撰択をする、またせねばならぬわけであります。ちょ ランス人が革命当時のことを考えたらむちゃだと思う うど車を引いて坂を下り掛けたようなもので前の一歩かもしれす。また浪漫派の勝利を奏したエルナニ事件 すうせい は後の一歩を支配する。後の一歩は前の一歩の勢にを想像しても、あ、熱中しないでもよかろうくらいに 応するような調子で出てゆかなければ旨くゆかない。 は感ずるだろうと思います。がこれが因果であってみ いたかた 人間の歴史はこういう連鎖で結び付けられているのだれば致し方がない。たヾ気をつけてしかるべきことは、 めぐあわ から、決して切り放してみてもその価値は分りません。自分の心的状態がまだそんな回り合せにならないのに、 ぎようさん あせ 仰山にいうと一時間の意識はその人の生涯の意識を包人の因果を身に引き受けて、やきもき焦るのは、多少 ひとせんき 含しているといっても不条理ではありません。したが他の疝気を頭痛に病むの傾きがあるように思います。 って人には現在がいちばん価値があるように思われる。ところが歴史的研究だけを根本義として自己の立脚地 いちばん意味があるごとく感ぜられる。現在がすべてを定めようとすると、わるくするとこの弊に陥りやす あした の標準として適当だと信じられる。だから明日になる いようであります。というものは現に研究しているこ となんた馬鹿々々しい、どうして、あんな気になれた とが自分の歴史なら善かろうが人の歴史である。人は かと思うことがよくあります。昔恋をした女を十年立それる、かってな因を蒔いて果を得て、現在を標準と って考えると、なぜまあ、あれほど逆上られたものかして得意である。それを遠くから研究して、彼の現在 なあと感心するが、当時はその逆上がもっともで、理が、こうだから自分の現在もそうしなければならない の当然で、実に自然で、絶対に価値のあることとしか となると、少し無理ができます。自己の傾向がそこへ 思われなかったのであります。一国の歴史で申しても、向いていないのに、向いていると同様の仕事をしなけ つきあい 一国内の文学だけの歴史で申してもこれと同様の因果ればならなくなる。いわばお付合になる。酷評を加え に東縛されているのはもちろんであります。現代のフると自分から出た行為動作もしくは立場でなくって、 のぼせ しようが、
込み上けてきたうえに、相手の調子がいかにも丁寧では嬉しいほど親切な口調で、こう言 0 た。 親切だからーーっい泣きたくなった。自分はその後い 「 : : : まあどうして、こんな所へお出なすったんだか、 8 ろいろな目に逢 0 て、幾度となく泣きたくな 0 たこと今の男が連れてくるくらいだからたいがい私にも様子 はあるが、擦れ枯しの今日から見れば、たいていは泣は知れてはいるが どうです、もう一遍考えてみち あた くに当らないことが多い。しかしこの時頭の中にたまやあ。き 0 と取ッ付坑夫になれて、金がうんと儲かる 0 た涙は、今が今でも、同じ羽目になれば、出かねまてえような旨い話でもしたんでしよう。それがさ、実 いと思う。苦しい、つらい、口惜しい、心細い涙は経際遣 0 てみるととうてい話の十が一にもゆかないんだ ありがたなみだ つま 験で消すことができる。難有涙もこぼさずに済む。た から詰らないです。第一坑夫と一口にいいますがね。 ひと だ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他かなか / 、たゞの人にできる仕事じゃない、 ことにあな ら認識された時の嬉し涙は死ぬまで付いて回るものに たのように学校へ行って教育なんか受けたものは、ど ( 1 ) てまえかん 避記い。人間はかように手前勘の強いものである。こ うしたって勤まりつ子ありませんよ。 の涙を感謝の涙と誤解して、得意がるのは、自分のた 飯場頭はこゝまで来て、じっと自分の顔を見た。な めに書生を置いて、書生のために置いてや 0 たようなんとか言わなく 0 ちゃならない。さいわいこの時はも 心持になってると同じことじゃないかしら。 う泣きたいところを通り越して、ロが利けるようにな 一」よノ . い、つ - 訳で、飯場掛りの言葉を一行ばかり聞くと、 っていた。そこで自分はこう言った。 急に泣きたくな 0 たが、実は泣かなか 0 た。悄然とは「僕はーー僕はーーそんなに金なんか欲しかないです。 していたが、気は張っている。どこからかしらないが、 なにも儲けるためにやって来た訳じゃないんですから、 抵抗心が出てきた。たヾ思うようにロが利けないから、 そりや知ってるです、僕たって知ってるです・ : 黙 0 て向うのいうことを聞いていた。すると飯場掛り むこ つけ いっぺん
