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検索対象: 夏目漱石全集 9
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1. 夏目漱石全集 9

こうでい あきら 問はそれほど形式に拘泥しないし、また無理な形式をるぐる回転したりする時その優劣上下が明かに分るよ をむき なりゆき うな性質程度で、その成行が比較さえできれば宜いわ 喜ばない傾があるが、門外漢になると中味が分らなく ってもとにかく形式たけは知りたがる、そうしてそのけだが、惜しいかなこの比較をするたけの材料、比較 がいかにそのものを現すに不適当であってもなんをするだけの頭、纏めるだけの根気がないために、す なわち門外漢であるがために、どうしても角度を知る でも構わすに一種の知識として尊重するということに なるのであります。 ことがでぎないために、上下とか優劣とか持ち合せの あわ これは複雑のことを簡略の例でお話をするのであり定規で間に合せたくなるのは今申すとおり門外漢の通 ますから、そのつもりでお聴きを願いますが、こ、に弊でありますが、私の見るところではあに独り門外漢 一つの平面があって、それに他の平面が交差しているのみならんやで、専門の学者もまたそう張れた義理 とすると、この二つの平面の関係はなんで示すかとい でもないような概括をして平気でいるのたから驚かれ / 、いち窄ル うと、申すまでもなくその両面の喰違った角度である。るのです。 ・どっちが高いのでもないどっちが低いのでもない。三 学者というものは、、 しろ / \ の事実を集めて法則を 十度の角度を為しているとか、六十度の角度を為して作ったり概括を懿します。あるいは何主義とか号して ひとまと いるとかいえばきわめて明でそれより以外に説明すその主義を一纏めに致します。これは科学にあっても ることも質間することもなんにもないのであります。哲学にあっても必要のことであり、また便宜なことで それをこの二面がいつでも偶然平らに並行でもしてい誰しもそれに異存のあるはすはございません。たとえ りようけん るかのごとき了見で、ぜんたいどっちが高いのですと ば進化論とか、勢力保存とかいうとその言葉自身が必 聞かなければ承知ができないのは痛み入ります。人間 要であるばかりでなく、実際の事実のうえにおいて役 と人間、事件と事件が画突したり、捲き合ったり、ぐ に立っています。けれども悪くすると前申した子供や あらわ 290

2. 夏目漱石全集 9

ばしよう らーと笑いながら立ち上った。 「芭葎があるもんだからよけい音がするのね」 きよう 「芭蕉はよく持つものたよ。このあいだから今日は枯「厭よまたこないだ見たいに、西洋烟草の名なんかた れるか、今日は枯れるかと思って、毎日こうして見てくさん覚えさせちゃ」 さゞんか あおぎり いる力なか / く、 枯れない。山茶花が散って、青桐が裸松本はなんにも答えすに客間の方へ出ていった。千 代子も茶の間へ取って返した。そこには雨に降り込め になっても、また青いんだからなあ」 おぎ つねぞうひましん 「妙なことに感心するのね。だから恒三は閑人たってられた空の光を補なうため、もう電気燈が点っていた。 ゅうめししたく 言われるのよ」 台所ではすでにタ飯の支度を始めたとみえて、瓦期七 とう 「その代りお前のお父さんには芭蕉の研究なんか死ぬ輪が二つとも忙がしく青い炎を吐いていた。やがて小 ども むかあわ までできっこない」 向い合せに坐った。宵子た 供は大きな食卓に二人ずつ 「為たかないわ、そんな研究なんか。だけど叔父さんけは別に下女が付いて食事をするのが例になっている ひきう ので、この晩は千代子がその役を引受けた。彼女よ は内のお父さんよりかまったく学者ね。妾ほんとうに しゅぬりわんこざら 敬服しててよ」 さい朱塗の椀と小皿に盛った魚肉とを盆の上に載せて、 「生意気言うな」 横手にある六畳へ宵子を連れ込んた。そこは家のもの きがえ たんす 「あらほんとうよ貴方。だってなにを聞いても知っての着更をするために多く用いられる室なので、簟笥が るんですものー 二つと姿見が一つ、壁から飛び出したように据えてあ おもちゃ ふたり 二人がこんな話をしていると、たヾいまこのかたが った。千代子はその姿見の前に玩具のような椀と茶碗 過お見えになりましたと言って、下女が一通の紹介状のを載せた盆を置いた。 まちどお 岸ようなものを持ってきて松本に渡した。松本は「千代「さあ宵子さん、まんまよ。お待遠さま」 おもしろ かゆひとさじ 子待っておいで。今にまた面白いことを教えてやるか 千代子が粥を一匙すっ掬ってロへ入れてやるたびに、 し あなた わたし すがたみ せいようたばこ す わんちやわん 133

