美禰子 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 6
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1. 夏目漱石全集 6

四郎 いうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、 この坂の上に立って、 「これはたいへんだ、と、さも帰たそうである。四人一間ばかり離れた。美子はもう三四郎より先にいる。 ちょうか 力しして町家のものである。教育のありそう はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。そ見物は、 : 、 の谷が途中からだら / 、と向へ回り込む所に、右にもなものはきわめて少い。美禰子はその間に立 0 て振り 左にも、大きな轗の小屋を、狭い両側から高く構返 0 た。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々 えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなる宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根を指しなが まで込み合 0 ている。そのなかで木戸番ができるだけら、なにか熱心に説明している。美禰子はまた向をむ いた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三 大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形 ぐんじゅ から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子 のあとを追って行った。 声は尋常を離れている。 ら・、ついわ′ ようやくのことで、美蒲子の傍まで来て、 一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五 あおだけ よりとも 「里見さん」と呼んだ時に、美子は青竹の手欄に手 郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。た だし顔や手足はことみ \ く木彫である。その次は雪がを突いて、心持首を戻して、三四郎を見た。なんとも ( 3 ) ( 2 ) しやく 降っている。若い女が癪を起している。これも人形の言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、 おのさ すきま しん 心に、を一面に逾わせて、花と葉が平に隙間なく衣腰に斧を指した男が、瓢簟を持って、滝壷の側に跼ん かっこう でいる。三四郎が美子の顔を見た時には、青竹のな 装の恰好となるように作ったものである。 かに何があるかほとんど気が付かなかった。 よし子は余念なく眺めている。広田先生と野々宮は 「どうかしましたか」と思わす言った。美子はまだ しぎりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとか かえり ( 1 ) てすり ひょうたん けんふつ 9

2. 夏目漱石全集 6

らよ、。 「三四郎」の光は、隅ずみまで遍ねく行き渡っている。風も吹き通る。 団子坂の菊人形の雑踏を抜けて、三四郎と美禰子が谷中の町を横切る小川のほとりへさしかかる あたりは、編中で、最も技巧的に美しい場面かも知れない。流れがあり、その縁に生える草があり、 橋があり、軒に一面に唐辛子を干し並べた藁屋根の家があり、大根を洗う百姓がいる。これ等が書 割である。空の色が濁って来る。例の「ストレイ・シ 1 プ」はここで出て来るのだが、この意味あ りげな言葉が女の口から出て自然に響くためには、それたけの背後の情景が必要とされたのだった ろう。「ストレイ・シープ」の一言葉で、私は、謎めいた女の心理よりも、真赤な唐辛子を吊した家 のある風景を思い出す。極めて人工的な会話が、当時は少し町を出外れれば眼にする事が出来たに 違いない風景によって支えられている。 もう一つ、広田先生の引越しの日、新居へ掃除に行った三四郎が、美禰子と初めて会う場面も挙 げておいていいだろうか。ここでも印象づけられるのは、風に包まれ、「秋の中に立って」いる女 の風姿よりも、静かな天長節の午後の町のたたずまいである。 この頃は昔を懐しむ人が多いけれども、明治は陰惨でいやな世の中だった、と九十歳に近い高橋 誠一郎氏は言われたそうだ。恐らくそうであろう。「門」を読めばそれは解る事である。一方で、 「三四郎」はそこからやや離れた場所にある。格別に目立っ性格でもなく、良識と内省的な臆病さ を持った青年が、外界に触れて眼を開いて行く過程には、大どかな味わいがあり、それもまた明治 3

3. 夏目漱石全集 6

とっ 「お父さんや御母さんは」 四郎は今度は正直に、 よし子は少し笑いながら、 「え \ 少し黒すぎますーと答えた。すると、よし子 えふで 「ないわ , と言った。美禰子の父母の存在を想像するは画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、 こつけい のは滑稽であるといわぬばかりである。よほど早く死「入らっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をし こ 0 んだものとみえる。よし子の記憶にはまるでないのだ ろう。 「たび / \ ? 」 「そういう関係で美子さんは広田先生のうちへ出入「え、たび / \ 」とよし子は依然として画紙に向って をなさるんですね」 いる。三四郎は、よし子が画のつゞきを描きだしてか なかよし 「え、。死んだ兄さんが広田先生とはたいへん仲善だら、問答がたいへん楽になった。 のぞ ったそうです。それに美子さんは英語がすきだから、 しばらく無言のまゝ、画のなかを覗いていると、よ 時々英語を習いに入らっしやるんでしよう」 し子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、 ふなれ 「こちらへも来ますか」 あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなか / \ 不慣 よし子はいつのまにか、水彩画の続きを描き始めた。 なので、黒いものがかってに四方へ浮ぎ出して、せつ かげぼししぶかき 三四郎が傍にいるのがまるで苦になっていない。それかく赤くできた柿が、蔭干の渋柿のような色になった。 でいて、よく返事をする。 よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあ わら ( 1 ) 「美禰子さん ? 」と聞きながら、柿の木の下にある藁とへ引いて、ワットマンをなるべく遠くから眺めてい ぶぎ ちいさ 葺屋根に影をつけたが、 たが、仕舞に、小な声で、 「少し黒すぎますね、と画を三四郎の前へ出した。三 「もう駄目ね」と言う。実際駄目なのだから、仕方が でいり

