・こん ようと思っていたのだが、この一言を聞いて、しばら機一転の結果を来たしたというような、小説じみた歴 く見合せることにした。なんだか、構えている向うの史を有っているためではない。まったく彼自身に特有 きそん 体面を、わざとこっちから毀損するような気がしたかな思索と観察の力によって、次第々々に鍍金を自分で らである。そのうえ金のことについては平岡からはま剥がしてきたにすぎない。代助はこの鍍金の大半をも おもてむきあいさっ おやじなす げん だ一言の相談も受けたこともない。だから表向挨拶をつて、親爺が捺摺り付けたものと信じている。その時 きん する必要もないのである。たゞ、こうして黙っていれ分は親爺が金に見えた。多くの先輩が金に見えた。相 ば、平岡からは、内心で、冷淡な奴だと悪く思われる当の教育を受けたものは、みな金に見えた。だから自 、非難に対分の鍍金が辛かった。早く金になりたいと焦って見た。 に極っている。けれども今の代助はそうしう して、ほとんど無感覚である。また実際自分はそう熱ところが、ほかのものの地金へ、自分の眼光がじかに 烈な人間じゃないと考えている。三四年前の自分にな . 打つかるようになって以後は、それが急に馬鹿な尽力 って、今の自分を批判してみれば、自分は、堕落してのように思われだした。 いるかもしれない。けれども今の自分から三四年前の代助は同時にこう考えた。自分が三四年の間に、 自分を回顧してみると、たしかに、自己の道念を誇張れまで変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も めつき かれ自身の経験の範囲内でだいぶ変化しているだろう して、得意に使い回していた。鍍金を金に通用させよ くめん しんちゅう けんか ぶべつがまん 相当の侮蔑を我慢するほうが楽である。と今は考えてこんな場合には兄と喧嘩をしても、父と口論をしても、 平岡のために計ったろう、またその計ったとおりを平 ふいちょう れ代助が真鍮をもって甘んずるようになったのは、不岡の所へ来て事々しく吹聴したろうが、それを予期す ともだち《 0 きようらんま 意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきのあまり、心るのは、やつばり昔の平岡で、今の彼はさほどに友達 おど
「あ、苦しかった」と言いながら、代助の方を見て笑を見て、 いわけ たー、 「先生、今じぎです」と言訳をした。 った。代助は手を叩いて水を取り寄せようとした。三 千代は黙 0 て洋卓の上を指した。そこには代助の食後「茶は後でも好い。水が要るんだ」と言って、代助は の嗽をする硝子の洋盃があった。中に水が二ロばかり自分で台所へ出た。 「はあ、そうですか。上がるんですか」と茶壹を放り 残っていた。 きれい 出して門野も付いて来た。二人で洋盃を探したがちょ 「奇麗なんでしよう」と三千代が聞いた。 ばあ 「此奴はさっき僕が飲んだんたから」と言って、洋盃っと見付からなかった。婆さんはと聞くと、今お客さ ちゅうちょ を取り上けたが、踏した。代助の坐っている所から、んの菓子を買いに行ったという答であった。 じゃま 水を棄てようとすると、障子の外に硝子戸が一枚邪魔「菓子がなければ、早く買っておけば可いのに、と代 ゅのみ せんねじ をしている。門野は毎朝縁側の硝子戸を一二枚すっ開助は水道の栓を捩って湯呑に水を溢らせながら言った 9 、、小母さんに、お客さんの来ることを言ってお けないで、元のとおりにっておく癖があった。代助「つし は席を立って、縁へ出て、水を庭へ空けながら、門野かなかったものですからな」と門野は気の毒そうに頭 を呼んだ。今いた門野はどこへ行ったか、容易に返事を掻いた。 「じゃ、君が菓子を買に行けば可いのに」と代助は勝 をしなかった。代助は少しまごっいて、また三千代の 手を出ながら、門野にあたった。門野はそれでも、ま 所へ帰って来て、 だ、返事をした。 「今すぐ持って来てあげるーと言いながら、せつかく かいもの ら 「なに菓子のほかにも、まだいろ / ( 、、買物があるって 空けた洋盃をそのま、洋卓の上に置いたなり、勝手の れ方へ出て行った。茶の間を通ると、門野は無細工な手言うもんですからな。足は悪し天気は好くないし、廃 つま すゞちゃっに をして錫の茶壷から玉露を撮み出していた。代助の姿せば好いんですのに」 ガラス ふたり ほう