3. 夏目漱石全集 9

いからね。たまに自然そのま、の美くしい人間が自分き込むように入れてくれる松本はそも / 、何当だろう の前に現われてきても、やつばり気が許せないんです。か、その点になると敬太郎は依然として茫漠たる雲に おもい それがあいう 人の因果たと思えばそれで好いじゃな対する思があった。批評に上らないまえの田口でさえ、 いか。田口は僕の義兄だから、こういうと変に聞える この男よりはかえって活きた人間らしい気がした。 同し松本について見ても、このあいだの晩神田の洋 が、本来は美質なんです。決して悪い男じゃない。こ だあ、して何年となく事業の成功ということたけをお食屋で、田口の娘を相手にして珊瑚樹の珠がどうした もに眼中に置いて、世の中と闘かっているものだから、とかこうしたとか言っていた時のほうが、よっぽど活 人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうきて動いていた。今彼の前に坐っているのは、大きな かとか、こいつは安心して使えるたろうかとか、まあ パイプを銜えた木像の霊が、ロを利くと同じような感 そんなことばかり考えているんたね。あ、なると女にじを敬太郎に与えるたけなので、彼はたヾその人の本 ほうふつ 惚れられても、こりや自分に惚れたんだろうか、自分体を髣髴するに苦しむにすぎなかった。彼が一方では めいりよう の持っている金に惚れたんだろうか、すぐそこを疑ぐ明瞭な松本の批評に心服しながら、一方では松本の何 らなくっちゃいられなくなるんです。美人でさえそう者なるかをこういうふうに考えっゝ、自分は頭脳の悪 とりあっかい なんだから君見たいな野郎が窮屈な取扱を受けるのは 、直覚の鈍い、世間並以下の人物しゃあるまいかと うたぐ ばくぜん 当然だと思わなく 0 ちゃ可ない。そこが田口の田口疑りはじめた時、この漠然たる松本がまたロを開いた。 べら・ほうや たるところなんだから」 「それでも田口が箆棒を遣ってくれたため、君はかえ しあわせ 敬太郎はこの批評で田口という男が自分にもはっきって仕合をしたようなものですね」 岸 り呑み込めたような気がした。けれどもこういうふう「なせですか」 うけが に一々彼を肯わせるほどの判断を、彼の頭に鉄椎で叩 「きっとなにか位置を拵らえてくれますよ。これなり うつ てつつい 127

4. 夏目漱石全集 9

なる見込のないものと僕は平生から信じていた。これ上げて、ダスンチオの前へ持ってきた。彼女はそれを はなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができない ダヌンチオに渡すつもりで、これは貴方のでしようと ありがと かもしれない。僕は人に説明するためにそう信じてい 聞いた。ダスンチオは有難うと答えたが、女の美くし ふんがくすざ ( 1 ) るのでないから。僕はかって文学好のある友達からダ い器量に対してちょっと愛嬌が必要になったとみえて、・ ヌンチオと一少女の話を聞いたことがある。ダヌンチ「貴方のにして持っていらっしゃい、進上しますからー ナというのは今のイタリアでいちばん有名な小説家た とあたかも少女の喜びを予想したようなことを言った 9 つま そうだから、僕の友達の主意はむろん彼の勢力を僕に女は一口の答もせす黙ってその手巾を指先で撮んだま ひきあい ストープそば 紹介するつもりたったのたろうが、僕にはそこへ引合ま暖炉の傍まで行っていきなりそれを火の中へ投け込 あわ に出された少女のほうが彼よりもはるかに興味が多かんた。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたも った。その話はこうである。 のはことみ \ く微笑を洩らした。 しようだい ちやかっしよく ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛を有 た。文学者を国家の装節のように持て囃す西洋のこと ったイタリア生れの美人を思い浮べるよりも、その代 まゆ だから、ダヌンチオはその席に群がるすべての人からりとしてすぐ千代子の目と眉を想像した。そうしてそ とりあっ 多大の尊敬と愛嬌をもって偉人のごとく取扱かわれた。れがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、 彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を言って は「み こ、ら 徘徊しているうち、どういう機会か自分の手巾を足の快よく手巾を貲い受けたにおるまいと思 0 た。たゞ 造もと 下へ落した。混雑の際とみえて、彼はもとより、傍の千代子にはそれができないのである。 - ト、・つ ) たい」の ~ よ 岸ものもいっこうそれに気が付かすにいた。するとまた ロの悪い松本の叔父はこの姉珠に渾名を付けて常に ちい小ま ・、たり 年の若い美くしい女が一人その手巾を床の上から取り 大蝦蟆と小蝦蟆と呼んでいる。二人のロが唇の薄い割 うつ ひとり はや ハンケチ おお歩ま 第たた くちびる うつ も

