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検索対象: 漱石とその時代 第二部
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1. 漱石とその時代 第二部

の都度出しておいたものだと申すことでした。それから今たとひこんな話をされてみても、私 に聞かしてはよくないといふので、今日までだまってゐたといふこと、しかし父は夏目の家に いとも悪いとも言ってはゐないこと、結局当人の私の意志一つでどうとも 私がゐることを、 決するがいいといふこと、ともかくなほってからゆっくり話をしようと言ってることなどを話 してくれました。それでも親類や何かはそんな精神病の男のところへびくびくしながら娘や孫 をおくことはない。いまに何をされるかわかったものではない。一時も早く引き取ったがしし といふふうに騷ぎ立ってるといふ母の話なのです。そこで私は母へ申しました。 「そんならどうかお帰りになって、皆さんにおっしやって下さい。夏目が精神病ときまればな 、はば私に ほ更のこと私はこの家をどきません。私が不貞をしたとか何とかいふのではなく、 落度はないのです。なるほど私一人が実家へ帰ったら、私一人はそれで安全かも知れません。 しかし子供や主人はどうなるのです。病気ときまれば、そばにをつて及ばすながら看護するの が妻の役目ではありませんか。ただ私だから嫌はれてゐる。私さへどいたなら夏目の頭がなほ 後へ誰か後 るといふのなら、また考へなければなりませんけれど、あの病気では私がどいた、一 しんば ) 妻に人ってきたといっても、あんなふうにやられて誰が辛抱してゐるものですか。きっと一ト 月の辛抱もできす逃げかへるに違ひありません。どうせかうなったからには私はもうどうなっ 夜 てもようございます。私がここにゐれば、嫌はれようと打たれようと、ともかくいざといふ時 の 造 にはみんなのためになることができるのです。私一人が安全になるばかりに、みんなはどんな に困るか知れやしません。それを思ったら私は一歩もここを動きません。私はどこどこまでも おっしゃ 此家にゐることにいたしましたから、どうかこの上は何も仰言らすにだまって見てゐて下さい

2. 漱石とその時代 第二部

一生病気が直らなければ私は不幸な人間ですし、なほってくれればまた幸福になれるかも知れ ません。危険だといふことも万々承知してゐるから、子供たちなんかも十分注意して行きます・ どうか一切このことについては実家の方から指図がましいことをして下さらないやうに : 涙を流して母にくれぐれも決心のほどを打ち明けて頼みましたので、母もそれほどにいふな こころようけが らと快く肯ってくれました。今その当時のことを思ひ出してみましても、どうしてあんなとこ ろにゐたものかと、むしろそっとするくらゐですが、本当にその時は生きるか死ぬかの境に立 ぐわんぜ ってゐたやうなもので、自分では全く一生懸命で死物狂ひだったのです。相手と言へば頑是な い子供たちばかり、やさしい言葉一つかけてくれる人もゐす、たまさかさうした言葉をきくか けねん と思へば、今の私の実家側の親類のやうに 、ただ私一人の身の上ばかりを懸念して、少しも夏 目の身の上を勘定に入れてない、深切さうにみえて、その実不深切な言葉ばかりで、本当に情 ない思ひをいたしました〉 ( 同上 ) 鏡子の悲壮な決心に、義務感と意地は含まれているが愛情を感じさせるものが含まれていな いというのはおそらく酷である。人は錯乱した人間を憐れむことはできるが愛することはでき ない。かりにはじめに愛があったとしても、錯乱は愛に必要な相互性を断ち切ってしまうから である。そのころ金之助をとらえていたのは、「涙を流して」自己犠牲を誓っている孤立無援 な妻の鏡子ではなくて、またしてもあの女の幻であった。 盒 looked at her as she looked at me 】

