人に出しにく、。 君にはこれより以外に出せないかも 九月二日 しれない。まずは一口評まで。さっそく虚子に送る。 畔柳様 九月八日 五 0 寅彦の「やもり」を評す 寅彦 九月八日 ( 日 ) 本郷区駒込西片町十番地ろノ七号より 五一早稲田南町へ移転 小石川区原町十番地寺田寅彦へ おしろ 九月ニ十八日 ( 土 ) 午前十一時ー十二時本郷区駒込 「やもり」まあ負けて面白いとする。欠点は C 初めは あらものや 西片町十番地ろノ七号より町区富士見町四丁目八番地 お房さんが山になるようだ。ところが荒物屋が主に 高浜清へ〔はがき〕 なってしまった。そこでツギハギ細工のような心持 私の新宅は がする。はじめからやもりに関する記憶をツナゲル 牛込早稲田南町九番地 体で読者にこれが中心点だと思わせないように両者を 並列する心得があればこの矛盾は防げたろうに。国そデアリマス。アシタ越シマス。 ういう態度で並べた話ならもっと渾然としてくる。 五ニ西園寺公「雨声会。欠席状 かんとなればいくっ並べてもやもりで貫いているから。 十月九日 ( 水 ) 午前九時ー十時牛込区早稲田南町七 また文章の感じが一貫しているからである。 ( 3 ) 番地より日本橋区本町三丁目博文館内巌谷季雄、田山録 文章の感じは君の特長を発揮している。やはりドン おとな あわれ りゅう懸つらんかん 弥へ〔はがき〕 グリ感、竜舌闌感である。この種の大人しくて憐で、 ( 5 ) さいをんじ 謹啓西園寺侯爵招待の日どり御変史につき、また しかも気取っていなくって、そうしてなんとなくつや いたりそろ っぽくって、底にハイカラを含んでいる感じはほかのまた御通知を熕はし御手数恐縮の至に候。当日はあい こんん
十番地ろノ七号より牛込区早稲田鶴巻町一番地坂元 ( 当 五早稲田文学へ執筆延期願い 時白仁 ) 三郎へ ・こらいカ そろ ( 3 ) ニ月十三日 ( 水 ) 午後十一時ー十二時本郷区駒込西拝啓先日は御来駕失敬いたし候。その節のお話の さふらふ 片町十番地ろノ七号より牛込区市谷薬王寺前町二十番地義はとくと考へたくと存じ候ところ非常に多忙にてい 早稲田文学社内片上伸へ まだなんとも決せざるうち大学より英文学の講座担任 わせだぶんがく 拝啓今年に至り第一に早稲田文学へ小説を寄稿すの相談これあり候。よってそのはうは朝日のはう落着 るお約東のところ、昨年末より臨時の用事でき目下毎まで待ってもらひおき候。しかして小生は今二三週間 さふら かんじん 日そのはうにて持て余しをり候ふゅゑ肝心のお約東もの後には少々余裕ができる見込みゆゑ、その節は場合 さふらふ ( 5 ) 至急と申すわけに相成りかね候につき当分のあひだ御によりては池辺氏と直接にお目にか、り御相談を遂け 容赦にあづかりたし。まづは右用事まで相述べ候、艸 たしと存じ候。しかしそのまへに考への材料として今 さうとんしゅ うけたま 艸頓百 少し委細のことを承はりおきたしと存じ候。 おはせ 二月十三日 夏目金之助 一手当のことその高は先日の仰のとほりにて増 片上伸様 減はできぬものと承知して可なるや。 おもしろ 野分の評面白く拝見いたし候。わるロのところだい それから手当の保証これはむやみに免職にならぬ ( 6 ) ぶ異存これあり候へども批評として例のごとく体を得 とか、池辺氏のみならず社主の村山氏が保証してくれ たる点において大いにうれしく存じ候。 るとかいふこと 0 何年務めれば官吏でいふ恩給といふやうなものが出 六朝日新聞社入社の件 ( 一 ) るにや、さうしてその高は月給の何分一に当るや。 三月四日 ( 月 ) 午前十時ー十一時本郷区駒込西片町 小生が新聞に入れば生活が一変するわけなり。失敗 312
