笑ってそんな事があるものかと云ふ。ショーベンハワーを読んだら丁度同じ事が書いてあった。 さすが英雄の見る処は大概同じであると我ながら感に人った。我輩を知りもせぬもの迄が、我 など 輩を称して厭世家だ抔と申す。失敬だと思って居ったが、成程厭世家かも知れぬ ( 倫敦の香ひ 十月ニナルト去年ノ十月ヲ臭デ思出ス》 ( 『断片』 ) ふりかえってみると、金之助の背後にはすでに一年のロンドン生活があり、その経験は彼を この国に来る前とは微妙にちがう人間にしていた。そして彼の前には霧があり、霧のように不 分明な未来があった。 : ・表へ出ると二間許り先は見える。其の二間を行き尽すと又二間許り先が見えて来る。世 の中が二間四方に縮まったかと思ふと、歩けば歩るく程新しい二間四方が露はれる。其の代り 今通って来た過去の世界は通るに任せて消えて行く。 はたかはぞひ < : : : クトリアで用を足して、テート画館の傍を河沿にバタシー迄来ると、今迄鼠色に見え まはり た世界が、突然と四方からばったり暮れた。泥炭を溶いて濃く、身の周囲に流した様に、黒い せま 色に染られた重たい霧が、目とロと鼻とにって来た。外套は抑へられたかと思ふ程湿ってゐ る。軽い葛湯を呼吸する許りに気息が詰る。足元は無論穴蔵の底を踏むと同然である。 てさぐ しもた バタシーを通り越して、手探りをしない記りに向ふの岡〈足を向けたが、岡の上は仕舞 もと 屋許りである。同じ様な横町が幾筋も並行して、青天の下でも紛れ易い。自分は向って左の二 つ目を曲った様な気がした。夫から二町程真直に歩いた様な心持がした。夫から先は丸で分ら やばか それ それ あら まで まる 川 9
作家漱石の誕生 は九 梅ぬ 貴 づた てあ達やし年 様る の見 たタ ち方 し娘 か婿 いま が よ れ幸 か誰 の金 っ子 て 四労だ 奴水 かあ か子 去己 書岳 つ 、れ 羽記 て 経たら 泣 っす っす 田丁し せ が年 る 気が剥間 あな の 事オ い十 ろ あ健 ら華 う た畳 お助 か広 れ せ病 草け 赤の る院 ろ 黒顔 七四 行側威け 十百 れ た少 て 来 て を勝 お 作感利重 じ感 は実 お赤 いあ れ上頻ば て気度どな 21 あ 次 つ女か ク ) た恒た が し き に 泣 い 。之 は の癇か と癪 をく お て 345 近 う と な は 。雨場 上が所 あ が っ た ろ ら た そ の 別 な る と 彼 は し の 0 ) 筆 な ど は 0 ) 目リ に が つ い て 父 の 顔 が く ら に た ら で る べ いて九 、落 し て 行 く の が 彼 目」き に は え 発 の お る の は 彼 も た よ り も 強 く の の 時 間 が 自 分 か ら の奪之 て 入ぃ A の に も 困 る ど ち frlfi ら し て し 金 っ助彼 の 百年一 別 に 金虎件 ノ 門 只 ほ族助 院 官 長 官 の 。敷 0 の し間け で を の が 之 と 父 と 0 ) あ い だ を さ ら さ・ る か っ た の は そ か 五 日 て 後 の で た 道 四 達 好 は ら徒む に な に 済 ん の り 受 た 円 の が 細 君 の 父 の い て 、や ら う L_ さ 何 う な あ 友ち形一 の清して間 妹水ゐ支 にた那 ん で て 呉 か に 当 る 彼あ清見 火ほ酒 照てに も 其 な 金 は う が 動 か や う に な つ て ゐ る し ら あ は 位下な の - ⅱ丁 な 場 、所 で を 開 て ゐ た 0 ま じ め る と そ っ た よ う に く つ の な け れ に も が な 力、 っ た 圧 0 し 中 根 ま る で 確 は の た な の あ る 学 で 教 を 取 て ゐ た 頃 た 友 達 の 金 は み ん か 何 か の 株