3. 漱石とその時代 第二部

ほとんど三十年に及ぶ営々たる努力はそれを少しも変えなかったのである。 池田に親近感を覚え、その人柄に惹かれれば惹かれるほど、金之助は池田がすでに達成しつ つあるものと自分の「何にも所得のない」状態とのあいだの越えがたい溝を、痛切に意識せざ るを得ない。それは化学方程式や数式という普遍的言語をつかいこなすことのできる池田と、 感受性の言語を用いなければならぬ金之助との落差だったかも知れない。異質な語族の異質な 感受性の体系を理解すること。それが理解できなければ彼は英語を母国語とする英文学者と対 等・にはなれす、しかもこの理解は知的、あるいは概念的理解ではなくて、直観的・感覚的理解 でなければならない。 しかしまた、それは池田が人並みの背丈でその顔にはあばたもなかったのに、金之助がおそ らく五尺三寸に足りない小男で、いつも薄あばたを気にしていたということともどこかでかか わっていたかも知れない。さらにそれは、池田が心身ともに健康だったのに対して金之助が胃 と心を同時に病みはじめていたということの、屈折した帰結にすぎないといえぬこともない。 だが人は、かりに心を病んでいても思考を停止することができす、思考が個体の歴史を溯行す るのをとどめ得ない。「勉強、をしようと思えば名状しがたい不毛な感覚にとりかこまれ、せす にいれば焦躁が胸を噛む。しかも彼は池田の庇護を必要としていたのである。 安プレット一家の飼犬一一頭のうちミスター ・ジャックが行方不明になり、主人といっしょに野 不犬収容所に出かけて行くと、犬の姿はなくてかわりに「焼イタル犬ノ骨二片」をくれた。六月 五日はダービイ竸馬の日で、トウーティング附近のエプサム街道は、ふだんは見かけない紳士 スコプ 淑女でにぎわった。「タ景ハ彼等喇叭ヲ吹キ、馬車ニ乗リテ帰リ来ル。頗ル雑沓ナリ」と金之助 741

4. 漱石とその時代 第二部

20 日露開戦 私も自分の世界で満足している。 だからお互いに干渉し合わないように よく理解し合おうじゃないカ 私たちは角をためて牛を殺そうとしている。 そんなふうにポキリとやられたらたまったものじゃない ! お前の世界は私から遠くはなれた場所にある。 それは深い霧と霞におおわれていて、 眼をこらしてお前の住居をうかがおうとしても うかがい知ることができない。 そこには花があるかも知れない。美しいものがたくさんあるかも知れない・ しかし夢の中でさえ私はそこへ行きたいと思ったことがない。 私の場所はここでそこではないから、 そして私は永久に私自身でお前のものではないから ! ) この「お前」が鏡子であることは疑いを容れない。だがそれにもまして注目すべきことは、 この無題の英詩の他の一連の英詩とは対照的な乾いた散文的な感触である。金之助ははとんど 鏡子を憎悪していた。そのことを明らかに物語っているのは、同じ時期のものと推定される次 の英文の断片である。 325

5. 漱石とその時代 第二部

十月七日の『日記』に、彼は「 Craig 氏ニ手紙ヲ出スーと書いている。おそらく個人教授打 ち切りの意志を表明した手紙である。十月十五日の『日記』には、「 Craig 氏ヲ訪フ。アラズ。 本ヲ返シテ去ル」という記事がある。金之助がとにかく一年近くクレイグの個人授業をつづけ ることができたのは、彼が英国人ではなくてアイルランド人だったという事情もてつだってい たかも知れない。英国内におけるアイルランド人の地位は、ほは在日朝鮮人のそれにひとしく、 クレイグと金之助は、おそらく英国及び英国人に対する陰微な敵意と憤懣を共有していたと思 われるからである。 个 : ・ : 行かなくなる少し前に、先生は日本の大学に西洋人の教授は要らんかね。僕も若いと行 くがなと云って、何となく無常を感じた様な顔をしてゐられた。先生の顔にセンチメントの出 たのは此の時丈けである。自分はまだ若いちゃありませんかといって慰めたら、いや / 、何時 ・↓ ( 『永 どんな事があるかも知れない。もう五十六だからと云って、妙に沈んで仕舞った。 日小品』 ー「クレイグ先生」 ) ふほう 金之助がクレイグの訃報を聞いたのは、帰国して二年ほど経ったころである。死亡記事を載 せた新着の文芸雑誌は、クレイグがシェイクスピア学者で、『アーデン・シェイクスビア』の 監修者であったことのみを簡単に報じていた。 ^ 或る香をかぐと或る過去の時代を臆起して歴々と眼前に浮んで来る。朋友に此事を話すと皆

