「甲野さんはまだお帰りにならんそうですね」と小野 さんは、うまいところで話頭を転換した。 「だって、ありや兄さんが悪いんですもの」 「まるであなた鉄砲玉のようでーーあれも、始終身体 「甲野君がどうかしたんですか」と小野さんははじめ が悪いとか申して、愚図々々しておりますから、それ て口らしい口を開いた。 ならば、ちと旅行でもしてはき ' ・く、したら宜かろうと 「いえ、あなた、どうも我儘者の寄り合いだもんでご けんか ざんすから、始終、小供のように喧嘩ばかり致しまし申しましてねー、ーでも、まだ、なんだかだと駄々を捏 てーーこないだも兄の本を : ・ : ・」と御母さんは藤尾のねて、動かないのを、ようやく宗近に頼んで連れ出し てもらいました。ところがまるで鉄砲玉で。若いもの 方を見て、言おうか、言うまいかという態度を取る。 ちょうしゃ きようかっ と申すものは : : : 」 同情のある恐喝手段は長者の好んで年少に対して用い 「若いって兄さんは特別ですよ。哲学で超絶している る遊戯である。 「甲野君の書物をどうなすったんです」と小野さんはんだから特別ですよ。 「そうかね、御母さんにはなんだか分らないけれども おそる / \ 聞きたがる。 のんきや それにあなた、あの宗近というのが大の呑気屋で、 「言いましようか。と老人は半ば笑いながら、控えて いる。玩具の九寸五分を突き付けたような気合である。あれこそほんとうの鉄砲玉で、すいぶんの困りもので 「兄の本を庭へ抛げたんですよ」と藤尾は母を差し置してね」 みけん する いて、鋭どい返事を小野さんの眉間へ向けて抛けつけ「ア ( 、、快活な面白い人ですな」 「宗近といえば、お前さっきのものはどこにあるのか た。御母さんは苦笑いをする。小野さんはロを開く。 い」と御母さんは、きり、とした目を上げて部屋のう 「これの兄も御存じのとおりずいぶん変人ですから」 と御母さんは遠回しに棄鉢になった娘の御機嫌をとる。ちを見回わす。 すてばち ごきげん
るの名誉なるは言ふまでもなく候。教授は皆エラキ男京へは参り候。京の人形御所望なればお見やげに買 ってまゐるべく候。どんなのが京人形やら実は知らぬ引 のみと存じ候。しかしエラカラざる僕のごときはほと ( 2 ) かのう んど彼等の末席にさへ列するの資格なかるべきかと存にて候。京都には狩野といふ友人これあり候。あれは じ、思ひ切って野に下り候。生涯はたゞ運命を頼むよ学長なれども学長や教授や博士などよりも種類の違う あ さんたん たエライ人に候。あの人に逢ふために候。わざ / 、京 り致し方なく前途は惨慵たるものに候。それにもか おはさか ( 3 ) いちりき はらず大学に噛み付いて黄色になったノートを繰り返へ参り候。一カはいかが相成るやわかりかね候。大坂 ちかづき すよりも人間として殊勝ならんかと存じ候。小生向後へも参りて新聞社の人々と近付になるつもりに候。昨 なにをやるやらなにができるやら自分にも分らず。た夜はおそく相成り、今日はひる寐をして暮し候。学校 はるさめこ、ち だやるだけやるのみに候。頻年大学生の意気妙に衰へをやめたら気が楽になり候。春雨は心地よく候。以上 おもむ 三月二十三日 夏目金之助 て俗に赴くやう見うけられ候。大学は月給とりをこし 野上豊一郎様 らへてそれで威張ってゐるところのやうに感ぜられ候。 さふら 月給は必要に候へども月給以外になにもなきものども 一 0 京より虚子へ ごろ / \ して毎年赤門をで来るは教授連の名誉これ けい 三月三十一日 ( 日 ) 午後四時ー五時京都市外下加茂 にすぎすと存じ候。彼等はそれで得意に候。小生は頃 じっ ( 1 ) 村二十四番地狩野亨吉内より麹町区富士見町四丁目八番 日へーゲルがベルリン大学で開講せし当時の情況を読 地高浜清へ んで大いに感心いたし候。彼の眼中は真理あるのみに そろ ( 4 ) きこく 拝啓京都へ参り候。所々をぶらっき候。枳殻邸と て聴講者もまた真理を目的にして参り候。月給をあて にしたり権門からよめを貰ふやうな考で聴講せるものか中すものを見たく候。句依へ御紹介を願はれまじく ゃ。頓百 はなき様子に候。呵々 しゃうがい わか とんしゅ