簡 ことに君がこの件につき御奔走の労を謝す。 これは誤解なきを祈る。 医者にお通ひ中のよし、御病気なるや。大事にせら 虞美人草はまだ片付かず。いっ聚つべしとも見えざれたし。以上 夏目金之助 七月十四日 りけり。以上 白仁三郎様 夏目金之助 七月十二日 白仁三郎様 三ニ虚子の「大内旅館」を評す う (ll) 三一朝日にポーナス違約を」 七月十六日 ( 火 ) 午前八時ー九時本郷区駒込西片町 十番地ろノ七号より松山市一番町十九番地池内方高浜清 七月十三日 ( 土 ) 午後三時ー四時本郷区駒込西片町 へ 十番地ろノ七号より牛込区早稲田鶴巻町一番地坂元 ( 当 啓松山へお帰りのことは新聞で見ました。一昨日 時白仁 ) 三郎へ あすち 拝啓御多忙のところをわざ / 、池辺氏をお尋ね御東洋城からも聞きました。私が弓をひいたがまだあ いっぺん ありがたそろ るのを聞いて今昔の感に堪えん。なんだかもう一遍行 返事をお聞きくたされて難有く候。 まうしこし きたい気がする。道後の温泉へもはいりたい。あなた お申越の理由詳細判然承知いたし候。 のんき もら 六ヶ月以内のものが貰はぬが原則ならば小生の貰ふとい 0 しょに松山で遊んでいたらさぞ呑気なことと思 います。 たのが異数なるべし。深く池辺氏の御注意を謝す。 よ好景気のようなり。三重 池辺君に御面会の節は小生が御もっともと納得した大内旅館についての多評。 おおしろ るうへ同君の御好意を感謝しつ & ある旨を伝へられた吉はたいへんほめていました。寅彦も面白いといいま四 した。そこへ東洋城が来て三人三様の解釈をして議論 かたづ ( ママ ) どうご
簡 三月三十一日 便通はこれなく候。 虚子先生 胃は痛み候。 以上 一京より豊隆へ 三月三十一日 三月三十一日 ( 日 ) 午後四時ー五時京都市外下加茂 一ニ朝日新聞社入社の件 ( 三 ) 村二十四番地狩野亨吉方より本郷区駒込西片町十番地ろ ノ七号夏目方小宮豊隆へ〔封筒の表に「東京本郷西片町 四月十ニ日 ( 金 ) 本郷区駒込西片町十番地ろノ七号よ 十ロノ七夏目金之助様方執事御中」とあり、裏の署名には り牛込区早稲田鶴巻町一番地坂元 ( 当時白仁 ) 三郎へ 「葦わけ人」とあり〕 〔うっし〕 ( 2 ) そろかもやしろ たゞすもり かうむ 京都は寒く候。加茂の社はなほ寒く候。糺の森のな 拝啓朝日新聞入社についてはいろ / 、御厚志を蒙 そろ かに寐る人は夢まで寒く候。 り御心切の段深く鳴謝奉り候。 とゝの 春寒く社頭に鶴を夢みけり その後池辺と相談、ほゞ調ひたるうへ去月二十八日 かはら おもて 高野川鴨川ともに磧のみに候。 京都表へまかり越し、それより大阪朝日の鳥居氏に面 ぬの おもむ 布さらす。わたるや春の風 会のうへつひに大阪に赴き社主および幹部の人々と大 ( 3 ) しせんだう ( 4 ) ぎんかくじ 詩仙堂は妙な所に候。銀閣寺の砂なんど乙なものに阪ホテルにて会食の後翌日再び京都へ立ちもどり昨十 ( 5 ) ちおんゐん ぎをん ( 6 ) きよみづ 候。智恩院はよき所に候。祗園の公園は俗に候。清水一日まで処々見物のうへ今十二日帰京いたし候。今回 も俗に候。 のことはもと大阪鳥居氏の発意に出で、それより東京 たいけい さふらふ 見る所は多く候。 にて大兄の奔走にて三分二以上成就いたし候ことと信〃 時は足らず候。 じをり候。お礼のためまかり出でべきのところそこは 金 おっ 金
