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検索対象: 漱石とその時代 第一部
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1. 漱石とその時代 第一部

これはおそらくホイットマンを日本に紹介した最初の文章のひとつである。金之助にこの詩人 の存在を教えたのは、多分ディクスンにちがいない。ディクスンはこのときすでに大学を去っ ていたが、教室でかあるいは個人的な機会にか、ちょうど明治二十五年 ( 一八九一 I) 三月に死 んだこの米国詩人のことを、金之助に話した可能性があるからである。金之助は書いている。 アメリ をし 个 : ・ : 不思議なるかな共和の政を実行し、四海同胞の訓へを奉する亜米利加にては、一人の我 しかところ ・ : 然る処、天蠍に一偉人を下し、大 は共和国の詩人なりと大呼して名乗り出でたる者なし。 いぎほひ ためきえんは この ゅうだいほんばう に合衆聯邦の為に気餤を吐かんとにや、此偉人に命じて雄大奔放の詩を作らしめ、勢は高原を ごと こうたう かす 横行する「バッファロー」の如く、声は洪濤を掠めて遠く大西洋の彼岸に達し、説く所の平等 主義は「シェレー」「・ハイロン」をも圧倒せんとしたるは実に近来の一快事と云はざるべから ず。 ^ 此詩人名を「ウォルト、ホイットマン」と云ひ、百姓の子なり。 ・ : 廿歳の時「ニュ 1 ヨー めくら あらは ク」に移り、千八百五十五年始めて "Leaves of Grass" を著す。去れど盲目千人の世の中 ことその こうでい ふうてう これ たる上、旧来の詩法に拘泥せざる一種異様の風調なりしかば、之を購読する者は無論の事其書 そのわ・つ うちふうほうわざはひまぬか 名をだに知る者なかりしが故、出版せる千部の内覆甑の災を免れたるは僅かなれど、其僅かな とも うち る中の数冊が古道具屋の雑貨と共に英国に渡り、後年「ロゼッチ」の Selected poems bY まよよ た w. Whitman となって現はれたるは、著者の為め且つ出版者の為め、掲だ賀すべき事と云ふ この たいこ ゅゑ た さ ここ つく と おほい

2. 漱石とその時代 第一部

いっちょうら 彼はその一帳羅のモーニングを着て、なお奔走をつづけた。やがてほとんど同時に高等学校 と高等師範学校からロがかかり、金之助はしばらく去就に迷った。 个 : ・ : 私は高等学校へ周旋して呉れた先輩に半分承諾を与へながら、高等師範の方へも好い加 減な挨拶をしてしまったので、事が変な具合にもつれて仕舞ひました。もと / \ 私が若いから 手ぬかりやら、不行届勝で、とう / \ 自分に祟って来たと思へば仕方がありませんが、弱らせ こっち られた事は事実です。私は私の先輩なる高等学校の古参の教授の所へ呼びつけられて、此方へ けんせぎ 来るやうな事を云ひながら、他にも相談をされては、仲に立った私が困ると云って譴責されま 个 : : 私の知人は私に向ってしきりに大丈夫らしい事をいふので、私の方でも、もう任命され など たやうな気分になって、先生はどんな着物を着なければならないのか抔と訊いて見たものです。 その すると其男はモーニングでなくては教場へ出られないと云ひますから、私はまだ事の極らない よ あっ そのくせ 先に、モーニングを誂らえてしまったのです。其癖学習院とは何処にある学校か能く知らなか さていよいよ ったのだから、頗る変なものです。偖愈モーニングが出来上って見ると、豈計らんや折角頼 みにしてゐた学習院の方は落第と事が極ったのです。さうしてもう一人の男が英語教師の空位 を充たす事になりました。其人は何といふ名でしたか今は忘れて仕舞ひました。別段悔しくも ・↓ ( 『私の個人主 何ともなかったからでせう。何でも米国帰りの人とか聞いてゐました。 義』 ) すこぶ その どこ こと 244

