支那人 - みる会図書館


検索対象: 夏目漱石全集 7
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1. 夏目漱石全集 7

留めて、支那語でなにか尋ねだした。余も分らないな / 、り : お女 四実 がら耳を立てて、なんだ / \ と繰返して聞いた。不思 ふるいえ 議なことに、黒くな 0 て集った支那人はいずれも口も支那の古家をそのま、使ってるから、お寺の本堂を ぎず しきっ 利かずに老人の創を眺めている。動きもしないからい客間に仕刧たと同じようである。釣り廊下を渡って正 のぞ こっとう ならべ た 0 て静かなものである。なお感したのは、地面の上面の座敷を覗くと、骨董がい 0 ばい並てあったので、 うしろ きすぐち さら ベキンかいだ に手を後へ突いて、創口をみんなの前に曝している老何事かと思 0 たら、北京へ買出しに行 0 た道具屋が、 かえみち とうりゅうちゅう 人の顔に、なんらの表情もないことであ 0 た。痛みも帰り途にこゝで逗留中の見世を張ったのだと分 0 たか あらわ ひやか 刻まれていない。苦しみも現れていない。 といって、 ら、冷し半分はいって見ているうちに、時間が来たの 別に平然ともしていない。気が付いたのは、たゞそので、外へ出た。今度は車だから好かろうと安心して、 ひざがしら 目である。老人はどんよりと地面の上を見ていた。 ちょっとハイカラに膝頭を重ねて反り返って見たが、 馬車に引かれたのたそうですと案内が言 0 た。医者やはり決して無難ではない。人力は日本人の発明した ひきこ はいないのかな、はやく呼んでや 0 たら可いだろうにものであるけれども、引子が支那人もしくは朝鮮人で と間接ながら窘なめたら、え、今にどうかするでしょ あるあいだは決して油断しては不可ない。彼等はどう こたえ うという答である。この時案内はもう本来の気分を回せ他の拵えたものたという料簡で、毫も人力に対して ひら 復していたとみえる。鞭の影はまもなくまた閃めいた。尊敬を払わない引き方をする。海城という処で高麗の 一 1 ) めつ 埃たらけの御者は人にも車にも往来にも遠慮なく減故跡を見に行 0 た時なぞは、尻が蒲団の上に落ち付く ひま 法無頼に馬を追った。帽も着物も黄色な粉を浴びて、 暇がないほど揺れた。一尺ばかり跳ね上げられること 宿の玄関へ下りた時は、ようやく残酷な支那人と縁をは、一丁の間に一度は必ずあ 0 た。しまいに朝鮮人の うれ はりつ とり 切ったような心持がして嬉しかった。 頭をこきんと張付けてやりたくなったくらい酷に取 お むち トか ひと こしら かえ 300

2. 夏目漱石全集 7

いっ・〈人きた あとっ の言葉を考え出しては驚いている。一返汚ない爺さん づて案内するから、後に跟いて行くと、思わざるとこ どじよう くびすじ が泥鰌のような奴をあたじけなく頸筋へ垂らしていた ろに玄関があって、次の間が見えて、その奥の座敷に さま かけもの りつば は立派な掛物が掛っていた。かと思うと左の廂房の扉のを見て、ひどく興を覚したせいだろう。 がまん これほどの肋骨君も正房の応接間は西洋流で我慢し を開いてこゝが支那流の応接間たと言う。なるほど紫 ごちそう 檀の子ばかり並んでいる。もっとも西洋の客間と違ている。その隣の食堂では西洋料理を御馳走した。そ って室の真中は塞いでいない。周囲に行儀よく据え付れから襯衣一枚で玉を突く。その様子は決して支那し むか ゃない。万事橋本から聞いたより倍以上活渡にできて けてある。これじゃ客が来ても向い合って坐ることは つき いるところをもって見ると、振え付たいは少々言いす できないわけだから、みんな隣同志で話をする男ばか りでなければならない。なかにも正面の二脚は、玉座ぎたのかもしれない。肋骨君は戦争で右か左かどっち かくまくら こん ともいうべきほどに手数の込たもので、上に赤い角枕かの足を失くなした。ところがそれがどっちたか分ら た のんき が一つずつ乗せてあった。支那人てえものは呑気なもないくらい、自由自在に起ったり坐ったりする。そう のでね、こうして倚っ掛って談判をするんですと肋骨して軍人に似合わないような東京弁を使う。どこで生 かんだ 君が教えてくれた。肋骨君は支那通だけあって、支那れたか聞いてみたら、神田だと言った。神田じゃその むか はずである。要するに肋骨君は支那好であると同時に、 のことはなんでも心得ている。あるとき余に向って、 たち ペんばっ もっとも支那に縁の遠い性質の人である。 辮髪まで弁護したくらいである。肋骨君の説によると、 へやあ 室は空いてるから来たまえとしきりに言ってくれる あ、いうぶく / 、の着物を着て、淤出な色の背中へ細 やっかい 一 1 ) ふるつ い髪を長く垂らしたところは振え付きたくなるほどので、じゃ帰りに厄介になるかもしれないと言うとす よろ しかた 好いんだそうだから仕方がない。実際肋骨君が振え付ぐ宜しいと快諾したところだけは旨かったが、帰りに よなか は夜半の汽車で奉天へ着く時間割だと橋本から聞くや ぎたくなるという言葉を使ったには驚いた。今でもこ たん ふさ し シャッ な やっ かつばっ