簡 書 さみらふ れども万一同君が退社せらるる時は社主よりほかに条にて教員生活をやめ新聞にはひることと相成り候につ 件を満足に履行してくれるものなくまた当方より履行きてはいっさいの文学的作物はそのはうへ回さねばな を要求するあてもこれなきにつき池辺君のみならず社らぬ義務を生じ候。よってはなはた中し訳なき次第な がら御約東を履行する運びに至りかね候。右あしから 主との契約を希望いたし候。 ひっきやら 必竟するに一たび大学を出でて野の人となる以上はずおゆるしくだされたし。まづは右お申し訳かたん、、 さう′ー、し一んしゅ めんにう 再び教師などにはならぬ考ゅゑにいろ / ( 、な面倒なこお断わりまで。艸々頓百 夏目金之助 三月二十二日 とを申し候。なほ熟考せばこの他にも条件が出るやも 片上伸様 しれす。出たらば出た時に申し上げ候がまづこれだけ を参考までに先方へちょっと御通知おきくだされたく 九大学辞職の心境 候。まづは右用事まで。艸々頓言 夏目金之助 三月十一日 三月ニ十三日 ( 土 ) 午後零時ー一時本郷区駒込西片 白仁三郎様 町十番地ろノ七号より府下巣鴨町上駒込三百八十八番地 内海カ野上豊一郎へ 早稲田文学へ執筆断り お手紙拝見。小生が大学を退くについて御懇篤なる ざんき いたりそろ 三月ニ十ニ日 ( 金 ) 午後五時ー六時本郷区駒込西片お言をうけ慚愧の至に候。僕の講義でインスパヤ、・ のぼ 町十番地ろノ七号より牛込区市谷薬王寺前町二十番地早されたとあるのははなはた本懷の至り、講座に上るも のの名誉これにすぎすと存じ候。世の中はみな博士と 稲田文学社内片上伸へ 拝啓かねて御約東の早稲田文学へ寄稿の件荏苒か教授とかをさも難有きもののやうに申しをり候。 延し申し訳これなく候。しかるところ今般ある事情生にも教授になれと申し候。教授にな 0 て席末に列す そろ あり、かた 315
た、 んどう 正宗の名刀でスパリと斬ってやりたい。しかし僕が切例の虞美人草県りをなして筆を執ること面倒なり。ど まちいい 間違の個所は僕 腹をしなければならないからまず我慢する。そうするうか君僕の代りに書いてくれたまえ。 と胃がわるくなって便秘して不愉快でたまらない。僕のところにわかっているからついでに来て見てくれた こ、ろも とんしゅ まえ。お願頓言 の妻はなんたか人間のような心持ちがしない。 二十四日 中学世界での評なんかはどうでもよし。知人を雇う 三重吉様 て方々の雑誌に称賛の端書を送ったらよかろうと思う。 六月二十一日 金 三重吉様 ニ七「虞美人草」執筆 ( 四 ) 六月ニ十九日 ( 土 ) 午前八時ー九時本郷区駒込西片 ニ六「文学論」誤植を怒る 町十番地ろノ七号より小石川区原町十番地寺田寅彦へ 六月ニ十四日 ( 月 ) 午後六時ー七時本郷区駒込西片 〔はがき〕 町十番地ろノ七号より本郷区駒込千駄木町二百三十八番晩はたいてい散歩。それからは日によると休業。も 地幸川方鈴木三重吉へ っとも日中でも頭と相談のうえ時々休業つかまつり候。 ねがい めんどう 拝啓ちょ 0 とお願ができた。また面倒な例の文学だん / \ 暑くなると小説人草」 ) をかくのが厭になる。 まちがい 六月二十九日 論のことだが。あのなかに肯定と否定の間違が四五か ありがと 所あって晋通の誤植とは思えぬほど念の入ったもので 先たっては奥さんがわざ / 、難有う。ついお礼を忘 かけあ ( 2 ) あるにより、大倉をもって秀英舎へ掛合ったところ、 れていた。 秀英舎は責任なしと威張っているよし。僕よってこれ 「虞美人草」執筆 ( 五 ) を朝日新聞紙上において筆誅せんと欲するについては ひつらう せん そろ 326
