るところで、このときは主人公自身が、なかば居直り的に、自分からフルネームを名乗る。 ヌイチ・ラスコ 「ばくは POAHOH POMaHb1t1 PaCKOJ1bHHKOB 、一兀大学生で、下宿はシーリの家。この横町のすぐ先 で、十四号室だ」 ( 「ロマーヌイチ」はロ語的言い方 ) 引用をわざわざロシア語で表記したのは、この字面を視覚的に確かめてほしかったからである。 翻訳で読んでも、妙に頭韻のきかせてあるのに気づくだろうが、ロシア文字で見ると、一種異様 な印象を受けるだろう ( 念のため注記すると、ロシア語の音は、ギリシャ文字のに由来する エル で表わされる ) 。イニシャルを拾うととなり、明らかな作為を感じさせる。それも道理 で、などというイニシャルは、ロシアのどこを探しても、まずお目にかかれる気づかいか ヴィクトル・ヴラジ ない。、なら、まだしも可能な組合わせで、現に高名な言語学者 BH 秀名 B 〒 ミロヴィチ・グイノグラドフ MHPOBHLI BHH0rpaÄOB は、 ( 英語表記では >>> ) のイニシャルの持主であった。 このことは確率論的にも確かめられる。ロシア姓名辞典でではじまる姓の割合を調べると、 約 4 パーセントという数字が出る。次に、教会暦に記載されている男性名八百四十のうち、で はじまる名は十三だから、比率は 1 ・ 5 パーセントになる。ただし、これだけでは、アレクサン ヴラジーミル、イワンなどのポピュラーな名前と、めったにない珍しい名前との頻度差が 計算に入らない。そこで現代の命名統計やら、十八世紀頃の農奴の名簿やら、いろいろと持ち出 して、時代的な命名傾向の変遷なども考え合わせながら検討してみると、ではじまる名の実効 的な比率は 0 ・ 2 パーセントと出る。従って、のイニシャルが現われる確率は、 0 . 16 100 100 100 1000000
科学技術の現状を歴史の中で捉え、価円 書科学技術は人間をどう変えるか石井威望 現代人の生き方と考えを示唆する。定 3 潮 新 人間社会は病いから何を学んできた価円 病いと人間の文化史立 のか。病気を通し文化の裏面を探る。定間 夢、苦痛、陶酔 : : : 神秘の領域に属価円 夢 の科学三輪和雄 した脳の感覚系統を平易に解説。 定間 自殺者を多く生み出す風士、文化、 価喟 自殺と文化布施豊正 ストレスを世界的視野で考える。 定乃 あなたも百歳までーーー栄養、生活、 価喟 百歳の科学鈴木言 ′ 1 病歴、遺伝まで調査した百歳の条件。定 0 コピー生物誕生や遺伝子操作の成功価円 生命科学の現場から岡田節人 は私達の未来に何をもたらすのか。 中国大陸、北海道、武蔵野で出逢っ価円 草木を訪ねて三百六十五日足田輝一 た一年の草木の貴重な記録。 定 世界の氷河を旅して、水河と環境、利価円 氷河への旅樋口敬二 用法を地球的規模で語るエッセイ。定 南極観測はば三〇年。その成果と、 価円 南極の現場から神沼克尹 ′ 1 南極の魅力、基地生活をレポート。
O ・マカードル用句を使い、一味違う英語をしや価円 通じる英語 井上謙治編訳べ 0 てみては = ・ = ・慣用句活用辞典。定 ldiO ョ S fO 「 Business ジャーナリズム特有の語彙を選び、価円 ・高田正純 アメリカの雑誌を読むための辞書峰雄 解説したニュータイプの英語辞書。定 8 アメリカへの深い理解と学識を基盤価円 日 長世 アメリカを支えるアメリカ人本 に″我が心のアメリカの人々〃を語る。定 0 大英帝国の耳目となって世界最大の価円 ニュースの商人口イター倉田保雄 国際通信社を築いた彼のスクープ魂。定乃 ・・ク一フーク全世界の極秘暗号情報の解読に生涯価 暗号の天才 をかけた天オ的暗号家の人間記録。定 2 新庄哲夫訳 マントル史上最大のソ連秘密警察の全貎を生価喟 新庄哲夫訳生しく捉えた恐るべき報告書。 マントル情報は戦争である。とアメリ価 0 新庄哲夫訳カ民主主義の相克を衝撃レポー 円 マントル国際麻薬密輸ルートを現地踏査し、価 0 世界麻薬フリ コネクション新庄哲夫訳勝利なき麻薬戦争の実熊に迫る。 選 一一十世紀を歩く森本哲郎ポイ、一トに立ち未来を考える。定 X
