の断然たる様子と、その握り拳の小ささと、これに反いふうを示した。 みんな きようさん げんこっ 「え、ようやく四五日まえ帰りました。ありやまった して主人の仰山らしく大ぎな拳骨が、対照になって皆 まえ ひばちはた わらいひ く蒙古向ですね。お前のような夷狄は東京にや調和し の笑を惹いた。火鉢の傍に見ていた細君は、 ゆきこ 「そら今度こさ雪子の勝た」と言って愉快そうに綺麗ないから早く帰れったら、私もそう思うって帰ってい むこうがわ ひざそば あら な歯を露わした。子供の膝の傍には、白だの赤たの藍きました。どうしても、ありや万里の長城の向側にい ダイヤモンド ガラスたま るべき人物ですよ。そうしてゴビの沙漠の中で金剛石 だのの硝子王がたくさんあった。主人は、 はす 「とう / \ 雪子に負けたーと席を外して、宗助の方をでも捜していれば可いんです」 てつ ~ 、つ 「もう一人のお伴侶は 向いたが、「どうですまた洞窟へでも引き込みますか 「安井ですか、あれもむろんいっしょです。あ、なる な」と言って立ち上がった。 書斎の柱には、例のごとく錦の袋に入れた蒙古刀がと落ち付いちゃいられないとみえますね。なんでも元 はないけ こよどこで咲いたか、もう黄は京都大学にいたこともあるんだとかいう話ですが。 振ら下がっていた。花活冫。 色い菜の花が插してあった。宗助は床柱の中途を華やどうして、あ、変化したものですかね」 わき 宗助は腋の下から汗が出た。安井がどう変って、ど かに彩どる袋に目を着けて、 「相変らす掛かっておりますな」と言った。そうしてう落ち付かないのか、まったく聞く気にはならなかっ けしき た。たゞ自分が主人に安井と同じ大学にいたことを、 主人の気色を頭の奥から窺った。主人は、 てんゅう ありがた ものすき また洩らさなかったのを天佑のように難有く思った。 「え、ちと物数奇すぎますね、蒙古刀は」と答えた。 ばんさん あにき おと、やろう おもちゃ 「ところが弟の野郎そんな玩具を持ってきては、兄貴けれども主人はその弟と安井とを晩餐に呼ぶとき、自 ろうらく を籠絡するつもりたから困りものじゃありませんか」分をこの二人に紹介しようと申し出た男である。辞退 「御舎弟はその後どうなさいました」と宗助は何気なをしてその席へ顔を出す不面目たけはやっと免かれた にしき なにげ ふたり ふめんもく わたし まぬ ノ 73
まえ かげん さ加減をねんごろに商量した。けれども起ぎ直って机を付けてやった。ある時なにかのついでに、時にお前 むか ん に向ったり、膳に着いたりするおりは、もうこ、がわの顔はなにかに似ているよと言ったら、どうせ碌なも が家たという気分に心を任して少しも怪しまなかった。のに似ているのじやございますまいと答えたので、お よそ人間としてなにかに似ている以上は、まず動物に それで歳は暮れても春は逼っても別に感慨というほど きま のものは浮ばなかった。余はそれほど長く病院にいて、極っている。ほかに似ようたって容易に似られるわけ おろ のものじゃないと言って聞かせると、そりや植物に似 それほど親しく患者の生活に根を卸したからである。 いよ / 、大晦日が来た時、余は小さい松を二本買っちやたいへんですと絶叫して以来、とう / \ 鼬と極っ いりぐち てしまったのである。 て、それを自分の病室の入口に立てようかと思った。 さ くぎ うつ 鼬の町井さんはやがて紅白の梅を二枝提げて帰って しかし松を支えるために釘を打ち込んで美くしい柱に ( 2 ) え ( 1 ) ぞうたく ぎす 創を付けるのも悪いと思って巳めにした。石護婦が表きた。白いほうを蔵沢の竹の画の前に插して、紅いほ うは太い作簓の中に投げ込んだなり、袋戸の上に置い へ出て梅でも買ってまいりましようというから買って もら ( 3 ) しなずいせん た。