りでありました。しかるところ公明正大に些々たる所 番地ろノ七号より本郷区森川町一番地小吉館小宮隆へ うんぬん 〔はがき〕 得税のごとき云々と一喝されたために蒼くなって急に まっすぐ 貴意に従って真直に届け出でる気に相成りました。御 広告 きよう とん 安心被さい。毎日入らぬ手紙ばかり書いています。頓今日からいよ / 、虞美人草の製造にとりかゝる。な おもしろ んだかい、加減なことをかいてゆくと面白い 五月二十九日 金之助 ねこ 渋川先生 僕の顏を高等官一等とは恐れ入った。どうか猫をか くような付に生れたいものだ。包子堅太郎君は親任 ニ 0 「文学論」出版 官であったかな、君。金堅君を下ること一等の顏にな 五月三十日 ( 木 ) 午後四時ー五時本郷区駒込西片町っちまった。ほめられたって感謝はできない。 十番地ろノ七号より京都市外下加茂村一一十四番地狩野亨 ニニ「虞美人草」の原稿 吉方菅虎雄へ〔はがき〕 六月七日 ( 金 ) 午前十時ー十一時本郷区駒込西片町 文学論ができたから約東により一部送る。校正者の かんしやく 十番地ろノ七号より京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社 不埒なため誤字誤植雲のごとく雨のごとく癇癪が起っ 内渋川柳次郎へ てしようがない。できれば印刷した千部を庭へ積んで や そろ 火をつけて焚いてしまいたい。 拝啓虞美人草についての御返事承知いたし候。か ( 2 ) きかけるとお産がありましてね。お医者がくる。細君 ニ一「虞美人草」起稿 がうなる。それやこれやでようやく一編だけしかかき幻 六月四日 ( 火 ) 午後五時ー六時本郷区駒込西片町十ません。実のところはなるべく早くかいて安心してし いっかっ あお かげん
( 3 ) ばならない。などと講釈をいうのは野暮の至である。 より京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社内渋川柳次郎へ 世の中は苦にするとなんでも苦になる。苦にせぬとた 拝啓また手紙を差し上げます。わが朝日新聞にお いがいなことは平気でいられる。また平気でなくては いて社員諸君は所得税に対していかなる態度を取られ おおもり 二十世紀に生存はできん。君も平気に大森から大学へますか。社のほうではいち / 、税務署のほうへ生等の 通っているがよかろうと楓う。 所得高を通知されますか。または税務署のほうから照 君が中川の序文を訂正したのを見た。学生が最後の会または検査に参りますか。所得の申告をしろと催促 ごうまんふそん 所を読んで痛快だというた。中川は必すしも傲慢不遯状が来ましたからちょっと参考に伺いたいと思います。 という男ではないのたろう。たゞ日本文をかきつけなそれからあなたはどういうふうになさいますか。お役 いから、あんなものができたのだろう。僕は序に対し人をやめられてからはじめての所得申告という点が小 かこくかんが、ん ては君ほど苛酷な考は持っておらん。右御返囈まで。 生とちょっと似ていますからこれも参考にちょっと聴 ごめんどう 匇々 かしてくださいませんか。いろ / \ 御面倒を願って済 五月二十六日夜 夏目金之助 みません。以上 中村蓊様 五月二十八日 金之助 将来君の一身上につき僕のできることならばなんで 玄耳先生 も相談になるから遠慮なく持ってきたまえ。もっとも 一八「文学評論」出版の件 僕のできる範囲はきわめて狭いものである。 五月ニ十九日 ( 水 ) 本郷区駒込西片町十番地ろノ七号 一七所得税を問 より本郷区駒込西片町十番地反省社内滝田哲太郎へ きのう ( 4 五月ニ十八日 ( 火 ) 本郷区駒込西片町十番地ろノ七号御手紙拝見。実は昨日金尾が来て十八世紀文学出版 いたり ( 5 ) 320
