三四郎 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 6
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1. 夏目漱石全集 6

もし三四郎が、原口さんのうちから、り途で、あ すこまで突き込んた活躍をせずに、在来の一皮隔てて 前の章で言ったことは、全体が、ずうっとなだらか 物を見てるようなぼんやりした関係に比例して、淡き 勳きようをしていたら、三四郎の動き方は、女の動きに行っての上で、結末のつけようについての愚見であ 方につれて動く、ほとんど意志の自由を欠きたる ( 程る。もう一つ結末のすこし前で、カタストローフに急 度の問題である ) 受動的の動き方なのだから、動かせ転する径路にすこし工合が悪くはないかと思われると る ' 切力となっている女が動かなくなれば自然と、三四ころがある。三四郎が美禰子と一緒に、画かきのとこ くろから、帰って来る途で、突然、向うから車に乗って 郎の動き方も、ある徴弱な余波はあるにして、す・ ゃんたって差支ないことになるだろう。そうすると最来る若い立派な紳士に会うところがある。美禰子の夫 本書一九・一 ) 。 後のストレー ・シー。フの断定がカタストローフに次い となるべき人に会うところがある ( 三五五〔一 あすこがあまりに突然じゃないかと思う。三四郎には で出てきたところが、キチンと納まりがつくと思う。 けれども、三四郎の、あの場合の動き方は、今までもちろん突然の出来事なのである。読者は、三四郎の 目を以って見、三四郎の耳を以って聴ぎ、三四郎のご のような受動的な動き方ではない。受動的を超えて、 おのずから猛烈なる動き方をしている。能動的な動きとく感じて、つまりは読者と三四郎とはほとんど合し 方である。能動的に働きかけた上は、相手が動きゃんて一となっているのだから、ここは三四郎に突然であ だからといって、こっちの動き方が自然とじきに収まると同時に読者に突然であるんだが、この場合の突然 るものではあるまい。それだから、前に言ったようなさは、読者と三四郎が急に離れるような気がする。そ 一章があったらよくはないかというのである。 うして三四郎が驚く以外に、読者はなんだか作為の跡 を感ずる。自分は読んでここまで来て、どうしても、 362

2. 夏目漱石全集 6

「掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑ってい えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は なれやす る。三四郎はその笑いのなかに馴易いあるものを認め 最後に、 こ 0 「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、 「また遣らんです」 三四郎は、 し、え」と答えた。すこぶる簡潔である。両人は桜「お手伝をして、いっしょに始めましようか」 三四郎はすぐに立った。女は動かない。腰を掛けた の枝を見ていた。梢に虫の食ったような葉が僅ばかり てぶら ありか ま \ 箒や ( タキの在家を聞く。三四郎は、たゞ空手 残っている。引越の荷物はなか / ( 、遣ってこない。 で来たのだから、どこにもない、なんなら通りへ行 0 「なにか先生に御用なんですか」 三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくて買ってこようかと聞くと、それは徒費だから、隣で 三四郎はすぐ隣へ行っ 眺めていた女は、急に三四郎の方を振り向く。あら喫借りるほうが好かろうと言う。 ( 1 ) ばけっぞうきん ひど 驚した、苛いわ、という顔付であった。しかし答は尋た。さ 0 そく箒と ( タキと、それから馬尻と雑巾まで 借りて急いで帰 0 てくると、女は依然としてもとの所 常である。 へ腰をかけて、高い桜の枝を眺めていた。 「私もお手伝に頼まれました」 三四郎はこの時はじめて気が付いて見ると、女の腰「あ 0 て : ・ : ・」と一口言 0 たたけである。 三四郎は箒を肩へ担いで、馬尻を右の手へぶら下げ を掛ている椽に砂がいつばいたまっている。 て「えゝありました」とあたりまえのことを答えた。 郎「砂で大変だ。着物が汚れます」 女は白足袋のま、砂たらけの椽側へ上がった。ある 「えゝ」と左右を眺めたぎりである。腰を上げない。 まえだれ あと くと細い足の痕ができる。袂から白い前垂を出して帯 しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、 ふたり びつ しろたび かっ