4. 夏目漱石全集 6

四郎 ( 1 ) たより 時に快活である。頼になるべきすべての慰謝を三四郎ら」 「あなたはお嫁には行かないんですかー の枕の上に齎してきた。 む 「行きたい所がありさえすれば行きますわ」 「蜜柑を剥いてあけましようか」 、棄てて心持よく笑った。まだ行きたい 女は青い葉の間から、果物を取り出した。渇いた人女はこういし 所がないにれっている。 は、に迸しる甘い露を、したゝかに飲んた。 みやげ 美子さんのお見舞よ」 「美味いでしよう。 三四郎はその日から四日ほど床を離れなかった。五 もうじゃ 「もうたくさん」 日目に怖々ながら湯に入って、鏡を見た。亡者の相が あく ある。思い切って床屋へ行った。その明る日は日曜で 女は袂から白い手帛を出して手を拭いた。 ある。 「野々宮さん、あなたの御縁談はどうなりました」 あさめー 「あれぎりです」 朝食後、観衣を重ねて、外套を着て、寒くないよう 「美子さんにも縁談のロがあるそうじゃありませんにして、チ禰子の家へ行った。玄関によし子が立って、 くっぬぎ か」 今沓脱へ降りようとしている。今兄の所へ行くところ まとま 「え、、もう纏りました」 だと言う。美禰子はいない。三四郎はいっしょに表へ 出た。 「誰ですか、先はー 「私を貰うと言ったかたなの。ほゝ、可笑いでしよう。「もうすっかり好いんですか」 美禰子さんのお兄さんのお友たちょ。私近いうちにま「難有う。もう癒りました。 た兄といっしょに家を持ちますの。美子さんが行っ ったんですか」 ごやっかい てしまうと、もう御厄介になってるわけにゆかないか「兄さん ? 」 ほと要 さき ハンケチ おかし かわ かめ 里見さんはどこへ行 幻 9

5. 夏目漱石全集 6

さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪顔もせす、といって、優しい言葉 , も掛けす、たヾそう おもいっき い思付ではなかったと、はじめて来た時から、むしかそうかと聞いている。 たくらい、居心地の好い所である。その時野々宮さん 三四郎はこのあいだなんにも言わすにいた。よし子 は廊下へ下りて、下から自分の部屋の軒を見上けて、 は愚な禀ばかり述べる。かっ少しも遠慮をしない。そ わらふき わいま ちょっと見たまえ、藁葺たと言った。なるほど珍らしれが馬鹿とも思えなければ、我儘とも受取れない。兄 く屋根に瓦を置いてなかった。 との応対を儚にいて聞いていると、広い日あたりの好 今日は夜たから、屋根はむろん見えないが、部屋の い畠へ出たような心持がする。三四郎は来るべきお談 中には電燈が点いている。三四郎は電燈を見るやいな義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされ こ 0 や藁葺を思い出した。そうして可笑しくなった。 わたし ことろて 「妙なお客が落ち合ったな。入口で逢ったのか。と野「あ、、 私忘れていた。美禰子さんのお言伝があって 野宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説よ一 明している。ついでに三四郎のような襯衣を買ったら 「そうか じよげん うれ 好かろうと助言している。それから、このあいたのバ 「嬉しいでしよう。嬉しくなくって ? かゆ イオリンは和製で音が悪くって不可ない。買うのをこ 野々宮さんは痒いような顏をした。そうして、三四 れまで延期したのだから、もうすこし良いのと買い易郎の方を向いた。 えてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのな「僕の妹は馬鹿ですね」と言った。三四郎は仕方なし ら我慢すると言っている。そのほか似たり寄ったりの に、たゞ笑っていた。 こね 駄々をしきりに捏ている。野々宮さんはべったん怖い 「馬鹿じゃないわ。ねえ、 かわら はたけ 川さん」 0