このあいだ人から貰った支那水仙もくる / \ と曲 , もらうことにしこ 0 って延びた葉の間から、白い杳をしきりに放った。町 この看護婦は修善寺以来余が病院を出るまで半年の あした そば 井さんは、もうだいぶ病気が可くおなりだから、明日 あいだ始終余の傍に付き切りに付いていた女である。 ぞうに いしこじよう はき 0 とお雑煮が祝えるに巡記いと言 0 て余を慰めた。 余はことさらに彼の本名を呼んで町井石子嬢々々々と まくら なまえてんどう 除夜の夢は例年のとおり枕の上に落ちた。こういう な言っていた。時々は間違えて苗字と名前を顛倒して、 たいかんか、 す石井町子嬢とも呼んだ。すると君護婦は首を傾げなが大患に罹ったあげく、病院の人となっていくつの月を らそう改めたほうが好いようでございますねと言った。重ねた末、雑煮までこ、で祝うのかと考えると、頭の あだな しまいには遠慮がなくなって、とう / 、、鼬という渾名中にはアイロニーというローマ字が明らかに綴られて さゝ おおみそか まちが せま みようじ まちい いたち よ さ 245
ゆくさき はまた炬鞋へ帰った。しばらくしてお米も足を温めに べったんその行先を聞き糾しもしなかった。このごろ 来た。そうして次の土曜か日曜には坂井へ行って、ひでは小六に関係したことを言いだして、お米にその返 とっ屏風を見て来たら可いだろうというようなことを事をさせるのが、気の毒になってきた。お米のほうか 話し合った。 ら、進んで弟の讒訴でもするようだと、叱るにしろ、 いっぺん 次の日曜になると、宗助は例のとおり一週に一返の慰さめるにしろ、かえって始末が好いと考える時もあ らくね ひる くうつぶ 楽寐を貪ぼったため、午まえ半日をとう / 、空に潰しった。 ひばち てしまった。お米はまた頭が重いとか言って、火鉢の 午になってもお米は炬燵から出なかった。宗助はい ものう 縁に倚りかゝって、なにをするのも瀬そうに見えた。 っそ静かに寐かしておくほうが身体のために可かろう こんな時に六畳があいていれば、朝からでも引込む場と思ったので、そっと台所へ出て、清にちょっと上の ふたんぎ 所があるのにと思うと、宗助は小六に六畳を宛てがっ坂井まで行ってくるからと告げて、不断着の上へ、袂 たことが、間接にお米の避難場を取り上げたと同じ結の出る短いイイ ( ネスを纏って表へ出た。 とおり 果に陥るので、ことに済まないような気がした。 今まで陰気な室にいたせいか、通へ来ると急にから 心持が悪ければ、座敷へ床を敷いて寐たら好かろう りと気が晴れた。肌の筋肉が寒い風に抵抗して、一時 する と注意しても、お米は遠慮して容易に応じなかった。 に緊縮するような冬の心持の鋭どく出るうちに、ある こしら あた それでは、また炬燵でも拵えたらどうだ、自分も当る快感を覚えたので、宗助はお米もあ、家にばかり置い やぐらかけぶとん からと言って、とう / \ 櫓と掛蒲団を清に言い付けて、ては善くない、気候が好くなったら、ちと戸外の空気 座敷へ運ばした。 を呼吸させるようにしてやらなくては毒だと思いなが 月六は宗助が起きる少しまえに、どこかへ出ていっ ら歩い て、今朝は顏さえ見せなかった。宗助はお米に向って 坂井の家の門を k ったら、玄関と勝手口の仕切にな むさ ひっこ うち ざんそ しきり