あやっ けもめい がれて懸命に櫂を操るものは色に担がれるのである。 く時、はじめて生きているなと気が付く。 てんぐ 天下、天狗の鼻より著しきものはない。天狗の鼻は古花電車が風を截って来る。生きている証拠を見てこ月 ( 1 ) かくえき ( 4 ) やました謇んな・ヘあたりおら ( 5 ) がんなべ えより赫奕として赤である。色のある所は千里を遠し いと、積み込んだ荷を山下雁鍋の辺で卸す。雁鍋はと とせす。すべての人は色の博覧会に集まる。 くの昔に亡くなった。卸された荷物は、自己が亡くな 蛾はに集まり、人は電光に集まる。輝やくものはらんとしつ、ある名誉を回復せんと森の方にぞろ / 、、 ( 2 ) めのうるり ( 3 ) えんぶだごん 天下を牽く。金《 . 銀、俥峡瑪瑙、琉璃、閻浮檀金、の行く。 たいくつひとみ おぼろ 属を挙げて、ことる \ く退屈の眸を見張らして、疲れ岡は夜を掠めて本郷から起る。高き台を朧に浮かし くち ( 6 ) ねづ たる頭をがばと跳ね起させるために光るのである。昼て幅十町を東へなだれる下り口は、根津に、弥生に、 き おど どお ますはか したや を短かしとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に切り通しに、驚ろかんとするものを枡で料って下谷へ ひと ダイヤモノド ちりばめ ( 7 ) いけはた 鏤たる宝石が独り幅を利かす。金剛石は人の心を奪通す。踏み合う黒い影はことみ \ く池の端にあつまる。 ぬかろみ うがゆえに人の心よりも高価である。泥海に落つる星 文明の人ほど驚ろきたがるものはない。 かわら あざやか すきま の影は、影ながら瓦よりも鮮に、見るものの胸に閃く。 松高くして花を隠さず、枝の隙聞に夜を照らす宵重 おどぜんなんし ぜんによし 閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイル なりて、雨も降り風も吹く。はじめは一片と落ち、次 かぞ ふたびら ミネーションに集まる 0 には二片と散る。次には数うるひまにたゞはら / \ と ふる ばんこう 文明を刺激の袋の底に篩い寄せると博覧会になる。 散る。このあいだじゅうは見るからに、万紅を大地に さん 博覧会を鈍き夜の砂に漉せば燦たるイルミネーション吹いて、吹かれたるものの地に届かざるうちに、稍か ふゞぎ になる。いやしくも生きてあらば、生きたる証拠を求ら後を追うて落ちてきた。忙がしい吹雪はいっかっき あらし めんがためにイルミネーションを見て、あっと驚かざて、今は残る樹頭に嵐もようやく収った星ならすし るべからす。文明に麻痺したる文明の民は、あっと驚て夜を護る花の影は見えぬ。同時にイルミネーション よ きらめ と おかよ かす ほんごう お いそ よ ひとひら
付かないものがめったにあるものかね。 ーー・それを、 ま、ひた / 、に重なり合うて冷えている。 嫁に遣ろうかと相談すれば、お廃しなさい、阿母さん 「お茶でも入れようかねー の世話は藤尾にさせたいからと言うし、そんなら独立「い、え」と藤尾はとく抜け出した香のなお余りある するだけの仕事でもするかと思えば、毎日部屋のなかを、急須と同じ色の茶碗のなかに畳み込む。黄な流れ こも ねころ ひと へ閉じ籠って寐転んでるしさ。 そうして他人にはの底を敵くほどは、さほどとも思えぬが、縁に近くよ るろう あわおもて 財産を藤尾にやって自分は流浪するつもりだなんて言 うやく色を増して、濃き水は泡を面に片寄せて動かす じゃま なる。 うんだよ。さもこっちが邪魔にして追い出しにでもか み ( 4 ) さくら かってるようで見つともないじゃないか」 おをキき馴らしたる灰の盛り上りたるなかに、佐倉 しん なきがらまった 「どこへ行って、そんなことを言ったんです」 炭の白き残骸の完きを毀ちて、心に潛む赤きものを片 おとっさん わぎり 「宗近の阿爺のところへ行 0 た時、そう言 0 たとさ」寄せる。