3. 夏目漱石全集 6

の上から締めた。その前垂の縁がレースのようにっしている。三四郎はまた二段上った。薄暗い所で美禰 てある。掃除をするにはもったいないほど奇麗な色で子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。 「なんですか」 ある。攵は箒を取った。 「いったん掃き出しましよう」と言いながら、袖の裏「なんだか暗くって分らないの」 かっ 「なぜ」 から右の手を出して、ぶらっく袂を肩の上へ担いだ。 「なぜでも」 奇麗な手が二の腕まで出た。担いだ袂の端からは美し ぼうん じゅばん 三四郎は追窮する気がなくなった。美蒲子の傍を擦 い襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、 り抜けて上へ出た。馬尻を暗い椽側へ置いて戸を開け 突然馬尻を鳴らして勝手口へ回った。 美禰子が掃くあとを、三四郎が雑巾を掛ける。三四る。なるほど桟のぐあいがよく分らない。そのうち美 子も上がってきた。 郎が畳を敵くあいだに、美藩子が障子をはたく。どう 「まだ開からなくって」 かこうか掃除がひととおり済んた時は二人ともたいぶ 美禰子は反対の側へ行った。 親しくなった。 「こっちです」 三四郎が馬尻の水を取り換に台所へ行ったあとで、 三四郎はだまって、美藩子の方へ近寄った。もう少 美子がハタキと籌を持って二階へ上った。 けつま しで美子の手に自分の手が触れる所で、馬尻に蹴爪 「ちょっと来てください , と上から三四郎を呼ぶ。 はしごだん 「なんですか」と馬尻を提げた三四郎が梯子段の下かずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚 まぼ ら言う。女は暗い所に立っている。前垂だけが真白だ。明けると、強い日がまともに射し込んだ。眩しいくら いである。二人は顔を見合せて思わず笑い出した。 三四郎は馬尻を提けたま、二三段上った。なはじっと さん

4. 夏目漱石全集 6

三四郎が中軸になっているから、読者は、この「 のが多い。前 に一一一口った「ウイルヘルム・マイステル 対する時は三四郎の目から、すべての人間、すべての でも、「グリューネ・ハインリッヒ」でも中軸はまた、 ことごとく器械的である。団子の串か、数珠の紐のよ出来事を見るような立場に置かれる。ここで読者の態 うなもので、単に全体を貫いているというにとどまっ度が、ある種類の限定を受けるのである。ここで能 ~ 度 は極まるには、極まったが、興味の方向は、まだ極ま て、それ以上になんらの効能をも務めていない。ただ 読者の観る立場が極まっただけの話で ( これだけでも、らない。そうこうしているうちに、美禰子が出てきて、 漠然たるのよりも、多少纏った形になってはいるけ三四郎は美可子に興味を有するようになる。美子の 一挙一動に従って、三四郎がいろいろに動くようにな れど ) 興味は依然としてパラ、、 ( ラに散らばっている。 これは前にも言ったごとく、中軸になっているものと、る。ここまでくると読者の興味は、二人の関係がどう 中軸以外の人物や、事件などとの間に、あるいは、人なっていくかという点に集注せられる。そうして興味 物の行動や、事件の進行やらが、しつくり喰つつき合の中心がこの一点に置かれるのである。編中の諸種の 人物が、おのおの自山なる意志を有して、勝手に働く って、有機的に統一されていないからである。 だから、一つの作品が纏まるためには、中軸が必要としても、この中軸となるべき興味ある事件ーー羊 であって、しかもその中軸が、その作品中に現れる諸子と三四郎との関係ーーーに関連し影響しなかったなら 。種の人物、事件を有機的に統一する底のものでなければ、いつまでも郵りがっかなくなるたろうと思う。 「三四郎」中の諸人物は、この中軸となった事件をめ ばならんのである。 ぐって自山に活動しているから、全体が離れずに、ち かくのごとくにしてはじめて、その作品は纏まる。 「三四郎」においては、三四郎が中軸になっている。 ゃんと纏っていっている。 「三四郎ーでは、中軸として、美子と三四郎との関 同時に、三四郎と美子との関係が中軸になっている。 356

5. 夏目漱石全集 6

やりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上たじが起る。三四郎は立ったまミこれはまったく、 ひとみ この大きな、常に濡れている、黒い眸のお蔭だと考え げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、岡の上り際の、 もみじ こ 0 薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。 すそ 美子も留った。三四郎を見た。しかしその目はこ 並んで岡の裾を通る。 三四郎は上から、二人を見下していた。二人は枝のの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高 すき ひなた 隙から明かな日向へ出て来た。黙っていると、前を通い木を眺めるような目であった。三四郎は心の裡で、 り抜けてしまう。三四郎は声を掛けようかと考えた。 火の消えた洋燈を見る心持がした。もとの所に立ちす 距離があまり遠すぎる。急いで二三歩芝の上を裾の方 くんでいる。美禰子も動かない。 へ下りた。下りだすと好い具合に女の一人がこっちを「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞 向いてくれた。三四郎はそれで留った。実はこちらか しやくさわ らあまり御機嫌を取りたくない。運動会が少し癪に障「今まで見ていたんですが、つまらないから已めて来 っている。 たのです」 「あんな所に : ・ : 」とよし子が言いたした。驚いて笑よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動 ちんぶ っている。この女はどんな陳腐なものを見ても珍らしかさない。三四郎は、 そうな目付をするように思われる。その代り、いかな 「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。た あて 郎珍らしいものに出逢 0 ても、やはり待ち受けていたよ いへん熱心に見ていたじゃありませんか , と当たよう うな目付で迎えるかと想像される。だからこの女に逢な当てないようなことを大きな声で言 0 た。美禰子は うと重苦しいところが少しもなくって、しかも落付い この時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの くつかゝと うち

