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検索対象: 夏目漱石全集 8
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1. 夏目漱石全集 8

さしつかえ いたといっても差支はない。当時余の反抗心はいわゆうが正しい気がしてならぬ。ある場合にはあれのいう ごびゅう トラジショナル る権威ある伝統的な批評、もしくは他の定めたる芸術ことは飛んでもない誤謬だと確信することもある。新 はんちゅう 的範疇によって、雷同を強いらるる屈辱を避けんがた聞雑誌に出る月々の創作に対する批評などに関しては ねん ことにこの感が深い。余はこれ等の評壇を担任する専 めに起ったのであるから、今パルフォアーによって拈 しゆっ 厳密門家に対して悪意を抱くがためにことさらに自白する 出せられたる ( 美の標準は客観的に定めにくい、 じようとう まれ にいえば人々別々であるという ) すこぶる常套な結論のではないが、希にはよくあんなことがいえたものだ を読んでも、当時予の親しく経過した不安やら、このと思うことさえあった。 おも この心持の底には彼より我のほうが、評価において 不安に次いで起った決断やらを憶い起さしめる点にお 優っているという自信がある。彼も正しかるべきはず いて余はすこぶる興味を感ずるのである。 同時に余は現在の自己を傾みて、ひそかに当年の余であるし、我も間違っておらぬと公平に主張するより と比較するの機会を、・ ( ルフォア 1 によってサジ , スも、彼は自家の見地を棄てて我に従うのが当然だとい すくな トされたような心持がする。余は近来若い人々と接触う断定がある。少くともそういう希望がある。それど さくぶつ して、近代の作物または現今の日本で出版になる創作ころではない、彼にして我ほどの鑑賞力があったなら うぬぼれ について批判的の意見を交換することが多い。中には必ず我に一致するだろうにという己惚がある。一言に 運よく一致することがある。たまには首尾よく先方でして蔽えば、作物の評価には統一がありたきものであ 余の評価を容れてくれることがある。けれどもさようる。また統一があるべきはすであるという気に充ちて たやすらら 、る。しからざれば文壇は減茶々々だという感がある。 容易く埒のあかない時が往々ある。そうして双方とも ふんきゅうしり 下らないで分れてしまう。そんな時に余はどうしても紛糾支離の結果どうなるだろうという恐れが潜んでい まちが 余に反対する若い人の評価が間違っていて、自分のほる。 ひと まさ おお と ひそ 260

2. 夏目漱石全集 8

白髪と人物のあいだに迷うも 茎かの白髪に認めて、健康の常時とは心意の趣を異にむつもりだろうか。 せつな する病裡の鏡に臨んだ刹那の感情には、若い影はさらのは若い人たちから見たら可笑しいに違ない。けれど幻 も彼等若い人達にもやがて墓と浮世のあいだに立って に射さなかったからである。 また 白髪に強いられて、思い切りよく老の敷居を跨いで去就を決しかねる時期がくるだろう。 0 0 0 0 0 0 0 ( 1 ) 0 0 0 0 0 0 ちまたよ、 桃花馬上少年時。笑拠銀鞍払柳枝。 しまおうか、白髪を隠して、なお若い街巷に徘徊しょ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ( 2 ) 0 0 緑水至今迢逓去。月明来照鬢如絲。 そこまでは鏡を見た瞬間には考えなかった。 また考える必要のないまでに、病める余は若い人々を 遠くに見た。病気に罹るまえ、ある友人と会食したら、 もみあげ その友人が短かく刈った余の揉上を眺めて、そこから初めはたゞ漠然と空を見て寐ていた。それからしば す 白髪に冒されるのを苦にしてだん / \ 上の方へ剃り上らくしていっ帰れるのだろうと思いだした。ある時は げるのではないかと聞いた。その時の余にはこう聞かすぐにも帰りたいような心持がした。けれども床の上 れるだけの色気は十分あった。けれども病に罹った余に起き直る気力すらないものが、どうして汽車に揺ら あきら は、白髪を石板にして事をしたいくらいまでに諦めよれて半日の遠きを行くに堪え得ようかと考えると、帰 ばかげ りたいと念ずる自分がかなり馬鹿気て見えた。したが く落ち付いていた。 たゞ って傍のものに自分はいっ帰れるかと問い糾したこと 病のえた今日の余は、病中の余を引き延ばした心 もなかった。同時に秋は幾度の昼夜を巻いて、わが心 に活きているのだろうか、または友人と食卓に就いた あお の前を過ぎた。空はしだいに高くかっ蒼くわが上を掩 病気前の若さに立ち戻っているだろうか。はたしてス いはじめた。 チーヴンソンの言ったとおりを歩く気だろうか、また は中年に死んだ彼の言葉を否定してようやく老境に進もう動かしても大事なかろうというころになって、 びようり し はた たち ばくん た ね ちがい

