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検索対象: 夏目漱石全集 8
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1. 夏目漱石全集 8

の断然たる様子と、その握り拳の小ささと、これに反いふうを示した。 みんな きようさん げんこっ 「え、ようやく四五日まえ帰りました。ありやまった して主人の仰山らしく大ぎな拳骨が、対照になって皆 まえ ひばちはた わらいひ く蒙古向ですね。お前のような夷狄は東京にや調和し の笑を惹いた。火鉢の傍に見ていた細君は、 ゆきこ 「そら今度こさ雪子の勝た」と言って愉快そうに綺麗ないから早く帰れったら、私もそう思うって帰ってい むこうがわ ひざそば あら な歯を露わした。子供の膝の傍には、白だの赤たの藍きました。どうしても、ありや万里の長城の向側にい ダイヤモンド ガラスたま るべき人物ですよ。そうしてゴビの沙漠の中で金剛石 だのの硝子王がたくさんあった。主人は、 はす 「とう / \ 雪子に負けたーと席を外して、宗助の方をでも捜していれば可いんです」 てつ ~ 、つ 「もう一人のお伴侶は 向いたが、「どうですまた洞窟へでも引き込みますか 「安井ですか、あれもむろんいっしょです。あ、なる な」と言って立ち上がった。 書斎の柱には、例のごとく錦の袋に入れた蒙古刀がと落ち付いちゃいられないとみえますね。なんでも元 はないけ こよどこで咲いたか、もう黄は京都大学にいたこともあるんだとかいう話ですが。 振ら下がっていた。花活冫。 色い菜の花が插してあった。宗助は床柱の中途を華やどうして、あ、変化したものですかね」 わき 宗助は腋の下から汗が出た。安井がどう変って、ど かに彩どる袋に目を着けて、 「相変らす掛かっておりますな」と言った。そうしてう落ち付かないのか、まったく聞く気にはならなかっ けしき た。たゞ自分が主人に安井と同じ大学にいたことを、 主人の気色を頭の奥から窺った。主人は、 てんゅう ありがた ものすき また洩らさなかったのを天佑のように難有く思った。 「え、ちと物数奇すぎますね、蒙古刀は」と答えた。 ばんさん あにき おと、やろう おもちゃ 「ところが弟の野郎そんな玩具を持ってきては、兄貴けれども主人はその弟と安井とを晩餐に呼ぶとき、自 ろうらく を籠絡するつもりたから困りものじゃありませんか」分をこの二人に紹介しようと申し出た男である。辞退 「御舎弟はその後どうなさいました」と宗助は何気なをしてその席へ顔を出す不面目たけはやっと免かれた にしき なにげ ふたり ふめんもく わたし まぬ ノ 73

2. 夏目漱石全集 8

ています ) 。さてどっちとも書いてない以上は、辞し 得るとも辞し得ないとも自分に都合のよいように取る 余地のあるものと解釈しても可くはないでしようか。 すると当局者が自己の威信ということに重きを置いて 「辞することを得ず」と主張すれば、私のほうでは自己 なりゆき たて 博士事件についてその後の成行はどうなったと仰しの意思を楯として「辞することを得」と判断しても構 やるのですか。実はそれぎりどうもならないのです。わないことになりはしませんか。 ( 1 ) はが おもんばか 福原君にも会いません。芳賀君などから懇談を受けた またそれほど重大なものならば、万一を慮って ( 表 こともありません。文部大臣は学位令によって学位を向き学位令に書いてあるとおりを執行するまえに ) 、 私に授与したにはしたが、もし辞退した時にはどうす一応学位を授与せられる本人の意思を確めるほうが、 めいぶん るという明文が同令に書いてないから、その場合には親切でもあり、またお互の便宜であったように思われ 辞退を許す権能を有していないのだというのが、当局ます。とにかくに当局者が栄誉と認めた学位を授与す 者としての福原君の意見なのですか。なるほどそうもるくらいの本人ならば、その本人の意思というものも いわれるのでしよう。しかしそれではあたかも学位令学位同様に重んじてよさそうに考えます。 に博士は辞することを得ずと明記したと同様の結果に 私は当局者と争う気もなにもない。当局者もまた私 りようけん 行 成なるようですが、実際学位令には辞することを得すとを圧迫する了簡はさらにないことと信じています。こ もまた辞することを得ともどっちと書いてないのの際直接福原君の立場としてははなはだ困られるだろ ふゆきとゞ 彗じゃないですか ( はなはだ不行届きですがまだ学位令うとは思うけれども、明治もすでに五十年近くにな 0 〃 こしら を調べていません。しかしたしかそういうふうこ聞、 冫してみれば、政府で人工的に拵えた学位が、そういつま 博士問題の成行 ( l) おっ