温もる穴の阯れたる中には、黒く輪切の正し たち 「よっぽど男らしくない性質ですね。それよりはやくきを択んで、びち / ( \ と活ける。 、、ーー室内の春光はあ おだや 糸子さんでも貰ってしまったら好いでしように」 くまでも二人の母子に穏かである。 「ぜんたい貰う気があるのかね」 この作者は趣なき会話を娵う。猜疑不和の暗き世界 こ、ち 「兄さんの料簡はとても分りませんわ。しかし糸子さ に、一点の精彩を着せざる毒舌は、美しき筆に、心地 んは兄さんのところへ来たがってるんですよ」 よき春を紙に流す詩人の風流ではない。閑花素琴の春 すみとり すきま つかさ 母は鳴る鉄瓶を卸して、炭取を取り上けた。隙間なを司どる人の歌めく天が下に住まずして、半滴の気韻 ふたすじみすじあい 昔しふも ( 1 ) ひゞやき ( 7 プ」うたんどろ ( 6 ) , つれつ 人く渋の洩れた劈痕焼に、二筋三筋藍を流す波を描いて、だに帯びざる野卑の言語を臚列するとき、毫端に泥を きまゝ ( 2 ) さつま きゅうす みど 美真白な桜を気儘に散らした、薩摩の急須の中には、緑含んで双手に筆を運らしがたき心地がする。宇治の茶 ( 3 ) うじ ひる りを細く綯り込んだ宇治の葉が、午の湯に腐やけたま と、薩摩の急須と、佐倉の切り炭を描くは瞬時の閑を 7 おっか すみ ふたりぼし ちやわん あめした こほ かおり ( 5 )
常衣ーに のかに交こ女のすを ンるは 外そは動鹿か稚らま く毛げ子ごだは れ 子だ らぎのれあ 膝 落も れら あ重結つま る っか 男が外た しすしカ 冊 侯カ 会る の う いわ んね ンあ 見が 。女 常安 に相羽毳天 っ か面一気い判気殿ーあの いわを舞向ち にて息 たれ 疑予 る守戻て が期凝こぬ と 小て ヒ。野馳か小 沙 : た納行 は女 フ わ すな め今 ミ ッ ド詩 て書 の さ私弁ょ を 燬や住 。出 だ護 快ゆ の女 く と ろあ冫な 隧 ! ・か 対男なあ ス でた フ ィ 責を ン ク じ女 ス の 砂 ね野 を ばさ 出や 人るしひオ のにたけ調 存引よ 在きう を反かなの る 弓 ま そ し、 ん か と に落おる で いのら つ情ーし をうてが矢 、も漲陰女 男起手か い中呼 目 に わ く の に吸 の危 にわれ り よ め じ は けは 開女あ て に答をて 手をし顔れだ景けな髷斈な ナこ の 。た は を 、見み に色るのん つけにらけ 中だきか懸カ 事、床 、そ 。はこぬ 、ぬ人じ持とわ 主 : 刀ら ち見の太たも 駒ー、に や の今も 、ん置か く 合 る を て坐す手 く も 。わ の頭な の に て瓢 ? る を し、 めた て継 るね 。ば 答すず唇肉なの男な昔に のら 細は は 手 で の しれき と る で はあ偶 に ぐ の 子奇ら 。を る 小 野 ん 0 よ い ズ - た ゞ かぬ男所気れ閑 ; 、容弯る が 句 も と よ り 愚 で は慣長 3 たあ何 しで斎ミ で上る せな人 & 。小 さ ん は の 見 出 そ う と っ付。 し、 よ をすも れ く よ し、 0 な ぬ のと狩ぢ松 け野現 さ ん は 空郷す道えま に る みトク のア し、 た の を 見 る と そ の 女 の 性 常 非 カく 格 得かも い の っ て 行 む魚る 人はや で淵い 、る躍や る 、す 鳶まぐ は自 空転 に車 舞に う乗 を と な い 女 王 を し た よ う な と を う き然 0 ー 1 縁行ゆら き は し ま ん 彳予 き は し ま せ ん よ ん レ オ ノ、 ト ラ の ク腑ふ女 に ユ の の ロ マ へ く ーは紫は の の ほ 力、 も の も み は じ の あ る男 行面 ~ つ 為持をも 男 は ん ゝ と 申 し た ぎ り で の 女王吸 ど も に の ぬを相 た た携そ え る 手は か ら 抗も書 ぬ 、呼 と合 不 で あ る み る の の 道な を か ろ う て 抜 け い わ と は よ う に し て 任 持 で の 顔 り し よ 力、 ぎ物 18 読け 、付 て見 よ箔 る 取を
