っ い、ごの いる。それほど世の中は切り詰められたのである。そ く自分を目的にして働いてくるので、活物の自分にそ こた つなあた、か の一挙一動がことん \ く応える。そこに互を繋ぐ暖いれほど世の中は今の青年を虐待しているのである。 こにくら たのも うけたまわ 「自我の主張」を正面から承れば、小憎しい申し分が 糸があって、器械的な世を頼母しく思わせる。電車に ら 乗って一区を瞬くまに走るよりも、人の背に負われて多い。けれども彼等をしてこの「自我の主張」をあえ っ 浅瀬を越したほうが情が深い。 てしてかるところなぎまでに押し詰めたものは今の 義務さえ素直には尽してくれる人のない世の中に、 世間である。ことに今の経済事情である。「自我の主 また自分の義務さえろくに尽しもしない世の中に、こ張」の裏には、首を縊ったり身を投けたりすると同程 はんもん ( 2 ) んな贅沢を並べるのは過分である。そうとは知りなが度に悲惨な熕悶が含まれている。ニーチェは弱い男で ら余は好意の干乾びた社会に存在する自分をせつにぎあった。多病な人であった。また孤独な書生であった。 ごちなく感じた。 ある人の書いたものの中に、あそうしてザラッストラはかくのごとく叫んだのである。 まりせち辛い世間だから、自用車を節倹する格で、当 こうは解釈するようなものの、依然として余は常に しち 分良心を質に入れたとあったが、質に入れるのはもと好意の干乾びた社会に存在する自分をぎごちなく感じ より一時の融通を計る便宜にすぎない。今の大多数は た。自分が人に向ってぎごちなく振舞いっあるにも 質に置くべぎ好意さえてんで持っているものが少なそかゝわらす、みすからをぎごちなく感じた。そうして うけだ うにみえた。いかに工面が付いても受出そうとは思え病に罹った。そうして病の重いあいだ、このぎごちな ななかった。とは悟りながらやはり好意の干乾びた社会さをどこへか忘れた。 かゆ すに存在する自分をぎごちなく感じた。 看護婦は五十グラムの粥をコツ。フの中に入れて、そ あ ひとさじ たいみそ 今の青年は、筆を執っても、ロを開いても、身を動れを鯛味噌と混ぜ合わして、一匙ずつ自分のロに運ん 思 すゞめ かしても、ことみ、、、く「自我の主張」を根本義にしてでくれた。余は雀の子か烏の子のような心持がした。 っ からす ふるま 225
しあわ なったのは仕合せである。しかしそこだけが明るくな ったのは不都合である。 一般の社会はつい二三週間前まで博士の存在につい てまったく神経を使わなかった。一般の社会は今日と しえども科学という世界の存在についてはほとんど不 ( 2 ) やみ ( 1 ) きむらこう 木村項の発見者木村博士の名は驚くべき速力をもっ関心に打ち過ぎつ、ある。彼等から見て闇に等しい科 じゅんじっ て旬日を出ないうちに日本全国に広がった。博士の功学界が、一様の程度で彼等の目に暗く映る間は、彼等 績を表彰した学士会院とその表彰をあくまで緊張してが根底ある人生の活力のあるものに対して公平に無感 報道することを忘れなかった都下の各新聞は、久しぶ覚であったと非難されるだけで済むが、いやしくもこ りにといわんよりはむしろ初めて、純粋の科学者に対の暗い中の一点が木村項の名で輝やき渡る以上、また して、政客、軍人、および実業家に譲らぬ注意を一般他が依然として暗がりに静まり返る以上、彼等が今ま 社会から要求した。学間のためにも賀すべきことで、 で所有していた公平の無感覚は、俄然として不公平な ちがい 博士のためにも喜ばしきことに違ない。 これまではたゞ無知 感覚と変性しなければならない。 けれども今より一か月前に、この木村博士がどこにで済んでいたのである。それが急に不徳義に転換する かき なにをしているかを知っていたものは、全国を通じてのである。間題は単に知愚を界する理性一遍の墻を乗 わずか百人を出ぬくらいであったろう。博士が忽然とり超えて、道義の圏内に落ち込んでくるのである。 ひとみ 木村項たけが炳として俗人の眸を焼くに至った変化 名著名になったのは、今までまるで人の目に触れないで につれて、木村項の周囲にある暗黒面は依然として、 者経過した科学界という暗黒な人世の象面に、一点急に 輝やく場所ができたと同じことである。そこが明るく木村項の知られざる前と同じように人からその存在を 学者と名誉 こっぜん さ力い がぜん 293