「責任って、どんな責任なの。もっとはつぎり仰しやそのくらいなことはとうから気が付いていらっしやる はずだと思いますわ , らなくっちや解らないわ」 代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、た代助は返事ができなかった。頭を抑えて、 ・こと 「少し脳がどうかしているんだ」と独り言のように言 だ貧苦が愛人の満足に価しないということだけを知っ ていた。だから富が三千代に対する責任の一つと考え った。三千代は少し涙ぐんだ。 「もし、それが気になるなら、私のほうはどうでもよ たのみで、それよりほかに明らかな観念はまるで持っ ていなかった。 うござんすから、お父様と仲直りをなすって、今まで つきあい 「徳義上の責任じゃない、物質上の責任です」 どおりお交際になったら好いじゃありませんか」 「そんなものは欲しくないわ」 代助は急に三千代の手頸を握ってそれを振るように 「欲しくないといったって、ぜひ必要になるんです。力を入れて言った。 これから先僕が貴方とどんな新らしい関係に移って行 「そんなことを為る気ならはじめから心配をしやしな あやま くにしても、物質上の供給が半分は解決者ですよ」 い。たヾ気の毒だから貴方に託るんです」 さえぎ あや 「解決者でもなんでも、いまさらそんなことを気にし「詫まるなんて」と三千代は声を顫わしながら遮った。 たって仕方がないわ」 「私が源因でそうなったのに、貴方に託まらしちゃ済 「ロではそうも言えるが、いざという場今になると困まないじゃありませんか」 るのは目に見えています」 三千代は声を立てて泣いた。代助は慰撫めるように、 がまん 三千代は少し色を変えた。 「じゃ我慢しますか」と聞いた。 とうさま まえ あた 「今貴方のお父様のお話を伺ってみると、こうなるの「我慢はしません。当り前ですもの」 ははじめから解ってるじゃありませんか。貴方だって、 「これから先また変化がありますよ」 しかた わか おっ ふる おさ ひと なだ 200
まじめ があるそうだ。奥へお出」と兄はわざとらしい真面目 へは急に火が移りそうにも見えなかった。梅子は立っ ふたあ な調子で言った。梅子は薄笑いをしている。代助は黙 て、。ヒアノの葢を開けて、 「なにか一ついかゞですか、と言いながら令嬢を顧み 0 て頭を撮いた。 ひとり 代助は一人で父の室へ行く勇気がなかった。なんと た。令嬢はもとより席を動かなかった。 「じゃ、代さん、皮切になにかお遣り、と今度は代助かかとか言 0 て、兄夫婦を引張 0 て行こうとした。そ に言 0 た。代助は人に聞かせるほどの上手でないのをれがうまく成功しないので、とう / \ そこへ坐り込ん こまづかい 自覚していた。けれども、そんな弁解をすると、間答でしま 0 た。ところへ小間使が来て、 わかだんなさま 「あの、若旦那様にちょっと、奥まで入っしやるよう が理屈臭く、しつこくなるばかりだから、 に」と催促した。 「まあ、葢を開けておおきなさい。今に遣るから」と 「うん、今行く」と返事をして、それから、兄夫婦にこ 答えたなり、なにかなしに、無関係のことを話しつゞ 自分一人で父に逢うと、父 うう理屈を述べた。 けていた。 そろ 一時間ほどして客は帰 0 た。四人は肩を揃えて玄関があいう気象のところ〈も 0 てきて、自分がこんな ずぼら 図法螺だから、ことによると大いに老人を怒らしてし まで出た。奥へはいる時、 あと まうかもしれない。そうすると、兄夫婦だって、後か 「代助はまだ帰るんじゃなかろうな」と父が言った。 代助はみんなから一足後れて、鴨欅の上に両手が届くら面倒くさい調停をしたりなにかしなければならない。 ような伸を一つした。それから、人のいない応接間とそのほうがかえ 0 て迷惑になるわけだから、骨惜をせ ら 食堂を少しうろ / 、して座敷へ来てみると、兄と嫂がずに今ちょ 0 とい 0 しょに行 0 てくれたら宜かろう。 きらい 兄は議論が嫌な男なので、なんだ下らないと言わぬ れ向き合ってなにか話をしていた。 「おい、すぐ帰っちや下可ない。お父さんがなにか用ばかりの顔をしたが、 とう めんどう ひつば 143
