ん。とそういったところでなにもたヾポンヤリ演壇に開化という、こういう簡単なものです。その開化をど てぎわ 登ったわけでもないので、こ、へ出てくるたけの用意うするのだと聞かれれば、実は私の手際ではどうもし あと は多少準備してまいったには違ないのです。もっともようがないので、私はたゞ開化の説明をして後はあな 私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計たがたの御高見にお任せするつもりであります。では きんきちはう 画ではなかったのですが、私のほうで近畿地方を所望開化を説明してなにになる ? とこうお聞きになるか 、 : 、ムま見代の日本の開化ということが諸 したので社のほうでは和歌山をそのうちへ割り振ってもしれなカ禾 ! 工 わか くれたのです。お蔭で私もまだ見ない土地や名所など君によくお分りになっておるまいと思う。お分りにな っていなかろうと思うというと失礼ですけれども、ど を捜る便宜を得ましたのは好都合です。そのついでに ( 1 ) たまっしま 演説をする , ーーのではない演説のついでに玉津島だのうもこれが一般の日本人によく呑み込めていないよう ( 2 ) きみいでら 紀三井寺などを見たわけでありますから、これ等の故に思う。私だってそれほど分ってもいないのです。け 跡や名勝に対してもでは参れません。お話をするれどもます諸君よりもそんな方面によけい頭を使う余 お、てき 裕のある境遇におりますから、こういう機会を利用し 目はちゃんと東京表で極めてまいりました。 その題目は「現代日本の開化」というので、現代とて自分の思ったところだけをあなたがたに聞いていた だこうというのが主限なのです。どうせあなたがたも いう字は下へ持ってきても上へ持ってきても同じこと 私も日本人で、現代に生れたもので、過去の人間でも で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でもた いしで私のほうでは構いません。「現代ーという字が未来の人間でもなんでもないうえに現に開化の影響を あって「日本」という字があって「開化」という字が受けているのだから、現代と日本と開化という三つの ことぞ あって、その間へ「の」の字がっていると思えばそ言葉は、どうしても諸君と私とに切っても切れない離 そうさ れだけの話です。なんの雑作もなくたゞ現今の日本のすべからざる密接な関係があるのは分り切ったことで
下の食堂に行く白布がない。四人一方に一人ずつ坐 ー ? と聞かれる。余 る。なにを飲むジン、ブランデ ふどうしゅ は葡萄酒とビールを飲んた。 ふくろう 〇梟が好きだという話 蝙蝠が好きだという話。羽はデビルの羽た。 つにき 〇楙がきらいの話。菊は紙造りのようだという話、 ーオフゼバレーの好きな話。 〇日本の果物は林檎たけ食える。他は駄目だとい 〇今から百年したら日本にオペラができるだろう という話。 〇日本で音家の資格あるものは幸田たけた。も っとも。ヒャニストという意味ではない。たゞ音楽 家というだけだ。日本人は指たけで弾くからだめ た。頭がないから駄目だ。 だれ 〇自分が音楽をやるということは日本へ来たら誰 にも知らせないはすたった。ところがどうしてか それが知れた。しかしもう近ごろは断然どこへも 出ないことに極めた。自分で独り楽しなだけであ くだものりんご ひとり る。音楽学校は音楽の学校じゃない、スカンダル の学校だ。第一あの校長は駄Ⅱた。 〇ブラウニングは嫌。ウォズウォースの哲学の 詩はまったく厭た。ホーは子た。ホフマンはなお 好だ、新らしいのはあまり好かない。アンドレー りつば フは厭だ。チェホフは非常に立派な文体だ。 〇自分が日本を去れば永久に去る。ちょっと帰国 などはしない。 〇自分のやっている仕事はすきだ。自分の書生が 好だ。淋しいことはない。散歩って、どこへ散歩 する。町へも出られまい。本を読んでいるだけだ。 〇メレジコースキ 1 のアレキザンダーという小説 をよんだ。はなはた佳い。 〇コフヒーが、すべての飲料のうちでいちばん好 きだ。このあいだオランダ公使館で飲んだコフヒ ーがいちばん上等である。 〇儀式は大嫌だ。あしたも卒業式があるがむろん 欠席をする。どうも三時間も立っているのは敵わ ない。もっと単にできることをわざ / く、あんな さび きら、 333
自分は前に「門に出てくる坂井を評して、「その傍 観者的、高等遊民的態度が、なんとなく中年期におけ る代助を想像させるーと言ったが、「門」の坂井と「彼 岸過迄」の松本とを比較すると、二人の間にはさらに 著しい類似がある。その松本の生活態度乃至対人生に ついての解釈が、現代日本の文化に蕩漾しつつある彼 自身にとって一種の「回避。であると同じ意味で、こ れを直ちに須永に対する一種の「回避」として適用し た ( もっともそれは失敗に終ったとはいうが ) ところ に、自分は作者たる漱石先生の暗示的思想を見出すも のである。何ゆえならば松本はみずから高等遊民をも って任じ、「現代日本の開化の影響を受ける吾等は、上 滑りにならなければ必ず神経衰弱に陥る」というある 学者の説を信じている男であるが、かって上述のごと き説をなした学者は先生自身 ( 「社会と自分」の中の 「現代日本の開化」参照 ) であり、かっ、「慎手をして 人世間を狭く暮したい」と言ったのも先生自身だからで ある。 一 . 大正六年五月刊『夏目漱石』 ) イ 01