3. 漱石とその時代 第一部

憤慨している。彼は十一月七日付の手紙に書いている。 かぢ ・ : 小生元来大兄を以て、吾が朋友中一見識を有し、自己の定見に由って人生の航路に舵を その ぎせつ とるものと信じ居候。其信じきりたる朋友が、かゝる小供だましの小冊子を以て気節の手本に そのい また ーし A ごっ せよとて、わざ , , 恵投せられたるはつや / \ 其意を得す。小生不肖とドモ亦人生に就て一 しよう しよう この 個の定見なきにあらす。此年頃日頃詩を誦し、書を読むも、読むに従ひ誦するに従って此定見 こう いたづてうたくまつぎ ぜひ の自然と発達して長大になるが為めのみ。徒らに彫琢の末技に拘して一字一句の是非を論する しか は愉快なきにあらす。然れども遂に小生が心を満足せしむるに足らざるなり。去れど小生とて も 我が見識こそ絶大なれ、最高なれと云ふにあらす。若し吾が主義の卑野ならんか、大兄の高説 くるし ぜんけん これけいはっ そのぐ を拝聴して其愚を癒するも可なり。前賢の遺書に因て之を啓発するも可なり。何を苦んで此 じ このしょ はう . おー、 たうてつ いちぞくさっ 爾たる一谷冊を用いん。君此書を読んで自ら思へらく、日本男子の区域外に放逐せられて饕餮 あ ばんい ばんい 飽くなきの蛮夷と伍するに至らざるを喜こぶなりと。然れども君の目して蛮夷となすもの、饕 も やから 餮飽くなきの輩となすもの、実に余に誨ゆるに人生の大思想を以てせり。僕をして若し一点の だっくわ その げぎぜっ なうちゅう このなうちゅう 節操あらしめば、其節操の一半は鴃舌の書中より脱化し来って余が脳中にあり。此脳中にある こと その , レ、つ・が - っ すゐぎよ ひやうりゃう くわんめ このしょ の秤量を以て此書の貫目をはかるに、其軽き事秋毫の如し。君何を以て此書を余に推挙するや、 ぐろう しゆかん 余殆んど君の余を愚弄するを怪しむなり。君の手翰を通観するに、字義共に真面目にして通例 さっ ほんどく こつけいてぎもんじ 子翻読再三に 滑稽的の文字にあらす。且っ結末に ( 僕が之を贈るの微意を察せよ ) とあり。小 あ ただ なにそのびい ふびん 及んで猶其微意の在る所を知るに苦しむ。不敏の罪逃るゝに由なぎは是非なし。但し小子は賢 ぐむさべつかうげびやうどう ほうぢ おのれ 愚無差別、高下平等の主義を奉持するものにあらす。己より賢なるものを賢とし、己より高き をり あや た みづか これ よっ おのれ ふせう ひや よ 204

4. 漱石とその時代 第一部

: 」亠ノ 清の団扇などが茶の間に放り出される様になった。それ丈ならまだ好いが、彼は長火鉢の前へ うち こわいろ 坐った儘、しきりに仮声を遣ひ出した。しかし宅のものは別段それに頓着する様子も見えなか このはう とうまちけん こわいろ った。私は無論平気であった。仮声と同時に藤穴拳も始まった。然し此方は相手が要るので、 さう毎晩は繰り返されなかったが、何しろ変に無器用な手を上げたり下げたりして、熱心に遣 おも ってゐた。相手は重に三番目の兄が勤めてゐた様である。私は真面目な顔をして、たゞ傍観し てゐるに過ぎなかった > ( 『硝子戸の中』三十六 ) 次男と三男には時代の激変に適応する能力が欠けており、能力のある長男は病のために未来 を閉されていた。 栄之助が父の集めた書画骨董を盗み出して吉原通いをしたり、和三郎が病身 をいい立てて芝居にうつつをぬかしたりしていたのは、単に周囲の官能的な過去に甘えていた からであるが、大助が柳橋に通いはじめたのはおそらく絶望からである。彼とのちに一葉女史 のりよし ひぐち として知られた樋口夏子とのあいだには縁談が持ちあがったことがある。夏子の父樋口則義は 警視庁で夏目小兵衛の下僚であり、父親の引きで翻訳係に採用されて一時山下町の官舎に住ん でいた大助とも面識があった。則義もまた同じ官舎に住んでいたから、娘を行く行くは大助の 嫁にという話がはじまりかけたのである。このとき夏子はまだ十四、五歳の少女であった。し 感かしこの縁談は、樋口家に財産がないことを知った小兵衛直克の反対でつぶれた。そうでなく 母ても大助は結婚の希望を捨てていた。自分の肺患が不治の病であることを知っていたからであ 5 る。 「全体にソワ / \ と八笑人か七変人のより合ひの宅見たよに、一日芝居の仮色を遣ふやつもあ うちは はふだ こわいろ

