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検索対象: 夏目漱石全集 8
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1. 夏目漱石全集 8

き〕 九三重吉へ「小鳥の巣」執筆激励 拝啓白樺一号御恵送にあづかり拝受。巻頭の「そ さふら 三月ニ十九日 ( 火 ) 午後五時ー六時牛込区早稲田南れから」評いまた熟読いたさす候へどもたヾちにちょ 町七番地より千葉県成田町鈴木三重吉へ っと目を通し候。拙作に対しあれほどの御注意をお払 さふらふ お手紙拝見。春雨の候御地はいかゞ。淋しいよし。 ひくたされ候のみならず、多大の頁を御愛くだされ そろ ( 2 ) いたりそろ かんばい いろ / \ な意味にて誰も淋しく候。小島の巣毎日拝見。候こと感佩の至に候。深く御好意を謝し申し候。御批 ずゐぶん御苦心のことと存じ〈ども書きかけたもの評の内容はいまだ熟読を経ざることゆゑ、なんとも申 ゅゑぜひとも始末を奇麗にお付けなさるべく候。学校し上げかね候へども所々 ( 冂緊に当り候ところも多きや 授業執務のほかに小説を毎日書くのはさだめて御難義 うに存じ候。なかにも「それから」が運河だといふの とは存じをり候。小生は胃の加減わるく気に任せて長はおそらくもっとも妙なる譬喩ならんと存じ候。「そ く筆を執ると疲労するゆゑたいてい毎日一回ぐらゐでれから」のとめ方の御弁護もあのとほりの愚見にて候 ごめんご さう′ ~ 、とんしゅ 胡魔化しをり候、いづれ委細は御面晤。草々頓百 ひし。まづはお礼まで。草々 三月二十九日 金之助 一一自然主義批判の心 三重吉様 四月十ニ日 ( 火 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田南町 ( 6 ) 一 0 武者小路実篤へ「白樺」の「それか 七番地より本郷区駒込西岸町十番地畔柳都太郎へ そろ すべ ら」評を謝す 貴墨拝誦。再度申し上げ候。自然主義が滑っても転 三月三十日 ( 水 ) 午前八時ー九時牛込区早稲田南町んでも小生も毛頭異存これなく応へども、自然主義を 七番地より町区元園町一丁目武者小路実篤へ〔はが振り回す人と同商買ゅゑどうでもよくなくなり候。そ ごまか かけん ( 3 ) ( 4 ) しら歩ば 5 350

2. 夏目漱石全集 8

・書 君の近来の傾向にアンチシ 1 シスを与えるつもりで書十ニ月ニ十日 ( 火 ) 午前十時ー十一時麹町区内幸町 胃腸病院より牛込区矢来町六十一一番地森田米松へ〔は いた。君のような手紙は森田とか次郎にやる・ヘきであ がき〕 る。僕からあんな返事を貰ったら世の中には草平や次 郎ばかりおらないということに気がっきたまえ。君の啓時効にかゝった事情じゃない「時効にかゝる」 やむをえず 、という字面の意味が解しかねるのである。活版をコワ 心持を害したることは不得已して冒したる僕の罪なり あと シテ報知しなければ報知してくれと仰ゃい。 後に余波をとゞむること御無用なり。草々 ( 2 ビジュアリゼーションでもビジュアライゼーション 十四日夜 金之助 でも同じことなり。ゼーのところにアクセントがある 豊隆様 さしつかえ から前のシラ・フルの母音は長くても短かくても差支な 三六病院より草平へ ( 一 ) きなり。東などをオーソリチーにせず改めるなら字引 をお引きなさい。 十ニ月十八日 ( 日 ) 午後八時ー九時麹町区内幸町胃 腸病院より牛込区矢来町六十二番地森田米松へ〔はが き〕 才啓お手紙拝見いたし候。文中時効にか、りたり とて活版をコハシとある意味分りかね候。なんのこと なるや。 十二月十八日 三七病院より草平へ ( 一 l) そろ わか そろ おっし 365