おもちゃ 「貴方があんな玩具を買ってきて、面白そうに指の先「いえ、まだです。学校じゃよっぽど寒くならなくっ へ乗せていらっしやるからよ。子供もないくせに」 ちゃ、蒸気なんか焚きやしません」 「そうかい。それじゃ寒いだろう」 宗助は意にも留めないように、軽く「そうか」と言 ったが、後からゆっくり、 「えゝ。しかし寒いくらいどうでも構わないつもりで よど 「これでも元は子供があったんだがね」と、さも自分すが」と言ったま月 、、六はすこし言い淀んでいたが、 ことば で自分の言葉を味わっているふうに付け足して、生温しまいにとう / 、思い切って、 い目を挙げて細君を見た。お米はびたりと黙ってしま「兄さん、佐伯のほうはいったいどうなるんでしよう。 っこ 0 さっき姉さんから聞いたら、今日手紙を出してくだす 「あなたお菓子食べなくって」と、しばらくしてからったそうですが」 小六の方へ向いて話し掛けたが、 「あ、出した。二三日中になんとかいってくるだろう。 「え、食べます」と言う小六の返事を聞き流して、っそのうえでまた己が行くともどうともしようよ」 あきた いと茶の間へ立って行った。兄弟はまた差向いになっ 小六は兄の平気な態度を、心の中では飽足らす眺め ひと た。しかし宗助の様子にどこといって、他を激させる ちか する 電車の終点から歩くと二十分近くも掛る山の手の奥ような鋭どいところも、みずからを庇護うような卑し あたり だけあって、まだ宵のロだけれども、四隣は存外静か い点もないので、喰って掛る勇気はさらに出なかった。 ひゞきさ よさむ である。時々表を通る薄歯の下駄の響が牙えて、夜寒 ふところで がしだいに増してくる。宗助は懐手をして、 「じや今日まであのま、にしてあったんですか」と単 よる あっ 「昼間は暖たかいが、夜になると急に寒くなるね。寄に事実を確めた。 スチーム 宿じゃもう蒸気を通しているかい」と聞いた。 「うん、実は済まないがあのま & だ。手紙も今日やっ こ 0 あ くち こども なまぬる ねえ たしか おれ きよう うち
すわ 竹の台を着けた洋燈の両側に、長い影を描いて坐って 小人数だから、この六畳にはあまり必要を感じないお とぎ ひがしむき いた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子米は、東向の窓側にいつも自分の鏡台を置いた。宗助 の音だけが聞えることも希ではなかった。 も朝起きて顔を洗って、飯を済ますと、こ、へ来て着 それでも夫婦はこのあいだに小六のことを相談した。物を脱ぎ史えた。 月六がもしどうしても学間を続ける気ならむろんのこ 「それよりか、あの六畳を空けて、あすこへ来ちや不 と、そうでなくても、今の下宿を一時引き上げなけれ可なくって」とお米が言いだした。お米の考えでは、 ばならなくなるのは知れているが、そうすればまた佐こうして自分のほうで部屋と食物だけを分担して、あ 伯へ帰るか、あるいは宗助のところへ置くよりほかに とのところを月々いくらか佐伯から助てもらったら、 途はない。佐伯ではいったんあ、言いだしたようなも 小六の望みどおり大学卒業まで遣っていかれようとい うのである。 のの、頼んでみたら、当分宅へ置くぐらいのことは、 好意上為てくれまいものでもない。 ; 、 カそのうえ修業「着物は安さんの古いのや、貴方のを直してあげたら、 こづかい をさせるとなると、月謝小遣その他は宗助のほうで担どうかなるでしよう , とお米が言い添えた。実は宗助 かんがえ 任しなければ義理が悪い。ところがそれは家計上宗助にもこんな考が、多少頭に浮かんでいた。たヾお米に の堪えるところでなかった。月々の収支を事細かに計遠慮があるうえに、それほど気が進まなかったので、 ふたり 算してみた両人は、 つい口へ出さなかったまでだから、細君からこう反対 「とうてい駄目だね」 に相談を掛けられてみると、もとよりそれを拒むたけ 「どうしたって無理ですわ , と言った。 の勇気はなかった。 夫婦の坐っている茶の間の次が台所で、台所の右に 小六にそのとおりを通知して、お前さえそれで差支 けじよべや 下女部屋、左に六畳が一間ある。下女を入れて = 一人のなければ、己がもう一遍佐伯〈行 0 て ~ 〔 0 てみるが だけ みち まれ うち ふりこ こにん′ すけ さしつかえ あべこべ