5. 漱石とその時代 第一部

19 「ドメスチック・ハッビネス」 そを咎むべき、誰一人 億万人を容るるべき 浮世は、古白てふ汝が 大文学者てふ汝が 住むとはいかで知り得べき。 自ら許す文学者 古白を人はさは言はす。 人正しきか。あらす、あらす。 あらす。古白は文学者。 汝は詩人と生れ来て、 詩人たらんとせしが、且っ 途半ばにてためらひっ、 ひとり自ら。かへり見て。 塵の浮世を汝はさは 買ひかぶりしよ。価無き 287

6. 漱石とその時代 第一部

11 子規との出逢い くひげん まさ ぶ ^ 詞兄の文、情優にして辞寡く、清秀超脱、神を以て勝る。憾むらくは蕪句鄙言有り。然れ すなは せいわん あさがは もち こんぎよくびか ども昆玉の微瑕、何んそ凡工の手を下すを須ひん。 : : : 蕣の篇は則ち筆意悽忱、文品も亦た自 あんぜん のづと高し。読み去りて覚えす黯然たり。鳴呼、天地は一大劇場なり。人生は長夢の如し。然 そ よ せいしよくべん れども夢中猶ほ声色を弁じ、俳優能く人を泣かしむ。僕此の篇を読み、其の仮想に出づるを知 あた しか さんいふ ると、然れども酸悒の情無き能はす。況んや身其の境に在りて、目其の事を睹るに於てを 2 」・、か′ノ さうさうせんたれそ ゃ。抑そも人事の変、桑滄の遷、誰か其の真仮を弁せん。曷んそ吾が兄十年の後、再び墨江に ていくわいこばう 遊びて、往昔を追憶し、先の仮の後の真と為り、昔の幻の今の実と為り、徊顧望、感極はま かう ) んだんせつもと なみだ りて泣下る者無きを知らんや。又たんそ香雲暖雪の下、今昔の感に勝〈すして、詩を作りて ともら をえっ 阿花を弔ひ、忽忽として失ふ若く、詩を捧じて嗚咽する者無きを知らんや。 彼はまたこの『評一に七言絶句九を附している。その第九に、 長命寺中、餅を鬻ぐ家 墟に当たる少女、美しきこと花の如し はうしいちだんあは 芳姿一段憐れむべき処 べつご 別後君を思ふて紅涙加はる〉 金之助は正岡の詩文集に接して少からす刺戟をうけていた。そのことは彼の評に社交的な調 子が見られないことからもうかがわれる。彼は正岡の漢文にはあまり感心せす、たかだか「新 さ ところ すくな ごと た み まお