ての答案を英語の尺度で採点してしまうと一般である。その繩張以外の諸点においては知らぬ、わからぬとい その尺度に合せざる作家はことみ、く落第の悲運に際 い切るか、または何事をもいわぬが礼であり、徳義で 会せざるを得ない。世間は学校の採点を信ずるごとく、ある。 評家を信するの極ついにその落第を当然と認定するに これ等の条項を机の上に貼り付けるのは、学校の教 至るたろう。 師が、学校の課目全体を承知のうえで、自己の受持に こゝにおいて評家の責任が起る。評家はまず世間と当るようなもので、自他の関係を明かにして、文学の むか 作家とに向って文学はいかなるものぞという解決を与全体を一目に見渡すと同時に、自己の立脚地を知るの えねばならん。文学上の述作を批判するに方って ( 詩便宜になる。今の評家はこの便宜を認めていない。認 てあた は詩、劇は劇、小説は小説、すべてに共有なる点は共めても作っていない。たヾ手当り次第にやる。述作に 有なる点として ) 批判すべき条項を明かに備えねばな対すると思い付いたことをい、加減に述べる。たから らぬ。あたかも中学および高等学校の規定が何と何と、評し尽したのたか、まだ残っているのか当人にも判然 これ / 、とを修め得ざるものは学生にあらずと宣告すしない。西洋も日本も同じことである。 そろ るがごとくせねばならん。この条項を備えたる評家は これ等の条項を遺憾なく揃えるためには過去の文学 この条項中のあるものについて百より〇に至るまでのを材料とせねばならぬ。過去の批評を一括してその変 点数を作家に付与せねばならん。この条項のうちわが遷を知らねばならぬ。したがって上下数千年に渉って 趣味の欠乏して自己に答案を検査するの資格なしと思抽象的の工夫を費やさねばならぬ。右から見ている人 惟するときは作家と世間とに遠慮して点数を付与すると左から眺めている人との関係を同じ平面にあつめて ことを差し控えねばならん。評家は自己の得意なる趣比較せねばならぬ。昔の人の述作した精神と、今の人 ゅびさ 味において専門教師と同等の権力を有するを得べきも、の支配を受くる潮流とを地図のように指し示さねばな なトばり かげん わた 幻 5
さしつかえ 田南町七番地より千葉県成田町吾妻屋鈴木三重吉へ でも差支あるまじ。 かんがえ あんまり僕をたよりにすべからず自分の考を自分で また / \ 御転宅のよし承知いたし候。学校さだめて 御多忙のことと存じ候。休みには泊りがけに御出京し書いて漱石なにかあらんと思うべし。早稲田のあるも かるべく候。先だって泥棒はいる。両三日前赤ん坊生のの書いたものは驚ろくべく愚なり。あれは生活難の ために先輩の指導を受くる余裕なきによる。あゝなら る。これにて今年も無事なるべきか。文壇紛々ことご とくこれ空洞の響なり。壇上の人また遊戯三昧と心得ぬ君は幸福なれど余裕あるがために万事僕に見せてか て一生を了し得べし。馬鹿々々しきことを馬鹿々々しらのなんのと思案するは独立心なきことなり。これで く思いつ、真面目に進行さすること遊戯三昧の境に達よいと自己で自己を極める分別ありたきものなり。 せざる時は神経衰弱となり喪心失気となる。天寿惜し あくせく 文壇に出る一歩は実際的ならざるべからず。今の愚 むべし。閑日月を抱いて齷齪の計をなす。ならずと なるものに分りやすく、読みやすく、相手になるよう せんや。草々 おもい に見えて、侮りがたき思を起さしめざるべからず。