3. 夏目漱石全集 7

しかしもし織ったらどんなものができるでしようと聞てみると、射撃場へ連れて行ってやるんだと言うから、 くと、羽二重のようなものができるつもりですと言う。例の連れて行ってやるという厚意に免して、腹の痛い がまん そのうえ価段が半分だと言う。柞蚕から羽二重が織れのを我慢して目的の家まで行ってすぐ子の上へ腰を よ て、それが内地の半額で買えたらさぞ善かろう。 掛けてしまった。是公がしきりに鉄砲の話をするよう ( 1 ) こうりようしゅ コップっ 高粱酒を出して洋盃に注ぎながら、こっちが普通のであったが、とんと頭に響かない。なんでもこの家た や ほうで、こっちが精製したほうでと、また遣りたしたけは会社から寄付してやった。これでも二千円とか三 から、いやお酒はたくさんですと断った。さすが酒好千円とか掛かったということだけがようやく耳には、 きの是公も高粱酒の比較飲みは、思わしくないとみえ さ きた とりか′こ て、並製も上製も同じく謝絶した。是公の話によると、 そこへ汚ない支那人が二三人、奇麗な鳥籠を提げて ( 2 ) たかみねしようきち このあいだ高峯譲吉さんが来て、高粱からウイスキー 遣って来た。支那人て奴は風雅なものだよ。着るもの を採るとか採らないとかしきりに研究していたそうでもない貧乏人のくせに、あ、やって、鳥をぶら下げて、 ある。ウイスキーがこの試験場でできるようになった山の中をまご付いて、鳥籠を樹の枝に釣るして、その おとな ら是公がさぞ喜んで飲むことだろう 下に坐って、食うものも食わすに大人しく聞いている くらペ 陶器を作っている部屋もあったようだが、これはほんだよ。それがもし二人集まれば鳴き競をするからね。 んの試験中で、並製も上製もないようであった。 あゝ実に風雅なものだよ。としきりに支那人を賞めて ( 3 ) 中央試験所を出て、五六町来ると、馬車を下りて草いる。余はポッケットからゼムを出して呑んだ。 この中に迷い込んだ。路のない谷へ下りたり、足場のな と おかのぼ 韓い岡へ上ったりするので、汗が出て、顏の皮がひりひ りしてきた。そのうえ胃がしきりに痛む。是公に聞い はふたえ ねだん みち 0 や ( 5 ) まさきこう 政樹公が大連の税関長になっていると聞いてちょっ っこ 0 しなじん ふたり やっ っ 237