3. 夏目漱石全集 8

ゆくさき はまた炬鞋へ帰った。しばらくしてお米も足を温めに べったんその行先を聞き糾しもしなかった。このごろ 来た。そうして次の土曜か日曜には坂井へ行って、ひでは小六に関係したことを言いだして、お米にその返 とっ屏風を見て来たら可いだろうというようなことを事をさせるのが、気の毒になってきた。お米のほうか 話し合った。 ら、進んで弟の讒訴でもするようだと、叱るにしろ、 いっぺん 次の日曜になると、宗助は例のとおり一週に一返の慰さめるにしろ、かえって始末が好いと考える時もあ らくね ひる くうつぶ 楽寐を貪ぼったため、午まえ半日をとう / 、空に潰しった。 ひばち てしまった。お米はまた頭が重いとか言って、火鉢の 午になってもお米は炬燵から出なかった。宗助はい ものう 縁に倚りかゝって、なにをするのも瀬そうに見えた。 っそ静かに寐かしておくほうが身体のために可かろう こんな時に六畳があいていれば、朝からでも引込む場と思ったので、そっと台所へ出て、清にちょっと上の ふたんぎ 所があるのにと思うと、宗助は小六に六畳を宛てがっ坂井まで行ってくるからと告げて、不断着の上へ、袂 たことが、間接にお米の避難場を取り上げたと同じ結の出る短いイイ ( ネスを纏って表へ出た。 とおり 果に陥るので、ことに済まないような気がした。 今まで陰気な室にいたせいか、通へ来ると急にから 心持が悪ければ、座敷へ床を敷いて寐たら好かろう りと気が晴れた。肌の筋肉が寒い風に抵抗して、一時 する と注意しても、お米は遠慮して容易に応じなかった。 に緊縮するような冬の心持の鋭どく出るうちに、ある こしら あた それでは、また炬燵でも拵えたらどうだ、自分も当る快感を覚えたので、宗助はお米もあ、家にばかり置い やぐらかけぶとん からと言って、とう / \ 櫓と掛蒲団を清に言い付けて、ては善くない、気候が好くなったら、ちと戸外の空気 座敷へ運ばした。 を呼吸させるようにしてやらなくては毒だと思いなが 月六は宗助が起きる少しまえに、どこかへ出ていっ ら歩い て、今朝は顏さえ見せなかった。宗助はお米に向って 坂井の家の門を k ったら、玄関と勝手口の仕切にな むさ ひっこ うち ざんそ しきり