1 ソて みきり 知ができぬという外れた鷹なら見限をつけてもう入 「小野さんに喧嘩ができるもんですか」 っ 「そうさ、たゞ教えてもらやしまいし、相当の礼をしらぬと話す。あとを跟けて鼻を鳴らさぬような大なら あと ているんだから」 ば打ち遣った後で、捨ててきたと公言する。小野さん 謎の女にはこれより以上の解釈はできないのである。の不心得はそこまでは進んでおらぬ。放って置けば帰 ち・かい るかもしれない。い や帰るに違ないと、小夜子と自分 藤尾は返真を見合せた。 ゅうべ 昨夕のことを打ち明けてこれ / 、であったと話してを比較した我が証言してくれる。帰って来た時に辛い あわ しまえばそれまでである。母はむろん躍起になって、 目に逢せる。辛い目にわせた後で、立たしたり、寐 かしたりする。笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎさ こ 0 ちに同情するに巡記い。打ち明けて都合が悪いと うえせま はっゅ思わぬが、進んで同情を求めるのは、餓に逼っしたりする。そうして、面白そうな手柄顔を、母に見 ふたり はじめ かどぐち あわれみこ て、知らぬ人の門口に、一銭二銭の憐を乞うのと大しせれば母への面目は立つ。兄と一に見せれば、両人へ きのう それまでは話すまい。藤尾は の意趣返しになる。 た相違はない。同情は我の敵である。昨日まで舞台に ものう あやつりにんぎよう 躍る操人形のように、物言うも懶きわが小指の先で、返事を見合せた。母は自分の誤解を悟る機会を永久に 意のごとく立たしたり、寐かしたり、はては笑わした失った。 じ 「さっき欽吾が来やしないか、と母はまた質間を掛け り、焦らしたり、どぎまぎさして、面白く興じていた しばふ てらがお あつば 手柄顏を、母も天晴れと、うごめかす鼻の先に、得意る。鯉は躍る、蓮は芽を吹く、芝生はしだいに青くな とんじゃく あれは、ほんる、辛夷は朽ちた。謎の女はそんなことに頓着はない。 の見栄をびくつかせていたものを、 す . 、きむこうなび 青亠おもてむき 日となく夜となく欽吾の幽霊で苦しめられている。書 の表向で、内実の昨夕を見たら、招く薄は向へ驩く。 人 むつま 美知らぬ顏の美しい人と、睦じくお茶を飲んでいたと、斎におればなにをしているかと思い、考えておればな弴 心外な蓋をとれば、母の手前で器量が下がる。我が承にを考えているかと思い、藤尾のところへ来れば、ど おもしろ
うしろ ( 8 ) ( 9 ) こじ 「遠いよ」と主人が後から言う。「遠いぜ」と居士が ふる 前から言う。余は中の車に乗って顫えている。東京を につぼん 立っ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。 す きのう 昨日までは擦れ合う身体から火花が出て、むく / と そうみ ( 浦 ) にじ 血管をむりに越す熱き血が、汗を吹いて総身に煮浸み 汽車は流星の疾きに、二百里の春を貫いて、行くわ出はせぬかと感じた。東京はさほどに烈しい所である。 ( 1 ) しちじよう れを七条の。フラットフォームの上に振り落す。余が踵この刺激の強い都を去って、突然と太古の京へ飛び下 の やけいし ⅱ ) さんぶく の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽りた余は、あたかも三伏の日に照り付けられた焼石が、 ザう 喉から火の粉をばっと吐いて、暗い国へ轟と去った。 緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んたようなもの さび ( 2 ) まくす ( 3 ) かも ( ) しゆっこっ たゞさえ京は淋しい所である。原に真葛、日 , に加茂、だ。