4. 夏目漱石全集 7

時に着いた客が営ロの祗園館から妓二名を呼ぶ。駄ばかりかゝる。夜茫漠として広き道路を行く。清林館 がん 弁を弄すること甚だし。客は満州鉄道の役人らし。元は洋式なれど内部は純然たる日本式なり。奇麗な室で こゝろよ 治元年生れの女をやったことなし。書生の時はあるで奇麗な器物ではなはだ快し。湯に入る支那人が背中を ( ママ ) ( ママ ) 流す。停車場に正金銀行支店中杉原氏および甘糟氏と しようなどという。 もうこ とうもろこし ^ 1 ) うじゃく 羽鵲。野菊。玉蜀黍を屋根に干す。屋根黄に見える。橋本の蒙古へ連れて行った二人出迎う。 ひとり 支の田園平均一人が二町を耕す割。 まき こ ) りよう 十七日 ( 金 ) 朝橋本杉本氏等小寺牧場に行く余は 高粱の利用。穀は屋根。壁。薪。アンペラ。笠。 しなまちくさ かえ 守備隊。交換。馬、車、その他ことん \ く持ち還る。市街を見る。主人が馬車で案内をする。支那町は臭し。 公学堂。鉄道に必要なる知識を授く。三十二名。八看板は金字にて中にはたいへん高きがあり。千円ぐら ( 3 ) い費やす由。 Ferryboat にて河を横ぎる。濁流際限 歳以上十六歳以下 ( 2 ) がいへい なし。サンパンの帆。三千噸ぐらいの船は自由に入る。 右は蓋平の話。 はたけ 蓋平と次の停車場の間塩多くして畠作れず。山羊の帰りにはサンパンに乗る。防岸工事。葭を使う。結氷 えいこうだい しゅんせつ の方浚渫できる。大倉組の豆粕会社を訪う。営ロ、大 群を見る。 あ れん 大石橋にて下車営ロ行は五十分待ち合す。食堂に人連の豆荷は大した差違なし。倉田氏に逢う。屋根に上 ( 4 ) ウィ りつば りて営口を見る。支那家屋の屋根は往来のごとし。回 る。立派なり。 ウィきよう ( 夕暮の空赤き所に黒く高く続きたる塀のようなもの回教の寺だと言 ) 。赤く塗った塔のごときもの見ゅ。 が見える。その上を人が馳けて行くよく見ると電柱牛島氏之を見ろと言って連れて行く。まだ開場でな ずいぶん広し。 、。 stall は table 子。桟敷は の頭が出ているのであった。 ) 十ぎ 夜八時過営ロ着。清林館の馬車にて宿につくニ十分舞台は前へ突き出場している。登場、下場の二ロあり。 きおんかん すさじき ( ママ ) ふたり トソ よ 348

5. 夏目漱石全集 7

助の頭はあまりにはっきりしすぎていた。彼はこの境食の時、門野が、 遇をもって、現代人の踏むべき必然の運命と考えたか「先生今日は一日御勉強ですな。どうです、ちと御散 ( 1 ) とらびしゃ らである。したがって、自分と平岡の隔離は、今の自歩になりませんか。今夜は寅毘沙ですぜ。演芸館で支 分のに訴えてみて、尋常一般の径路を、ある点まで那人の留学生が之を演ってます。どんなことを演る 進行した結果にすぎないと見做した。けれども、同時つもりですか、行ってごらんなすったらどうです。支 おくめん ふたり に、両人の間に横たわる一種の特別な事情のため、こ那人てえ奴は、臆面がないから、なんでも遣る気たか のんき の隔離が世間並よりも早く到着したということを自覚ら呑気なものだ。 ・ : 」と一人で喋舌った。 せずにはいられなかった。それは三千代の結婚であっ た。三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であっ くゆ た。それを当時に悔るような薄弱な頭脳ではなかった。代助はまた父から呼ばれた。代助にはその用事がた わか しよさ ふだん いてい分っていた。代助は不断からなるべく父を避け 今日に至って振り返って見ても、自分の所作は、過去 あざや を照らす鮮かな名誉であった。けれども三年経過するて会わないようにしていた。このごろになってはなお ていねい かれら うちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人の前に突さら奥へ寄り付かなかった。逢うと、丁寧な言葉を使 って応対しているにもか、わらす、腹の中では、父を き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てて、その前 侮辱しているような気がしてならなかったからである。 に頭を下げなければならなかった。そうして平岡は、 にん ちらり / 、となぜ三千代を貰ったかと思うようになっ代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱するこ となしには、互に接触をあえてしえぬ、現代の社会を、 た。代助はどこかしらで、なぜ三千代を周旋したかと う声を聞いた。 二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、近 こも 代助は書斎に閉じ籠って一日考えに沈んでいた。晩来急に膨張した生活欲の高圧力が道義欲の崩壊を促が にん やっ ( 2 )