きく 一、いし 行徊し ( 、その内部に潜在する情味を掬しながら徐々吹き払って」というような言葉を、「おいちょっと来て 9 ~ くす くれ」という日常の調子で遣っては、双方とも崩れに と進行するものである。単なる俳句のごときですら詩 と名のつく以上は広告を読み流す勢で進行しては頭も終るたけである。 み 情緒も字義に伴う余裕を見出し得ないのは経験の教え西洋でも沙翁劇は今なおしば / 、演ぜられる。その おの るところである。まして本来から己れを異境の土に移都度評家の苦情は、今の役者が詩を理解しないで、普 の しての鑑賞に、日常談話の速力は、汽車で箱根を馳け通の散文と選・ふところなく口から出任せに遣って退け 抜けるよりも無理な見物である。今の普通教育を受けるから、せつかくの美くしいものを台なしに打ち壊し た英人にすら沙翁の言葉は舞台の文句としてはあまりてしまうというにある。すでに音律の整った原詩に対 に詩的で、ほとんど意義を構成していないところが多してすらこう、う し非難がある。坪内博士の「ハムレッ とおざ うめあわ 、。もしこの不足を補うにアクセントの特別な組織か ト」は写実を遠かる埋合せとして沙翁の与えたる詩美 ぎんしよう ら生ずる朗吟誦の調子に伴って起る快感をもってしを、単に声調のうえにおいてすら再演することができ なかったら、彼等はほとんど長時間の席に堪えないだ なかったため、我々は高雅な幻境に誘われる心持にい ろうと思う。沙翁は詩人である、詩人の言葉は常識以 くぶんでもなり得ず、また普通の人間を舞台の上に見 おもしろみ 上の天地を馳け回っている、と許した以上、これを口るような切実な面白味を味わい得なかったのである。 ( 明治四四・六・五ー六「東京朝日新聞し にするものもまた常識以上の調子で観客を釣り込む魔 力と覚悟とを具えなければならない。要するに沙翁劇 のう のセリフは能とか謡とかのような別格の音調によって 初めて、興味を支持されべきであると極めて懸らなけ せいらんこすえ ればならない。 こ、に注意を払わないで、「晴嵐梢を っ や と、の こわ
いた。この問は今までもいくたびかお米に向 0 て繰りのない人であるということやら、。ヒャ / を弾くのは 返されたものであった。 惣領の娘で十一一三になるということやら、またほかの あす 「なんにもしないで遊んでるんでしよう。 地面や家作家の小供が遊びにきても、プランコへ乗せてやらない を持って」とお米が答えた。この答も今までにもう何ということやらを話した。 「なぜほかの家の子供はプランコへ乗せないんだい」 遍か宗助に向って繰り返されたものであった。 宗助はこれより以上立ち入って、坂井のことを聞い 「つまり吝なんでしよう。早く悪くなるから」 やぬし たことがなかった。学校を巳めた当座は、順境にいて 宗助は笑いだした。彼はそのくらい吝嗇な家主が、 ふるまい かき 得意な振舞をするものに浄うと、今に見ろという気も屋根が漏ると言えば、すぐ瓦師を寄こしてくれゑ垣 起った。それがしばらくすると、単なる憎悪の念に変が腐ったと訴えればすぐ植木屋に手を入れさしてくれ 化した。ところが一二年このかたはまったく自他の差るのは矛盾だと思ったのである。 むとんじゃく 違に無頓着になって、自分は自分のように生れ付いた その晩宗助の夢には、本多の植木鉢も坂井のプラン コもなかった。彼は十時半ごろ床に入って、万象に疲 もの、先は先のような運を持って世の中へ出てきたも いびき の、両方ともはじめから別種類の人間だから、たヾ人れた人のように鼾をかいた。このあいたから頭の具合 ねつき 間として生息する以外に、なんの交渉も利害もないのがよくないため、寐付の悪いのを苦にしていたお米は、 だと考えるようになってきた。たまに世間話の序とし時々目を開けて薄暗い部屋を眺めた。細い灯が床の間 て、ありやいったいなにをしている人だぐらいは聞きの上に乗せてあった。夫婦は夜中燈火を点けておく習 もするが、それより先は、教えてもらう努力さえ出す慣が付いているので、寐る時はいつでも心を細目にし ランプ のが面倒だった。お米にもこれと同じ傾きがあった。 て洋燈をこ、へ上けた。 めす がっこう けれどもその夜は珍らしく、坂井の主人は四十恰好の お米は気にするように枕の位置を動かした。そうし めんどう そうりよう うち けち 士 - くら かわらし よしゅうあかりつ