簡 書 るに至ってはいさゝか先生の審美眼を疑わざるを得す と。樗陰はあれを浅薄というそうだ。樗陰は二三日中 君のところへ来訪のはず、よく説論してくれたまえ。 せんだいすし あれは北国で仙台鮪ばかり食っていたからそんなこと ニ四「虞美人草ー執筆 ( 二 ) をいうのだろうと思う。 いゝわけ 生田先生はまさに二十円を拉し去る。言訳に日く、 六月ニ十一日 ( 金 ) 午前九時ー十時本郷区駒込西片 町十番地ろノ七号より本郷区丸山福山町四番地伊藤はる飲んだんではありませんと。 その他の諸君子を見ざること久し。豊隆時々台所に 方森田米松へ 来る。明日帰るそうなり。昨日中村蓊来る。写真をく 御手紙拝見。 かえ れといって持って行く。第二義の顏を方々へ進呈して 君はウーンといって還ってくれたからい、がたし ( 2 ) くもえもん はなはだ不平なり。君雲右衛門なるものを聴いたかい。 力いはうんともなんともいわずはいって来る。 金 六月二十一日 虞美人草ができるまで謝絶と思うたがなか / 、前途 りようえん 米松先生 潦遠いっかきおわるか分らない。かき上げた時はさぞ 愉快だろう。今では小説が本業たからいつまでか、つ ニ五「虞美人草」執筆 ( 三 ) ても時間は惜しくない。例のとおり急行列車に乗る必 六月ニ十一日 ( 金 ) 午後 ( 以下不明 ) 本郷区駒込西 要がなくなった代りに書物をよむひまがなくなるたろ う一と隸う 0 片町十番地ろノ七号より本郷区駒込千駄木町二百三十八 たなばた 七夕さまへ感服してくれたのはうれしい。滝田樗陰番地幸川方鈴木三重吉へ かんしやく 本日虞美人草休業。肝精が起ると妻君と下女の頭を 書を三重吉に寄せて日く夏目先生があんなものをほめ まずは用事のみ。草々 六月十七日夕 豊次郎様 わか らっ 325
しことなし。そんなことをするひまに次の作物か論文 三七結婚する野間真綱へ をかくはうがはるかに有益なり。 まじめ 七月ニ十三日 ( 火 ) 午後八時ー九時本郷区駒込西片 あんなものに真面目に相手になるくらゐならはじめ 町十番地ろノ七号より芝区白金台町一丁目八十一番地野 からあ、いふふうな評論をかかれぬがよろしからうと 間真綱へ 思ふ。 ばくろん 暑いのに牛込まで通うのは難義だなどというのは不 なにかいふことがあらば駁論とせず、次の作物か論 文のうちに十分君の主張を述べらるべし。それが自分都合だ。口を糊するに足を棒にして脳を空にするのは とんちゃく は自由の行動をとってしかもくだらぬ世評に頓着して二十世紀の常である。不平などをいうより二十世紀を じゅそ 呪詛するほうがよい。 をらぬことを事実に証明するゆゑんと思ふ。 夫婦は親しきをもって原則とし親しからざるをもっ 君は文を好む。文を好めば将来かゝる場合多かるべ て常態とす。君の夫婦が親しければ原則に叶ふ。親し し。皆この例にならって決せられんことを希望す。 からざれば常態に合す。いづれにしても外聞はわるい もっとも暑中休暇ゅゑひまがあるならいたづらにい けんくわ ことにあらす 0 くらでも喧嘩をなさるのも一興と思ふ。 君のことを心配したからというて感涙などを出すべ しかし喧嘩をしだすと、相手次第で暑中休暇後まで からず。僕はむやみに感涙などを流すものを嫌ふ。感 もやるつもりでないといけません。途中でやめちゃい うんぬん 涙などを云々するは新聞屋が〇〇の徳を賛し奉る時に けない。まあになるね。以上 用ひるべき言語なり。 七月二十一日 僕は君に世話がしてあげたくても無能力である。金 豊一郎様 は時々人が取りに来る。あるものは人に貸すが僕の家 のり から かな きら 333