二人 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 6
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1. 夏目漱石全集 6

手はそんなことにし 、つこう気が付ないらしい。やがて、大いに人を踏み倒しているか、そうでなければ大学に 「東京はどこへ」と聞きだした。 まったく縁故も同情もない男に違ない。しかしそのう 「実ははじめてで様子が善く分らんのですが : : : 差しちのどっちだか見当が付かないので、この男に対する 当り国の寄宿舎へでも行こうかと思っています」と言態度もきわめて不明瞭であった。 浜松で二人とも申し合せたように弁当を食った。食 「じゃ熊本はもう・ : ・ : 」 ってしまっても汽車は容易に出ない。窓から見ると、 「今度卒業したのです , 西洋人が四五人列車の前を得ったり来たりしている。 「はあ、そりや , と言ったがお目出たいとも結構だとそのうちの一組は夫婦とみえて、暑いのに手を組み合 うえした も付けなかった。たゞ「するとこれから大学へはいるせている。女は上下とも真白な着物で、たいへん美し こんにち のですね」といかにも平几であるかのごとくに聞いた。 、。三四郎は生れてから今日に至るまで西洋人という 三四郎はいさ、か物足りなかった。その代り、 ものを五六人しか見たことがない。そのうちの二人は かたづけ 「え、」という二字で挨拶を片付た。 熊本の高等学校の教師で、その二人のうちの一人は運 ( 2 ) 「科は ? 」とまた聞かれる。 悪く背虫であった。女では宣教師を一人知っている。 とん きす かます 「一部です」 ずいぶん尖がった顔で、鱚または師に類していた。だ はできれい 「法科ですか」 から、こういう派手な奇麗な西洋人は珍らしいばかり いっしようけんめい 「い、え文科です」 ではない。すこぶる上等にみえる。三四郎は一生懸命 「はあ、そりや」とまた言った。三四郎はこのはあ、 に見愡れていた。これでは威張るのももっともだと思 そりやを聞くたびに妙になる。向うが大いに偉いか った。自分が西洋へ行って、こんな人のなかにはいっ つか ( 1 )

2. 夏目漱石全集 6

しいたろう。こ つくこと ) をしようとするから、その事は行われやすわざるがゆえに、非平凡だと言っても、 、。「エス・ヴァール」のほうで、非平凡な過去を持の二人が非平凡なこと ( すなわち尋常一様の交際たる った二人が、しかも非平凡な女と、平凡な男 ( 平凡じにとどまらずして、想恋するということ ) をやるのは、 ないかもしれぬが、相手が親友の妻君だからして、境遇や場面が平凡であっても、そんなに困難なことで はあるまい 0 自由に動くことを拘東されている人 ) とが、非平几な それを喰つつけずに、ある程度の関 ことをするのだから、これも比較的やさしいだろうと係に止めてあるのを、興味あることだというのである。 思う。「カツツェン・シュテッヒ」でも非平凡な境遇にそのために美書子の動き方も、ある境界線までで止め 二人が置かれているのだから ( その非平凡な境遇を作てあるのを面白いというのである。 り得たところがズーデルマンの手柄ではあるが ) 二人 が喰つつくのは比較的わけもなくできることたろうか と思われる。つまりは、これらの小説は、編中の人物前に述べたような、ある程度の関係で止めてあると の過去か、境遇か、性格か、いずれかを非平凡にして いう点において、カの発現を極度にあらわさすに、爆 いるから、非平凡なことをさせたところで無理らしく発せんとする少し手前まで書いて、しかもそのカの強 なく容易に行われ得るのである。平凡な人も、平凡なさを、陰に潜ましめた点において、奥行ある感じを与 境地に置いて、非平凡なことをさせるが、むずかしかえる点において、要言すればいたすらに激越の調を帯 ろう びざる点において、自分はこの「三四郎」をクラシッ 人「三四郎」は非平几な二人を配合している。三四郎は ク趣味の小説だと言いたい。中に出てくる人物が端然 非平凡たということはできぬかも知れぬが、美禰子に たる儀容の下に、動いているからである。熱がないの とらわれている点において、美子に風馬牛たるあたではない、熱に上皮が着せてあるというのである。上