余はしゆっという音とともに、倏忽とわれを去る ( 4 ) ひえ ( 5 ) あたご ( 6 ) くらま しずか 熱気が、前なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配し 山に比叡と愛宕と鞍馬、ことごとく昔のま、一の原と川 と山である。昔のま、の原と川と山の間にある、一条、た。 くじよう にじようさんじよう じゅうじよう 「遠いよ」と言った人の車と、「遠いぜーと言った人の 二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至って せば ひやくじよ ) ( ロ ) かじ も、皆昔のまである。数えて百条に至り、生きて千車と、顫えている余の車は長き轅を長く連ねて、狭く 年に至るとも京は依然として淋しかろう。この淋しい 細い路を北へ北へと行く。静かな夜を、聞かざるかと さえぎ はるさむよい りん 京を、春寒の宵に、疾く走る汽車から会釈なく振り落輪を鳴らして行く。鳴る音は狭き路を左右に遮られて、 された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばなら高く空に響く。かんから、ん、かんからゝん、という。 あ ぬ。南から北へーーー町が尺きて、家が尽きて、燈が尽石に逢えばか、ん、か、らんという。陰気な音ではな ひゞき きる北の果まで通らねばならぬ。 。しかし寒い響である。風は北から吹く。 京に着けるタ はや と ( 7 ) いちしよう 力、と みち よ お 2 / 4
。君白い帆が見える。そら、あの島の青い山を背が哲学者らしいね、 にしてーーーまるで動かんぜ。いつまで見ていても動か 「哲学者がそんなものを吐くものか」 んぜ」 「ほんとうの哲学者になると、頭ばかりになって、た ( 2 ) たるま たいくっ 「退屈な帆だな。判然しないところが君に似ていらあ。だ考えるだけか、まるで達磨だね」 「あの烟るような島はなんだろう」 しかし奇麗だ。おや、こっちにもいるぜ」 ひょうびよう 「あの島か、いやに縹緲としているね。おおかた竹生 「あの、ずっと向うの紫色の岸の方にもある」 しま 「うん、ある、ある。退屈だらけだ。べた一面た」 島だろう」 「ほんとうかい」 「まるで夢のようだ」 「何が」 「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質 「何がって、倶前の景色がさー さえたしかなら構わない主義だ」 「うんそうか。僕はまた君が何か思い出したのかと思「そんなたしかなものが世の中にあるものか、だから かたづ った。ものは君、さっさと片付けるに限るね。夢のご雅号が必要なんだ」 ふところで としだって慎手をしていちゃ、駄目だよ」 「人間万事夢のごとしか。やれ / 」 まこと 「何を言ってるんだい」 「たゞ死ということだけが真だよ」 「いやだせ」 「おれのいうこともやつばり夢のごとしか。アハ、、 ( 1 ) まさかど ハ時に将門が気炎を吐いたのはどこいらだろう」 「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気はなか / 、、己 まないものだ」 人「なんでも向う側だ。京都を瞰下したんだから。こっ 美ちじゃない。あいつも馬鹿たなあ」 「已まなくって好いから、突き当るのは真っ平御免 「将門か。うん、気炎を吐くより、反吐でも吐くほう みおろ ため うしろ けふ うわき ちくふ もり