シェイクスピアの人生観女西徹雄訳」展開す「。天才劇作家。人生観。 あらゆる都市空間に光をあて、 価喟 宝木範義 物語 の魅力の謎を探る新しい歴史物語。定間 伝染病で始まった近代上・下水道ー価円 水道の文化ー西欧と日本ー鯖田豊之 ーその苦難と発展を物語風に描く。 アイヌ出身の天才言語学者の孤独と価円 知里真志保の生涯藤本英夫 闘いを通し民族の苦悩と矛盾を描く。定 暦と占いの生い立ちや仕組を科学的価円 暦と占いの科学永田久 に面白く解き明かす《数》の教養案内。定 湯の庭、逃げ庭、秘密の庭園 : 価喟 都市の庭、森の庭海野弘 劇的空間を求めて歩く新庭園紀行。定間 ーー未知なる庭園への旅 近代文学を彩った作家たちの友情と価円 作家の友情河盛好蔵 その生き様を、いきいきと蘇らせる。定間 に . 家族は崩壊するのか ? 新しい家族価円 家族の時弋 イ木村尚三良 書 と人間関係を歴史のなかで考える。定 8 ハと日本 選 母であり精神科医である著者が三国価円 ロ区祥「十 新親と子ーアメリカ・ソ連・日本ー の親子に接して語る親と子の本質。定 3 ヨーーロ、
それが 9 の数の象徴性の一つの意味である。もう一つの意味は、太陽がこの時刻まで闇に包まれ ていたという記述と関係している。最後にラスコーリニコフの下宿を訪れたポルフィーリイが、 すでに何度か引用した次の言葉を口にするのは、偶然ではない。 「まあ、あなたはあまりにも長い間、だれの目にも見えなくなるかもしれないが、それが何で す ? 問題は時間にあるのじゃなく、あなた自身の中にあるんですからね。太陽におなりなさい、 そうすればみながあなたを目にしますよ。太陽はまず第一に太陽でなくちゃいけない」 私はこれが、「エピローグ」での 9 の数へのこだわりを解く鍵だと考える。同じ場面で、ラス コーリニコフはポルフィーリイに向って叫ぶ。 「いったいあなたは何者なんです、予一言者だとでも一一一一口うんですか ? どうしてそれほどまで悠然 と落ちつきはらって、こざかしい予言など口にできるのです ? 」 ここに「予一一一口者」、「予言」というあまりにも重い一一 = ロ葉が使われていることは、けっして軽視で きない ラスコーリニコフは「こざかしい予一一一一口」と決めつけて、鉾先をかわそうとするが、実は いっとき姿を隠した この「予言」こそが、「エピローグ」で実現される運命にあったのである。 「太陽」は、「九時」、つまり「九カ月」目にこそ現われなければならなかったのだ。 結論的に言うならば、「エピローグ」二章の時間は、現実の時間とは切りはなされた時間、「予 一一一一口者」によって洞察された時間、いわば神話的な時間なのである。そのことをきわだたせようた めに、ドストエフスキーは「エピローグ」の一章と二章の間に、わざわざ時間のずれを置き入れ たのだった。このことは、創作心理からも説明がつく。 一八六六年十二月ないし六七年一月初め に小説の最終部分を書きあげたドストエフスキーにとって、明らかに一八六七年の出来事を語ら ねばならない「エピローグ」二章は、まだ自身が体験していない時間に属していた。わかりやす 278
時日を勘ちがいしていたことも、はっきりと得心できた。すくなくとも、のちに当時を思い出し、 その思い出を解きほぐそうとしたとき、彼は、むしろ第三者から得た青報によって、自身のこと をいろいろと知りえたのである」 事実、日目にラズミーヒンが下宿に立寄ったとき、ラスコーリニコフは、「たしか一昨日、 ばくは妹ときみのことを話したぜ」 ( 傍点引用者 ) と彼に話す。しかし、これは完全な記憶ちがい しやつだよーと話すのは、第五編五章にはっ で、ドウーニヤに「ラズミーヒンという男は実にいゝ きり書かれているように、 9 日目のこと、つまり、「一昨日」ではなく、「一昨々日、のことであ る。一方、読者にとって、そのような第三者的情報として役立つのは、まずカチェリーナの葬儀 の日どりだろう。当時のロシアでは、死者の埋葬は、死亡時から三昼夜を経たのちに行なわれる べきことが、法律で定められていた。その定めどおり、カチェリーナの葬儀は、三昼夜を経た小 説の日目に行なわれる。となると、 7 日目に死亡したマルメラードフの葬儀が、まだ三昼夜を 経ない 9 日目に行なわれたのはなぜか、という疑問が起きるだろうが、これは、「猛暑のさいは そのかぎりにあらず、という例外規定に拠ったものらしい。