3. 夏目漱石全集 6

( 1 ) がくにく とのできない古長屋の一部であった。下には学僕と幹 門に通学した。その時分予備門の月謝は二十五銭であ 専を混ぜて十人ばかり寄宿していた。そうして吹き曝った。二人は二人の月給を机の上にごちゃ / \ に攪きお しの食堂で、下駄を穿いたま \ 飯を食った。食料は交ぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料 ふところ 一か月に二円であったが、その代りはなはだ不味いもと、それから湯銭若干を引いて、あまる金を懐に入れ しるこ のであった。それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食て、蕎対や汁粉や寿司を食い回って歩いた。共同財産 あぶら わした。もちろん肉の膏が少し浮いて、肉の香が箸に が尽きると二人ともまったく出なくなった。 きさま 絡まってくるくらいなところであった。それで塾生は 予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる こうかっ 幹事が狡猾で、旨いものを食わせなくって不可んとし西洋の小説のなかには美人が出てくるかと中村が聞い きりに不平をこぼしていた。 たことがある。自分はうん出てくると答えた。しかし ( 2 ) 中村と自分はこの私塾の教師であった。二人とも月その小説はなんの小説で、どんな美人が出てきたのか、 給を五円すっ貰って、日に二時間ほど教えていた。自今ではいっこう覚えない。中村はその時から小説など 分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやを読まない男であった。 る時に、どうしてもいっしょになるべき線が、い 中村が端艇競争のチャンどョンになって勝った時、 ょにならないで困ったことがある。ところが込み入っ学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、 た図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、 その書籍へある教授が、これ / \ の記念に贈るという 黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは文句を書き添えたことがある。中村はその時おれは書 すき 嬉しかった。 物なんかいらないから、なんでも貴様の好なものを買 りよう・こくばし ばし ( 3 ) さお ) 二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備ってやると言った。そうしてアーノルドの論文と沙翁

4. 夏目漱石全集 6

この談話を聞かせたらさだめし反対するたろうと思っ でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。 日 実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。 た。その時うしろの方で旨い / \ なか / \ 旨いと大き幻 本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、 な声を出したものがある。隣の男は二人ともうしろを ( 1 ) すいこてんのう 古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時の振返った。それぎり話を已てしまった。そこで暮が下 ( 2 ) きんめいてんのうみよ さしつかえ ようでもある。欽明天皇の御代でも差支ない気がする。りた。 ( 3 ) おうじんてんのう ( 4 ) しようむてんのう 応神天皇や聖武天皇では決してないと思う。三四郎 あすこ、こ、に席を立つものがある。花道から出口 はたヾ入鹿じみた心持を持っているだけである。芝居へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰に 小ら を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装東なって、四方をぐるりと見回した。来ているはすの人 や背景を眺めていた。しかし筋はちっとも解らなかっ はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできる た。そのうち幕になった。 だけは気を付けていた。それで知れないから、幕にな とな こ、らあて 暮になる少しまえに、隣りの男が、そのまた隣りの ったらばと内々心当にしていたのである。三四郎は少 さしむかい 男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向の談話のし失望した。やむをえす目を正面に帰した。 れんじゅう ようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、右左 りの男は登場人物の腰が据らない。 ことん ( 、くひょろを顧みて、あすこには誰がいる。こ、には誰がいると ほんみよう びよろしていると訴えていた。二人は登場人物の本名しきりに知名の人の名を口にする。なかには離れなが あいさっ をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談ら、互に挨拶をしたのも一二人ある。三四郎はお蔭で なり 話を聞いていた。二人共立派な服装をしている。おお これら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新 かた有名な人だろうと思った。けれどももし与次郎に婚したばかりのものもあった。これは隣の一人にも珍 わか