花びらを彼女のまわりに散らせ 彼女が輪を描いて踊る間に。 彼女の白い衣裳をゆらゆらとさせよ ここに、そこに、あらゆるところに ヴェルヴェットのような草の上を旋わせ 彼女が輪を描いて踊る間に。 月と私が彼女を見つめるだろう 彼女が輪を描いて踊るとき、 けれどほかには誰ものそくことができない 彼女が輪を描いて踊るとき。》 つまりこれらの英詩は、やはり存在しないものへの手紙だったのてある。そしてこの幻影の 女を追い求める金之助は、日常生活では前にも増して激しく自他を破壊しつづけてしオ 、こ。鏡子 の回想は述べている。 < その頃は朝学校へ出るにしても、洋服を着せようとすれば、彼方へ行ってゐろと頭からどな りつけるので前の晩のうちにカラーからネクタイまで揃へておいて、それを朝になるとそっと
の意とする所ではなかった。木がよく枯れてゐないので、重い洋書を載せると、棚板が気の引 ける程撓った ・↓ ( 『道草』五十九 ) 新居は八畳二間に六畳四間、それに二畳はどの玄関の間と女中部屋があり、湯殿と台所のは かに物置がついているという、標準的な東京山ノ手の中流住宅である。平家建で、西は生垣を へだてて郁文館中学に面していた。南側の庭は垣をへだてて畑に接し、これも地所の内だった なすぎゅうり ので、心得のある女中が茄子や胡瓜をつくったり、南京豆を植えたりした。この畑の東南の端 に。、いつも夫婦喧嘩ばかりしている車屋の家があった。門は東面し、北側には露路をへだて て二絃琴の師匠の家があった。金之助の書斎は玄関脇の庭にはり出した八畳で、幾分茶室がか った造作であり、この部屋だけは障子にガラスがはまっていた。 しかし彼は、この書斎でロンドンから持って来た書物の箱を開くと、洋書の山に埋まったま かたはし ま、ろくに整理もせすに漫然と二週間ほどをすごした。彼は「手に触れるものを片端から取り 上げては二三頁づっ読」んでいたのである。この有様を見かねて、菅虎雄と覚しき友人がやっ て来て有無をいわせす本棚に洋書をさっさと並べて行った。夏目はやはり神経衰弱らしいとい う噂が、ふたたびひろがりはじめた。 0 金之助は多分、依然として文科大学に出講することにこだわっていたものと思われる。彼の っ 研究は完成にはほど遠く、しかも彼は学生に圧倒的な人気のある小泉八雲 ( ラフカディオ・ ーン ) の後任として講義をしなければならない。そして、なににもまして彼は、英文学を学び かっ教えることの意味をまったく見失っていた。それなのに東京帝国大学文科大学講師夏目金
ョイト云フ、御世辞ヲ有難ガル軽薄ナ根性ナリ >> ( 三月十五日付・同上 ) ^ 日本ハ三十年前ニ覚メタリト云フ。然レドモ半鐘ノ声デ急ニ飛ビ起キタルナリ。其覚メタル ハ本当ノ覚メタルニアラズ。狼狽シッ、アルナリ。只西洋カラ吸収スルニ急ニシテ、消化スル シカ サメ イトマ ニ暇ナキナリ。文学モ政治モ商業モ皆然ラン。日本ハ真ニ目ガ醒ネバダメダ >> ( 三月十六日付・ 同上 ) ウチ ・ : 吾人ノ眠ル間、吾人ノ働ク間、吾人が行屎送尿の裡に、地球ハ回転シッ、アルナリ。吾 人ノ知ラヌ間ニ回転シッ、アルアリ。運命ノ車ハ之ト共ニ回転シッ、アルナリ。知ラザル者ハ カタチヅ アヤフ 危シ。知ル者ハ運命ヲ形クルヲ得ン ( 三月十八日付・同上 ) ここにあらわれている時間に対する無力感は一種の死の感覚である。それは物理的な時間が 彼自身の時間を圧殺しつつあるという感覚の表現であり、自ら時間と化したいという願望のあ らわれでもある。もし彼自身が時間そのものを生きはじめ、時の進行とその生命のリズムを一 致させることができたならば。それは英国人のではなく日本人の時間を生きることてあり、物 理的時間の網の目にからめとられた努力をほうり出して、なにかほかのことを、彼自身の内部 から湧き出て来るものを生きることである。「真ニ目ガ醒ネバダメダ」。そうであるのは日本な のか自分なのか。しかしまた彼は、こう考えるようなこともあった。 个 : : ・英人ハ天下一ノ強国ト思ヘリ。仏人モ天下一ノ強国ト思ヘリ。独乙人モシカ思ヘリ。彼 等ハ過去ニ歴史アル「ヲ忘レッ、アルナリ。羅馬ハ亡ビタリ。希臘モ亡ビタリ。今ノ英国・仏 コト