4. 夏目漱石全集 8

まえ かげん さ加減をねんごろに商量した。けれども起ぎ直って机を付けてやった。ある時なにかのついでに、時にお前 むか ん に向ったり、膳に着いたりするおりは、もうこ、がわの顔はなにかに似ているよと言ったら、どうせ碌なも が家たという気分に心を任して少しも怪しまなかった。のに似ているのじやございますまいと答えたので、お よそ人間としてなにかに似ている以上は、まず動物に それで歳は暮れても春は逼っても別に感慨というほど きま のものは浮ばなかった。余はそれほど長く病院にいて、極っている。ほかに似ようたって容易に似られるわけ おろ のものじゃないと言って聞かせると、そりや植物に似 それほど親しく患者の生活に根を卸したからである。 いよ / 、大晦日が来た時、余は小さい松を二本買っちやたいへんですと絶叫して以来、とう / \ 鼬と極っ いりぐち てしまったのである。 て、それを自分の病室の入口に立てようかと思った。 さ くぎ うつ 鼬の町井さんはやがて紅白の梅を二枝提げて帰って しかし松を支えるために釘を打ち込んで美くしい柱に ( 2 ) え ( 1 ) ぞうたく ぎす 創を付けるのも悪いと思って巳めにした。石護婦が表きた。白いほうを蔵沢の竹の画の前に插して、紅いほ うは太い作簓の中に投げ込んだなり、袋戸の上に置い へ出て梅でも買ってまいりましようというから買って もら ( 3 ) しなずいせん た。このあいだ人から貰った支那水仙もくる / \ と曲 , もらうことにしこ 0 って延びた葉の間から、白い杳をしきりに放った。町 この看護婦は修善寺以来余が病院を出るまで半年の あした そば 井さんは、もうだいぶ病気が可くおなりだから、明日 あいだ始終余の傍に付き切りに付いていた女である。 ぞうに いしこじよう はき 0 とお雑煮が祝えるに巡記いと言 0 て余を慰めた。 余はことさらに彼の本名を呼んで町井石子嬢々々々と まくら なまえてんどう 除夜の夢は例年のとおり枕の上に落ちた。こういう な言っていた。時々は間違えて苗字と名前を顛倒して、 たいかんか、 す石井町子嬢とも呼んだ。すると君護婦は首を傾げなが大患に罹ったあげく、病院の人となっていくつの月を らそう改めたほうが好いようでございますねと言った。重ねた末、雑煮までこ、で祝うのかと考えると、頭の あだな しまいには遠慮がなくなって、とう / 、、鼬という渾名中にはアイロニーというローマ字が明らかに綴られて さゝ おおみそか まちが せま みようじ まちい いたち よ さ 245

5. 夏目漱石全集 8

「こゝにいると、もうどことも交渉はないまったく ことみ、くすら / \ したものであった。宗助はこの楽 気楽です。ゆっくりしていらっしゃい。実際正月とい 天家の前では、よく自分の過去を忘れることがあった。 わたくしきのう うものは予想外に熕瑣いものですね。私も昨日までほそうして時によると、自分がもし順当に発展してきた もたれ とんどへと / 、に降参させられました。新年が停滞てら、こんな人物になりはしなかったろうかと考えた。 きようひる いるのは実に苦しいですよ。それで今日の午から、と そこへ下女が三尺の狭い入口を開けてはいってきた きざら うとう塵世を遠ざけて、病気になってぐっと寐込んじが、改ためて宗助に丁重なお辞儀をしたうえ、木皿の まいました。今しがた目を覚まして、湯に沁って、そような菓子皿のようなものを、一つ前に置いた。それ れから飯を食って、烟草を呑んで、気が付いてみると、 から同じ物をもう一つ主人の前に置いて、一口ももの 家内が子供を連れて親類へ行って留守なんでしよう。 を言わずに退がった。木皿の上には護謨毬ほどな大き いなかまんじゅう なるほど静かなはすだと思いましてね。すると今度は な田舎饅頭が一つ載せてあった。それに晋通の倍以上 たいくっ わがま、 急に退屈になったのです。人間もすいぶん我儘なものもあろうと思われる楊枝が添えてあった。 ですよ。しかしいくら退屈だって、このうえお目出た 「どうです暖かいうちに」と主人が言ったので、宗助 ほねお いものを、見たり聞いたりしちゃ骨が折れますし、また ははじめてこの饅頭の蒸してまもない新らしさに気が お正月らしいものを、呑んだり食ったりするのも恐れ付いた。珍らしそうに黄色い皮を眺めた。 ますから、それで、お正月らしくない、というと失礼 「いやできたてじゃありません」と主人がまた言った。 じようだん だが、まあ世の中とあまり縁のない貴方、といっても「実は昨夜あるところへ行って、冗談半分に賞めたら、 みやげ まだ失敬かもしれないが、つまり一口にいうと、超然お土産に持っていらっしゃいと言うから貰ってきたん いちにん あっ 派の一人と話がしてみたくなったんで、それでわざわです。その時はまったく暖たかだったんですがね。こ ざ使を上げたような訳なんです」と坂井は例の調子で、れは今上げようと思って蒸し返さしたのです」 じんせい こども うるさ さ の あなた 歩しざら あ イムまり 135