3. 夏目漱石全集 8

そろ ( 3 ) 印は押し候。草々 方へ出る。題は門というので、森田と小宮が好加減に 三月十三日 つけてくれたが、い っこう門らしくなくって困ってい 耕三様 る。小宮も森田もなか / 有名になった。虚子が去年 の末腸チフスをやってようやく快復したがまた衰弱し 竹柏園の講演辞退 ている。その他異状なし。草々 三月四日お天気のいい日 金之助 三月十六日 ( 水 ) 牛込区早稲田南町七番地より大塚 楠緒へ〔封筒なし〕 寅彦様 先日は御光来のところなんの風情もなく失礼いたし さふら ( 4 ) ちくはくゑん 七松山中学の教え子岡田耕三へ 候。その節お話の竹柏園の演説のこと一応考へ候へど 三月十三日 ( 日 ) 午後零時ー一時牛込区早稲田南町もなにぶん余裕これなく、はなはだお気の毒ながらお ( 2 ) 七番地より本郷区第一高等学校寄宿舎東寮十一乙林原断り申し上け候。佐々木氏へさやうお伝へくだされた ( 当時岡田 ) 耕三へ お手紙拝見。指が痛いっていうのはなんの病気かね。大塚氏神経衰弱いまだ御回復なきよし。神経衰弱は 医者にはか、っているのかね。指が痛くって筆が持て現代人の一般に罹る普通のものゆゑ御心配なきゃう冀 なくっては学生はできないくらいだ。養生をしなくっ候。逢って話をする男はことみ、く神経衰弱に候。こ れは金病とともにたゞいまの流行病に候。右御返事ま ちや不可ない。 人世観とか世界観とかいうものはだん / 、変るもので。草々 金之助 三月十六日 だがその時その場合には誰にもしつかりしたところが ほうちゃく しあわせ 大塚楠緒子様 あって欲しい。何物にか逢着したのは君の仕合だ。 ( 1 ) もん い、かげん そろ 金之助 ねがひ 349

4. 夏目漱石全集 8

簡 十月二十日 三 0 病院より夫人へ 十月三十一日 ( 月 ) 午前九時ー十時麹町区内幸町胃 腸病院より牛込区早稲田南町七番地夏目鏡へ ようりよう きのうお前からお医者の礼のことに関し不得要領の ニ九唯一の楽しみはたた一人暮すこと ことを聞かされたので今朝まで不愉快だった。お前も ( 2 ) 十月ニ十日 ( 木 ) 午後二時 ! 三時麹町区内幸町胃腸むがしい、坂元も忙がしい、池辺も忙がしい、渋川は かんがえ 病院より牛込区矢来町六十二番地森田米松へ〔はがき〕病気だから寐ている。おれの考どおり着々進行するこ 拝啓面会謝絶にてお出の時もろく / \ ロもきかず、とはむすかしいが、病人のほうからいうとあんなこと さだめしお気に障ることと存じ候へども病気の我儘序は万事知らずにいるか、そうでなければ一日も早く医 に当分御許容くだされたく候。実際たゞいまの小生の者にも病人にもその他の関係者にも満足のゆくように たのしみ 唯一の楽はたゞ一人でその日を暮すことにこれあり候。はやくてきばきと片付くほうが心持がよろしい。どう さふらふ か今度その話をする時はもっと要領を得るように願い お約東の文芸欄原稿第一回お送りいたし候あひだ、 とりはからひ しかるべくお取計願ひ上け候。毎日送ることも隔日 になることも、あるひは三四日抜くこともこれあり候今のおれにいちばん薬になるのはからたの安静、心 はんも少しは長くっゞくことと存じ候。長さも内容もの安静である。必ずしも薬を飲んでいるばかりや寐て みはから 不定に候へばその辺も時々お見計ひのうへ他のものと いるばかりが養生じゃない。いやなことを聞かされた あ いっしょまたは独立して御掲載願ひ上げ候。不一 り、思うように事が運ばなかったり、不愉快な目に洋 さようなら 恒子へ えい子 ひとり そろ さふら 父より わがまゝついで かたづ