現に、 8 日目にラスコーリニコフを 訪れたソーニヤの言葉からも、この間の事青は充分にうかがわれる。 「遺体を長いこと置いておくって、間借人の方たちが腹を立てていらしって : : : こんなに暑いと きですし、臭いが : : : それで今夜、晩の祈式のときに、墓地へ運んでもらって、明日まで祈禳 所に置いていただきますのー カチェリーナの場合は、遺体の置かれていたのがソーニヤの部屋で、他に迷惑もかからなかっ数 たし、規定どおりとなったのだろう。この三日ほどの間に、さしものペテルプルグの猛暑がふい に和らいだことも考えられる。
スラーヴァ・ポーグ となる。 これは直訳すると、「神に栄光あれ、ただの夢でしたー ゴ 1 スポジ このつぶやきをきっかけのようにして、ラスコーリニコフは「ああ ! ー、「おお ! ーをしきり と連発し、はじめての神への祈りの場面につながるわけである。 それやこれやで、小説の第一編、第二編では、ラスコーリニコフによって次のような頻度でこ の種の慣用語が使われている。 2 、「わが神よー 、「主よ ! 」 5 、「神に栄光あれ」 1 、「神のため 第一編ーー「神よー 、「わが神よー 第二編ーーー「神よ ! 」 、「主よ ! 」 6 、「神に栄光あれ」 1 、「神のため 信心深いラスコーリニコフの母親や、マルメラードフの妻カチェリーナと比べれば、使用頻度 はたしかこ氏ゝゞ、 。イしカこれはロシア人の平均頻度と考えてよいだろう。ところが第三編以降、ラス コーリニコフはこの慣用語の使用をふつつりとやめてしまう。母にお祈りを頼む前後を唯一の例 ェイ・ポーグ 外として、あとは「神かけて」が二度使われるだけ、つまりラスコーリニコフは三百ページ近く にわたって、「ああ ! ーとも「おお ! ーとも言わなくなってしまうのである。むろん、ソーニヤ やドウーニヤはこの語を連発するし、ポルフィーリイの使用頻度もかなり高い。この種の語に対 する禁欲度でラスコーリニコフと匹敵できるのは、おそらくスヴィドリガイロフ一人だけだろう。 となれば、第三編以降のラスコーリニコフのもの言いについて、作者がきわめて意図的なコン トロールを行なっていたことはほとんど自明である。第二編の最後には、ポーレチカに「お祈 り」を頼む例の場面が置かれていた。つまり、あの場面で自己の「人神論」に確信を深めて以後、 ラスコーリニコフは「神に頼ることを、日常語のレベルでもふつつりとやめてしまうのである。 1 ジェ 266
を背負ったそれらの「虫」や「瘤」にさえ、ドストエフスキーは、人間の精神と身体の病理を科 学的、統一的にとらえうる可能性を必死で探し求めた。この病理が究明されぬかぎり、神がでは なく、人間自身がもたらそうとしている新しい「終末、の秘密をきわめることはできないと予感 していたのだろう。モナ・リザの画像を描くために、ダ・ヴィンチが人体解剖学を研究したと同 じ態度で、ドストエフスキーは、「終末」の予兆におののく同時代を芸術的に表現する方途を模 索してやまなかったのである。 話がいくぶん大げさになったが、エピローグで語られるラスコーリニコフの夢は、一方でその ような地平を展望しつつ、小説の中ではそれなりの構成的、あるいは構造的な機能を果している。 まず小説のコンポジションの面からいうと、この夢がエピローグのほとんど最後に置かれ、し かもそれがラスコーリニコフの「病気」の間の夢であった、と注記されている点が気にかかる。 考えてみれば、これは彼の「地獄へのヴォワャージュ、をもたらした「病気」ーーー殺人計画を生 み出した彼の精神の「病気」そのものを意味しているのかもしれない。それはともかく、テキス トには次のように書かれている。 「彼は大斎期の終りと復活祭の週いつばいを病院で過した。すでに快方に向ってから、彼はまだ 高熱にうなされて臥っていた頃の自分の夢を思い出した。病気のあいだに彼が見た夢は : : : 」 夢 「すでに快方に向ってから」という一句は、かなり意味深長である。これは、少くともラスコー ま現在はもうこの悪夢にうなされび リニコフの身体が「病気」から脱け出ており、彼の精神も、い ているのではないことを意味している。なるほど、この夢の記憶は、「あまりにも沈鬱な、痛まが 万 しい余韻、を残し、その印象は「あまりにも長く消え去ろうとしなかった、とも書かれる。しか し、「余韻、という以上、それは夢そのものが、それをもたらした「病気」とともにすでに「過