6. 夏目漱石全集 8

一枚の端書さえ寄こさなかったのである。宗助は安井に帰るつもりでいたが、少し事情があってさきへ立た ことわり の郷里の福井へ向けて手紙を出してみた。けれども返なければならないことになったからという断を述べた 事はついに来なかった。宗助は横浜のほうへ間い合わ末に、いすれ京都でゆっくり会おうと書いてあった。 うちふところ せてみようと思ったが、つい番地も町名も聞いておか宗助はそれを洋服の内懐に押し込んで汽車に乗った。 おきっ なかったので、どうすることもできなかった。 約東の興津へ来たとぎ彼は一人でプラットフォームへ ひとすじまち 立つまえの晩に、父は宗助を呼んで、宗助の請求ど降りて、細長い一筋町を清見寺の方へ歩いた。夏もす はじめ ひしよかく おり、普通の旅費以外に、途中で二三日滞在したうえ、でに過ぎた九月の初なので、おおかたの避暑客は早く こらかい あと 京都へ着いてからの当分の小遣を渡して、 引き上げた後だから、宿屋は比較的閑静であった。宗 さと よら ! 、 「なるたけ節倹しなくちや不可ないーと論した。 助は海の見える一室の中にになって、安井へ送る えはがき 宗助はそれを、普通の子が普通の親の訓戒を聞く時絵端書へ二三行の文句を書いた。そのなかに、君が来 のごとくに聞いた。父はまた、 ないから僕一人でこ、へ来たという言葉を入れた。 りゅうげじ 「来年また帰ってくるまでは会わないから、ずいぶん 翌日も約東どおり一人で三保と竜垂寺を見物して、 気を付けて」と言った。その帰ってくる時節には、宗京都へ行ってから安井に話す材料をできるだけ拵えた。 あて 助はもう帰れなくなっていたのである。そうして帰っしかし天気のせいか、当にした連のないためか、海を なきがら て来た時は、父の亡骸がもう冷たくなっていたのであ見ても、山へ登っても、それほど面白くなかった。宿 お、かげ る。宗助は今に至るまで、その時の父の面影を思い浮にじっとしているのは、なお退屈であった。宗助はそ す す ・ヘては済まないような気がした。 うそうにまた宿の浴衣を脱ぎ棄てて、絞りの三尺とと まぎわ いよ / 、立っという間際に、宗助は安井から一通のもに欄干に掛けて、興津を去った。 封書を受取った。開いて見ると、約東どおりいっしょ 京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の ゆかた こしら