したものと解釈していた。またこれをこれ等新旧両欲展によって証明せらるべき手近な真を、倶中に置かな めざま い無理なものであった。にもか、わらず、父は習慣に の衝突と見做していた。最後に、この生活欲の目醒し つなみ 囚えられて、いまだにこの教育に執着している。そう い発展を、欧州から押し寄せた海嘯と心得ていた。 この二つの因数は、どこかで平衡を得なければならして、一方には、劇烈な生活欲に冒されやすい実業に にほん ない。けれども、貧弱な日本が、欧州の最強国と、財従事した。父は家際において年々この生活欲のために 力において肩を較べる日の来るまでは、この平衡は日腐食されつゝ今日に至った。だから昔の自分と、今の う自分の間には、大きな相違のあるべきはすである。そ 本において得られないものと代助は信じていた。そ して、か、る日は、とうてい日本の上を照らさないもれを父は自認していなかった。昔の自分が、昔どおり あきら のと諦めていた。だからこの窮地に陥った日本紳士のの心得で、今の事業をこれまでに成し遂けたとばかり 多数は、日ごとに法律に触れない程度において、もし公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の せよ くはたゞ頭の中において、罪悪を犯さなければならな範囲をめることなしに、現代の生活欲を時々刻々に 。そうして、相手が今いかなる罪悪を犯しつゝある充たして行けるわけがないと代助は考えた。もし双方 かを、互に黙知しつゝ、談笑しなければならない。代をそのまゝに存在させようとすれば、これをあえてす 助は人類の一人として、か、る侮辱を加うるにも、まる個人は、矛盾のために大苦痛を受けなければならな た加えらるるにも堪えなかった。 。もし内心にこの苦痛を受けながら、たゞ苦痛の自 代助の父の場合は、一般に比べると、や特殊的傾覚だけ明らかで、なんのための苦痛だか分別が付かな ら いならば、それは頭脳の鈍い劣等な人種である。代助 向を帯びるだけに複雑であった。彼は維新前の武士に いんべい れ固有な道義本位の教育を受けた。この教育は情意行為は父に対するごとに、父は自己を隠蔽する偽君子か、 の標準を、自己以外の遠いところに据えて、事実の発もしくは分別の足らない愚物か、どっちかでなくては にん ファクター とら まこと
た句を史えた。 「僕もあの時は愉快だった」と代助が夢のように言っ いきおいさえぎ 「三年前は君が三千代さんと結婚した時だ」 た。それを平岡は打ち切る勢で遮った。 「そうだ。その時の記憶が君の頭の中に残っている 「君はなんだって、あの時僕のために泣いてくれたの か」 だ。なんだって、僕のために三千代を周旋しようと盟 代助の頭は急に三年前に飛び返った。当時の記憶が、 ったのだ。今日のようなことを引き起すくらいなら、 やみめぐたいまっ 闇を回る松明のごとく輝いた。 なぜあの時、ふんと言ったなり放っておいてくれなか かたき 「三千代を僕に周旋しようと言いだしたものは君だ」 ったのだ。僕は君からこれほど深刻な復讎を取られる お・はえ 「貰いたいという意志を僕に打ち明けたものは君た」 ほど、君に向って悪いことをした覚がないじゃない 「それは僕たって忘れやしない。今に至るまで君の厚か」 物お 意を感謝している」 平岡は声を顫わした。代助の蒼い額に汗の珠が溜っ めいそう 平岡はこう言って、しばらく冥想していた。 た。そうして訴えるごとくに言った。 あま 「一一人で、夜上野を抜けて中〈下りる時だ 0 た。雨「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛していたの あが 上りで谷中の下は道が悪かった。博物館の前から話し っゞけて、あの橋の所まで来た時、君は僕のために泣平岡は茫然として、代助の苦痛の色を眺めた。 いてくれた」 「その時の僕は、今の僕でなかった。君から話を聞い かな 代助は黙然としていた。 た時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶えるの うゆうありがた ら ともだち 「僕はその時ほど朋友を難有いと思ったことはない。 が、友達の本分だと思った。それが悪かった。今くら うれ れ嬉しく 0 てその晩は少しも寐られなかった。月のあるい頭が熟していれば、まだ考えようがあったのだが、 晩だったので、月の消えるまで起きていた」 惜しいことに若かったものだから、あまりに自然を軽 ぼうん こんにち ふる な小 たま 213