し 十二月十九日 たがって論旨は短からざるべからず、興味は時事問題 三重吉様 ならざるべからす、その他いろ / \ の資格なかるべか 三一文壇登壇の心構え らず。これを重ねてゆくうちにおのずから大いなる根 十ニ月ニ十日 ( 日 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田南底ある議論を出しても人が読むようにも耳を傾けるよ 町七番地より本郷区森川町一番地小吉館小宮豊隆へ うにも ( 今のように生活難と党派心が盛ではそれで、 えら 先だっての論文を出すなら新聞ではとうてい載せ刧むずかしい ) なる。はじめから偉いものを書いたって あた れまい。雑誌がよろしかろう。新らしく書くなら新聞人は相手にしない。相手にするものは日本に五六人し そ・つ 金 ざんまい わか おど さかん わせた 3 幻
、当該課目以外の知識が全然欠乏しているからであ人となり、暴士となり、盲者となり、悪人となる。 今の評家のあるものは、ある点においてこの教師に幻 る。たヾ欠乏しているからではない。その結果として 入らぬところまでのさばり出て、要もない課目を打ち似ていると思う。もっとも尊敬すべき一言語をもって評 けんそん のめさねば巳まぬ底の勇気があるから迷惑なのである。家を翻訳すれば教師である。もっとも謙遯したる意義 これ等の人は自己の主張を守るの点において志士でにおいて作家を解釈すれば生徒である。生徒の点数は はうゆう ある。主張を貫かんとするの点において勇士である。教師によって定まる。生徒の父兄朋友といえどもこの 主張の長所を認むるの点において知者である。他意な権利をいかんともすることはできん。学業の成蹟は一 に教師の判断に任せて、不平をさしはさまざるのみな く人のために尽さんとするの点において善人である。 たゞ自他の関係を知らす、目を全局に注ぐあたわざるらず、かえってこれによって彼等の優劣を定めんとし なわば 加減なところに幅つ、ある。一般の世間が評家に望なところはまさにこ ・がため、わが繩張りを設けて、い、 を利かして満足すべぎところを、足に任せて天下を横れにほかならぬ。 たゞ学校の教師には専門がある。担任がある。評家 行して、からぬのが災になる。人が咎めればいう。 , おれの地面と君の地面との境はどこた。境は自分がきはこ、まで発達しておらぬ。たまには詩のみ評するも めぬだけで、人のほうではとうから定めている。再びの、劇のみ品するものもあるが、しかしそれすら寥々 たっしゃ たるものである。のみならすこれ等の分類は形式に属 ・咎めればいう。このとおり足が達者でどこへでも歩い てゆかれるじゃないか。足の達者なのは御洋のとおりする分類であるから、専門として独立する価値がある はたけ かないかすでに疑間である。してみると、つまりは純 である。足に任せて人の畠を荒らされては困るという 文学の批評家は純文学の方面に関するあらゆる創作を しし生ハ五と のである。かの志士といい、勇士と、 ふえん ろう 善人といわれたるものもこ、においてかたちまちに浪検閲して採点しつ、あることになる。前例を布衍して にん せいせきい
は、今日かぎり銅山を出ようかと思ってたんです。 から考えると、まったく向うの人格に対して、貲って は恥ずべきことた、こちらの人格が下がるという念か きざ さすが山を出て死ぬつもりだったとは言いかねたから萌したものらしい。先方がいかにも立派たから、こ ら、こ、、でちょっと句を切ったら、 っちもできるだけ立派にしたい、立派にしなければ、 そこなおそれ 「そりゃなおさらだ。さっそく帰るがいい」 自分の体面を損う虞がある。向うの好意を享けて、相 トよ、つ - 」 と、安さんが勢いをつけてくれた。自分はやつばり黙当の満足を先方に与えるのは、こちらも悦ばしいカ っていた。すると、 受けるべき理由がないのに、みだりに自己の利得のみ 「たから旅費はおれが拵えてやるから」 を標準に置くのは、乞食と同程度の人間である。自分 と言う。自分はさっきから旅費々々と聞かされるのを、はこの尊敬すべき安さんの前で、自分は乞食である、 。