7. 夏目漱石全集 8

しき時間は、生とも死とも片付かぬ空裏にすぎた。存アージ一二 ( ス・。ヒニリスク」の中に、人はいくら年 あきら 亡の領域がや & 明かになったころ、ますわが存在を確を取っても、少年の時と同じような性情を失わないも うなす めたいという願から、とりあえず鏡を取ってわが顔をのだと書いてあったのを、なるほどと首 ~ 月いて読んだ おも おも もど 照らしてみた。すると何年かまえに世を去った兄の面当時を憶い出して、たゞその当時に立ち戻りたいよう かげ ひやゝ かす 影が、卒然として冷かな鏡の裏を掠めて去った。骨ば な気もした。 あたゝかみ かり意地悪く高く残った頬、人間らしい暖味を失った 「ヴァージニバス・。ヒ = エリスク」の著者は、長い病 あお 蒼く黄色い皮、落ち込んで動く余裕のない目、それか苦に責められながらも、よくその快活の性情を終焉ま うそ ら無遠慮に延びた髪と髯、 どう見ても兄の記念でで持ち続けたから、嘘は言わない男である。けれども あった。 惜しいことに髪の黒いうちに死んでしまった。もし彼 たゞ兄の髪と髯が死ぬまで漆のように黒かったのに が生きて六十七十の高齢に達したら、あるいはこうは かゝわらず、余のそれ等にはいつのまにか銀の筋がま言い切れなかったろうと思えば、思われないこともな しらが ばらに交っていた。考えてみると兄は白髪の生えるま 。自分が二十の時、三十の人を見ればたいへんに懸 いさぎ えに死んだのである。死ぬとすればそのほうが屑よい隔があるように思いながら、いっか三十が来ると、二 びん わか かもしれない。白髪に鬢や頬をぼっ / 、冒されながら、十の昔と同じ気分なことが分ったり、わが三十の時、 また生き延びる工夫に余念のない余は、今を盛りの年四十の人に接すると、非常な差違を認めながら、四十 なごろに容赦なく世を捨てて逝く壮者に比べると、なんに達して三十の過去を振り返れば、依然として同し性 きま すだか概りが悪いほど未練らしかった。鏡に映るわが表情に活きつ、ある自己を悟ったりするので、スチーヴ ことば きよう 情のうちには、むろん果敢ないという心持もあったが、 ンソンの言葉ももっともと受けて、今日まで世を経た そく 、くり 4 ろうたい 死に損なったという恥も少しは交っていた。また「ヴようなものの、外部から萌してくる老頽の徴候を、幾 かたづ たしか きざ しゅうえん

8. 夏目漱石全集 8

「そう」 らこの時ほど強くまた恐ろしく光力を感じたことがな とっさ せつな いなすまひとみ かった。その咄嗟の刹那にすら、稲妻を眸に焼き付け 今まで落付いていた余はこの時急に心細くなった。 るとはこれだと思った。時に突然電気燈が消えて気が どう考えても余は死にたくなかったからである。また 遠くなった。 決して死ぬ必要のないほど、楽な気持でいたからであ こんすい カンフル、カンフルと言う杉本さんの声が聞えた。 る。医師が余を眷睡の状態にあるものと思い誤って、 めいもくふ 杉本さんは余の右の手頸をしかと握っていた。カンフ忌憚なき話を続けているうちに、未練な余は、瞑目不 なかば ルは非常によく利くね、注射し切らないうちから、も動の姿勢にありながら、半無気味な夢に襲われていた。 う反響があると杉本さんがまた森成さんに言った。森そのうち自分の生死に関するかように大胆な批評を、 成さんはえ、と答えたばかりで、別にはかみ \ しい返第三者として床の上にじっと聞かせられるのが苦痛に 事はしなかった。それからすぐ電気燈に紙の蔽をした。 なってきた。しまいには多少腹が立った。徳義上もう ふた 傍がひとしきり静かになった。余の左右の手頸は二少しは遠慮しても可さそうなものだと思った。ついに りようけん 人の医師に絶えす握られていた。その二人は目を閉じ先がそういう料簡ならこっちにも考えがあるという気 まぎわ こよっこ 0 ている余を中に挾んで下のような話をした ( その単語 人間が今死のうとしつ、ある間際にも、 むか はことみ . 、くドイツであった ) 。 まだこれほどに機略を弄し得るものかと、回復期に向 哢し」 った時、余はしば / \ 当夜の反抗心を思い出しては微 あん 「え、」 笑んでいる。 もっとも苦痛がまったく取れて、安 だめ 「駄目だろう」 臥の地位を平静に保っていた余には、十分それだけの 「え、」 余裕があったのであろう。 - 」ども 「子供に会わしたらどうだろう」 余は今まで閉じていた目を急に開けた。そうしてで てくび おおい きたん どう おちっ ろう 208

