほどの熱情をもって文をやる男より 子を含んだ表現となって文章のうえにあらわれてくる。も、 もたしかなところがあるかもしれぬ。 人によると写生文家のかいたものを見て世を馬鹿に ちやか わが精神を編中の人物にいちすに打ち込んで、その しているという。茶化しているという。もし両親の小 人物になり済まして、恋を描き愛を描き、もしくは他 供に対する態度が小供を馬鹿にしている、茶化してい るといい得べくんば写生文家もまたこの非難を免かれの情緒を描くのは熱烈なものができるかもしれぬが、 あらわ どうけ いかにも余裕がない作が現れるに相違ない。写生文家 ぬかもしれぬ。多少の道化たるうちに一点の温情を認 めえぬものは親の心を知らぬもので、また写生文家をのかいたものにはなんとなくゆとりがある。暹ってお くったくけ 解しえぬものであろう。 らん。屈托気が少ない。したがって読んで暢び / 、し じんた このゆえに写生文家は地団太を踏む熱烈な調子を避た気がする。まったく写生文家の態度が人事を写しゅ ける。かる狂的の人間を写すのを避けるのではない。 く際に全精神を奪われてしまわぬからである。 写生文家自身までが写さるる狂的な人間と同一になる 写生文家は自己の精神のいくぶんを割いて人事を視 を避けるのである。避けるのではない。そこまで引きる。余すところは常に遊んでいる。遊んでいるところ 込まるることが可笑しくてできにくいのである。 がある以上は、写すわれと、写さるる彼との間に一致 まじめ するところと同時に離れている局部があるという意味 そこで写生文家なるものは真面目に人世を観じてお らぬかの感が起る。なるほどそうかもしれぬ。しかしになる。全部がびたりと一致せぬ以上は写さるる彼に 一方から見れば作者自身が恋に全精神を奪われ、金に なり切って、彼を写すわけにはゆかぬ。依然として彼 全精神を捧げ、名に全精神を注いで、そうして恋と金我の境を有して、我の見地から彼を描かなければなら と、名を求めつ、ある人物を描くよりも比較的に真面ぬ。ここにおいて写生文家の描写は多くの場合におい 口かもしれぬ。描き出たさるべき一人に同情して理否て客観的である。大人は小児を理解する。しかし全然 282