5. 夏目漱石全集 6

ひと 「もっともそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死見合せて、他に知れないような笑を洩らした。庭を出 るとき、女が二人っゞいた。 ぬたけの価値は十分ある。 「背が高いのね、と美子があとから言った。 「鶸酷な事を仰しやる」 ひとこと まんなか 「のっぽ」とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、 三四郎はこゝで木戸を開けた。庭の真中に立ってい ( 1 ) たけ ふたり 「だから、なり丈草履を穿くの」と弁解をした。三四郎 た会話の主は二人ともこっちを見た。野々宮はたゞ うなす もっゞいて庭を出ようとすると、二階の障子ががらり 「やあ」と平凡に言って、頭を首有かせただけである。 頭に新しい茶の掀を夜 0 ている。美子は、すぐ、と開いた。与次郎が手欄の所まで出てきた。 「端書はいつごろ着きましたかと聞いた。二人の今「行くのか , と聞く。 「うん、君は」 よこれで中絶した。 まで遣っていた会話。 椽側には主人が洋服を着て腰を掛けて、相変らず哲「行かない。細工なんぞ見てなんになるものか。馬 学を吹いている。これは西洋の雑誌を手にしていた。鹿たな」 からだ よ、じゃ 側によし子がいる。両手をうしろへ突いて、身体を空「いっしょに行こう。家にいたってしようがオし ぞうり に持たせながら、伸した足に穿いた厚い草履を眺めてないかー 三四郎はみんなから待ち受けられていたと「今論文を書いている。大論文を書いている。なかな かそれどころじゃない」 みえる。 あき 三四郎は呆れ返ったような笑い方をして、四人のあ 主人は雑誌を抛け出した。 おいかけ びつばり とを追掛た。四人は細い横町を三分の二ほど広い通の 「では行くかな。とう / \ 引張出された」 「御苦労様」と野々宮さんが言 0 た。女は二人で顔を方へ遠ざか 0 たところである。この一団の影を高い空 や おっ な あ てすり うち も

6. 夏目漱石全集 6

あったように記憶しているが、その茶屋の女に、七年 線を超えて自由にふるまうときは、一種の西洋臭い 大変濃厚なものがでぎたに違いない。ある点において前契「た男とが再会するところから始まって、男は昔 「カツツ = ン・シテッヒ」のようなものができたに違のことは忘れて国で女房を持っているのを、茶屋の女 、はい。三四郎のほうでは、初めにある制限を受けては、捻りを元に戻そうとするところが書いてある。初 くら言っても駄 。女は不即めは男が逃げる、女が追っかける。い いながらたんだんと女の方に近づいていく 目たから、女は諦める。諦めると今度は男の方から追 不離に動いて、常に三四郎とある間隔を保っている。 つかける、女が逃げる。そうこうしているうちに二人 この間隔が常に二人の間にわたかまっていることが、 言葉を換えて言えば二人が喰いっきそうで喰いっかなの仲が七年の昔に還るという筋である。茶屋と茶屋の ナしふうまく行っている いところが大変面白いと思う。危ないと思う時がある。近所だけで行われることで、三 : と思っていたが、女がなんだかお仕舞になると魔婦の その時は女は、女の踏み得べき境界の線上に立ってい ような気がして不愉快だった。ズーデルマンの「エ る。この時一歩男が強く働きかければ、結果はどうな るかわからない。男の方でまた、前よりも、より大なス・ヴァール」でも女が男を追っかける。男は逃げる。 る角度を以って女の方に進んで行く、すると女は瞬間逃げても仕舞にはつらまるが、つらまったあとで、男 にはもう境界線を退いている。波の起伏する形に二人が女から逃げられるところが書いてある。この二つは の閔係がなっていて、しかもついに合体しないところいすれにしても、逃げたり追っかけたりするものの、 過去の歴史が逃げるものを支配しているから、ついに が、興味ある造り方だというんである。 ・ハイゼというドイツで有名な短編作家があはつらまってしまうのである。「トレッビの女」は非 る。その短編の ) ちに「トレツ。ヒの女」というのがあ平凡な過去を持った人間二人が、非平凡な場所で ( す る。アル。フスの峠茶屋のようなところに舞台をとってべての社会から離れているから ) 非平凡 ( 二人が喰っ