5. 夏目漱石全集 8

らうたい 君の不眠いかヾ。クスグッタイ感じいかゞ。老頽頭るのがあると思っている。 さう ようやく小説を書きおわったらばいろ / \ な雑用が を圧して至る。お互に棺でも作っておくことちゃ。艸 さう できやはり忙殺。胃陽病院に行く。胃かいようの疑 あるとのことにてたゞいま糞便検査中なり。金ばかり 六月十日 金之助 (< って困る。君の投稿いまだに出さず。はなはだお気 虎雄様 の毒、原稿が重なると方々へ義理がわるくなる。 一九「門」終了と胃潰瘍の疑い 右御返事まで。艸々 六月十日 ( 金 ) 午後一時ー一一時牛込区早稲田南町ャ 六月十日 金之助 番地より府下巣鴨町上駒込三百三十四番地野上豊一郎へ 豊一郎様 そろ かんじん 拝啓赤門前御出版のよし承知いたし候。あれは仰肝心の序文のことを忘れたり。君が書き直したのを せのごとく小生よく読まざりしものなれど読んだうちちょっと見たうへにしたし。いかゞにや。それでなけ にだいぶ不本意のところこれあり。君もいま繰り返しればまたほかに一工夫いたすべく候。 たならばさためていろ / ( 、な欠点に気がつくだらうと ニ 0 「門」に要する禅知識を間う ( 二 ) 思ふ。なにとぞその辺に御注意のうへよく御訂正あり たく、刧望いたし候。 六月十ニ日 ( 日 ) 午後十一時ー十二時牛込区早稲田 ( 2 ) ( 3 ) がけした ( 4 ) まんてう 南町七番地より府下巣鴨町上駒込三百三十四番地野上豊 新文芸に出た崖下の家面白く候。今日の万朝の六号 うそ 一郎へ につまらないもののやうにかいてあり候があれは嘘に われ 、 0 の中に吾に三等の弟子あり 。いはゆる猛 たいとうこくし はうげうんぬん い烈にして諸縁を放下し云々の遺誡を大燈国師のものと 僕は君の短編のほうがかえって赤門前より優れて おもしろ さふらふ お うたがい

6. 夏目漱石全集 8

阿部次郎様 一八「門」に要する禅知識を問う 一七一質問状への解答 六月十日 ( 金 ) 午後一時ー二時牛込区早稲田南町七 番地より小石川区久堅町七十四番地菅虎雄へ 六月九日 ( 木 ) 午後三時ー四時牛込区早稲田南町七 番地より神田区駿河台鈴木町十七番地大野方橋田丑吾へ 拝啓自分の小説中に書き込む必要ありて「われに はうげ てもと 。いはゆる猛烈にして諸縁を放下し専 拝復「猫」手元になきため前後の関係不明なれど三等の弟子あり ( 9 ) たい そろ うんぬん 一に己事を究明するこれを上等といふ云々」の戒を大 お答へ申し上げ候。 とうこくし ( 2 ) ・ペンデニス ( サッカレーの小説ペンデニ燈国師の遣誡として書いたるところ、ある人よりあれ かうしゃう ( 間 ) むさうこくし ス中に出てくる人物。世俗的知識に富めど高尚な理想は夢窓国師の遺誡だ。大燈のではないといふ注意を受 けたり。さうらしくもある。墅 0 ちだか御教示を乞ふ。 ・もなにもなきいはゆる世間的の人、あるひは俗物 ) 。 ( 3 ) ベオウルフ。アングロサクソン時代のエ。ヒック詩のまたなんに出てゐるかその辺もついでにお教へくださ そろ 主人公。ガルガ galga は現今の英語の gallows 絞首れ、相なるべくは出所の書物を一見いたしたく候。 ( ) たっちゅう ムロのこと。 また塔頭を塔中と書いたとて注意を受けたがこれも こゝろえちがひ 。ヒャース・。フローマン。十四世紀ごろの英国の詩の僕の心得違で塔頭でなければならんのだらうな。また ことば 名。プラックストーンは有名な英国の法律家 Com ・室内といふ言葉はあるが室中とは聞かないと注意した 男がある。それもさうらしいがよく知らず。ついでに mentaries of the Laws of England の著者。 さう′・、、 まづは右まで。艸々 御教示を待つ。 うたがひ 六月九日 夏目金之助 胃病にて長与病院に行く。胃くわいやうの疑あり 橋田丑吾様 ことによると入院のつもり。 ョ ( 8 ) こ 0 354