6. 漱石とその時代 第二部

彼はこの幻の敵に対して渾身の力をふるって挑戦しなければならぬ場所に追いつめられてい かみさん る。「幻の敵」はさしあたり下宿の女主人ミス ・リール姉妹の顔をしていた。「下宿の主婦姉妹 が大変深切にしてくれる。しかし蔭へまはるとすぐに悪口をいふ。それから何かといふと直き に涙を流す。が、それも空涙だ」と金之助は思いこんでいた。「それからまるで探偵のやうに、 人のことを絶えす監視して付けねらってゐる。いやな奴ったらない」とも彼は感じ、この状態 に名状しがたい圧迫を感じていた。外界からの来訪者のうち、彼が受容れることができたのは、 部屋に閉じこもってノートを前にして泣いている金之助を、やさしくさとして馬車に乗せて病 院に連れて行ってくれた医者だけである。名前もわからないこの親切な医者に、彼は求めて得 られなかった父母の慈愛の幻影を見ていたかも知れない。 しかし実際には、この医者を呼んでくれたのはおそらくミス ・リ 1 ル姉妹の厚意で、彼女た ちがなにかと身辺に気をくばったり、涙を流したりしたのも孤独な東洋人留学生への同情心か らだったと思われる。金之助が気分をまぎらせるために自転車の練習をはじめたのも、ミス・ リールにすすめられたからである。 △西暦一千九百二年秋忘月忘日。白旗を寝室の窓に翻へして下宿の婆さんに降を乞ふや否や、 てつべん 婆さんは二十貫目の体軅を三階の天辺迄運ひ上げにかゝる、運び上げるといふべきを上げにか 、ると申すは手間のか、るを形容せん為なり、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩す のち る事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後此偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気 に戸口にヌッと出現する、あたり近所は狭苦しき壑り也、此会見の栄を肩身狭くも双肩に荷、 つひや

7. 漱石とその時代 第二部

18 創造の夜明け 部屋へおいておくと、ひとりで黙って着て出かけます。出掛けますと初めて箒をもって書斎に 入って行って掃除を始めるといった具合でした。 かよひ < それからお金なんぞ一文も呉れす、お小遣も元よりくれません。日用品は通で取って月末に これだけかかったと勘定をみせれば、まさかそれを払ふのはいやだとは申さないのだからいい のですが、手元に小遣ひをおいてくれないのには弱りました。みんな私を困らせるためだった のでせう。こちらでもいるのはいるのですから、それなりに泣き寝人りもできす、後には意地 になって、今度は何々でいくら下さいと日に何度でも言ひにまゐります。さう一々やられたの うるさ ては、自分でも五月蠅くて困るのでせうが、もらひに行くといきなり一円札を足元へ放りつけ たりしたものです。それから私を呼びますから行って見ますと、部屋の唐紙を明けるが早いか、 たばこぼん 煙草がないといっていきなり莨盆を放りつける。さうかと思ふと時計がとまってるといっては 懐中時計を放りつける。お金をくれないのですから、煙草の切れるくらゐは当り前なのですが、 ともかく何から何までがこの調子なのだからやり切れたものではありません。 おびや : この頃は何かに追跡でもされてる気持なのかそれとも脅かされるのか、妙にあたまが興 奮状態になってゐて、夜中によくねむれないらしいのです。夜中、不意に起きて、雨戸をあけ て寒い寒い庭に飛び出します。何をするか知れたもんちゃありませんから、ついて出たいので すが、そんなことをしようものなら、あべこべに何をされるかわからないし、第一大きな声で あたり めんぼく 呶盻られでもしたら、四辺近所に面目もないし、息を殺して寝た振りをして、きき耳を立てて ハタン、ガ ゐますと、やがて何事もなく戻って参ります。かと思ふと真夜中に書斎でドタン、 ラガラとえらい騷ぎが持ち上がることがあります。これも仕方がないので出たいのをしっとこ

8. 漱石とその時代 第二部

びもく せす余が黄色な面を打守りて如何なる変化が余の眉目の間に現るゝかを検査する役目を務める、 ますます かしやく 御役目御苦労の至りだ、此二婆さんの呵責に逢てより以来、余が猜疑心は益深くなり、余が 継子根性は日に / 増長し、遂には明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔を愈黄色にするの 已を得ざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測って彼等一日のプログラムを定める、 余は実に彼等にとって黄色な活動晴雨計であった、会マ降参を中し込んで贏し得たる所若干ぞ と間へば、貴重な留学時間を浪費して下宿の飯を二人前食ひしに過ぎす、去れば此降参は我に 益なくして彼に損ありしものと思惟す、無残なるかな > ( 同上 ) ぜめ この「自転車責」をのがれた金之助が、スコットランド旅行に出かけたのは、十月初旬と思 われる。誰がこの旅行をすすめたのかはわからないが、「蘇国に招待を受けて逗留せるは宏壮 なる屋敷なり」 ( 『文学論』・傍点引用者 ) というような記述があるところをみると、滞在さき を紹介され、先方から招待されたかたちで出発したような印象をあたえられる。この紹介者は 例の親切な医者だったかも知れす、医者はもともとスコットランド人だったかも知れない。い すれにせよ前述のような状態の金之助を、医者がひとりで見知らぬ土地に行かせるはすはなく、 金之助にしても、よほど信頼できる人間にすすめられなければ、思い切って旅行に出る気には セ 狂ならなかったにちがいないからである。 イランド 目的地は、スコットランド高地地方の中心部にあるビトロクリイという美しい町で、金之助 がエディンパラ経由で高地地方にはいったのか、あるいはグラスゴウ経由ではいったのかを決 定する資料はない。十月十日ごろ、彼はロンドンにいる岡倉由三郎にあてて書いている。 やむ イランド 205