7. 夏目漱石全集 6

意味がよく分らない。二歩ばかり女の方に近付いた。 「そう」と疑を残したように言った。 「もう宅へ帰るんですか」 「ちょいと上がってみましようか」とよし子が、快く— 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばか言う。 り女の方へ近付いた。 「あなた、まだこ、を御存じないの」と相手の女は落 「どこかへ行くんですか」 ち付いてでた。 「宜いから入っしゃいよ」 「え、、ちょっと」と美子が小さな声で言う。よく 聞えない。三四郎はとう / 、女の前まで下りて来た。 よし子は先へ上る。二人はまた跟いて行った。よし しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、 おおげさ ( 3 ) 場の方で喝采の声が聞える。 「絶壁ね」と大袈裟な言葉を使った。「サッフォーで ( 1 ) 「高飛よ . とよし子が言う。「今度は何メートルになも飛び込みそうな所じゃありませんか」 ったでしよう」 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四 美子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙って郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよく分ら ( 2 ) いさぎよ いる。三四郎は高飛に口を出すのを屑しとしないつもなかった。 りである。づると美禰子が聞いた。 「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。 「この上には何か面白いものがあって ? 」 「私 ? 飛び込みましようか。でもあんまり水が汚な この上には石があって、量があるばかりである。面いわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。 白いものがありようはずがない。 やがて女二人のあいたに用談が始まった。 「なんにもないです」 「あなた、いらしって」と美子がいう。

8. 夏目漱石全集 6

そで には分らない。三四郎は馬鹿々々しくなった。それで 洋服の袖を二三度はたいたが、やがて黒板を離れて、 芝生の上を横切って来た。ちょうど美子とよし子のも我して立っていた。ようやくの事で片が付いたと以 まんまえ 坐っている真前の所へ出た。低い柵の向側から百を婦みえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と 圭冖いた 人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立っ ( 1 ) なとび それからまた競走があって、長飛があって、その次 た。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向うとこち ( 2 ) っちな には槌抛けが始まった。三四郎はこの槌抛にいたって、 らで話を始めたように見える。美子は急に振り返っ しんぼう とう / 辛抱が仕切れなくなった。運動会はめい / \ た。嬉しそうな笑に充ちた顔である。三四郎は遠くか いっしようけんめい かってに開くべきものである。人に見せべきものでは ら一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が ない。あんなものを熱心に見物する女はことム \ く間 立った。また柵の側へ寄って行く。二人が三人になっ た。芝生の中では砲丸抛が始った。 違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏 砲丸抛ほど腕のカの要るものはなかろう。力の要るの築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引 じゃり わりにこれほど面白くないものもたんとない。たゞ文き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から 字どおり砲丸を抛けるのである。芸でもなんでもない。 逃けた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見え つまさぎのほ 野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っる。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを岡の頂点ま ていた。けれども見物の邪になると悪いと思ったので来た。路は頂点で尽きている。大きな石がある。三 がけ であろう、柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の四郎はその上へ腰を掛けて、高い洋の下にある池を眺 女も、もとの席へ復した。砲丸は時々抛けられている。めた。下の運動会場でわあという多勢の声がする。 第一どのくらい遠くまでゆくんだか、 ほとんど三四郎 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰を掛けたまゝぼん おかてつべん