7. 夏目漱石全集 8

ふゆきとゞき 小生不行届にて諸君子に頃を及ぼし慚汗少なからず 六題名は「門」 候。右返事によりいくぶんか小生の心意を致すを得ば 三月四日 ( 金 ) 午前十一時 ! 十一一時牛込区早稲田南 幸に候。なほ御面会を期し申し候。以上 町七番地より Bei Frau Schmeltzer, Geisbergstrasse 夏目金之助 二月三日 39 , Berlin W. 寺田寅彦へ 安倍能成様 はがき 端書拝見。その後お変りもなきことと存じ候。今度 ( 3 ) 五一愛読者へ 音楽家で山田という人が岩崎の金でベルリンへ留学す ( 5 ) ニ月十日 ( 木 ) 牛込区早稲田南町七番地より栃木県る。幸田のところをたよるよし。この人の友人で筆の ( 6 ) 先生の中島さんから君へもついでに頼んでくれという 芳賀郡山前村字道祖土高松甚一郎へ からちょっと御報知する。なにかの機会もあったら世 お手紙拝見。私のものを御愛読くださるよし難有い よみ ことでどうぞ今後もお読を願います。近ごろの本でノ話をしてやってくれたまえ。 だん / \ 春めいてきて少しは暖かになった。昨日湯 ンビリと気の楽になるようなものはあんまりありませ ら - だ、い亠 , ( 1 ) はいかいし たかはまきよし に k ったら今朝はじめて鴬をききましたよ。まだ下手 ん。私の友人の高浜虚子という人の書いた俳諧師とい ひなさま たんす なみせい うのがあります。民友社の出版で並製壱円以下と覚えですねと言っていた。宅では簟笥の上にお雛様を飾っ ( 8 ) ています、あれでも読んでごらんなさい。右御返事まている。山田という奥さんから虎屋の雛の菓子をもら よあけ ( 9 ) って飾った。二日の夜明にまたお産があって大混雑。 で。草々 こども また女が生れた。僕はこれで子供が七人二男五女の父 夏目金之助 二月十日 しらが となったのは情ない。鬢のところに白髪がだいぶ生え 高松甚一郎様 ついたち た。また小説をかきだした。三月一日から東京大阪両 さいはひ ざんかん ありがた ふつか そろ へた

8. 夏目漱石全集 8

四月十六日 ( 土 ) 午前十時ー十一時牛込区早稲田南 れから自分はどうでもよいとしても、かういふものに 町七番地より千葉県成田町鈴木三重吉へ〔はがき〕 支配される若い人がたくさんこれあり候ゅゑ、やはり ( 2 ) にぎ ( 1 ) ごたく 拝啓小鳥の巣は題名のとほり小鳥の巣に至っては なんとかかとか誤詫をならべて文芸欄を賑はし、かっ そろ その人々にあまり片寄らぬゃうな所見をかしたきじめて君の真面目を発揮いたし候。あ、いふことの叙 かんがヘ 述は今の文壇これなし。したがってはなはだ興味深く 考になり候。 しかし毎日自然主義がどうしたとか、かうしたとか候。草々 へきえき にては小生も読者も大兄も辟易ゅゑ、たまには大兄の 一三手おくれ気味の「門」執筆 御得意の鳥獣草木もぜひ御紹介を願ひたく候。しかし 四月ニ十四日 ( 日 ) 使い持参牛込区早稲田南町七番 根が新聞ゅゑ講義体に堂々と例証ばかり出てきて何日 すき 地より池辺吉太郎へ もっゞくと困り候ゅゑ、一般読者ならびに文芸好の人 に興味のあるやうなことにて八十行くらゐでちょっと今日は日曜なれば会議いかヾあらんと存じ候へども おもしろ さふらふ 面白く読まれ得るもの切望に候。しかしこちらから注念のため出社候までのところ、わざ / ( 、お断りにて くりのは 文を出すとまたむづかしく相成り恐縮いたし候が、も恐縮いたし候。明日にお繰延しのことも拝承いたし候。 ふくみおき おんした、 らうよ、 しお閑もあらばお含置のうへたまには御認めくだされ実は小説手おくれの気味にて多少狼狙の姿ゅゑ、こと たくあらかじめ願ひおき候。艸々 によると欠席いたすやも計りがたく候につき、時間に 四月十二日 金之助 参り合はず候はばお構なくお開き願ひ上げ候。委細は ( 3 ) ばんる 芥舟様 拝眉のうへ万縷。艸々 四月二十四日夜 金之助 池辺様 ひま 一ニ「小鳥の巣」を賞す たいけい さふらふ かまひ ねがあ さふら 3 引