た腰を卸しながら笑う。相手は半分顔を背けて硝子越 「そうさ、待合所が黒山のようだった。 に窓の外を透して見る。外はたゞ暗いばかりである。 「京都は淋しいだろう。今ごろは」 汽車は遠慮もなく暗いなかを突切って行く。轟という 、、、ほんとうに。実に閑静な所だ」 「あんな所にいるものでも動くから不思議だ。あれで音のみする。人間は無能力である。 ( 1 ) なんマイル 「ずいぶん早いね。何哩くらいの速カかしらん、と宗 もやつばりいろ / ( 、な用真があるんだろうな」 「いくら閑静でも生れるものと死ぬものはあるたろ近君が席の上へ胡坐をかきながら言う。 まっくら 「どのくらいはやいか外が真暗でちっとも分らん」 う」と甲野さんは左の膝を右の上へ乗せた。 「外が暗くったって、はやいじゃないか」 、生れて死ぬのが用真か。蔦屋の隣家に住ん 「比較するものが見えないから分らないよ」 でる親子なんか、まあそんな連中たね。すいぶんひっ そり暮してるぜ。かたりともしない。あれで東京へ行「見えなくったって、はやいさ , 「君には分るのか」 くというから不楓議だ 「うん、ちゃんと分る」と宗近君は威張って胡坐をか 「博覧会でも見に行くんだろう」 うちた、 き直す。話はまた途切れる。汽車は速度を増してゆく。 「いえ、家を畳んで引っ越すんたそうだ」 たれ 向の棚に載せた誰やらの帽子が、傾いたま \ 山高の 「へええ。 「いっか知らない。そこまでは下女に聞いて見なかっ頂を顫わせている。給仕が時々室内を抜ける。たいて いの乗客は向い合せに顔と顔を見守っている。 「どうしてもはやいよ。おい」と宗近君はまた話しか 人「あの娘もいずれ嫁に行くことだろうな」と甲野さん ひとどと ける。甲野さんは半分目を眠っていた。 美ま独り一『ロのように一一一口う 0 すだぶくろたな 、、、行くだろう」と宗近君は頭陀袋を棚へ上げ「えゝ ? 」 むこう ふる おろ あぐら と をむ ガラス 1 し
くろねひばし ( 2 ) いも すぎばしま て、方寸の杉箸に交ぜ繰り返す。芋をもってみずから錆に瘠せ尽くしたる鉄の火箸を握る。煮え立った鍋は あわ おるものでなければ、謎の女に近づいてはならぬ。謎どろ / \ の波を泡とともに起す。ーー、読む人は怖ろし ダイヤモソド とい、 ) 0 の女は金剛石のようなものである。いやに光る。そし でどころわか ひか それは之である。謎の女はそんな気味の悪いこと てその光りの出所が分らぬ。右から見ると左に光る。 左から見ると右に光る。雑多な光を雑多な面から反射はせぬ。住むは都である。時は二十世紀である。乗り あいキ一ようわ まっぴるま 込んで来るのは真昼間である。鍋の底からは愛嬌が湧 して得意である。神楽の面には二十とおりほどある。 ま わらい 謎の女 いて出る。漾うは笑の波だという。攪き淆ぜるのは親 神楽の面を発明したものは謎の女である。 切の箸と名づける。鍋そのものからが品よくでき上っ は宗近家へ乗り込んでくる。 だいおしよう ぶっそう しんそっ 真率なる快活なる宗近家の大和尚は、かく物騒な女ている。謎の女はそろり / \ と攪き淆せる。手つきさ こわ ( 8 ) のうがかり あめした え能掛である。大和尚の怖がらぬのも無理はない。 が天が下に生を享けて、しきりに鍋の底を攪き回して ( 3 ) からきつくえ ( 4 ) とうこくほうじよう 「いや、だいぶお暖になりました。さあどうぞ」と布 いるとは思いも寄らぬ。唐木の机に唐刻の法帖を乗せ いりくちすわ てのひら とんかた ざぶとん ( 5 ) しなの て、厚い座布団の上に、信濃の国に立っ烟、立っ烟と、団の方へ大きな掌を出す。女はわざと入口に坐ったま ( 6 ) はらき ま両手を尋常につかえる。 大きな腹の中から鉢の木を謡っている。謎の女はしだ のち 「その後は : : : 」 いに近づいてくる。 をうもっさら 悲劇マクベスの妖は鍋の中に天下の雑物を攫い込「どうぞお嗷き : : : 」と大きな手はやつばり前へ突き よるひき みそか 出したま、である。 んだ。石の影に三十日の毒を人知れず吹く夜の蟇と、 ふにん もりきも へびまなこかわほり 草 「ちょっと出ますんでございますが、つい無人だもの 燃ゆる腹を黒き背に蔵す蠑蝋の胆と、蛇の眼と蝙蝠の ・こふさた 鍋はぐら ~ / \ と煮える。妖婆はぐるり /. 、で、出よう出ようと思いながら、とう / 、 \ 御無沙汰に囲 のろ と鍋を回る。枯れ果てて尖れる爪は、世を咀う代のなりまして : ・ : ・」で少し句が切れたから大和尚がなに かぐら さびャ たゞよ ふ