「そう」 らこの時ほど強くまた恐ろしく光力を感じたことがな とっさ せつな いなすまひとみ かった。その咄嗟の刹那にすら、稲妻を眸に焼き付け 今まで落付いていた余はこの時急に心細くなった。 るとはこれだと思った。時に突然電気燈が消えて気が どう考えても余は死にたくなかったからである。また 遠くなった。 決して死ぬ必要のないほど、楽な気持でいたからであ こんすい カンフル、カンフルと言う杉本さんの声が聞えた。 る。医師が余を眷睡の状態にあるものと思い誤って、 めいもくふ 杉本さんは余の右の手頸をしかと握っていた。カンフ忌憚なき話を続けているうちに、未練な余は、瞑目不 なかば ルは非常によく利くね、注射し切らないうちから、も動の姿勢にありながら、半無気味な夢に襲われていた。 う反響があると杉本さんがまた森成さんに言った。森そのうち自分の生死に関するかように大胆な批評を、 成さんはえ、と答えたばかりで、別にはかみ \ しい返第三者として床の上にじっと聞かせられるのが苦痛に 事はしなかった。それからすぐ電気燈に紙の蔽をした。 なってきた。しまいには多少腹が立った。徳義上もう ふた 傍がひとしきり静かになった。余の左右の手頸は二少しは遠慮しても可さそうなものだと思った。ついに りようけん 人の医師に絶えす握られていた。その二人は目を閉じ先がそういう料簡ならこっちにも考えがあるという気 まぎわ こよっこ 0 ている余を中に挾んで下のような話をした ( その単語 人間が今死のうとしつ、ある間際にも、 むか はことみ . 、くドイツであった ) 。 まだこれほどに機略を弄し得るものかと、回復期に向 哢し」 った時、余はしば / \ 当夜の反抗心を思い出しては微 あん 「え、」 笑んでいる。 もっとも苦痛がまったく取れて、安 だめ 「駄目だろう」 臥の地位を平静に保っていた余には、十分それだけの 「え、」 余裕があったのであろう。 - 」ども 「子供に会わしたらどうだろう」 余は今まで閉じていた目を急に開けた。そうしてで てくび おおい きたん どう おちっ ろう 208
思い出す事など てんめん に纏綿してぎた。鼬の町井さんも、梅の花も、支那水 仙も、雑煮も、 あらゆる尋常の景趣はことム \ く 消えたのに、たゞ当時の自分と今の自分との対照だけ がはっきりと残るためたろうか。 ( 明治四四・四・一 lll) 2 イ 7
もて 勘定した。そうしてようやく不安の色を面に表わした。での様子を聞くと、実はあまり眠いので、十一時半ご ゅうべ 昨夕までは寐られないのが心配になったが、こう前後ろ飯を食って寐たのだが、それまではお米もよく熟睡 不覚に長く寐るところを眼のあたりに見ると、寐るほしていたのだという。 うがなにかの異状ではないかと考えたした。 「医者へ行ってね、昨夜の薬を戴いてから寐たして、 ふとん さしつかえ 宗助は蒲団へ手を掛けて二三度軽くお米を揺振った。今になっても目が覚めませんが、差支ないでしようか くゝりまくら お米の髪が括枕の上で、波を打つように動いたが、おって聞いてきてくれ」 「はあ」 米は依然としてすう / \ 寐ていた。宗助はお米を置い ながもと こおけ ちやわん て、茶の間から台所へ出た。流し元の小桶の中に茶碗 月六は簡単な返事をして出ていった。宗助はまた座 ぬりわん げじよべや のぞ と塗椀が洗わないま、浸けてあった。下女部屋を覗く敷へ来て、お米の顔を熟視した。起してやらなくって と、清が自分の前に小さな膳を控えたなり、お胝に倚は悪いような、また起しては身体へ障るような、分別 つつぶ - どいし′ りかゝって突伏していた。宗助はまた六畳の戸を引い の付かない惑を抱いて腕組をした。 かけふとん て首を差し込んだ。そこには小六が掛蒲団を一枚頭か まもなく小六が帰ってきて、医者はちょうど往診に ひっかぶ ら引被って寐ていた。 出掛けるところであった、訳を話したら、では今から 宗助は一人で着物を着換えたが、脱ぎ捨てた洋服も、一二軒寄ってすぐ行こうと答えた、と告げた。宗助は おしいれしま ほう 人手を借りすに自分で畳んで、押入に仕舞った。それ医者が見えるまで、こうして放っておいて構わないの ひばち から火鉢へ火を継いで、湯を沸かす用意をした。二三かと月 ~ / 冫し、 、、こ司、返したが、小六は医者が以上よりほ、 分は火鉢に倚れて考えていたが、やがて立ち上がって、になんにも語らなかったというだけなので、已を得す まくらべ ます小六から起しに掛かった。次に清を起した。二人元のごとく枕辺にじっと坐っていた。そうして心の中 とも驚ろいて飛び起きた。小六にお米の今朝から今まで、医者も小六も不親刧すぎるように感じた。彼はそ おど ひとり っ ま ゆすぶ はちょ ふたり ゅうべ からださわ うら