3. 夏目漱石全集 8

に浮べていたのである。 森成さんがもう葛湯も厭きたろうと言って、わざわ おもゆ ざ東京から米を取り寄せて重湯を作ってくれた時は、 重湯を生れてはじめてる余には大いな期待があった。 まむき ( 5 ) オイッケンは精神生活ということを真向に主張する けれども一口飲んではじめてその不味いのに驚ろいた 余は、それぎり重湯というものを近づけなかった。そ学者である。学者の習慣として、自己 0 説を唱うるま ひときれもら の代りカジノビスケットを一片貰ったおりの嬉しさはえには、あらゆる他のイズムを打破する必要を感する いまだに忘れられない。わざ / \ 護婦を医師の室まものとみえて、彼は彼のいわゆる精神生活を新たなら しむるため、その用意として、現代生活に影響を与う で遣って、特に礼を述べたくらいである。 うま かゆ ( 2 ) やがて粥を許された。その旨さはたゞの記憶となつる在来からの処生上の主義に一も二もなく非難を加え た。自然主義も遣られる、社会主義も叩かれる。すべ て冷やかに残っているだけだから実感としては今思い ゝての主義が彼の目から見て存在の権利を失ったかのご 出せないが、こんな旨いものが世にあるかと疑いっ とくに説き去られた時、彼ははじめて精神生活の四字 舌を鳴らしたのは確かである。それからオートミール ねんしゆっ が来た。ソーダビスケットが来た。余はすべてを難有を拈出した。そうして精神生活の特色は自由である、 く食った。そうして、より多く食いたいということを自由であると連呼した。 むか 日課のように繰り返して森成さんに訴えた。森成さん試みに彼に向って自由なる精神生活とはどんな生活 ひがしくん はしまいに余の病床に近づくのを恐れた。東君はわざかと問えば、端的にこんなものだとは決して答えない。 りつば わざ妻のところへ行って、先生はあんなもっともな顔たゞ立派な言葉を秩序よく並べ立てる。むずかしそう えんえん な理屈を蜿蜒といくえにも重ねてゆく。そこに学者ら をしているくせに、子供のように始終食物の話ばかり ひや おど へや していて可笑しいと告げた。 ( 4 ) はらわた 腸に春滴るや粥の味 232