6. 夏目漱石全集 7

むかえ 下りて石でたゝき上けたるもの少し熱し。心持あしぎ支那人を提灯をつけて迎に出しました。少時また来り こ、ち くずゅ ゆえ飯を食わす葛湯を飲んで寐る。便通大いに心地よ報じて日く灯が見えます。屋根に出て見ると星のごと き光が暗い中に揺れて来た。八時ごろ橋本等帰る。 せんざんゆき 十八日朝。千山行を見合せて静養す。橋本以下騾十九日 ( 日 ) 快晴。八時半起床。入浴。はなはだ いたゞき 馬を駆り行く。馬驚ろいて乗せず。目隠しをする。よ愉快。十一時発奉天に向う。草山の頂より岩ザク / 、 しなじんふたり まめ うやくのる。鉄砲を肩にさげた支那人が二人立って見既づるあり。高粱百里皆色づく。所々に矮樹あり。豆 まんもくしよら′ /. 、 こうりようびよう ばたけ しげ ている満目蕭々遠い山と近き岡を除いては高粱の渺畠ようやく繁し。 びよう きのう 渺として連なるのみ、しかも宿の周囲は一面の平野な ( 昨日の話。染付模様をきた海老茶の袴をはいた履を り。三頭の馬がこの平野のうちを行くうちにだん ~ く、穿いた女がやってきた。ちと入らっしゃい、私だけで こうや 高粱の間に隠れた。銃を持った支那人もまた高粱の間すからと言う声が聞えた。窓をあけたら曠野の中を黒 に隠れた。宿のもの日く乗るときと下りる時はきっとい影が見えた。いずこへ行くにや ) あかれんが 目を隠す力しし : 、、。危険だからと。 三時奉天着。満鉄の付属地に赤煉瓦の構造所々に見 りつば しんようかん 池あり。湯なり。この辺に水なし。池の湯に魚あり。ゅ。立派なれどもいまだ点々の感を免かれず。瀋陽館 じんあい 奇妙な所なり。 の馬車にて行くに電鉄の軌道を通る。道広けれど塵埃 ゆるい草山に馬が点々いる。。室の周囲に虫の声甚し。左右は第たり。ようやくにして町に入る 夥し。 ( その前にラマ塔を見る ) 。瀋陽館まで二十分かゝる。 ろっこっ 午飯より四時ごろまで室中閑坐静甚し。入浴。晩電話にて佐藤肋骨の都合を聞き合す。よろしと言う。 おおい 餐に鶏のすき焼を命す。夜に入る。下女報じて日く今たゞちに行く。城門を入る。大なるものなり。十五分 おびたゞ ひるめし さん ばか はなはだ ばん ら はなはだ えびちやはかま まぬ わいじゅ ぎた

7. 夏目漱石全集 7

うくらいなものだから、不思議に思って、お前は平生と、正面の時計がちょうど十二時を打った。国沢君は あかひげ こに距して赤髯と交際するのかと聞いたら、まあこの十一一時を聞きながら、ではお休みなさいと言 0 て、 もど 来たことはないなと澄ましている。それじや西洋人が戻られた。 しあわ いなくって詰まらないどころか、いなくって仕合せな くらいなものだろうと聞いてみると、それでもおれは ( 3 ) ( 4 ) この倶楽部の会長だよ、出席しないでも好いという条 ホテルの玄関で、是公が馬車をと言うと、プローア のんき 件で会長になったんだと呑気な説明をした。 ムに致しますかと給仕が聞いた。いや開いた奴が好い なふだ 会員の名札はなるほど外国流の綴が多い。国沢君は と命じている。余は石段の上に立って、玄関から一直 ひろ 大きな本を拡げて、余の姓名を書き込ましたうえ、是線に日本橋まで続いている、広い往来を眺めた。大連 公に君こ、へと催促した。是公はよろしいと答えて、 の日は日本の日よりもたしかに明るく目の前を照らし 自分の名の前に proposed 耳と付けた。それへ国沢た。日は遠くに見える、けれども光は近くにある、と おなし ( 2 ) 君が、同く seconded b} 「と加えてくれたので、大連でも評したら可かろうと思うほど空気が透き徹って、 滞在中はいつでも、倶楽部に出入する資格ができた。路も樹も屋根も煉瓦も、それる、あざやかに眸の中に しなじん それから三人でバーへ行った。 ーは支那人が遣っ浮き出した。 ひすめ わか ことば ふたり ている。英語たか支那語だか日本語だか分らない言葉やがて蹄の音がして、是公の馬車は二人の前に留ま うらゝ で注文を通して、妙に赤い酒を飲みながら話をした。 った。二人はこの麗かな空気の中をふわ / \ 揺られな はしこ 酔って外へ出ると濃い空がます / 、濃く澄み渡って、 がら日本橋を渡った。橋向うは市街である。それを通 見たことのない深い高さの裡に星の光を認めた。国沢 り越すと満鉄の本社になる。馬車は市街の中へはいら 君がわざ / \ ホテルの玄関まで送られた。玄関を入るずに、すぐ右へ切れた。気が付いて見ると、はるか向 うち っゞり みちき につぼん れんが っ とお ひとみ 234