9. 漱石とその時代 第二部

と無関係に存在する以上、彼は自己に出逢う道を降下せざるを得す、その自己は「捨てられ」、 露出されている状態以外では存在し得ない。ケアは世界のなかに、社会的所属関係のなかにい たが、クレイグはこちら側にいた。つまりこの老学者は金之助の側にはみ出していた。 しかしそれにもかかわらすこの選択は他人に理解されがたい。ある種の人間にとっては世間 智や常識が決して過不足ないかたちでは身につかす、はるばるロンドンくんだりまで来て、幼 年時代の不幸をなそることに全力を傾けなければならぬような事情がおこり得ることを、他人 は決して認めたがらないからである。間題は他人よりさきに、金之助自身が自分のしているこ てうていかんむり とのわかりにくさを意識していなかったというところにあったかも知れない。彼は「迢逓、冠 を正して天外」に赴いた日本帝国政府の官吏であり、その国家に対する義務をだれよりも忠実 に遂行するつもりでいた。そして具体的にはそれが、べイカー・ストリートのクレイグの部屋 と、ウエスト・ハムステッドの「生気のある人間社会」から置き去りにされたような陰惨な下 宿を往復することからはじまったという奇妙さに、彼は少しも気づいていなかった。 ・ ( 下宿の ) 主婦と云ふのは、眼の凹んだ、鼻のしやくれた、顎と頬の尖った、鋭い顔の としかっかう かんひが 女で、一寸見ると、年恰好の判断が出来ない程、女性を超越して居る。疳、僻み、意地、利か もてあそ ぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻を散々に弄んだ結果、かう拗ねくれた人相になった のではあるまいかと自分は考へた。 ひとみも イギリス ^ 主婦は北の国に似合はしからぬ黒い髪と黒い眸を有ってゐた。けれども言語は普通の英吉利 した 人と少しも違った所がない。引き移った当日、階下から茶の案内があったので、降りて行って

10. 漱石とその時代 第二部

ひと 一つ家にゐても、ロを利いた事がない。息子 も同じ店で働いてゐるが、親子非常に仲が悪い。 おやぢ たびはだし ぎっと は夜屹度遅く帰る。玄関で靴を脱いで足袋跣足になって、爺に知れない様に廊下を通って、自 分の部屋へ這人って寝て仕舞ふ。母は余程前ににくなった。死ぬ時に自分の事を呉々も云ひ置 おやぢ いて死んだのだが、母の財産はみんな阿爺の手に渡って、一銭も自由にする事が出来ない。仕 こづかひ 方がないから、かうして下宿をして小遣を拵へるのである。アグニスは ^ 主婦は夫れより先を語らなかった。アグニスと云ふのは此処のうちに使はれてゐる十三四の 女の子の名である。自分は其の時今朝見た息子の顔と、アグニスとの間に何処か似た所がある あたか くりや 様な気がした。恰もアグニスは焼麺麭を抱へて厨から出て来た。 トースト 「アグニス、焼麺麭を食べるかい」 くりや いっぺんトースト アグニスは黙って、一片の焼麺麭を受けて又厨の方へ退いた。 全箇月の後自分は此の下宿を去った > ( 『永日小品』ー「下宿」 ) この一家、つまりミス・マイルドの一家はユダヤ人の家庭だったかも知れない。主婦の黒い 眼と髪、国際的な結婚をくりかえしているその母親の生きかた、それに家のなかのある濃密な 畦雰囲気がユダヤ人らしさを感じさせるからである。落日を追って西航した金之助は、いわば無 グ 意識のうちに死に近づいていたといってもよかった。水平線に沈んだ日が、ふたたび東の空に イ いんとん レ ロ 姿をあらわすように、この死は再生の前の隠遁でなければならなかったが、プライオリー・ ク せいひっ ドの下宿は彼にその静謐を許さなかった。この家に「あざやかに暗い地獄」を認めた金之助 の直観に、誇張があったとはいえない。なせなら地獄における死とはやすらぎなき死、その存 のち トースト むすこ