へ来たくらいの気がして驚くでしよう。しかしそう長ども昔からそう超然としてたヾ自分たけの活力て発展 ( 1 ) さんかん おくゆき くはありません、奥行は存外短かい講演です。やってしたわけではない。ある時は三韓またある時は支那と いうふうにだいぶ外国の文化にかぶれた時代もあるで るほうだって長いのは疲れますからできるだけ労力節 約の法則に従って早く刧り上げるつもりですから、もしようが、長い月日を前後ぶつ通しに計算してだいた しんぼう いのうえから一暼して見るとまあ比較的内発的の開化 う少し辛抱して聴いてください。 で進んできたといえましよう。少なくとも鎖港排外の それで現代の日本の開化はまえに述べた一般の開化 とどこが違うかというのが間題です。もし一言にして空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺激に この間題を決しようとするならば私はこう断じたい、 跳ね上ったくらい強烈な影響は有史以来まだ受けてい 西洋の開化 ( すなわち一般の開化 ) は内発的であって、なかったというのが適当でしよう。日本の開化はあの 日本の現代の開化は外発的である。こゝに内発的とい時から急劇に曲折しはじめたのであります。また曲折 うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうしなければならないほどの衝動を受けたのであります。 むか ど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向これをまえの言葉で表現しますと、今まで内発的に展 うのをいい 、また外発的とは外からおっかぶさった他開してきたのが、急に自己本位の能力を失って外から いやおう のカで巳むを得す一種の形式を取るのを指したつもり無理押しに押されて否応なしにそのいうとおりにしな なのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲ければ立ち行かないという有様になったのであります。 ごいっしん 流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたな かって こた 本渉を付けた以後の日本の開化はだいぶ勝手が違います。りじっと持ち応えているなんて楽な刺激ではない。時 となり 代もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影時に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく 響を受けるのがもちろんのことだからわが日本といえ向後何年のあいだか、またはおそらく永久に今日のご つぼみ いちべっ
評論家長谷川如是閑。 ・ : 」とある。 母のである。 三八一 ( 1 ) 長谷川万次郎 森田草平 ( 2 ) 笹川種郎評論家。号、臨風。「帝国文学」記者。 ( 2 ) 森田にやめてもらわなければ : は、当時、漱石の助手として朝日文芸欄の編集に当る一 ( 3 ) 横山画伯横山大観。明治元年ー昭和三十三年 方、紙上に「煤煙ー続編のようなかたちで「自叙伝」 ( 十 ( 1868 ー 1958 ) 。日本画家。本名、秀麿。水戸市に生れ、 一一月春陽堂より刊行 ) を連載していたが、これが社内で 東京美術学校日本画科卒業。日本美術院の創立者の一人。 評判悪く、また平塚雷鳥の母が漱石宅を訪間してその内 日本画壇の大御所として永い制作活動に従い、芸術院会 容に抗議を申し込んたことなどもあって問題化していた 員となって、文化勲章を受賞した。 が、九月二十日、主筆池辺三山と弓削田精一がこの作品三八 1 一一 ( ) 「凍」武定袗七 ( 巨石 ) の小説。 について激論をかわしたことから、精一が同夜、三山が ( 2 ) 伊予文当時、下谷にあった割烹店「伊予紋」。 二十二日に社へ辞表を提出 ( 三山の退社が認られたのは ( 3 ) 高等遊民食うための仕事にわずらわされず、 二十九日 ) する事態に至ったため、漱石は強く責任を感 好きな事のできる境遇のインテリ。「それから」 ( 第七巻 じて草平をやめさせ、文芸欄をも廃止することにしたと 所収 ) の主人公代助など漱石の小説にしばしば扱われる。 いわれ、さらに十一月一日には、みずからも辞表を提出三〈三 ( 1 ) 久保猪之吉歌人。九州大学教授。医学博士。 している。 ( 2 ) 長塚節明治十二年ー大正四年っ 879 ー】日 5 ) 。 conventionalist 央 ) 0 小説家。 三七九 ( 1 ) コンべンショナリスト 囚襲主義者。 三〈四 ( 1 ) 青木君青木繁。明治十五年ー同四十四年 (18 82 ー 1911 ) 。洋画家。 ( 2 ) 社長当時の朝日新聞社社長村山竜平。 そろ さないさカ 一穴 0 ( 1 ) 佐内坂新宿区市ヶ谷左内町の坂の名。正しくは 三会 ( 1 ) 十五六日まではつなげ候結局、四月一一十九 「左内坂」である。 日まで続けられた。 ( 2 ) 痔四三九ページ三三六 ( 3 ) 参照。 ( 2 ) 『朝鮮』高浜虚子の小説。明治四十四年っ 91 】 ) 5 東京・大阪朝日新聞に連載され、四十五年 ( 1912 ) 実業 ( 3 ) 半きれ半紙。