ぶふうりゅう その太鼓は最も無風流な最も殺風景な音を出して、 と余は必ず去年の病気を憶い出す。 むか あた 余は去年の病気とともに、新らしい天井と、新らし前後を切り捨てたうえ、中間たけを、自暴に夜陰に向 ( 1 ) おおしましようぐん い床の間に懸けた大島将軍の従軍の詩を憶い出す。そって擲き付けるように、ぶつきら棒な鳴り方をした。 そっけ なんべん うしてその詩を朝から晩までに何遍となく読み返したそうして、一つどんと素気なく鳴るとともにばたりと とま そば 当時を明らさまに憶い出す。新らしい天井と、新らし留った。余は耳を峙だてた。一度静まった夜の空気は あけたて い床の間と、新らしい柱と、新らしすぎて開閉の不自容易に動こうとはしなかった。や、しばらくして、今 由な障子は、今でも目の前にあり / ( 、と浮べることがのは錯覚ではなかろうかと思い直すころに、また一つ できるが、朝から晩までに何遍となく読み返した大島どんと鳴った。そうして愛想のない音は、水に落ちた 将軍の詩は、読んでは忘れ、読んでは忘れして、今で石のように、急に夜のなかに消えたぎり、しんとした は白壁のように白い絹の上を、どこまでも同じ幅で走表になんの活動も伝えなかった。寐られない余は、待 おがしら って、尾頭ともにぶつりと折れてしまう黒い線を認めち伏せをする兵士のごとく次の音の至るを思い詰めて けんげき るだけである。句にいたっては、はじめの剣戟という 待った。その次の音はやはり容易には来なかった。よ ひゞき 二字よりほか憶い出せない。 うやくのこと第一第二と同じくきわめて乾び切った響 ・か , ー。・ー響とよ、 。黒い空気のなかに、突然無 余は余の鼓膜の上に、想像の太鼓がどんーーーどんと 響くたびに、すべてこれ等のものを憶い出す。これ等遠慮な点をどっと打ってすぐ筆を隠したような音が、 あと しり なのもののなかに、じっと仰向いて、尻の痛さを紛らし余の耳朶を叩いて去る後で、余はつくんと夜を長い よあけ っ \ のっそっ夜明を待ち侘びたその当時を回顧するものに観した。 出 もっとも夜は長くなるころであった。暑さもしだい と、修禅寺の太鼓の音は、一種いうべからざる連想を もって、いつでも余の耳の底に卒然と鳴り渡る。 に過ぎて、雨の降る日はセルに羽織を重ねるか、思い あおむ 237
あ ( 2 ) でき 生れで、浜辺か畑中に立って人を呼ぶような大きな声ども、不安な未来を目先に控て、その日その日の出来 うれ を出す癖のあるすこぶる殺風景な女であったが、雨に栄を案じながら病む身には、決して嬉しい便りではな幻 とざ からだ かった。夜中に胃の痛みでしぜんと目が覚めて、身体 鎖された山の中の宿屋で、こういう昔の物語めいた、 くるし とぎばなし おきどころ つな うそまことわか 嘘か真か分らないことを聞かされたときは、お伽噺での置所がないほど苦い時には、東京と自分とを繋ぐ交 こども も読んた子供の時のような気がして、なんとなく古め通の縁が当分切れたそのころの状態を、多少心細いも にお、 のに観じないわけにゆかなかった。余の病気は帰るに かしい香に包まれた。そのうえ家が流されたのがどこ はげ はあまり劇しすぎた。そうして東京の方から余のいる で、宝物を掘出したのがどこか、まるで不明なのをい うちこわ っこう構わずに、それが当然であるごとくに話してゆところまで来るには、道路があまり打壊れすぎた。の つか く様子が、いかにも自分の今いる温泉の宿を、浮世かみならず東京そのものがすでに水に浸っていた。余は さき がけ くす ( 3 ) ち ほとんど崖とともに崩れるわが家の光景と、茅が崎で ら遠くへ離隔して、どんな便りも噂のほかにははいっ てこられない山里に変化してしまったところに一の海に押し流されつゝあるわが子供等を、夢に見ようと あて おもしろみ 面白味があった。 