4. 夏目漱石全集 8

た、 て、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。たゞ、 がいつまでも展望を遮ぎっていた。彼は門を通る人で 「敵いても駄目た。独りで開けて k れ」と言う声が聞はなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。〃 かんのき えたたけであった。彼はどうしたらこの門の閂を開け要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを ることができるかを考えた。そうしてその手段と方法待つべき不幸な人であった。 を明らかに頭の中で拵えた。けれどもそれを実地に開宗助は立つまえに、宜道と連れたって、老師のもと ふたりれんち ける力は、少しも養成することができなかった。しこ ナへちょっと暇乞に行った。老師は二人を蓮池の上の、 こうらん がって自分の立っている場所は、この間題を考えない縁に勾欄の着いた座嗷に通した。宜道はみすから次の 昔と毫も異なるところがなかった。彼は依然として無 間に立って、茶を入れて出た。 能無力に鎖ざされた扉の前に取り残された。彼は平生「東京はまた寒いでしよう」と老師が言った。「少し たより たゝ 自分の分別を便に生きてきた。その分別が今は彼に祟でも手掛りができてからたと、帰ったあとも楽たけれ くちおし ったのを口惜く思った。そうしてはじめから取捨も商ども。惜しいことで」 うらや 量も容れない愚なものの一徹一図を羨んだ。もしくは 宗助は老師のこの挨拶に対して、丁寧に礼を述べて、 あっんなんんによ しらか 信念に篤い善男善女の、知恵も忘れ、思議も浮ばぬ精また十日まえに潛った山門を出た。甍を圧する杉の色 たゝす 進の程度を崇高と仰いだ。彼自身は長く門外に佇立むが、冬を封して黒く彼の後に聳えた。 べき運命をもって生れてきたものらしかった。それは 是非もなかった。けれども、どうせ通れない門なら、 わざ / 、そこまで辿り付くのが矛盾であ 0 た。彼は後家の敷居を跨いだ宗助は、己れにさえ憫な姿を描 もとみち を顧みた。そうしてとうていまた元の路へ引き返す勇 いた。彼は過去十日間、毎朝頭を冷水で濡らしたなり、 ひげ 気を有たなかった。彼は前を眺めた。前には堅固ないまだかって櫛の歯を通したことがなかった。髭はも と こしら さ ~ そび おの

5. 夏目漱石全集 8

ふたり って宗助を導いた。二人は庫裡に下駄を脱いで、障子 宜道はこの時改めて遠来の人に対して自分の不在を を開て内へはいった。そこには大きな囲炉裏が切って託びた。この大きな庵を、たった一人で預かっている ねすみもめん ほねお やっかい あった。宜道は鼠木綿の上に羽織っていた薄い粗末なさえ、相応に骨が折れるのに、そのうえに厄介が増し くぎ 法衣を脱いで釘に懸けて、 たらさぞ迷惑たろうと、宗助は少し気の毒な色を外に 「お寒うございましよう」と言って、囲炉裏の中に深動かした。すると宜道は、 く埋けてあった炭を灰の下から掘り出した。 「いえ、ちっとも御遠慮には及びません。道のためで おちっ この僧は若いに似合わずはなはだ落付いた話振をすございますから」と床しいことを言った。そうして、 うけこた あと る男であった。低い声でなにか受答えをした後で、に 目下自分のところに、宗助のほかに、まだ一人世話に ( 1 ) こじ やりと笑う具合などは、まるで女のような感じを宗助なっている居士のある旨を告げた。この居士は山へ来 に与えた。宗助は心のうちに、この青年がどういう機てもう二年になるとかいう話であった。宗助はそれか そ ひょうきん 縁の元に、思い切って頭を剃ったものだろうかと考えら二三日して、はじめてこの居士を見たが、彼は剽軽 ( 2 ) らかん て、その様子のしとやかなところを、なんとなく憐れな羅漢のような顔をしている気楽そうな男であった。 ・こちそう こっこ 0 細い大根を三四本ぶら下げて、今日は御馳走を買って きよう しすか 「たいへんお静なようですが、今日はどなたもお留守きたと言って、それを宜道に煮てもらって食った。宜 しようばん なんですか」 道も宗助もその相伴をした。この居士は顏が坊さんら ( 3 ) とき 「いえ、今日に限らず、いつも私一人です。だからしいので、時々僧堂の衆に交って、村のお斎などに出 用のあるときは、構わず明け放しにして出ます。今も掛けることがあるとか言って宜道が笑っていた。 ちょっと下まで行って用を足してまいりました。それ そのほか俗人で山へ修業に来ている人の話もいろい あきな がためせつかくお出のところを失礼致しました」 ろ聞いた。なかに筆墨を商う男がいた。背中へ荷をい わたくし げた ろり ぶり あわ るす わ ほか で