6. 夏目漱石全集 6

三四郎はまた変な顏をしている。曇った秋の日はも 「それで宜いです」 う四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人は 「なぜ悪いの ? 」 「だから可いです」 きわめて少い。別室のうちには、たゞ男女二人の影が そむ あるのみである。女は画を離れて、三四郎の真正面に 女は顔を背けた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。 立った。 戸口を出る拍子に互の肩が触れた。男は急に汽車で乗 「野々宮さん。ね、ね」 り合わした女を思い出した。美子の肉に触れたとこ うず 「野々宮さん : : ・こ ろが、夢に疼くような心持がした。 「解ったでしよう」 「ほんとうに宜いの ? 」と美子が小さい声で聞いた。 おおなみ 美禰子の意味は、大濤の崩れるごとく一度に三四郎向から二三人連の観覧者が来る。 の胸を浸した。 「ともかく出ましようーと三四郎が言った。下足を受 「野々宮さんを愚弄したのですか」 取って、出ると戸外は雨だ。 「なんで ? 」 「精養軒へ行きますか」 女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然と 美禰子は答えなかった。雨のなかを濡れながら、博 して、あとを言う勇気がなくなった。無言のまゝ二三物館前の広い原の中に立った。さいわい雨は今降りだ 歩砌きたした。女は縋るように付いて来た。 したばかりである。そのうえ烈しくはない。女は雨の 「あなたを愚弄したんじゃないのよ」 なかに立って、見回しながら、向うの森を指した。 かげ 三四郎はまた立ち留った。三四郎は背の高い男であ「あの樹の蔭へはいりましよう」 おろ る。上から美子を見下した。 少し待てば歇みそうである。二人は大きな杉の下に なんによ こっぜん ノ 5 び

7. 夏目漱石全集 6

を有しているのたから面白い、その面白い種々の性格情を持っていなくってただ男の心を支配してみすから のうちで、最もよくでぎているのは「カツツ = ン・シ楽しもうとしたんたか、あるいは単にああいう動き方 それ自身に興味を持っていたんだか、そのいすれかを、 ュテッヒ」のレギーネと「エス・ヴァール。のフェリ あるいはその全体を、無意識にやっているのだか、有 チタスとである ( 近ごろできた「ダス・ホーエ こも女が主人公として取扱ってあるそ意識にやっているんだか、まるでわからない。読者は、 ド」という小説冫 うだが、まだ読んでみないから、何とも言えぬ ) 。しか同時にまた三四郎に推断臆測の余地を与えすに動いて いる。しかもその動いているところを読んでいくと、 し二人とある傾向を持って動いているんだからして、 うまいながら一筋の繩で始末することのできる性格美子はたしかに活きている。この点がズーデルマン であると思う。レギーネは野生の女 ( 野生たと言っての書いたフェリチタスや、ツルゲニエフの女やらより もゴルギーの書いているマルヴァ的の野生ではない ) も、もう一歩進んた個性的な近代的な女性のクリエー ションだというところである。 を、野生なるがままに写しいでてうまいのである。フ ある人は、この点をとらえて、美子の性格に統一 エリチタスはいわゆる社交界の夫人のある特殊性を極 端に引きのばして、描き活かしたものである。複雑でがないと言って批難しておった。しかしながら、性格 はあるが、複雑なるのの動き方がある一つの方向に に統一があるということは一方から言えば一本調子の 向かっているのだから、まだ書きやすいと思う。 人間を書くということである。そんな人は米の飯を喰 美禰子の動き方に至っては、ついに「筋の繩で始末ってるところから書き出せば、年百年じゅう米の飯ば のできない動き方である。あの女の動き方は一定の方かり喰わせていなければ承知しない連中である。西洋 たんげい 面を指し示していないから端倪することができないの料理を喰ったら駄目だと言うに違いない。そう人間は である。三四郎に対して愛情を持っていたんだか、愛一本調子に行くものではないことは、美禰子を批難す

8. 夏目漱石全集 6

本書一七 三四郎は内気な性質として描き出されている。女親 ( 三三一一 」 ) のは、自分ひとりで考えて、自分 の意志で決行したことなのだから、よほどの決心 ( 三 の手に育ったことになっている。頭が複雑に進んでい 、。、ツシーブな四郎にとっては ) が必要だったろうと思う。原口さん る割合に、すべてに対して小供らしく , 人間になっている。そうして女に対してある恐れを有のうちに行ったのは自由意志でやったにはやったが、 して望まなければならん因果を有している。三四郎のただ与次郎から、美子が毎日絵にかかれに行くと聞 いて、丁度いい機会だからと思って、別に決心の臍を 頭の中は、名古屋の宿屋で受けた、女は恐ろしいとい 、、。その次 う強い印象に、常に支配されている。生れつき女らし固めるほどのこともなく行ったとしてもしし に、原口さんのうちで一時間程待って一緒に帰る時、 、。ハッシーブな性質と、女から得た強い第一印象は、 本書一八 常に彼の行動を、ある程度に東縛して、ある点まで進「あなたに会いに行 0 たんです」 ( 三五一〔九 か、「たゞ、あなたに会いたいから行ったのです」 ( 三 んたっきり、一歩外に出ることを許さない。行くと 本書一八 ころまで行「てみることのできぬ人間である。そんな五二〔九 〕 ) とか切「て出たのは、三四郎にと「て は、思い切った飛躍である。在来の三四郎が、ここま 人間が、必要に迫られたからたといって、美禰子を、 訪ね里見〈行く ( 二六八ー〔本書一四 〕 ) のは、よくせきで突き進んだのは、丁度、ほかの男が ( 三四郎のよう のことである。東京に出てきて、いろいろな人と交際な性質でなく、三四郎のような「種の因果を持ってい ない男 ) 女の手を握って、地に跪すき、天を仰いで、 して、よっぽど自由な人間になっているとよ、 切実なる恋を打ち明けるくらいな猛烈さがあると思う。・ ら、それたけ、美子に対して、強いアットラクショ ンを感していなければできないことである。美禰子の三四郎のこの場合における言動は、外に現れている部 うちに訪ねて行ったのは、必要に迫られたからたとし分よりも、内に含まれて、ポテンシャル・エナージー ても、次いで、原口さんのうちに美子に会いに行く として存している内部の動揺の方が劇しいんだと思う。・