した。雨のした、か降るまえに余は妻に宛て手紙を出 とかくするうちにこの楽い空想が、不便な事実となしておいた。それには好い部屋がないから四五日した くるし らわ って現れはじめた。東京から来る郵便も新聞もことごら帰ると書いた。また病気が再発して苦んでいるとい おく うことはわざと知らせすにおいた。そうしてその手紙 とく後れたした。たま / \ 着くものは墨が煮染むほど しめ びしょ / 、に濡れていた。湿った頁を破けないようにも着いたか着かないか分らないくらいに考えて寐てい こうすい 開けて見て、はじめて都には今洪水が出盛っていると あざ そこへ電報が来た。それは恐るべき長い時間と労力 いう報道を、鮮やかな活字の上にまのあたり見たのは、 おぼえ 何日のことであったか、今たしかには覚ていないけれを費して、やっとのこと無事に宛名の人に通するやい はまべ はりだ ーたなか たのし たよ うわさ ゅ え こ 0 わか ひかえ あてな さ ね
顔の と 聞烟昨い し見 い草こタた 不まい ま気豸味すだ い昨 つだ て い吹折ぢそ ちか 考は 毋が た が て米 すそ 目めて いを ど 白で 双米 れ 拝 で寐 で不 快し いけ た れろ し 引来 っ今 ばも ま しな し っ覚 た帰 けれ よ いた う の小 し米 と ぐお お 米あ いで の つ のげて 薬れ て向 て リ帚・ めも っ 害較 ナこ 帰度な新 をし で蝋穹 診を き ら拝 の通 へや ラバ 色たそ開洋 : け 助 は をねれけ燈プてに当 説たすあ をく : 学は 違そ 見みの いた った細ミさ 。に 0 つ 反た い病 な者睡用 。方 ぐ方 た助 は鏡あれ ロ質 を眠鑞を は異 か取 の か鞄農 をンへ まよ たう ¯r や く り亡マ 不に医 い助傍者っ気まど 巻 を し 、な が ら び ) う と を は に よ っ 。程 い ん な 、相 の る と ど 三五 て起を た い 持 が る の で にな 障え気き で あ る る と ま た の ほ う 、がれ で ん イ寸 い た け る な 、す ら お の て 方 と : し の が 。気 の な で 今 : ぇ て は し、 た の面見 も 日うな と 0 ま お 米 の で弟注な介し : 思 は じ う お 、を お抱粤 し て 愉 し 、出タ 思 を ま へ き 付 て ゆ く よ う に て有比 し と ま ナこ の あ効 : 上 目め の を体剤 カ : て く た 0 り で的や 、ら し い も の で 理 が他分 の 目民 の 力、 ね て ず く そ よ う く 安 心、 し た 医 ま た の し、 眠 い掛も て に で しも顔 状 は で認す ら れ ま せ ん カ と 明 し て く た 不 知 の 、な の 冒 の で す が 見 し と ろ で いよ 双 と も ど な ん り真ま 、異面じけ な し と なあ見 る よ う な の い し 不 に の た い持て を 考 に ら く い ま る な し も み か つ の 後 気 を 付 の 、様 子 を よ く る と な る ほ ら ち と い助動器あ か し に も し し 、結 、果 が 起 る と る と き っ と Ⅱ蔵 か 脳 募 た て お 米 の 神 経 力、 し 御 心 、酉己 な る と は り ま せ ん う い う 場 る で あ る 今 な ら ど ん き し直少 っ た が 不 に助す の 目 の 見 る や し、 な 0 し 薬 、利きめ き ま し と て 刀ヾ 、助 の 向 で わ ざ と 慮 て し た の に が集お た は で 終 人 の 顔 お に 、見 せ る 睫当っ燭出 る の 目 察押清 し て っ仔しけ 射 鏡 光 、燭をた臓 を に点つ最 め 31 っ 、あ 黒 い 、ら聴長直 言参 の 上 に て そ 、を 。た丁た人 亡マ ち に てな時 っ が る酒小 がを / 、呑の つ し、 心た彼 自 時 る に て た の ・つ た は の 、点 し 医・ の者助 は 後 丸 の っ開あれ し 不反ー , 射 れ と た 。計つよ ロロ め て 0 にそ脈 う に の を 99