5. 夏目漱石全集 9

彼岸過迄 ・本ですがと言うと、郵便局の受付ロ見たような窓の中「不人情なんじゃない。また子供を持ったことがなし に坐っていた男が、鍵はお持ちでしようねと聞いた。 から、親子の愛情がよく解らないんたよ」 ふところ のんき お仙は変な顔をして急に懐や帯の間を探りたした。 「まあ。よく叔母さんの前でそんな呑気なことが言え おぼえ 「とんたことをしたよ。鍵を茶の間の用簟笥の上へ置るのね。じゃ妾なんかどうしたの。い っ子供持った覚 いたなり・ : : ・」 があって」 「持ってこなかったの。じゃ困るわね。まだ時間があ「あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは るから急いで市さんに取ってきてもらうと好いわー 女だから、おおかた男より美くしい心を持ってるんた 二人の間答を後の方で冷淡に聞いていた須永は、鍵ろう」 お仙は二人の口論を聞かない人のように、用事を済 なら僕が持ってきているよと言って、冷たい重いもの を袂から出して叔母に渡した。お仙がそれを受付ロへますとすぐ待合所の方へ歩いて行った。そこへ腰を掛 けてから、立っている千代子を手招きした。千代子は 見せているあいたに、千代子は須永を窘なめた。 あなた 「市さん、貴方ほんとうに悪らしいかたね。持ってるすぐ叔母のへ来て座に着いた。須永も続いてはいっ むこうがわ なら早く出してあげれば可いのに。叔母さんは宵子さてきた。そうして二人の向側にある涼み台見たような ぼんやり んのことで、頭が盆槍しているから忘れるんじゃあり ものの上に腰を掛けた。清もお掛けと言って自分の席 ませんか」 を割いてやった。 須永はたゞ微笑して立っていた。 四人が茶を呑んで待ち合わしているあいたに、骨上 れんじゅう 「貴方のような不人情な人はこんな時にはいっそ来よ オの連中が二三組見えた。最初のは染みたお婆さん いほうが可いわ。宵子さんが死んたって、涙一つ零すたけで、これはお仙と千代子の服装に対して遠慮でも じゃなし」 したらしく口数を多く利かなかった。次には尻を絡け ふたり かぎ ようたんす の わか うつ こども あ 14 ~

6. 夏目漱石全集 9

「なにをしているたろうちょっと行って様子を見てを拾ってきて、広い砂の上に大きな字と大きなをい きましよう くつも並べた。 彼はそう言いながら、手に持った雨外套と双倶鏡を「さあお乗り」と坊主の船頭が言ったので、六人は ふなべり 置くために後の縁を顧みた。に立った千代子は高本順序なくごた / \ に船縁から這い上った。偶然の結果 へさき の動かないまえに手を出した。 千代子と僕は後のものに押されて、仕切りの付いた舳 「こっちへお出しなさい。持ってるから」 の方に二人膝を突き合せて坐った。叔父はいちばん先 まんなか そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は に、胴の間というのか、真中の広い所に、家長らしく はんそですがた 改めてまた彼の半袖姿を見て笑いながら、「とう / \ 胡坐をかいてしまった。そうして高木をその日の客と ばんから 蛮殻になったのね」と評した。高木はたヾ苦笑しただして取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、 けで、すぐ浜の方へ下りていった。僕はさも運動家ら彼はいやおうなしに叔父の傍に座を占めた。百代子と しく発達した彼の肩の肉が、急いで石段を下りるため吾一は彼等の次の間といったような仕切の中に船頭と っしょによ、つこ 0 に手を振るごとに動くさまを後から無言のま、注意し て眺めた。 「どうですこっちが空いてますからいらっしゃいませ あり んか」と高木はすぐ後の百代子を顧みた。百代子は難 有うといったきり席を移さなかった。僕ははじめから こ、ら 船に乗るためにみんなが揃って浜に下り立ったのは千代子と一つ薄縁の上に坐るのを快よく思わなかった。 まつり あきら それから約一時間の後であった。浜にはなんの祭の前僕の高木に対して嫉妬を起したことはすでに明かに自 のまり きのう か過か、深く砂の中に埋められた高い幟の棒が二本僕白しておいた。その嫉妬は程度において昨日も今日も いそ の目を惹いた。吾一はどこからか磯へ打ち上げた枯枝同じだったかもしれないが、それとともに競争心はい お かれえだ ら ひとうすべり