6. 夏目漱石全集 6

傍へ審って来て三四郎の肩を叩いた。 ないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであ 二人は少しいっしょにあるいた。 正門の傍へ来た時、った。 いなかの 三四郎は、 「講義が面白いわけがない。君は田舎者だから、いま しんぼう 「君、今ごろでも薄いリポンを掛けるものかな。あれに偉い事になると思って、今日まで辛抱して聞いてい ( 2 ) かいびやく は極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハ たんたろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こん 、と筴って、 なものだ。いまさら失望したって仕方がないや」 「〇〇教授に聞くがい。なんでも知ってる男だか 「そういうわけでもないが : : : 」と三四郎は弁解する。 ) とりあわ らーと言って取合なかった。 与次郎のヘら / ( 、調と、三四郎の重苦しい口の利きょ ふつりあい 正門の所で三四郎はぐあいが悪いから今日は学校を うが、不釣合ではなはだ可笑しい。 休むと言い出した。与次郎はいっしょに跟て来て損を こういう問答を二三度繰り返しているうちに、し ( 3 ) ん / \ はんっき したといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。 のまにか半月ばかり経過た。三四郎の耳は漸々借りも のでないようになってきた。すると今度は与次郎のほ うから、三四郎に向って、 三四郎の魂がふわっき出した。講義を聴いていると、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているよう ( 4 ) 遠方に聞える。わるくすると肝要な事を書き落す。はな顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、 ( 1 ) 郎なはだしい時は他人の耳を損料で借りているような気この批評に対しても依然として、 しかた 「そうう がする。三四郎は馬鹿々々しくてたまらない。仕方な わけでもないが : : : 」を繰り返していた。 おもしろ しに、与次郎に向って、どうも近ごろは講義が面白く三四郎は世紀末などという言葉を聞いて嬉しがるほど こんにち

7. 夏目漱石全集 6

その存在を無視せられない。三四郎を中心として、も しくはたしに使って、その周囲を描くというよりは、 ふんいき はじめて東京という新しい雰囲気の中に投じられた三 四郎が、その周囲の影響によっていかに生い立つかを 「猫」が今から数年前における先生に最も手近な周囲描いたものというほうが可い。 を描いたものだとすれば、「三四郎」は昨今の周囲を描「三四郎」はその中へ出て来る人物が皆三人称で書か いたものである。「三四郎」が面白いのは主としてこれてある。しかし三四郎の出ない幕はない。三四郎の こにあるのだろ ) 。もっとも「猫」と「三四郎」とは目に触れ耳に入るところだけしか、この小説の中には 材料の取扱の上に多少の相違はある。形式の上からい 出て来ない。その点から見れば一人称で書かれた物と っても、「三四郎」は「猫」ほど無責任にはできていな同しようであるが、作者はあくまで三四郎を視て書い みくだ 。したがって損益するところは有るたろうが、先生ている、視下して書いている。三四郎に成って書いて しんしゃ に親炙する方面の観察から成ったものとしては、数あ いるのでは無い、三四郎の心持も書いてはあるが、そ る先生の作物の中でも、「猫」と「三四郎」との二つをれは三四郎自身の心持として出ているのではない。三 挙げざるを得ない。 四郎よりはぐっと偉い人が三四郎の心持を書いて遣っ 評「吾輩は猫である」の猫の役を勤めるものは、「三四ているのである、たから三四郎の心持は一たび作者の みやこ 批評を経た上で、間接に読者の頭へ映ずる。こんな場 人郎、においては、福岡県京都郡真崎村小川三四郎とい 第げと ). 、今年熊本の高等学校を卒業して、東京の文科大学合には、読者は作中の人物に同情してそれといっしょ 3 へ行く青年である。ただし三四郎は人間だから猫ほど に成ろうとするよりは、むしろ作者といっしょに成り 森田草平