8. 夏目漱石全集 7

英国の避暑地へ行 0 たようだとある西洋人が評したほの必要があって、奥の方から大連へ出て来る豆の荷主 ど、外部は厚い壁で洋式にできているが、中には日本と接触しなければならないのだが、こっちの習慣とし はた一 におい の香がする奇麗な畳が敷いてあった。なるほど景色がて、こういう荷主は決して普通の旅籠を取らない。出 好い。大連の市街が見える、大連の海が見える、大連て来ればきっと取引先へ宿って、用の済むまではいっ ひとり もったい の向うの山が見える。股野の家には勿体ないくらいでまででもそこに滞在している。しかもその数は一人や 二人ではない。したがって谷村君の奥座嗷は一種の宿 ある。余はそこで村井君に逢って、股野の細君に逢っ ごちそう 屋みたような組織にできている。 て、手厚い御地走になって帰った。 じゃその奥座敷をちょっと拝見できますかと言うと、 十九 谷村君はさあ / 、と自分から席を離れて、快よく案内 うしろっ に立たれる。余は谷村君の後へ追いて事務室の裏へ出 支那の宿屋をひとつ見ましようと言いながら、股野 くつつ あ た。股野も食付いて出た。裏は真四角な庭になってい は路の左側にある戸を開けて中へはいった。そこには ひら 日本人が三人ほど机を並べて事務を執 0 ていた。股野る。むろん樹も草も花も見当ない、たゞの平たい場 はそのうちの紺の洋服を着た人を捕まえて、話を始め所である。そこを突き抜けた正面の座敷が応接間であ つ、・あた った。応接間の入口は低い板間で、突当りの高い所に た。君こゝは宿屋だろうと聞いている。宿屋じゃない ふとん ろよと立ちながら返事をしている。なんだか様子が変に蒲団が敷いてある。その上に腰を掛けて談判をするの く、りまくら おうちゃく だそうだが、横着なことには大きな括枕さえ備え付け なってきた。やがて余はこの紺服の人に紹介された。 たにむらくん こ紹介されてみると、これは商業学校出の谷村君で、むてある。しかし肱を突くためか、頭を載せるためかは と ろん旅屋の亭、王ではなか 0 た。谷村君はこの地で支那聞き縡してみなか 0 た。彼等は談判をしながら阿片を きせる 人と組んで豆の商売を営んでいる。したが 0 て取引上飲む。でなければ罩を吸う。その煙管は煙管という むこ しな けしき ふたり いり・、 . っ とま こ、ろ あへん 253