普通のものが結婚をしなければ、世間で何とおもうか大抵分かるだろう。そりや今は昔と違うから、 独身も本人の自由だけれど、独身のために親や兄弟が迷惑したり、はては自分の名誉に関係するよ うなことが持ち上ったりしたらどうする気だ」』 以上は、夏目漱石の「それから」からの引用である。ただし、七十年ほど前の作品であるから、 引用するとき少々辞句を変えた。それにしても、なんと世の中の人間たちの按配には変らない面が あることか、といまさらのことだが驚いた。このまま、今の時代に通用する事柄ばかりである。 「それから」というのは、良い題名である。少しも古びていないばかりか、いまの時代に置いて も新鮮さがある。 この作品は、明治四十一一年 ( 漱石・四十二歳 ) 五月三十一日から八月十四日までに執筆し、六月一一 十七日から十月十四日まで百四十回にわたって「朝日新聞ーに連載になった。現代の作家の新聞連 載のときには毎日々々の締切りに追われて ( 例外はあるが ) 書いているが、漱石は連載開始のとき には、すでにかなりの回数の原稿ができ上っていたわけである。それが何回かは分からないが、連 載開始日のあと一か月半余りで執筆終了日になるわけだから、半分前後あるいは三分の二くらいの 原稿ができていたのだろうか。 「それから」という題名については、漱石がこの作品の予告として、 「色々の意味においてそれからである。『三四郎』では大学生の事を書いたが、この小説ではそ
代助は返事も為ずに書斎へ引き返した。縁側に垂れ現代社会に本来の面目だという悟りか、どっちかに帰 ひあか た君子闌の緑の滴がどろ / \ になって、干上り掛って着する。 いた。代助はわざと、書斎と座敷の仕切を立て切って、平岡に接近していた時分の代助は、人のために泣く あと びとりへや ことの好きな男であった。それが次第々々に泣けなく 一人室のうちへはいった。来客に接した後しばらくは、 きよう なった。泣かないほうが現代的だからというのではな 独座に耽るが代助の癖であった。ことに今日のように かった。事実はむしろこれを逆にして、泣かないから 調子の狂う時は、格別その必要を感じた。 たいせい 平岡はとう / ( \ 自分と離れてしまった。逢うたんび現代的だと言いたかった。泰西の文明の圧迫を受けて、 うな に、遠くにいて応対するような気がする。実をいうと、その重荷の下に唸る、劇烈な生存競争場裏に立つ人で、 平岡ばかりではない。誰に逢ってもそんな気がする。真によく人のために泣きうるものに、代助はいまだか って出逢わなかった。 現代の社会は孤立した人間の集合体にすぎなかった。 大地は自然に続いているけれども、その上に家を建て代助は今の平岡に対して、隔離の感よりもむしろ嫌 たら、たちまち切れる \ になってしまった。家の中に悪の念を催おした。そうして向うにも自己同様の念が われ きざ いる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我萌していると判じた。昔の代助も、時々わが胸のうち に、こういう影を認めて驚ろいたことがあった。その 等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。 代助と接近していた時分の平岡は、人に泣いてもら時は非常に悲しかった。今はその悲しみもほとんど薄 よろ うことを喜こぶ人であった。今でもそうかもしれない。 く剥がれてしまった。だから自分で黒い影をじっと見 まこと ら が、ちっともそんな顔をしないから、解らない。、詰めてみる。そうして、これが真だと思う。やむをえ ふるま れカめて、人の同情を斥けるように振舞っている。孤立ないと思う。たゞそれだけになった。 はんもん がまん こういう意味の孤独の底に陥って煩悶するには、代 しても世は渡って見せるという我慢か、またはこれが ふけ したー、り しりぞ わか けん