8. 夏目漱石全集 6

三四郎はまた変な顏をしている。曇った秋の日はも 「それで宜いです」 う四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人は 「なぜ悪いの ? 」 「だから可いです」 きわめて少い。別室のうちには、たゞ男女二人の影が そむ あるのみである。女は画を離れて、三四郎の真正面に 女は顔を背けた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。 立った。 戸口を出る拍子に互の肩が触れた。男は急に汽車で乗 「野々宮さん。ね、ね」 り合わした女を思い出した。美子の肉に触れたとこ うず 「野々宮さん : : ・こ ろが、夢に疼くような心持がした。 「解ったでしよう」 「ほんとうに宜いの ? 」と美子が小さい声で聞いた。 おおなみ 美禰子の意味は、大濤の崩れるごとく一度に三四郎向から二三人連の観覧者が来る。 の胸を浸した。 「ともかく出ましようーと三四郎が言った。下足を受 「野々宮さんを愚弄したのですか」 取って、出ると戸外は雨だ。 「なんで ? 」 「精養軒へ行きますか」 女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然と 美禰子は答えなかった。雨のなかを濡れながら、博 して、あとを言う勇気がなくなった。無言のまゝ二三物館前の広い原の中に立った。さいわい雨は今降りだ 歩砌きたした。女は縋るように付いて来た。 したばかりである。そのうえ烈しくはない。女は雨の 「あなたを愚弄したんじゃないのよ」 なかに立って、見回しながら、向うの森を指した。 かげ 三四郎はまた立ち留った。三四郎は背の高い男であ「あの樹の蔭へはいりましよう」 おろ る。上から美子を見下した。 少し待てば歇みそうである。二人は大きな杉の下に なんによ こっぜん ノ 5 び

9. 夏目漱石全集 6

四郎 あいさっ が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶をしかけ すか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そう るところへ、どこからか電報が来た。野々宮君は封を な顔をして、 「なに実はなんでもないですよ」と言った。三四郎は切 0 て、電報を読んだが、ロのうちで、「困 0 たな」と 言った。 たゞ「はあ」と言った。 三四郎は澄しているわけにもゆかず、といってむや 「それでわざ / 、来てくれたんですか」 みに立入った事を聞く気にもならなかったので、たゞ、 「なに、そういうわけでもありません」 ( 3 ) せがれ 「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野 「実はお国の御母さんがね、倅がいろ / く、お世話にな るからと言って、結構なものを送ってくださったから、野宮君は、 「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って : : : 」 「はあ、そうですか。何か送ってきましたかー 特 0 た電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれ さかなかすづけ とある。 「え、赤い魚の粕漬なんですがね」 「じやひめいちでしよう」 「どこかへお出になるのですか」 三四郎はつまらんものを送ったものだと思 0 た。し「え \ 妹がこのあいだから病気をして、大学の病院 かし野々宮君はかのひめいちについていろ / 、、な事をにはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言 けしき ( 2 ) かす うんです」といっこう騒ぐ気色もない。三四郎のほう 質間した。三四郎は特に食う時の心得を説明した。粕 さらうつ はかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大 ごと焼いて、いざ皿へ転すという時に、粕を取らない 学の病院をいっしょに纏めて、それに池の周囲で浄っ と味が抜けると言って教えてやった。 た女を加えて、それを一どきに掻き回して、驚いてい 二人がひめいちについて問答をしているうちに、日

10. 夏目漱石全集 6

「お敷きなさいー 窮した。見ると椽側に絵の具函がある。描きかけた水 ふとん 三四郎は布団を敷いた。門をはいってから、三四郎 彩がある。 ひとこと え はまだ一言も口を開かない。 この単純な少女はたゞ自「画をお習いですか」 ごう か 分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫も 「え \ 好きだから描きますー 返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気 「先生は誰ですか」 じようず なる女王の前に出た心持がした。命を聴くだけである。 「先生に習うほど上手じゃないの」 お世辞を使う必要がない。 一言でも先方の意を迎える 「ちょっと拝見」 ような事をいえば、急に卑しくなる。唖の奴隷のごと 「これ ? これまたできていないの」と描き掛を三四 ふるまっ く、さきのいうがま、に振舞ていれば愉快である。三郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭が描き掛けて こども 四郎は子供のようなよし子から子供扱いにされながら、ある。空と、前の家の柿の木と、はいり口の萩だけが 少しもわが自尊心を傷けたとは感じ得なかった。 できている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできてい る。 「兄ですか」とよし子はその次に聞いた。 野々宮を尋ねて来たわけでもない。尋ねないわけで 「なか / \ 旨い」と三四郎が画を眺めながら言う。 もない。なんで来たか三四郎にも実は分らないのであ「これが ? 」とよし子は少し驚いた。ほんとうに驚い る。 たのである。三四郎のようなわざとらしい調子は少し もなかった。 「野々宮さんはまだ学校ですか」 じようだん 「えゝ、 いつでも夜遅くでなくっちゃ帰りません」 三四郎はいまさら自分の言葉を冗談にすることもで あいさっ これは三四郎も知ってる事である。三四郎は挨拶にきず、また真面目にすることもできなくなった。どっ おしどれい わか まじめ かけ