6. 夏目漱石全集 8

からか 果断を喜んだ。けれどもその突然なのにもまったく驚お米は善良な夫に調戯ったのを、多少済まないよ ) あくるひ ろいた。 に感じた。宗助はその翌日すぐ貰っておいた紹介状を 「遊びに行くって、どこへ入らっしやるの」と目を丸懐にして、新橋から汽車に乗ったのである。 ( 1 ) しやくぎどうさま くしないばかりに聞いた。 その紹介状の表には釈宜道様と書いてあった。 お ( 2 ) じしゃ 「このあいだまで侍者をしていましたが、このごろで 「やつばり鎌倉辺が好かろうと思ってる」と宗助は落 あんしつ ( 3 ) たっちゅう は塔頭にある古い庵室に手を入れて、そこに住んでい ち付いて答えた。地味な宗助とハイカラな鎌倉とは、 ほとんど縁の遠いものであった。突然二つのものを結るとか聞ぎました。どうですか、まあ着いたら尋ねて あん ( 4 ) いっそうあん こつけ、 ごらんなさい。庵の名はたしか一窓庵でした」と書い び付けるのは滑であった。お米も微笑を禁じえなか っこ 0 てくれる時、わざ / \ 注意があったので、宗助は礼を うけと 「まあお金持ね。私もいっしょに連れてってちょうだ言って手紙を受取りながら、侍者だの塔頭たのという、 み、あた じようだん と言った。宗助は愛すべき細君のこの冗談を味わ自分にはまったく耳新らしい言葉の説明を聞いて帰っ も まじめ たのである。 う余裕を有たなかった。真面目な顔をして、 いたく 山門を沁ると、左右には大きな杉があって、高く空 「そんな贅沢な所へ行くんじゃないよ。禅寺へ留めて さえぎ みち もらって、一週間か十日、たゞ静かに頭を休めてみるを遮っているために、路が急に暗くなった。その陰気 な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を だけのことさ。それもはたして好くなるか、ならない さと けいだい わか か分らないが、空気の可い所へ行くと、頭にはたいへ急に覚った。静かな境内の入口に立った彼は、はじめ さむけ ふうじゃ みんな て風邪を意識する場合に似た一種の悪寒を催した。 ん違うと皆言うから」と弁解した。 あ 「そりや違いますわ。だから行っていらっしゃいとも。彼はまずまっすぐに歩るきだした。左右にも行手に引 今のはほんとうの冗談よ」 も、堂のようなものや、院のようなものがちょいちょ っ わたし よ じみ

7. 夏目漱石全集 8

せば 中身は六寸ぐらいしかなかった。したがって刃も薄かとや、彼等が支那人のためにだん / \ 押し狭められて かっこう すべて近ごろあっちから帰ったとい った。けれども鞘の格好はあたかも六角の樫の棒のよゆくことや、 うに厚かった。よく見ると、柄の後に細い棒が二本並う弟に聞いたま、を宗助に話した。宗助はまた自分の んで差さっていた。結果は鞘を重ねて離れないために、 いまだかって耳にしたことのない話たけに、いち・・く、 銀の鉢巻をしたと同じであった。主人は、 少なからぬ興味を有ってそれを聞いていった。そのう 「土産にこんなものを持ってきました。蒙古刀だそうちに、元来この弟は蒙古でなにをしているのたろうと う好奇心が出た。そこでちょっと主人に尋ねてみる です」と言いながら、すぐ抜いて見せた。後に差して ぞうげ と、主人は、 あった象牙のような棒も二本抜いて見せた。 アドベンチュアラー 「こりや箸ですよ。蒙古人は始終これを腰へぶら下げ「冒険者」と再びさっきの言葉を力強く繰り返した。 どちそう わたくし ていて、いざ御馳走という段になると、この刀を抜い 「なにをしているか分らない。私には、牧畜をやって て肉を切って、そうしてこの箸で傍から食うんだそう います、しかも成功していますと言うんですがね、 あて っこう当にはなりません。今までもよく沢螺を吹いて 主人はことさらに刀と箸を両手に持って、切ったり 私を欺したもんです。それに今度東京へ出てきた用事 食ったりする真似をして見せた。宗助はひたすらにそというのがよっぽど妙です。なんとかいう蒙古王のた の精巧な作りを眺めた。 めに、金を二万円ばかり借りたい。もし貸してやらな 「まだ蒙古人の天幕に使うフェルトも貰いましたが、 いと自分の信用に関わるって奔走しているんですから もうせん とつばじめつか まあ昔の毛氈と変ったところもありませんね」 ュ。その取始に捕まったのは私たが、い くら蒙古王た じようず 主人は蒙古人の上手に馬を扱うことや、蒙古犬の瘠って、いくら広い土地を抵当にするったって、蒙古と せて細長くて、西洋のグレー ハウンドに似ているこ東京じゃ催促さえできやしませんもの。で、私が断わ なかみ はちまき だま しなじん