まなヴァリアントを模索しなければならなかったかは、一八六五年夏から六六年冬にかけての 『罪と罰』創作ノートを読み返すことで確かめられる。これはドストエフスキーの小説作法の真 髄を問わず語りに語ってくれる、かけがえのないほど貴重な記録である。 まだヴィスパーデン滞在中に書かれた第一稿で、そのような「女」に擬せられていたらしいの は、ラスコーリニコフの下宿の主婦、色気たつぶりな年増の未亡人パーシャである。何より注目 されるのは、第一稿ではこの未亡人に「ソーネチカ」の命名がされていたことだろう。「ソーネ チカ」、「ソーニヤ」、正式名「ソフィヤ」は、言うまでもなく、後の女主人公の名だが、これに は、前にも書いたように、「神の叡智」という含意がある。また、ドストエフスキーがこの名に 強い個人的な愛着を抱いていたことも、四十六歳で恵まれた初めての子供に、この名をつけてい ることから知られる。それほどの命名がなされていた以上、この下宿の主婦には、少くとも当初、 女主人公格の役どころが予定されていたと考えなければなるまい。つまり、ラスコーリニコフを 犯行に赴かせた「女。そのものではないまでも、後にソーニヤがそうなるように、せめてラスコ ーリニコフの犯行告白の対象には予定されていたはずなのである。ところで、彼女がどのような 「ねえ、きみ、あれは溜息ひとつでとろけちまう女さ、蠑のようにとろけちまうんだ ! 〈 : 、つと、一」一つ、己」 あの女はさ、羽根ぶとんそのものだよ、いや、羽根ぶとんどころじゃないー き込んでくるんだな。あれは地の涯、静かな碇泊地、地球の臍、世界を支える三頭の鯨さ。 ・ : 〉ひめやかな吐息や、暖かな部屋着や、ぬくとい寝床のエッセンスなのさ」 野暮な解説は不要だろう。ここにはドストエフスキー自身の女体観が、そのまま投影されてい るようにさえ思われる。しかもこの奇妙なせりふは、頑健そのもののラズミーヒンが、どうやら 「女」であったかは、完成稿からも充分にうかがわれる。 へそ 2 1 2
ところが、酒の勢いが、純粋感情を軽視させ、「淫蕩」の自然力の過大評価をもたらした。ドウ ーニヤを密室に閉じこめてからも、彼はまだ淫蕩の力に、暴行に期待をかけていた。それで自分 を満足させられると思っていた。拳銃の発射にも彼の自信はゆらがなかった。しかし最後にドウ ーニヤから、「ね、わたしを帰して ! 」と祈るような調子で、しかも敬語ぬきのアンチームな言 葉づかいで言われたとき、彼の内部にあまりにも劇的な変化が起った。酒の酔いと強がりが一時 に醒めたと考えてもよいだろう。「じゃ、愛してないんだね ? 」彼は、おだやかに聞き返すこと しかできなかった。彼のうちに本来的に存在した「優しさ。のために、結局のところ、彼は「生 の生贄 , として、自殺の道を選ぶしかない。 プーシキンの『エジプト夜話』を本格的に論じた文章の中で、ドストエフスキーは次のように 書いている。 「彼女 ( クレオパトラ ) の美しい肉体の裡には暗いファンタスチックな、恐ろしい毒蛇の魂がひそ んでいるーーーこれは交尾の時にメスがオスを食うと言われている蜘蛛の魂である。これはまった く悪夢のようである。しかしこれは人の心を奪い、限りなく淫蕩であり、そして : : : 恐ろしい : だから今や悪魔的な狂喜が女王の魂をみたし、彼女は誇らかに挑戦を投げかけるのである。 〈 : : : 〉有頂天に胸おどらせて女王は厳かに誓いを口にする : : : そうだ、いまだかって詩歌はこ 女王のこのもの んなにも恐るべき力、激情の表現のこれほどの凝集に達したことはなかったー すさまじい狂喜の表現には身も凍り、魂も息をひそめる思いがする : : : そして読者には、神の子 なるわれらの贖罪者があのとき、どんな人びとのもとへやって来たのだったかが明らかになる。 読者には、贖罪者という言葉そのものも明らかになるのだ」 この『エジプト夜話』論は、『罪と罰』発表の五年前に書かれたものである。しかし、この文