て、かって次第に消費した昔をよく思い出して、今のした。 身分と比較しつしきりに因果の東縛を恐れた。あ「それで、好ござんすとも」とお米は答えた。 る時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれがの栄華宗助は佐伯のことをそれなり放 0 てしま 0 た。単な かすみなが の頂点だったんだと、はじめて醒めた目に遠い霞を眺る無心は、自分の過去に対しても、叔父に向って言い だせるものでないと、宗助は考えていた。したがって めることもあった。いよ / 、苦しくなった時、 ほう かけあ 「お米、久しく放っておいたが、また東京へ掛合ってそのほうの談判は、はじめからいまだかって筆にした みようかな」と言いだした。お米はむろんいはしな ことがなかった。小六からは時々手紙が来たが、きわ かった。たゞ下を向いて、 めて短かい形式的のものが多かった。宗助は父の死ん 「駄目よ。だって、叔父さんにまったく信用がないんだ時、東京で逢った小六を覚えているたけだから、 こども ですもの」と心細そうに答えた。 まだに小六を他愛ない小供ぐらいに想像するので、自 「向うじゃこっちに信用がないかもしれないが、こっ分の代理に叔父と交渉させようなどという気はむろん ちじゃまた向うに信用がないんだ」と宗助は威張って起らなかった。 ふしめ 言いだしたが、お米の俯目になっている様子を見ると、夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪え 急に勇気が挫けるふうにみえた。こんな間答を最初はかねて、抱き合って暖を取るような具合に、お互同志 いちにへん ふたっき 月に一二返ぐらい繰り返していたが、後には二月に一を頼りとして暮らしていた。苦しい時には、お米がい みつき つでも、宗助に、 返になり、三月に一返になり、とう /. 、、 「好いや、小六さえどうかしてくれれば。あとのこと 「でも仕方がないわ」と言った。宗助はお米に、 がまん はいずれ東京へ出たら、逢ったうえで話を付けらあ。 「まあ我慢するさ」と言った。 あきら ねえお米、そうすると、為ようじゃないか」と言いだ 二人のあいだには諦めとか、忍耐とかいうものが絶 むこ 30
修善寺で病気がぶり返して、社から見舞のため森成 仕切はだいぶいほうでしたが、近来また少し寒くな ったものですから : : : と言う答たったので、余はどうさんを特別に頼んでくれた時、着いた森成さんが、病 よろ あいさっ ぞお逢いの節は宜しくと挨拶した。その晩はそれぎり院の都合上とても長くはと言っているその晩に、院長 あくるひ なんの気も付かずに寐てしまった。すると明日の朝はわざ / \ 直接森成さんに電報を打って、できるたけ あなた まくらもとすわ が来て枕元に坐るやいなや、実は貴方に隠しておりま余の便宜を計らってくれた。その文句は寐ている余の まくらもと ( 3 ) せっちょう ながよ したが長与さんは先月五日に亡くなられました。葬式目にはむろん触れなかった。けれども枕元にいる雪鳥 おん ( 1 ) ひがし には東さんに代理を頼みました。悪くなったのは八月君から聞いたその文句の音だけは、いまだに好意の記 憶として余の耳に残っている。それは当分その地に留 末ちょうど貴方の危篤だった時分ですと言う。余はこ つきそい の時始めて付添のものが、院長の計をことさらに秘しまり、十分護に心を尽すべしとかいう、森成さんに おごそ とってはずい・ふん厳かに聞える命令的なものであった 9 て、余に告けなかったことと、またその告げなかった ( 4 ) ようだい 意味とを悟った。