7. 夏目漱石全集 9

かんたい 足しておいて、鉄の環に似たものを二つ棺台の端に掛代子は箸を置いて手帛を顏へ当てた。 - けたかと思うと、いきなりがら / ・ \ という亠日とともに、 車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壷を抱い やけのこり ひざ かの形を成さない一塊の焼残が四人の立っている鼻のてそれをの上に載せた。車が馳けだすと冷たい風が そなえ けやきしらちゃ ひざかけ 下へ出てきた。千代子はそのなかで、例のお供に似て膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高い欅が白茶けた幹 すがいこっ みち ふつくらと膨らんた宵子の頭葢骨が、生きていた時そを路の左右に並べて、彼等を送り迎えるごとくに細い のまゝの姿で残っているのを認めて急に手帛を口に銜枝を揺り動かした。その細い枝がはるか頭の上で交差 ほおぼね えた。御坊はこの頭葢骨と頬骨とほかに二つ三つの大するほど繁く両側から出ているのに、自分の通る所は 、きな骨を残して、「あとは綺麗に篩って持ってまいり存外明るいのを奇妙に思って、千代子はおり / 、頭を ましよう」と言った。 上けては、遠い空を眺めた。宅へ着いて遣骨を仏壇の ふたあ 四人はめい / \ 木箸と竹箸を一本すっ持って、台の前に置いた時、すぐ寄ってきた小供が、葢を開けて見 上の白骨を思い思いに拾っては、白い嚇の中へ入れた。せてくれというのを彼女は断然拒絶した。 あわ あお へやひるめしゼんむか 「こうし そうして誘い合せたように泣いた。たゞ須永だけは蒼やがて家内中同じ室で昼飯の膳に向った。 白い顔をしてロも利かず鼻も鳴らさなかった。「歯はてみると、また子供がたくさんいるようだが、これで 別になさいますか」と聞きながら、御坊が小器用に歯一人もう欠けたんだね」と須永が言いだした。 を拾い分けてくれた時、顎をくしゃ / \ と潰してその 「生きてるうちはそれほどにも思わないが、浙かれて れんしゅう なかから二三枚択り出したのを見た須永は、「こうなみるといちばん惜しいようだね。こ、にいる連中のう るとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小 ちでか代りになれば可いと思うくらいた」と松本が ひとりごと 言った。 石を拾い出すと同じことだ」と独言のように言った。 た、き さや 下女が三和土の上にぼた / \ と涙を落した。お仙と千「非道いわね」と重子が咲子に耳語いた。 しろ よったり よ あご ふる ハノケチ っふ ひとり ら 143

8. 夏目漱石全集 9

るごとく、最も親しい親子として今日まで発展してき「もう止します。もう決してこのことについて、貴方 ヾこうさし たのだから、お互に事情を明し合ったところで毫も差を熕らわす日は来ないでしよう。なるほど貴方の仰し ありがちそり つかえ 支の起る訳がない。僕にいわせると、世間に有勝な反やるとおり僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕 こわ あわ の合ないほんとうの親子よりもどのくらい肩身が広いは貴方のお話を聞くまでは非常に怖かったです。胸の 肉が縮まるほど怖かったです。けれどもお話を聞いて か分りやしない。二人だって、そうと知ったうえで、 今までの睦まじさを回顧した時のほうが、どんなに愉すべてが明白になったら、かえって安心して気が楽に 快が多いだろう。少なくとも僕ならそうだ。それで僕なりました。もう怖いことも不安なこともありません。 さび うつ は市蔵のために特にこの美くしい点をカのあらんかぎその代りなんたか急に心細くなりました。淋しいです。 ひとり 世の中にたった一人立っているような気がします」 り彩ることを怠らなかった。 かあ 「たってお母さんは元のとおりのお母さんなんだよ。 おれだ 0 て今までのおれだよ。もお前に対して変る 「おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めものはありやしないんだよ。神経を起しちや不可な まえ い」 ていない。お前たって健全な精神を持っているなら、 しかた 「神経は起さなくっても淋しいんだから仕方がありま おれと同じように思うべぎはずじゃないか。もしそう うち せん。僕はこれから宅へ帰って母の顔を見るときっと 思うことができないというなら、それがすなわちお前 泣くにきまっています。今からその時の涙を予想して の僻みた。解ったかな」 さむ ま「解りました。よく解りました」と市蔵が答えた。僕も淋しくって椹りません」 岸は「解ったらそれで好い、もうその間題についてかれ「お母さんには黙っているほうが可かろう」 「むろん話しやしません。話したら母がどんな苦しい これというのは止しにしようよ」と言った。 いろど むつ わか おっ 225