9. 夏目漱石全集 8

十ートストププ な声を出した。「あれはね、自働革砥の音だ。毎朝髭「そうかそれでようやく分った。 かみそり ( 1 ) かわど を剃るんでね、安全髪剃を革砥へ掛けて磨ぐのだよ。 んの病気はなんだい」 うそ ちよくちょうがん 今でも遣ってる。嘘たと思うなら来てごらん」 「直腸癌です」 看護婦はたゞへえ、と言った。だん / 、聞いてみる「じゃとてもむずかしいんだね」 と、〇〇さんという患者は、ひどくその革砥の音を気「えゝうとうに。 こ、を退院なさるとじきでした、 にして、あれはなんの音だなんの音だと石護婦に質間お亡くなりになったのは」 へや したのだそうである。看護婦がどうも分らないと答え 自分は黙然としてわが室に帰った。そうして胡瓜の ると、隣の人はだいぶん災いので朝起きるすぐと、運音で他を焦らして死んだ男と、革砥の音を羨ましがら 動をする、その器械の音なんじゃないか羨ましいなとせて快くなった人との相違を心の中で思い比べた。 なんべんく 何遍も繰り返したという話である。 ( 明治四四・七・一九ー二〇 ) まえ 「そりや好いがお前のほうの音はなんだい」 「お前のほうの音って ? 」 おろ 「そらよく大根を卸すような妙な音がしたじゃない か」 「え、あれですか。あれは胡瓜を擦ったんです。患者 っゅひや さんが足が熱って仕方がない、胡瓜の汁で冷してくれ おっ わたし と仰しやるもんですから私が始終擦ってあげました」 だいこおろし 「じややつばり大根卸の音なんだね」 「えゝ」 や しかた きゅうりす わか うらや ひけ ひとじ いったい〇〇さ 258

10. 夏目漱石全集 8

修善寺で病気がぶり返して、社から見舞のため森成 仕切はだいぶいほうでしたが、近来また少し寒くな ったものですから : : : と言う答たったので、余はどうさんを特別に頼んでくれた時、着いた森成さんが、病 よろ あいさっ ぞお逢いの節は宜しくと挨拶した。その晩はそれぎり院の都合上とても長くはと言っているその晩に、院長 あくるひ なんの気も付かずに寐てしまった。すると明日の朝はわざ / \ 直接森成さんに電報を打って、できるたけ あなた まくらもとすわ が来て枕元に坐るやいなや、実は貴方に隠しておりま余の便宜を計らってくれた。その文句は寐ている余の まくらもと ( 3 ) せっちょう ながよ したが長与さんは先月五日に亡くなられました。葬式目にはむろん触れなかった。けれども枕元にいる雪鳥 おん ( 1 ) ひがし には東さんに代理を頼みました。悪くなったのは八月君から聞いたその文句の音だけは、いまだに好意の記 憶として余の耳に残っている。それは当分その地に留 末ちょうど貴方の危篤だった時分ですと言う。余はこ つきそい の時始めて付添のものが、院長の計をことさらに秘しまり、十分護に心を尽すべしとかいう、森成さんに おごそ とってはずい・ふん厳かに聞える命令的なものであった 9 て、余に告けなかったことと、またその告げなかった ( 4 ) ようだい 意味とを悟った。そうして生き残る自分やら、死んだ院長の容態が悪くなったのは余の危篤に陥ったのと ぼうぜん 院長やらをとかく比較して、しばらくは茫然としたま ほゞ同時だそうである。余が鮮血を多量に吐いて傍人 ま黙っていた。 からとうてい回復の見込がないように思われた二三日 ことし あと ぜん 院長は今年の春から具合が悪かったので、この前入後、森成さんが病院の用事だからと言って、ちょっと みあわ 院した時にも六週間のあいだついそ顔を見合せたこと東京へ帰ったのは、生前に一度院長に会うためで、そ ながなかった。余の病気のよしを聞いて、それは残念た、れから十日ほど経って、また病院の用事ができて二度 もど ナ自分が健康でさえあれば治療に尽力してあげるのにと東京へ戻ったのは院長の葬式に列するためであったそ ことづて 山田 いう言伝があった。その後も副院長を通じて、よろしうである。 くという言伝が時々あった。 当初から余に好意を表して、間接に治療上の心配を しきり よ た ( 2 ) ぼうしん 787