をしているような気持になる。新らしい波はとにかく、ても旨くゆぎません 0 交際しなくとも宜いといえばそ なさ 今しがたようやくの思で脱却した旧い波の特質やら真れまでであるが、情けないかな交際しなければいられ幻 わきま ないのが日本の現状でありましよう。しかして強いも 相やらも弁えるひまのないうちにもう棄てなければな さら しよくぜん らなくなってしまった。食居に向って皿の数を味い尽のと交際すれば、どうしても己を棄てて先方の習慣に こちそう すどころか元来どんな御馳走が出たか ( ッキリと目に従わなければならなくなる。我々があの人は肉刺の持 映じないまえにもう膳を引いて新らしいのを並べられちょうも知らないとか、小刀の持ちょうも心得ないと たと同じことであります。こういう開化の影響を受けかなんとかいって、他を批評して得意なのは、つまり る国民はどこかに空虚の感がなければなりません。まはなんでもない、たゞ西洋人が我々より強いからであ たどこかに不満と不安の念を懐かなければなりません。る。我々のほうが強ければあっちにこっちの真似をさ それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとせて主客の位地を易えるのは容易のことである。がそ うゆかないからこっちで先方の真似をする。しかも自 き顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それ 然天然に発展してぎた風俗を急に変えるわけにいかぬ はよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。 軽薄でもある。自分はまだ煙草を喫ってもろくに味さから、たヾ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほか に仕方がない。しぜんと内に発酵して醸された礼式で え分らない子供のくせに、煙草を喫ってさも旨そうな ふうをしたら生意気でしよう。それをあえてしなけれないから取ってつけたようではなはた見苦しい。これ ば立ち行かない日本人はずいぶん悲酸な国民といわなは開化じゃない、開化の一端ともいえないほどの些細 なことであるが、そうう 些細なことに至るまで、我 ければならない。開化の名は下せないかもしれないが、 西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気が付くでし我の遣っていることは内発的でない、外発的である。 うわすべ 西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしこれを一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑り ふる おのれ
まえ とかいう男が二百万の財産があって、金持でない器量お前支那語じゃない、日本語じゃないか」「でもまる はどうでも出の悪くないものを嫁にもらいたいとかい つきり分らないと思ったら少しは分るんですもの、可 って、妻の末の妹をどうかという相談があ 0 た。ちょ笑しいじやございませんか」「それやいくら支那人た うど鈴木が来たから大手町に早速というのがあるかと って日本語を使ゃあ分るはすだあね」 ちょうちんどう 聞くと、「え、あのおやじはなんでももとは犬殺しを〇あい子いう「あのね幼稚園にいる支那人は提灯胴と したようにいわれます、警察の代書をやって、それか いう名なのよ」 ら芸備日々新聞を起したまあもぐりのようなものです、〇昨日露国のポポフという男、神学校長瀬沼氏ととも なんで二百万あるものですか、大手町辺はみんな自分に来る。この人は日本の文学を研究したいという志望 ウラジオ の地所だ「て好い加減なことをい 0 てらあ、あの有はのよし、浦塩の東洋語学校の三年生で、今度卒業論文 こそう わたしが小僧のときから遊んた奴です、人間はわるく に余のかいたなにかを中心にして論じたいというのた むすこ はありませんが、まあ道楽息子で、かゝあなんか養うそうである。卒業のうえは日本へ来て文学研究をやる 力はありません、国の中学やなにかを落第して、高等つもりだそうである。「門」をやる。 商業なにかにいるものですか、まあしかし縁ですから よく人に聞いてごらんなさいまし。 六月十五日 ( 木 ) たんざく 〇昨夕下女の時が妻に話すのを聞けば「あの奥様支那〇朝内田栄造がきて短冊をかいてくれという。書いて じんことば 人の言葉は少しは分りますね」「そうかい、分る 0 てやる。先生私の耳は動きますという。なるほど動く。 - 」ども どんな言葉が」「でも反物を買 0 てくださいっていっ左右同時に同様に動く。小供のとき小学校で叱られて てくるのを、〇〇が入らないよと言うと、それでも見腹を立てて歯を喰いしば 0 てみたら、なんたか妙だか るだけ、まあ見てくださいといいましたよ」「それやら鏡へ向いて見たら耳が動いた。それがはじめだろう わか かげん たんもの やっ よ 330
彼岸過迄 道楽と職業 現代日本の開化 中味と形式 文芸と道徳 『社会と自分』自序 断片 ( 明治四十四年 ) 己 ( 明治四十四年ー大正元年 ) 日一一 = ロ日 目次 三 0 =