こうもら たゞ善意に解釈していたが、さればといって毫も貰う乞食以上の人物でないという事実上の証明を与えるに りよう 気は起らなかった。昨日飯場頭の合力を断った時の料忍びなかった。年が若いと馬鹿な代りに存外奇麗なも けん のである。自分は、 簡と同じかというと、それとも違う。昨日はぜひ貰い っこ 0 しか たかった、地平へ手を突いてまで貰いたかナ 「旅費は頂きません」 わらじせん し草鞋銭を貰うよりも、坑夫になるほうが得だと勘定と断った。 したから、手を出して頂きたいところを、むりに断っ この時安さんは、煙草を二三ぶくして、煙管を筒 たんである。安さんの旅費ははじめから賃いたくない。 へ入れかけていたが、自分の顔をひょいと見て むな 好意を空しくするという点から見れば、貰わなければ 「こりや失敬した」 済まないし、坑夫を已めるとすれば貰うほうが便利だ と言ったんで、自分は非常に気の毒になった。もし遣 が、それにもか、わらす貰いたくなかった。これは今るから賃っておけとでも強いられたならきっと受けた す きよう や こしら めやす りつば きせる や
世界がなければ、文学は決して生れない。 「坑夫」は今度始めて読んだ。失敗作だという説にはわたしも同意する。だが作家だったら、こ ういうやり方で書いてみたくなるだろうという気持もよくわかる。 非常に想像力があって、好奇心をそそられる他人の話をもとに、作者が自分を捨てて或る人物に のり移って考えたり、行動してみるというやり方である。漱石は「坑夫」を書いている頃、しきり に我とか非我とか、主観とか客観とかいうことを言っており ( 「創作家の態度」 ) 、人間とはこの二つ の両極を常に往き来するものである、と言っている。日本の小説の主人公が、芸術家めいた作者自 身に近い人物 ( つまり主観 ) ばかりであるのは大変っまらない。そういうことに漱石も気づいてい て、人間は主観と客観の両極を往ったり来たりする性質を持っているから、文学も当然そういう性 質を持っていて、浪漫主義的な情操と、自然主義的な客観が互いに消長して、平衡を回復し、回復 するかと思うと平衡を失して永久に発展する、と漱石は「創作家の態度」の中で述べている。 「坑夫ーにおいて漱石は一方では自然主義的な客観 ( つまり自分を離れてその人間にはいりこむ という ) を頭におき、一方では他人になりきるといういわば役者の演技に似た、異った次元におけ る自己を表現してみたかったのだろう。これは一種の二律背反である。彼は、この作品を進めなが ら、どのように他人の意識の内部に入りこんだところで、それは自分自身の意識であり、仮定の人 間の中に自分の想像力を発展させる以外に方法はないと知り、「客観的事実」に忠実でなければな
また未来に出ようとして待ち構えている人もさだめてとは径路を同じゅうすることを好まないことがないと 多いことたろうと思います。してみるとこれ等の四五もかぎらない。 これは今までの作物に飽き足らぬか、 の新進作家ーー必ずしもこれ等の人に限る必要はないもしくは、おれはおれだからぜひ一派を立ててみせる はまた新らしい競争者を得らるることと信ずる。と自己の特色に自信を置くか、または世間の注意を惹 むしゃぶり この競争者の出かたである。出かたに二たとおりあくにはなにか異様な武者振を見せないと効力が少ない なわばり る。一つは自分の繩張うちへはいってきて、似寄った とか、いろ / \ の動機から起るだろうが、要するに模 武器と、同種の兵法剣術で競争をやる。元来競争とな擬者でもなければ、同圏内の競争者でもない。すなわ るとたいていの場合は同種同類に限るようです。同種ち圏外の敵である。この種の競争者が出てくると、文 同類でないと、ほんとうの比較ができないからでもあ壇の刺激は種類と種類の間に起る。種類が多ければ多 るし、ひとつ、あいつを乗り越してやろうという時は、 いほど文壇は多趣多様になって、互に競り合が始まる 裏道があってもかえって気が付かないで、やつばり当わけである。 の敵の向うに見える本街道をあとを慕って走け出すの もしこの二種類の競争すなわち圏の内外に互に競争 が心理的に普通な状態であります。