9. 夏目漱石全集 6

れている。 ( 4 ) 零砕なるとても小さな。 シニクスビャ じかす てつかい 一一五 ( 1 ) 沙翁の使った字数が : 大正三年の講演「私一一三 ( 1 ) 撤回一度出したものをまたひっこめること。 ひっきよう の個人主義」 ( 全集第十二巻所収 ) の中で、漱石は大学時三四 ( 1 ) 必竟つまるところ。けつきよく。 代をふりかえって、「試験にはウォーズウォースは何年三六 ( 1 ) 反古書画など書いて不用となったもの。 に生れて何年に死んたかとか、シェクスビヤのフォリオ ( 2 ) 漂泊さすらいあるくこと。 は幾通りあるとか、あるいはスコットの書いた作物を年三七 ( 1 ) 世外世の外。俗世間の外。 代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。年の ( 2 ) 流俗俗世間のならわし。 はぼ 若いあなたがたにも略想像ができるでしよう、果してこ ( 3 ) 嗜欲たしなみ好むこと。 ゅうよう れが英文学かどうだかということが」と述べている。 三〈 ( 1 ) 悠揚ゆったりとしていること。 る ( 2 ) 緩んでいる気候が暖かい。 一元 ( 1 ) 偽善家うわべを偽って善いことをしているよう ( 3 ) 三越呉服店今の三越百貨店の前身。 に見せかける人。 らんまん 二六 ( 1 ) 日英同盟明治三十五年 ( 1902 ) 、ロシアに備え 一三 0 ( 1 ) 天醜爛漫お互いにみつともない所を見せあって て日本とイギリスとの間に結ばれた同盟条約。たびたび いる様子を、天真爛漫をもじって言ったもの。 りようしゅう 改訂されたが大正十年 ( 1921 ) に廃止された。 一三一 ( 1 ) 領袖着物のえりとそで。転じて、そのように人 ながとび 〈 ( 1 ) 長飛今日でいう走幅飛のこと。 目につきやすい地位にある人。すなわち、かしらだつ人。 っちな ( 2 ) 槌抛けハンマー投。 一一三 ( 1 ) 二位一体キリスト教で三位一体 ( 父なる神と、 三 0 ( 1 ) 高飛棒高飛。 子としてのキリストと、神的な力としての聖霊とは、唯 いさぎよ こころよしとしない。不満に思 一の神が三つの姿となって現われたにすぎないとする考 ( 2 ) 屑しとしない え ) などというのをもじったものか。同一の人格が、同 時に露悪家と偽善家との姿となって現われることをいう。 Sapphö紀元前七世紀ごろのギリ ( 3 ) サッフォー ぞんざい シアの女流詩人。絶壁から海に身を投けて死んたといわ ( 2 ) 存在なあて字。粗末な、いいかげんな、の意。 40 イ

10. 夏目漱石全集 6

「三四郎」は、 川三四郎なる大学生を主人公にして、頭の中に印象をとどめているものは、単に一人か二人 その主人公の性格が、ある期間において、周囲の空気にすぎない。ト / 説または戯曲のおのおのの全体は、そ にかぶれて、だんたんと変ってくる。その性格の発展の中に出てくるおもなる人物の一、二を活かすために、 をのみ目的として書いたのではない。主人公の性格をすべてを犠牲に供しているかの観がある。ダヌン手オ 叙すると、同じ程度において、三四郎が、かぶれた周の「死の勝利」を例にとると、ジョルジオという妙な 囲の空気。ーー即ち三四郎が影響を受ける、いろいろな気狂じみた男の気持や、性格を充分に明らかにするた 友人知己の性格をも精細に描き出したものである。言めに、イボリッタだの、ジョルジオの親爺やら、死ん い換えれば、作者は、三四郎を中心に置いて、三四郎 た伯父さんやら、母やら、弟やら、その他いろいろ、 ふゅう が浮游している周囲の空気全体に興味を持ってこの一 つまり、あの小説の中に出てくる全体の景色や人物が、 編を書いたものである。それだから大きな意味にお、 ジョルジオ一人を活かさんがために、 ( 活きているか て、キャラクター・スケッチの小説である。 、ま、ここでは別問題である ) それぞれに働い 自分は西洋の小説をあんまり読んでおらんから、断ている。ズーデルマンの「カツツェン・シュテッヒ 言することはできないが、自分の読んだ範囲においてでもその通りである。レギーネという妙な女を、ある は、小説ばかりではない戯曲でも、一人の主人公、あ いは、レギーネとポレスラフとの二人を、明らかに活 るいは二人三人のおもなる性格をうまく写し出してい 躍させるために、他のあらゆる人物を道具に使ってい る以外に、全体に出てくる人間の性格を、おのおの活る。イプセンでも、ツルゲ = , フでも、大抵は主人公 きているように、おのおの主人公たり得る資格をもつを写すために、他の人物を踏台に使っているのである。 て、明瞭描写されたのを見たことがない。読んでしま尤もみんなこれらの作者は、その計画において、初め づて後に残っているものは、明らかな輪を以って、 から主人公を写すつもりだったから、その作品に他の