そうして生き残る自分やら、死んだ院長の容態が悪くなったのは余の危篤に陥ったのと ぼうぜん 院長やらをとかく比較して、しばらくは茫然としたま ほゞ同時だそうである。余が鮮血を多量に吐いて傍人 ま黙っていた。 からとうてい回復の見込がないように思われた二三日 ことし あと ぜん 院長は今年の春から具合が悪かったので、この前入後、森成さんが病院の用事だからと言って、ちょっと みあわ 院した時にも六週間のあいだついそ顔を見合せたこと東京へ帰ったのは、生前に一度院長に会うためで、そ ながなかった。余の病気のよしを聞いて、それは残念た、れから十日ほど経って、また病院の用事ができて二度 もど ナ自分が健康でさえあれば治療に尽力してあげるのにと東京へ戻ったのは院長の葬式に列するためであったそ ことづて 山田 いう言伝があった。その後も副院長を通じて、よろしうである。 くという言伝が時々あった。 当初から余に好意を表して、間接に治療上の心配を しきり よ た ( 2 ) ぼうしん 787
「どうも妙だよ。よくこう調子好くできるものだと思 「そう。でも厭ねえ。殺されちゃ」と言った。 「己見たような腰弁は、殺されちゃ厭だが、伊藤さんってね」と言っていた。 台所から清が出てきて、食い散らした皿小鉢を食卓 見たような人は、ハル。ヒンへ行って殺されるほうが可 ごと引いていった後で、お米も茶を入れ替えるために、 いんたよ」と宗助が始めて調子づいたロを利いた。 さしむか 次の間へ立ったから、兄弟は差向いになった。 「あら、なぜ」 「なせって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人「あ、奇麗になった。どうも食った後は汚ないもので ね」と宗助はまったく食卓に未練のない顔をした。勝 になれるのさ P たゞ死んでごらん、こうはゆかない 手の方で清がしきりに笑っている。 よ」 「なるほどそんなものかもしれないな」と小六は少し「なにがそんなに可笑しいの、清」とお米が障子越に 話し掛ける声が聞えた。清はヘえと言ってなお笑いた 感服したようだったが、やがて、 ぶっそう 「とにかく満州だの、 ( ルピンだのって物騒な所ですした。兄弟はなんにも言わず、半ば下女の笑い声に耳 ね。僕はなんだが危険なような心持がしてならない」を傾けていた。 かしざら しばらくして、お米が菓子皿と茶盆を両手に持って、 と一一一口った 0 また出てきた。藤蔓の着いた大きな急須から、胃にも 「そりや、、 しろんな人が落ち合ってるからね」 っ ゅのみ こた この時お米は妙な顔をして、こう答えた夫の顔を見頭にも応えない番茶を、湯呑ほどな大きな茶碗に注い ふたり で、両人の前へ置いた。 た。宗助もそれに気が付いたらしく、 うな 「なんだって、あんなに笑うんだい」と夫が聞いた。 「さあ、もうお膳を下げたら好かろう」と細君を促が のそ ひとさしゅび して、さ 0 ぎの達磨をまた畳の上から取って、人指指けれどもお米の顔は見ずに、かえ 0 て菓子皿の中を覗 いていた。 の先へ載せながら、 おれ ふじづる さらこばち しようじ・こし