( 3 ) つじどうよあかし ろのような野蛮時代にあってこそ、生存に必要な資格が烽の天頂まで登って、そこの辻堂で夜明をして、日 の出を拝んで帰ってくる習慣であったそうだ。今の若 かもしれないが、文明の今日からいえば、古風な弓術 いものとは心得方からして違うと親爺が批評した。 撃剣の類ど大差はない道具と、代助は心得ている。 まじめ ありがた こんなことを真面目にロにした、また今でも口にし な、胆力とは両立しえないで、しかも胆カ以上に難有 がってしかるべき能力がたくさんあるように考えられかねまじき親爺は気の毒なものだと、代助は考える。 きらい る。お父さんからまた胆力の講釈を聞いた。お父さん彼は地震が嫌である。瞬間の動揺でも胸に波が打つ。 のように言うと、世の中で石地蔵がいちばん偉いことあるときは書斎でじっと坐っていて、なにかの拍子に、 あによめ になってしまうようだねと言って、嫂と笑ったことがあゝ地震が遠くから寄せて来るなと感ずることがある。 ざぶとん ある。 すると、尻の下に敷いている座蒲団も、畳も、ないし おくびよう こういう代助はむろん臆病である。また臆病で恥す床板も明らかに震えるように思われる。彼はこれが自 しん かしいという気は心から起らない。ある場合には臆病分の本来だと信じている。親爺のごときは、神経未熟 をもって自任したくなるくらいである。子供の時、親の野人か、しからずんば己れを偽わる愚者としか代助 ( 2 ) ( 1 ) しそう には受け取れないのである。 爺の使嗾で、夜中にわざ / \ 青山の墓地まで出掛けた びさし ことがある。気味のわるいのを我慢して一時間もいた代助は今この親爺と対座している。廂の長い小さな まっさお うち ら、たまらなくなって、蒼青な顔をして家へ帰って来部屋なので、いながら庭を見ると、廂の先で庭が仕切 た。その折は自分でも残念に思った。あくる朝親爺にられたような感がある。少なくとも空は広く見えない。 ら 笑われたときは、親爺が憎らしかった。親爺の言うとその代り静かで、落ち付いて、尻の据り具合が好い。 きざたばこ れころによると、彼と同時代の少年は、胆カ修養のため、 親爺は刻み烟草を吹かすので、手のある長い烟草盆 た、 つるぎ ( 4 ) はいふき 夜半に結東して、たった一人、お城の北一里にある剣を前へ引き付けて、時々灰吹をぼん ~ 、と叩く。それ みねてつべん おの
しようとは想い到らなかった。同時に父に対しては、 ら父のほうでわざと、延ばしたものと推していた。今 しん 心から気の毒であった。平生の代助がこの際に執るべ日逢ったら、さだめて苦い顔をされることと覚悟を極四 ぎ方針は言わずして明らかであった。三千代との関係めていた。ことによれば、頭から叱り飛ばされるかも っ・こ ) を撤回する不便なしに、父に満足を与えるための結婚しれないと思った。代助にはむしろそのほうが都合が を承諾するにほかならなかった。代助はかくして双方好かった。三分の一は、父の暴怒に対する自己の反動 まんなか ことわ を調和することができた。どっち付かずに真中へ立つを、心理的に利用して、きつばり断ろうという下心さ ことば・つかい て、煮え切らずに前進することは容易であった。けれえあった。代助は父の様子、父の言葉遣、父の主意、 おもなきこと ふたん ども、今の彼は、不断の彼とは趣を異にしていた。 再すべてが予期に反して、自分の決心を鈍らせる傾向に らつが ぬきん び半身を埒外に挺でて、余人と握手するのはすでに遅出たのを心苦しく思 0 た。けれども彼はこの心苦しさ たくわ かった。彼は三千代に対する自己の責任をそれほど深にさえ打ち勝つべき決心を蓄えた。 あなた く重いものと信じていた。彼の信念はなかば頭の判断「貴方の仰しやるところはいち / \ 御もっともたと思 どううけ、 いますが、私には結婚を承諾するほどの勇気がありま から来た。なかば心の憧憬から来た。二つのものが大 きな濤のごとくに彼を支した。彼は平生の自分からせんから、断るよりほかに仕方がなかろうと思いま す」ととう / 、言ってしまった。その時父はたゞ代助 生れ変ったように父の前に立った。 の顔を見ていた。や、あって、 彼は平生の代助のごとく、なるべく口数を利かすに きせる 控えていた。父から見ればいつもの代助と異なるとこ 「勇気が要るのかい」と手に持っていた烟管を畳の上 ひざがしらみつ ろはなかった。代助のほうではかえって父の変ってい に放り出した。代助は膝頭を見詰めて黙っていた。 るのに驚ろいた。実はこのあいだからいくたびも会見「当人が気に入らないのかい」と父がまた聞いた。代 そむおそれ を謝絶されたのも、自分が父の意志に背く恐があるか助はなお返事をしなかった。彼は今まで父に対して己 おそ ほう しか すい おの