9. 夏目漱石全集 9

で放っておきや田口でもなんでもありやしない。それ つま うけあ は責任を持って受合ってあげても宜い。が、詰らない たんてい のは僕た。まったく探偵のされ損だから , みあわ 二人は顏を見合せて笑った。敬太郎が丸い更紗の座 蒲団の上から立ち上がった時、主人はわざ / \ 玄関ま つるついたて 雨の降る日に面会を謝絶した松本の理由は、ついに で送って出た。そこに飾ってあった墨絵の鶴の価立の からだ 前に、瘠せた高い身体をしばらく伊すまして、靴を当人の口から聞く機会を得すに久しく過ぎた。敬太郎 く敬太郎の後姿を眺めていたが、妙オ 「ノよ洋杖を持ってもそのうちに取り紛れて忘れてしまった。ふとそれを いますね。ちょっと拝見」と言った。そうしてそれを耳にしたのは、彼が田口の世話で、ある地位を得たの しゆっにゆう うけと 敬太郎の手から受取って、「へえ、蛇の頭だね。なかなを縁故に、遠慮なく同家へ出入のできる身になってか らのことである。その時分の彼の頭には、停留所の経 か旨く刻ってある。買ったんですか」と聞いた。 あた にお え素人が刻ったのを貰ったんです , と答えた敬太郎は、験がすでに新らしい匂いを失い掛けていた。彼は時々 それを振りながらまた矢来の坂を江戸川の方へ下った。須永からその話を持ち出されては苦笑するにすぎなか むか った。須永はよく彼に向って、なぜそのまえに僕のと ころへ来て打ち明けなかったのだと詰間した。内幸町 の叔父が人を担ぐぐらいのことは、母から聞いて知っ ているはずだのにと窘なめることもあった。しまいに は、君があんまり色気がありすぎるからたと調戯いだ した。敬太郎はそのたびに「馬鹿言え」で通していた ふたり ぶとん そん ステッキ さらさざ 雨の降る日 かっ からか 128

10. 夏目漱石全集 9

きがえす みんかし みよう・こうした 皆な畏こまって六字の名号を認ためた。咲子は見ちオ こ。七つになる嘉吉という男の子が、いつもの陣太鼓 あと ( 1 ) そでびようぶ を叩いて叱られた後、そ「と千代子の〈来て、宵子 や厭よと言いながら袖屏風をして曲りくねった字を書 さんはもう帰ってこないのと聞いた。須永が笑いなが いた十一になる男の子は僕は仮名で書くよと断わっ やきば て、ナムアミダブッと電報のようにいくつも並べた。 ら、明日は嘉吉さんも焼場へ持っていって、宵子さん ひるすぎ からか 午過になっていよ / \ 棺に人れるとき松本は千代子に といっしょに焼いてしまうつもりだと調戯うと、嘉吉 まえ きかえ 「お前着物を着換さしておやりな。と言った。千代子はそんなつもりなんか僕厭たぜと言いながら、大きな わたし は泣きながら返事もせすに、冷たい宵子を裸にして抱目をくる / 、させて須永を見た。咲子は、お母さん妾 はんてん き起した。その背中には紫色の斑点が一面に出ていた。 も明日お葬式に行きたいわとお仙に強請った。妾もね じゅす 着換が済むとお仙が小さい珠数を手に掛けてやった。 と九つになる重子が頼んだ。お仙はようやく気が付い あみがさわらぞうり 、ごの′ノ 同じく小さい編笠と藁草履を棺に入れた。昨日の夕方たように、奥で田口夫婦と話をしていた夫を呼んで、 ひも あなた まで穿いていた赤い毛糸の足袋も入れた。その紐の先「貴方、明日いらしって」と聞いた。 たま まえ に付けた丸い珠のぶら / \ 動く姿がすぐ千代子の目に 「行くよ。お前も行ってやるが好い」 おもちゃ こども 浮んだ。みんなの呉れた玩具も足や頭のところへ押し 「え、、行くことに極めてます。小供にはなにを着せ 込んだ。最後に南無阿弥陀仏の短冊を雪のように振り たら可いでしよう」 ( 2 ) しろりんす 掛けた上へ葢をして、白綸子のをした。 「紋付で可いじゃないか」 「でもあんまり模様が派手たから」 「袴を穿けば可いよ。男の子は海軍服でたくさんだし。 お前は黒紋付だろう。黒い帯は持ってるかい」 「持ってます」 よ ( 3 ) ともびぎ 友引は善くないというお仙の説で、葬式を一日延ば したため、家の中は陰気な空気の裡に當よりは賑わっ うち かん あ あたし っ 8