8. 夏目漱石全集 8

ひなた で日向を歩くと額の辺が少し汗ばんだ。お米は歩ぎ歩した。お米は無言のまミしばらく易者の言葉を頭の き、着物を着換える時、簟笥を開けたら、思わず一番中で噛んたり砕いたりした。それから顔を上けて、 ひきだし 「なぜでしよう」と聞き返した。その時お米は易者が 目の抽出の底に仕舞ってあった、新らしい位牌に手が 触れたことを思いっゞけて、とう / \ ある易者の門を返事をするまえに、また考えるだろうと思った。とこ ろが彼はまともにお米の目の間を見詰めたま \ すぐ 潜った。 彼女は多数の文明人に共通な迷信を子供の時から持「貴方は人に対して済まないことをした覚がある。そ た、 っていた。けれども平生はその迷信がまた多数の文明の罪が祟っているから、子供は決して育たない」と言 おもい 人と同じように、遊戯的に外に現われるだけで済んで い刧った。お米はこの一言に心臓を射抜かれる思があ った。くしやりと百を折ったなり家へ帰って、その夜 いた。それが実生活の厳かな部分を冒すようになった のは、まったく珍らしいといわなければならなかった。は夫の顔さえろく / 、見上げなかった。 お米はその時真面目な態度と真面目な心を有って、易お米の宗助に打ち明けないで、今まで過したという 者の前に坐って、自分が将来子を生むべき、また子をのは、この易者の判断であった。宗助は床の間に乗せ たしか ランプひ 育てるべき運命を天から与えられるだろうかを確めた。 た細い洋燈の灯が、夜の中に沈んでゆきそうな静かな 易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一二銭晩に、はじめてお米の口からその話を聞いたとき、さ で占なう人と、少しも違った様子もなく、算木をいろすがに好い気味はしなかった。 せいちくも いろに並べてみたり、筮竹を揉んだり数えたりした後「神経の起った時、わざ / 、そんな財鹿なところへ出 あ ~ こ ひげ つま かけ で、仔細らしく腮の下の髯を握ってなにか考えたが、掛るからさ。銭を出して下らないことを言われて、詰 終りにお米の顔をつくみ \ 眺めた末、 らないじゃないか。その後もその占の宅へ行くのか 「貴方には子供はできません」と落ち付き払って宣告 あたり さんぎ よる うち すご 2