道が付いて、三十分目くらいにはようやく油がのって間題なのですが残念ながらそういっていないので困る 少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやのです。いっていないというのは、先ほども申したと りしだし、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠おり活力節約活力消耗の二大方面においてちょうど複 伸が出る。とそう私の想像どおりゆくかゆかないか分雑の程度二十を有しておったところへ、俄然外部の圧 りませんが、もしそうだとするならば、私がむりにこ迫で三十代まで飛び付かなければならなくなったので こで二時間も三時間も喋舌っては、あなたがたの心理すから、あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢 作用に反して我を張ると同じことで決して成功はでき中で飛び付いてゆくのです。その経路はほとんど自覚 ない。なぜかといえばこの講演がその場合あなたがたしていないくらいのものです。もと / ・、、開化が甲の波 さから から乙の波へ移るのはすでに甲は飽いていた、まれな の自然に逆った外発的のものになるからであります。 どな いくら咽喉を絞り声を嗄らして怒鳴ってみたって貴方いから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展 がたはもう私の講演の要求の度を経過したのだから不するので甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも甞め尽し よろ たうえにようやく一生面を開いたといって宜しい。し 可ません。あなたがたは講演よりも茶菓子が食いたく たがって従来経験し尽した甲の波には衣を脱いた蛇と なったり酒が飲みたくなったり氷水が欲しくなったり する。そのほうが内発的なのだから自然の推移で無理同様未練もなければ残り惜しい心持もしない。のみな のないところなのである。 らず新たに移った乙の波に揉まれながら毫も借り着を あともどり ところ これだけ説明しておいて現代日本の開化に後戻をしして世間体を繕っているという感が起らない。 だいじようぶ 本たらたいてい大丈夫でしよう。日本の開化は自然の波が日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流で 代動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押その波を渡る日本人は西洋人でないのたから、新らし乃 きいね 9 ~ しそうらう し出すように内発的に進んでいるかというのが当面のい波が寄せるたびに自分がそのなかで食客をして気兼 ころも
ちょうど一種の低気圧と同じ現象が開化のなかに起っ 苦痛から論すれば今も五十年前もまたは百年前も、苦 て、各部の比例がとれ平均が回復されるまでは動揺ししさ加減の程度は別に変りはないかもしれないと思う て巳められないのが人間の本来であります。積概的活のです。それたからしてこのくらい労力を節減する器 力の発現のほうから見てもこの波動は同じことで、早械が整った今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽 い話が今までは敷島かなにか吹かして我慢しておったの途が備った今日でも生存の苦痛は存外切なもので、 のに、隣りの男が旨そうにエジ。フト煙草を喫んでいるあるいは非常という形容詞を冠らしてもしかるべき程 とやつばりそっちが喫みたくなる。また喫んでみれば度かもしれない。 これほど労力を節減できる時代に生 ちがい そのほうが旨いに違ない。しまいには敷島などを吹かれてもその忝けなさが頭に応えなかったり、これほど ありがたみ すものは人間の数へ k らないような気がして、どうし娯楽の種類や範囲が拡大されてもま 0 たくその有難味 てもエジ。フトへ喫み移らなければならぬという競争が が分らなかったりする以上は苦痛のうえに非常という 起ってくる。通俗の言葉でいえば人間が贅沢になる。 字を付加しても好いかもしれません。これが開化の産 しやし 道学者は倫理的の立場から始終奢侈を戒しめている。 んだ一大パラドックスたと私は考えるのであります。 結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるから これから日本の開化に移るのですが、はたして一般 いつでも駄目に終るということは昔から今日まで人間 的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開 がどのくらい贅沢になったか考えてみれば分る話であ化の一種たからそれで宜かろうじゃないかでこの講演 る。かく積極消極両方面の競争が激しくなるのが開化 は済んでしまうわけであります。がそこに一種特別な すうゼい の趨勢たとすれば、吾々は長い時日のうちに種々様々事情があって、日本の開化はそういかない。なぜそう こら の工夫を凝し知恵を絞ってようやく今日まで発展してはゆかないか。それを説明するのが今日の講演の主眼 きたようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的である。と申すと玄関を上ってようやく茶の間あたり たばこの