た。彼等は毎晩こう暮らしてゆくうちに、自分達の生「鰹船で儲けたら、そのくらいわけなさそうなもんじ みいだ 命を見出していたのである。 ゃないか」 みやげ この静かな夫婦は、安之助の神戸から土産に買って 「ほんとうね」 かん さん きたという養老昆布の罐をがら / \ 振って、中から山 お米は低い声で笑った。宗助もちょっとロの端を動 やつよ とぎ 椒入りの小さく結んた奴を選り出しながら、ゆっくり かしたが、話はそれで途刧れてしまった。しばらくし てから、 佐伯からの返事を語り合った。 こづかい 「しかし月謝と小遣ぐらいは都合してやってくれても「なにしろ小六は家へ来ると極めるよりほかに道はあ 好さそうなもんじゃないか」 るまいよ。後はそのうえのことだ。今じや学校へは出 「それができないんだって。どう見積っても両方寄せているんだね」と宗助が言った。 ると、十円にはなる。十円という纏ったお金を、今の 「そうでしよう」とお米が答えるのを聞き流して、彼 ところ月々出すのは骨が折れるって言うのよ は珍らしく書斎にはいった。一時間ほどして、お米が のぞ ふすま 「それじゃ此年の暮まで一一十何円ずつか出してやるのそっと襖を開けて覗いてみると、机に向って、なにか も無理じゃないか」 読んでいた。 「だから、無理をしても、もう一二か月のところだけ「勉強 ? もうお休みなさらなくって」と誘われた時、 は間に合せるから、そのうちにどうかしてくださいと、彼は振り返って、 安さんがそう言うんだって」 「うん、もう寐よう」と答えながら立ち上った。 ねまき へこおび 「実際できないのかな」 寐る時、着物を脱いで、寐巻の上に、絞りの兵児帯 わたし 「そりや私には分らないわ。なにしろ叔母さんが、そをぐる / \ 巻きつけながら、 う一『一口 ) つのよ」 「今夜は久しぶりに論語を読んだ」と言った。 ことし まとま うち あが
「道は近ぎにあり、かえってこれを遠きに求むというであると、独り恥じ入った。 さとり たち ことば 言葉があるが実際です。つい鼻の先にあるのですけれ「悟の遅速はまったく人の性質で、それだけでは優劣 ども、どうしても気が付きません」と宜道はさも残念 にはなりません。入りやすくても後で塞えて動かない へや そうであった。宗助はまた自分の室に退いて線杳を立人もありますし、また初め長く掛かっても、いよ / 、 てた。 という場合に非常に痛快にできるのもあります。決し こういう状態は、不幸にして宗助の山を去らなけれて失望なさることはございません。たゞ熱心がたいせ ( 2 ) こうせんおしよう ばならない日まで、目に立つほどの新生面を開く機会っです。亡くなられた洪川和尚などは、もと儒教をや いさぎ なく続いた。いよ / \ 出立の朝になって宗助は潔よくられて、中年からの修業でございましたが、僧になっ なす いっそく 未練を抛げ棄てた。 てから三年のあいだというものまるで一則も通らなか わし′こう 「なが / \ お世話になりました。残念ですが、どうも ったです。それで私は業が深くて悟れないのだと言っ しかた まいちょうかわやむか 仕方がありません。もう当分お目に掛かるおりもござて、毎朝厠に向って礼拝されたくらいでありましたが、 いますまいから、ずいぶん御機嫌よう」と宜道に挨携後にはあのような知識になられました。これなどはも っとも好い例です」 をした。宜道は気の毒そうであった。 ふゆきとヾき 「お世話どころか、万事不行届でさぞ御窮屈でござい 宜道はこんな話をして、暗に宗助が東京へ帰ってか ましたろう。しかしこれほどお坐りになってもたいぶらも、まったくこのほうを断念しないように、あらか 違います。わざ / 、お出になっただけのことは十分ごじめ間接の注意を与えるようにみえた。宗助は謹んで、 っふ いうことに耳を借した。けれども腹の中では大 ざいます」と言った。しかし宗助にはまるで時間を潰宜道の しに来たような自覚が明らかにあった。それをこう取事がもうすでに半分去ったごとくに感した。自分は門 6 あ とびらむこうがわ り繕ろっていってもらうのも、自分の腑甲斐なさからを開けてもらいに来た。けれども門番は屏の向側にい ごきげん あ つ と つ か つ、し