9. 夏目漱石全集 7

がり のために、こう短く刈っているんだと言って、三分刈てあるそうだ。橋本はこういう文句をたくさん手帳に 控えている。ほかに使い路のない文句たものたから、幻 の濃い頭を笑いながら掻いて見せた。 旅順から二度目の電話が掛 0 た日の朝、橋本と余汽車の中で、それを残らず余に読んで聞かせてしま 0 み は、この旧友に逢うため、また日露の戦跡を観るため、た。二人は笑いながら日本流の奇麗な宿屋を想像して 大連から汽車に乗った。乗る時、是公が友熊によろし旅順のプラットフォームに降りた。降りるとそこに馬 なまえ くと言った。是公はなにか用事があったとみえて、国車がある。我々の名前を聞くものがある。 ステーショソ 沢君と二人で停車場の構内を横切って妙な方角へ向い この馬車が民政署の馬車で、我々を尋ねてくれた人 さえ わたなべひしょ て歩いて行った。やがて二人の影は物に遮ぎられて、 が、渡辺秘書であるということを発見した時は両人と 汽車の窓から見えなくなった。そうして満州に有名なもだいぶ恐縮した。橋本を振り返ると相変らす鼻の先 こうり・よう ( 2 ) たいわん 高粱の色がはじめて眼底に映じだした。汽車は広い野を反らして、台湾パナマだかなんだかべコ / 、、になっ の中に出たのである。 た帽子を被っている。おい宿屋はどうするんだいと小 さな声で聞くと、うんそうさなと言ったが、そのうち 二人とも馬車へ乗らなければならない段になった。、 にほんりゅう おい旅順に着いたら久し振りに日本流の宿屋へ泊ろったい橋本といっしょにあるくときは、なんでも橋本 ゆかた きま うかと橋本に相談を掛けるとそうだな浴衣を着てごろが進んで始末を付けてくれることに昔から極っている ごろするのも好いねという同意である。橋本は新しくんだからこの際もどうかするだろうと思って放ってお しなやど 蒙古から帰ったので、しきりに支那宿に降参した話を いた。すると予想どおり、日本流の宿屋へ行くつもり さいほくは あじわい 始めた。その支那宿には、名は塞北に地せ、味は江南で来たんですがと渡辺さんに相談しはじめた。ところ を圧すなどという広告の文字がべた / 壁に貼り付けが渡辺さんはどうもお泊りになられるような日本の宿 っ そ ふたり かふ つかみち

10. 夏目漱石全集 7

。苗圃長も負けずに、続いて行く。ひとり大重君だゅべからずなどという布告めいたものがまだ入口に賰 おく めかくし けが後れた。馬はまだ目隠をしている。やがて二人の付てあるとおりの構造である。犯則を承知のうえで、 こうり・ようさえ まらよ、 影が高粱に遮ぎられて、ど 0 ちへ向いて行くかちょっ石段に腰を掛たり、腹に身を浮かしたり、頬杖を突 と分らなくなった。さっきからそこいらを徘徊してい いて倚かゝったり、いろ / 、の工夫を尽したうえ、表 うち うしろ た背の高い支那人もまた高粱の裡に姿を隠した。この へ出て風呂場の後へ回ると、大きな池があった。若い やれふね 支那人は肩から背へかけて長い鉄砲を釣 0 ていた。人男が破舟の中へはいってしきりに竿を動かしている。 数は二人であ 0 た。はじめて気が付いたときはと 0 さおいこの池は湯か水かと聞くと、若い男は類希なる仏 ちょうづら の際に馬賊という連想が起 0 た。橋本と前後して高粱頂面をして湯だと答えた。あまり厭な奴だから、それ の底に没して、しばらくすると、どんという砲声が聞ぎり口を利くのを已めにした。岸の上から底を覗くと、 あわ えて、またしばらくすると、三人の馬の前にどこから時々泡のようなものが浮いてくる。少しは湯気が立 0 かあの背の高い奴が現われてきたら大事件たと想像してるかとも思われる。実は魚がいないかと、念のため て、また室の中へ帰って狸の皮の上に寐た。 聞いてみたかったのだけれども、相手が相手だから歩 あと を回らして宿の方へ帰った。後で、この池に魚が泳い でいるよしを承知してはなはだ奇異の思いをなした。 ふろゅ ろ 手拭を下げて風呂に行く。一町ばかり原の中を歩かそのうえこ、には水が一滴も出ないのだと教えられた た、みあ どなければならない。四方を石で畳上けたなかへ段々をときにはまったく驚いた。 かえけ 三つほど床から下へ降りると湯泉に足が届く。軍政時驚いたことはまだある。湯から帰り掛に入口の大広 と りつば へや 韓代に軍人が建たものだからかなり立派にできている代 間を通り抜けて、自分の室へ行こうとすると、そこに % りに、すこぶる殺風景である。入浴時間は十五分を超見慣れない女がいた。どこから来たものか分らないが、 わか てぬぐい へや たて 四十四 やっ ふたり にん つけ かけ いややっ わか