7. 漱石とその時代 第一部

げん そん ; 吃、んど言語にては形容出来す、玄の一字を下 在れども無きが如く、存すれども亡するカ女く げんのまたげんしゅうめうの これげんのまたげん 一」うでい すことすら翩其名に拘泥せんことを恐れて、しばらく之を玄之父玄と称す。玄之父玄、衆妙之 つらぬだいしゆい だうぎゃうとくぎゃう 門とは老子が開巻第一に言ひ破りたる言にて、道経徳経上下一一篇八十章を貫く大主意なり。 いっその このげんみ 个 : ・ : 此玄を視るに二様あり。一は其静なる所を見、一は其動く所を見る。固より絶対なれば、 かうげあひかたむ なんいあひな その 其中には善悪もなく、長短もなく、前後もなし。難易相成すこともなければ、高下相傾くるこ さ ともなく、感情上より云ふも智性上より云ふも一切の性質を有せす。去るが故に天地の始め万 しか がんせい ゅゑん こんこんやうやう 物の母にして、混々洋々名づくる所以を知らざれば無名と云ふ。然し眼睛を一転して他面より そのひとた ゅゑ ゅゑ 之を窺ときは、天地の始め故天地を生じ、万物の母なる故万物をむ。其一度び分れて相対 ぞくせい おこなひ となるや行に善悪を生じ、物に美醜を〈、大小高下幾多の性質属性雑然として出現し来る。 その このてん 是点より見るときは万物之母にして有名と云はざる可らす。故に共無名の側面を窺はんとなら ぼつぎやくをは あた おのれ ば、常無欲にして相対の境を解脱し ( 能ふべくんば ) 己を以て玄中に没却し了らざるべからす。 しうさんりがふ またその つねに 父其有名の側面を知らんと思はミ常有欲を以て夫の大玄より流出して聚散離合する事物の ごと しめ りを見るべし。今此二面を表に示せば左の如くならんか。 びやうどうゆゑむめいゅゑにつねにむよくそのめうをくわんず 静・平等故無名・ : 故常無欲観其妙 ばんぶつのはよゅゑいうめいゅゑにつねにいうよくそのしやくをくわんず 玄之又玄 ( 絶対 ) 動・万物之社故有名・ : 故常有欲観其緻 規 ギリシャ また およ 子 ^ 此女を基礎として修身に及はし、又治国に及はす故、老子の学は希臘古代の哲学と同しく、 る ・こと はんざっ 病 cosmology を以て其立脚の地となす者の如し。周代煩雑の世に生れて、玄の本に反らんとす あら みづか みづかかへしかのち かへ るには、先づ自ら反り而る後人を反さゞる可らす。自ら反る所は老子の修身となって見はれ、 ちみん 人を反す所は老子が治民上の意見となって見はる。以下篇をって之を論せんとす》 あ もん つねに ごと いまこの いっその おそ べか あら ゅゑ これ げんもとかへ ぎた を 219

8. 漱石とその時代 第一部

この「ロゼッチ」は、ダンテ・ガプリエル・ロセッティの弟で、クリスティーナ・ロセッテ イの兄にあたるウィリアム・マイクル・ロセッティである。金之助の記述には若干誤りがあり、 一八六八年にロンドンのジョン・キャムデン・ホットンから刊行されたロセッティ編の『ホイ ットマン詩集』の底本は、一八六七年版の第四版であって一八五五年の初版ではないが、彼が どの版でホイットマンを読んたのかは明らかでない。金之助はまたつづけていう。 个 : ・ : 元来共和国の人民に何が尤も必要なる資格なりやと問はゞ、独立の精神に外ならすと答 ひつぎゃう さわ ふるが適当なるべし。独立の精神なきときは、平等の自由のと噪ぎ立つるも必竟机上の空論に ことますますかた ことおにつか これ 流れて、之を政治上に運用せん事覚東なく、之を社会上に融通せん事益難からん。人は如何 に云ふとも勝手次第、我には吾が信する所あれば他人の御世話は一切断はるなり。天上天下我 、くば , 、 ただひとっ を東縛する者は只一の良心あるのみと澄まし切って、険悪なる世波の中を潜り抜け跳ね廻る、 おの その ぎつぶ 是れ共和国民の気風なるべし。其共和国に生れたる「ホイットマン」が、己れの言ひ度き事を ていさい じよじゅっ おの 8 己れの書き度き体裁に叙述したるは、亜米利加人に恥ちざる独立の気象を示したるものにして、 ア しよう ・あつぼ 0 天晴れ一個の快男児とも偉丈夫とも称してよかるべし。し「ホイットマン」あって始めて亜 けんれっし らんいうこくしゃう はじ アメリ 米利加を代表し、亜米利加あって始めて「ホイットマン」を産す。蘭は幽谷に生し、剣は烈士 かなぼ、つ 塚に帰し、鬼は鉄棒を振り廻すが古来よりの約束ならば、「ホイットマン」の合衆国に出でたるも 前世の約東なるべし〉 「哲学雑誌」に書かれた文章であるから、金之助がホイットマンの詩業の思想的側面に多く筆 ょにもっと これ と こと 235