9. 夏目漱石全集 8

むさうこくし して掲出す。ある人報じてく、あれは夢窓国師の遣粥が食べられるやうになったことも小宮から聞き候。 だいじゃうぶ 誡なり、大燈国師のにあらずと。第二の人また報じてもう大丈夫とは存じ候へどもせいん \ 御摂生専一に存 ( 1 ) しゃうかくこくし さふらふ 日く、あれは正覚国師の遣誡なりと、第三の知人はすじ候。小生はその後相変らず胃病に苦しみをり候とこ ( 2 ) くわんざんこくし なはち日く、あれは関山国師の作るところと。 ろ十日ほど前決意、長与の胃腸病院へ参り候ところ胃 ( 3 ) おんしゃ くわいやううたがひ 小生無識にて適従するところを知らず。御社の森大潰瘍の疑にてつひに入院することに相成り明十八日 ねがは わか 狂先生は期道の人なり。願くはお序の同君に出所をおより転移いたし候。いつ出るか分りかね候。もし君丈 確めくだされたし。またその出てゐる本の名およびで夫になってもいまた入院中ならちと遊びにお出掛くだ き得るなら本そのものを拝見したきよし御依頼くださされたく候。 そろ 「土」はお説のとほりうまく候。「四編」御高覧のよ れたく候。 さう′′、 ありがた し難有く候。 右用事まで。艸々 六月十二日 まづは右まで。艸々 六月十七日夜 豊一郎様 安倍能成様 ニ一麹町長与胃腸病院入院 ニニ次郎へ「それから」評の「文芸欄」 六月十八日 ( 土 ) 午前十一時ー十二時牛込区早稲田 掲載につき ( 一 l) 南町七番地より牛込区大久保余丁町百六番地安倍能成へ うけたま さふら 六月ニ十一日 ( 火 ) 午後八時ー九時麹町区内幸町胃 拝啓御病気のことは承はり候へどもつひにお見舞 そろ 腸病院より府下淀橋町柏木四百三十三番地阿部次郎へ にも参上いたさず怠慢に打ち過ぎ候。御回復の模様は すまそろ 小宮などよりをり 7 ( 、耳に致しひそかに喜びをり候。 拝啓それからの御批評掲載おそく相成り相済す候。 たしか ついで ( ママ ) 金之助 かゆ 夏目金之助 でかけ 356

10. 夏目漱石全集 8

町七番地より牛込区大久保余丁町百六番地安倍能成へ ろ議会にて始終休まれるため延々になりをり候ところ そろせん かけあひ くみこ お手紙拝見いたし候。先たっては失礼いたし候。御 昨日森田電話にて掛合この次に組込むはずに致候旨申 とひあはきたさふらふ 来旨の趣は阿部君よりも森田へ間合せ来り候ところ森 し来り候につき時日切迫のためあるひは貴意のごとく 元のとほりに致しかね候やも計りがたく候へども正誤田参らざるゆゑ小生より返事を出しおき候。 くわたいうんぬん の件なるべく早くなんとか分別いたすべし。お目にか花袋云々の件は阿部氏の書き方の前後より押して毫 つうやう ぶちょうはう かりお話をすればよけれどかけ離れをり候ため無重宝も全編の主意に痛痒を与へざるものと見做したるゆゑ なる筆にてお詫を入れ申し候。あしからず御宥恕願ひ森田より相談を受けたる時それでもよろしからんと申 かんがヘ し候。森田の考は阿部君とあすこのところだけが違っ 候。草々 たゆゑに訂正を申し聞したるならんとはその時存じ候。 二月三日 夏目金之助 人の書いたものを一字でも手を入れることに許諾を与 阿部次郎様 かぎあらた 諸方より来る原稿中削除もしくは書改めることこれへたるは阿部氏は森田小宮などと親交ありて、あのく らゐのことはあとからかういふわけたと話せばあ、さ あり。これは原稿が文をなさざる場合にのみ限り候。 あひだがら うかと笑ってしまふくらゐの間柄と思ひしゅゑに候。 または少し手を入れることあり。これ投稿者へかへつ て敬意を表する場合にも致し候。大兄のとは全然趣を権利間題を呈出されて事がむづかしくならうなどと想 像し得るほどの大関係の個所とも思はず、また森田対 異に致し候ゅゑこれもついでに申上げおき候。 ( 2 ) 阿部の関係がそれほどフォーマルに礼儀を尽さねば手 あと 四次郎の「文芸欄」投稿原稿無断訂正の 落となりて後で抗議を受けるとも思ひをらざりしゅゑ 抗議に答えて ( 一 I) に、戻。 小生は文芸欄担任記者としてすべての論文に対しみ ニ月三日 ( 木 ) 午後十一時ー十一一時牛込区早稲田南 わび て 3 イ 6