9. 夏目漱石全集 8

を通してさえ、お互の胸に、この裏側が薄暗く映るこで暮らした。それは身体からいうときわめて安静の三 ちがい ともあった。こういう訳たから、過去の歴史を今夫に週間に違なかった。同時に心からいうと、恐るべき忍 ひつぎ 向って新たに繰り返そうとは、お米も思い寄らなかっ 耐の三週間であった。宗助は亡児のために、小さい柩 たのである。宗助も、いまさら妻からそれを聞かせらを拵らえて、人の目に立たない葬儀を営なんだ。しか れる必要は、少しも認めていなかったのである。 る後、また死んたもののために小さな位牌を作った。 お米の夫に打ち明けるといったのは、もとより二人位牌には黒い漆で戒名が書いてあった。位牌の主は戒 ふたおや の共有していた事実についてではなかった。彼女は一一一名を持っていた。けれども俗名は両親といえども知ら たんす 度目の胎児を失った時、夫からその折の模様を聞いて、なかった。宗助は最初それを茶の間の簟笥の上へ載せ いかにも自分が残酷な母であるかのごとく感じた。自て、役所から帰ると絶えず線杳を焚いた。その香が六 お・ほえ 分が手を下した覚がないにせよ、考えようによっては、畳に寐ているお米の鼻に時々通った。彼女の官能は当 くらやみあかるみ 自分と生を与えたものの生を奪うために、暗闇と明海時それほどに鋭どくなっていたのである。しばらくし の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じことであてから、宗助はなにを考えたか、小さい位牌を簟笥の ひきだし ったからである。こう解釈した時、お米は恐ろしい罪抽出の底へ仕舞ってしまった。そこには福岡で亡くな を犯した悪人と己を見做さないわけにゆかなかった。 った小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が、別々に かしやく そうして思わざる徳義上の苛責を人知れす受けた。し綿で包んで丁寧に入れてあった。東京の家を畳むとき、 かもその苛責を分って、ともに苦しんでくれるものは宗助は先祖の位牌を一つ残らす携えて、諸所を漂泊す 世界中に一人もなかった。お米は夫にさえこの苦しみるの熕わしさにえなかったので、新らしい父の分だ を語らなかったのである。 けを鞄の中に収めて、その他はことん \ く寺へ預けて 彼女はその時普通の産婦のように、三週間を床の中おいたのである。 おのれみな おり くる うるし する らた な 110

10. 夏目漱石全集 8

見ても同じことで、少しも変らないんですよ」と細君の上へ坐っているところであった。 あなた 「貴方今夜敷いて寐てくたさい」と言って、お米は宗 が注意した。 めす 「実際珍らしい男です」と、王人も評語を添えた。三日助をた。夫から、坂井〈来ていた甲の男の話を まちはヾ も外へ出ないと、町幅がいつのまにか取り広げられて聞いた時は、お米もさすがに大きな声を出して笑った。 しまがらじあい いたり、 一日新聞を読まないと、電車の開通を知らすそうして宗助の持って帰った銘仙の縞柄と地合を飽か すご に過したりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、す眺めては、安い / \ と言った。銘仙はまったく品の こう山男の特色をどこまでも維持してゆくのは、実際良いものであった。 めす ちがい 「どうして、そう安く売って割に合うんでしよう」と 珍らしいに違なかった。宗助はつくみ、この織屋の容 ことばづかい 貌やら、態度やら、服装やら、言葉使やらを観察して、しまいに聞きだした。 「なに中へ立っ呉服屋が儲けすぎてるのさ」と宗助は 一種気の毒な思をなした。 うち 彼は坂井を辞して、家へ帰る途中にも、おり / \ イその道に明るいようなことを、この一反の銘仙から推 イハネスの羽根の下に抱えて来た銘仙の包みを持ち易断して答えた。 えながら、それを三円という安い価で売った男の、粗夫婦の話はそれから、坂井の生活に余裕のあること 末な布子の縞と、赤くてばさ / \ した髪の毛と、そのと、その余裕のために、横町の道具屋などに意外な儲 まんなか 織屋などか 油気のない硬い髪の毛が、どういう訳か、頭の真中でけ方をされる代りに、時とするとこういう 立派に左右に分けられているさまを、絶えず目の前にら、差し向き不用のものを簾価に買っておく便宜を有 していることなどに移って、しまいにその家庭のいか 浮べた。 にぎ うち 宅ではお米が、宗助に着せる春の羽織をようやく縫にも陽気で、賑やかな模様に落ちていった。宗助はそ い上げて、圧の代りに座蒲団の下へ入れて、自分でその時突然語調を更えて、 りつば ぬのこ ざふとん 川 4