9. 漱石とその時代 第一部

ぞんぜられ たんしゃう とも端粛とか遒麗とか磊落とか、人をして一見嘆賞感動せしむる風条には乏きやに被存候。 しゅ ひるがヘ かんがヘ 小生の考にては、文壇に立て赤幟を万世に翻さんと欲せば、首として思想を涵養せざるべか ぼっぜん はいぜんしうう その ふる うちじゅく らす。思想中に熟し腹に満ちたる上は、直に筆を揮って其思ふ所を叙し、沛然驟雨の如く勃然 その など そそ いぎほひ 大河の海に瀉ぐの勢なかるべからす。文字の美章句の法抔は次の次の其次に考ふべき事にて、 このてん ほど これなぎゃうぞんぜられ ldea itself の価値を増減スル程の事は無之様に被存候。御前も多分此点に御気がっかれ居るな るべけれど、去りとて御前の如く朝から晩まで書き続けにては、此 ldea を養ふ余地なからん けねんつかまっ かと掛念仕るなり。 まうすわけ たのしみ < 勿論書くのが楽なら無理によせと申訳にはあらねど、毎日毎晩書て / \ 書き続けたりとて小 わけ この 供の手習と同じことにて、此 original idea が草紙の内から霊現する訳にもあるまし。此 つかまっところ たのしみ ldea を得るの楽は、手習にまさること万々なること小生の保証仕る処なり ( 余りあてにな つひや らねど ) 。伏して願はくは ( 雑談にあらす ) 御前少しく手習をやめて余暇を以て読書に力を費し たま 給へよ。御前は病人なり。病人に責むるに、病人の好まぬことを以てするは苛酷の様なりとい かんば へども、手習をして生きて居ても別段馨しきことはなし。 knowledge を得て死ぬ方がましな それまで 逢らすや。 : : : 併し此 ldea を得るより手習するが面白しと御意遊ばさば夫迄なり。一言の御答 あなかしこ かへ の もなし。只一片の赤心を吐露して、歳暮年始の礼に代る事しかり穴賢。 と おそれい とかく このしょ 子御前此書を読み冷笑しながら「馬鹿な奴だ」と云はんかね。兎角御前の coldness には恐人 Ⅱりやす > ( 明治二十二年十二月三十一日付 ) たんしゆく しか い、つ・れい らいらく たっ ただち 165

10. 漱石とその時代 第一部

はばかりながらごはうりよくだされたく てもくへるやうに相成候。乍憚御放被下度候。律の手紙によれば婆一人置きて根岸に居り あそ 候由、かた , 安心につきゅっくりと松山にて御遊び遊ばさるべく候。一日づ、は親類 ~ も御 ごとうりうねがひあげたてまつり あそばされ あるべし、一日は道後へも御出かけ被遊、落ちつきて御逗留奉願上候。 コマ オソ 清さん ( 虚子 ) のかへりが遅いとて秉さん ( 碧梧桐 ) 大困りに御座候、一日も早く帰らるゝ あま くだされたく おこと ゃう御言づて被下度候。どせう鍋は飽きが来て此頃はどぜう汁に致し候。汁が甘くてそれだけ こまり申候。 子規にすすめられて、虚子が愛松亭に金之助を訪ねたのはこのころのことだったと思われる。 たか ぐら・ぎよ ばんちゃうさいばんしようらて 个 : : ・氏の寓居といふのは一番町の裁判所の裏手になって居る、城山の麓の少し高みのところ ざしぎ さうせぎ ころ ふるだうぐや であった。その頃そこは或る古道具屋が住まってゐて、その座敷を間借りして漱石氏はまだ妻 からうやしぎ くわん しよせいあが 帯もしない書生上りの下宿生活をして居ったのであった。そこはもと菅といふ家老の屋敷であ ちひ むね かいだていへひろしぎち からうじだいたてものとりのけ って、その家老時代の建物は取除られてしまって、小さい一棟の二階建の家が広い敷地の中に しろやま はすは そのひろしぎち ばつんと立ってゐるばかりであったが、其広い敷地の中には蓮の生えてゐるもあれば、城山 ちゃう まつはやし みどり の緑につづいてゐる松の林もあった。裁判所の横手を一丁ばかりも邁人って行くと、そこに木 いしだんのぼ なんぎふ いしだん ふぎそく もん の門があってそれを辷ると不規則な何十級かの石段があって、その石段を登りつめたところ わたくし かいだていへ ふるだうぐやす に、その古道具屋の住まってゐる四間か五間の二階建の家があった。私はそこでどんな風に案 たぶんふるだうぐや を ぎおく 内を乞うたか、それは記憶に残って居らん。多分古道具屋の上さんが、 ごらん . うトつはろ・ 「夏目さんは裏にゐらっしやるから、裏の方へ行って御覧なさい」とでも言ったものであらう、 うら あひなり のこ ア かみ しろやまふもと ふう お