寧ろ無理やりに得さしめたる次第に候へば、只申訳の為め御笑草として御覧に入候。 倫敦にて子規の訃を聞きて 筒袖や秋の柩にしたがはす 手向くべき線香もなくて暮の秋 霧黄なる市に動くや影法師 きりん \ すの昔を忍び帰るべし 招かざる薄に帰り来る人そ》 ( 十二月一日付高浜虚子宛 ) 子規が逝ったのは、あたかも金之助の精神状態が最悪の段階におちいりはじめたころである。 すぐ 金之助が鏡子にあてて、「近頃は神経衰弱にて気分勝れす、甚だ困り居候」と書いた九月十二日 がうも , ル に、子規は「支那や朝鮮では今ても拷間をするさうだが自分はきのふ以来昼夜の別なく五体す しよう 『病 きなしといふ拷間を受けた。誠に話にならぬ苦しさである」 ( 『病牀六尺』 ) と記していた。 すいしゅ 牀六尺』は死の二日前、九月十七日まで書きつづけられた。水腫のために「仁王の足」のよう にふくれあがった足は、少しでも動かすと激痛をもたらし、子規はたまらすに叫喚した。しか ほとん し九月十四日の朝、彼は例になく平静な気分で眼を覚した。「昨夜に限って殆ど間断なく熟睡を 得た為であるか」と、子規はいぶかっている。彼は泊り番で詰めていた虚子に命じて心境を口 述した。 274
浅井忠 ( 黙語 ) がパリに留学したのは明治三十三年 ( 一九〇〇 ) 六月であるから、彼は二年 間の留学期限を無事に終えて船に乗るためにロンドンにやって来たことになる。芳賀矢一が同 じ目的でドイツからロンドンに到着し、クラバム・コモンの金之助の下宿をたすねたのは七月 一日のことである。このとき芳賀は、金之助の様子がプロイセン号で留学の途にのばったとき とほとんど同じで、別にこれといって変ったところはないという印象を抱いていた。しかし八 おおさか 月のある日、留学生仲間の大幸勇吉がたすねたときには、金之助は非常に陰欝で不機嫌な顔を 隠そうともせす、ほとんどひとことも口を利かなかった。彼は明らかに強度の欝病に苦しめら れていたのてある。 「夏目狂セリ」 すぐ 个 : ・ : 近頃は神経衰弱にて気分勝れず、甚だ困り居候。然し大したる事は無之候へば、御安神 くださるべく 可被下候。 うったうしく 个 : ・ : 近来何となく気分傅陶敷、書見も碌々出来す心外に候。生を天地の間に亨けて、此一生 ぎくいたしをり をなす事もなく送り候様の脳になりはせぬかと自ら疑懼致居候。然しわが事は案しるに及はす、 なさるべく ・ : 》 ( 九月十二日付夏目鏡宛 ) 御身及び一一女を大切に御加養可被成候。 をり - 」れなく
この決意が、無為にすごしたと思われる過去一年間への悔恨と自責から生れていることは明 あげ らかてある。だが、もし彼が「余る一年を挙て」研究に没頭し、「文学とは如何なるものそと云 へる間題を解釈」すれば、彼はあるいはあの暗い淵のようによどむ罪悪感から解放され、「国 家」によって赦されるかも知れない。これは隠れたい願望を正当化する論理であるが、同時に 努力による自己救済が可能だという命題の延長上にある論理である。おそらく金之助は、この 病懸命の努力が、かえって彼を求めつづけているなにものかから遠ざけるものてあることに気が ついていなかった。 この隠れたい願望とのあいだに、一筋の糸がつながっていたことは確実と思われる。 一切の文学書を行李の底に収めたり。文学書を読んで文学の 个 : ・ : 余は下宿に立て籠りたり。 如何なるものなるかを知らんとするは血を以て血を洗ふが如き手段たるを信じたればなり。余 は心理的に文学は如何なる必要あって、此世に生れ、発達し、頽廃するかを極めんと誓へり。 余は社会的に文学は如何なる必要あって、存在し、隆興し、衰滅するかを究めんと誓へり。 ^ 余は余の提起せる問題が頗る大にして且つ新しきが故に、何人も一二年の間に解釈し得べき 性質のものにあらざるを信じたるを以て、余が使用する一切の時を挙げて、あらゆる方面の材 ・↓ ( 『文学論』 料を蒐集するにカめ、余が消費し得る凡ての費用を割いて参考書を購へり。 っと すべ あがな 〃 9