9. 夏目漱石全集 6

長く引延ばして利用しようと試みた。それで比較的人 はそれほどの影響なこの女のうえに ~ しておる。 三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己れを意識した。の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃない いざな けれどもその影響が自分にとって、利益か不利益かは かと女を誘ってみた。ところが相手は案外にも応じな おおどおり いけがき かった。一直線に生垣の間を横切って、大通へ出た。 未決の間題である。 その時原口さんが、とう , イ、筆を擱いて、 三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、ほんとうにどうかし 「もう廃そう。今日はどうしても駄目だ」と言いだし たんですか」と聞いた。 た。美子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に 「私 ? 」と美子がまた言った。原口さんに答えたと 落した。椅子に掛けた羽織を取って着ながら、こちら 同じことである。三四郞が美禰子を知ってから、美彌 へ寄って来た。 子はかって、長い言葉を使ったことがない。たいてい 「今日は疲れていますね」 ( 1 ) ゆき ひも の応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ 「私 ? 」と羽織の裄を揃えて、紐を結んだ。 あした 「いや実は僕も疲れた。また明日元気の好い時に遣り簡単なものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には ゆっくり 一極の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞き ましよう。まあお茶でも飲んで緩なさい」 夕暮には、まだ間があった。けれども美禰子は少しうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服し 用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わた。それを不思議がった。 ざと断って、美藩子といっしょに表へ出た。日本の社「私 ? 」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ 会状態で、こういう 機会を、随意に造ることは、三四向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その 郎にとって困難である。三四郎はなるべくこの機会を目には暈が被っているように思われた。いつになく感 ひとまわ ノ 88

10. 夏目漱石全集 6

四郎 せむり てみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船これを評して鼻から哲学の燗を吐くと言った。なるほ ゅうぜん けむ 長に瞞されて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事ど烟の出方が少し違う。悠然として太く逞しい棒が一一 が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚本穴を抜けて来る。与次郎はその烟柱を眺めて、半分 からかみ 背を唐紙に持たしたま、、黙っている。三四郎の目はほ だとして後世に信ぜられているという話である。 ( 1 ) まるで小集の体 「面白いな。里見さん、どうです、一つォルノーコでんやり庭の上にある。引越ではない。 に見える。談話もしたがって気楽なものである。たゞ も書いちゃあ」と与次郎はまた美子の方へ向った。 「書いても可ござんすけれども、私にはそんな実見譚美子だけが広田先生の蔭で、先生がさっき脱ぎ棄て がないんですもの」 た洋服を畳み始めた。先生に和服を着せたのも美禰子 「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でも可いじの所為とみえる。 「今のオルノーコの話だが、君は疎忽しいから間違え ゃありませんか。九州の男で色が黒いから」 ると不可ないからついでに言うがね」と先生の烟がち 「ロの悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言っ よっと途切れた。 たが、すぐあとから三四郎の方を向いて、 「へえ、伺っておきます」と与次郎が儿帳面に言う。 「書いても可くってーと聞いた。その目を見た時に、 ( 2 ) 三四郎は今朝籃を提けて、折戸からあらわれた瞬間の 「あの小説が出てから、サザ 1 ンという人がその話を 女を思い出した。おのずから酔った心地である。けれ脚本に仕組んだのが別にある。やはり同じ名でね。そ すく ども酔って竦んだ心地である。どうそ願いますなどとれをいっしょにしちや不可ない」 いっしょにしやしません」 はむろん言い得なかった。 洋服を畳んでいた美子はちょっと与次郎の顏を見 広田先生は例によって煙草を呑み出した。与次郎は どれい そ、つか えんちゅう きちょうめん