すると同圏内で競が同時に起るとすると、向後吾人の受くる作物は、こ さくぶつ 争が起ります。この競争の刺激によって、作物がだんの両個の刺激からして、在来のはます / \ 在来の方向 だん深さを増してくる。種類が同じだから深さ以外にで深く発達したもの、新興のは新興の領分ででき得る 競争の仕ようがないのであります。 かぎりを開拓して変化を添えるようなものになる。も いま一つの競争は圏外に新手が出ることであります。っとも圏外の竸争が烈しくなると、圏内の競争は比較 おだや 壇これから新たに文壇に顔を出そうと機を覗っている人、的穏かになる。また圏内の競争が烈しい時は、比較的 もしくはすでに打って出た人のうちで、今までのもの外が平和である。 むこ あた した ・こしん 3 イ 9
るかぎりこの根拠地を作りたいと思う。思うに付いて は自分一人でやるより広く天下の人とともにやるほう がわが文界の慶事であるからいうのである。今の評家 はかほどのことを知らぬわけではあるまいから、お互 りようけん にこういう了見で過去を研究して、お互に得た結果を 交換してしぜんとわが邦将来の批評の土台を築いたら よかろうと相談をするのである。実は西洋でもさほど 進歩しておらんと思う。 余は今日までに多少の創作をした。この創作が世間 に解せられすして不平だからこの言をなすのでないの はむろんである。余の作物は余の予期以上に歓迎され ている。たといある人々から種々の注文が出ても、そ の注文者の立場は余によくわかっている。したがって これらの人に対して不平はなおさらない。だから余の いうことは自己の作物のためでないことは明かである 余はたヾわが邦未来の文運のためにいうのである。 ( 明治四〇・一・一「読売新聞」 ) 幻 8
価値は乏しい。真とか真でないということは、たくさめて世間に通用する真が成立するのだから、この切実 だれ な経験を誰が見ても動かすべからざる真にもり立てよ んの人の経験が一致して存在していると認めるか、ま ひとり うとするには、これを客観的に安置する必要が起って た天下に一人でもいいからその存在を認めたものがあ って、これが真だといった時に、他のものがこれを認まいります。そこで私はこの演説の冒頭に自分の過去 識しなくてはならんものであります、また本人は真だの経験も非我の経験と見做すことがでぎるといってあ と証明し得るものでなくてはなりません。でき得るもらかじめ予防線を張っておきました。刻下の感じこそ、 のならば実験ででも証明し得るもののほうがたしかに我の所有で、また我一人の所有でありますが、回顧し こ感じは他人のものであると申しました。少なくとも は相違ないのであります。ところがこの幽霊談になるナ となか / く、容易には証明できない。できるようになる自分に縁故のもっとも近い他人のものとして取り扱う うそ ことができると申しました。愛というと一字でありま かもしれませんが、今のところではまず嘘に近いほう であります。しかしながら胸中の恋とか、なっかしさす。自分の愛と人の愛といえば、たとい分量性質が同 というものは、たとい人に見せられないまでも、よしじでもついに所有者が違ってまいります。愛の見当が 人が想像してくれないまでも、また好い加減に甲、乙、違います。方角が違います。したがって自己の過去の 丙、丁のだれの胸の中にも存在しているんたろうくら愛と他人の愛とは等しく非我の経験と見做し得ます。 いに推察しているにもか、わらず、自分だけにとってこの点において主観的なる愛そのものを一歩離れて眺 度はこれほどたしかなものはありません。これほど刧実めることができます。たヾ困ることは、 . 時により場合 な経験はありません。たからやつばり真だろうといわにより増減があって、変化の度が著るしく目につくん れると、御もっともといわなければなりません。たゞで、それがため客観的価値がだいぶ下落いたします。 、くら客観的に見ること 自分に真なものすなわち人に真なものになって、はじのみならず悲しいことには、し 323