あたか 事に騒ぎ候は、恰も貧人が富家と縁組を取結びたる喜しさの余り、鐘太鼓を叩きて村中かけ廻 もと る様なものにも候はん。固より今日国際上の事は、道義よりも利益を主に致し居候へば、前者 これある たと の発達せる個人の例を以て日英間の事を喩へんは、妥当ならざるやの観も有之べくと存候へど ぞんぜられ しカかおぼしめし も、此位の事に満足致し候様にては、甚だ心元なく被存候が如何の覚召にや。 まうすまでこれなく < 国運の進歩の財源にあるは中迄も無之候へば、御中越の如く財政整理と外国貿易とは目下の 急務と存候。同時に国運の進歩は、此財源を如何に使用するかに帰着致候。只己のみを考ふる おそれ 数多の人間に万金を与へ候とも、只財産の不平均より国歩の艱難を生する虞あるのみと存候。 まよま物こ いたし 欧洲今日文明の失敗は、明かに貧富の懸話しきに基因致候。此不平均は幾多有為の人材を年 かへ 々餓死せしめ、凍死せしめ、若くは無教育に終らしめ、却って平凡なる金持をして愚なる主張 を実行せしめる傾なくやと存候。幸ひにして平凡なるものも今日の教育を受くれば一応の分別 ようぼん 生し、且耶蘇教の随性と仏国革命の殷鑑遠からざるより、是等庸凡なる金持共も利己一遍に流 これあり れす、他の為め人の為に尽力致候形跡有之候は、今日失敗の社会の寿命を幾分か長くする事と 存候。日本にて之と同様の境遇に向ひ候はゞ ( 現に向ひっゝあると存候 ) 、かの土方人足の智識 文字の発達する未来に於ては由々しき大事と存候。カールマークスの所論の如きは、単に純粋 これある の理窟としても欠点有之べくとは存候へども、今日の世界に此説の出づるは当然の事と存候。 あひだ たく 砿小生は固より政治経済の事に暗く候へども、一寸気餤が吐き度なり候間、斯様な事を中上候。 くだされまじく など ・↓ ( 三月十五日付中根重一宛 ) 日「夏目が知りもせぬに」抔と御笑被下間敷候。 姉崎や金之助の反応は、いつも祖国がより強大で、より多くの尊敬をかち得ていることを願 かっ もと これ ャえん おのれ 州 3
市君の方は元はどこかの governess であったとかで、 せる奴はない。書物抔は一向知らない。女 しぎ むか 頻りに昔しの夜会や舞踏抔の話をする。父絵がかけると云ふのが御自慢である。大変な vanity の強い女で、御相手をするのが厭だから、フン / 、と云って向通りを眺めて居ると張合がない と見えて自慢話しをやめる事がある。 个・ : : 此女将軍の英語たるや、学校の主幹たりし丈にわるくはなけれども、決して上品にあら たま など す。且六づかしき字抔は知らす。会に俗に用いない字を使ふと「アクセント」や発音を間違へ こっち る。此方の言語がムヅカシクて分らなくても、日本人に聞ては英国婦人の品位が落ちると云ふ すこぶ 様な顔で知たふりで通す。頗る憐れな奴だ。 个・ : : 其から妹の方は極めて内輪だ。賢婦人である。教育はさしてないが、あるふりをせぬ丈 このあひだいっしょ すこぶ が感心である。夫から亭主もいゝ奴だが頗る無学で、書物抔は読んだ事もあるまい。此間一所 これ いっ に芝居「パントマイム」を見物に行た。 Robinson Crusoe をやって居った所が、実際是は小 ものがたり ・↓ ( 二月九日付狩野亨吉・大塚保治・菅虎雄・山川信 説か事実物譚かといって僕に尋ねた。 次郎宛 ) このプレット 一家には貧しさとこつけいさはあっても「あざやかに暗い地獄」はなく、転居 以来、金之助の関心がやや外界に向きはじめたことは明らかである。そこに彼が認めたのは異 質な風土と、その風土に対して異質な自分である。 〈一月三日 ( 木 ) それ それ など など ぎい など